「それじゃ、横島の策を教えるわ。時間が無いから質問は最後にしてね」
言って、私はセイバーと士郎の顔を見やる。
その表情は、二人とも真剣そのもので、鬼気さえ漂っているようだ。
ただ、士郎の目元は赤く染まり、涙を流した形跡が見て取れる。こいつは、本当にセイバーの死に泣いたのだ。
会って数時間。大して情を深めた訳ではないだろうに、士郎は、本気でセイバーが死ぬことに対して、涙したのだ。
さっきの行動に加え、今の言動。こいつは、きっと何処か歪んでいる。これが、この戦闘の懸念だった。
「横島の策はいたって簡単。このままバーサーカーと戦闘を続けるだけよ」
「「えっ?」」
私の余りにも簡略な答えにセイバーと士郎、二人は声を揃えて疑問を発する。
それは当然。そんなもの、策とは言えないのだから。実際、私も横島の文珠から作戦が『伝』わってきたときは、同じような反応をしたし。
「横島の考えでは、後十五分から二十分戦闘を行えたら、イリヤは戦闘を止めおそらく家路に着くわ。だから、それまで何としても戦闘を継続させ無かればならない。……判った?」
至極簡潔に言葉を並べ立て、セイバー達に横島の考えを多少省略して伝える。
それを聞き、セイバーは軽く納得した様子を見せるが、やはりまだ完全には認めきれていないようだ。
「具体的には、セイバーが前衛になり、横島がセイバーをフォローする形になるわ。そして、時間が着たら、横島が合図をするから、セイバーは力の限りバーサーカーの斧剣を弾き、即刻離脱。この時に、間違っても、セイバーはバーサーカーの正面に居ないようにして。横島の行動の妨げになるらしいから。後は、横島が何とかして、バーサーカーを押しやり、分断。それで、バーサーカーから追撃の意思が感じ取れないようなら、上々。もし、駄目ならセイバーは私と士郎二人を担いで撤退。その際の殿は横島が努めるわ―――――話は以上よ。質問は何かある?」
一息に作戦の概要を話しきり、二人の反応を見る。
セイバーは納得した様で、軽く頷いてくれた。押しやる手段と、殿の部分で質問されるかと思ったが、さっき横島が言っていた“リターナー”というはったりが利いているようだ。
それに、横島の判断力の高さについては、先の戦闘と、さっきの戦闘回避方法で証明されていることだし、まあ、内容はアレだったけど。士郎は、やはり納得いかない感じね。下手すれば横島が犠牲になるのだから。
兎も角、これで準備は終わった。細かく話したわけではないが、セイバーは歴戦の騎士だ。ケースバイケースで対応してくれるだろう。
ここまでで、五十秒には達していない筈、説明することに集中して、横島の戦闘を見てはいないが、身震いする程の風切り音しか聞こえないことが、横島の生存を教えてくれている。何とか、私は第一の試練を乗り越えることが出来たようだ。
「――――セイバー?」
横島とバーサーカーの戦闘を、凝視していたセイバーに、怪訝な面持ちで話しかける。
戦闘に割り込むタイミングを計っていると思っていたら、どうやら違うみたいだからだ。
「本当にすみません、凛。後少しだけ、後数秒だけ私の我侭を許して下さい」
セイバーは謝罪の言葉を発するも、目線は前を向いたままだ。
いまいち、セイバーの謝罪の意味が理解できない。後数秒がなんだというのだろう。
というより、横島の生存時間まで後十秒も無いというのに、彼女は何をしているのだ。早く横島を援護しないと、横島が死んでしまうではないか。
「ちょっと、セイバー………」
私は、直ぐにセイバーに横島の援護に解け仕掛けようとするが、自然と口が閉じてしまった。
セイバーの謝罪の意味が理解出来たから。何故、イリヤの罵声が一度しか聞こえなかったのかが、やっと解ったから。
率直に言うと、私達は魅了されてしまったのだ。横島の演舞に。
降りしきる雨の中、横島は舞っていた。吹き荒れる鼬風の中、横島は華麗に舞っていたのだ。
砕けるアスファルトは太鼓、踏み叩かれる地面は大皷、絶え間ない雨音は小皷、振るわれる剣風は笛。
二人が奏でる四拍子を要とし、横島は踊っていた。
それは、流れ行く川の如き自然さ。魚が海を泳ぐように、鳥が空を飛ぶように、極々自然に横島はバーサーカーの死を躱し続けていた。
しかし、その自然さが、何よりも不自然。英霊の剣戟を人間が悉く躱しきるなんて、それの何処が自然と言えるのだろうか。
ぞわりと、肌が粟立つのが解る。
おそらく、隣に立っているセイバーと士郎も、私と同じ様相をしているだろう。
驚愕。私たち三人は、この二文字を顔に貼り付けているに違いない。
けれど、それこそが普通なんだと思う。
だって、僅か一分間とはいえ、あのバーサーカーの剣撃を、受けることもせずに、全て避け続けるなど、一体誰が出来るというのだ。
事実、白兵戦最強と呼ばれるサーヴァント、セイバーですらあっさりとやられてしまったのだから。それほどまでの相手にも関わらず、横島は生き延びている。
本当に――――なんて、異常。
そんな、私の放心を他所に戦闘は次の段階に移行しようとしていた。
ここに来て、遂に横島の動きが乱れ始めたのだ。このままでは、間違いなく横島は殺される。
私はばっと隣に視線をやり、セイバーに激を飛ばそうとするが、それは全く持って必要なかったようだ。
目線の先には目当ての人物の姿など無く、ほんの少し動いた空気が私を安堵させてくれのだから。
視線を元に戻すと、蒼い風は横島を護り、次いで鉛色の壁に突撃する光景が映った。
これで、後は戦い続けるだけ。
先ほどとは打って変わった、重厚的な金属音が連続する中で、私は最後の文珠を取り出す。
これが、私が横島に出来る最後の援護だ。
もはや、令呪によるブーストは、横島にとってはマイナスにしかならないだろう。強すぎる薬はその副作用もとんでもないというこだ。
そして、私の宝石魔術は、バーサーカーの“鎧”によって効果は上がらない。
だから、横島から貰った文珠が私たちにとっての最後の切り札。私は掌に乗せた文珠を見詰めると、一度静かに深呼吸をする。
失敗は許されない。もし、間違った念を送ってしまったり、込めた念が弱いと私達は殺される。故に失敗は許されない。
どくんどくんと心臓が早鐘を打ち鳴らす。それと同時に、遠坂の悪性遺伝子の事が頭をよぎる。
そう。“ここ一番で大ポカをしてしまう”という遺伝的呪い。
つーと米噛みから顎のラインにかけて汗が伝い落ちるのが判る。柄にも無く緊張しているみたいだ。
私の短い人生の中で、一番緊張したのがつい数日前のサーヴァント召喚の儀だったのだが、今回の事はどうやらそれを上回りそうである。
人の命を背負う重圧。これが、ここまでとんでもないモノなんてね。
横島。冗談抜きであんたを尊敬するわ。この血流が鉛に変わったかのような不快感を常として、いつも前に立って護ってくれていたのだから。
けれど、今回は私が横島を護るばんだ。この手に持っている文珠にしかるべき念を込めさえすれば、きっと私達は助かる。
いや、生き延びてみせる。だから、生き延びれる可能性を一パーセントでも増やすために、急いで文珠にを使用しなければ。
大丈夫。さっき、セイバーに使った『治』の文珠は見事に成功したではないか。だから今度も大丈夫。絶対に成功してみせる。
がちがちと緊張で震える手を、私は気合で抑えると、この戦局の切り札。文珠に念を込める。
「遠坂。俺、何も出来ないけど、護るから。きっと護ってみせるから。だから、諦めないでくれ」
