麻帆良学園中等部3学年の修学旅行の二日目。
今日は京都ではなく奈良での班別自由行動である。
ネギには特使として親書を関西呪術協会の総本山へと持っていく仕事があるが、それは京都にあって奈良ではない。
教師としての仕事もやらねばならぬために、親書を運ぶのは明日にすることにした。
ネギは自分の受け持つクラスのどこかの班と合流し、一緒に奈良を回って、何か事件が起きたらそれに対処しなければならない。
木乃香、アスナ、刹那、その他一般生徒である、早乙女ハルナ、綾瀬夕映、宮崎のどかをメンバーとする5班と行動を共にした。
5班は奈良公園へと来ると、そこで一旦解散した。
刹那は木乃香に追いかけられて逃げ、アスナはハルナと夕映によってネギと引き離される。
ぽつんと一人残されたネギを、本屋というあだ名を持つのどかが、一緒に回りましょう、と誘った。
ネギは誘いに応じて、のどかと共に奈良公園を観光しはじめる。
そんな5班の後ろに、不審者が一人。
サングラスとマスクを装着し、帽子で髪型を隠す怪しい男。
そう、昨日の京都団体行動のときも後を追っていた人物だ。
「くっそぉ〜、ネギの奴め……お、女の子と二人っきりで楽しそうにしやがってぇぇぇぇ!
俺だってナンパしたいのに、涙を飲んで我慢してるとゆーのに、何故あいつはぁぁぁッ!」
彼の名前は横島忠夫!
麻帆良学園学園長、近衛近右衛門に依頼され、ネギとネギの持つ親書を守るGSである。
好きな物は美女。
嫌いな物はアベック。
大嫌いな物は楽しそうなアベック。
見た瞬間殺意を抱く物は人目もはばからずいちゃいちゃしてるアベック。
ネギとのどかは教師と生徒という関係ということを分かっている横島で、アベックではないだろうということも理解している。
しかし、理解はできても納得はできない、そういう人間が横島。
実際、のどかはネギに教師と生徒という関係以上の好意を持っている。
ネギにとって幸いなことに横島はそこまで気付いていないとはいえ、見かけだけでもアベックっぽかったら憎いのである。
「しかしなんだ、ちうがくせい同士の初めてのデートじゃあるまいし。女の子がもじもじしすぎたぞ!」
正真正銘の中学生と十歳のデートなのだが、横島は細かいことを気にしない。
大仏殿に入り、お賽銭を入れたり、「大仏が大好きでッ」などと叫んでいるのどかと一緒に歩いているネギを見て、悶々としていた横島だったが、ただ怒りを体の中に蓄え続けることにバカバカしく思えるようになってきた。
「なんで俺がアベックの見張りなんてしなきゃならんっちゅーねん。
本来俺よりも仕事しなきゃならんネギが、ナンパするのを涙を飲んで我慢している俺をさておきデートしてるなんておかしーじゃないか。
……よく考えてみなくても、アホらし。
ここは一般人が多いし、見晴らしもえーから、敵もしかけてこんだろ。
他ンとこでナンパでもしてこよ」
横島はネギとのどかを置いて、大仏殿の外へ出た。
流石に奈良公園の外へ出て行くつもりはなく、奈良公園の中で好みに当てはまりそうな女性を捜し始める。
しかし、平日の午前中にそれほど人はいない。
女性がいても、横島の守備範囲よりも上か下かという人ばかり。
横島は肩を落とし、奈良公園の中をあてどなくうろつきまわった。
「も〜、何でこのかから逃げるのよ」
「し、式神に任せてあるので、お嬢様の安全は大丈夫です」
「そーじゃなくて、何でしゃべってあげないの?」
そこへ、アスナと刹那が並んで歩いているところに出くわした。
刹那は奈良公園に着くと早々木乃香に、一緒に団子を食べようと誘われたために逃げて、ネギとはぐれた。
アスナは、のどかとネギを二人っきりにするために夕映とハルナによって、ネギから引き離された。
その後、木乃香から逃げ切った刹那と、一人取り残されたアスナが合流したのだ。
アスナが、刹那に何故木乃香から逃げるのかを聞き出そうとしているところだった。
暇だった横島は、そんな二人を見かけると、辺りを見回し、人がいないことを確認して、軽い気持ちで声を掛けた。
「よぅ、お二人さん」
