アスランが着艦すると、既にブリッツとバスター、それに損傷したデュエルは格納庫の壁際に固定されていた。
これまで諸事情によりヴェサリウスとガモフに別れていた「赤服」の四人だが、作戦伝達上の利便性などの問題もあり、本来の乗艦であるヴェサリウスに集められることになったのだ。
イージスの状態をチェックしたデータを整備員に送ると、アスランはコックピットから出た。
格納庫の出入り口で手を振っている同僚の姿が目に止まる。
イージスの機体を蹴り、その同僚に向かって飛んだ。
ふわふわとした癖のある萌黄色の髪に、ブラウンの瞳を持つ黒目がちの大きな目。
小柄な体とくるくるとよく変わる表情があいまって、その姿は小動物じみた可愛らしさに満ちている。
もっとも、追い詰められれば猫を噛むどころか、ライオンやトラを食い殺すような凄まじい一面も併せ持っているのだが、それはごく一部の人間しか知らない。
ブリッツのパイロット、ニコル・アマルフィである。
アスランがニコルのいる場所までたどり着くと、二人は肩を並べて格納庫から出た。
「戦う度に思いますけど、凄い腕ですよね、ストライクのパイロット」
廊下を歩きながら、ニコルが口を開く。柔らかなソプラノが唇から流れた。
「……うん、そうだね」
答えるアスランの表情が曇る。
できればその話題はやめて欲しかった。
別れ際に交わしたキラとの会話や、先日のラクスとの会話が頭の中でぐるぐる回っていて、胸にもやもやした物がわだかまっている。
気持ちが整理できるまで、キラの事には触れたくないというのが、アスランの心情だった。
だが、ニコルはアスランをじっと見つめ、言葉を続ける。
「『キラ』さんはいったいどんな気持ちでボク達と戦っているんでしょうね」
「知らないよ、そんなこと」
アスランの口調に苛立ちが滲む。
ニコルはやはり、それをじっと見つめていた。
更衣室に着く。
二人はドアを開けて足を踏み入れた。
付属するシャワールームからは水音。
ロッカーの一つが開け放たれ、その主の心境を代弁するかのように、赤いパイロットスーツが脱ぎ散らかされている。
「イザーク、やっぱり荒れてるみたいですね」
「そうだね」
ニコルがポツリと呟く。
話がキラから逸れたことに安堵しつつ、アスランの表情にも心配そうなものが浮かんだ。
喋りながらも、二人はそれぞれ自分に割り当てられたロッカーを開ける。
パイロットスーツを脱ぎ、インナースーツを脱ぐ。そこでアスランは視線に気づいた。
じっと自分を見ているニコルに視線を向け、戸惑いがちに声をかける。
「な、何? どうしたの?」
「……別に……」
ニコルは大きくため息を吐くと、同様に下着姿になった自分の胸元に視線をやる。
出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるアスランと違い、平坦なニコルの体つきはトップの方の下着が本当に必要なのか、首を傾げたくなるようなものである。
十五にもなってこの体型というのは、ニコルにとって非常に重大な悩み事だった。
と、二人の背後で響いていたシャワーの水音が止み、ドアが開く音が聞こえた。
タオルで体を拭きながら歩いてきた少女が、間にニコルを挟む形でアスランと並ぶ。
女性としてはそう小柄ではないアスランでも、180センチ近い長身を持つイザークと並ぶと、どうしても視線は上向きになる。
かなり小柄なニコルなど、頭一つ分以上の身長差があった。
イザークはスラリとしたスレンダーな長身から水気を拭き取り終えると、顎のラインで切り揃えられた美しいストレートの銀髪を乱暴にぐしゃぐしゃと拭き、色気のかけらも無い下着を身に付け、ワインレッドの軍服を纏っていく。
切れ長で釣り目気味の蒼い瞳も鋭い印象を与える顎や頬の輪郭も、非常に整っているはいるが中性的で、それほど体の線が出ない軍服を着てしまうと途端に性別が分からなくなる。
むしろ、中性的な美少年に見えるくらいだ。
