伊沢がバイト先のバーでバーテンダーをしていると、思わぬ客が入ってきた。
「いらっしゃいませ、ってあんたか。
確か、風椿玖里子っていったっけな。
あんたまだ未成年だろう。こんな時間にこんな店に来て良いのか?」
「あら、未成年ならお互い様よ。」
伊沢と玖里子。この二人、共に高校3年である。
とはいえ、バーテンダー姿が恐ろしく似合っている伊沢と落ち着いたコーディネイトで着飾った玖里子は、むしろ店の雰囲気にこれ以上ないほどマッチしていた。
「それで、何の用件なんだ?
言っておくが、未成年に酒は出せないぞ。そういう店じゃないからな。」
「あら、話が早いわね。
じゃあ早速聞くけど、和樹はどこにいるのか教えてくれないかしら?
あんたの差し金でどっかに行ってるらしいけど。」
「まったく、どこでどう聞きつけたんだかな。」
伊沢は肩をすくめた。
「正直あまりあんたには教えたくないんだが、まぁ隠すほどの事でもないか。
アイツの居場所なら教えてやるさ。」
「え? まあ話が早いから良いけど。」
あっさり場所を教えると言った伊沢に拍子抜けする玖里子。
だが、伊沢は更にこう続ける。
「だがこっちは客商売でな、冷やかしはあまりして欲しくない。
代わりに何かしら飲んでいってもらうぞ。」
「さっきあんな事言っといて、そういう事言うかしら?」
玖里子の切り返しに、伊沢はこう返す。
「ここにあるのは何も酒ばかりじゃないさ。
カクテル用のジュースの類なんかもある。それでも飲んで行ってくれればいい。」
「分かったわよ。それじゃ、オレンジジュースでも貰おうかしらね。」
玖里子はそう答えながらカウンター席に着いた。
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玖里子が伊沢のバイト先のバーを後にしてしばし。
彼女は伊沢から渡されたメモにある住所に向かって歩いていた。
「確かこの辺だったと思ったけれど……」
とこぼしながら周囲を見渡してみると、暗くて良くは見えないが十字架の付いた屋根が見えた。
「あれらしいわね。」
玖里子がその屋根の方向へと歩いていくと、そこには教会が建っていた。
明かりもついている。
伊沢は和樹の居場所は教会だと言っていた。恐らくはここだろう。
鍵は閉まっておらず、扉は押すだけで開いてしまった。
「無用心ね。」
そう思いながらも中に入ってみると、和樹がいた。
2列に並んだ長椅子の列の間、通路用に確保されたスペースにマットを広げ、その上に座り込んでなにやら作業をしている。
酷く集中しているのか、玖里子が入ってきた事に気付かず、作業の手を休める様子は無い。
その集中を妨げる事は躊躇われたので、玖里子は和樹が一息つくのを待つ事にした。
和樹の表情は真剣な物で、普段とはまるで違って見える。
玖里子は思わずその表情に目を奪われてしまった。
和樹の作業は、なにやらプラスチック製の小さな杭のような物に何かを書き込む、という内容のようだ。
と、玖里子の体から彼女に取り憑いていた幽霊の少女が姿を現し、玖里子に話しかける。
「なんじゃ? 見惚れておるのか?」
「なっ、そんな訳ないじゃない。」
「そうかのぅ。 こころなしか頬が赤くなっていたような気がするんだがのぅ。」
「気のせいよ。」
幽霊の少女はイマイチ納得いかないと言う顔で小首をかしげた。
和樹はこのやり取りにも気付かなかったようだ。
しばらくして和樹がふぅ、と息を吐いて額の汗を拭うと、彼はようやく玖里子と幽霊の少女の存在に気が付いた。
「あれ? 風椿さんに、君は、ええと。」
和樹は幽霊の少女の名前を知らない為、彼女の名前を言うべき所で詰まってしまった。
それを見かねて、少女は和樹に名乗る。
「エリザベートじゃ。そういえば、お主には名乗っておらんかったな。」
「エリザベートさんですね。
でもどうしたんですか?
