ガンドルフィーニに連れられて、横島とサンジュウロクメは麻帆良学園の学園長室へと来た。
認識阻害の魔法がサンジュウロクメにかけられていたために、横島曰く「お世辞に言っても妖怪変化」な容貌のサンジュウロクメも、一般人の前に出ても騒ぎになるようなことはない。
何人か裏の世界の関係者がかけつけてきたが、その度にガンドルフィーニが説明したため、大事には至らなかった。
サンジュウロクメは好奇心の塊であるため、こんな状況でも始終辺りを見回して、物珍しそうに頷いたり、唸ったりしている。
横島はしばしば肘でつついて咎めるのだが、特に気にした様子もなくサンジュウロクメは実に楽しげだった。
「……ふむ、なるほどのう」
学園長は椅子にもたれて深く唸る。
ガンドルフィーニの報告を聞いて、また厄介ごとか、と溜息をついた。
麻帆良学園の学園長にして、関東魔法学院の理事であれば、厄介ごとは常に周りに山のようにあるのだが、今一番頭を痛ませているものが横島忠夫に関することだった。
他の厄介ごとならば、前例に従い機械的に処理してしまえば何とかなる。
前例が全くない、ということはまずないのだから、処理する方法がわからない、ということもない。
が、しかし、異世界からの来訪者が持ってくるモノは、どう対処すればいいのか予想が付かない。
今、学園長の目の前にいる女性も、体の色んなところに目を付けている奇妙な姿をしている。
この世界の妖怪変化としては、より人間に近いものに見えるが、一体どんなものなのか本質は、老練の学園長にすらわからない。
学園長は微かに眉を動かし、二回咳払いをして、ガンドルフィーニに合図を送る。
ガンドルフィーニは合図を受け取ると、ホッと息をついて退室する。
未知の存在と一緒の空気を吸わなくてよくなった、と開放感を味わっているのだろう。
学園長はそんなガンドルフィーニを少し妬ましく思いつつ、ゆっくり横島に目を向ける。
「では、説明してもらおうかの、横島君」
「はい」
横島はこれまでの経緯をかいつまんで説明した。
『縁』を用いて作った電話回線で、横島のいた世界とこちらの世界が繋がったこと。
その際に、その回線を用いてヒャクメが送信されていたのだが、途中で切断されてしまったこと。
百の感覚器官を持つヒャクメが、三十六の感覚器官しか持たないサンジュウロクメになってしまったこと。
また、回線が切断され、復旧することは不可能であるから、戻ることもヒャクメになることも出来なくなってしまったこと。
学園長は横島の話を聞いて、それほど大事ではなかったことに胸をなで下ろす。
撃退不可能な異世界の魔物を召喚してしまったら、どうしよう? などという心配も杞憂だった。
「ふむ、それで、サンジュウロクメ君はこちらの世界で過ごすことになる、と。
こちらの世界の事情を鑑みると、失礼じゃが、サンジュウロクメ君は少々異形過ぎるの。
それ故、一般人に目のつかぬところで、保護させてもらうが……」
「……わかりました」
サンジュウロクメは少々歯切れの悪さを見せつつも、学園長の提案を受け入れる。
サンジュウロクメは好奇心の塊である故に、この世界のことをもっと見てみたい、と思っていたのだ。
しかし、魔法や超常現象が実際に存在することを秘匿する世界では、外に出ることは許されない。
郷にいりては郷に従え、と言う言葉に従わずに生きていけると考えるほど、サンジュウロクメはバカではない。
渋々ながら、学園長の指示に従うことにした。
がっくりと肩を落とすサンジュウロクメを見て、学園長は気の毒に思い、慰めの言葉をかける。
「まあ、そんなに気を落とさずに……出来る範囲で君の要求には応えてやりたいと思ってるしのう」
サンジュウロクメは学園長の心遣いを感じ取って、微かに笑みを浮かべる。
力無い笑顔のために、返って痛々しくも見える。
「それで、横島君の話を聞くに……千里眼を持っているんだとか?」
気を紛らわせるために学園長が話を変えたのだが、それは地雷を踏む行為だった。
「すいません……その目は私の片割れ……ロクジュウヨンメの方にあります」
「……む、では前世を見る力は?」
「前世を見る力も、人間に譲渡できる心眼も、向こうです……」
「……むむ……」
サンジュウロクメの背後がどろどろと黒い闇が広がっていくように見えてきた。
サンジュウロクメの落ち込みっぷりはそれほど激しく、学園長もうろたえるばかり。
実際サンジュウロクメは、ほとんどの能力が使えない。
神通力もサンジュウロクメの状態では、ヒャクメのときの百分の三十六しかない。