「イザーク」
さっさと出て行こうとするその後姿に、アスランはほとんど無意識の内に声をかけていた。
イザークが無言で振り返る。
「……その……大丈夫? 怪我とかはしてない?」
「今、見たとおりだ」
素っ気無く答えるその声も、低い女声なのか高い男声なのか判別しにくい。
取り立ててて機嫌が悪そうには見えない無表情に、しかしアスランはそれ以上言葉をかけることができなかった。
そんなアスランをしばし見つめた後、イザークは黙って更衣室を出て行った。
イザークを見送ってため息をついたアスランは、そこでようやく隣にいる同僚の様子に気づく。
ニコルは中空に視線を向け、どこか虚ろな笑みを浮かべて何やらブツブツと呟いている。
「……所詮、持てる者には持たざる者の悲哀なんてわからないんでしょうね。だいたい何ですか。アスランもイザークも反則です。アスランのスタイルなんて黄金比を体現してるとしか思えないし、イザークにしたって背が高くてスラッとしてて、ボクよりも身長が20センチ以上高いのにウェストはほとんど違わないし。おまけに二人ともすごい美人だし。こんな二人に挟まれたらボクなんて、刺し身のツマにもならないじゃないですか。だいたい……」
何やら、両隣にアスランとイザークが立っていたときに見た物が、かなりのショックをニコルに与えたようだ。
アスランは思わず一歩退いた。
が、勇気を振り絞って退いた一歩を再び踏み出し、肩を掴んで揺さぶる。
「ニ、ニコル? ちょっと、大丈夫?」
「……はっ! ボクはいったい何を……?」
「どこか」から戻って来たらしい様子にほっと安堵し、アスランはニコルと共にシャワールームに入っていった。
ちなみに、20センチ以上も身長差のあるニコルとほとんどバストが変わらない、というイザークの密かなコンプレックスは、アスランもニコルもそれ以外の誰もが知らない、彼女だけの秘密である。
第11話前編 戦いの隙間:ザフト
更衣室を出たニコルは、アスランと共にヴェサリウス内に用意された私室へと移る。
クルーゼ隊に配属されてからずっと、アスランをルームメイトとして共に寝起きしてきた部屋だ。
離れていた期間はそれほど長くないはずなのだが、いろいろなことがあったせいか、随分と久しぶりに来るような気がした。
さっそく、自分のベッドに寝転がってみた。
ベッドとしてそれほど質が良いとは言えない硬い感触。
ガモフで使っていたものも同じ製品のはずなのだが、なぜかこちらの方が肌に合う気がした。
というよりも、部屋の空気自体が自分にとって心地良いような気がする。
それはおそらく、ルームメイトのおかげだろう。
何しろアカデミーにいた頃から姉のように慕ってきた相手が一緒なのだ。
ガモフでルームメイトになったイザークとは、言っては悪いが居心地の良さに天と地ほどの開きがある。
「アスラン」
しばらくその感触を楽しんだ後、ニコルは隣のベッドに転がっているアスランに体を向け、できるだけさりげなく聞こえるように声をかけた。
ずっと、聞きたいと思っていたことがあるのだ。
「ん?」
「ストライクのパイロット……確かキラさんでしたっけ。その人とアスランはどういう関係なんですか?」
「……え……?」
アスランの一瞬大きく見開かれた後、視線が宙を泳ぐ。
わかりやすすぎる反応に、ニコルは苦笑した。
「戦闘終了の間際、通信で話していたでしょう? 結構親しそうな印象を受けたんですけど」
「な、何で……」
「アスラン達が使ってた回線って、新型同士の通信に使うものなんですよ? ブリッツがアクセスできないはず無いじゃないですか」
「あ……」
「……そうじゃないかと思ってましたけど、本気で気付いてなかったんですね」
呆れ返った表情と口調でニコルが言う。
もっともニコルとしてはアスランのこういうところが嫌いではない。
あまりにも美人で有能なアスランは、こういうところが無くては近づき難くてしょうがないだろう。
