その空間には、静寂が漂っていた。
しかし人の気配がある。
ここ数百年、ずっと完全な静寂に満たされていた場所に、三人の人間が寝転がっていた。
程度の差はあれボロボロで、途轍もない戦いを経たのだと推察できる。
その戦いの敵は、つい先程までの禍々しい気配を完全に消失させて地面に転がっている。
敵だったもの……鎧はその内に含んでいた怨念を浄化され、今では空っぽになってバラバラになっていた。
もうこれで勝手に動く事はないだろう。
鎧は超強力なリビングアーマーの一種だった。
鎧の特異性で解り辛いが、後になってみればどうという事はない。
浄化された鎧は、ただの鎧に戻る。
鎧から発せられた怨念に縛られ脅えていた幽霊達も、少しは成仏するだろう。
戦いの最中、大河が大剣を一撃振るう毎に青い光が乱舞し、鎧のみならず周囲を浄化させていったし、大元がいなくなったので自分が何を恨んでいたのか、何故現世に留まっていたのかを忘れてしまう者も多い。
いずれにせよ、この空間には3人の寝息以外は何も響いていない。
いや、時々土や石が転がり落ちる音も響いていた。
一際大きな音に触発されたのか、3人のうち1人…赤毛の少女の目元がピクリと動く。
少女の名はリリィといった。
もぞもぞと丸くなり、無意識に手を動かす。
どうやら布団を探しているようだ。
その手が大河の手に触れる。
どうやら眠っている間に転がって接近したらしい。
大河の腕を引き寄せて抱きしめる。
暫く温もりを味わうようにじっとしていたが、やがて普段の布団の感触と違う事に気づいたのか、目を開く。
目に入ってくるのは、見慣れない空間。
天井が高く、鈍い金色で出来た大きな何か。
そして背中には自室の高級ベッドとは程遠い硬い感触。
(………?)
リリィは寝ぼけた頭で周囲を見回す。
なんだか大きな物体が視界を塞いでいる。
それが何なのか理解できなかったリリィは、視界を動かして反対側を見た。
すると目に飛び込んで来たのは、トゲトゲが沢山付いている鎧の残骸。
バラバラになってはいるが、リリィはそれが何なのか即座に理解した。
「!!!!!!!」
声にならない悲鳴を上げて、リリィは飛び起きる。
手に何かを掴んでいるが、パニックを起こしかけていた。
無理もない。
散々死の恐怖を味合わせてくれた上、リリィが眠っている間も夢に登場してガシャコンガシャコンやってくれたのだ。
夢の続きで、また鎧が動き出すのではないかとリリィは恐ろしくてしょうがない。
無意識に握っていた何かを握り締め、リリィは身を硬くする。
そのまま30秒は睨みつけていたが、鎧は微塵も動かない。
やっとリリィは安堵して、肺に溜まった空気を吐き出した。
動悸を落ち着けて周囲を見回すと、まぁ荒れている荒れている。
その殆どはリリィが魔力をムチャクチャに放った時の魔力相互干渉によって引き起こされた破壊後だが、そこから更に大河の斬撃、ルビナスの錬金術、さらにリリィの魔法に鎧の角と、景気よくぶち壊しまくっていた。
結果、シンメトリーを保っていた空間は見事なほどグチャグチャにぶち壊れている。
突き出した石の柱が途中から叩き折られ、爆発後がはっきり解るほどの痕、あちこちに開いた角の痕跡らしき穴。
思い返せば、よくもまぁ無事だったものである。
リリィは今更ながらに自分がやった事を思い返して冷や汗を掻いた。
ふと自分が抱きしめている何かに気がついて、目を落とす。
そこにあったのは、人の腕。
視線を動かしていくと……。
「…………!!!???」
大河の顔が映る。
彼女は大河の腕を抱きしめ、自分の胸に押し付けていたのだ。
逆間接を決めているのはただの偶然だ。
あっという間にリリィは真っ赤になる。
「っきゃああああぁぁあ!?」
悲鳴を上げて大河の腕を放り出すリリィ。
流石にこの状況で照れ隠しに魔法を放つほどトチ狂ってはいなかった。
ヘタをすると、ツッコミのための魔法ですらトドメになりかねない。
しかしそれでも大河は転がって、積もっていた瓦礫の山にぶつかった。
その衝撃で小さな破片が崩れ落ちてくる。
「……ん……ん?
あ? アタッ、いてっ、あだだ!
な、何だ何だ!?
敵か!?
拳王の軍勢に喧嘩を売るのは何処のポーランド人だ!?」
なにやら世紀末な夢でも見ていたのか、大河が悲鳴を上げて目を覚ます。
そして瓦礫が振ってきた上を見る。
「う、うおおおおおおお!?」
特大の岩が落ちてきた。
絶叫を上げつつ咄嗟に前方に跳ぶ大河。
ズシイイィィィンンンン!!