サングラスとマスクをかけた、いかにも怪しい男に声をかけられ、刹那は夕凪に手を掛けた。
「いやいや、俺だよ、俺。横島忠夫」
サングラスとマスクを少しずらして、二人に顔を見せる。
刹那は素顔を見て、横島であることを確認した後で夕凪から手を離した。
「横島さんでしたか……誰かと思いました」
「まあな、俺はネギの護衛としてここに来てるんだが、一般生徒や教師には知らされてないんだ。
そこで観光客のふりをして、それとなくネギを見張ってるっつーわけ。
でも、毎回同じ場所に同じ男がいるっていうのも変だろ、だからこうして変装してバレないように振る舞ってるわけだ」
「そ、そうなんですか……」
刹那は少々引き気味で答えた。
サングラスにマスクをかけた姿は、いかにも不審者っぽい。
この格好の方が怪しく見えるが、横島はどこかその変装を気に入っているようにしていたので、それを指摘することはしなかった。
「それより、ネギはほっといて大丈夫なの?」
「いーんだいーんだ、あんなやつ。女の子とデートみたいにしやがって……。
敵だって、こんなだだっ広いところで襲ってくるようなことはしないだろ」
「まあ、それもそうかもしれませんね。
ネギ先生であれば、それほど大がかりな襲撃でなければ、一人で切り抜けることができるでしょう」
そのとき、付近にうえてあった木が、がさりと音を経てた。
三人が目を向けると、息を切らせたのどかが半泣きになって木に寄りかかっていた。
「あ……、アスナさん、桜咲……さん?」
のどかも同じクラスメイトのことに気が付いて、蚊が鳴くようなかすれた声で言った。
刹那は朧気にしか覚えていないクラスメイトの名前を思い出そうと一瞬溜め、アスナは尋常ではないのどかの様子を見て、慌てて声を掛けた。
「……君は宮崎さん?」
「ど、どうしたの本屋ちゃん?」
そこで、のどかは横島に気が付いた。
さっきまで二人と何か言葉を交わしていたように見える。
無視して話もできないと判断し、のどかはおずおずとアスナに聞いた。
「あ、あの……そちらの方は?」
横島は咄嗟にサングラスとマスクを正した。
のどかは一般生徒であり、自分と二人との間に関係があることを悟られてはいけない。
横島はわざとらしく大声を上げ、頭を掻きながら、アスナの代わりに答える。
「いやー、ちょっとトイレの場所を聞いてただけッスよ」
ナハハ、と笑いながら、そそくさとその場から立ち去ろうとした。
が、途中で思いとどまり、振り返って、のどかに向かい合った。
「別にナンパとかそーゆーもんをしてたわけじゃないぞ!
奈良公園には若くて美しい女性がいなかったから、この際女子中学生で……なんて妥協はこれっきしもないからな!
何がかなしゅーて女子中学生に手ぇー出さんとあかんのや。
俺はそこまでおちぶれてないぞーッ! せめて高校生! 望めば大学生!」
「ひっ……」
「はいはい、トイレは向こうですから、さっさと行ってくださいね」
またもや暴走し始めた横島の背を押して、気の弱いのどかの前から遠ざける。
横島は渋々とその場から立ち去り始めた。
アスナと刹那は、とにかくのどかが落ち着けるような場所を探した。
とりあえずトイレに行って用を済ませてきた横島は、ふとのどかがネギと一緒に行動していた子であることを思い出した。
その子が半泣きでやってきた、ということに興味がわいてくる。
ネギが何かヘマでもしたのか……横島は一体何があったのか無性に知りたくなった。
横島は邪悪な思いつきのままに行動を開始し、アスナ達を探し始めた。
アスナ達は奈良公園内の茶屋に来ていた。
熱い茶を飲みつつ、のどかはアスナ達に半泣きになっていた理由を語った。
「えーっ、ネッ、ネギに告ったのーッ!? マジでっ!?」
アスナは事の顛末を聞くと、大声を出した。
大きな声で叫ばれて、のどかは目尻に涙を溜めつつ、恥ずかしそうにもじもじしている。
茶屋の長椅子には座らず、壁に寄りかかっている刹那も、興味深げにのどかの言葉を聞いていた。
「は、はい――いえ、しようとしたんですけど、私、トロいので失敗してしまって……。
あ……すいません――桜咲さんとはあまり話したことないのにこんな話しちゃって……」
