縦書きと横書きの変更





1

 第一印象は目立たないやつだった。他のボーカ口イドがお喋りや遊びに興じているのを余所に、一人だけ離れた場所で壁に寄り掛かったままつまらなそうにしていた。メイコやミクが声を掛けても「俺はいいから」と興味なさそうに手を振り、輪に入ろうとしなかった。学生の時、クラスに一人は居たような気難しい一匹狼だ。
 それだけでも広告で見た事前のイメージと異なっていたのに、一人ずつ録音する段になって、差しで話をしたそいつの態度がまた酷かった。

「まだ録るつもりですか? もうさっきのでいいでしょ?」
「うーん。もっとさ、『ミッレアンニ』みたいに歌えない?」
「無理ですよ」
「出来ないことはないだろ。あれ歌ってんのKAITOだろ?」
「俺ですよ。でも無理ですね」
「なんでだよ」
「あんたには無理」
「ハァ!? 言ってくれるね、お前!」
「あの歌、仕上げるのに何日掛かったと思ってるんですか? 三分クッキングみたいに出来上がったものはこちらです、なんて出て来るわけないでしょう」

 やれやれといった様子で言うカイトに俺は切れそうになったが、「うんざりです」と続けたカイトの表情が一瞬、別人のように見えて、「あれ?」と思っているうちに強く言い返す気が失せていた。見間違いかと思う程、僅かな間だった。苦虫を噛み潰したような顔をしながら、濃藍の両目だけが哀しいと言っていた。

「お前は何でそんな投げ遣りなんだよ」
「投げ遣りなのはどっちでしょうね。この曲、どうするんですか? さっきのテイク使いますか?」
「あれがお前の限界なのか?」
「いいえ」
「だったら納得いくまで歌わせてやる」
「残念ですが時間切れです」

 え、と思って壁時計を振り返ると、午後八時を回りそうになっていた。店と契約した終了時刻だ。ブースの外では帰り支度を終えた他の五人が、カイトが出てくるのを待っていた。

「本日はありがとうございました。それでは失礼します」
「あ……、おい……!」

 事務的な挨拶だけは丁寧に述べて、ブースを出て行こうとするカイトについ声を掛けていたが、引き止めたところでどうにもならないことは分かっていた。

「またのご利用お待ちしております」

 ついでに営業スマイルも浮かべろよと思う程、無愛想に定型句を言い終えたカイトは、床でくしゃくしゃになっていたスカーフを面倒そうに拾い上げた。
 別れ際、ミクは俺に向かって元気いっぱい手を振った。リンはレンを巻き込んでぴょんぴょんと飛び跳ね、メイコとルカはにっこり微笑んで会釈した。あいつは特に何のアクションも見せずに、さっさと背を向けて行ってしまった。最後まで可愛くないやつだ。