と、込めようとした念は、斜め前に居るバカな男の声により霧散してしまった。
一体、この馬鹿は何を言った。“諦める”そう。この私に言ったのかしら。
スーと血流が正常な流れに戻っていく。そうか、さっきまでの私はそんなにも焦燥していたように見えたのか。
この、へっぽこ半人前魔術師に心配されるくらいに。くっと唇の端が持ち上がるのが感じ取れる。
「衛宮君。一つ言っときますけど、私は諦めてなんかいませんよ」
「そ、そうか」
それにしても、人の笑顔を見て、顔を引き付かせるなんて全くいい度胸してるじゃない。
まだ、言いたい事は山ほどあるが、今は戦闘中。自粛せねばなるまい。文句は戦闘が終わった後に言うことにしよう。
そう。戦闘が終わった後にだ。
「士郎。私は今から無防備な状態になるから、飛んでくる破片とかから守って頂戴」
一度、肩に掛かる髪を軽くかきあげる。何時もならふわりと舞う筈の髪は、横島の降らせた雨のせいで、綺麗に舞ってくれなかった。
彼は、私の命令に一瞬顔を綻ばせると、望む答えを返してくれた。
「任せろ」
言って、士郎は濡れた上着を脱ぎ、両手に持つと、自然な動作で私の目の前に移動した。
雨音に掻き消されぬ程の深呼吸の後、「同調、開始――――」士郎の詠唱が聞こえた。
今の詠唱の短さ、さらに上着を脱いだことから、彼が使った魔術はほぼ間違いなく“強化”であり、上着を盾にするつもりだろう。
それを見て、私は士郎に対する印象を修正した。
思ったほど、士郎は馬鹿という訳ではないようだ。仮に飛んでくるアスファルトの破片を、その身を持って受け止めようと考えていたのなら、間違いなく私は呆れていた。
服を強化して、即席の鎧としても、士郎レベルの強化では多寡がしれているからである。
だが、士郎は自身の使える魔術を最大限活かせる方法をきちんと理解していたのだから。
乾いた布なら、危ないかもしれないが、濡れた布ならそれなりの大きさの破片でも上手く衝撃を吸収してくれる。しかも、それが鉄のような堅固さをもっていれば、そう易々と打ち破られることは無い。
無論、ランサーの槍や横島のソーサーによって開けられた穴を通り抜けたら意味は無いが。その辺は、士郎の頑張りしだいではある。
「ふう」
溜息を一つ溢し、精神を集中しなおす。
心は至って平静。手の震えはぴたりと止まり、さっきまでの緊張が、嘘のような清々しさ。
つう、と視線を士郎の何処か頼りない背中に向ける。背中には飛散した血がべっとりと付いており、その傷の深さが窺い知れる。
それでも尚、彼は泣き言一つ漏らすことなく、私を護ると言ってくれた。自己を省みることすらせず他人であり敵でもある、私を心配したのだ。
魔術師としては、甘いとしか言いようが無いが、正直嬉しかった。
力もなく、何も無いくせに躊躇う事無く“任せろ”と応えてくれたときは、軽く正気を疑ったが、それでもやっぱり嬉しかったのだ。
横島とはまた違う、護ってくれる存在というのを、身近に実感出来たから。
ドッドッと鼓動が個気味いい音を奏でる。脈拍は正常、震えもなし、見詰める先は唯一つ。
さあ、私の魔力受け取りなさい、横島!!
どくん。どくん。どくん。
横島の魔力タンクに上質のハイオク燃料が注ぎ込まれる。
どくん。どくん。どくん。
それは一切のぶれも無く静かに、横島の体に補充されていく。
どくん。どくん。どくん。
令呪のような瞬間的な爆発力ではなく、凛から『送』られてくる魔力は、どこまでも優しく横島に浸透する。
「流石は凛ちゃん。完璧だ」
己がマスターから順次『送』られてくる魔力を感じ取り、横島はニヤリと笑う。
半ば焼きついた自身のチャクラに対し、ここまで刺激を与えない様にして魔力を送るとは、と。
文珠というのは使用者のイメージによって効果の幅を変えられる。だが、逆に言えば使用者のイメージに綻びがあれば、その効果は容易く変動するのである。にも関わらず凛はきっちりイメージし切った。初使用に近い状態でだ。
自身のサーヴァントの状態を的確に把握し、その上で絶妙に調節された魔力供給。それをいとも容易くやってのけた凛には瞠目するしかない。故に横島は笑った。流石は最高のマスターだと。
ならば、応えよう。彼女が最高のマスターというのなら、俺が最高のサーヴァントだと。
「――――水よ。水気に満ちし大源よ。俺が命じ、俺が課す。集いし水に俺の血潮。それらを持って喚起せよ、契約しせし俺の名を、横島忠夫なる俺の名を――――」
横島は高速で呪を唱えながら、水に濡れた地面に血で直径三十センチ程の小さな太極図を描く。
それは不思議と水に交わることはなく、はっきりとした輪郭を保ち続けている。次いで、横島は左手で複雑な印を刻みながら、右手から出した文珠を太極図の中心に設置する。その間も呪は途切れるこはなく紡がれる。
赤い太極図の中心。『式』の字が浮かび上がる文珠は、呪と印が進むにつれて、次第にその様相を変化させていく。いつもの綺麗な翠色から、深い夜空のような漆黒へと。それはあたかも草原に夜の帳が降りるかのようだった。
やがて、文珠が完璧に闇色に染め上げられると、真紅の太極図も漆黒に移り変わる。
それを見て、横島は眼前の虚空に左手を向けると、一度呪を切り再度、口を開いた。
「――――水行。玄武招来」
声はか細く、雨音に遮られるほどに小さい。
だが、その言葉こそが要でもあり、その行為自体を現していた。
パキンと漆黒に染まった文珠が砕け散る。それが最高峰の守護獣、“玄武”の静かな産声だった。
ゴウッと、割れた文珠を収束点として、水気に染まった周囲のマナが一斉に動き出す。
その突然なマナの流動に誰もが意識を傾ける、その発生源たる横島に。
やがて、雨水すら巻き込んだ、マナの旋風が収まった後には、一匹の仙亀が顕れていた。
皆が皆、その溢れ出さんばかりの存在に圧倒されていた。常識外の狂戦士を従える、紅き瞳の少女でさえ。
体躯は人をも呑み込むかの如く巨大であり。纏う色は闇より尚寒々とした漆黒。そして、その体に絡みつく一匹の大蛇。
その姿から連想されるのは唯一つ。水神“玄武”威風堂々の召喚だった。
横島は立ち上がると、すっと仙亀の隣に立つ。
そして、一度甲羅をいとおしげに撫でると、意を決し、鋭く号令を下した。
「いけ。クロ!!」
主命に従い、玄武“クロ”は眼前で行われている戦闘地帯に向かい接近する。
仙亀クロの移動方法は普通の亀の様にどすどすと歩くのではなく、水上を走るジェットスキーのようなものだ。
クロは甲羅から伸びる長い四肢を器用に操り、地面を滑走するようにして間合いを詰める
浮遊できるほどの力を与えられていれば、それすら問題ではないのだが、いかんせん主、横島の状態が悪すぎた。
きっちり、文珠を複数使い召喚すればよかったのだが、現存する魔力、腕に使用している『接』の文珠への意識の集中。
それにクロを呼ぶための呪との連立等の条件が重なり、横島には文珠を複数制御出来るほどの余裕は全くなかった。
その弊害として、クロは重力の枷に縛られることとなり、仕方なく地面を駈けている訳である。
だが、そのスピードは人知を超え、並みの英霊にさえ匹敵するほどには速い。亀にしては異常な程のスピードを維持しながら、クロは圧縮された水弾を口から一発射出する。
その高速で飛んでいく弾丸は、懸命にバーサーカーの剣を受け続けているセイバーの頭上を通り過ぎ、狙い違わず彼の胸板を直撃する。
しかし、一般人はもとより、英霊でさえ致命になる程の弾丸を受けて尚、バーサーカーの“鎧”は顕然としていた。