「いえ……」
本気だったんだー、とアスナが呟いているのを尻目に、刹那は何故のどかがネギのことを好きになったのか気になった。
「でも、ネギ先生はどう見ても子どもでは……どうして……?」
のどかは少し俯き、顔を赤らめて恥ずかしがりながら、ゆっくり小声で話し始めた。
「そ、それはー……ネ、ネギ先生はー……普段はみんなが言うように子どもっぽくてかわいいんですけど……」
のどかは自然と笑顔になっていた。
ネギの好きなところを思い浮かべたのか、段々と声が大きく、はっきりとしたものへとかわっていく。
「時々私たちより年上なんじゃないかなーって思うくらい、頼りがいのある大人びた顔をするんですー」
「えーと……そ、そう」
「確かに……まあ、最初は足手まといかと思ったけど……」
刹那もアスナも、のどかのネギ像を聞き、背中が痒い思いがした。
のどかは顔を上げて空を見ながら、平常のときよりもはっきりとした声で言葉を続ける。
「それは多分、ネギ先生が私たちにはない目標を持ってて……。
それを目指していつも前を見てるからだと思います。
本当は遠くで眺めているだけで満足なんです。
それだけで私、勇気をもらえるから」
のどかは顔を下げて、アスナと刹那を見た。
「でも今日は自分の気持ちを伝えてみようと思って……」
のどかは止まった。
「ん……? どうかした?」
「えへへー、アスナさんありがとうございます。
桜咲さんも怖い人だとおもってましたけど……。
そんなことないんですねー」
「え……」
のどかは不意に立ち上がった。
「なんだかスッキリしました。私、行ってきますー」
そのまま走り出した。
アスナも立ち上がるが、のどかが止まる気配はない。
「あっ……ちょ、ちょっと行くって……?」
アスナ達からのどかが完全に見えなくなった瞬間、近くの茂みががさがさと音を立てた。
呆気にとられていた刹那だが、夕凪の柄を掴む。
「誰だッ!」
「ふ、ふふふふふ……聞いたぞぉ……」
茂みの中からのっそりと姿を現したのは、赤いバンダナを付けた男。
不気味に笑い、這い出てくる。
「よ、横島さん! 気配すら感じなかった……」
「ちょっ、横島さん! 一体何するつもりなんですかッ!」
覗きによって鍛えられた横島の気配は、幼いころから訓練を積んでいる刹那にさえ察知できなかった。
アスナは横島にただならぬ雰囲気を感じ取り、慌てて声をかける。
「あの子は絶対にネギに告白する! だから……俺はそれを妨害するんだ!」
アスナは瞬時に横島の背後に回り、羽交い締めにした。
「何をするんだ、アスナちゃん!」
「ダメですよ、横島さん! 本屋ちゃんがかわいそう……」
「ネギはまだ十歳なんだぞ! 告白とかそういうのはまだ早い!」
「そ、そーですけど……ネギはまだ十歳ですけど……で、でもだめーッ!」
「えぇい、放せ! 放すんだ! アスナちゃん!
想像してみろ、もしあの子が告白に成功したら、ネギとあの子がアベックになるんだぞ!?
君だってまだ彼氏とかいないだろう。
十歳の子どもに先越されて、くやしくはないのか? かなしくはないのかぁーッ!?」
アスナは一瞬力が緩みそうになった。
が、すぐに我を取り戻し、首を振って、腕に力をこめ直す。
「それでも本屋ちゃんのためよっ!」
「じゃあ、な! もしあの子とネギがアベックになって、もっともっと仲良くなったらどーする?
アスナちゃんに黙って、ネギが自分の部屋にあの子を招くところを目撃しちゃったらどーする?
とっても複雑な気分になるだろう?
そしてもし、もし、もしだ、もし、あの子とネギが一緒の寝床で愛を囁きあうよーな仲になったら……。
いっ、いやだーッ! どことなく大人びた目つきで、十歳の子どもに、
『横島さんて……まだ童貞なんですよねえ』とか意味深な台詞を言われるのはいやだーッ!
もしそうなったらネギに向かってハンズオブグローリーを振り下ろさない自信なんて、これっぽっちもないんだーッ!
えぇい、放してくれ、アスナちゃん。
もし放さなかったら、ネギが死んで、俺が殺人犯になるんだぞ!
人助けをすると思って、放してくれー!!」
大絶叫だった。
たまらず刹那も横島を止めに入ろうとする。
が、その寸前でアスナは横島の羽交い締めを解いた。
「ありがとう、アスナちゃん! 君のやった勇気ある行動はきっと後世に語り継が……ぎぷっ」
アスナは解いた腕で横島を締め落とした。
ぐったりとその場に倒れる横島。
締め落としたアスナの腕は、ほんの微かに震えている。
「英断でした、アスナさん」
「……うまく締め落とせてよかったわ」
「綺麗に入ってますよ。これ以上無いと言うくらい」
「いえ、そうじゃなくて……ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ、ね。
横島さんの言うことに共感しちゃったのよ……」
アスナは額に手を当てて、苦悩の表情を浮かべた。
「ネギはそんなことしない、ってわかってるんだけど、一瞬信じかけちゃったのよ!
ああ、大変だわ……以前はこんなキャラじゃなかったのに……ひょっとして横島さんに感化されてきてる?」
「お、落ち着いてください。アスナさん。
大丈夫です! アスナさんは大丈夫ですから……」
刹那はアスナの肩を叩いて宥めた。
しばらくすると息も整い、顔色も健常になる。
「ありがと、刹那さん」
「大丈夫です、アスナさん。アスナさんは大丈夫ですから。
それより、宮崎さんを追いかけましょう」
「……そうね」
アスナは浮かばない表情をしつつも、刹那とともにのどかの後を追いかけた。
その後、何事もなくのどかはネギに告白した。
告白するや否や、のどかはネギから逃げてしまったので、返答は保留となる。
もっとも、ネギは元々たくさんの考え事を抱えており、更にのどかの告白のショックが襲いかかったために瞬間的に三十八度の熱を出して倒れてしまったので、どちらにせよ返答は保留になったのだが。
その様子を影から見ていた刹那は、のどかの行動をとても勇気あるものと見なして、心に思うことがあるようだった。
一方横島は……。
「はっ! い、いつの間にこんなところで寝ていたんだ?
そうだ、確かネギの監視に飽きて、奈良公園でうろうろしていたんだっけ……。
あれ? 何か重要なことを忘れているよーな……んー、思い出せん……」
締め落とされたショックで記憶が一部混乱していたのだった。
「ほほう……朝倉っていう子に魔法使いってことがバレたのか」
修学旅行二日目は、奈良公園以降も敵の襲撃及び妨害はなく、つつがなく宿へと到着した。
宿についたらネギと横島は一旦別れ、夜の十一時ごろにこっそりとネギの一人部屋に訪れた。
横島が別れていた間の出来事をネギが報告する。
3−A出席番号3番、朝倉和美――アスナ曰く「パパラッチ娘」に魔法の存在がバレた。
報道部所属でゴシップ好き、というわかりやすい設定通り、魔法の存在が無制限にバレるかと思いきや、カモが秘密裏にコンタクトを取り、懐柔した。
「んー、でもまあ、こっちに引き入れることができたってーことは問題ないな」
既にアスナと刹那が周囲の見回りを行っており、結界も強化してあった。
関西呪術協会も容易に手は出せない体勢を整えている。
「じゃあ、明日、総本山へ親書を届ける、ってことを確認したらもう終わりだな。
俺とネギとアスナちゃんが行って、刹那ちゃんはあのお嬢ちゃんの護衛……そんなとこか」
「ええ、総本山へ近づけば近づくほど敵の妨害は苛烈になるかと思われます。お気を付けて」
「よし、俺、もう帰るわ。何か騒ぎがあったらすぐにかけつける」
横島は部屋の窓を開けると、ベランダから飛び降りた。
階下に着地すると、そのまま再びホテルの入り口から入り、自分の部屋に戻っていく。
アスナと刹那はそんな横島の姿が見えなくなるまで見送ると、ベランダからネギの部屋に戻った。
「ねえ……刹那さん。
横島さんのことだから、本屋ちゃんのことでネギに何かすると思ってたんだけど……」
「何もしませんでしたねえ……」
二人は顔を見合わせて、考え込んだ。
まだ出会ってから数日……刹那に至ってはまだ二日も経っていない人物であるが、横島の持つ強烈なキャラクターは、非常にわかりやすいものだった。
何故横島が、奈良公園をまわり終わった後にもネギに何も言わないのか、理解できないでいた。
「どうかしたんですか?」
難しい顔をして唸りあうアスナと刹那に、ネギが声をかけた。
「別になんでもないわ……まあ、大人しくしてくれる分には構わないわね」
「そうですね。では、ネギ先生、私たちもこれで……」
「あ、はい、今日もありがとうございました。明日もよろしくお願いしま……」
不意にネギの部屋のふすまが開かれた。
刹那とアスナは咄嗟に入り口の死角に回り込む。
「ネギ先生ー、そろそろ寝ましたかー」
一般教師であるしずなだった。
ネギの様子を見に来たようだ。
「あっ、しずな先生、これから寝るところです」
「生徒の見張りは私たちに任せてくださいな。ネギ先生は十歳なんですから、みんなと一緒に寝てくださいね」
しずなはホホホと笑うと、それだけを告げて部屋を出て行った。
「部屋出ちゃだめですよーッ」
廊下を走りながらしずなはネギに言った。
いつもの彼女とは様子が違うな、と思いつつ、ネギはそっと戸を閉める。
「次は僕がパトロール行きたいんですけど……深夜にいなくなったら他の先生方が騒いでしまうかも」
「それでは『身代わりの紙型』をお貸ししましょう」
「『身代わりの紙型』?」
「これにネギ先生の本名を日本語で筆を使って書いて、
『お札さんお札さん、私の代わりになってください』と言えばネギ先生の身代わりになります」
刹那はそういって人の形をした『身代わりの紙型』と筆をネギに渡した。
「あっ、ありがとうございます。今日は変な殺気みたいなのを感じてて……」
「言われてみれば、確かに異様な気のようなものを感じますが」
いささかの不安を残しつつも、刹那とアスナはネギの部屋から出た。
ネギは一人になると、早速身代わりの紙型に名前を書いていく。
慣れない筆で書くために、何度か失敗してはやり直す。
「ぬぎ」「みぎ」「ホギ」と書き損じて、ようやく「ネギ・スプリングフィールド」と書くことができた。
「よしっ、書けた。お札さんお札さん、僕の代わりになってください」
ネギが刹那に教わったとおりの呪文を唱えると、紙型が一瞬発光して、次の瞬間にはネギと寸分代わらぬ姿になった。
「こんにちは、ネギです」
「わー、スゴイや!! 僕そっくり、西洋魔術にこーゆーのはないなー」
よくできた身代わりに面白く感じ、ネギはその効力に感心した。
「ここで僕の代わりに寝ててね」
ネギは身代わりに命令すると、ベランダから飛び降りて、パトロールへと出発する。
ネギの身代わりは本物のネギを見送ると、部屋のカーテンを閉める。
ちょうどそのとき、部屋のゴミ箱の中から、ネギが書き損じた型紙がむくむくとネギの姿と変化していったのだった。
一方そのころ、ホテルの全体では、カモと3−Aの朝倉が裏で糸を引く「ラブラブキッス!?大作戦」という催し物が行われていた。
3−Aクラスの班から二人ずつ選び、教員部屋で寝ているネギと一番最初にキスをした人が勝ち、というルール。
カモがネギとのパクティオーによる戦力増強と、パクティオー成功時に振り込まれる五万オコジョドルが目的で朝倉と手を組んだのだ。
それによって朝倉に支払われる報酬は、トトカルチョの親で得られる食券とネギに関する事件の報道の独占約束。
参加者はみなノリノリで、もし学園広域生活指導員「鬼の新田」に見つかったら朝までロビーで正座させられるということも気にしていない。
十一時に始まり、早々、いくつかの班が他班と遭遇。
枕を投げたり、枕の上から攻撃をしかけたりと、大乱闘をし始める。
「ぎゃぴぃぃぃぃ!」
ノリの悪かった一人が、付き合いきれないと部屋に戻ろうとしたときに、鬼の新田に捕まった。
首根っこを掴まれて、思わずその子が上げた悲鳴は階下の横島の部屋にも届いた。
「……ん? 今のは悲鳴……行った方がいいか?」
待機中暇だったので見ていたテレビを消し、横島は立ち上がった。
物音を立てないように戸を開けて、耳を澄ます。
悲鳴はもう聞こえなかったが、階上がどたどたと騒いでいる気配を感じた。
女子中学生の修学旅行で、生徒達が騒いでいるのはおかしくはない。
迂闊に行ってしまえば顔を見られたりするかもしれない。
が、それでも何かあったのに行かないのもどうかと思えた。
「しゃぁない、行くか」
非常階段を使えばネギの部屋の近くに出られることに思い出して、横島はなるべく目立たないルートを通ることにした。
誰にも見られることなく非常階段のもとへ到着し、音を立てないように素早く登る。
非常階段のドアは鍵がかかっていると思いきや、かけられておらず、ほんの少しドアを開けて中を覗いた。
「ここは私が食い止めるです……のどかは早くその扉から中へ……」
ぱたん、と非常階段のドアを閉めた。
中では中学生が本を持って、子ども二人を枕越しに殴りつけていた。
横島はその場で深く溜息をついた。
「なんだ、ただのバカ騒ぎか……」
取り越し苦労だったことがわかって、横島は肩を落として階段を下りた。
こそこそと庭を通り、再び自分の部屋に戻ろうとすると、突然目の前に人影が落ちてきた。
辺りが薄暗いために顔は見えないが、やや長身の細身の体。
「どわぁっ……な、なんだ? 敵か? 敵なのか? クソッ、結界が効いてないのか!」
突然現れた影に横島は身構えた。
影はいきなり攻撃をしかけようとはせずに、横島に向かって声をかけた。
「ちょっと待つでござる」
「な、なんだ? 女……?」
「いかにも……戦う前に聞きたいことがあるでござる。……ネギ坊主の敵で、ござるか?」
横島は影の言葉にとまどった。
声は女のものだったが、昨日の呪符使いではない。
「いや、違う。ネギの敵じゃない」
「では何故、昨日も今日もネギ坊主の後を追ってたでござるか?」
「ちょっとした仕事でね、ネギのことを守ってやらないといけなかった。
まあ、ちょっと事情があって、ネギの生徒達に知られちゃいけない立場だったから、こそこそ隠れるようにしてたけど。
確認はネギに直接話を聞いて取ってくれても構わん」
「ふむ……そこまで言うのならば信じるでござるよ」
「しかし、この声はまさしく美女のもの!
暗くてわからないけど、お嬢さんもしくはお姉さん、僕と一緒に記憶に残る夜を過ごしませんかッ!?」
「遠慮しておくでござるよ、ニンニン。ネギ坊主の敵でないのならば、拙者も手出しはしないでござる」
影はそのまま立ち去ろうとした。
「あ、ちょっと待って! き、聞きたいことがあるんだ!」
「……なんでござるか?」
横島の呼びかけに、影は動きを止めた。
どうやら飛び跳ねるのをやめたようだった。
「携帯電話の番号を教え……」
影は大きく跳んで逃げていった。
「あー……行っちまった……にしても、シロみたいな話し方してた人だったな……。
どんな人だったんだろーなー。
シルエットしか見えなかったが、あのグラマーな体型……きっとすばらしーおねーさんに違いない」
横島は知らない。
頭の中で想像している色っぽい日本女性が、実は中学生で、ネギの生徒であることを。
それも無理もなく、中学生とは思えないくらいの発育の良さをしていたのだったから。
「ひやああああああああああー」
ホテルでまた悲鳴が上がる。
一度騙されたために横島も疑わしく思いつつ、聞き耳を立てる。
しばらくすると、どこかから中学生の話し声が聞こえてきた。
「本当、まぎらわしいことすんなよなあ」
横島はそのまま部屋に戻ることにした。
途中、ロビーで正座をさせられている中学生を見かけた。
やはりそうだったのか、と思いつつ、部屋に行こうとする。
「あ、横島さん……」
ネギがいた。
ネギは横島に気付くと、とてとてと近寄ってくる。
「ネギか。お前のクラスかしらねーけど、なんかお前の部屋の前で中学生が子どもを本で殴ってたぞ。
っていうか、どした? こんなところにいていいのか、お前」
「はい、大丈夫です。それより……キスしていいですか?」
「……は?」
突然のネギの発言に目が点になる横島。
少々のことでは驚かない自信があったが、流石に突然男にキスを迫られたことはない。
「お、お前、頭大丈夫か? 疲れすぎで壊れちゃったんじゃないだろうな?」
「いえ、大丈夫です。横島さんとキスしたいんです」
「おいおい……気色悪いこというなよ」
「キス……したいんです」
不穏な発言をするネギに、横島は気味悪さを感じて、後退った。
ネギはきらーんと両目を輝かすと、突然横島にとびかかった。
「どぅわぁっ! な、なんなんだよ! 一体……」
「き、きすぅ〜」
横島は飛びかかってきたネギを紙一重でかわした。
床に頭から落ちたネギは、ゆっくりと立ち上がり、再び横島の方へと体を向ける。
「何がなんなんだかまったくわからーんッ!」
横島はネギに薄気味悪さを覚え、背を向けて逃げ出した。
「横島さん、待ってー、キスー」
ネギは横島を追いかける。
「ひぃー、来るなッ! 来るなよっ! 男に迫られて嬉しがる趣味なんてないーッ!」
「きすー、横島さーん、きすーっ!」
「えぇい、しつこいッ!」
逃げることには自信があったが、ネギはしつこく追いかけてきた。
「あ、横島さんだ」
そこへ、刹那とアスナがやってきた。
風呂上がりなのか、体から湯気を立たせている。
「せ、刹那ちゃんとアスナちゃん! ネギが壊れちまったんだよ!」
「はぁ!?」
要領を得ない言葉にアスナは首をかしげる。
が、そこへネギが追いついてきた。
「あれ? ネギ、見回りはもう終わったの?」
「はい……それより、横島さんとキス……」
「……え?」
アスナは横島を見た。
反射的に胸ぐらを掴み、アスナは横島を振り回した。
「横島さん、ネギに何を教えたんですか!
女性にだらしないということは知ってましたが、まさかネギにまで!」
「ちっ、違う! 俺はなにもしとらんぞ!
第一、俺は男になんて迫られてもちぃーっとも嬉しくなんてない!
折角ならあんなんより、ナイスバディでむちむちの美女に迫られたいわーッ!」
「ちょっと待ってください、あれはネギ先生ではなく……」
刹那の言葉が言い終わるより早く、ネギが横島に向かってとびかかってきた。
「うわぁぁぁぁッ!」
横島は身の危険を感じ、咄嗟にネギを殴りつけた。
それと同時にネギの体は爆発し、大量の煙を周囲に撒き散らした。
三人は咳き込み、手を振って、煙を辺りに散らす。
「あれは、ネギ先生ではなく多分身代わり紙型です……」
「身代わり紙型?」
「ええ、見回りに出て留守にするネギ先生のために、身代わりを作るための道具として渡しておいたのですが……」
「なんでその身代わりが、俺にキスを迫ってくるんだよ」
「そ、それは、わかりません」
刹那はすいません、と頭を下げた。
「まあいいや、なんかもー、中学生はドタバタしてるし、ネギの身代わりにはキスを迫られるし。
もう今日は大丈夫だろ。俺はもう疲れたよ、寝る。明日はいそがしそーだしな」
「え、ええ……」
精神的な疲労が表情に出ていたため、刹那もアスナも横島が先に休むことに異議を唱えなかった。
どことなく小さく見える横島の背中を、何気なしに見送る二人。
「……私たちも戻りましょうか」
「……そうね」
横島の言うとおり、今日はもう何も起きなさそうだったために、アスナと刹那も部屋に戻ろうとした。
そのときだった。
「またでおったぁあああああああああああああ!!!」
絶叫とともに横島が走って戻ってきた。
……三人のネギを連れて。
「横島さんー」
「キスー」
「したいですー」
その後、ネギの身代わりが複数いることは、ネギが書き損じた身代わり紙型が勝手に動き出したことが判明した。
何故キスしたがったのかは、カモと朝倉がしくんでいた「ラブラブキッス!?大作戦」で、キスをします、と参加者の一人が身代わりに言ったために勝手に動き出したということもわかった。
ついでに、ネギはたまたま会ったのどかに、「友達から始めましょう」と昼の告白の返事を返した。
そのさいに、夕映に足をひっかけられたのどかが転んでネギとキスをし、パクティオーを結んだことになるのだが。
……それらの一つも、横島の慰めにはならなかったのだった。
「に、偽物といえど、男にキスされてしもうた……。
う、うおーん! なんで男なんかにキスされなあかんのやーッ! 神様のバッカヤロー!」
「おっかしーなー……偽兄貴でもキスしたりされたらスカカードが出るはずなのに、横島の兄さんのカードだけは出てこねぇ。
俺っちが描いた魔法陣に間違いはねぇんだが……どうしてだ?」