 ボーカ口イド開発会社の系列である音楽スタジオが、〈彼女ら〉のレンタルを始めたのは半年程前だ。アンプ、PA、ドラムセット等と同様に、決められた時間ごとの料金を支払えば、何回でも自由に歌ってもらえる。
 音楽チャートで鮮烈なデビューを果たして以来、名の知れた彼女らに安価で歌を頼めるという事で客足は多い。何しろ、実際に購入するとなると結構値の張るボーカ口イドだ。販売店でも話をしたり、デモソングを披露してもらう事は出来るが、持ち込みの曲は不可のため、一曲だけでも自分の作った曲を歌ってほしいという人達がよく訪れていた。
 俺は趣味でインストルメンタルを作っていて、歌ものにはあまり関心がなかったけれど、ボーカ口イドは多様な声音を出せるという事を知ってから気になっていた。人間のように情感たっぷりに歌う事も出来るし、電子楽器のように透明感のある音を発する事も出来る。聞く曲聞く曲でベクトルの異なる様々な音色をみせるボーカ口イドは興味深かった。
 せっかくだから歌ものに挑戦してみようと思って歌詞を考えたが、何も出てこない。ずっとインスト曲を作っていたから歌詞なんて門外漢だった。これといって伝えたい事もなかったし、どうしたものかとあれこれ悩んだ末、曲にストーリーを持たせることにした。起承転結さえ決めてしまえば、あとは削ったり表現を変えたりして歌詞に落とし込めばいい。それはそれで大変だったけれど、それなりに満足いくものが出来て、早速、ボーカ口イドに歌ってもらおうとスタジオに足を運んだのが昨日の事だ。
 特に誰がいいといったこだわりはなくて、空いてるボーカ口イドが居ればいいなと思って店に入ったが、たまたまキャンセルがあったとかで待機していた六人全員に頼む事が出来た。スタッフが言うには、特定のボーカ口イドを希望する場合や、全員で合唱をやりたい場合は予約しておかないと空いていない事も多いらしい。これはラッキーだと思って揃ってお願いすることにした。
 手入れや保存状態で楽器の音色が変わるのと同じように、ボーカ口イドも個体によって様々に変化していく。同じ『初音ミク』という名前でも、前に見たミクと雰囲気が違うなという事は往々にしてあった。それもボーカ口イドの面白いところだが、それにしたってあいつ――、カイトの態度はイメージと違いすぎた。「こいつはクールなんだな」で済むレベルではない。ほとんど喧嘩腰で無礼と言っていい。
 俺は別にクレームをつけてやると思ったわけではないけれど、今日も昨日と同じ音楽スタジオに来ていた。昨日までは試しに一回歌ってもらえればいいかなと思っていた。元々、インスト曲を作るだけで良かったし、もしも気に入ったボーカ口イドが居れば販売店で購入を検討したほうがいい。だけど気が変わった。昨日のカイトの言葉と、一瞬だけ見せた表情が妙に引っ掛かっていた。「あんたには無理」と言い放ったカイトの鼻を明かしてやりたかった。

「いらっしゃいませー」
「ボーカルブースお願いします。カイトって今空いてますか?」
「あと三十分ほどで空きますね」
「それなら七時から二時間で」
「二時間ですねー。かしこまりました」

 会員証を渡しながら、並んでいる人が居ないのを確認して話を振った。

「ここのカイトって人気あるんですか?」
「そうですねー、予約もちょくちょく入りますよ」
「へえ。結構変わったやつですよね」
「あ、何か失礼なこと言われましたか? すみません」

 軽い調子で言ったつもりだが、スタッフは察した様子で謝ってきた。やはりクレームの一つや二つ入っているのだろう。

「いやー、まあ……、イメージと結構違いましたね」
「うちももっと愛想良いのに対応させたいんですが、上に寄贈されたボーカ口イドらしくて無下に出来ないんですよ」
「なるほどねえ」

 そこで店の電話が鳴ったので話を打ち切った。二十分後ぐらいにまた来店しても良かったけれど、ロビーに設置されているモニターがちょうどボーカ口イドを映し出したので眺めている事にした。
 KAITOの歌っている曲でも特に有名なのが『ミッレアンニ』だ。作者はボーカ口イドが登場する前から音楽チャートを賑わせていた常連で、ボーカ口イドの名が知られるようになったのは彼の功績も大きい。彼の仕事はいつも完璧だった。ボーカ口イドの特性を活かしたメロディライン、それを彩る緻密なアレンジ、そして何より繊細な歌声が聴く者を魅了した。そんな著名作家の最後の作品だった。一年程前だ。『ミッレアンニ』を発表して一ヵ月後、不治の病で亡くなったとニュースが告げた。
 あの曲のKAITOの歌声は俺もすごいなと思っていたから、昨日は無愛想野郎にあんな感じで歌えないのかと気軽に言ってしまったが、あれは作者が時間を掛けて指導した賜物なのだろうと思うと、少し悪いことを言ったかなと考えを改めていた。カイトの言い方が最悪だったからカッとなったが、確かにレンタルの数時間であんな歌声を手に入れられたら苦労しない。来る客来る客、口を揃えて「ミッレアンニみたいに」とリクエストするのは想像に難くなかった。それはうんざりもするだろう。