「幸い、ディアッカは聞いてなかったみたいですから、このことを知ってるのはボクだけです。けど、もし聞かれてたらどうするつもりだったんですか? 内通と取られても仕方が無い行動でしたよ」
もちろん、ニコルはアスランが内通などという行為に及ぶとは毛頭思っていない。
そもそも、彼女のように良くも悪くも正直な人間にスパイなどつとまるはずがないのだ。
さーっと青ざめていくアスランの表情を見ながらニコルは、本当に肝心なところで抜けてるんだから、とため息を吐いた。
「心配しないでも、このことを報告するつもりはありません。でも、事情は教えてもらえませんか。ボクもあのキラさんという方のことは気になりますから」
ニコルの言葉に、アスランはほっと安堵の息を吐き、そして訝しげな表情を浮かべる。
「ありがとう、ニコル。でも、何で?」
「実は、ボクは一度キラさんに命を救ってもらったことがあるんですよ」
アスランの言葉に、ニコルは軽く微笑んだ。
「アルテミスを攻めたときのことです。ボクはミラージュ・コロイドを使って『傘』を抜け、その発生装置を破壊した後、宇宙港の奥まで攻め込みました。そこで『足付き』を発見して、出撃してきたストライクと戦闘したんです」
目を閉じ、その時のことを思い出しながらニコルは語る。
「すごく強くて、何をしても通用する気がしませんでした。当然ですよね。三対一でも勝てないのに、一対一じゃ勝てるわけがありません。ボクは必死で応戦しながら逃げる隙を探してたんですけど、そんな隙もありませんでした。そうこうするうちに追い詰められて、もうダメだ、と思ったときに通信が入ったんです。『お前らの攻撃で、もうすぐこの要塞は爆発する。逃げろ。巻き込まれるぞ』ってそれだけ一方的に言って、ブリッツを蹴り飛ばした後、艦に戻って行ったんです」
「キラがそんなことを……」
「はい。だからボクには、どうしてもストライクが敵だと思えないんです。ミゲルとエドの話を聞いてからはなおさらです。教えてください、アスラン。キラさんと言うのは、いったいどんな人なんですか?」
ニコルの言葉を聞き終わっても、アスランは反応しない。
何かを考えているようなその様子に、ニコルは辛抱強く待つ。
やがて、アスランはその形の良い唇を開く。
「キラは……キラは私の幼馴染なの。幼馴染で、大事な親友」
ニコルはアスランの表情を注意深く見やりながら聞く。
幼馴染ならば筒井筒の仲という可能性もあるが、アスランの表情を見る限りそれは無さそうだ。
その表情はラクス・クラインについて語る時とそっくりで、恋愛感情の類は読み取ることはできない。
「ということは、『足付き』がラクスさんを解放したのはキラさんの口添えがあったのかもしれませんね」
「え?」
「だって、アスランの幼馴染ということは、ラクスさんの幼馴染でもあるんでしょう? あれだけの戦力になっているストライクのパイロットなんですから、発言力が無いわけありませんし」
「ああ、ごめん。少し言い方が悪かった。キラもラクスも私の幼馴染だけど、二人の間に面識は無いの。私が一時期身分を隠して月の幼年学校に行ってたのは知ってるよね?」
「ええ」
「キラは幼年学校時代の友達で、ラクスはそれ以前にプラントで暮らしていた時代の友達なの。だから、ラクスが『足付き』に救助されるまで面識は無かったはず」
「そうなんですか」
「うん。まあ、『足付き』で会った時に意気投合しちゃったみたいだけど」
言ってアスランは小さくため息を吐く。
「私にはあの二人が分からない。私の知ってるキラは優秀なのにぼーっとしてる平和主義者のお人好しで、私の知ってるラクスは運動音痴だけどいつも穏やかに笑ってる癒し系。二人とも率先して自分から動くような性格じゃないし、ましてや戦ったりなんてできるはずないのに。なのに、あの二人は何かを始めようとしてる」
「『戦わずに済む新しい世界を作る』そう言ってましたね、キラさんは」
呟き、ニコルは考える。
戦わずに済むとは、誰と誰が?
