―――――ただ青年は人より少し不幸だっただけ。
孤児院『雛鳥の家』・・孤児や捨て子、所謂本人にとってはやまれぬ事情により一人となった子供たちが共に暮らしている施設。
そこには今、賑やかな笑顔と確かな温もりがあった。
「ねえ、ねえ、のび兄ちゃん!!!『はしご』できたよ!!見て見て!!」
髪をツインテールにした少女が目の前の青年にはしゃぎながら言う。
両手があやとりの糸で塞がっているため体当たりとばかりに青年の顔をこちらに向けようとしている。
「なあ、のび太!!野球やろうぜ!!みんな外に集まってるからさ!!」
バットを片手に握り締め野球帽をかぶった少年が青年のズボンを引きずらんばかりに引っ張っている。
外を見ると確かに10人ほどの子供たちが男女問わずに集まっている。
そしてその青年は・・・
「ちょ、ちょちょっと待って!!あ、茜ちゃん眼鏡はやめてよ!!」
4歳ぐらいの少女を背負いながら、その少女に眼鏡をいじられ慌てている。
いつか見た服装とは違い青いジャージにグレーのトレーナーといったいでたちで、『園児に迫られて慌ててる幼稚園の先生』という構図が出来上がっていた。
「のび太早く!!」
「のび兄ちゃん!!」
焦れたように騒ぎ出す子供。
「わかったから!!茜ちゃんちょっと降りてよぉ!」
そう言って背中の少女を降ろす。
「よ〜し・・・健君、僕の代わりにこの茜ちゃんを誘ってあげてね。」
そして降ろした少女を逆に抱き上げ目の前の少年に掲げる。
「えぇぇぇ!!!茜じゃ戦力にならねえよ!!のび太来てくれよぉ。」
その健と呼ばれた少年の言葉に茜が泣きそうな表情になる。
「健君・・・この家の約束事の3番目・・・言ってみなよ。」
それを感じ取ったのかのび太は優しく健という少年に語りかける。
「・・・・家族を守る。」
少年は言い切った・・・・小学生の少年が。
「ならば・・・・分かるね?」
健の言葉に満足したのび太は微笑を交えながら優しく。
「おう!!行くぞ茜!!!三振したら承知しねーからな!!」
照れくさそうに声を張り上げて茜の手を握りながら外へ駆けていく健。
「僕も後で行くからね〜!!・・・ふう・・」
彼らの後姿に声をかけ一息つく・・・・が。
「のび兄ちゃん・・・・・・」
無視されて泣きそうになっている足元の少女に気がついた。
「あ、藍ちゃんっ!!泣かないで!!そ、そう!『はしご』だったね!!」
慌ててなだめに入る。
「そう!!これ!!」
思い出してもらって嬉しいのか笑顔になって両手・・・『はしご』が出来ている両手をのび太に向かってさしだす。
「へぇ・・うまく出来てるじゃないか!!どれぐらいかかったんだい?」
笑顔になって助かったのかのび太も嬉しそうにたずねる。
「ん・・・・と2分ぐらいかなぁ。」
慣れない技と短い指では頑張ったほうだろう。
「そうか・・・ならば・・・・」
そう言って自分の懐から赤い糸を出して指にかける。
そして・・・・
シュシュシュン!!