大河が一瞬前まで居た場所を、大きな岩が埋め尽くす。
間一髪逃れた大河は、眠気も完全に吹き飛んだ。
青い顔で周囲を見回し、いまだ眠るナナシだかルビナスだかと、唖然とした顔をしているリリィを発見する。
「お、おいリリィ!
一体何があった!?
何で起床早々、あんな岩に抱きつかれそうにならにゃならんのだ!?」
「あ、う、いやそれはその……そう!
あの鎧がまた動き出したのよ!
それで寝ている大河を狙って突撃したの!
でもそれが最後の力だったみたいで、もう動かないから安心して!
私の最後の魔力を使った一撃で、完全に篭っていた怨念は散り去ったから!」
冷や汗を垂らしながら、ちょっとだけ視線を外してウソをつくリリィ。
もう動かない鎧に脅えて大河の腕を逆間接気味に抱きしめた挙句、錯乱しかけて腕を放り出したら何故かこんな事に…とは流石の彼女も言えない。
妙に言葉の勢いが強かったり口早だったりしたが、流石の大河も動揺していたのか不自然さに気がつかない。
リリィの言葉を疑う事なく信用して、大きく息をつく。
「そ、そうだったのか……すまん、本気で助かった…。
うう…今回ばかりはリリィに借りを作っちまったな…。
その内返させてもらうわ」
「い、いいのよ。
どうせアンタの意思に関係なく仇で返すことになるから」
憎まれ口を叩くリリィも、少し唇の端が引き攣っている。
大河相手にこの程度のウソをついた所でどうという事もないが、原因が自分のミスとなると流石に話は違う。
良心がちくちく痛むリリィだった。
ここで良心の呵責なく出任せを言えるようであれば、もう少し大河と渡り合えるようになるのだが。
「ふにゅ……なんですのぉ……あふ…よく寝たわ…」
岩が落下した轟音で、ようやくナナシとルビナスも目を覚ました。
ごしごし目を擦り、彼女はリリィと大河を発見する。
にっこり笑い、彼女は体を起こした。
「おはよう、ダーリン、リリィちゃん。
お互い何とか生きているようで何よりだわ」
「ルビナス?」
「ええ」
リリィの呼びかけに答えると、ルビナスは大河に超特急で突っ込んだ。
抱きついたのかもしれないが、受けた大河としては某アメフト高校生のスピアタックルを喰らったような感覚だ。
鳩尾に頭が直撃し、呼吸も出来ずに悶絶する大河。
「あらダーリン、大丈夫?」
「大丈夫って…ルビナスがやったんじゃない」
大河にちょっと同情の眼差しを送って、リリィは呆れた目でルビナスを見た。
しかしルビナスは首を振る。
大河に抱き付いているためちょっと顔が赤くなっているが、至極真面目な表情だ。
想い人に抱きつきながら見せる表情としては、ちょっと違和感がある。
「生憎と、これは私がやってるんじゃないわ」
「何言ってるのよ。
どう見たってアンタじゃない」
困ったように顔を顰めるルビナス。
彼女としても、今の自分の状態を把握している訳ではないらしい。
その頭を、大河の手が鷲掴みにした。
首を取って大河はルビナスを睨みつける。
「そ・れ・よ・り・も……ナナシはどうした!?
まさか消えちまったんじゃないだろうな!?」
ルビナスには本当に助けられたが、それとこれとは話が別だ。
ナナシが消え去ってしまったのかと、大河は焦燥に満ちている。
しかしルビナスは、それにも困ったように黙るだけ。
だが首を(器用にも)横に振ったので、ナナシが消え去った訳ではないらしい。
安心した大河は、首を持ち直した。
ちなみに首が取れている間も、体は大河にベッタリだ。
「それよりルビナス、アンタいい加減に大河から離れなさいよ。
妊娠しちゃっても知らないわよ」
「俺は触れただけで死体にまで妊娠させんのかっ!?」
幾らなんでもそこまでは、と大河が抗議するが2人とも意に介さない。
リリィがルビナスを見る目に、ちょっとした敵意が混じっていたりいなかったり。
だがルビナスはリリィの視線を受け流し、あっけらかんと言い放った。
「だから、私がやってるんじゃないって言ってるじゃない。
文句があるならナナシに言ってちょうだい」
「は?
ナナシはアンタじゃ…」
首を傾げるリリィに向けて、ルビナスは向き直る。
一見すると完全に『喋る生首』なので、はっきりきっぱり不気味である。
「さっきはドタバタしてて、まともな自己紹介も出来なかったわね。
改めて……。
私はホムンクルスのルビナス・フローリアス。
ゾンビじゃないのよ。
体が冷たいのは、何年もあの地下でエネルギー摂取も無しに眠っていたから、熱エネルギーが底を尽きてるからよ。
ご飯を食べれば、人肌と同じ温もりを得られるの。
勿論妊娠だって出来るわよ、ダーリン?」
ギン、と大河を睨むリリィ。
その視線は『この肉欲獣がッ!』と殺意が込められている。
限りなく事実なだけに、大河も反論できない。
「それじゃあ、ナナシはどうしたんだ?