普通に考えればアスランとキラが、だ。
だが、そもそもアスランとキラの間には戦う理由が無い。
キラがプラントに来ればそれで良いのだから。
それにも関わらず、キラは地球軍に協力し続けている。
なぜ?
ニコルは顔を上げ、同様に考え込んでいるらしいアスランに言葉を投げる。
「アスラン。キラさんがなぜ地球軍に協力しているのか、詳しいことを知りませんか?」
「『足付き』にはキラの友人が乗っていて、それを守るためにって言ってた。『俺は守りたいだけであって戦いたいわけではない。ザフトのこともアスランのことも敵と思ったことはない』とも」
アスランの返答を聞き、またニコルは考える。
友人を守るため。
それだけのためにキラは地球軍にいるというのだろうか。
それは違うような気がする。
もしそうだと仮定すると、『新しい世界を作る』という言葉は相応しくないように思う。
何か見落としてはいないだろうか。
う〜ん、と唸りながらニコルは頭を捻る。
そして思い出した。
キラは確か、ヘリオポリスの民間人だという話ではなかっただろうか。
ヘリオポリスと言えばオーブの資源衛星である。
オーブは現在では珍しい、ナチュラルとコーディネーターが共存する国家だ。
今までニコルは、コーディネーターであるキラの友人はコーディネーターだろう、とプラントで生まれ育った第二世代らしい先入観に基づいて考えていた。
だが、キラの言う友人がナチュラルだとしたら?
いや、それだけではない。
「アスラン。もしかして、キラさんは第一世代ではありませんか?」
「うん、そうだけど……」
ニコルの確認にアスランが頷く。
「やっぱりそうですか」
得心がいったようにニコルも何度か頷いた。
おそらくキラは、ナチュラルである両親や友人達と、コーディネーターである親友のアスランや意気投合してしまったというラクスの間で板挟みになった状態なのだろう。
そうして板挟みになったキラの出した結論が『新しい世界を作る』なのだとしたら、それが目指すものはおそらく……
「……すごいことを考える人ですね、キラさんというのは」
ニコルは思わず口に出して呟いていた。
確かにそれが最善なのだろうが、そう簡単にできるものならば誰も苦労はしない。
今までいくつもの解決策が練られ、その全てが失敗してきたからこそ、現在のこの戦争がある。
それをたった一人、否、二人で覆そうと言うのだろうか。
『今の世界』に真っ向から喧嘩を売る行為をやってのけようと言うのだろうか。
「……どうしたの、ニコル?」
「いえ、キラさんとラクスさんが何を企んでいるのか、考えていたんです」
呟きに反応したアスランに、ニコルは自説を披露した。
「……やっぱり、ニコルもそう思う?」
ニコルの考えを聞き終えたアスランの返答は、そんな同意だった。
アスランが浮かべる、どこか困ったような寂しそうな傷ついたような表情を眺めながら、ニコルは頷く。
「詳しいことは分かりませんから、キラさんの言った通り、ラクスさんに聞くしか無いでしょう。でも、そういうことなら、ボク達にとって彼は敵じゃないんじゃないでしょうか」
「……うん、そうだね」
アスランの表情にようやく明るい物が戻ってくる。
「そうと決まれば、次の戦闘は何が何でも生き残らないといけませんね。終わったら休暇が出るはずですから、ラクスさんに聞きに行きましょう」
アスランが元気になったのを見て、ニコルも嬉しくなって微笑む。
その約束が果たされることは、ついに無かった。
「よう。何してんだ、こんなところで」
不意にかけられた声に、ディアッカはソファに身を沈めたままハンディPCに落としていた視線を上げる。
ディアッカのいるパイロット控え室の扉が開き、そこから二つの人影が入ってくるところだった。
一人は金髪にブラウンの瞳の長身の青年、もう一人は短く切った黒髪と大きな琥珀色の瞳を持つ小柄な少年だ。
二人はディアッカのところまで、ゆっくりと漂ってくる。
