「「唯ちゃん!!」」
集中治療室に飛び込む美神と横島。
「くそっ!」
全霊力を振り絞って文珠を精製しようとした。
病院に向かう車の中で『治』も『癒』も試した。『覚』も試した。
どれも効果なかった。
だから、これが本当に最後の賭け。
手が震える。こみかみが痛む。目が霞む。
だけど、だけど今だけは…。
震えだす手を美神が後ろから押さえ込んだ。
(がんばりなさい!横島くん!!)
そう叱咤する声が聞こえたような気がした。
二人の、否!ここにいないピートやタイガーや愛子の思いも受け、自分に残った全霊力を振り絞って完成した『蘇』の文珠。
(頼む!!)
部屋が光に包まれた…
集中治療室から医師と看護師が退出する。
後に残された三人。
悄然とうなだれ佇む横島と、労わるようなそれでいて怯えを含んだ目で彼を見つめる美神と、呼吸も鼓動も止め、ただ人形のように横たわる唯。
長い沈黙の時間が過ぎ、震える声で横島が口を開いた。
「美神さん…」
「横島君…」
怖いと美神は思う。
「唯ちゃんですね…俺に言ったんすよ…許してあげるって…でも…俺まだ謝ってないんです!なのに…」
「横島君!」
駄目だ!二度目は耐えられないかも…駄目よ!横島くん!!
「んで…ですね…最期に言ったんすよ。「許してね」って…けど…けど…」
「横島くんっ!!」
駄目っ!
「大丈夫です。美神さん。俺、唯ちゃんを許しませんから…だから…だか…ら…
今度会ったら絶対文句言ってやります!それが何十年先であろうと!!許すのはその後ですっ!」
「そう…そうね。」
成長していた。美神が思うよりもずっとずっと……だけど…
「…美神さん…」
「…何?…」
「胸…借りていいっすか…?」
「……いいわよ…」
部屋に嗚咽が満ちた…
別の日…
城南署からGメン経由で唯の私物を取りに来てくれないか?と連絡を受けた横島は滝沢という婦警に、かって唯のいた、今は誰も使うことの無い第九課に案内された。
「唯ちゃん、ほとんどここにいなかったのよね…」と言いながらドアを開けてくれた滝沢に礼をいい、部屋に入ると、そこには古臭い事務机と書類棚があるだけだった。
何の色も感じさせないその部屋の中で、机の上のペンケースとその中身だけが花のような色彩を放っていた。それをカバンにしまっているうちに我慢が出来なくなった。
埃一つ無い机の上に水滴が散る…。
突然、ガチャとドアを開けて掃除のおばちゃんが入ってきた。そして無愛想な顔で横島を見ると邪魔だとと言わんばかりに手を振る。
一礼して外に出た横島がドアを閉める時、おばちゃんが唯の机を丁寧に拭いているのが見えた。不思議なことに、どれほど拭いても机の上の水滴は減ることが無かった。
だから横島は、そっとドアを閉じ、もう一度頭を下げた。
帰り際、署の玄関で初老の男に声をかけられた。
警察官というより北海道の山奥で風力発電でもしている方が似合っている風貌のその男は「五郎」と名乗った。彼に誘われて喫茶店に行った。
昼休みのサラリーマンやOLでにぎわう喫茶店の中で、横島は五郎に問われるままにあの夜のことを話した。
「そっスかぁ…そっスかぁ…」と頷きながら横島の話を一言一句も漏らすまいと聞き入る五郎。
涙と鼻水が手をつけてないコーヒーにポタポタ落ちたが横島は汚いとは思わなかった。
だから、高校生の前で馬鹿のように泣く男を異常者を見る目で見つめる他の客たちを睨みつけた。この涙の意味を理解できないような奴らにはそれで十分だった。
喫茶店を出たところで、五郎はその無骨な両手で横島の手を握り黙って頭を下げた。
その手にまた涙と鼻水が落ちたから、わかったから、横島も黙ったままその手を強く握り返した。
そしてまた別の日…
婦警寮の唯の私室にある荷物を取りに行った。「私がずっと預かっておくわ…」と愛子が言うのでついてきてもらった。案内してくれたのは、あの滝沢という婦警だった。
寮に向かう車の中で、城南署の署長が署の廊下でトントンと肩を叩かれ、振り向いたところを何者かに殴られて失神し前歯をすべて失ったことを聞いた。
ところが殴られるところを見ていたものが大勢いたにもかかわらず、誰も犯人の特徴を思い出さなかった。「あれは迷宮入りね」と捜査する気もなかった癖に滝沢が言った。
結局、捜査はされなかった。件の署長が突然転勤になったから。失ったのは前歯だけでは無かった。
滝沢に案内された唯の部屋は、ワンルームの空間にわずかばかりの生活用品とたくさんのぬいぐるみがあった。その一つを手に取り、眠っている二十年の間に全ての身寄りを無くした唯が、この部屋で彼らに話しかけていたのかと思うと泣けてきた。
愛子が声を殺して泣く彼の頭をそっと抱き寄せる。
「唯ちゃんが教えてくれたのよ…」
そう言って横島を胸に抱きながら愛子も涙を流した。
その様子を玄関で黙って見ていた滝沢は、音を立てぬようにそっと外に出ると両手で顔を覆ってしゃがみこんだ。