ヒャクメのときも役立たずと美神に罵られていたが、今は輪を掛けて役立たずだった。
「ふむ……当面は横島君の保護下ということで過ごして貰おうかのう。
横島君の使い魔、ということにしておけばごたごたも起きんじゃろうしな。
後で認識阻害の札を発行させておく。
それを持っていれば、少なくとも麻帆良敷地内では、一般人の目につくことはなくなるからの」
澱んだ空気を振り払おうと、学園長は無難な処置の指示を出す。
横島の使い魔、という言葉に、神族であるサンジュウロクメは少し思うところがあったが、黙ってそれを受け入れることにした。
「基本的に使い魔と主人は一緒に過ごすのが普通なんじゃが、構わないかの?」
「そ、そんな横島さんと一つ屋根の下で暮らすなんて……」
「構わないッスよ」
学園長の言葉に驚くサンジュウロクメだが、それと対照的に横島はさして気に止めることなく快諾した。
学園長はサンジュウロクメと横島の間にある温度差に気づき、少々戸惑いながら再度確認する。
「ええのか? 君は女好きじゃし、サンジュウロクメ君は……」
「あ、大丈夫ッス。俺は美女や美少女にしか興味ありませんから」
「ちょ、ちょっとちょっと聞き捨てなりませんよ!
それじゃまるで私が美少女ではないって言ってるみたいじゃないですか!」
「言ってるみたい、じゃなくて、言ってるけど?」
横島はきょとんとした目でサンジュウロクメを見る。
サンジュウロクメはショックを受けて、思わずよろけてしまう。
「最初に会ったときには美少女って言ってくれたのに……。
よ、横島さんにすら、見向きをされない私って一体……?」
ヨヨヨ、とその場に崩れ落ち、涙を流しながら、自分の存在を考える。
そんなサンジュウロクメを見て、学園長は額に汗を浮かばせて、唸る。
どこか横島と同じ雰囲気を纏っていることを学園長は感じ取っていた。
その後、些事な手続きを終わらせ、サンジュウロクメは認識阻害の札を貰い、横島の住む教員寮に到着する。
部屋に入るや否や、異臭に顔を歪ませ、鼻を摘む。
「くさッ! とっても汚くて……イカ臭い!」
「ほっとけ!」
サンジュウロクメは、これから横島と同棲しなければならない部屋に鼻を摘んで入る。
横島の部屋はとても汚く、若さの発露というようなイカ臭さがこもっている。
「掃除くらいちゃんとしてください! ああっ、もうインスタント食品ばっかり食べて……」
前の世界で横島の住んでいた部屋とは違い、この部屋はとても設備が整っている。
トイレ風呂付きでキッチンもちゃんと道具が揃っている。
しかし、ものぐさな横島が自分で料理することなどなく、水道周りには大量のカップラーメンの空容器が積まれていた。
「って、あの黒くてかさかさ動く虫は何ッ!? やっ……よ、よくこんな部屋で過ごせますね!
掃除しますッ! ええっ、もうとことん掃除しますよ、横島さん!」
「いいよいいよ、めんどいし……」
「めんどいとかそういう問題じゃありませんッ!
私がこの部屋で生活しなきゃいけない以上、徹底的にお掃除させてもらいますッ!」
ということになり、夕方近い時刻であるのに、サンジュウロクメと横島は部屋を掃除しはじめる。
意外なことにサンジュウロクメは綺麗好きで、おキヌほどではないが家事は得意だった。
何かに夢中になっているときになると、周りが見えなくなるが、普段はなまじ目がいいせいか、汚れていることを許せない性分だった。
独身男の異臭を放つ汚い部屋が、みるみる綺麗になっていく。
数時間後には、ちゃんと人が快適に住める環境になっていた。
ようやく掃除が終わると、もう既に深夜近い時間帯になっていた。
サンジュウロクメは料理は自分が作る、と主張したが、あいにく冷蔵庫には材料が全く無い。
しょうがなくコンビニに行き、弁当を買って食べた。
お茶を淹れ、一息ついた後に、サンジュウロクメと横島は今後のことを話し始める。
「とにかくですね、横島さんは霊力を付ける修行をしてください。
文珠のストックを作るのもそうですが、複数の文珠を同時に発動させるに必要な霊力は半端じゃないですから。
いくつ文珠が必要で、何の文字を篭めればいいのか、という問題は私がサポートします」
「霊力を付ける修行って何すりゃいいんだ?」
う、とサンジュウロクメは言葉を詰まらせた。
霊力のコントロール法や利用の仕方は理解が深かったものの、修行となるとサンジュウロクメはあまり詳しくない。
心眼があれば、それらしい助言は出来ただろうが、ないものはないのだからしょうがない。
「わ、わかりません……」
「やっぱ地道に霊力を使うしかねーのかねぇ?
