国を慈しむように、清き流れを讃えるセーヌ川。
その川の前に彼はたたずむ。手に白い百合の花束を抱えて。
いつも浮かべている朗らかな笑みは、今日は見当たらない。
賑やかな川辺に、一人無言で立ちつくす。
百合の花に唇を落とし、雄大な川へと投げ入れた。

「J'aime Jehanne à jamais」

ただそれだけ。
小さく呟くと、川に背を向ける。泣きそうな顔を見せたくないから。

広大な公園の片隅、天を仰ぐよう枝を伸ばす樫の木に寄りかかる。
数百年たっても、生き生きと人々を見つめ続けている樫の木。
彼はこの木が好きだった。
昔――争いの中、唯一の安らぎであった「あの子」と一緒に
この木の下で語り合ったから。
肩も手も触れる事もできなかった。だが、とても楽しかった。
彼女と様々な事を語り合った。綺麗な華や美味しい料理や、
素敵なダンス、そして……叶う事なかった幸せな未来。
彼女は真剣に自分の事を考えてくれていたのはわかっていた。
だからこそ、馬鹿な事をわざとやって見せたこともある。
こんな馬鹿な奴に愛想を尽かしてくれれば、
彼女は普通の少女に戻れるかもしれなかった。

だけれども……

「馬鹿はお前だったな。ジャンヌ……」

傷を負って、泣いてみたり、旗持ちのくせに突撃してみたり……
何よりも、こんな自分のために、命を捧げてしまったのだから。

あの日が近づいてくると、夜が怖くなる。眠るのが怖くなる。
あの朝、彼女が消えてしまったから。

イギリスのアメリカ独立の日が近づくと、体調が悪くなるという話を不意に思い出し、
苦笑を浮かべた。
あの時は、指をさして腹を抱えて笑いもしたが、自分も同じくらい……
いや、彼よりも情けないんだ。
別にイギリスを恨んでいるわけではない。
恨んでいるのは、彼女を守れなかった弱い自分。

「あーもう、情けねぇ。この愛のお兄さんが、一人の女にこんなに……」
手で目を覆い隠す。誰にも見られたくない。こんな姿を。
幸い、周りには誰もいない。
芝生に横たわる。木漏れ日が気持ちよい。
「……会いたい。もう一度……会いたい」

その言葉は、空のどこかにいる彼女に届くのだろうか。

 


――ああ、夢だ。
足元が落ち着かない。身体が波に流されるような感触に、彼は冷静に判断した。
夢なのだから、自分を着飾る必要はない。
海に包まれているような感覚。何をするわけでもなく、前をただ見つめ。
――見たことのある少女の姿。あれほど会いたかった『あの子』の姿。
目を疑う。なんでここに彼女がいるのかと。
すぐに夢の中だと言う事を思い出し、小さくため息をついた。

「……恨み言でもいいにきたのか?」
久しぶりに会ったのに、そんな事しかいえない自分がつくづく嫌になる。

彼女の顔が悲しみに染まる。首を横に振り、何かを伝えようと、唇を動かす。
声は聞こえない。耳をすましても、何も聞こえない。
「お前を見捨てた俺には声も聞かれたくないというのか?」
唇が動く。必死に否定しているのはわかっているのだが、
あの可愛らしかった声が聞こえない事がとても悲しくて。
「……すまねぇ。本当に……馬鹿な男でさ」
愛おしい彼女に、愛のささやきも喜びの言葉もでてこない。
ただ、謝罪の言葉のみが口をついて出て。まともに彼女の顔を見れやしない。

その時、身体が柔らかい感触に包まれた。
あの時とかわらない、優しい香り。
彼女に抱きしめられ、初めて彼女の柔らかさを感じた。
暖かい手が、彼の頬に添えられる。まっすぐに対峙し、ゆっくりと唇が動く。
今度ははっきりとわかった。

『あ・り・が・と・う』

「ありがとう……だなんて、本気で馬鹿だろ。お前……何で」
失くしたと思っていた涙が頬伝う。
止めようとするが、止められるはずもなく、地面を濡らしていった。
「あー、もう、情けねぇ! 馬鹿は俺だ。何で何で何で……
こいつの前で情けねぇ姿を」
空笑いしてみるが、笑えもしない。
どこにあったのだろうかと思うほど、涙が溢れてきて。
目元に暖かい感触。彼女の唇が涙を拭う。
まるで姉のように、彼の頭を手で撫でる。『早く泣き止みなさい』と慰めるように。