弾かれた水弾が唯の水に戻っていく所を見て、横島はやはりと舌打ちをする。今の行動はもとより確認であり、別に攻撃行為ではない。だが、判っていた事ではあるが、やはり口惜しさは残る。
さっきの水弾は、牽制などを考えた訳ではない、正に手加減抜きの本気の一発だったのだ。それが、易々と弾かれてしまうところを見ては、流石に気落ちしてしまう。
しかし、横島はそんな暇は無いと瞬時に思考を切り替えると、両手で印を結びながら、リンクしているクロに念を送る。
主からの念を感じ、クロは一度頷くような仕草を見せると、今度は別段高く圧縮していない水球を発射した。
それなりのスピードで発射された水弾を見て、バーサーカーは何の危険もないと判断し、別段気にすることなく戦闘を続ける。
だが、それは明らかな判断ミスだった。少しでも思考が出来るようなら、何の変哲もない水球がどれほど危険なものかが判ったはずだ。
頭部ほどの大きさに固められた水球がどれほど危惧すべきモノなのかを。
発射された水球は、チャポンとバーサーカーの頭を包み込むと、その場で停止する。
次いで、がぼっと水球に覆われたバーサーカーの口から排気された気泡が発生した。
「■■■■■■」
水球によって呼吸が封じられたバーサーカーは、狂ったように剣を振りながら、なんとか頭を覆う水球を外そうとする。
だが、その水球はバーサーカーの不規則な動きにも対応し、なおかつ今も降り続いている雨を取り込むことによって、全く外れそうにない。
その間に、クロはバーサーカーの足元に溜まった雨水に念を送ると、バーサーカーの足を絡めとろうとする。
しゅるしゅると動くその姿は、蛇が這いよる姿にさえ見える。無論、戦車の如き馬力を誇るバーサーカー相手には、気にも留められぬほど拘束力ではある。
だが、その微小な拘束力でさえ、セイバーにとっては何よりも有り難い。一撃一撃が砲撃を思わせる程バーサーカーの剣撃は並外れている。
それを、十五分もの間受け続けるのは、剣の英霊たるセイバーでさえ不可能だろう。
しかし、何度吹き飛ばされても瞬時に蛇に姿を変え、常にバーサーカーを縛ろうとする水のお陰で光明が見えた。本当に僅か、極々微量だが、バーサーカーの剣旋は鋭さを失っている。
それに加え、尋常ないスピードで振るわれる斧剣に対し、精密な狙撃が連続して与えられている。
クロの一部たる大蛇の口からは、圧縮された水弾が絶え間なく発射されていた。射出される弾丸は、一切の狂いもなくバーサーカーの斧剣に当り、振るわれる衝撃を少なからず分散させていた。勿論セイバーの邪魔に成らぬようにだ。
それは心眼(真)のスキルを持つ横島だからこそ出来る業。前衛のフォローを行う後衛においても、心眼(真)のスキルは大いに有効なモノである。
しかし、ここまで適切なフォローを行える理由は、理性を持たぬバーサーカー相手だからこそ。
因みに、今のクロに弾切れというか水切れは無い。今なお降り続けている横島の魔力を含む雨水を利用することはもとより、自身をポンプとする様にして、その辺の水溜り、バーサーカーとセイバーの戦闘地帯の水溜りさえ吸引し再利用しているのである。
故に今のクロには水切れ等なく、文珠によって降らせた雨による副効果、雨水に含まれる横島の魔力さえ吸い取り攻撃している。これ以上ないほど効率的にクロは攻撃を繰り返していた。
しかも、文珠『雨』の副効果はそれだけではない。イリヤはクロと同じように水を使って魔術を行使し、無防備な横島に攻撃しようとしていた。
だが、横島の魔力を最初から含んでいる雨水には、イリヤの魔力は通らず、横島の眷属以外は魔術として組み上げられないのである。
それに、クロが召喚され様々な術を見る内に、イリヤは半ば確信していた。
――――ヨコシマは自分を攻撃対象から外している、と。
横島の考えは判らないが、もし自分が攻撃を開始したら多分攻撃される。
結界等を張れば、あの程度は防げるし攻撃も出来るだろうが、イリヤは横島の挑戦状を受け取ることにした。
聖杯戦争のセオリー。基本的にマスターはサーヴァントの補助を行うのみであり、サーヴァント同士の戦いには不可侵という事を。
ただ、一応無防備に見える横島であるが、その辺の警戒は怠ることはなく、対応策をきちんと取っていたが
ともあれ、『雨』という文珠は、玄武クロを召喚するための構成物質、召喚した後の攻撃手段、敵イリヤの気勢の削減、及び牽制。という一石四鳥という結果を生み出す事に成功していた。
「■■■■■■」
呼吸を封じられ新鮮な空気を取り込めないバーサーカーからは、明らかな焦りが伺えた。
いかに人間離れしていようとも、その在り方はあくまでも人である。つまり、呼吸をしなくては生きてはいられない。
そんな、至極当然であり、地上に居る間は誰も感じない息苦しはバーサーカーを確実に追い詰めていた。
既にバーサーカーの呼吸を封じてから五分もの時間が過ぎていた、唯でさえ呼吸というものが重要になる戦闘において五分もの間の呼吸不能。
常人なら間違いなく殺され、英霊であってもそれは同じだろう。それは、狂戦士でさえ逃れられないことだった。
「はぁあーっっ!!」
ぎぃんぎぃんと重厚的な金属音が連続して木霊する。
ここにきて、攻守が交代していた。
鉛色の暴風は旋風に勢力を落とし、蒼色の旋風は暴風に姿を変える。
呼吸を禁じられ、戦闘の要でもある足を封じ、その上的確なタイミングによる武具への水弾。
その三つの効果は、確実にバーサーカーの戦闘力を削ぎ、セイバーとの攻守が入れ替わることとなった。
もとより、セイバーの戦闘方法は守ではなく攻だ。故に守りを捨て、攻めに入ったセイバーの動きは最高のキレを魅せていた。
しかし、それもここまで、今より狂戦士は復活する。バーサーカーがマスター、イリヤスフィールの手によって。
イリヤの右手に魔力が集中していく。
そして、それが最高潮に達すると、赤い魔弾が発射された。そう、バーサーカーの頭部目掛け。
バキンとバーサーカーの後部に赤き魔弾が炸裂する。それはイリヤの想定通りに、容易く水球を弾き飛ばした。
それは、単純な一手。動くことによっても外れず、飲みこむにしても雨によって補充されるのならば、己の魔術によって弾き飛ばせばいいと。
呼吸を禁じるという単純な一手は、魔弾を炸裂させるというシンプルな一手によって覆された。
正に対魔力を持たず、頑強な肉体を持つ、バーサーカー相手だからこそ出来た、非常識な手であった。
「蹴散らしなさい、バーサーカー!そんなちっぽけな水球くらい、私がいくらでも弾き飛ばしてあげるわ!」
ルビーの様に、真っ赤な瞳を爛々と輝かせながら、イリヤは激を飛ばす。
その姿は、つい数時間前に校庭で見せた、凛の姿に被って見えた。
なればこそ、最高のマスターの期待に最強のサーヴァントが答えない訳が無い。
「■■■■■■■■■」
大地を揺るがす咆哮を上げ、バーサーカーはセイバーに襲い掛かる。
足元の蛇、斧剣に当る水弾、そんなものは関係ない。
我はバーサーカー。最高のマスターを持ちし、最強のサーヴァント。故に屈するはずがない。
「■■■■■■」
キン、キン、ガキン。
バーサーカーの咆哮に追従するようにして、死の暴風が再び吹き荒れ始める。
「くっ、はっ、あぁっ!!」
形勢は、再度完全に逆転した。
セイバーは再び守勢に回り、バーサーカーは攻勢に転ずる。
バーサーカーの進撃を押し留めていた最大の要因は、水球による呼吸封印であった。