美神さんトコで仕事をこなしてるだけで、少しずつ霊力が増えてったみたいだし……」
「そういうことになりますかねぇ」
二人は顔を見合わせると、ふー、と溜息をつく。
「……さて、今日はもう寝るか。することもないしな」
「そうですね……一応言っておきますけど、お、襲ったりしないでくださいよ」
サンジュウロクメはもじもじしながら言った。
横島の女好きはそれは神族の間でも有名なことであり、身の危険を感じてからの発言だったのだが。
「はいはいわかってるよ……」
横島はあっさりあくびをして、布団を敷いて、その中に潜り込んでしまった。
一分もしないうちに、いびきが聞こえてくる。
飛びかかってくるどころか、言葉を無視されてしまった。
サンジュウロクメは、一人ぽつねんと残され、部屋の中でぽつりと呟く。
「……なんか、ちょっと、複雑な気分だわ」
ともあれ、サンジュウロクメの一日はこうして幕を閉じた。
それから数日は何事もなく過ぎ去る。
たまに学園長から依頼されて、学園内の超常トラブルを解決し、適当な報酬を貰い、それで生活をする。
サンジュウロクメが増えたからといって報酬は増えなかったが、それだけでも二人分の生活費は楽に稼げた。
やる気がない横島とは逆に元の世界に帰って早くヒャクメに戻りたいサンジュウロクメが横島に修行をやることを進め、しぶしぶながら横島は自らの霊力を高めるための方法を色々と試した。
自分の体から霊波を限界まで放出したり、文珠を使って霊力のバーストを無理矢理かけ、体とチャクラをならしてみたり。
色々と試行錯誤を繰り返し、着実に横島は霊力のコントロール法を会得していった。
そんなある日、外では強い雨が降り、学園長からの仕事の依頼もないために、サンジュウロクメと横島は部屋でのんびり過ごしていたときのことだった。
「横島お兄ちゃん! いますか!」
「横島さん! いるんでしょッ!」
夕方頃になって、ドアの外で騒ぐ人達が現れた。
彼らは無遠慮にドアを何度も叩き、インターホンをならしまくる。
何気なく横になってテレビを眺めていた横島は、渋々立ち上がって玄関に向かう。
「なんだなんだ、騒がしいな……」
横島は声に覚えがあったために、誰が来たのか確かめずに部屋のドアを開ける。
その瞬間、ネギとアスナが部屋に飛び込んでくる。
とにかく険しい剣幕で迫る二人に横島は怪訝な顔を浮かべて、早口で捲し立てる。
「どした? なんかあったか?」
「横島さんって一体何者なんですか!? なんで六年前にあんなところにいたんですか!」
「……は?」
「なんで、なんであなたが六年前にネギの住んでいた村にいたんですかッ!」
「ちょ、ちょっとアスナさん落ち着いて!」
胸ぐらにつかみかからん勢いのアスナを、ネギは必死に止めた。
横島は、アスナの勢いに驚いて一歩引き、とにかく落ち着かせようとする。
とにかく、一旦部屋に呼び込み、椅子に座らせる。
何事かと覗き込んできたサンジュウロクメがついでにお茶を出して、二人に勧める。
「で、一体どうしたんだ?」
ズズズ、と音を立てて熱いお茶をすすったあとに、頃合いを見計らって横島は聞き出した。
流石にアスナ達も少し冷静さを取り戻したのか、取り乱していたことを恥じて、テーブルに視線を落としている。
ネギが横島の問いに答えて話し出す。
「実はその……アスナさんに僕の記憶を見せるために魔法を使ったんですけど。
そのとき、アスナさんが僕の記憶の中に横島さんの姿を見つけたんです」
「それが六年前ネギの住んでた村云々のことか」
そこへサンジュウロクメが会話に割り入ってきた。
「でも横島さんがこっちに来たのは一ヶ月前くらいですよね? 六年前ならよく似た別人じゃないですか?