さっきは消えたのかって言ったら否定したが」
「ナナシは…そこよ」
首を動かして、自分の胴体を示すルビナス。
相変わらず大河にベッタリである。
その意味を暫く考えて、リリィは口を開いた。
「ひょっとして…首から上の制御はルビナスで、そこから下はナナシが…?」
「そういう事よ。
全く、どうしてこんな事になったのかしら」
一つの体を2人が使う。
しかも入れ替わりではなく同時に。
どこぞの戦隊モノの合体ロボットではあるまいし、そんな状態で上手く体の連携が取れるわけがない。
首から上は真面目に話そうとするルビナスが使い、下はラブのままに突っ走って大河に抱きつくナナシが使う。
何とも難儀なコンビである。
取り合えず大河は首を戻した。
何はともあれ、状況を把握せねばならない。
先程は全く余裕が無かったので流したが、彼女が本当にルビナスだと言うのなら大変な事だ。
元メサイアパーティーの一人、地下にあった墓石の主。
それでなくても1000年前の“破滅”の経験者でもある。
大河が疑問に思っている事も、彼女に聞けば解けるかもしれない。
「で、結局ナナシはゾンビじゃなかったのか?」
「ええ。
私が作ったホムンクルスの体を使う、もう一人の私……。
でも、実際には別人だと思った方がいいわね。
本当なら私と融合する筈だったんだけど、長い間に自我を確立しちゃったみたい。
だから私と溶け合わずに、個人として存在しているのよ。
私の覚醒も不完全だしね」
「ホムンクルス…成る程、聖水の影響を受けない訳だわ」
リリィがどこか納得した表情で呟いた。
彼女にも、ルビナスに聞きたい事は山ほどある。
何故ホムンクルスの体を作って、自分の墓に埋めていたのか。
本当に救世主候補だったルビナスなのか。
今でも召喚器は呼び出せるのか。
それを聞く前に、大河が色々と話をしている。
「それじゃ、次の質問。
本当に救世主候補だったルビナスなのか?
ナナシがルビナスの墓に入っていた事は知ってるから無関係じゃないとは思ってたけど…」
「………さぁ?」
大河の質問は、たった一言で返された。
目を点にする大河とリリィ。
人差し指を顎に当てながら、虚空を見てルビナスは話す。
「覚醒が不完全だって言ったでしょ?
どういうワケか、私は自分の事を殆ど思い出せないのよね。
多分、ルビナスとしての自我を目覚めさせる為のプロセスに何らかの欠損かミスがあったんだろうけど……そのプロセスの事も全然思い出せないの。
錬金術の知識とかは残ってるんだけど、個人の事になるともう真っ白。
名前以外はな~んにも思い出せない」
「記憶喪失!?」
驚愕する2人とは裏腹に、当の本人はあっけらかんとしている。
大した事ではないとばかりに、泰然自若と構えている。
それを見て驚くのがバカらしくなったのか、大河は頭を落ち着かせる。
「それじゃ、救世主候補だった事とか1000年前の事とか、全然覚えてないのか?」
「それがサッパリ。
どうしてホムンクルスの体を作って埋めたのかも思い出せないわ」
肩を竦める…のはムリなので、ルビナスは口をへの字に曲げた。
むしろ自分が1000歳を超える年寄りだという事がショックだったようである。
それでも精神年齢は現役のままだとか、肉体を作り直せば若くなるだとか、小声でブツブツ言っている。
リリィが衝撃から立ち直ってきた。
「何か危険な事を言ってる気がするけど、それよりもナナシは喋れないの?」
「喋れるわよ。
でも今は真面目な話をしてるから…。
あの子にもダーリンと話をさせてあげたいけど、ちょっと待ってもらってるの。
その分、首から下はあの子が好きにしてるでしょ?」
ナナシの体は、現在大河の上に上ろうと四苦八苦している。
ナナシの目はルビナスの目でもあるからして、思ったところに視線を動かせずに苦労しているようだ。
それを手伝ってやりながら、大河は溜息をつく。
「ダメか…。
色々と貴重な情報が聞けるかと思ったんだけど」
「ゴメンね。
でも、多分正しい方法を試せば全部思い出せるわよ。
他にも幾つか記憶を取り戻す方法の心当たりはあるけど、正規の手段を取った方が確実で安全なの。
その前にちょっと体の調整とかが必要だけど」
「その正しい方法って?」
「思い出せないわね~」
「「ダメじゃん!」」
おほほほ、とワザとらしい笑い声をあげるルビナス。
2人は脱力する。
それでもリリィは何とか立ち直った。
「それじゃ、召喚器は呼べる?」
「えっと、召喚器、召喚器………救世主候補生専用の武器の事よね?