横島は、先ほどからクロに命じ、水球を何度も発射させ、なおかつ命中している。
しかし、その都度赤い魔弾が水球を弾き飛ばしていた。これでは、呼吸を封じられるのは僅かに一呼吸。
普通であれば、その一呼吸で明暗を分けるのには十分であるが、あいにく眼前の敵は異常だった。
呼吸という、戦闘において最も重要なものの一つを狂わされなお、狂戦士は死を運ぶ化身たりえる。
だが、それは相手が常人であればこそ。ならば、幾たび死を振るってもなお死なぬコイツはなんだ。
そう、その理性宿らぬ双眸に映る者は、常人以外に他ならない。
蒼き衣を纏い、銀に輝く鎧を身に付け、不可視の剣を振るう、壮絶無比な使い手。
七人のサーヴァント中、最強と呼ばれる剣の英霊、“セイバー”なのだから。
天水が降り注ぐ中、戦いは熾烈さを加速させていく。
そんな馬鹿げた戦闘を眼前に納めながら、横島は一人唇を軽く歪めていた。
それは、笑みでもあり苦渋を押し隠すようでもある。事実横島は両方の心情を持っていた。
まず、笑みの訳はイリヤの行動を含め、今の戦闘の流れが横島の想定通りだからである。
凛からの文珠による魔力供給から始まり、セイバーの奮戦、玄武“クロ”の召喚。そして、イリヤによる、クロの放つ『水牢球』の攻略。
水牢球を破る方法は、大まかに分けて二つである。外側もしくは内側から、相応の威力を持った衝撃をぶつけるか、超高速移動により、水球を置いてけぼりにするかの二つである。この内の超高速移動はセイバーとの戦闘により、行動範囲が制限されることから除外され。
残るは、相応の衝撃により、力づくで吹き飛ばすのみである。内側からならば、韋駄天の使った、“ヨコシマンバーニングファイヤメガクラーッシュ”ならば可能だろうが。当然バーサーカーがこの様な能力を有している筈が無いので不可能。
つまり、今の状況では、非常識に見えるが、イリヤの行動は正解だったのである。
だが、それこそが横島が狙っていたことである。
過去四回あった聖杯戦争において、バーサーカーのマスターになった人間は例外なく殺されている。
魔力不足による、バーサーカーの暴走によって。つまり、ヘラクレスという規格外の英霊をバーサーカーにした時点で、イリヤは既に死んでいてもおかしくない。だが、暴走させるどころかきっちり制御まで行っている。これは偏にイリヤの常識外の魔術回路数に加え全身に刻まれた令呪のためだ。
マスターとしての能力だけでいえば、間違いなく歴代最高の少女である。
しかし、それほどの高性能さを持ってしても、狂化したバーサーカーヘラクレスの制御は楽な事とは言えない。それが戦闘ならばなおさらである。
事実、当初程の余裕は、イリヤからは完全に消え去っている。それに加えて、連続した魔弾の使用。おそらくガンドの域を超えたフィンの一撃だろうが、その行いによる、魔力消費。イリヤの残存魔力は半分を切っていた。
それでも、半分も残っている時点で驚愕すべきだが。
だが、横島にとってはそれで十分。横島の狙いはあくまでも魔力を消費させることにより、疲労を感じさせることなのだから。
イリヤが水牢球を破れなくても、結局は変わらない。バーサーカーの戦闘能力が落ちる分、戦闘を長引かせらるから。
これが、横島の笑みの理由である。
そして、横島のもう一つの表情である苦渋さは、イリヤとある意味では同じ、玄武“クロ”の制御の難しさである。
水神であるクロは、横島の陰陽術のそれよりも、圧倒的に長けている。それは、高圧縮された水弾を連続で放つ『水連』、離れた水を操る『水蛇』はもとより、一定量の圧力を掛けた水球を中空に留め追尾まで行う『水牢球』を見れば判るだろう。
文珠を使用すれば出来ないことはないが、それぞれを並行、それも絶え間なく試行するなど、それこそ無理だ。クロと横島の術式の錬度は正に桁が違う。だからこそ、クロを召喚したのだが。
しかし、玄武となった式神を制御するのは、セイバー戦で使役した虎式とはレベルが違いすぎる。
式神ケント紙で創った式神と、十二神将クラスの式神並みには。
とどのつまり、平常においても手の余る式神を、今の状態で召喚し制御することは、横島にとって賭けともいえることだった。
それこそが、横島が苦渋の表情を浮かべさせている 原因である。
「後、五分か」
ぽつりと確認ともとれる呟きを溢しつつ、眼前の戦闘を凝視する。
そこには、俺のちっぽけな自信を粉砕させ、同時に羨望を抱かせる光景が広がっていた。
天水を浴びつつ、それを振り払うように絶え間ない連激を繰り出すセイバーとバーサーカー。
もはや爆撃と言える連激を繰り出す様は、人を超えたそれだろう。
剣と剣が衝突する度に魔力の閃光が走り、眩い花火を見ているようだ。しかし、その花火は命を火種として燃え広がっている。
花火が消えたときが命の尽きるとき、そう死ぬときだ。
しかし、剣戟という名の花火は未だ衰えることなく、街路を明るく照らし続けている。
その理由は一つ。セイバーという火種を守る存在がいるから。だからこそ、セイバーはただ、一心不乱に咲き誇ることが出来ている。
そんな姿が本当に綺麗だと思う自分が居て、戦って欲しくないのに、一緒に戦えたらと思う自分が居る。
そう。人でありながら人を超える存在と鎬を削り、皆を守ることが出来たらと思う自分が居る。
だから、たった一つの単語が、口から零れ出るのは実に当たり前のことだった。
「ずりいよ………」
ぽつりと呟きを発して、それと同時に奥歯と奥歯を噛み合わせる。
ぎち、と口内で起きた不快な歯軋りは、耳を打つ雨音でも消すことは出来ず、それがまた頭に来た。
これで、もう何度目の歯軋りだろうか。滾る頭で考えようとしたが、直ぐに止めた。
そんなもの、眼前で繰り広げられる戦闘に比べれば実にどうでもいいことだし、数える事に思考を割く事自体、現実逃避と思えたからだ。
俺とほとんど変わらない年齢にも関わらず、あれほどの超技を繰り出す存在がいるという現実が、あんなにも可憐な女の子に命を捨てさせようとした現実が、遠坂でさえ何かをしているのに、俺だけが何も出来ていないという現実が。
そんな様々な現実が、正義の味方を目指す、衛宮士郎を押し潰そうとする。
けれど、その中で一番認めたくない現実は、眼前に佇み、ただ広い背中を見せつける、横島忠夫という存在だった。
本当にあの男は何者なのだろうか。槍の英雄ランサーと白兵戦で肉迫し、剣の英雄セイバーを出し抜き、狂気の化身バーサーカーを一度殺し、なお圧倒的な術を行使し、仙亀を御す。
俺は、その“力”が、どうしようもなく嫉ましく、ぎらぎらとした視線を送っているに違いない。
今まで考えないようにしてきた、この思い。何故俺には魔術の才能がないのか。何故あの男には才能があるのか。
何故、何故、俺にはあれ程の“力”がないのか。
そんな馬鹿みたいな考えが脳髄を焦がし、思考を氾濫させ、心を例えようもないほど乱れさせる。
その思いが狂おしいほどの奔流を持って、俺の涙腺から迸る。止まらない、否、止められない。この悔しさは止められない。
「………ちくしょう」
嘘偽り無い気持ち。
横島の力に嫉妬し、自分の非力さに嘆き、涙を流す。でも、だからこそ俺は諦めれない。
だって、本当に正義の味方がいたのだから。嫉妬し、妬みもするが、認めるしかないなのである。
横島忠夫は、“正義の味方”としての“力”を持っていると。横島のおかげで、未だ遥か彼方の山頂がちらりとだが見えた気がする。