そもそも、ネギ君の記憶の中の出来事なら、なんでネギ君が気付いていなかったのか……。
あ、私はサンジュウロクメ。ネギ君のことは横島さんから『伝』えられてるわ。私は……」
「役立たずだ」
「そう、私は千里眼も何もかもロクジュウヨンメの方に置いて来ちゃった役立た……って!
役立たずじゃありませんッ! ちゃんと掃除洗濯炊事をこなしてるじゃないですか!」
サンジュウロクメは神族である。
家事しか出来ないのならば、完全無欠の役立たずというわけではないが、それでも役立たずだった。
「お、おおぅ、ノリツッコミ……アスナちゃんとは違うツッコミ人の方向に進化したのか!」
アスナは二人の掛け合いを一歩離れていたところで眺めていただけだったが、名前を出されて一歩前に出た。
「誰がツッコミ人ですって!?」
「ま、まあまあ、アスナちゃん、抑えて抑えて……話が脱線してるぞ」
「誰のせいですかッ!」
いつの間にか『ツッコミ人』という認識を持たれて憤るアスナを、なんとかなだめる。
まだ言い足りないようだったが、話が脱線していることは本当なので、大人しく座る。
それと同時に、ネギはサンジュウロクメの疑問に答え始める。
「まず僕が何で気付いていなかったのか、という問いの答えは……。
実際のところ僕の記憶にあったけど、僕はそのことに意識を払えなかった、ッてことだと思います。
意識シンクロの魔法によって、アスナさんが第三者視点で見たために気付いて……。
中々説明は難しいんですけど、そこまで細部に至っては記憶は残っていても、わからなかったんです。すいません。
六年前に何故横島さんがいたのか……というのも僕にもわからないんです。
ただ、僕の記憶の中には確かに横島さんに似た人が、その……いたんです」
段々と声を小さくし、ネギは視線をどんどん落としていく。
全ては自分のあいまいな記憶の中にしかないことによって、自信が萎えていったのだ。
そんなネギをフォローするかのように、アスナが代わりに口を開いた。
「実は……ネギのお父さんは行方不明なんです。
十年前に死んだことになっているんですけど、六年前に、ネギの元にやってきて……」
「そのときの記憶に、横島さんがいた、っていうことですか」
サンジュウロクメとアスナは互いに目を合わせた。
すると、両者とも相手が同じような苦労をしている同士だと感じとることができた。
無言で目を合わせ、「そっちも大変そうね」「そうよ、そっちもね」とアイコンタクトのようなものが一瞬にして行き交う。
しばらくした後、二人はハァと溜息をついた。
「とにかく、あの……横島さんにも見て貰いたいんですけど」
「構わんぞ」
横島はネギの求めに応じた。
カモが早速地面に魔法陣を描き、横島はネギに言われるがままその上に膝をついて、中腰になる。
二人の上にネギの杖が浮いて、サンジュウロクメとアスナが二人を見守っている。
ネギは横島の額に自分の額を合わせ、互いの両手をくっつけた。
ネギとはいえ男と密着することに横島は少し顔をしかめる。
「あ、あの、すいません……」
「いや、別にいい、早くしてくれ」
ネギはすかさず呪文を唱え始める。
「マーテル・ムーサールム・ムネーモシュネー、アド・セー・ノース・アリキアット」
魔法陣が光を放ち、横島の意識はネギの内部に入り込んでいく。
横島の意識体は、気が付けば、ネギの中で再現されている記憶の中にいた。
そこは雪が降る山間の小さな村で、目の前には当時のネギとその姉が話している。
「……もう会えないってどーゆーこと? お父さん、どこか遠くへ引っ越しちゃったの?」
「……そうね、遠い遠い国へ行ってしまったの。『死んだ』ということはそういうことよ」
ふわりと宙を浮いて、二人の近くに寄っていった。
横島はネギの姉を見て、ふむふむと唸る。
「これがネギのお姉さんか、かわいいな。
六年前でこれということは、当然、今はもっと美しい大人の女性になっているに違いない!」
邪な視線を持ちながら、六年前のネカネの周りを回る横島。
様々な角度から見回して、しばしば感嘆の溜息を漏らす。
ネギの姉はどことなくアスナに似ているような気がしたが、性格も温厚そうでハリセンで叩くようなことはしなさそうだった。