「ミゲルにエドか。さっきの戦闘の反省をしてるんだよ」
「………な!?」
「………え!?」
ディアッカの返答に、二人が驚きの表情で硬直する。
ディアッカの額にピキリと青筋が立った。
「……おい。何だ、その反応は?」
「い、いや、ディアッカでも反省なんてするんだなあ、って」
あはははは、と乾いた笑いを浮かべ、頭をかきながらエドが言う。
「悪かったな。どうせ俺は頭を使うのには向いてないさ。でも、俺がもう少し強かったら勝ててかもしれないわけじゃん? 情けねえよなあ」
脇で漂っているドリンクのボトルを取りストローを加えながら、再びディアッカが視線を落とした先、ハンディPCのモニターの中では、ディアッカの乗るバスターと地球軍のメビウス・ゼロが激しい戦闘を繰り広げている。
この戦いをディアッカが制することができていれば、ザフトにも勝ち目はあったのだ。
いや、まず間違いなく勝っていた。
そうすれば、イザークが落とされることも無かったのだ。
そんなことを考えていた矢先。
「まあ、イザークに良い所を見せ損ねたのは確かだな」
唐突なミゲルの言葉に、ディアッカは思わず口の中のドリンクを噴き出しそうになり、それをこらえた結果、液体が気管に入って思いっきり咽た。
「な、な、何で!?」
ゲホゲホと数回咳き込んだ後、勢い良く振り向く。
「気づかれてないと思ってたんですか?」
「なかなか上手く隠した方だが、まだまだだな」
褐色の頬を赤く染めて慌てるディアッカを、ミゲルとエドは人の悪い笑いをニヤニヤと浮かべて見ていた。
「安心しろ。イザーク本人はこれっぽっちも気づいてねえから。ちょっと前まではアスランに、今は『キラ』にご執心だからな」
「……それはそれで何か嫌だ……」
「はははは。でも、何だってこんなところでやってるんだ。自分の部屋でやりゃ良いだろうに」
ズーン、という擬音を背負ってソファの背もたれに突っ伏したディアッカに、笑いながらミゲルが聞いた。
しばしの沈黙。
訝しげな表情を浮かべたミゲルに、顔を上げたディアッカが答えた。
「部屋に戻っても、もうラスティはいないしね。ここなら通りがかったヤツに意見聞くこともできるだろ?」
軽く言ったディアッカだったが、その表情が僅かに翳ったのを、ミゲルは見逃さなかった。
「……すまん」
「……気にすんなよ。戦争なんだ。戦闘の度に誰かが減っていくのは、仕方ないことなんだ」
ディアッカの口調はミゲルに答えたものというよりも、無理に自分に言い聞かせているようだった。
「でも、そう考えると最近の戦闘は異常ですよね。『足付き』の相手をするようになってから、こっちには一人の死者も出てないんですから。多分、向こうもそうでしょうし」
重くなりかけた空気を振り払うように、エドが目の前の事態に話を向ける。
「そうなんだよなあ……」
ディアッカはエドの言葉に頷いた。自然と、ディアッカとエドの視線がミゲルに向かう。
「被撃墜四回」
「何で生きてるんでしょうね」
「悪かったな!」
先程の戦闘でもストライクに文字通り一刀両断にされ、ストライクからの被撃墜数を四に伸ばしておきながら傷一つ無く戻ってきた男は、本気で不思議そうな二人の言葉に、傷ついたように怒鳴った。
「やっぱり、『キラ』が加減して戦ってるんでしょうね」
「だよねえ。ミゲルが四回にイザークが二回。これだけ落としておきながらパイロットに傷一つ与えないっていうのは、ちょっと偶然じゃありえない」
「全くだ。おかげで俺も自信喪失気味だよ」
エド、ディアッカ、ミゲルの順でぼやき、大きくため息を吐いた。
「とりあえず、見てみる? さっきの戦闘の映像」
問いかけながらも、ディアッカは答えを待たずにハンディPCを操作する。
モニター上の映像が一度途切れ、もう一度最初から映し出された。
二人はそれをソファの後ろから覗き込む。
しばらく、三人とも無言。
ストライクの戦闘を見ていてまず目に付くのは、銃器を全く使わない独特の戦闘スタイルと、異様なまでの回避能力だ。