けれど、理屈で判っても感情としては納得いくわけも無い。その証拠が止まらない涙であり、歯軋りなのだ。
そんな自分がひどく滑稽に思え、多分に冷えた頭で雨が降ってて良かったと、絶え間ない戦闘のさなか、そんなどうでもいいことを考えた。
「はっ。ふうー」
昂ぶる呼吸を横島は懸命に抑える。
凛から文珠を使用した魔力供給を受け、それなりに回復したとしても、俄然足りない。
学校でのランサーとの死闘、その後のセイバーとの戦闘に加えて、止めにバーサーカーとの持久戦。
一流の魔術師である凛がマスターでなかったら、間違いなく魔力は枯渇して既に挽き肉と化していただろう。
だが、既に凛の魔力も底を付き魔力供給は切れている。このまま戦闘を続ければ殺されることは間違い。
そう。このまま続ければだ。横島の課したタイムリミット十五分。時は満ちていた。
横島は印を組んだままに、左小手に魔力を集中させる。
バチバチと再度横島の腕に魔力が収束する。腕から発生する音は、つい先ほど聞いた魔力が超圧縮される音だった。
やがて、先の『弧月』を創った時よりも大分遅れたが、同じようにパキンとガラスが割れた様な音がすると、横島の左腕には雪乃丞が纏う魔装術の様な、スリムな籠手、『朔光』が嵌められていた。
それは、彼が使う臙脂色の魔装術の籠手部分とは対照的に、横島のそれは紺色。昏い朝焼け前の夜空の様な色だった。
双方の似通っている点を上げるとするならば、両方共に暗い色彩だということだろう。
これは、横島が雪乃丞の魔装術を模倣したゆえの類似点だった。
やがて、横島は印を組むのを止めると、腰を落とし左半身になる。すぅーと深く息を吸い込むと左脇に収めた左腕に気を集中させた。
その姿を見て誰もが怪訝な顔をする。横島の構えた姿はどう見ても、左正拳突きを打つ姿勢である。
魔術師であり、拳法のイロハを知らないイリヤでさえ横島の次の行動が予見できた。
最速でバーサーカーの懐に入り、拳打を放つ。頑強そうな武具を嵌め、構えがそれだったら、他に手はないだろう。
故にその一撃必殺を期する構えはどう考えても愚策でしかない。これがバーサーカー以外の相手だったら、まだ判る。
皆が予想する通り、先に必殺を決めれれば、横島の勝ちなのだから。
だが、対するはバーサーカー。クロが放つ水弾を弾き、セイバーの剣旋すら無効化する規格外の“鎧”を持つ相手である。
『弧月』では命を断ち切ったが、本来攻撃というより防具として使われる籠手である『朔光』では無理ではないだろうか。横島の背を眺める、士郎やマスターである凛でさえ無謀だと感じていた。
よしんば“鎧”を打ち貫いたとしても、バーサーカー最大の脅威たる『十二の試練』命のストックがある。
一度命を打ち貫いたとしても、バーサーカーは死にはしない。
むしろ、バーサーカーにとっては、そっちの方が有難い。一つストックを失うだけで横島とセイバーを殺すことが出来るのだから。
だが、必殺の構えを取ったのは他の誰でもない横島忠夫である。
かつて、月での戦いの折に魔族であるジークフリードや、ワルキューレにえらい言われ方をした、美神を師とし彼もまた反則的な方法で生き延びてきた。
故に、横島忠夫が切羽詰ったこの状況において、容易く見破られる行動をとろう筈がない。
だから、今度もそれが当たり前のように、横島は反則技を行使する。当然皆の思惑の斜め上を行く形で。
横島が印を崩し構えてから早三秒。鼓動は早く彼は静かにタイミングを計る。
バーサーカーの動きを予測し、そこから展開されるセイバーの行動をも読む。横島の思考は四手先が好機だと告げていた。
一檄、二激、三撃。ここだ。
「セイバーっっ!!」
横島の叫びを受け、セイバーは先の要求通り有らん限りの力でバーサーカーの斧剣を弾き飛ばす。
今までで最硬の音が響き、次いでセイバーは体制が崩れるのをお構い無しに横に飛び跳ねる。
それは、正に凛の忠告、横島の求めた最高の行動だった。
バーサーカーにとっての一秒にも満たない空白。それが、文字通り生死を分けた。横島がセイバーの名を叫び、セイバーが回避行動に移る。それを待たずして横島の必殺は始まっていた。
狙うは時はコンマの世界。セイバーの回避を見てからでは、その世界に入り込めない。だから、横島はセイバーの安全を待たずして行動を起こす。
セイバーをも殺す可能性を秘めた動きを。皆を助けたいが為に。だが、これでセイバーを殺したとしても横島は悔恨こそすれ後悔はしない。
本当に護りたいモノは、横島にとっての一番はセイバーではないのだから。しかし、あくまでも横島の目指すところは全員の生還なのだ。
その考えが偽善ということは、矛盾しているということは、あの“選択”をした時から身に沁みて判っている。
けれど、それでも捨てる訳にいかなかったこの思い。横島はその思いを強く噛み締め、右足を強く踏み込む。
そして、真名の宣誓と共に左腕を“撃”ち出した。
「ブロークンマグナム!!」
それは光無き彗星。
濃紺色に染まった弾丸は、亜音速のスピードをもって夜の闇を切り裂いていく。
回転する左手からは激しく血液が噴出しており、赤き螺旋を中空に刻む様はミサイルといっても過言ではない。
先に埋め込んだ『接』の文珠を『放』に変じさせ、突きの運動エネルギーまで加味された一撃は大型拳銃マグナムの名に相応しいものだった。
弾丸の余波は、回避するセイバーの頭を掠め、髪を束ねていたリボンを弾き飛ばすと、ドンという鈍い音を叩き出す。
セイバーは、多少揺さぶられた脳を瞬時に気付け、目線を衝撃音のしたほうに向ける。
視線の先、バーサーカーの左胸には紺色の棒が突き刺さっていた。
その光景を見て、セイバーに歓喜の念が浮かび上がる、ヨコシマの左手はバーサーカーの鎧を突き破ったのだと。
だが、緩みかけた頬は瞬時に厳しいものに戻る。気付いたのだ。今の攻撃は必殺に成っていないことに。
事実横島の左手は確かにサーヴァントの核がある左胸に突き刺さっているが、核である心臓の位置とはずれがあり、さらに手首までしか埋もれていなかった。
横島の渾身の一撃は、バーサーカーの野性の勘とも言うべきものに邪魔され刹那の差で必殺には至らなかった。
「くっっ!!」
横島の策が失敗したことを悟ると、セイバーは瞬時に地面を蹴りなおす。
しかし、遅い。横島の“ブロークンマグナム”の衝撃を受け二メートルは後退しているが、相手はあの化け物。
二メートルというは距離は有って無きものだろう。間合いが離れたとは言いがたい。
その上、セイバーは“ブロークンマグナム”の余波で未だ脳の揺れは収まってはおらず、体勢すら整っては居ない。バーサーカーの狂眼を感じ、セイバーは自身がミンチになる光景が脳裏を過ぎる。
だが、それは杞憂。何故なら横島の必殺は常に二段構え以上なのだから。
「ダブル!!」
後ろから横島の叫びが鼓膜を叩くのと、眼前のバーサーカーが再び吹き飛ぶのはほぼ同時だった。
え?とセイバーは疑問の単語を溢す。今自分は何も見えなかった。それなのになぜバーサーカーは吹き飛ぶのかと。
訳も判らず、セイバーは、とにかくバーサーカーの胸を凝視する。と、そこには穿たれた杭とそれを押し込こむ右腕が見て取れた。
それを見て、ああと漸く疑問が氷解する。杭をより深く打ち込んだ魔手は透明だったから。
はらはらと降り注ぐ雨と同一の物。つまりは、二度目の弾は水で構成されていた。