そこへ、どこからともなく、現在のネギの声が聞こえてくる。
『えへへ、お姉ちゃんはとっても綺麗ですよ。それはそうとして、ちょっと早送りします。
問題の箇所はもう少し先ですから……』
いきなり風景がぶれたかと思うと、一瞬にして違う場面にかわる。
山間の村の中ではなく、それを見落とせる丘の上……しかも山間の村は火に包まれていた。
小ネギは燃える村を呆然と見下ろしていた。
星が先端についた杖を持って、信じられないとばかりに息を飲んでいる。
しばらくすると、村にいる大切な人を想いだし、燃えさかる火をくぐりぬけて中へと走っていく。
「ネカネお姉ちゃん、おじさーん!」
燃える村の中を走る小ネギ。
やがて、人影の群れを見つけて、そちらに近づく。
「おじ……さん……?」
ただならぬ様子の人影がどういう状態になっているのか理解すると、小ネギは足を止める。
石になっていたのだ。
何かに立ち向かおうとしているのか、杖を構えている格好で、何人もの人が石になっていた。
『そこにいます!』
「え?」
『そこの、僕のおじさんの横辺りに……』
ネギの声が聞こえた横島の意識体は、石になった人達の中をすり抜けて動いた。
そこに見たモノは……。
「お、俺だーッ! 俺が石になっておるッ!」
横島だった。
戦おうとしている人達の中、一人だけ四つんばいになって逃げようとしているGジャン、Gパン、バンダナの男。
実に恐怖を現している表情で、『死ぬのはいやじゃーッ!』と聞こえてくるかのようなリアルさである。
肌の表面が灰色になり、一目しただけでも石になっていることがわかる。
「おいこらネギ! これはどういうことだッ!」
横島の意識体は小ネギの胸ぐらを掴もうとする。
が、これはネギの記憶の中の出来事だ。
いわば幻影に近いものであり、意識体の横島では小ネギには触れることはできない。
触れようとおもっても、透けて、体を通り抜けてしまう。
「うっ……僕が、僕がピンチになったらって思ったから……?
ピンチになったらお父さんが来てくれるって……」
「ぬゎぁーにがピンチじゃあッ! どーゆーことなんだ一体! なんで俺が石にされとるんじゃい!」
「僕があんなコト思ったから……!」
「えぇい、泣いてないで答えんかネギッ! 俺がどーしてあんなところで石になってるか、答えろッ!
く、くそッ! こうなったら文珠で!」
映画の観客が、いくら合いの手をうとうと映画の中の出来事には干渉できないように、横島の呼びかけにも小ネギは答えない。
そのことは横島にもわかっている。
わかっているが、その上で必死に小ネギを問いつめることを止めることができなかった。
いくら呼びかけても返事をしない小ネギに痺れをきらし、横島は文珠を出そうとした。
しかし、今の横島は意識体であって本体ではない。
目の前の光景も、現実ではなくて、ネギの記憶。
当然、過去の出来事など変えられるわけもないのだが、錯乱している横島はそれに気付かない。
本体のネギが横島が何をしようとしているのかを察知して、声を飛ばす。
『よ、横島さん落ち着いて! 今のあなたは意識体であって、本当の肉体を持っているわけじゃないんですよ!』
「うるせーッ! 目の前で俺が石になってるっつーのに、放っておけるかーッ!」
横島はネギの制止を無視し、文珠を取り出そうと右手に霊力を集中させる。
ネギの言うとおり、今の横島は意識体の状態だ。
いくら文珠を作り出そうとしても、普通はできない。
しかし、錯乱状態に陥っていたために、それでも構わず作ろうとしてしまった。
「だぁぁぁ、手、手がッ!」
無理がたたって、文珠を作り出した右腕がぽっくりちぎれてしまった。
ちぎれた腕と中途半端に作られた文珠はネギの中に溶け込むように消えてしまう。
『い、今、元に戻します……』
ネギの声が聞こえるのとほぼ同時に、横島は元の肉体に戻っていた。
横島は慌ててちぎれてしまった右腕を見る。
当たり前のことだが、本物の右腕は残っている。
左手で右腕が実在しているか触って確かめ、少し回して、感覚を確かめてみた。
指の先までちゃんと動かすことができ、痺れなどは残っていない。
横島は右腕が健在だったことに安堵の息を漏らす。