「カイト空きましたよ。二番ブースどうぞー」
「あ、どうも」

 スタッフの声で通路に目を遣ると、カイトの相手をしていたらしい先客が受付に向かってくるのが見えた。二十歳ぐらいの女の子だが、今マラソンを走り終えましたというような憔悴した顔で、肩からずり落ちるギターケースを背負い直していた。
 入れ違いでブースに向かう途中、受付の方から「明日の予約、レンに変更できませんか」という声が聞こえた。今日で懲りてしまったのだろう。予約していたぐらいだから、カイトの歌で仕上げようと思っていただろうに、一体どんな暴言を吐かれたのか。俺はお疲れ様と心の中で労った。
 防音ドアを薄く開いて先に中を覗き込むと、形式的な出迎えのためか、そいつは入口付近で立っていた。ドアが開いたのに気づいたカイトは「本日はよろしくお願いします」と棒読みで言った。
 さて、どうやって懐柔していこうか。

「よう、暴君。女の子泣かせるのは良くないぞ」
「……。泣かせてません」

 カイトは俺を見て、あっという顔をした後、すぐに無表情に戻って否定した。

「夢も希望もありませんみたいな顔してたよ」
「今日は苦情を言いに来たんですか?」

 はぁー……、と分かりやすく溜め息をついたカイトは近くのベンチに腰掛けた。説教めいた事を言う俺も良くないが、カイトの返事も可愛くない。

「お前に歌わせに来たに決まってるだろ」
「……そうですか」

 声の調子は平坦だけれど、一瞬、驚いたという顔をしたのが分かった。何を驚く事があるのか。わざわざレンタル料を払って文句を言いに来るやつが居るか。
 俺はPC前の回転チェアーには座らず、向かいのベンチに腰掛けた。チェアーに座ると作業の合図になってしまうと思ったからだ。もう少し話をしたかった。

「お前さ、そんな態度じゃ客居なくなるぞ」
「そうですね」
「辞めたいのか?」
「好きでここに居るわけじゃありませんから」
「そっか。お前も大変なんだな」

 さっき受付のスタッフから聞いた"寄贈された"という言葉を思い出した。カイトを外せないスタジオも、辞められないカイトも、カイトの相手をする客も、誰も得していない。上の命令がずれていると現場は苦労する。

「まあさ、俺はお前の言葉にむかついたから、気に入るまで何度でも歌わせてやる」
「……」

 カイトは黙ったまま俺の目を見て何か考えているようだった。

「それなら……、販売店に行けばいいんじゃないですか?」

 何を言うのかと思ったら、拒否とも取れる提案をしてきた。自分は歌いたくないから、KAITOを買ったらどうかと言っているようなものだ。

「販売店にお前は居るのか? 俺はお前に喧嘩を売られたから買うんだよ」
「……」

 今度は何を考えているのか、口を噤んだカイトに俺は追い討ちを掛けた。

「残念だったな。面倒な客がついて」

 俺の言葉にすっと立ち上がったカイトは、スカーフを無造作に外してベンチに放った。毎回、律儀に付けてるのかと思っていると、そのままマイク前に向かったカイトは、「残り一時間五十分です」と言ってPCの方を見た。さあ始めましょうというような態度に、俺は口角を上げて、チェアーの背に手を掛けた。


2

 最悪の出逢いから一週間が過ぎようとしていた。今日も足の向く先はいつもの音楽スタジオだ。ボーカ口イドのために通い詰めるようになるなんて、少し前までは想像もしなかった。
 移動中は音楽を聴いている事が多いけれど、ここのところはずっと同じ曲をリピートしている。ヘッドフォンを付けて再生ボタンを押せば、物語の始まりだ。

 気ままに伸び広がる若葉に陽光が射し込み、きらきらと光っている。緑豊かな大地に見え隠れするのは、かつての文明の面影だ。朽ちた瓦礫のほとんどが緑に覆われようとしていた。一本だけ崩れずに残った柱は蔓で装飾され、墓標のようになっている。花を手向ける人の姿はなく、ただただオートマタの歌声だけが響いていた。飽く事もなく、遥か彼方に交わした約束のために歌い続けている。