…………とりあえず、召喚!」
何も起こらない。
ルビナスは続けて叫ぶ。
「Come On!
来たれ!
バッチ来-い!
我は求め訴えたり!
アポート!
魔法剣キラキラ!
来い来い来い来い!
投影開始!
獣の槍…もとい召喚器よ来い!
………何も起こらないわね。
名前はわかる?」
「えぇと…………確か、資料には『エルダーアーク』っていう召喚器が載ってたから、それじゃないの?
ルビナスの召喚器かどうかは知らないけど」
「では改めて……エルダーアーク!」
……………し~ん……。
両手を掲げて叫んだが、やっぱり何も起こらない。
そこはかとなく気まずい沈黙が舞い降りた。
しばらく硬直して、ルビナスは手を下ろした。
「……ま、とにかくこのボロボロになってるボディをどうにかしなくちゃね。
………でも、ホムンクルスを作るのって貴重な材料が結構必要なのよ…。
自分の体になるんだし、やっぱり上等な材料を使って、最高の体を作りたいじゃない?
具体的に言うと、スリーサイズが黄金律なのは当然として、火を吐いて空も飛べて水中を魚より早く泳いで、あと重力制御装置も欲しいわ。
目から怪光線…いえ、むしろ蟹光線を発射して、羽は……仰向けになれないからパス。
変身機能をつけて、ピンチになったらスレンダーからムチムチお姉様になるの。
勿論演出はデフォね。
どのくらい時間がかかるかしら…」
「どんなカラダ作るつもりだよ!?」
「ドリルも付ける?」
「……ドリル少女スパイラルルビナス?
それはちょっと嬉しいかも……」
「銀の螺旋に思いを込めて、唸れ正義の大回転! ってね」
「やめんか阿呆ドモ」
怪しい計算をするルビナスは放っておいて、いい加減帰らなければならない。
腹も減ったし、風呂にも入りたい。
何より気力が限界だったので、少しでも早く自室に帰って休みたい。
「とにかく……帰還するわよ。
階段の出口近くまで行ったら、そこで一度休憩。
そこから幽霊達を避けながら、一気に外まで突っ切るからね」
「了解。
あーあ、あの道を戻るのか…気が重いぜ…」
「黙れバカタレ厄病大河。
元はと言えば、アンタがここに潜ろうなんて言い出したんじゃない」
「う、それを言われるとな…」
反論できない大河である。
が、どっちにしろあの階段を上がると思うと気が重い。
さらに休憩を挟むとはいえ、その後出口まで体力の続く限りダッシュが待っているのだ。
そりゃ気が重くもなろう。
リリィもそれは同じなのか、流石に元気も覇気もない。
ルビナスはというと、人間よりも頑丈に作られたホムンクルスの体だからか、2人ほどうんざりしてはいない。
単に体を動かすのはナナシだからかもしれないが。
何はともあれ、重い足を引き摺って大河達は歩き始めた。
幸い入り口が潰れている等と言う事はなかったので、素直に上がる事が出来た。
「大河、私に飲ませてくれた神水を作れないの?
アレを飲めば、すぐに体力も魔力も回復するのに」
「ムリだな。
さっきの戦闘で、一度に連結魔術を使いすぎた…俺にかかる負担もそうだけど、この当りの空間に結構な負担がかかってる。
何せあの魔人の力だから、一筋縄じゃ行かないんだ…。
これ以上使えば、どんな歪が出てくるか解らないぜ。
当分連結はやめたほうがよさそうだな」
「そう……こんな所で空間に歪みが出来て、崩壊でもしたら眼も当てられないものね。
あーあ、アンタの魔術で聖水を量産すれば、ジュースにして売り出して一儲けできるんじゃないかと思ったんだけど」
「俺に商売っ気を出すなと言ったのはお前だろーがよ…。
でも結構いいアイデアかもしれんな…こんな物騒なもの、さっさと使いきってしまいたいのが本音だし」
「それより、やっぱりその魔神って危険なんじゃないの?」
「いーや。
性格と魔力にクセがあるだけで、最近は大人しくしているよ。
もし暴れたら魂の牢獄に囚われる事になりかねんし、元は温厚な魔神だから」
そう言って大河は懐の封筒を取り出した。
それをルビナスが興味深そうに眺めている。
どうやら錬金術師として、未知のエネルギーと技術に知識欲を盛大に刺激されたようだ。
リリィはまだ納得していないようだったが、大河が持っているのはただの魔力塊…力である。
制御されているのならば問題ない。
それに偏見で人を見るのは良くないからだ。
そもそも魔神と言われても理解できていない。
警戒はするべきだろうが、無闇に脅えたり敵視したりしてもロクな事にはならない。
それは人類の歴史が証明している。
ルビナスはというと、相手が魔神だろうが何だろうが関係ない。
力はただの力、魔法はただの術に過ぎず、それ単体では恐れるべきではないというのが錬金術師…心理を探求する彼女の心構えだからだ。
「ダーリン、その封筒見せてくれない?