こんな夜中に女の子二人だけじゃ危ないですよ。」
「あんたなんかよりかはあたし達の方が自衛能力高いわ。
大抵の相手は魔法でふっ飛ばして終わりよ。
あんたに心配される筋合いはないわね。」
玖里子の返答は極めて正しく、和樹は引き下がらずを得ない。
代わって、彼女の方が和樹に質問をした。
「それで、あんたは何してたわけ?」
「え? ああ、これ『ペグ』って言ってテントを建てる時に使う小さな杭なんですけどね、コレに魔封じのルーンを書き込んでるんです。
それでこれが地面に突き刺さると、その半径10m以内では魔法が使えなくなるようにしてるんですよ。」
和樹はそう言って、ペグを玖里子に渡す。
そこには複雑なルーン文字がびっしりと描かれていた。
「へえ、落ちこぼれで成績悪い割にやるじゃない。」
「この手の永続魔力付加は、少し前に散々やりまくってましたからね。」
和樹はキング一派との戦いの事を思い出す。
あるいは自分以外の葵学園全校生徒が敵かもしれないという事で、学校をサボって強力な対魔術師用の武装を作っていた時の事だ。
今でこそ魔力付加の作業が遅く不正確な己の無力・未熟を不甲斐なく思う事ができるものの、あの頃はその余裕さえなかった。
戦闘要員は街を駆けずり回り、和樹は非常に強い集中力を要求される永続魔力付加に何時間も時間をかけ、街中に網を張った非戦闘要員が連絡を密に取り、連絡係の者はその情報を元に常に状況を正確に把握する事を要求された。
この時、戦える者は勿論の事、戦えない者も戦えないなりに自分にできる範囲内の事、やるべき事を最大限にやっていなければ、圧倒的な兵力を持つキング一派には到底太刀打ちできなかっただろう。
伊沢達が人の命を容易に奪う神城家の者の真剣相手に戦えたのも、和樹が必死で永続魔力付加した防具の存在による所が大きい。
無論、あの戦いは不良の世界、夜の街にある少年達の世界の出来事である。
本来ならエリートである玖里子がその内容を知るはずもないのだが、幽霊屋敷での騒ぎで伊沢達から簡単に説明されていた。
このペグもキング一派との戦いの時に作られた物なのだが、失敗作として試作品一本が作られたに止まっていた。
理由としては「こちらが使っている魔力付加された装備の魔力も抑えられてしまう」「東京のど真ん中ではペグを刺せない場所が多い」「地面に刺すという動作が非常に大きな隙となる」などが挙げられる。
今回、新たに何本か必要になった為、その分を今和樹が作成している訳である。
「じゃがこのような物を、一体何に使うつもりなのじゃ?」
エリザベートはペグの用途を和樹に尋ねる。
「この教会の周りを囲むように何本か打ち込んで、この教会の敷地内で魔法が使えないようにするためですよ。」
「この教会で魔法を使えなくする、ね。
でもどうしてそうする必要があるのかしら?」
玖里子はなおも尋ねる。
「理由ですか? 少し回りくどい説明になりますけど、良いですか?」
玖里子が頷くと、和樹は話し始めた。
「この教会には『6月最後の日曜日に最初に鐘を鳴らした男女は強い絆で結ばれて必ず結婚できる』っていう噂というか伝説みたいなのがあるらしいんです。
それでその前日の土曜日の夜になると、最初に鐘を鳴らそうと沢山の人達が押しかけてきて争奪戦になっちゃうらしいんですよ。」
「ああ、なんか聞いた事あるわね、そんな話。
あの話の教会ってここなの。」
争奪戦はともかく、男女が結ばれるというのは乙女チックな話である。
非力ながらも少年達が握り拳に意地と誇りをかける世界に片足突っ込んでいる和樹より、むしろ少女である玖里子の方が馴染みのある類の話だ。
「でも地図で見ると分かるんですけど、この教会って葵学園と設楽ヶ原の丁度真ん中にあるんですよ。」
設楽ヶ原高校。
葵学園のライバル校で、葵学園と同じく魔術学校である。
「おかげで鐘の争奪戦が巻き起こると、毎回のように攻撃魔法が飛び交って教会を壊しちゃうんです。
勿論魔法で修復する事はできるんですけど、それでも教会が壊れるのは良くありませんし、やっぱり危ないですからね。
それで、期間限定で魔法を封じるのに一番手軽なこのペグを作ってるんですよ。」
「へぇ。」
玖里子は感心しながら、和樹に渡されたペグを弄ぶ。
「でもそれで完成じゃないんですよ。
透明の塗料を塗ってルーン文字を保護しないと、地面に刺す時に擦れて消えちゃいますから。」
「ふぅん。」
「でも風椿さん、どうしてこんな夜更けにこんなとこに来たんです?」
今度は和樹の方が玖里子に尋ねる。
「え? ああそうそう、あんたに偽装結婚申し込もうと思って来たのよ。」
「偽装結婚、ですか?」
「そうよ。ほら神社で一回話したでしょ?