そうしてから、ネギの胸ぐらを掴み上げた。
「おい、こら、ネギ! 一体どーゆーことだ! なんで六年前のお前の村に俺がいるんやッ!」
ネギはそれを横島に聞きに来ていたのだが、頭に血が上っている横島は気付かない。
横島は十歳のネギを持ち上げると、前後に振って、ネギを喋らせようとした。
「そ、それは、僕にも……」
「えぇい、そんなわけあるか! お前の記憶やろっ、どーゆーことかちゃんと説明しろッ!」
「横島さん落ち着いて!」
暴走する横島をアスナは羽交い締めにして取り押さえた。
ものすごい勢いでネギに迫る横島を、アスナは無理矢理力で引きはがす。
サンジュウロクメはネギを庇って、慰め始める。
がるる、と吼えてネギに飛びかかろうとする横島。
いくらアスナとて、大の男一人を抑えるのには限界がある。
滅茶苦茶に暴れる横島は、今にもアスナの戒めを振り払いそうな勢いだった。
そこでアスナは、最後の手段を取った。
羽交い締めにした横島を横に引き倒す。
「どわっ!」
不意に弾かれたショックで、横島は横転し、尻餅をつく。
アスナはそのすきに、自分のアーティファクトを出現させて、上に持ち上げる。
一体何が起こったのか気付いた横島は、振り返った。
ハリセンを構えて、今にも殴りかかってきそうなアスナを見て、弁解の言葉をかけようとするが。
「ちょ、ちょっと待て、アスナちゃん! わかっ……」
横島はハリセンを振り上げるアスナを見て、正気に戻る。
しかし、もう既に遅く、無情にもアスナのハマノツルギは振り下ろされる。
ぺぶっ、という奇妙なうめき声を上げて、横島は意識を手放した。
「……美神さんみたいに鮮やかな手腕ね」
サンジュウロクメはぽつりと呟いた。
冷静さを失い、暴走しかけた横島を気絶させる手際の良さを、アスナの中に見たのだ。
「とにかく、横島さんが……その、石になっているという話を私にも教えてくれないかしら?
こう見えても、私は神族の調査官で、人の記憶とか見るのは慣れている方だから」
しばらくして、横島が目を覚ました。
サンジュウロクメ達は、テーブルに座り、お茶を飲んでいる。
横島はくらくらする頭を抑えながら、ネギが勧めるままに、椅子の一つに座る。
「私もネギ君の記憶を見させてもらったわ」
サンジュウロクメはおもむろに語り出す。
「まず、アレはなんだったのか。真実に最も近いだろう可能性の話をするわ」
「……はあ」
サンジュウロクメのシリアスな表情に、横島はどこか落ち着かない様子で声を漏らす。
ギャグ役担当の役立たずという認識だったのであるが、ここまでキリリとされると違和感がぬぐえない。
後頭部を人差し指で掻いて、サンジュウロクメの話に耳を傾ける。
「実は、ネギ君の記憶違い、かもね」
「は?」
横島は目を丸くしてサンジュウロクメを見た。
ネギもアスナも似たような表情を浮かべている。
サンジュウロクメは、三人の反応を無視して、言葉を続ける。
「人の記憶、というものは、例えるならばレコード盤のようなものよ、決してカセットテープのようなものじゃない。
外からの影響を受けやすいし、もちろん、記憶を所持している人間の精神によっても中身が変わることがある……。
一度記憶したら、ずっと同じ状態が保たれるわけじゃない。
時には異物が混入し、時には劣化して消えることもある……。
確かに横島さんはとっても強いキャラクターをしているし、周りに与える影響も……良いか悪いかは別としてかなりのものよ」
ぽかーんと、横島とアスナはサンジュウロクメの顔を見る。
二人には何を言っているのか、もうすでにわかっていなかった。
「本当は六年前に横島さんはあそこで石になってはいなかった……。
けど、ネギ君の記憶に『横島さんがあそこで石になっていた』という情報が何らかの理由で加えられた。
それで、元々は存在しない石の横島さんがあの村での記憶に現れた。
ということが、考えられるわね」
「けど、どうして……」
ネギが口を挟んだ。
このメンツで唯一話について行けた十歳は、自分の記憶にそのようなことがあった理由がわからずにいた。
サンジュウロクメは、冷静に答える。
「以前、あのときと同じような緊急事態に陥り、尚かつ横島さんが石のような硬いモノに変化したように見えたことがある?」
