短針は2と書かれた文字をさし、長針は剣を掲げるかのごとく頂点を指し示した。
午前二時、その時間は私のもっとも魔力が高まる時間である。
「―――――Anfang(セット)」
私の足元には何度も練り直された召喚用魔方陣。
中央にはお父様が残してくれた宝石が鎮座している。
……生憎と、有名な英雄縁の物、と言うわけではないのだけど。
「――――告げる」
かちり、と。
私の中のスイッチが切り替わる。
人としての遠坂凛から、魔術師の遠坂凛へと。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
聖杯戦争。
そう言われる戦いが起こる。
この、冬木の地で。
そして私は、冬木市の管理者たる遠坂家の当主。
聖杯戦争へ参加するべく、こうして今、下僕たるサーヴァントの召喚を行う。
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者」
大源たるマナの乱舞が始まる。
その光は強く、瞳を閉ざして尚、太陽を覗き込んだかのような眩しさを覚える。
……英霊。
過去の英雄たる者の魂。
聖杯戦争において使役される、他に類を見ない最強の使い魔。
サーヴァントと呼ばれるそれは、召喚その物が既に命がけの儀式。
「汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の―――」
網膜を焼く光が、しかしすぐに収束されていく。
しかしこれは嵐の前の、一瞬の静けさ。
収束された光は、その力を余すことなく解放し、ここにサーヴァントを顕現させるだろう。
「護り手よ―――!!」
最後の一句を口にし、かっと眼を見開く。
開放されたマナの嵐が部屋中を蹂躙し、視界が戻ったとき―――
「…………え?」
何も居ませんでしたぁ♪
などと、何を疑問に思うまもなく。
どっかああぁぁぁん!!
と言う破砕音が鳴り響き衝撃が部屋を、いや、屋敷全体を襲った。
「……な、なんでよぉぉぉお!?」
あまりの事に2、3秒硬直した後、私は震源地であろう、居間を目指して全力で駆けた。
私、遠坂凛には致命的な、そう、本当に致命的な遺伝的体質がある。
曰く、うっかり。
そこっ、笑うなっ!
私だってこんな体質ほしくなんてないんだから!
まぁ、それは置いといて。
今のこの状況も、そのうっかりの産物である。
家中の時計が1時間進んでる。
そんな、ありえない現象が今我が家にて起きていて、更にいうなればそれは、今朝からだったわけで。
今朝も失敗したにも関わらず直すのを忘れていたと言ううっかり。
「まぁ、すんじゃった事は仕方ない。今後同じ失敗しないように反省」
なんて、半ばやけ気味な事をはきながら、居間に到着。
うっわ……完璧に扉ひん曲がってる……
ガチャガチャノブ回しても開かないし……
……あ、ダメ。
もともと長くない堪忍袋の緒が……
「あーもぅ!
邪魔だこのぉ!」
ぷちっと切れてくれやがりました。
あーあ……これ後で修理しないといけないのか……
とかそんなのは、扉吹っ飛ばして中を確認したら吹っ飛んだ。
部屋中のガラクタ。
それなりに高価だった調度品は、もはやそう形容するしかないほど壊れていた。
棚やらなにやらも倒れていて、中に収納されていた物がひどい有様になっている。
はっきり言って廃墟に近い。
が。
それを見たために絶句したのかと言うと。
実はそうではない。
色素の薄い、赤みがかった金髪。
まっすぐに私を見据える、黒曜石をはめ込んだ様な漆黒の瞳。
黒いドレスに包まれた、石膏像と見違えるばかりの白磁の肌。
穿たれた天井から降りる月光は、まるでスポットライトの如く彼女を映し出す。
まるでそれは、神によってのみ産み出される、最高の芸術。
「あ……あっ」
その、黒い瞳に見つめられるだけで、声すら上げられなくなる。
「……貴女……誰?」
「っ……ぁ……り、凛。
私は、遠坂凛よ」
その、感情の乏しい、高い音で囁かれた声に、一瞬反応が遅れる。
それでも、返事を返せた私をほめてほしい。
何処のお姫様かと見紛う美しさと、そして、人には決して無い、いや、あってはならない強大な魔力。
目の前の人物が、私などとは次元の違う場所にいる存在なのだと、嫌でも知らされる。
それでも返事を返せたのは、己がサーヴァントに舐められる訳には行かないという、私の矜持故か?