できれば中のエネルギー塊も研究したいんだけど」
「却下。
研究できるほど安全な代物じゃないの。
いつ爆発するか解らないの。
安全装置の封筒だって、この世界で何らかの誤作動でも起こしたら復元するのは不可能なんだから」
「錬金術師を舐めないでよ。
ちゃんと研究して、原理を説き明かせば」
「だから、それがムリだって言ってるの」
言葉を遮られた上、自分の能力を否定されてプライドが傷ついたのか、ルビナスの目が不満気に細くなる。
妙に意固地になられたり拗ねられたりすると困るので、大河は少々講義をする事にした。
正直、小難しい話は面倒なのだが、階段を歩く間の暇潰しくらいにはなるだろう。
「ルビナスの能力の問題じゃないの。
根本的に不可能なんだよ。
いいか?
人は生まれた時から、その世界の法則に縛られる。
魔法が誰にでも使える世界なら、大小の差はあるけど誰にでも魔力は使える。
でも魔力が存在しない世界に生まれたら、魔法がある世界に行っても魔力は使えない……干渉できない。
生来そういう機能が備わってないからだ。
ここまでOK?」
「OKよ。
話を続けてちょうだい」
ルビナスはちょっと不本意そうだが、それでも自分の知らない世界の法則について聞かせてくれると察して興味津々だ。
知識欲が強いようだが、マッドにならないか心配だ。
その横では、同じく魔法使いとして興味を持ったリリィが聞き耳を立てている。
「同じように、これは『霊力』というアヴァターには無い力の塊だ。
正確に言うとちょっと違うが、まぁ大本は同じかな。
封筒の細工も、基本的にこれを使っている。
本来存在しない力が世界に捻じ込まれると、他の何かに変換される…これは連結魔術の説明の時に言ったよな?
でも、中には変換される事なく世界に入ってくる物もある。
そういう物は、存在し続けるために必ず生み出された世界の法則を纏っているんだ。
空気が存在しない所で空気が存在するために、自分に関する法則だけ書き換えているわけね。
だから世界に負担がかかるんだ。
ちなみにこの『世界の法則』をオーマと呼ぶ事もある」
「オーマ?」
何となく卑猥な呼称のような気がする。
連呼されると、ちょっとイヤかもしれない。
「オーマとは、一般的に魔術の使い手を指す。
でも語源は、ある文化や思想などを含む概念…まぁ文明みたいな物だと思えばいい。
この場合は後者だな」
「ちょっと待って大河。
『世界の法則』なんて胡散臭いものがあるとして……ああ、物理法則や魔力の法則と同じ事なのか……あるとして、それは文明のうちには入らないんじゃないの?」
「そうでもないさ。
その世界の法則を利用し、適合した思想と文明こそが発達するんだから。
広義の意味で言えば、法則も文明の一部に含まれる。
話を戻すぞ。
さっきも言ったように、このエネルギー塊と封筒は送られてきた世界の法則を纏っている。
その法則は、この世界の法則とは似て、決定的に非なる。
ルビナスが纏っている法則に則り、ルビナスの魔力は使役される。
でもこのエネルギー塊は、自身が纏っている法則に則って作動するんだ。
ルビナスの魔力の法則では、このエネルギー塊…霊力に干渉できない。
仮にルビナスが霊力を使ったとしても、それは魔力としてしか作動しない」
「……つまり、性質が根本から違うのね?
勉強すればどうこうじゃなくて、一つの領域を隔てて全く違う世界が現出していると思えばいいのかしら。
手の出しようがないわ」
ルビナスは流石に理解が早い。
リリィのような『結果』として魔法を利用するのではない、真理を求める錬金術師ならではであろうか。
「ま、大体そんな所だ。
解ったろ?
研究しても、参考にすら出来ないよ」
「ちぇ……」
ルビナスは残念そうである。
しかし彼女としても、下手に突付くと爆発するような物をポンポン弄るのは気が引ける。
錬金術師たる者、科学と実験の名の下に爆発と危険は付物だと思っているが、無謀と勇気は別物だ。
唯一の防壁を実験の為に破壊した挙句、対抗策がありませんでは話にならない。
(でも何時の日かは………)
……野望は消えていないようだ。
「ホラ、それより階段が終わるわよ。 ここで一端休憩ね」
リリィの声に顔を上に向けると、いつの間にかナナシが最初に倒れていた踊り場まで辿り着いていた。
大河達はそれぞれ腰を下ろし、休息を取る。
ブルっとルビナスが体を震わせた。
「どうしたの、ルビナス?」
「きゃう~ん☆
ダーリ~~ン!」
リリィがルビナスに声をかけたが、彼女はナナシに頭の制御を渡して引っ込んでいた。
ナナシはようやく話せるとばかりに、大河に抱きついて頬擦りしまくった。
「うおっ、待てナナシ、冷た…くない?