平常の時ならともかく、夜であり雨に濡れ視界さえ悪く、脳さえ揺れた状態ではさしものセイバーも“栄光の水”は捉えきれなかったようだ。
「■■■■■■」
バーサーカーの叫びが皆の耳を打つ。
横島の左手はバーサーカーの鎧を破ることに成功した。さらに“栄光の水”を使い、先に突きこませた杭を最後まで打ち込んだ。
だが、そこまでやってもバーサーカーは死ななかった。後二十センチ右に刺さっていれば心臓を潰せただろう。
横島の狙いは完璧だった。霊眼でバーサーカーの心臓を見切り、撃ち出した弾丸もイメージ通り射出できた。
なのに外れた、バーサーカーの野獣の如き危機回避によって、その弾が致命に至らぬモノだったなら反応しなかっただろう。
しかし、横島の左手は明らかな致命。故に反応したのだ。数多の危機を凌いできた心眼(偽)というスキルが。
危機は去った。初撃と二撃で計三メートルは後退させられたが、そんなもの間合いを開けたとは言えない。
その証拠に多分に反らされた上体を前屈させ、バーサーカーが直ぐにでも前進しようとしている。
だが、その戦車を思わせる突進は横島の呟きに止められた。
「ブレイク」
ドム。とくぐもった爆発音が木霊する。
それでセイバーは確信した。横島の必殺は完遂されバーサーカーは二度目の死を迎えたのだと。
魔力を超圧縮された籠手『朔光』。その圧縮された魔力は解放されバーサーカーの“鎧”の内で無造作に暴れまわった。
外面に異常はなくともその内面。バーサーカーの体内は核である心臓もろともぐちゃぐちゃにされていた。
ずぼりと横島は“栄光の水”を使い弾丸であり爆弾となった左手を引き抜く。そして、引き抜かれた左手と交差するようにして、横島最後の策。クロという名の砲弾がバーサーカーの巨体を吹き飛ばした。
死んだ事により数瞬無防備になった巨塊を、三メートルもの助走を付けた玄武クロの体当たりは、容易くマスターであるイリヤの元まで押し遣ることに成功した。
それと同時に、クロはばしゃあと元の水に戻る。一先ずクロの役目は終わったから。横島は一度目を伏せ、クロの制御を手放した。
その隙にセイバーはマスターである士郎の下に戻り、追撃の意思を確認する。
主人の元まで吹き飛ばされ、今度こそ間合いが完全に開いたが、バーサーカーの体は未だに鬼気に覆われていた。
マスターである、イリヤの思念を受ければ直ぐにでも突進してくるだろう。
故に未だ気は抜けない、確かに分断には成功したが、イリヤの戦闘の意思の有無は確認出来ていないのだから。
「イリヤちゃん。冗談抜きにそろそろ帰って欲しいなあと思うんだけど」
左手を文珠で再度接合し直し、ぐっぐっと調子を確認しながら問い掛ける。
はっきりいって此処からが本当の正念場だ。マスターである凛ちゃんの魔力はもうすっからかんだし、俺も勿論ない。
今度バーサーカーに吶喊されたら、間違いなく殺される。そりゃあ凛ちゃん達を逃がす位は出来そうだが、俺は助からんだろう。
だからこそ、口手八丁使いイリヤちゃんを煙に巻かねばならん。そうせんと俺死ぬし。
「それこそ冗談よ、ヨコシマ。私のバーサーカーを二度も殺したのに許されると思ってるの」
「………ま、そりゃね。けどさ、俺既に今夜だけで三戦目なんだぜ。その疲弊した相手に狂化まで使い、嬲り殺しにするのは酷くね」
若干どころか怒り心頭のイリヤちゃんを宥める様に、同情する様な穏やかな声で返す。
因みにここでの同情とは俺自身へも含まれている。何で一般人上がりの俺が、こんな化け物と戦わねばならんのじゃー。ということだ。
「あら、それはついてなかったわね。でも、これは戦争なのよ。自身の調子が悪いから退いてくれって言うのは都合が良すぎると思わない?」
言外に二回も殺しておいてって言うのを含ませながら、凛然とイリヤちゃんは言う。
うむ。全く持って正しい。
実際、俺がイリヤちゃんの立場なら既に殺し取るだろうしな。実際のところ、現時点で俺の最優先課題は、凛ちゃんの命。次いで俺の命だ。そして、三番目が聖杯の獲得。それを行う上で後の障害と成るものは、出来るだけ早く排除することに越したことは無い。
にも関わらず、こうやって会話をしている時点で、何処と無くイリヤちゃんは聖杯戦争への本気というか、聖杯獲得への意気込みというか、その辺への必死さが薄く感じられる。
多分だが、俺の方が聖杯に対する想いは上だろう。けど、それは悲観どころか歓迎すべきことだ。何故なら、その甘さで、生き延びることが出来ているのだから。
そう。俺は何がなんでも生き延び聖杯を手に入れなきゃならん。俺の唯一つの願いのために。絶対にだ。
それを成すためなら、俺は悪人に為ることすら厭わない。俺の願いの為に。
「俺だって今の発言はずりいと思うよ。けど、さ。本当にイリヤちゃんはそれでいいのか?」
「………どういうことかしら」
「ここで、俺。横島忠夫を殺して良いのかということさ」
「貴方の言う意味がわからないわ。これは聖杯戦争なのよ。勝利するために、ここでリターナーとセイバーを殺すことが悪いなんて。むしろ、今殺さないほうがよっぽどおかしいわ」
「そうだな。だけど聖杯戦争が始まってから、一夜すら明けてないんだぜ。今メインディッシュを喰ったら後々つまらない展開になるぞ。間違いなくな」
「あら?英雄でも何でもない唯の男が、世界中の英雄が集う聖杯戦争のメインだなんて、ずいぶんなことを言うのね」
「当然だろ。俺は遠坂凛が召喚したサーヴァントなんだぜ。なら、俺がメインじゃないのはそれこそミステイクだ」
「くすっ。よく言うわ。何の偉業も成しえていない男が多数の英雄の中でのメインだなんて」
よし、つかみはオーケー。
どうも、イリヤちゃんは英雄か英雄ではないかに重きを置いとる。そんなもの、戦いが始まったら意味など無いというのにだ。
けどまあ無理もない。自身のサーヴァントが英雄の中の英雄。“ヘラクレス”であり、それに加え多分イリヤちゃんの実戦は今回が初めてだ。
実戦をこなしておらず、本当の意味での自信を持ってないのなら、それを支えるのモノは御三家という誇り。そして自身のサーヴァントの功績だろう。
その支えを格下と思っていた俺に、多少とはいえ崩されたのだ。そうなると、意固地になってもしかたあるまい。これが、最初から同格と見ていたら、こうはならかっただろうけど。それが思考の幅を狭めることになり、視野狭窄を起こすというのに。
イリヤちゃんはその事に気付いてない。そして、それこそが俺の論破点となる。
「うーむ。やっぱ、冥界の番犬ケルベロス退治くらいじゃ偉業にはならんか」
「あ、あなた。私のバーサーカーが遺した十二の難行の一つである、ケルベロス退治をやったことがあるの」
「まあ。流石にどこぞの英雄さんみたいに素手ではなかったけどな」
「嘘よ。だって貴方は現代の人物なんでしょう。ケルベロスを御したなんて事、アインツベルンは知らないわ!」
「そりゃそうだよ。ケルベロスは冥界の番犬なんだぜ。人間界に居るわけがなかろ」
「――――そうだけど」
第二作戦成功。
先程までの凛然とした様子はなりを潜め、今のイリヤちゃんは年相応の少女にしか見えない。
俺の言葉によりイリヤちゃんは動揺し、確実に気勢を削ぐことに成功した。
そりゃ、今まで舐めていた相手が、己の誇りと同じ事をしていたと聞けば、動揺せんはずがあるまい。
といっても、俺の言った偉業っつうのは、バーサーカーの十二分の一以下だが、やはり“ケルベロス”のネームバリューは凄まじいものがある。
まさか、じじいが課した修行がこんな所で役に立つとは。