「……」
ネギは息を飲んだ。
そんなことはあるはずがない、と思ったのだが、すぐさま数日前の出来事を思い出す。
「京都だ……エヴァンジェリンさんの魔法を受けて、横島お兄ちゃんが氷漬けに……」
サンジュウロクメはネギの呟きに頷く。
まとめに入る。
「そ。そのときのことがネギ君の記憶にショックを与えて、あんな実在しない石の横島さんを作り出してしまった。
というのが、まあ、私の出した推論よ」
「よ、よくわからんが、とにかく俺は大丈夫ってことか?」
話の内容は理解できなかったが、雰囲気で大丈夫そうだと判断した横島は胸をなで下ろす。
アスナも、同じく理解できずにまだ唸っていたが、緩んだ空気を感じ取り、表情を緩めた。
ただ、サンジュウロクメだけは気を緩めず、言葉を止めない。
「まだよ。これは飽くまで、『一番真実に近い可能性』の話。
断定はできないわ。私の目が全部こっちに来てれば、偽の記憶か本当の記憶か一発で見極められるんだけど……」
サンジュウロクメは溜息をつく。
今は本来の力の三十六パーセントしか発揮できない。
横島よりほんの少し霊力などの流れを読むことができる、という程度の能力しかない。
世界中を見渡す千里眼や人の記憶を覗く目、心眼などは向こうの世界に置いてきてある。
そのことを嘆いても仕方ないのだが、サンジュウロクメは溜息を漏らさずにはいられなかった。
「実際にあの場に石の横島さんが居た、と言う可能性もあるのよ」
「ちょ、ちょっと待てよ! よく考えたら俺がこっちに来たのはせいぜい一ヶ月前くらいだぞ。
なんで六年前のあんなところにいるっつーんだ」
「可能性としては……まあいくらでも言えるわ。
横島さんがこちらの世界に来たのは本当は一ヶ月前ではなくて、六年前。
石にされて、つい最近解凍され、何らかの記憶操作を受けている、なんてことだって言える。
私が睨んでいるのは……あの石になっている横島さんは過去の横島さんじゃなくて、未来の横島さんかもしれないということよ」
「み、未来の俺?」
横島は首を捻る。
ネギとアスナも同じく理解できず、サンジュウロクメを見た。
「ひょっとしたら、何らかの事情で六年前にタイムポーテーションした横島さんがあそこで石になっている、ということ」
「時間移動!?」
「文珠を使えば不可能ではないはずよ。そうすれば、横島さんが石になっているという記憶がないのも当然。
だって、これからなるんですもの」
「じゃ、じゃあ、一体どうやったら防げるんだ!? 石になんてなりとーないっ! 教えてくれッ、神様仏様サンジュウロクメ様!」
横島はサンジュウロクメにすがりつく。
がたっ、と音を立ててサンジュウロクメの座っている椅子がよろめく。
「落ち着いて、横島さん! まだこれも仮説の段階で、確定していることじゃないんだから。
どちらかというと、さっきの記憶違いっていうことの方が実際にあり得そうなことなの。
飽くまで、可能性の話だからね?」
サンジュウロクメはすがってくる横島を宥めて、押し返す。
倒れそうになっていたところでバランスを整え、椅子を座り直す。
横島もネギやアスナに引き留められて、大人しく椅子に戻る。
「ま、まあ、とにかく、現段階でははっきりしたことは言えないってことね。
このまま考えていてもしょうがないことだし、ネギ君とアスナちゃんはもう帰った方がいいんじゃないかしら」
平静を取り戻し、サンジュウロクメが結論を出す。
中途半端なことになって、まだ胸の中がもやもやしている二人だったが、サンジュウロクメの指示通り、帰ることにした。
サンジュウロクメはにこやかに、横島は少し鬱屈した表情で二人を見送ろうとする。
と、そのときだった。
再び玄関のチャイムを鳴り響く。
「あ、マスターかもしれません!」
「マスター?」
横島は不意に声を出したネギに聞く。
ネギは振り向くと、横島に向かって何かを言おうとしたが、その直前にアスナはそれを遮る。
口を塞いだまま、アスナはぐいぐいとネギを自分の元に寄せて、引きつった笑い顔で横島に言う。
「え、えーっと、そ、そうそう、ネギのお師匠さんなのよ、あはは……」
「へえ、なんて人?」
ネギの師匠はエヴァンジェリン・A・K・マグダウェル。