 哀感を、慕情を、或いはまだ見ぬ希望を深く感じさせる歌声だ。『ミッレアンニ』のKAITOは聴く者に強く訴えかけてくる。
 六回目のリピートが始まった辺りで目的地に到着した。

「あ、いらっしゃいませー。もう空いてますよー。二番ブースどうぞ」

 受付のスタッフとはすっかり顔馴染みになって、予約時間より五分、十分早く着いても直ぐに案内してくれるようになった。常連客へのサービスらしい。オプションで楽器を借りていたりすると移動のために時間が前後しやすいが、俺の借りものといえば、スカーフを巻き直すだけで準備が完了する。
 今日も防音ドアを開けば、それはPCの前で仁王立ちしていた。

「よう、カイト」
「……」
「あれ、お前スカーフは?」

 出迎えの時だけは、きっちりユニフォームを着ているカイトの首元が今日は開放的だ。本人としては鬱陶しいようで、歌を録る段になるといつもベンチに放っていた。少し早く来たため、巻く時間が無かったのかと思ったが、ブースのどこにも見当たらなかった。

「あなたのために、わざわざ巻く必要ないと思ったので」
「おい、扱い悪いぞー」

 カイトは涼しそうな顔で言って、さっさと休憩用のベンチに腰掛けた。いつも直ぐに作業に取り掛かるわけではなく、少しお喋りをしているからだ。カイトも俺に慣れてきたんだなと思うと笑みがこぼれた。来るたび初対面のような態度で接せられるより、気を許してくれるほうがずっと良い。

「今日は別の曲を持ってきた。お前の癖もだいぶ分かってきたし」
「そうですか」

 これといった感慨もない、あっさりとした返事。カイトは基本的に無表情だ。例えば、ミクやリンなら満面の笑みで「嬉しい」とか「楽しみ」とか言うのだろうが、もしかしたらこれがボーカ口イド本来の素直な反応かも知れない。
 スタジオに通うようになってからボーカ口イドの情報を積極的に集めるようになったが、彼らは譜面の通りに音を発する事、歌を歌う事に関してはプロフェッショナルで、どんな楽音でも難なく歌ってみせる。問題はその先だ。どういう背景を持った曲で、どういう役割をする旋律で、どういう感情を込めればいいのか、細やかに指導を重ねる事でオリジナリティーを持たせていく。

「そこは力強く。口開けろ」
「あー」
「……俺の拳が食いたいのか? カイトくん」

 やる気なさそうに口を開いたカイトに、鉄拳を作ってみせた。カイトの立つマイク前から、俺の座るPCまでは二メートル程、距離があって届く事はない。そもそもボーカ口イドを殴ったりしたら出入り禁止にされるだろう。

「ボーカ口イドに歯形つけられたいんですか?」
「おう、それで良くなるんなら噛んでみろ」

 言外に変態ですか? という意味が含まれている。カイトだって出来ない事は分かっているはずだ。こうした応酬はもはや日常茶飯事で、ある種のコミュニケーションになっていた。
 そして、自分で指導するようになって改めて実感した。『ミッレアンニ』の歌声は化け物じみている。目の前のカイトと比べると、月とすっぽん。爪の垢を煎じて飲ませてほしい。どんな指導を? どんなエフェクトを? どんなミックスを? どんな魔法を使えば、あの歌声を引き出せるのだろう。

「毎日毎日、俺の相手して飽きないんですか?」
「飽きないから来てるんだよ」
「恋人居ないんですか?」

 カイトの売り言葉にも慣れたものだ。表現者たるボーカ口イドもそういう感情を持つ事は出来るらしいが、一匹狼のカイトに言われる筋合いはない。こういう質問は軽くいなしてしまうに限る。