「……リン……トーサカ…………リン。
……リン。
…………リン」
「っ!?」
すっ、と。
その気配すら悟らせぬまま、彼女は私の目の前に立った。
「リン」
私の名を呼ぶ、その声が、私から全ての抵抗を奪っていく。
伸ばされる手が、私の頬に触れるのを、ショートしかけている私の頭は呆然と受け入れた。
ダメ。
このままじゃ、飲まれる。
私が、遠坂凛じゃなくなる。
「リン……」
ダメ……
ノマレル……
目の前が暗く落ちる。
「リン……私は……誰?」
その言葉を最後に、私の意識は闇に落ちた。
「……っ!?? ――――!! 〜〜〜〜〜!?」
これは、いったいどういう状況だろう?
朝目が覚めた。
それはいい。
布団に入っているのも(入った記憶は無いが)いいとしよう。
何故かパジャマでなく、普段着を着ているのもまぁ、何とか言い訳できるかもしれない。
でも。
眼が覚めたら目の前に広がる赤みを帯びた金色。
視線を下に降ろすと、人形のように精巧な造りの顔。
漆黒の瞳は閉じられていて、一定の間隔で聞こえるかすかな息遣いが彼女が生きている事を……って、あれ?
「……生きてる?」
いや、違う。
彼女は英霊。
人にして人の器を飛び越えた、人ならざる者。
今では感じないが、昨日の夜いやと言うほど知らされたはずだ。
格の違い、と言うものを。
……激しく認めたくないけど。
ふと、昨晩のことを思い出す。
いや、日付は変わっていたから今日になるのか……
…………うぁ。
顔に血が上っていくのが判る。
私は……なんて……
この少女に見入った挙句、その雰囲気に飲まれて気絶までしたのか……
……って事は、この娘がここまで運んでくれたの?
「……ん」
私がそんなことを考えていると、小さく身じろぎした少女が、ゆっくりと瞳を開いた。
昨日と変わらない、その黒曜石のような輝きを持つ瞳が、ゆっくりと焦点を合わせて私を映し出した。
「……リン」
ドキンと、一瞬心臓が高鳴る。
それも刹那、昨日のように飲まれることなく、私は彼女を見返した。
「……リン」
「…………何?」
私が声を絞り出すと、彼女はすっと微笑んで。
「おはよう、リン」
そんなことを言ってくれやがりました。
張り詰めていた神経の糸がぷちっと音を立てて切れ、私は枕に顔から倒れこんだ。
「えぇ、おはよう」
脱力した頭で挨拶を返し、彼女の名前を聞いていない事を思い出す。
「そういえば、聞いてなかったわね。
貴女が私のサーヴァント?」
「……」
それは、儀礼的に聞いただけで、私は確信していたのだけど。
……だけど。
…………だけど、帰ってきたのは、予測もしていなかった言葉だった。
「……サーヴァント?」
まるで、それが何なのか判らないと言うように。
いや、事実判って居ないのだろう顔で。
彼女は私に聞き返してきた。
「ぇ? 貴女、私のサーヴァントじゃないの?」
「……?」
冷や汗だらだら。
誤魔化している様な感じはなく、心底不思議そうな顔で私を見る。
「リン」
よく響くその声で、昨日よりは遥かにマシになったとはいえ……
名を呼ばれるたびに私の心臓はうるさいくらいに落ち着きをなくす。
「……私は誰?」
一瞬理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
眼を大きく見開き、目の前の少女を凝視する。
だって仕方ない。
期待してたんだから。
自業自得とか言う言葉が頭の中を駆け巡る。
「リン……私は、誰?」
再び問いかけられる疑問。
それに答える術を、私は持たない。
あぁ……
お父様、どうやら私の聖杯戦争は、始まる前に終ってしまったみたいです……
Fate/黒き刃を従えし者
宵闇を切り裂くは……尚深い漆黒の極光……
担い手は何も知らず、ただ物語りは綴られ始める……
後書き。
Fateです。
あんまりここで書いてる人居ないねぇ。
記憶喪失と見せかけて実は……って言うのが多いけど、このSSでは本当に記憶が無い状態でいきます。
……と見せかけて実は?
なんて、考えてたりしますけど。
次回からはアーチャーの少女視点です。
では、よろしく。
……同じ布団で寝てたくらいなら果はいらないよね?
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