その1
事件当日は、雨がざぁざぁと喧しい音をたてて降っていた。雨はこれからまだまだ強くなるのではないか、そんな天候だった。
冷たい雨粒が地面に打ちつける音だけしかない街中。深夜の街は人通りはほとんどなく、日中から振り続けた雨のためか交通量は少ない。
ばしゃん、という明らかに雨粒のそれとは異質な音が突然響いた。
「ゆ、許してくれ! 私は何も知らない―――!」
続いたのは許しを請う男の声。心底怯えている声だった。
ビルの合間を縫ったような場所にある路地裏。都市の景観を損ねかねないものが追いやられた吹き溜まりだ。
雨がますます降り止まぬ中で、男は尻餅をついて後退りしていた。この男の顔は閻魔にでも睨まれたかのようにただただ恐怖に支配されていた。
実際に睨んでいるのは勿論地獄の閻魔ではない。
全身を覆う純白のマントと、頭を覆い隠すようなフードを身に着けた人間だ。顔もほとんど覆われ、わずかに口元がのぞける程度だ。
その人間は、後退りする男とまた一歩距離を詰めた。
「――――――――――――」
その声はいっそう強くなった雨に打ち消された。だが男にはそれが聞こえたのか、恐怖にまみれた表情をさらに青ざめさせた。
彼はほとんど気力で立ち上がり、後ろを向いて走り始める。
しかしその足取りもすぐにストップした。後ろにもやはり同じような姿をした人影があったのだ。
最初の人影よりは若干背が低い。だが、その衣装は全く同じだった。フードから輝くばかりの金髪がすこしだけ溢れている。
「――考え―――よ。あなた――――ない」
やはりほとんど打ち消されてしまった背の低い純白マントの声。しかし、その声はまぎれもない女性―――いや、まだ幼さの残る少女の声だった。
男は再び後退りして、また尻餅をついた。
彼の表情を滴り落ちるのはなにも雨粒ばかりではなくなっている。その中には、恐怖からの涙も間違いなく混じっていた。
背の高い純白マントは背後から近づき、左手をマントの中から出した。
義手――――いや、それにしては機械的な、銀に光る手だった。まるでサイボーグのようだ。
かなり精巧で、それでいて銃弾の直撃にも耐えうるような頑丈さがうかがえる。
純白マントは、静かにその掌を彼の頭に置いた。男は恐怖による錯乱状態で、その瞳はもはや世界を映していない。
「―――でも―――――だ。―――――で―――――な」
背の高い純白マントの声。まだ若い、男の声だ。
ヴゥン………という機械の駆動音。発生源は純白マントの義手からだ。
手が、男の頭が震えた。
バァンッ、という大きな破裂音が雨音を一瞬かき消すほどに響いた。
鮮血――――。
純白マントが握っていたはずの男の頭は、跡形もなく消滅していた。まるで、最初からそこにはなにもなかったかのように。
だが確かに男の頭が爆砕したのだということを、2人の純白マントにこびりついた血や脳漿が指し示していた。
しかし、それらもなおいっそう強まる雨に洗い流されていく。
だが、さすがに赤くにじんだ部分は残っていた。
男の身体はなかなか倒れなかった。
噴水のように溢れ出ていた血は、雨と混じって地面を流れていく。
背の高い純白マントは義手についた脳漿を振り払うと、マントの中へしまった。
そうしてから、やっと男の身体が崩れ落ちた。
背の高い純白マントはそれを見下げてから、ゆっくりと踵をかえした。
今までただ見ているだけだった背の低い純白マントもそれに続く。狭い路地の中で、寄り添うように真横を歩いた。
あとに残されたのは、ただただ打ち付ける雨の雨音と、頭を永久に失ってしまった男の死体――――。
伊達雪之丞は不機嫌だった。
いったいどれほど待たせれば気が済むんだと、いくら依頼人でも限度があると。
雪之丞の姿は明るい喫茶店の中では少々浮いていたが、ここが依頼人に指定された場所である以上は仕方がない。
周囲からの奇異の視線に耐えながら、一杯のコーヒーで粘り続けていた。
待たされていることもあったが、余計な出費をさせられたことに対するイラつきもあるのも否めない。
もう帰るか………そう思っているときに、入り口のドアから数人の客が入ってきた。
全員が1グループというわけではなく、たまたま入るのが一緒だけらしい。店に入ってからはバラバラだ。
3人ほどの若い連中は奥のテーブルに座り、1人はカウンターの席に座る。そしてもう1人は、雪之丞の背後にあるテーブルについた。
こりゃ駄目だな………雪之丞はいよいよ立ち上がろうとしていた。
しかし――――
「申し訳ありません。待たせてしまったようですね」
背後から、そんな声がかかった。まだ若い女性の声だが、感情を押し殺したような事務的な口調だ。
雪之丞は振り向きたい衝動に駆られたが、なんとか抑えつけた。
今回の依頼人は以前にも関わったことがある。正面から会話することを酷く嫌っていたことを、雪之丞は覚えていた。
雪之丞は上げかけていた腰を降ろし、小さく溜息をついた。
「まったくだ………。所詮モグリのGSは軽く扱われるってことか?」
幸い、店内もすこしざわついてきていた。背中合わせでの2人の会話は他には聞こえないだろう。
「気を悪くしないでください。遅れてしまったことは謝ります」
「………別に謝ってもらいたいわけじゃねぇよ。とにかく、なにを依頼したのか話してくれ」
「世間で騒がれている連続猟奇殺人事件………ご存知ですか?」
「………馬鹿にしてんのか? 知らない方がおかしいぜ」
雪之丞はほとんど冷めてしまったコーヒーに口をつけた。
ここ数ヶ月、都心で猟奇的な殺人事件が連続していた。
それは異常の一言で、常人には不可能な殺し方をされていた。
例えば―――――首から上が消滅していたり、逆に首から下が消滅していたり……。
さらには原形を留めていないほど全身を焼かれていたり、首が獣に齧られたように大きく抉られていたり……。
他にも例をあげればきりがない。
その被害者たちに特に共通性はない。老若男女問わずで、事件発生は夜間であると見られている。警察の捜査では無差別な、通り魔的な殺人ということで調べが進んでいるらしい。
最初の事件が起きてからすでに半年近く経つが、犯人の足取りはまったく掴めていないとのことだった。
思い出していると、急にコーヒーが不味くなってきたのを雪之丞は感じた。
「嫌な事件だぜ………最近じゃますますやり方が残虐になってるそうだな?」
「ええ。内蔵を完膚なきまでに引き裂いていたり、全身をめった刺しにしているものも出たそうです」
今まで淡々と話していた女性の口調が、急に嫌悪感を混じらせるものに変わった。
「で、それをどうしろってんだ。まさか俺にその犯人を捕まえろっていうんじゃねぇだろうな?」
「……………その通りです。この事件の犯人を捕らえてください。それが今回の依頼です」
「馬鹿いえ。俺はGSであって警察じゃない。そんなことは警察の仕事だろうが」
「いえ――――今回の事件………オカルトな面を含みます」
「? どういうことだ?」
「この事件は――――――――――」
数分後………雪之丞の背後に座っていた女性が席を立った。
精算を済ませ、店から出て行く。
残された雪之丞は、傍目にはなんの変化もないように見えた。
だがその心の内では、この猟奇殺人事件をなんとしても解決してやろうという意欲に燃えていた―――。
「ってわけで協力してくれ」
「なにが、ってわけで、なんだ?」
横島忠夫は何を言っているんだこいつは、という顔をしながら、雪之丞を睨んだ。
場所は横島が住むボロアパート。その横島の部屋で、男2人が向かい合って話していた。
横島はいつもの格好をしているが、ハチマキだけは外していた。
「だから言ってるだろ? ここんとこ世間を騒がしている事件の解明だ」
「イヤじゃ〜〜〜!! あんなのに関わってられっか!! 童貞とさよならする前に胴体とさよならしたないわ〜〜〜!!
世間を騒がしている事件で最も大きく報道されているのは、首を切られていたということだけだ。
内蔵を引き裂かれていたとか、首筋が獣に齧られたように抉られていたとかいうことは、あまりに刺激的過ぎるのでマスコミを報道を控えている。
しかし首が切断されていたということだけでも、充分衝撃的だろう。
「まぁ聞けって」
「関わるぐらいなら美神さんにしばかれとったほうがまだマシじゃ!! それにそれは警察のお仕事―――」
「いや、だからな――――――」
雪之丞は一から十まで、懇切丁寧に説明した。
この事件を解決してやろうと決意させた、依頼人から聞いた話を―――。
ただし、ある一部分だけは除いて。
「――――ってわけだ。だからお前もGSとして―――」
「それでもイヤなもんはイヤじゃ〜! その話を聞いても命の危険性はほとんど変わらん!」
「………報酬は三千万なんだがな………」
ボソッと呟くようにいわれた雪之丞の一言を、横島の耳は正確に捉えていた。
泣き笑いの表情が、いきなり無表情になり、そして今度はすこしニヤけた表情へとコロコロと変わっていく。
もう一押しだな………と、雪之丞はさらに追撃に出る。
「いや〜〜残念だな〜〜〜。2人で依頼を達成させりゃ山分けで一気に千五百万――――」
白々しい口調だが、横島には効果覿面だった。
雪之丞の肩に荒々しく手を置き……
「ふふふ…………任せろ! 千五百万は俺がもらったぁ!!」
「お、おう。よろしく頼むぞ」
返事をすると、横島はアパート中に響くような声で高笑いし始めた。
雪之丞が周りを見回すと、散乱しているのはカップラーメンなどの安価な食べ物ばかり………。
どうやら横島はかなりひもじい生活を送っていたようだ。
これで戦力的には問題ないな………と、雪之丞は安心していた。
わざわざ横島のアパートまで来たのは、彼の上司の介入をなんとか防ぐためだ。
三千万という高額の仕事。美神の旦那が飛びついてこないわけがない、と思ったのだ。
下手すれば報酬のほとんどを持っていかれかねない……。
その点、横島ならば戦力的なことを考えても安全であるという打算が、雪之丞の中で働いていた。
対して横島の思考は…………
(……………雪之丞の話では依頼人はえらい美人やって話だからな。この仕事を成功させて大金持ちに! そして是が非でも美女にお近づきに!!!!!)
こちらもかなり都合のいい打算が働いていた。ちなみに、雪之丞は美人とは一言も言っていないのだが………。
ともあれ、ここに横島・雪之丞の即席コンビが結成された。
あとがき
始めまして、西竹と申します。
ここにある数々の作品に触発されて、自分でも書いてみようという無謀な決心をした次第。
ひたすらに拙い文章力ですが、頑張って書くんで皆さんよろしくお願いします。
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