白兵戦主体の戦いをする、というだけならば取り立てて驚くことではない。
現在ではニコルの専用機のようになっているブリッツも、格闘戦・白兵戦に重点を置いた機体だ。
驚くべきはストライクの回避性能である。
ブリッツの場合、「当たっても防ぐ」というコンセプトのもと、PS装甲に加えて攻防一体の巨大な盾『トリケロス』が装備されている。
それが普通なのだ。
近接戦闘において被弾をゼロにすることは不可能と言って良い。
敵の攻撃が自機に到達するまでの時間が絶対的に短いのだから、それは必然である。
だが、ストライクの場合は違う。
三機がかりの波状攻撃のほとんどを回避しているのだ。
それも機動力に任せた無理な回避行動ではない。
まるで、どこにどう攻撃が来るのかあらかじめ知っているかのように、するりするりとすり抜けていくのだ。
避けきれない攻撃に対しても、決して真っ向から受け止めることはせずに、サーベルやシールドで受け流し、いなしていく。
それはまるで、見事な舞を見ているようだった。
「こうして見ると、すごく綺麗な動きしてますよね。まるで踊ってるみたいです」
「……言われてみると確かに」
エドの言葉に呟くような答えを返し、ディアッカは改めてストライクの動きを追う。
ハッとした。
「チッ。何で今まで気づかなかったんだ、俺は」
「どうした、ディアッカ?」
「ヤツの動き、どっかで見たことがあるような気がしてたんだ。それもそのはずだ。日舞の動きに似てるんだよ」
「ニチブ?」
ディアッカの言葉に出てきた聞きなれない響きに、エドが首を傾げる。
「日本舞踊のことだ。ディアッカの特技の一つでな。前にアカデミーのちょっとしたイベントで踊ってるのを見たことがあるが、確かに似てるっちゃ似てるな」
映像に見入っているディアッカに代わってミゲルが答える。
それを聞いたエドの脳裏に、一度だけ会ったストライクのパイロットの姿が浮かび上がった。
「ふーん。日本舞踊ですか。日本……そう言えば、あの『キラ』って人、確か日本刀持ってませんでした?」
「日本刀!?」
ちょっとした思い付き、程度の気持ちで言ったエドの言葉。
だが、それにディアッカが激しく反応した。
「え? は、はい。前にゲームで見たのと同じデザインだったから、多分間違い無いと思うんですけど……」
「日本刀持ってるってことは剣術使い? しかもこの感じだと実戦で使えるレベルの? マジかよ……」
あちゃー、というような声が聞こえそうな素振りで、ディアッカは掌で顔を押さえ、天を仰ぐ。
「ど、どうしたんですか? それって何かまずいんですか?」
自分の言葉がもたらした思いがけない効果に、エドがうろたえる。
「……日本人ってのはな。何だか知らんが一つのことに凝らせたら世界一っていう民族なんだ。日本刀ってのは、たぶん実体剣としては世界最高の刃物だな。何せ刃に向けて拳銃撃ったら、刃こぼれ一つしないで弾の方が真っ二つになるんだぜ。それだけに、それを使う方も世界一だと思う」
「えーと、つまりどういうことなんですか?」
「『キラ』に白兵戦で勝つのは無理だ」
ディアッカはキッパリと断言した。
モビルスーツに人間の動きを完全に再現させるのは、通常不可能だ。
普通は意識しない、指先の数ミリの動きまで気を配らなくては「完全な再現」には至らないからだ。
そこまで細かい動きはコンピューターにやらせるにしても、その数ミリのレベルで元の動作を知っていないとならない。
それができる者は、普通「達人」とか「天才」と呼ばれる。
しかも、どれだけ似通った動きをしていても、ミリ単位で見れば個々人の動作には大きな差異が現れるため、たとえプログラムを組んだとしても使い回しが効かないのだ。
モビルスーツが生まれた当初は、モビルスーツの動きを人間に合わせようと様々な試行錯誤が行われたものだが、結局その方向での試みは全て失敗した。