正に、人生万事塞翁が馬。並行世界に飛ばされてまで、この言葉を使おうとは、俺の人生っていったい。
ともかく、あれは、あのクソじじいの一言から始まったのだ。「お主もワシの弟子を名乗るからには、番犬位のしてみんか」それが、地獄への案内状だった。勿論比喩ではなく、言葉通りだ。
というかだな、いくら自分が東洋の冥府の王(厳密には違うが)たる、閻魔大王を脅しつけた事があるからって、俺達は一応人間だぞ。
いや、それよりも、あのマザコンバトラーが乗り気になったのが、そもそもの。いや、いや、やはり素敵少佐が、実に素敵な笑顔で胸を押し付け、「お前なら、やれる」なんて男心を擽る発言をかましてくれたのが、やっぱり決め手だろうか。
でも、仕方ないよな男なら。否、漢なら。だって、あの胸は反則ですよ、もうなんちゅうか巨乳で美乳で魔乳みたいな。あの胸を前にしたら、敗北宣言を掲げるしかないとですよ。しいて言うなら、ビバ!巨乳みたいな。
まあ、その後、小竜姫さまに目一杯ぼこられたが。けれど、小竜姫さまの胸も、それはそれで十二分に素晴らしいので、実に難しい問題ではある。うん。
因みに、ハデスさんは元から冥界の王だっただけに、デタント賛成派の魔神だったりする。
――――――――閑話休題。
大幅にずれた思考を正し、再度イリヤちゃんを見詰める。
気持ちを揺さぶる事は出来たが、次の一手で、プラスに傾くか、マイナスに傾くかが決まる。揺れ幅が大きいだけに、今まで以上に慎重にいかねば成るまい。
マイナスに落ち、逆切れされたら、完璧アウトだから。
しかし、あの感触を思い出し、俺は魔力がちびっと回復したのだ。ホント、素直にシリアスを展開できない己の精神が憎らしい。
「なあ、バーサーカー。あんたは覚えてるだろ。狂気に身を侵されようと、あの番犬のことは記憶に刻まれてるはずだ。見るものを石にするかの如き三対の真紅の瞳。ダイヤモンドですら容易く粉砕する牙。名のある名剣すら生易しい切れ味を持つ爪。そして何よりも、地獄の亡者すら脅えさせるあの焼き尽くす様な覇気。あいつと一度でも相対したことがある奴なら解るだろ。今の言葉が妄言か否か」
「――――――――」
俺の真摯な言葉を受け、一瞬とはいえバーサーカーの瞳に理知的な光が宿る。
並行世界のケルベロスだからもしかしたらという懸念があったが、問題はなかったようだ。
けど、本当にバーサーカーが真の英雄というか戦士で助かった。理性を抑えられ純粋な殺戮マシーンとなっているにも関わらず、俺の下手くそな身振り手振りでケルベロスと戦ったということを共感してくれるのだから。
しかし、世界は違えどあの番犬を素手で捕らえるって、あんた。
その事実で、本当にバーサーカーの異常さが良く判る。だって、あの時の俺がケルベロスに勝てたのは冗談抜きで運だ。確率で言えば十回に一回の勝利。
一応止めてくれる奴はおったが、並行世界的に考えると、多分死んだ横島忠夫の方が多い筈だ。ようは、それ位ぎりぎりの勝利だった。
……バトルジャンキーは実に嬉しそうだったけど。
だからこそ、十二の難行の一端を知る者としては、本気でアンタに敬意の念を払う。
神の傲慢により自身の手で愛する妻子を殺し、それに屈することなくあれほどの難行をこなすなんて、俺には無理だ。
だから俺はバーサーカー、アンタを尊敬する。ただ、五十人もの妻と一夜に契ったという事実は、かなりムカつくけどな。
「……………」
マスターであるイリヤちゃんには俺の話が真実だと、サーヴァントを通して確信したのだろう。
バーサーカーと俺の間を視線が交互に行き来している。当然俺はその隙を逃すことなく王手を掛ける。
「ついでに言うとだ。今の疲労困憊な状態なら百パーセント殺される自信はあるけど、魔力全開、気合充分な時なら百パーセント俺が勝つぞ」
「た、大言もそこまで言うと笑えないわよヨコシマ。確かにケルベロスを倒したのは本当かもしれないけど、コイツはそれと同等の難行を他に十一もこなした、大英雄なのよ。そいつに勝つですって。たった一つの難行をこなした位で調子に乗らないで!!」
いや、全くです。普通に俺は調子に乗ってます。
だって俺がバーサーカーと同格だなんて、それこそ神を恐れぬ所業だぞ。
さっきのケルベロス云々は本当だが、これは全くのハッタリ。つうか、嘘っぱちだ。
俺がバーサーカーを後十回も殺すなんて。そんな馬鹿げた行為は、間違いなく無理。それはもう、美神さんが脱税を止め、清廉潔白な生活を送る位には無理だ。
美神さんを知っている人になら、今の表現でどれだけバーサーカーを十回も殺す事がどれほど困難か判ってもらえただろう。
だって、セイバーが前衛をこなし俺の切り札、四神を召喚したのにも関わらずやっとこさ一回であり。その前だって、運である。
―――――うむ。冷静に考えられたら簡単にハッタリは見抜かれるな。
故に、当然動揺が収まらぬうちに詰みにかかる。
「だからさっきから言ってるだろう。ここで俺を殺してもいいのかと」
「―――――っっ」
「見たくないか?イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが召喚した、“最強”のサーヴァント『バーサーカー』。そして、遠坂凛が召喚した“最高”のサーヴァント『リターナー』。この二人の全てを掛けた殺し合いを」
「………それは」
イリヤちゃんは軽く俯き、悔しげな声を漏らす。
それを見て、俺は詰んだ事を確信した。その瞬間、心内で喝采を挙げる。
今回も横島忠夫は生きて帰れそうであります。心の片隅でいたいけな少女を騙しやがってと、ブーブー罪悪感が文句を言っているが、そんなもんは無視。生存できることに比べたら、罪悪感など塵に等しい。
それにほら、俺今夜だいぶ頑張ったしね。だから、そのー、許して貰えると思いたい。
後は、シリアスに会話を続けたら、問題なくバーサーカー戦は終了するだろうが、そうはいかない。
何故なら、俺が格好良過ぎるから。このまま「キャー、横島かっこいー。惚れるわー」て感じに終わっても良いのだが、それだと、俺が考える作戦が五割しか達成できんことになる。
それは、まずい。イロイロと。という訳で、最後の仕上げといきますか。
「つうか、ここで了承して帰らんとたぶん間違いなく後悔するぞ」
「なぜ?」
「ふっふっ。それはな」
にやりと物凄い悪役笑いを行い、俺は懐からあるモノをゆっくりと取り出す。
因みに、俺は懐に何も入れてはいない。唯単に懐に入れた方の掌から、『蔵』の文珠を取り出し、文珠に収められた物を取っとるだけで、懐に手を入れる意味は無いのだ。
理由があるとすれば、何となくそれっぽいからである。俺としては、腰の後ろとか襟の裏とかから、ばばーんと取り出したいが、流石にそれは諦めた。
んで、今回俺が何を取り出すかというと、俺のある意味では文珠をも超える切り札であり、同時にお守りでもある。
何度俺は、これに命を救われたか。何度これに精神を癒されたか。
それは、俺が俺である証。これがあったから、俺は横島忠夫でいれたという確信がある。
それほどまでに、これには思い入れがある。それを、まさかこんなにも早く使用するなんて、全く持って予想外だ。
だが、俺はそれを使う。そこに一切の後悔は無く、俺は数多くの煩悶を抱え込み、丁重に丁重にそれを眼前に広げた。
俺が取り出した切り札を見て、イリヤちゃんはぽかんとし、バーサーカーからは鬼気が消えた。