「しばらく見ないうちに、ずいぶんと女らしくなったな。
聖母マリアの元で修行してきたのか」
やっと出てきた軽口に、彼女の顔にも少女らしい笑みが浮かぶ。
戸惑い気味に、彼から彼女の頬に触れ、消えてしまわない事に安堵のため息をつく。
日焼けして肌荒れして、けして美しいとはいえない肌。
でも、どんな女性よりも綺麗で。
吐息が感じられるくらい、顔を近づけ、唇を重ね合わせる。
挨拶のような軽いキス。それ以上はできない。

「何かガキみたいだな」

おでこを合わせ、小さく呟く。自分の頬が赤く染まっているのがはっきりとわかった。
気恥ずかしい感覚なんて、どれくらい味わっていなかったのだろうか。
手を絡める。指を絡める。ぎゅっと握り締める。もう離したくない。
なだらかな肩を指でなぞる。左肩に残る矢を受けた時の傷跡。そこに唇を落とす。
肌を合わせる。素肌が気持ちよい。
腕を絡め、足を絡め、唇を合わせ。
だけれども、それ以上は進入しない。それだけで、幸福だから。

「なぁ……俺、いい世界作れたと思うか? 良い国になれただろうか」
彼女の肩を抱きながら、誰かに聞きたくてたまらなかった質問を口にしてみる。
誰かに聞きたかったが、本当は怖くて聞きたくない質問。
首をかしげ、少し困った顔を見せる彼女に、質問してしまった事を後悔したくなった。
だが、すぐに彼女は笑う。舌をちょっと見せると、頭を撫でる。
「たく、からかったのか。この悪戯娘が」
お返しといわんばかりに、彼女の頭を撫で返す。
髪がくしゃくしゃになるのなんてお構いなしに。
ひとしきりじゃれあうと、もう一度、強く抱きしめる。
耳元で今まで伝えられなかった言葉を呟く。

「……愛してる。

ありがとう。

……すまない……

愛してる。心から愛してる」

視界が歪む。光に包まれる感覚。彼女のぬくもりが消えていく。
何となくわかる。目覚めかけているのだ。
だが、今度は心穏やかだ。伝えたい事は伝えた。

「今度会うときは、薔薇の花束持ってくるよ」

最後にそれだけ言うと、光の中に消えつつある彼女に手を振った。
一番格好よくて、一番格好悪い、満面の笑みを浮かべて。



太陽の光がまぶしい。
瞳をあければ、目に入るのは青い空。
目覚めはすっきりしている。良い夢を見れたのだから。
「ふぁ〜良く寝た〜」
大きく背伸びをする。指先に何かの感触がした。
良く見ると、赤い身体をした小さな昆虫がしっかりとしがみついている。
人懐っこい虫、Ladybird。いわゆる天道虫だ。
太陽を求め、必死に動く小さな姿は、先ほどまで会っていた誰かを思い出す。
「ほら、太陽はあっちだぞ」
手の甲に乗せ、軽く息を吹きかけると、天道虫は小さな翅を羽ばたかせ、
天へと向かって飛び立った。
「……あの子に伝えてくれ。また会おうなってな」
青い空に、赤い点が解けて消えるまで、彼は静かに見守っていた……

 

「……ありがとうな。手伝ってくれて」
男は手にしがみつく天道虫に向かって礼を述べた。
声に反応するかのように、微かな光を放つ天道虫。
男は何もない宙に視線を向け、照れ笑いを浮かべた。
「うっさいぞ。俺はなぁ、あの馬鹿が妙に静かなのが苦手なだけだ。照れてねぇぞ。
それに……」
悲痛な表情を浮かべ、
「……あん時は戦だから仕方ねぇが、
結果的にあいつの大切な奴を殺したのは俺だもんな」
あの時の事は忘れられない。いつもは騒がしいぐらいの奴が、
炎の前で泣きそうな顔だったのを。
あの日から、しばらくは空っぽの笑顔しか浮かべられなくなったのを。
そして、知っている。
彼女が消えたあの日が来るたびに、笑っているはずなのに、
心は泣いていたという事。
どんなに争っても、結局は腐れ縁の悪友なのだから、良くわかる。
だからこそ……
「聖母マリアに仕える天道虫よ。希望をつれてきて感謝する。
Ladybug Ladybug fly away home」
呪文のような歌を口ずさむと、軽く息を吹きかけ、天道虫を空へと導く。
「……本当にありがとうな」
空を目指す天道虫をしばらく見守ると、大きくあくびを一つし。
「さーて、んじゃ、いっちょ、喧嘩ふっかけてくるとするか」

――そして、いつものように、馬鹿騒ぎが始まる――



2009/05/13初出
フランス×ジャンヌ第二弾
余裕の無いにーちゃんが好きです。




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