そのため、現在は人間をモビルスーツに合わせる、つまりモビルスーツができる動きの範囲内で人間が動作を選択し、実行するという方式になっている。
だが、もし達人レベルの体術を使うことができ、かつそれにモビルスーツを合わせられるだけのプログラミング技術を持つ人間がいたらどうなるか。
その答えが、おそらくストライクの精密極まりない流れるような動きなのだろう。
生身の状態でさえ相当な差があると考えられるのに、機体の追従性は向こうの方が遥かに上なのだ。
「要するに、ストライク相手に白兵戦を挑むのは愚の骨頂ってことだ」
自分の言葉の根拠を説明し、ディアッカはそう言って締める。
「……ってことは、さっきの戦闘でこっちが使った戦術は思いっきり裏目ってわけか」
「そういうことになるな。むしろ……」
シャワーを浴びて自室に戻ったイザークは、しっとりと水を含んだ美しい銀髪を乾かそうともせず、まっすぐに備え付けのコンピューター端末に向かった。
モニターに呼び出したのは先程の戦闘の映像。
ストライクとデュエル、バスター、ブリッツの戦闘の様子を、客観的な映像でじっくりと、視線でモニターに穴を開けようとしているかのように見る。
僅か十分程度の映像を、何度も何度も繰り返して睨みつけるようにして見る。
そう遠くないうちに次の戦闘があるだろうから、ちゃんとしたシミュレーターを使って時間をかけた訓練をすることはできない。
デュエルの修理が間に合うかどうかはわからないが、間に合う可能性がある以上、訓練で余計な疲労を溜めたくはない。
だから、映像を見ながら頭の中でいくつもの展開をシミュレートする。
この場面で自分がこう動いていたらどうなっていたか。
ここはこうすべきだったのではないか。
幾度も一時停止と巻き戻しと再生を繰り返し、双方の動きを分析し、考える。
敗因はどこにあるのか。
どうすれば勝てるのか。
同じ相手に二度も負けたのがまぐれであるはずがない。
どこかに原因があるはずなのだ。
三度目の敗北など、イザークのプライドが許さない。
何としても、今度こそ勝たなければならなかった。
だが、何度見ても勝算が立たない。
明確な敗因が見えてこない。
生まれて初めてのことだった。
確かにイザークよりも強い者は少ないながらもいる。
その筆頭は、イザークをして常にアカデミーのナンバー2に甘んじさせたアスラン・ザラだが、アスランと戦ったときでさえこんなことは無かった。
三回に一回程度はイザークが勝つし、残りの二回にしても敗因がわかり勝算も立った。
アスランの方が上とは言っても、それだけの僅差だったのだ。
そしてその差をひっくり返す自信もイザークにはあった。
だが、この『キラ』という敵手は違う。
自分が冷静でなかったことを差し引いても、勝ち目が見えてこないのだ。
ふう、とイザークは大きく息を吐く。
目に疲労を覚えて画面から視線を外し、そこで自分がどれだけ焦っているかということを自覚したのだ。
こんな状態では、どれだけ考えても良い考えなど浮かぶはずがない。
まずは一度落ち着こう。
そう考えて、イザークは席を立った。
部屋の隅に備え付けてある私物のサーバーでコーヒーを入れ、一口すする。
コーヒーの強い香りが披露を振り払い、頭脳の働きが再び活性化していくようだった。
気分を一新しカップを持って席に戻ると、モニターを消す。
このまま映像とにらみ合っていても得る物は無いだろうと考えたからだ。
目を閉じて思考に専念する。
デュエルとブリッツとイージス、三機がかりでダメージを与えることさえできなかった、
特にニコルの乗るブリッツが触れることもできなかったというのは尋常ではない。
イザーク達四人の内で最も白兵戦が得意なのは、実はもっとも穏やかなニコルなのだ。
本人が芸術家としての一面を持っているせいかもしれないが、ニコルは戦闘においても独特の感性を持っている。
そうと意識してやっているわけではないのだろうが、その感性が独特のトリッキーとも言える機動を生み出すことがあり、ニコルの動きは非常に読みにくいのだ。