いくら夕菜ちゃんがあんたの事本気で好きでも、あの調子じゃあんたを殺してしまいかねないから、一度風椿家で保護して、その後に平凡の遺伝子を理由に離婚する。
そうすれば、宮間家も平凡の遺伝子相手に及び腰になる筈から、夕菜ちゃんは自分の実家に止められて、あんたと結婚できないっての。」
そう話しつつも、玖里子には『夕菜はそれしきの事で和樹を諦めたりしないだろう』としか思えない。
そもそも宮間家というのは、恋愛結婚が基本の一族である。
今回の夕菜にしても、かなり以前の段階から和樹の事が好きなのであり、彼女にとっては遺伝子云々の話も和樹の元にやってくる為の口実に過ぎない。
「それなんですけど……偽装結婚にかこつけて、遺伝子を掻っ攫おうって魂胆じゃありませんよね?」
「信用ないわね。いくらなんでも、自分でお腹を痛めて生んだ子供を好き好んで破滅させるような趣味はないわよ。」
玖里子はジト目で和樹を睨む。
「大体良いんですか? 偽装結婚にしろ遺伝子目当てにしろ、僕なんかと結婚して。
もっと好きな相手に操を立てるとか、そういう方が風椿さんにとっても良いんじゃないんですか?」
「そういうのと全く無縁なのが良いとこのお嬢様って奴なのよ。
夕菜ちゃんのとこはちょっと違うみたいだけど、あそこは例外中の例外。
あたしも物心付いた頃には、好きな相手との恋愛結婚なんて万に一つもありえない事くらい分かっていたわよ。
どうせあたしの結婚なんて風椿家の勢力拡大用の道具でしかないもの。
そんな物で人一人助ける事ができるんなら上等よ。」
和樹の問いかけに、玖里子はため息交じりに応じる。
「わらわはそのような事を気にした事などないが?
恋愛結婚も庶民の娘と同じようにできると思っておったのだが、違うのか?」
「あ、あんたおめでたいわね。一応生きてた頃はあんたも良いとこのお嬢様だったんでしょ?
酷い言い方かも知れないけど、それはあんた夢見すぎよ。」
「そ、そうなのか?」
エリザベートは涙目になって後ずさりしてしまう。
「良家の子女、っていうのも因果な物なんですね。」
和樹はそう言いながら頬をかく。
「ま、それならそれで、せめて結婚式やウェディングドレスくらいには夢見てみたいけどね。
例えばあんたとの偽装結婚なら、そうねぇ、ちょうどこの位のこじんまりした教会に、お互いの身内くらいでも呼んで慎ましやかに行きたいわね。」
「離婚前提の夫なんか各界の大物に紹介してもしょうがないですもんね。」
和樹は玖里子の話に合いの手を入れる。
「でも偽装結婚でも式は挙げるんですか?」
「そりゃそうよ。なんたってウェディングドレスは女の子の憧れだもの。
それなのに、式挙げなかったらウェディングドレスなんて着れないじゃない。」
「確かにそれはそうですけど。」
「そのウェディングドレスはそうねえ、こんな感じのが良いかしらね?」
玖里子はそう言うと自分自身に魔法をかける。
すると彼女の服は純白のウェディングドレスに変貌した。
その可憐で清楚な姿に、和樹は息を飲んでしまう。
「綺麗、です。」
「まあ元が元じゃからのう。」
「二人とも、褒めても何もでないわよ。」
玖里子はクスリと笑って応じる。
「そして、まあ嘘つく事になるから気が引けるけど、神父様に誓いの言葉を言って、あんたの指輪の交換をするの。
その後、あんたにヴェールを捲ってもらってキスを……」
玖里子はそこまで言った所で顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。
「ふむ、やはり先ほどの事はわらわの気のせいではなかったようじゃ。」
「え? さっきの事って何なの?」
「それは、女子の秘密じゃ。詮索するでない。」
「はぁ。」
その後、和樹への差し入れを持ってきた土屋がやって来るまで、彼女は真っ赤になって硬直し続けてしまっていたのだった。
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とりあえず玖里子分が足りなかったので、こんな話をでっち上げてみました。
伊沢がチョイ役で出ただけで、実質和樹・玖里子・エリザベートしかでてないようなちんまい話ですけどね。
ちなみにこの教会、伊沢過去編で伊沢が最期に訪れた教会のつもりで書いてます。
玖里子が落ちんの早すぎでしたか?
でも段階つけて段々好きになる様子を書くのは、多分無理なんでご勘弁を。
このチャペルの話もやろうかな……
しかし、前回の宮間家に関しては、ガチオフィシャルのみを選んで投下したはずなんですが、何故にああなったのやら……
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