のび太が両手を交差させて素早く動かしたかと思ったら――――
「2秒で出来るようになれば・・・野比式あやとり術の免許皆伝をあげよう。」
――――にこりと笑うのび太の両手には『はしご』が出来ていた。
「のび兄ちゃんすごいっ!!!藍も頑張るよっ!!」
そこには目を輝かせた少女がいるだけだった。
「よ、よし。ならば今日は外で遊んでおいで。」
そこまで感動されるとは思ってなかったのかやや引きながら・・
「うん!!!」
「――――ふう」
藍が行ったのを確認して縁側に腰掛けて長く息をつける。
どこか嬉しげなものだったが。
「みんな元気の塊のようなものね・・・」
後ろから話しかけられる。
「園長先生・・・・・」
振り向かなくても分かる。
こんな暖かい声をしている人は他にはいない。
この人がいたから今の僕がいる。
のび太の隣に腰掛けきた人は40代後半の女性だった。
その人を見てるだけで暖かくなるような優しい女性。
ベージュのロングスカートと白いワンピース・・・そんな普通の服装がさらに彼女の性格を表していた。
牧村 日登美(まきむら ひとみ)『雛鳥の家』の園長。
子供たちの休める場所、旅立てる場所をつくるという理念でこの家族を作った。
のび太のもう一人の母親でもある。
幼い時に亡くしたのび太の祖母を少し若くした感じだろうか、優しさの中に芯の強さと厳しさを持ち合わせている。
この施設の集まり――――『家族』の約束を決めていることからもそれが分かる。
先ほどのび太が言っていた約束事の3番目・・・『家族を守る』、これはそれぞれがそれぞれの力になるということ。
それぞれが出来ること・・掃除や買い物、炊事洗濯や幼い者の世話など家族―――集まりを維持するために皆が力を出し合う。
そこには年齢による甘えは存在しない。
この家族ができて10年以上経つが変わることのない家族の約束事。
それがのび太を成長させた――――心身ともに。
のび太は小学校を卒業した直後に事故で両親を亡くしている。
飲酒運転の車が買い物途中の家族連れに突っ込んだ・・・それが野比家だっただけ。
両親から庇われる形で残されたのび太は親戚中をたらいまわしにされ、行き着いたのが『雛鳥の家』だった。
3人の親友とはその時に別れ、その内の一人以外とはそれ以来会っていない。
のび太は今23歳。
―――――ただのび太は人より少し不幸だっただけ。
陽だまりの縁側に座りお茶を飲みながら、子供たちの遊んでいる笑い声を聞く・・・そんなのんびりとした場所に違う声が聞こえてきた。
――――オウ!!ガキ共!!元気にしてたかぁぁ!!
元気な子供たちよりさらに大きな声が聞こえる。
大きな声で乱暴な言葉使いなのだがその声に子供が怖がっている様子もなく、その声主を呼ぶ。
――――あっ!!ジャイアンだ!!ジャイアン!!
「剛田さんですね・・・」
声を聞き牧村は微笑みながら言った。
「警察・・・刑事ってそんなに暇なんですかね。」
のび太は親友の一人を考えていった。
呆れを少しまじえたものだったが迷惑とは考えていない。
「おう!のび太。久しぶりだなぁ!!園長先生もご無沙汰してます!!」
そうこうしてるうちにジャイアンが近づいてきた。
安物のスーツにコートを羽織っている・・・ついでに子供が首と両肩ににしがみついている。
巨体に強面・・・そんな男が子供に懐かれてるのは彼の男気がわかるからだろうか。
子供の頃は乱暴だったが友を見捨てることだけはしなかった。
冒険にでた時は持ち前の勇敢さで皆を引っ張るムードメーカーでもあった。
そんな男も歌手になるという夢はどこへやら、警察官となって靴の底を減らす毎日を送っている。
彼と再会したのも最近の事だ。
ガハハと豪快に笑いながら彼も牧村には頭が上がらないのか使い慣れない言葉を使う。
「やあ・・ジャイアン。」
「こんにちは。剛田さん。」
それぞれ挨拶を返す。
「それで今日はどうたんだい?まさかジャイアンズのコーチかい?」
用件を尋ねる。
ちなみにジャイアンズとは少年時代に彼らが作った野球チームで、今の『雛鳥の家』のある野球チームの名前の片方でもある。
もう片方はノビーズ・・・誰が監督かはここでは省こう。
「おう・・・まあ、聞き込みでこの辺まで来たから顔でも出そうかと思ってよ。」
ややバツの悪そうな顔をしながら答える彼らしくない素振り。
よく見ると右手に雑誌サイズの書店の紙袋を抱えている。
「まあまあ・・・・ゆっくりしていってください。さて、私も野球に混ぜてくださいね?」
そう言って立ち上がり子供達と手を繋ぎながら広場のほうに歩いていった。
二人の会話を邪魔しないような気遣いを見せないように使う所が牧村という女性だった。
・・ドサリ
「いいところだよなぁ・・・ここはよ。」
のび太から少し離れた位置に腰掛けたジャイアンは牧村の後姿に向かって独り言のように吐いた。
「僕の家だからね・・・・」
自慢するようなことをさりげなく言うのび太。
心からの言葉なのだろう、自然な雰囲気をもっていた。
「昨日の明け方なんだが・・・・ここから少し離れた公園で死体が発見された。」
のんびりとした空気の中で唐突にジャイアンが口を開いた。
けれど空気を壊すような言い方ではなく、世間話のような話し方・・・独り言のようでもある。
「物騒な世の中だからね・・・」
それと同じように答えるのび太。
ジャイアンと話しながらも遊んでいる子供達から目を離さないでいる・・・というより眠そうだ。
「死体の素性ってのはどうでもいいんだがな・・・・凶器が糸なんだよなぁ。ああ・・・そういえば少し前にも似たような事件があったな。」
変わらないジャイアンの雰囲気。
何を考えてのび太に情報を口にしているのかを知ることは難しい。
「本当に物騒だね・・・・」
「全くだ・・・あんまり派手にやってほしくないんだがな。・・・まあ、物騒だしここのガキどもの安全には気をつけてくれよ。」
「うん・・・『心配』してくれてありがとう。」
ここで初めてのび太はジャイアンに顔を向けた。
感謝の念を込めて。
「それとな・・・・ほれ、静香ちゃんが雑誌にでてたぞ?」
こっちが本題とばかりに雑誌の紙袋を破り捨てて取り出す。
テープを剥がして開けないのは性格ゆえか。
そのままのび太に放って投げる。
『JAPAN MUSIC』
日本で注目されるミュージシャンや奏者を紹介している雑誌。
受け取ったのび太はジャイアンが音楽雑誌とは世も末だと思いながらも、そういえば昔の夢は歌手だったっけと考えながら表紙をめくる。
『期待のバイオリニスト・源 静香』
1ページ目からそんな見出しとバイオリンを演奏している写真が特集として載っていたが・・
源 静香・・・少年時代の親友の一人。
その優しさはいつも少年達の憧れだった。
優しいだけではなく一人で悪に立ち向かう強さも持ち合わせ、男勝りな面もある。
中学を卒業し海外へ音楽留学をしたらしい。
・・・それだけを見て雑誌を閉じ、ジャイアンに返す。
「おい、最後まで見ねえのかよ。」
受け取りながらものび太の態度が不満だったのかやや声を荒げる。
何しろ自分がそれを見つけたときは本屋で立ち読みを30分以上するほどに興奮したものだ。
「元気にやっているなら・・・それでいいよ。」
いつもと変わらないのび太・・・いや、少し嬉しそうに言うそれは本心のようであり自分を押さえつけているようであり。
ちなみにスネオはある経済紙に『骨川財閥の若きエース』という紹介をされていたのを確認している。
「そうかよ・・・・・」
ジャイアンは少し残念そうに言った。
スネオの紹介をされている経済紙を見せたときも同じような反応だったのが思い出される。
のび太が幼い時に好きだった女の子の事・・・もっと違った反応を見せると思っていたのだが・・
思えば俺たち4人の中で一番不幸なんだろう・・・目の前の男は。
片や将来有望のバイオリニストに財閥の跡取、自分だって刑事という仕事に生きがいを感じているし家に帰れば家族が迎えてくれる。
けどのび太は・・・天涯孤独。
今は別段斜に構えた様子は見えないが傷ついていないわけではないはず。
『家族』に向けている笑顔を取り戻すまでどれくらいの時間がかかったのか・・・
だが俺は知っている・・・・のび太の強さを。
相棒がいなくても自分の足で立ち上がる・・・立ち向かう気概があることを。
少年時代には殴り倒しても蹴り倒しても這い上がるように俺に立ち向かってきた。
どんなに傷ついても『いなくなる相棒に心配をかけたくない』という理由だけで。
サシのタイマンで相手が怖くて逃げたのは後にも先にもあの時だけ。
のび太自身の強さを知っているのは俺だけかもしれない。
まあ、何にしても・・・・
『のび太の癖に生意気だ』
・・・ってことなんだがなぁ。
視線を移した先にいたのび太は変わらぬ視線を向けていた。
その眼鏡を通した視線は柔らかで穏やかなもの。
二人を包む陽だまりのように。
続きます。
BACK<