横島を氷漬けにしようとした真祖の吸血鬼。
ネギがエヴァンジェリンに師事していることは、横島に言わない方がいいだろうというアスナは思っている。
「私出ますねっ」
横島の言うことを華麗に無視して、アスナは玄関へと赴く。
態度が急変したアスナを不審に思いつつ、横島も玄関へと行こうとしたそのときだった。
ほんの少しドアが開かれた音がしたかと思うと、アスナの悲鳴が響く。
「な、なんだ!?」
「アスナさんッ!」
ネギ達が玄関に走り寄ると、そこには老紳士と不定形の何かがいた。
アスナは不定形の物体にとらわれている。
一見して自力での脱出は無理だということがわかった。
「やあ、ネギ・スプリングフィールド君」
老紳士は黒いハットを外して、ネギに向かって挨拶をした。
「私はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン伯爵。伯爵などと言ってるが、没落貴族でね。
今はしがない雇われの身さ」
ネギは咄嗟に杖を用意する。
老紳士は不定形の生物を従えていることといい、更に身に纏う雰囲気から一見して『裏の世界に生きるモノ』とネギにはわかった。
横島もまたGSとしての勘が、目の前のモノが『人間以外の何か』ということを感じ取っている。
ネギは杖を構え、横島はハンズオブグローリーを展開し、サンジュウロクメはクローゼットの中に逃げ込み、臨戦態勢に。
老紳士は、ふっと息をつき、口元をやんわり和らげ……構えない。
「ここでやりあうつもりはないよ。
ただ、君の仲間と思われる六人をすでに預かっている。無事返して欲しくば、私と一勝負したまえ。
学園中央の巨木の下にあるステージで待っている。
仲間の身を案じるなら助けを請うのも控えるのが賢明だね」
不定形の生物にとらわれたアスナを、老紳士は受け取る。
それと同時に、コートから床に垂れてできた水たまりが、ゆっくりと渦巻いていく。
テレポートをしようとしていた。
が、そこへ割り入る男がいた。
「おい、ちょっと待て!」
横島だ。
しかし老紳士は横島に呼び止められても、口元を歪めて笑うだけで、取り合わない。
老紳士の足下の水たまりの水が、螺旋状に老紳士の体の周りを移動すると、瞬く間に老紳士はその場から消え去った。
まるで最初から何も無かったかのような……水たまりだけがそこに残っていただけだった。
「……横島さん」
ネギは横島の顔を見る。
横島はネギの声に気が付くと、鷹揚に頷く。
「あんのジジィ……中学生をあんなエッチな生き物で捕まえるなんて……なんてインモラルなヤツ!」
「十歳の子に何言ってるのッ!」
いつの間にかクローゼットの中から出てきたサンジュウロクメが、椅子で横島の頭を叩く。
そのまま地面に頭を打ち付ける。
額から流血しながら、横島はよろよろと立ち上がった。
「と、とにかく、助けにいかんとまずいんちゃうか?
あのジジィ、人間じゃなかったみたいだし、ロリコンそうだから、ひょっとしたらアスナちゃん酷い目に遭ってるかも……」
「そうですね。僕が行ってきます!」
「あ、いや、俺も行くぞ。一応アスナちゃんは美少女だしな。
ハリセンツッコミはキツイが、数年後になればちゃんとした美女になるだろうし……。
それにあんな変態ジジイにアスナちゃんの初めてを渡してたまるか!」
再び横島は床とキスをするハメになる。
額に青筋を浮かばせたサンジュウロクメが、ちょっぴり血の付いた椅子を下ろす。
「だーかーら、十歳の子の前で何を言ってるんですか、横島さん!」
「お、お前こそ、十歳の子の前でこんな椅子で頭をドツくよーな、過激なバイオレンスを振るうなッ!
ハリセンより硬いから、アスナちゃんの一撃より痛い……」
ネギはいまいちわかっていない表情できょとんと見ていたが、なんとなく触れてはいけないことだと悟った。
「でも、あいつは助けを呼ぶな、って言ってました」
「助けを呼ぶなって言ったんだろ。この場にいる俺はノーカウントだよ」
あ、そーか、と頷くネギ。
サンジュウロクメは、戦闘に関しては全く役に立たないために留守を守ることにした。
ネギと横島は外に出ると杖に乗り、雨の中、老紳士が指定した場所へと向かったのだった。