それと、時同じくして、俺の真後ろから、サーヴァントと見違えるほどの怒気が噴出する。無論、振り返りはしない。振り返った瞬間が俺の命日だからだ。
数瞬の空白の後、ぽつりと、イリヤちゃんが口を開いた。
「それって、まさか“下着”なの………」
その言葉の端端からは、怖れと呆れが伺える。
ふっ。全く持って予想道り。
まさかここで女性の下着を出すとは考えまい。俺の親友達なら判るかもしれんが、初対面のイリヤちゃんは完璧に予想外の筈だ。
誰が思う。常に女性用の下着を持つ男がいるなんて。しかも、それが英霊と張り合える男が持ってるなんて。
それこそお釈迦様でも気付くまい、もはやそんなノリである。
これで、百パーセント確実に戦闘は回避された。そう、シリアス空間がギャグ空間に変貌したのだ。
流石は、俺の切り札。その効力は空怖ろしいものがある。因みに、これは凛ちゃんの物ではない。俺の元祖主人たる、美神さんの物である。まあ、そんなこと今の凛ちゃんに判る筈はないが。
「その通り。俺の煩悩集中に必要なアイテムさ。―――しかもな、この下着は“赤”いんだぜ」
「まっ、まさか、その効力は“三倍”なの!!」
心底驚いているイリヤちゃんへの答えは、親父くさい渋い笑みで返した。
つうか俺も驚き。何で外国人であり魔術師の筈のイリヤちゃんが“赤”は“三倍”なんて知ってんだよ。
けど、イリヤちゃんには悪いが、赤ということでは三倍にはならない。流石に俺も其処までは外れては居ない。………筈だ。
まあ、それはさておき。上手いことシリアス空間をギャグ空間に変化させたお陰で、全身を苛む筋肉痛つうか魔力痛が少しではあるが引いてきた。
因みに、これは俺が生粋のギャグキャラという証明ではなく、生粋の煩悩者という証明である。
正直自分の在り方に疑問もなくは無いが、こればっかりはもう諦めている。だって、実際に体が楽になってきてるんだもん。
眼に込み上げて来る、心の奔流はきっと涙なんかじゃないやい。
「さて、バーサーカーと戦り合う様な男が、マスターの下着を使ってチョメチョメする所をみるか。どうする、さあ、どうする」
「うぅぅ〜〜〜〜〜〜〜」
やはりな。
今イリヤちゃんは俺のことを不本意ではあるだろうが、バーサーカーと同格に見ている筈だ。
ちょっととはいえ自分が認めた男が、最低な事をするところを見るということは、認めた切っ掛けを貶めることに繋がるだろう。
そうすると、認めた切っ掛けである己のサーヴァント、バーサーカーを貶めることになる。
それを回避するには、誇りを貶めようとする対象を排除するか、さっき俺が言った様に帰るかしかない訳だ。
けれど、さっきまでの会話の流れから俺を殺す事は排除される。しかし、素直に帰るのも何となく悔しい。
ようは、帰りたいけど帰れないというジレンマが起きているのである。
尊敬する存在を貶す様なことは本当はしたくないが、これをせんと俺の作戦が五割方しか達成されねえのだから仕方ない。
男と女どっちを選ぶかと聞いたら、俺は間違いなく女を選ぶ。要はそういう事だ。だから悪いな、イリヤちゃんにバーサーカー。
「仕方ない。時間がないからもういくぞ」
「あっ、うぅーー」
イリヤちゃんの悲痛な声が、俺のグラスハートをガンガン叩く。
これが野郎相手なら何とも思わないが、イリヤちゃんみたいな少女だと実に応える。
だが、しかしここは心を鬼にして接するしかあるまい。
つうか、本物の鬼は直ぐ後ろにおる。実際問題、時間がないとは比喩でも何でもなく本当の事でもある。その一つは、イリヤちゃんが逆切れする可能性。
そして、もう一つは、
「ほんじゃ、いくぞ。煩悩」
俺の敬愛するマスターがぶち切れて、攻撃してくるまでの時間である。
「全がいっっ!!」
物凄い衝撃が俺の内腑を抉る。
具体的に言えば、槍のように研ぎ澄まされた衝撃が俺の肝臓を貫いたのである。
自業自得ということで、化勁も使っていないからすんげぇー痛い。ボクシングのレバーブローに頸まで使い、中身まで壊そうとするとは、あんたはホントに魔術師かと、冗談抜きに問い詰めたい。
つうか、俺の足浮いてるし。
「ガゼルっっ!!」
顎から脳天まで雷でも貫通した様な、目を眩むような衝撃が俺の脳みそを突貫する。
勿論、目も眩むようなとは比喩でもなんでもない。本当に目が眩んだのだ。
一瞬膝を曲げそして伸び上がる反動と共に右拳を打ち出す、努力家な彼が使うあのパンチ。まさか体得しているとは思わなかった。
そりゃ、中国武術にも似たような奴はありますけど、魔術師、しかも女性でこれを会得しているってどうよ。この考えは、俺の偏見か?
しかし、一応鍛えてある成人男性を、魔力も何も通してない純粋な体、そして体術で縦に一回転させるなんて、今度からは彼女を間違っても魔術師と呼んではいけない。最早武道家と呼ぶべきである。
けど、レバーで頭を下げさせた所にあのパンチをコンビネーションで打つなんて、本気で洒落にならん。
まあいいか。これで終わりだ。俺の顎は元より凛ちゃんの拳が気になるが、これで終わりなのだから気にするまい。
ダン!!
あれ、なに凛ちゃん右足踏み込んでんの、震脚でアスファルト割れてますよ。
しかも左懐に両手を収めてるし、それってあれじゃん、胡蝶掌。判りやすく言えば、かめはめ波。平八さんが使えば剛掌波。
もっと言えば、空中コンボでさえある。当然狙いはあそこだ。人体急所の一つ水月。もう笑っちゃう位に殺るき満々です。はい。
「――――――――っっっ!!」
もう、声さえ出ません。
綺麗に俺の水月を捉えた一撃は、容易く、決して軽くない俺の体を吹き飛ばした。
因みに、俺の体は地面と水平になっていたりする。幸い凛ちゃんが未熟だったために内気ではなく外気になりこうして、空を飛べている訳だ。
気合をいれ首を左に捻ると、唖然としているセイバーと衛宮の顔が見える。
次いで根性で首を右に捻る。その視線の先には、セイバー達と同じ様に、いや、より一層ぽかんとしているイリヤちゃんの表情が見て取れる。
これで、取り敢えず作戦は終了。凛ちゃんを怒らせすぎたのが予定外だったが、他は合格といったところだろう。後は凛ちゃんが締めてくれるに違いない。これで、俺の仕事は終わりだ。
コマ送りな視界を天上に戻すと、俺は満足気に口元を歪め、二度目の粉砕音と共に、数秒の闇に囚われた。
その脳裏に『セイバーと同盟を組んで、片っ端から極楽に送ろう大作戦』〜人はそれを数の暴力という〜そんな、至極真面目な作戦を描きつつ。
おまけ。
「ブロークンマグナム!!」
信じられない。あれは俺が夢見た存在の一つ。ど根性な勇者王が使う技じゃないか。
だから、それを見た俺の口から、たった一つの単語が零れ出るのは、実に当たり前のことだった。
「ずりいよ………」
衛宮士郎は“ブロークンマグナム”という単語を、大事に心に仕舞い込んだ。
あとがき
暑中見舞い申し上げます。
春風は忘れ去られ、代わりに太陽が風流を醸し出す。
ああ、なんと時間の経つのが早いことか。約半年ぶりに顔を見せた、とんでもやろう、俺の戯言。要約すると、本当にすみません。
ええと、とりあえずバーサーカーとの初戦はこれで終わりです。
何!横島強すぎ、もはやオリジナルじゃんという突っ込みが多々聞こえそうです。しかし、中盤はきっと驕る平家は久しからず、そんな言葉が聞こえてくるでしょう。その、何が言いたいかというと、これからも宜しくお願いします。
ここまで読んで頂き本当に有難うございました。
それでは九十九でした。