「ギターが恋人さ……、なんて一度は言ってみたいよな」
「……ギター弾けるんですか?」

 パントマイムで弾く振りをしながら得意顔をしてみせると、カイトは訝しそうな目を向けてきた。店にギターを持ってきた事も借りた事もないのだから妥当な反応だろう。

Fコードで詰んだ」
「……っそ、ですか」
「笑い堪えてるの分かってるんだからな」

 格好付けたかっただけだと白状すれば、カイトは顔を横に背けて片手で口元を押さえた。僅かに肩をふるわせている。初めて見る一面だ。隠さないでちゃんと笑えばいいのに。人を遠ざけるような態度や物言いをするが、悪いやつではないという事は分かっていた。

「カイトは弾けるのか?」
「弾けますよ。でも、自動演奏みたいにつまらないですよ」
「へえ、じゃあ、これ弾いてよ」

 どんなものかと興味が湧いてカイトにコード譜を渡してから、インターホンに手を掛けた。受付にアコースティックギターの追加レンタルを頼む。一時間単位で貸し出ししているため、今からだと勿体無いですよと言われたが気にならなかった。思い立ったら直ぐ行動する性質だ。今聞きたいのだ。

「はい、よろしく」
「……俺に教えてほしいとかだったら無理ですよ」
「そんなの期待してないって」

 毒舌カイト先生のギター教室なんて嫌すぎる。
 カイトは渋々ギターを受け取ると、足を組んで弾く体勢を取った。左手が手本のように綺麗にコードを押さえる。そのまま俺のほうに視線をくれた。弾き始めていいのか窺っているらしい。普段、傍若無人のくせにこういう時はしっかり指示を待つのだ。歌を録る時も同じ。俺の合図を確認する。
 無言で頷くと、カイトは譜面の通りに坦々と弾き始めた。少しの乱れもない正確な運指。そういう機械であるかのように指が、手が動く。確かに自動演奏を聞いているようだ。そこにカイトの個性は見えない。

「上手いな」
「……」
「つまらない」
「だから言ったじゃないですか」
「うん、まあ、カイトはボーカ口イドだしな」
「……そうですね」

 何でそこで一瞬、詰まるんだよと言ってやりたかったけれど、何となく感じていた。今のカイトの歌声も、ギターの演奏とほとんど変わらない。音は外さないし、得意な音域は綺麗に歌う。楽器としては優秀だろう。ただ、物足りない感覚が付き纏う。さすがに『ミッレアンニ』のようにとは言わないけれど、もう少し感情を乗せられないのだろうか。

「正直に言ってほしいんだけど、……ってこんな前置きしなくてもお前は悪い意味で素直だったな」
「何ですか」
「俺の指示は間違ってる?」
「……。……ズレてますね」
「ズレてる、ね」

 オシレーターで音作りなら散々やってきた。どこをどうすれば欲しい音色になるか。何をすればより良い音になるか。音同士が喧嘩をしないように帯域の住み分けをしたり、エフェクトで盛るのだって慣れた作業だ。歌声の一音一音を弄るとなると勝手は違うけれど、音声学や調音の勉強まで始めて幾分か良くなった。ただ、表情の乏しさだけは変わらなかった。カイトの音色は薄くて弱い。

「何度、歌わせられても、あんたの望みの音は出せない」
「俺には出来ないって?」

 初対面でカイトに言われた言葉だ。あの時は、いきなり殴り掛かってくるかのように言われたからカッとなったが、今は冷静な気持ちで問える。丁寧に時間を掛けてきたつもりだ。だけど、思い描くイメージには未だ遠い。

「あなたが俺の……、っ……。……俺は、人間じゃないから」
「……知ってるよ」

 淀みなく嫌みを言ってきたカイトが言葉を詰まらせて、諦めたように口を閉ざした。またあの顔をした。深い藍色の目が哀しいと言っているのを見逃さなかった。

「人間みたいな歌声が欲しいわけじゃない。ボーカ口イドにはボーカ口イドなりの表現があるだろう」
「どうぞ、販売店へ行ってください」
「またそれか。俺は、お前の、声が欲しいんだよ」
「っ……。俺はあなたのために言ってるんですよ」
「嘘つけ。自分が歌いたくないだけだろ」
「……そうですね。歌いたくありません」
「じゃあ、Bメロからもう一回」
「……」