そして…今日…
横島は都内の警察病院の一室に居た。
ベッドの脇に備え付きのパイプイスを置き、手を胸で組み、目を閉じて人形のように横たわる唯を見つめる。その可憐な唇から息が漏れることも、その小さな胸の奥で心臓が鼓動を打つことも無かったが、それでも彼女は眠っているだけだった。
いつか…それが何十年、いや何百年先であっても彼女はきっと目を覚ますだろう。
横島はそう確信している。だから今は眠る唯の髪を優しく撫でるだけ。
その指にはいたるところに血の滲んだ絆創膏が張られている。
やがて横島は持ってきた紙袋の中からそれらを取り出した。
おキヌの指導の下で愛子が、ピートが、タイガーが、そして横島が慣れない針を使いながらも懸命に作ったフェルトのぬいぐるみ。それぞれが自分の姿を模している。
タイガーは「ワッシが一番不利ですノー」と言いながら一回り大きいぬいぐるみを作っていた。それらを一つずつ唯の周りに並べていく。
その中には除霊委員の他にも令子やシロやタマモやおキヌのものまであった。
たった一日だけの除霊委員だった彼女に対する彼らからのプレゼント。
そして…最後に取り出した横島のぬいぐるみ。その胸には不釣合いなポケットがついている。
横島はそのポケットに一つだけ「それ」を入れると、ちょっとだけ膨らんだそのぬいぐるみを、唯の組まれた手をやさしく開いてやって握らせる。
静かに眠る唯の周りで笑顔を見せるぬいぐるみたち。その光景を微笑とともに見つめていた時、ドアの外で音がした。続いてカツ…カツ…と遠ざかる足音。
ドアを開けてみると足元にはカスミソウの白い花束があった。
外に出てみれば、振り向きもせず廊下を遠ざかっていく黒いコートの男。
「あ、あのっ!」
男は横島の声に立ち止まるとゆっくりと振り向いた。サングラスでその目は見えない。
にもかかわらず横島は男が自分を真っ直ぐに見つめていると直感した。だから…
「唯ちゃんはきっと目を覚ましますからっ!俺たちが覚ましてみせますからっ!」
ここが病院であることも忘れて叫ぶ。
男はしばし無言だったが、やがてその手をゆっくりと上げると完璧な敬礼をしてみせた。
慌てて敬礼をしかえす横島は確かに見た。
完璧なはずの敬礼をしている男の手が震えているのを…。
敬礼したまま頭を下げる横島の耳に再び廊下を遠ざかる足音が聞こえた。
どこからか泣くような、こらえるような、途切れがちのおもちゃの笛の音が聞こえてきた。
枕元に花瓶に移してきたカスミソウを置き、イスに座って唯の顔を見ながらもう一度、あの事件のことを考えた。
長井も唯も「人」と「物」を区別してなかった。
違いがあるとすれば長井は「物」が「心」を持つことを認められず、それゆえに「心」を持ってしまった「おもちゃ」を壊そうとした。
その結果、自分が壊れ、今はどこかの病院に入院している。正気に返ることはないだろ
う。
唯は「物」に「心」があることを認め、それと「心」を通わせ、最後に自分を犠牲にした。
結局は同じカードの裏表だったんだろうか?
いや違う。
横島は知っている。長井と唯の決定的な違いを…。
だからこれからも迷うことはないだろう。
それを教えてくれた彼女たちのためにも。
いつの間にか日は落ちていた。
横島は唯の耳元に顔を寄せ小さな声で語りかける。
「はやく起きないとまた遅刻するぞ…」
そして唯のおでこにそっと口づけ、立ち上がるとドアに向けて歩き出した。
「また、来るからさ」
そう言いながらドアを開け…ゆっくりとドアを閉じる。
「ずっと…友達だぞ、唯…」
(ずっと…友達ですよ、タダオくん…)
パタン…
『除霊委員の事件ファイル』 完
淡く輝く人形…
そして彼が託した「それ」に文字が浮かぶ…
その文字は……『 』…
そして時が…
後書き
ども、犬雀です。皆様のご声援を受けなんとか未熟ながらも完結にこぎつけることが出来た「除霊委員の事件ファイル」いかがでしたでしょうか?
横島や長井、天野唯それぞれの行動には矛盾点も納得のいかない部分も多々ございましたことでしょうが、とりあえずこういう形で締めくくりとなりました。
犬が書きたかったのは理屈ぬきに「許す」という言葉が必要な場面があるのではなかろうか?という想いでした。
では、またお会いする機会がございましたらご指導のほどよろしくお願い申し上げます。もし次の機会があるならば『除霊委員の身体測定日』なんて面白そうかな?などと考えております。
なお、この文章をもちまして前回レスを頂いた方への返信とさせていただきます。
ご容赦ください。
末筆ではありますが、このような拙い作品を発表する機会を下さいました米田様、そしてレスを下さった皆様に厚くお礼申し上げます。
PS 最後に浮かぶ文字は皆様がお決めください。
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