アカデミーの訓練では、ディアッカもイザークも、アスランでさえも、白兵戦に持ち込まれた際にニコルに辛酸を舐めさせられたことが少なくない。
そこにブリッツという機体の特性が加わる。
ただでさえ白兵戦を重視して作られた機体なのに、ミラージュ・コロイドという特殊装備がある。
まるでニコルのために用意されたような機体だ、とイザークは思う。
口に出して言う「臆病者」という評価とは全く逆の意味で。
ミラージュ・コロイドは実のところ諸刃の剣なのだ。
現時点では完璧に近い隠密性を誇るが、それゆえに味方でさえもその存在を考慮してくれないのである。
しかも展開中はPS装甲を展開できない。
流れ弾にでも当たれば、それだけでアウトだ。
その恐怖は並大抵ではない。
危険を回避する能力と、恐怖に耐える胆力と。
ブリッツのパイロットにはそれらが不可欠だ。
口では貶しつつも、イザークはニコルを高く評価しているのである。
そして、それは間違いなくディアッカも同様であろう。
そのニコルと、赤服の中でもトップクラスのアスランとイザーク。
この三人を相手に、しかも同等の性能の機体で、『キラ』は互角以上に戦ってのけた。
はっきり言って化け物じみている。
この布陣で勝てなかった以上、白兵戦でストライクを破ることは不可能と見て間違いないだろう。
ならば遠距離攻撃はどうか。
これも難しい。
理屈は未だに全くわからないが、ストライクがこちらの発砲のタイミングと斜線を完全に読んでいるらしいことは、既に確定事項として受け入れられている。
どれだけ撃ったところで、ストライクの動きを封じることはできても仕留めることはできないように思われた。
と、そこでイザークはふと気がつく。
考えてみれば、ムキになってストライクを落とす必要性はあるのだろうか。
別にストライクに勝つ必要は無いのだ。
ストライクを動けなくして、『足付き』の方を先に沈めてしまえば良い。
ジン十機ほどでストライクを囲み、絶対に接近しないようにしてしつこく砲撃する。
そうすれば、落とすことはできなくても封じることはできるはずだ。
後は残りの戦力で戦艦とモビルアーマーを沈めれば良い。
ラコーニ隊も合流するのだから、それくらいの数は用意できるだろう。
なるほど、おそらくクルーゼの考えている策とはこういうことだろう、とイザークは半ば以上確信を持って思った。
確かにそれなら勝てるだろう。
というより、それ以外に勝算の立つ作戦をイザークはどれだけ考えても見つけ出すことはできなかった。
怨敵を葬り去る方法を見つけたというのに、イザークの表情も気分も晴れなかった。
そのもやもやとした気持ちの原因は何なのか。
少し考え、イザークはすぐに解を得た。
彼女はただ勝ちたかったのではない。
自分自身の手でストライクを倒したかったのだ。
「クソッ!」
だが、イザークにはその力が無い。
その事実が苛立ちとなってもやもやと胸にわだかまる。
ダンッ、とイザークの拳が机を叩いた。
(続く)
あとがき
お久しぶりです、霧葉です。
遅くなって申し訳ありませんでした。
一週間のはずが二週間も遅れてしまい、本当にごめんなさい。
しかも、今回の話は読んでてあんまり楽しくなかったかもしれません。
これまであえてあまり書かなかった赤服四人組について少し掘り下げること。
第一クール最終話である第12話への流れを作ること。
その二点を重視したせいで、説明ばかりの話になってしまったので。
ところで、ニコルとイザークが女だと思っていた方ってどれくらいいらっしゃるんでしょうか。
言葉の端々でそういう風に疑ってもらえるように書いたつもりだったんですけど、失敗してたらごめんなさい。
さて、次回は第11話の後編、今回と同じ時間軸でのAAサイドの話になります。
次回はちゃんと一週間で仕上げられるように頑張ります。
それでは皆様、また来週〜。