 捻くれた性格に隠された影の部分がずっと気になっている。もっと知りたいと思う。このカイトにしか出せない音色があるはずなんだ。まだ彼の限界を見ていない。
 あえて素気無く指示を出すと、カイトは黙ってマイク前に立った。怒っている様子はない。歌いたくなくても歌うしかないのだ。感情を潰して、音を鳴らす機械に成り下がる。ボーカ口イドの宿命かと思うと、考えさせられるものがあった。

「泣くなよ」
「え……。……泣いてませんけど」

 カイトは一瞬、ぎょっとした様子で自分の瞼や頬に手を遣った。思っていたより良い反応をする。実際、涙は出ていない。

「じゃあ、泣け」
「何なんですか一体」
「お前が哀しそうにするから」
「……」
「それを歌に出せよ」

 見え隠れする哀しみを全て体現できたら、今よりずっと良い歌になる。どうすれば引き出せるのかまだ見つからない。
 俺が食い下がる姿勢を見せれば、カイトはにべもない態度で繰り返す。

「販売店に行ってください」
「お前……、まさかどこか壊れてんの?」
「……。そうですね。だからこれ以上は時間の無駄です」

 思わず時計に目を遣ると終了時間が差し迫っていた。
 本当にどこか壊れているのだろうか。俺を諦めさせる口実にも思える。だけど、歌いたくないボーカ口イドは普通なのかと考えると、壊れているというのもあり得ない話ではないような気もする。

「次の予約は明後日だ。じゃあな」
「……本日はありがとうございました」

 終わり際の事務的な挨拶は相変わらずだ。今日は投げ捨てたスカーフは無いけれど。
 ブースを出て受付に向かう途中で、ギターもレンタルしていた事を思い出した。あとで説明を受けたけれど、そのままにしておいてもスタッフが回収しに来るらしい。
 踵を返して防音ドアを開くと、かすかに歌声が聞こえてきた。マイクを通していない生歌だ。いつもさっさと行ってしまうから、とっくに居ないと思っていた。カイトは向かいの壁の方を見ていて、俺に気づいていない。慎重にドアを閉めてその場で蹲り、耳を澄ました。
 この歌――『ミッレアンニ』だ。最近よく聴いているから間違うはずがない。だけど、歌声は全くの別物。無表情に旋律をなぞっているだけだ。同じKAITOなのに、こうも違うものかと頭を抱えたくなる。

「へたくそ」
「……!」
「ギター持っていくの忘れてた」
「っ……。さっさと行けよッ!」

 怒りをあらわにして声を上げるカイトに心底驚いて、ギターを落とすところだった。いつもはカイトの方から喧嘩を吹っ掛けるような事を言うから、軽口のつもりで言ったけれど、そこまで機嫌を損ねるとは思わなかった。

「わっ、悪い。そんなに怒るとは思わなくて。悪かった。ごめん」
「……」

 素直に謝罪の言葉が出たが、カイトは黙り込んだままだ。俺の方を一切見ないカイトに妙に焦りを覚えた。せっかく慣れてきたところなのに、振り出しに戻りたくはない。

「明日また来る」

 次の時間帯の予約者は居ないようだったが、時間オーバーで長居するのは気が引けた。頭を冷やす時間も必要だ。
 受付に駆け込んで、明日も予約を入れたい旨を伝えるとちょうど立て込んでいるらしく、長時間は厳しいと言われた。「三十分だけでもいいから」と半ば無理やり予約を取り付けると、「熱心ですね」と苦笑された。
 本当に何でこんなにむきになっているのか。態度も酷ければ、口も悪い。歌いたくないという。最低なボーカ口イドだ。だけど時々、表れる本音のようなものに惹きつけられる。あの哀しそうな目を放っておけなかった。



MENU | NEXT

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル