横島はロビーに残り、一人で腐っていた。
「第一、俺は年上やぞ。なんであんな風に言われなあかんねん。
ひょっとしたら、美神さんより扱い悪いかも……いや、それはないな。
いくらなんでもアレと比べるのは言い過ぎだ。アスナちゃんに悪い。ごめんよ、アスナちゃん。
だけど、しかし、やっぱり、納得出来ん。
青春オーラ全開で友情劇を繰り広げる裏で、俺のような人間が血を吐いているとゆーのに、それをぞんざいに扱うとは……」
そこへ、部屋に戻っていったはずのアスナと刹那が戻ってきた。
横島はまだ気付かずに、恨み言をぶつぶつ呟いている。
「これが女子高生か美人のおねーさまだったらまだわかるが、女子中学生だもんなあ。
うーむ……やっぱり、アレは……」
「横島さんッ! このかがさらわれちゃったの!
部屋に戻ってみてもいなかったから、同じ部屋の夕映ちゃんに聞いたらトイレに入ってずっと出てこないらしくて……。
変だと思って、トイレに押し入ったら、お札がこのかの声でしゃべってたのよ!」
「へ? ど、どぅわぁ! あ、アスナちゃん、違う! べ、別に悪口なんぞ言ってないぞ、俺は!」
「悪口? ……悪口?」
アスナは、横島のかみ合わない返答に眉をぴくりと動かした。
が、素早く刹那が割り入り、そんなことをしている場合じゃない、と剣呑な空気になりそうなのを防ぐ。
「とにかく、お嬢様を追わないと!」
「ネギは知ってるのか?」
「さっき携帯で連絡したわ」
三人はホテルから出た。
出口で一旦止まり、このかを誘拐した相手の姿が見えないか、三人で辺りを見回した。
「あ、あそこに何かいるわ!」
アスナが指をさしたのは、空中だった。
夜の暗闇でよくわからないが、何か大きなシルエットが飛んでいるのがわかる。
三人はあれがこのかを攫ったものだろうと判断し、追いかける。
「ネギ先生!」
途中でネギの姿が見つけた。
影はその傍らに着地すると、再び大跳躍して逃げる。
ネギは脱衣所でアスナと木乃香を襲った子猿に群がられていた。
影に向かって魔法を使おうとしたところを取り押さえられたようだ。
手には杖を持っているが、小猿に口を塞がれている。
呪文を唱えようとして、妨害されたのだろう。
肩ではカモが小猿と戦っているが、焼け石に水もいいところだった。
「みんな目をつぶれ! サイキック猫だましッ!」
横島が手を叩くと、周囲に光が飛び散り、ネギに群がっていた小猿が紙に戻った。
「す、すげぇ、兄さん! 一発であいつら消しちまった!」
「今のは牽制用の小技で、あの小猿とは相性が良かっただけだ。
そんなことより、あれを追うぞ!」
「は、はい、横島お兄ちゃん!」
三人は、ネギと合流し引き続き影を追いかける。
しばらくすると、影の姿が見えてきた。
明るい場所ということで目立つのを避けているのか、飛び跳ねてはおらず、地道に歩道を走っている。
人を一人抱えているせいなのか、スピードは若干遅い。
街灯が影の姿を映し出した。
「な、なあ……なんだあの、デカザル」
影は小猿をそのまま大きくしたような猿だった。
横島側からは、背中しか見えないせいでいまいち何者なのか判断がつかない。
「おそらく関西呪術協会の呪符使いでしょう」
「じゅ、呪符使いとかそーゆーんじゃなくて、なんであんな着ぐるみ来てるんだ? 悪目立ちしまくりじゃんか」
「わかりません。恐ろしく間抜けな格好ですが、なんらかの意味があるのかも……」
大猿を追って、駅の中に入る。
駅は終電間際の時間帯であるのに、無人。
乗客どころか駅員すら一人も不在だった。
「人払いの呪符です! 普通の人は入ることができません!」
「そ、それにしても昼間っからいるはずの駅員がずっといないとかゆーのは流石におかしい気がするんだが……。
まあ、いないという事実が全てか」
改札を飛び越え、ホームを走る。
大猿は無人の電車に乗り込む。
「やばい、電車で逃げられたら追いつけないぞ」
四人は一層速いペースで走り、ドアのぎりぎりの隙間から滑り込む。
なんとか全員無事に電車に乗り込むことができた。
電車で逃げられれば追跡は不可能になっていたが、電車に乗ってしまえば相手は袋のネズミ。
電車の中で走る大猿を追いかけて、最後の車両まで追いつめようとする。
「待てーッ」
そこで大猿は振り返った。
大猿はどうやら人が入った着ぐるみのようで、口の部分から人の顔が見えている。
小猿が一匹、手にお札を持って、大猿の肩に飛び乗った。
「お札さん、お札さん、ウチを逃がしておくれやす」
小猿が札を投げた。
すると空中で札から大量の水が出てきた。
あっという間に電車の中が川のように水が流れる。
「わーーーッ!」
「な、何、この水!」
アスナとネギが水に怖じけたそのときだった。
すごい勢いで四人とカモを押し流そうとした水は、寸分先で弾けて、横に割り入った。
まるでそこに見えない壁があるかのように、四人の周りには水が入ってこない。
「な、なんですか! これは!」
「この前ネギに渡した『護』の文珠が発動したんだ! 落ち着け」
文珠が発生させた結界が、水を防いでいたのだった。
淡い白い光に包まれた空間は、あっという間に車内を満たした大量の水の中でまるで水泡のように四人を『護』っている。
「こ、こんな大量の水を瞬時に出すたぁ、スゲェ魔法だぜ!」
呪符使いの魔法に驚くカモ。
そしてその呪符使いは、というと。
「な、なんなんや、あれ? 瞬時に結界を張った? んなアホな」
大猿の呪符使いは一つ前の車両に逃げていた。
上手く術にひっかかったところを確認しようと様子を見ると、四人達が不思議な力で水の脅威から逃れているところを目撃し、驚愕した。
どうやら水の脅威は心配しなくていいことがわかった刹那は、その大猿の呪符使いを捕らえようと夕凪を抜いた。
神鳴流奥義、斬空閃。
夕凪を振るったときに発生した衝撃波は、水の中を伝わり、車両と車両とを繋ぐドアをはじき飛ばした。
一挙に呪符使いのいる車両にも大量の水があふれ出し、呪符使いは自ら出した水に押し流された。
刹那は不意にこのかもその水に巻き込まれていることに気付いた。
脳裏に幼いころの記憶がよぎる。
幼い、まだこのかと一緒に「このちゃん」「せっちゃん」などと呼び合っていた仲だった頃。
このかが川に溺れ、それを助けられなかった自分。
結局二人とも大人に助けられ、冷たい川の水に浸りすぎたこのかは数日間高熱にうなされた。
あのときにもっと自分に力があれば、と悔やむ気持ちが、今になってじわじわと心に染みてくる。
知らぬ間に、ぎりぎりと奥歯を噛んでいた。
今も自分に力があれば、このかが誘拐されるのは事前に防げたはずだ、と詮のないことを考えてしまう。
電車が駅につき、ドアが開かれた。
水が勢いよく排水され、このかと大猿の呪符使いは流されて、ホームに出る。
四人はまだ水が出きっていない状態で結界の外へと出て、浴衣を濡らす。
「見たか、そこのデカザル女。いやがらせはあきらめておとなしくこのかお嬢様を返すがいい」
刹那は呪符使いを睨む。
すると呪符使いもまた刹那を睨み返す。
「ハァハァ、中々やりますな。しかしこのかお嬢様は返しまへんえ」
呪符使いの言葉にネギとアスナは反応した。
「え……このかお嬢様!?」
敵方は関西呪術協会の一部勢力で、親書を届けることをやめさせるためにいやがらせをしている、という認識だった。
が、しかし、呪符使いの物言い……このかを「このかお嬢様」と言っていたため、明らかにこのか個人を狙っているようなものだった。
ちなみに横島は、状況がよくわかっていないためにネギとアスナの反応を見て、頭をかしげた。
大猿の呪符使いは気絶しているこのかを抱いたまま、走って逃げ始める。
四人は間髪置かず、呪符使いを追いかける。
その途中、ネギとアスナは刹那を問いただした。
「せ、刹那さん! 一体どういうことですか!?」
「ただのいやがらせじゃなかったの!? 何であのおサル、このか一人を誘拐しようとするのよ!!」
刹那は先頭を走りながら、歯切れ悪く語り始めた。
「じ、実は……以前より関西呪術協会の仲にこのかお嬢様を東の麻帆良学園へやってしまったことを快く思わぬ輩がいて……。
おそらく、奴らはこのかお嬢様の力を利用して関西呪術協会を牛耳ろうとしているのでは……」
新たに発覚した事実にネギとアスナは頓狂な声を上げた。
事態は二人の考えている以上のものだったのだ。
刹那は混乱する二人を置いて、更に付け加えた。
「私も学園長も甘かったと言わざるを得ません。
まさか修学旅行中に誘拐などという暴挙に及ぶとは……」
刹那は自分のふがいなさを戒めるように、下唇を噛んだ。
「しかし元々関西呪術協会は裏の仕事も請け負う組織。
このような強硬手段に出る者がいてもおかしくはなかったのです」
今までずっと話を聞いていたものの、理解できていない横島がここで口を挟んだ。
「よ、よーわからんが、今はあの子を助ければいいんだよな?
まだこっちに来てそれほど経ってないから、じ、事情が全く分からん。
そーゆー難しい話は後にしてくれ。
できれば俺はなーんも考えなくていい、楽な仕事だけしたい」
「そうですね、横島さん……その通りです。今はお嬢様を助けることが先決です」
出口の改札の脇の柱に、人払いの呪符が貼られていた。
そのために乗客も駅員もおらず、無人。
乗る駅のみならず、降りる駅にも呪符が張られていることは、今回の誘拐が計画的な犯行であることを現していた。
刹那は一足先に改札を飛び越え、呪符使いを追った。
「フフ……よーここまで追ってこられましたな」
呪符使いは途中で逃げるのをやめた。
駅の広く、長い階段の中頃で止まり、振り返ってサルの着ぐるみを脱いだ。
右手の人差し指と中指の間にはお札が挟まれている。
逃げるのをやめたとはいえ、投降する気は全く無く、ここで反撃に出ようとしていたのだ。
「そやけど、それもここまでですえ。三枚目の……」
「あーッ! あなたは新幹線の売り子さん!
こんなところで再会できるなんて、僕とあなたは素晴らしい縁で結ばれているに違いありません!
さあ、素晴らしい夜をともに過ごしましょうーッ!」
一目見るや否や、横島は呪符使いに飛びかかった。
もちろん、相手があのサルの着ぐるみの中身とは気付いていない。
「な、なんちゅう速さや! お札さんお札さん、ウチを逃がしておくれやす」
尋常じゃない目つきで迫ってくる横島に、呪符使いは手に持っていた札を咄嗟に投げつけた。
札はコントロールよく横島の顔面に張り付くと、勢いよく熱い炎を吹き出し始めた。
「喰らいなはれ! 三枚符術! 京都大文字焼き!」
「どわぁっちゃっちゃっちゃーッ!」
高熱の炎が一瞬にして、大文字に広がり、階段を塞ぐ。
それの中心で炎に巻かれた横島は、悲鳴を上げつつ、階段から転げ落ちる。
「よ、横島さーんッ!」
「横島さんッ!」
「え? え? 何? 今の……あ、あんなすごい火に……そ……そんな……よ、横島さん……。
し、死んじゃった……?」
刹那は動揺しきっているアスナの頬をひっぱたいた。
彼女はつい最近まで一般人……確かに生死をかけた戦いをしたこともあったが、実際に人が大怪我を負うようなところは見ていない。
それも、火。
ただでさえ、人間が本能的に恐怖を抱く対象に、人間が巻き込まれた。
今も尚、横島の体には火が燃え移っており、地面を転がっている。
刹那の平手打ちもきかず、アスナは半ば恐慌状態に陥っていた。
「横島さん! 大丈夫ですか!」
刹那はアスナが使い物にならないと判断して、横島の元へ行った。
ネギとカモが一生懸命、横島に燃え移っている火を消そうとしているのを、手伝う。
迅速な措置がよかったのか、横島の体の火はすぐに消えた。
「くっ……火が消えても、火傷が……」
「ヒッ!? う、うわっ……よ、横島さんが、横島さんがーッ!」
「あ、兄さん……こ、こりゃあ……なんて……」
ネギ達の悲鳴を聞いて、アスナは自分を取り戻した。
何はともあれ、ひょっとしたら自分の持つ文珠で横島を助けられるかも知れない。
そういう思いが、脳裏によぎる。
いつもアスナが子どもとからかっていたネギですら、動揺せず、横島を助けようとしている。
自分を情けなく思いつつ、自分で自分の頬を叩いて気合を入れて、駆け寄った。
「横島さんがどうしたの!? ひょっとしたら、文珠で助けられるかも知れないわ!」
「あ、アスナさん……それが! 横島さんが!」
「横島さんがどうなったの? まさか……もう死んじゃったの?」
「い、いえ……」
ネギが横島に視線を戻し、それに釣られてアスナも横島を見た。
「あ〜、死ぬかと思った……」
「ほとんど無傷なんですッ!」
アスナは思いっきりずっこけた。
「なんで、火だるまになって無傷なんですかーッ!」
横島はネギの言った通り、ほぼ無傷だった。
服が焼けこげ、髪がちりちりになっているものの、肌はすすけているだけでさしたる火傷は見られない。
ひょっこり起きあがったと思うと、まるで何もなかったかのように立ち上がった。
その動きは実に自然で、無理しているようには見えない。
「無傷じゃないぞ! 地面をころがったとき、肘をすりむいちゃってる」
「そ、その他は?」
「ない!」
アスナは横島の顔を殴った。
「い、痛いな! いきなり何すんだ!」
「一体どーゆー体してるんですか! どう考えても普通じゃないですよ!」
「いっ、いーじゃんか! 無事だったんだから!」
本当にぴんぴんしている横島を見て、アスナは何故かどっと疲労を感じた。
何気なしに刹那を見ると、刹那も口をあんぐりして横島を見ている。
アスナの視線に気付いたのか、刹那はわざとらしく咳払いをして、顔を整える。
「兄さん……やっぱただモンじゃねぇな……一体、どうやったんスか?」
「ん? なんだ小動物、いたのか。別に特別なことはしとらん。まあ、言うなれば慣れだな」
「な、慣れ? い、一体何の慣れなんですかい?」
「子守りだ! 俺の上司にひのめちゃんっていう妹がいてな。
わんぱくざかりでかわいらしいんだけど、ちょっと泣き虫でさ……この子が泣くと……」
「は、はぁ……こ、子守ッスか……」
カモは子守と横島の体のことを関連づけられず、混乱した。
横島が世話をしていた子どもは、生まれながらの念力発火能力者。
感情が高ぶると、念力で物を燃やし、横島はそれに巻き込まれた結果、慣れたということが、横島は言いたかったことだった。
とはいえ、ほんの少しの話でそこまで連想できるほど、カモは想像力豊かではない。
そもそも焼かれ慣れているという理由は、火傷しない理由にはならないのだが。
「あ、あまりのバカさ加減に忘れてたわ! このかを助けなきゃ」
「ば、バカとはなんだバカとは!」
「人に心配させといて、『あ〜、死ぬかと思った』とかいいながらピンピンしてるのはじゅーぶんバカよ!
とにかくあの炎を越さないと……」
「それは僕がやります!」
アスナの動揺は完全に収まっていた。
横島が炎が巻かれたことも十分承知。
もしかしたら、人が死ぬかも知れないし、自分が死ぬかもしれない、それもわかっている。
が、しかし、あまりの横島のアホさ加減に、怖がっている自分がアホらしく思えてきたのだ。
むしろ、人を平然と焼こうとする相手に親友の木乃香が攫われるわけにはいかない、と怒りすら覚えている。
ネギが四人より一歩前に出た。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!
フレット・ウヌス・ウエンテ、フランス・サルタティオ・ブルウェア!」
ネギが呪文を唱えると、魔法の突風が吹いた。
魔法の突風は魔法の火で作られた大文字を、一瞬でかき消した。
「おおっ、すごいな、ネギ。あんなでかい炎をいっぺんに消しちまって……」
横島は素直に感心した。
ネギは横島の賞賛の言葉に照れて、ほんの少し頬を赤くした。
「なんやて!?」
呪符使いはこれには動揺した。
とっておきの一枚が、一瞬にして返されてしまったのだ。
並の術者には消すことはおろか、越えることすらできない、と信じていたためにショックは大きい。
「逃がしませんよ! このかさんは僕の生徒で……大事な友達です!」
ネギは懐から一枚のカードを取り出した。
パクティオーカード……パクティオーした相手と、それ専用のアーティファクトが描かれたカードである。
「シス・メア・パルス、ペル・ケントゥム・オクトーギン・セクンダーム!
ミニストラ・ネギィ・カグラザカ・アスナ!」
ネギはパクティオーカードを掲げて呪文を唱えた。
瞬時に、ネギとパクティオーしているアスナに魔力が注がれていく。
アスナは体に魔力を注がれる瞬間のこそばゆさに声を漏らすが、瞬時に身構えた。
これより180秒間、アスナはネギの魔力付与によって、筋力増強その他様々な恩恵を受けることになる。
「ネギ先生……神楽坂さん……」
「桜咲さん行くよっ!」
「え……あっ、はいっ!」
アスナと刹那は階段を駆け上がる。
ワンテンポ遅れて、横島が後に続く。
「よ、よぉ〜し! 相手は美女! 尋問の名の下に、あんなことやこんなことを……。
とっても燃えてきたッ! やったるでー!」
不穏なことを呟きながら、横島は右手にハンズオブグローリーを出している。
ネギはその横島の更に後ろを追いかけていく。
そこでカモがネギに耳打ちをした。
「兄貴、アレだっ」
「うんっ。アスナさん!
パートナーだけが使えるアーティファクトを出します!!
アスナさんのは「ハマノツルギ」!! 武器だとおもいます、受け取ってください!」
事前の打ち合わせ通り、ネギはパクティオーカードを掲げた。
アーティファクトはパクティオーカードに描かれている物。
アスナのアーティファクトは、ハマノツルギという名の、片刃のグレートソードだった。
「武器!? そんなのあるの? よ、よーし、頂戴、ネギ!」
振り向くアスナにカードの表を向けて、ネギは呪文を唱える。
「エクセルケアース・パテンティアム! カグラザカアスナ!」
アスナの手元に棒状の光が現れる。
これがアーティファクトなのか、とアスナが掴むと、段々と光が収束してゆく。
空気が弾ける音がして、光がアーティファクトに変化した。
「な、何コレ! ただのハリセンじゃないの!」
パクティオーカードに描かれていたアーティファクトの、刀身をハリセンにしたものだった。
とはいえ、金属製で叩くとそれなりにダメージを与えられそうだ。
もちろん、ちゃんとした刃で斬りつけたときのダメージとは、比べものにならないだろうが。
「えぇーい、いっちまえ! 姐さん!」
「もー、しょーがないわねっ!!」
アスナは思いっきり地面を踏み、跳ね上がった。
出現したハマノツルギを大きく構え、呪符使いに向けて振り下ろす。
同時に刹那も夕凪を抜いて、呪符使いに斬りかかった。
が、その間に遮るものがあらわれた。
呪符使いが着ていたきぐるみが、中に誰も入っていない状態で動き出し、アスナの前に立ちふさがったのだ。
アスナのハマノツルギの一撃は、猿の着ぐるみの頭部に、スパァァンといい音を立てて命中した。
刹那の攻撃は、いつの間にか現れていたくまの着ぐるみの爪で弾かれている。
「さっき入った呪符使いの善鬼護鬼です!! 間抜けなのは外見だけです。
気をつけて、神楽坂さん!」
刹那が瞬時にサルとクマの正体を見抜いて、アスナに伝えた。
呪符使いは木乃香を担ぎなおすと、アスナと刹那を善鬼と後鬼に任せて再び逃走を図ろうとした。
「ホホホホ、ウチの猿鬼と熊鬼はなかなか強力ですえ。
一生、そいつらの相手でもしてなはれ」
呪符使いがそのまま逃げようとしたその瞬間だった。
アスナのハマノツルギを喰らった猿鬼が、一瞬で水の上に広がるインクのように歪み、煙のように消えてしまったのだ。
ほぼ一撃で猿鬼は術者の元へ送り返された――つまり倒されてしまった。
「な、なんかよくわかんないけど行けそーよ! そのクマは任せてこのかを!!」
アスナは自分の一撃が鬼に対して強い攻撃力を持つと判断して、刹那が相手にしていたクマを請け負った。
刹那はアスナに礼を言い、呪符使いを追いかける。
「手助けするぞ、アスナちゃん!」
そこへ横島が追いついた。
アスナは手に持ったハマノツルギを熊鬼に振り下ろす。
「く、くまっ!」
熊鬼は、その一撃を爪で弾いた。
そのすきをついて、横島が突撃する。
「往生せいやぁッ!」
腕を振って、がら空きになった熊鬼の横腹に横島がハンズオブグローリーを深く突き刺す。
手首を左手で押さえると、そのまま力を込めて、そのまま熊鬼を切り裂いた。
「くまーっ!」
熊鬼もまた呆気なく送り返された。
「行くぞ、アスナちゃん!」
「わかってるわ……きゃっ!」
二人で刹那の後を追いかけようとしたとき、アスナが何かに足を取られてその場に転んでしまった。
何匹かの子猿がアスナの足首を掴み、上に乗って服をはぎ取ろうとしている。
「くっ、またか……サイキック猫だましッ!」
横島は再び手を叩き、子猿たちを一瞬で紙に戻す。
倒れたアスナに手を出し、立ち上がるのを手伝った。
「あ、ありがとう、横島さん」
「おうっ! な、な、今のはかっこよかったろ?
あー、おしいなー、ここで美人美女がいれば、今のできっときゃーきゃー騒いでくれたはずなのに……」
「た、助けてもらってこんなこというのもあれだけど……。
そんなアホなこと言ってないで、さっさと刹那さんを追いましょ!」
二人は再び階段を登り始めた。
横島とアスナが階段で熊鬼と格闘している頃、刹那は呪符使いを追いつめていた。
刹那が呪符使いに追いつき、夕凪を抜いて攻撃をしようとしたそのとき。
「えーい」
間の抜けたかけ声とともに、刹那に迫るものが現れた。
壁を蹴り、空中で刹那と打ち合って、転げ落ちる。
刹那は剣筋で、相手が神鳴流剣士であることを悟った。
神鳴流剣士が相手についたとなれば、易々と呪符使いを捕らえることはできない。
自身が神鳴流剣士の見習いであるが故、刹那はその恐ろしさを良く知っている。
「あいたたー……すみません、遅刻してしもて……」
独り言のように言い訳を呟きながら、立ち上がった神鳴流剣士は女性だった。
それも、ゴスロリのような洋服を着て、大きな帽子も被っている。
長い金髪をたなびかせ、それほど年端がいっていないことがわかる顔にメガネをつけている。
「どうも〜、神鳴流です〜、おはつに〜」
間延びした口調で挨拶をするところを見れば、普通のお嬢さんのように見えるが、右手には太刀、左手には短刀が握られている。
獲物以外、想像していた神鳴流剣士と著しく違う容貌に刹那はとまどいを覚えた。
「え……お、お前が神鳴流剣士……?」
「はい〜、月詠いいますー」
呆気にとられている刹那を前に、敵の神鳴流剣士――月詠は刀を構えた。
「見たとこ、あなたは神鳴流の先輩さんみたいですけど、護衛に雇われたからには本気でいかせてもらいますわー」
「こんなのが神鳴流だとは時代も変わったな」
刹那はどう見てもそれほど腕が立ちそうには見えない相手に、愚痴のようなものを呟いた。
呪符使いはそんな刹那に、あなどるな、と自信たっぷりに言う。
「フ……甘く見ると、ケガしますえ。ほなよろしゅう、月詠はん」
月詠は軽く会釈をすると、溜めた。
「で、ではいきます、ひとつお手柔らかにー……」
月詠は刹那に一気に距離を詰めて、斬りかかった。
刹那は夕凪でそれを弾くも、小回りの利く二刀使いの連続攻撃に押されてゆく。
「え〜い、やぁ、たぁ、とぉー」と実に力の抜ける声で打ちかかってくるが、その剣筋は鋭く、正確。
野太刀を好んで使う刹那は、身軽な相手は苦手としていた。
防戦を強いられ、刹那は自分が相手を侮っていたことを悟った。
ちょうどそのとき、熊鬼と小猿を撃退した横島とアスナが追いついてきた。
刹那と月詠の激しい打ち合いに二人は目を見張る。
「よ、横島さん! 桜咲さんを助けてあげて!」
「む、無茶ゆーなよ。お、俺はGSであって、剣豪じゃないっての!
剣術で言えば俺より数段強い刹那ちゃんが押されるような相手に、俺が助力したって、かえって足手まといに……」
ふと、横島の脳裏にアイディアが閃いた。
「アスナちゃん、一個俺に文珠を返してくれ。刹那ちゃんを助けられるかもしれん」
「え、い、いいけど……」
アスナは懐から文珠を取り出して、横島に渡した。
横島は文珠を受け取ると、アスナにニッと笑いかけ、自慢げに解説し始めた。
「この文珠の使い方はな。
俺がとってもつよーい敵と戦ったときに、咄嗟に思いついた反則技でな。
相手の体格とか、能力とかをコピーできるんだ。
これで刹那ちゃんの剣技をコピーできれば、刹那ちゃん×2対メガネのお嬢ちゃん一人で圧倒的にゆう……」
横島はアスナに、ハマノツルギで後頭部をドツかれた。
地面に顔をめり込ませ、叩かれた部位からはふしゅーと蒸気が吹き出ている。
「な、何すんだいきなり! い、いくらハリセンだからって、本気で殴られたらいてー……がふっ!」
文句を言う横島の胸ぐらを、アスナは掴み上げて引き寄せた。
怒りに燃える半眼で、アスナは眼前まで近寄った横島を睨み付ける。
「その文字をいれた文珠はぜぇぇぇぇったいに使っちゃダメ!」
「な、なんで?」
「ダメったらダメ! もし、使ったりしたら……私、横島さんの身の安全を保証できなくなっちゃうかもしれないわ……」
「ひ、ひぃぃぃっ! な、なんでそんなに怒ってるんだ、アスナちゃん!」
「わかったの!?」
「わ、わかりましたーっ!」
横島はアスナの迫力に負け、半泣きになって許しをこいた。
アスナは先ほど『模』された恨みを忘れていない。
横島に『模』の文珠を使わない確約をとってから、ようやく横島を解放した。
「私よりもこのかお嬢様を助けてあげてください! 敵の呪符使いを抑えれば、私も有利になります!」
刹那が月詠と打ち合いながら二人に言った。
横島とアスナは刹那の言うとおりに従って、呪符使いを追おうとしたそのとき、その横をネギが駆け抜けていった。
一番最後を走っていたネギが追いついて、追い越したのだ。
ネギは杖を伸ばし、呪文を唱える。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!
ウンデキム・スピリトゥス・アエリアーレス!
ウィンクルム・ファクティ・イニミムクム・カプテント!
サギタ・マギカ、アェール・カプトゥーラェ!」
呪符使いに向かって、十一本の魔法の射手が放たれた。
破壊力の低い、風の精霊の力を借りた魔法の射手は、命中すれば対象を捕縛することができる。
「あひいっ、お助けーっ」
呪符使いは咄嗟に木乃香を盾にした。
なんとか威力を弱めようと、儚い抵抗として反射的にした行為だったが、思わぬ効果があった。
「あっ……曲がれ!!」
ネギは木乃香に魔法の射手を当てられなかった。
真直線に呪符使いを狙っていた魔法の射手を、直前で無理矢理ねじ曲げる。
いつまで経っても来たるべき衝撃が来ないことに気が付いた呪符使いは、ゆっくり目を開いた、
体はなんともなく、自ずと攻撃が逸れたことを知った。
「こ、このかさんをはなしてくださいっ! 卑怯ですよ〜!」
ネギは呪符使いに言った。
呪符使いは即座に、何故直前まで迫っていた攻撃が避けたのかを理解する。
「は……はは〜ん、なるほど……読めましたえ。
甘ちゃんやな……人質が他所受けがするくらい気にせず打ち抜けばえーのに」
呪符使いは木乃香を抱え直して、高笑いした。
「ホーホホホホ! まったくこの娘は役に立ちますなあ。
この調子でこの後も利用させてもらうわ。
せやなー、まずは呪薬と呪符でも使て、口を利けんよにして、
上手いことウチらの言うこと聞く操り人形にするのがえーな。
くっくっくっ……」
「おねーさん、ちょっとこぇーな!」
そこへ横島が飛びかかった。
「ああっ、しまった!! こ、こっちの変な奴を忘れてた!」
不意を突かれた呪符使いは、咄嗟に札を構えようとしたが遅かった。
横島は木乃香を呪符使いからひったくり、そのまま逃走。
「私も忘れてもらっちゃ困るわよッ!」
横島のすぐ後ろに控えていたアスナが、ハマノツルギを下段に構えた。
「このかになんてことするつもりなのよーッ!」
駆け抜けざまに思いっきりハマノツルギを顔面に打ち付ける。
呪符使いの身につけていた守り護符は、アスナ相手では何故か全く役に立たなかった。
「フランス・エクサルマティオー!」
そこをネギがすかさず武装解除の魔法を掛けた。
魔法の突風が呪符使いの服を全て花びらに変化させて、吹き飛ばした。
最後に、木乃香を洗脳しようと言う企みを聞き、月詠を一瞬で倒した刹那がやってくる。
秘剣、百花繚乱。
振り上げた夕凪の刃から衝撃波が巻き起こり、呪符使いの体を大きく空に巻き上げる。
呪符使いはそのままはじき飛ばされ、地面を何度もバウンドして、壁に追突し、ようやく止まった。
ネギとアスナと刹那は憤怒を露わにした表情で、呪符使いを睨み付けた。
ただ一人、空気が読めないアホがいた。
「お、おいまてネギ! 今の魔法は一体なんなんだ!?
美女の服を花びらにして吹き飛ばしたように見えたんだが!
一体どこであんな魔法を覚えたんだ!?
ぜっ、全裸にするなんて、なんてすばら……い、いやけしからん魔法なんだ!
本当にけしからん! ネギ、いい子だから、俺にも今の魔法教えろ!」
スパァンとアスナは横島の顔にハマノツルギを叩きつけた。
「お、おいっ、今、この子を抱えてるんやぞっ! ハリセンで顔叩くやつがおるかぁ!」
「このかを抱えたまま変なボケしないでくださいッ!」
アスナと横島がドツき漫才を始め、一瞬ネギと刹那の注意が呪符使いから外れた。
「なな……なんでガキがこんなに強いんや……。くっ」
呪符使いはよろよろと立ち上がると一枚の札を取り出した。
札は先ほどの猿鬼にそっくりな……違いといえば額に2と書かれているだけの、善鬼を召喚した。
呪符使いはその善鬼に抱えられ、ついでに刹那に敗北した月詠は尻尾に捕まって、逃走した。
「あっ、逃げたっ!」
瞬く間に呪符使い達の姿は夜の闇に消えてしまった。
罰が悪いのは、横島だった。
「え? え? い、今の、お、俺が悪いんじゃないよな?
俺が、ネギを呼び止めて、美女を全裸にする魔法を聞き出そうとしたから、あいつらを逃がしちゃったんじゃないよな!?」
とまどう横島。
それをアスナがじと目で睨み。
「しょ、しょーがなかったんやーッ!
あないな魔法見せられたから反応せざるをえなかったんやーっ!」
ばつ悪くなって、泣き叫ぶ横島。
刹那はそんな横島の背中を叩いて、なだめた。
「ま、まあ、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ、横島さん。
捕まえたところで、処分に困ったでしょうから」
「うっ、うっ、刹那ちゃんは優しいなー……」
「で、でも逃がしたら、また襲ってくるかも……」
「いえ、アレを捕まえても、結局は逃がすことになっていたでしょう。
殺すわけにはいきませんし、私たちも修学旅行中です。
監禁も軟禁もできなければ、警察に届けたところであいつは自力で脱出するでしょう。
第一、警察になんと説明すればいいのか、もっと言えば他のクラスメイト達の目もありますし……」
「あ、そっか……」
刹那の正論にアスナは納得する。
そこへネギの肩に乗っていたカモが、刹那に言った。
「そういえば、あいつ薬や呪符使うっていってたな。
このか姉さんは大丈夫か!?」
「まさか……ッ!」
横島は木乃香を下に降ろした。
そのまま、ネギとアスナと刹那が横たえた木乃香を取り囲めるように一歩下がる。
「お嬢様! このかお嬢様! しっかりしてください!」
刹那が木乃香の頭をそっと抱き、声をかけた。
木乃香はその呼びかけに気が付いたのか、うっすらと目を開き、刹那を見た。
「……あれ? せっちゃん……」
ぼんやりとした口調でこのかはしゃべり続ける。
「あー、せっちゃん……今、夢見たえ……。
変なサルに攫われて……でもせっちゃんやネギ君やアスナが助けてくれるんや……」
刹那はこのかの無事を見て取って、胸をなで下ろした。
「……よかった。もう大丈夫です、このかお嬢様……」
しんみりしたいい空気の中。
「お、俺がカウントされてないのはなぜだらう」
「しっ、いい空気なのに水をささないの!」
「す、すんまへん! そ、そのハリセンで殴るのはやめてーっ!」
裏ではこんなやりとりがあったのだが、刹那と木乃香は気付かない。
木乃香は目を一瞬見開いたかと思うと、ゆっくり笑顔を作った。
目尻には涙が溜まり、健気に見える笑顔だった。
「よかったー、せっちゃん……ウチのこと嫌ってる訳やなかったんやなー」
「えっ、そ、そりゃ私かて、このちゃんと話し……」
一瞬昔の自分に戻りかけていたことに気付いた刹那は、咄嗟に後ろに下がって膝を突いた。
「し、失礼しました!」
突然の変化にネギとアスナと木乃香は戸惑う。
それらを無視して、刹那は矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「わ……私はこのちゃ……お嬢様をお守りできれば、それだけで幸せ……。
いや、それもひっそりと影からお支えできればそれで……あの……ごめ、きゃっ!」
「どぅわぁっ!」
突然背後に走り出そうとした刹那だったが、ちょうど真後ろに立っていた横島にぶつかった。
横島はバランスを崩し、階段を踏み外し……。
「ぎぃやあああああああ!!!」
「ああっ! よ、横島さんを突き飛ばして、階段から落としちゃった!」
階段を転げ落ちる横島を、刹那は追いかける。
なんとか途中の踊り場で追いついて、転がる横島を止めることができた。
「桜咲さーん!」
そこへアスナが大声で呼びかけてきた。
「明日の班行動一緒に奈良回ろうねーっ、約束だよーっ」
振り返ると、アスナが手を振っている。
その後ろには木乃香が、不安げにこちらを見下ろしている。
刹那の心に、アスナの心遣いが痛く染みいった。
自分の中にある「常に影からお守りしなければならない」「正体をばらしてはいけない」その他複雑な感情は、このときだけはほんの少しだけ忘れることができた。
「……ま、汚れ役には慣れてるから、気にせんけど……」
拗ねた声に反応して、再び刹那は向き直った。
服は炎に巻かれてあちこち焼けこげ、敵のものより味方にやられた傷跡の多い横島が、壁に向かってぶつぶつ呟いていた。
異世界から来たという不思議な出自を持ち、なんとも情けなく振る舞いつつも、木乃香を助けるために色々と頑張ってくれた男に向かって、刹那は深く頭を下げた。
「よ、横島さん、申し訳ありませんでしたッ!
あのっ、そのっ、横島さんが後ろに立っているとは気づかなくて、焦っていたものですから。
す、すいません」
「ん? あ、ああ、べ、別にそんなに謝らなくていーよ。
こんな傷、まだ軽いモンっつーかなんつーか」
横島はまた再び土下座しかねない刹那をなんとか宥めようとした。
こうやって謝られると、いつも謝られないせいか、何故かこちらが悪いことをしているような気になってしまうのだ。
横島は反射に適切な言葉が出てくるような頭は持っておらず、思いつきで話題を逸らそうとした。
「そ、そだ。刹那ちゃん、あのお嬢ちゃんと仲良くできるといいな」
「は、はいっ!」
横島はそっぽを向いて、階段を下りた。
「しっかし、初日からコレっつーのも中々キツイなー。明日からどーなんだろーな」
ぶつくさ独り言を漏らしながら、階段を駆け下りる横島。
少し遅れて、刹那が追いかけていく。
こうして、麻帆良学園中等部三学年の修学旅行の一日が終わったのだった。