む、むしろ暖かい……じゃなくて熱くなって来たような!?」
「ダーリンがナナシの体を冷たいって言うから~、ルビナスちゃんからいい方法を聞いたんですの。
こうやって、スリスリスリスリスリスリスリスリしていれば、そのうち火が出るほどに暖かくなるんですのよ」
「そ、それって伝説のサラリーマンゴマ擦り摩擦熱火炎放射拳!?
熱っ、熱いって、あちちち!
ちょっとやめろナナシ~~!」
大河の制止も聞かず、ダーリンダーリンと繰り返すナナシ。
そろそろ2人の頬から煙が出てきた。
それを見て笑っているリリィ。
普段の意趣返しか、助ける気は全くない。
「ナナシ、大河は喜んでるわよ~。
照れ隠しを言ってるだけだから、もっとスピードを上げちゃいなさい」
「ハイですの~」
「うおぅ、あち、あちちちちちホワッチャァァァ!
火が、火が出る、むしろ火花が花火みたいに出る!
あぢぢぢぢぢ!」
大河が悶えているが、ナナシは止めない。
スリスリしたまま、感激を口にする。
「さっすがナナシのダーリンですの!
ナナシの仇を取ってくれて、お友達もやっと安心してオバケをやっていられますの!
やっぱりナナシの目に狂いはなかったんですのよ~~!」
満面の笑みのナナシ。
しかし、ふと顔を上げて階段の先を見る。
「どうしたの?」
「……お友達が、沢山行っちゃいますの…。
みんな怖いのが無くなって、やっと楽になれるって言ってますの。
みんな~、元気でね~ですの~!」
ナナシは焦げ臭い匂いを出す大河から離れて、階段を駆け上がって行った。
リリィ達からは見えない場所まで走って行って、ぶんぶん景気よく両手を振る。
ナナシの見送りに応えたのか、幽霊達が何体か姿を見せては消えていく。
後から追ってきたリリィと大河は、無言でその光景を見入っていた。
消えていく幽霊の何体かは、リリィと大河にも会釈をする。
反射的にリリィ達も頭を下げるが、顔を上げた時にはもうそこには何も居なかった。
手を振っていたナナシが手を下ろし、少し寂しげな表情で振り返る。
「えへへ…みんなアリガトウ、って言ってましたの。
成仏できてよかったですの」
「………」
リリィがナナシを無言で大河の前に押しやった。
リリィに何か言われるまでもなく、大河はナナシを抱きしめる。
「ダーリン…?」
「バカ……いくらお友達にとっていい事だったとしてもな、寂しいものは寂しいだろ?
泣きまくってお友達を引き止めるのはよくないが、ムリに我慢する必要もないさ。
今は寂しいのを我慢せずに、素直に泣いとけ」
「………ダーリン…」
ナナシは大河の胸に顔を埋めて、無言でスンスン鼻を鳴らし始めた。
リリィは2人の邪魔をしないために、少し先行して周囲の様子を見に行った。
しばらくナナシは泣いていたが、やがて大河から離れていつものような笑顔を見せる。
照れくさそうに笑いながら、ナナシは目元を拭った。
「すっきりしたですの。
もう寂しくないですの……だってダーリンやリリィちゃんやルビナスちゃんも居るんですの」
「そっか?
そりゃ光栄だ…」
ナナシの頭をポンポン叩いて、大河は先に行ったリリィを探す。
幽霊達の殆どは成仏したかもしれないが、まだ残っている幽霊が居ないとも限らない。
もし今襲われれば、リリィ一人で相手をするのは自殺行為である。
尤も、その位の状況判断はできるので突っ走るようなマネはしないだろうが。
「おーいリリィ!
どこ行った~?」
「大河?
こっちよこっち!」
大河が声を張り上げると、少し離れた所からリリィが答える。
どうやら幽霊に遭遇はしなかったらしい。
しかしアーチの一つの前に座り込んで、根元を調べているようだ。
「リリィちゃん、何か見つけたんですの?」
「ええ。
風化してよく解らないけど、これ文字よね…。
しかも最初からあったんじゃなくて、後から落書きみたいに書かれた…」
リリィが指差す先には、確かに文章らしき傷がある。
大河が覗き込んだが、彼には昔のアヴァターの文字は読めない。
しかし明らかに何らかの執念をもって刻まれた言葉だ。
先程まで幽霊達がこの辺りをうろついていたからかもしれないが、その文字からは強い迫力が感じられる。
呪いの文字でもあるまいし、普通の文からはこれ程の迫力は感じない。
「リリィ、読めるのか?」
「ちょっとムリね……文字と文法は検討がつくんだけど、風化が激しすぎて…。
せめて何について書かれているのか解れば、ある程度の推測が出来るのに」
リリィが口惜しそうに立ち上がる。
読めないのであれば、いつまでもこんな所に居ても意味がない。
他の幽霊が出てこないうちに、さっさと地上に戻るのが得策というものだ。
しかしリリィが歩き出そうとすると、入れ替わりにナナシが文字の前に座り込んだ。
「ナナシ?」
「………たすけて…救世主が………なぜ救世主が…伝説は誤りだったのか…と、疑問符…」
「ルビナス…読めるの!?」
ナナシに代わって表に出たルビナス。
驚いたリリィの顔を一瞥して、肩をすくめた。
「読めるわよ。
多分この文字、私が生きていた頃に古文で習った文字よ。
今では失伝してるかもしれないけど、私の時代ではまだ伝わっていたもの。
ええと……よく解らないけど、救世主を恨んで何かを書いてるみたいね。
何か…救世主が自分の娘を殺したとか、謀ったとか…」
「そんな…」
リリィは呆然と立ち尽くす。
幽霊達が救世主に脅えていた時にそれらしい事を言っていたが、改めて言葉にされるとショックが違う。
最下層にあった鎧が何らかの要因となって、幽霊達の記憶を書き換えた……そうリリィは思い込もうとしていた。
しかしこの傷跡は、明らかに生者が刻んだものだ。
それも、恐らくは断末魔寸前に。
「ルビナス、何か思い出す事はないのか?
多分これと同じような事に関わってる筈だぞ」
「私が?
………ダメね、全然思い出せない…。
ただ、『救世主』って言葉に何か引っかかりが…。
何だろう………とても重要な何かがあった気がするのに…」
「…………」
頭を抱えて考え込むが、ルビナスの頭には全く何も浮かばない。
しばらく考えていたが、溜息をついて諦めた。
「多分これも、記憶が戻れば解ると思うんだけど…」
「それに必要なプロセスが思い出せないんじゃなぁ…」
大河とルビナスは溜息をついた。
3人は文字を持っていたメモ用紙に書き写すと、そこから離れた。
これ以上考えていても仕方ない。
大河とルビナスは割り切っていたが、リリィは違う。
やはり自分が考えていた救世主像を否定されてショックを受けたのか、終始無言であった。
表に出てきたナナシがリリィに声をかけようとするが、大河に止められる。
今の彼女の頭は、困惑で飽和状態のはずだ。
せめて頭が冷えるまでそっとしておかなければ、何がきっかけで爆発なりフリーズするか解らない。
基本的にリリィは頭がいいので、暫く放置しておけば自分を取り戻すだろう。
大河達は無言で出口に向かった。
ナナシは大河の手を握って、周りを見回しながら歩いている。
幽霊ことお友達がまだ残っているのではないかと思っているのだ。
確かにまだ何体か残っている幽霊がいた。
しかしその幽霊達も襲って来る事はなく、ちょっかいを出してきてもナナシを前面に出して話をさせれば大人しく帰っていく。
基本的には平穏であった。
最初に入ってきた時、ガーゴイルが死んだ階段の前まで辿り着く。
幽霊達がちょっかいを出してこなかったので、大河達の予想よりもずっと楽に帰ってこれた。
その時、リリィがようやく口を開いた。
「ねぇ大河…アンタ、“破滅”が……世界のバランスを保つ措置の一つじゃないかって言ってたわよね?」
「ん?
ああ、穴だらけのトンデモ仮説だけどな」
「“破滅”が世界のバランスを…って、それ何の事よ!?」
ルビナスがナナシを押しのけて、大河に詰め寄った。
記憶を失っているとはいえ、彼女はメサイアパーティーの一人、“破滅”を打ち払うために戦った一人。
その心には、“破滅”に対する嫌悪や憎しみがこびりついている。
その原因になった事が何なのかは覚えていないが、彼女には聞き逃せる一言ではない。
「ああ、あの時のナナシは聞いてなかったのか?
ルビナスは錬金術師なんだから解るだろうが、『死』は完全な意味での滅びじゃないだろ。
だったら創造と破壊のバランスが取れていないじゃないか。
創造が命の営みなら、対になる破壊は一体何なのか…って思ってな」
「対になる破壊の役割を果たすのが、“破滅”だっていうの?
冗談じゃないわよ……。
そもそもアヴァターではともかく、アヴァターから派生した世界ではもっと文明が発達している世界もあるじゃない。
世界のバランスが破壊と創造で保たれているのはアヴァターだけじゃないわ。
もし“破滅”が破壊の役割を担うなら、どうして他の世界に現れないの?
その理論でいくと破壊としての“破滅”が現れない世界では、あっという間にバランスが崩壊しちゃうわ」
「だから、穴だらけのトンデモ仮説だって言ってるだろ。
俺だって可能性の一つとして考えてるくらいで、これが真実だなんて思ってないよ。
で、どうしたリリィ?」
ルビナスはブツブツ言いながらも引き下がった。
ナナシを表に出して、彼女は自分の空間で思索に耽る。
大河の説は彼女にとってとてもではないが容認できない。
しかし現実とは、誰かが認めようと認めまいと容赦なく現存する。
それくらいの事が解らず、錬金術師はやっていられない。
大河の説を真剣に検討し始めた。
奈落の底に自分から突っ込んでいくような気分だったが、探求者としてのサガである。
一方リリィは、ルビナスが下がったのを見て口を開いた。
「仮説でも空想でもいいから答えて。
“破滅”が世界の均衡を保つ為のシステムだとしたら、救世主はどう位置付けされると思う?
私は“破滅”を打ち払うための安全弁のような物だと思っていたのに、あの幽霊達は…。
まるで救世主こそが“破滅”みたいじゃない」
思いつめた表情で、リリィは一気に言い切った。
問われた大河は、しばらく顎に手を当てて考え込む。
「そうだな……救世主に殺された、か…。
あの連中が“破滅”に寝返ったんだとすれば話はもうちょっと単純になるが…。
どう見てもそんなのじゃないよな」
「ええ……本当に救世主なら、態々皆殺しにするような事はしない筈よ。
そんなの、私は救世主だなんて認めない………あれ?」
「どうしたリリィ?」
リリィはふと矛盾に気がついた。
救世主に殺された幽霊達。
この地下にあった鎧に縛られていた幽霊達。
「おかしくない?
あの幽霊達は救世主に殺されたって言ってたわよね。
なのにどうして、あの鎧を恐れて縛り付けられてたの?
救世主と鎧に、どんな関係が?」
「………お?」
大河も言われて、ようやくその矛盾に気がついた。
言われて見ればその通り。
“破滅”を打ち払う救世主が偽りの虚像だったとして、そこにあの鎧がどう絡んでくるのか。
「単純に考えれば……あの鎧が救世主の物だって事だが」
「あの怨念は、千人二千人程度じゃ済まないわよ。
人数もそうだけど、恐ろしいくらいに年季が入ってたもの。
仮に救世主の物だったとしても、どうやった所であんな憎悪は染み付かないわ」
「一代限りの話だったら、だろ?
何代かの救世主が続けて使ったと仮定したらどうだ?」
「救世主を“破滅”に引きずり込むような危険なモノなら、もうちょっと王宮とか学園に情報が残ってるんじゃないの。
情報を聞いて、それでもアレを着なければならない理由がある?
残されていたのが単に壊せなかったからだとしても、そんなモノを救世主に態々着せると思う?」
リリィに言われて、大河は言葉に詰まった。
大河としても、具体的なビジョンを持って反論しているわけではない。
それはリリィも同じなのだが、これは単にお互いの説の矛盾や穴を指摘し合っているだけだ。
とにかく、もうこれ以上は手詰まりだ。
リリィも大河も、頭の使いすぎ、前提の疑いすぎで飽和状態になっている。
今はもう何も考えたくない。
幸い出口ももう近い。
腹も鳴りっぱなしで体も埃塗れだが、とにかく今はゆっくりベッドで眠りたい。
「ダーリン、お家に帰りたいんですの?
それならこっちが近道ですのよ」
ナナシが大河を引っ張った。
入ってきた道とは正反対に向かう。
ナナシのホームグラウンドなので、大河は素直に従った。
少々疑わしげだが、リリィも文句を言わずについていく。
ぐねぐねした道を通って、相変わらず薄暗い地下を抜けていく。
だがその薄暗さが、今は何と安らぐ事か。
幽霊もいないし、何より怨嗟の気配が感じられない。
久しぶりに安心できたリリィと大河だった。
ナナシは階段を登り、天井に手をついた。
「ここですの。
ここをこう、持ち上げて…っと。
ほら、外ですのよ」
そこからは、確かに日の光が差し込んでくる。
赤い陽が目に眩しい。
思ったよりも長く地下に潜っていたらしく、既に日が暮れかけていた。
何はともあれ、外に出る三人。
「あー……眩しい…なんつーか、土の外に出たモグラの心境だな」
「アンタはミミズで充分よ。
……ここ、何処なの?」
愚痴る大河に言い捨てて、リリィは周囲を見回した。
確かに地上だが、周囲は木々に囲まれている。
リリィの記憶にない場所だ。
「ここはお池の傍の森の中ですの。
お池はあっちですのよ」
「池?」
「礼拝堂の近くの森だな。
何かあるとは思ってたが……なるほど、この入り口を隠してたのか」
そう言って大河は、出てきた穴を閉じた。
薬草を取りに来た学生辺りが発見して、好奇心に任せて入られでもしたら眼も当てられない。
適当に草やら土やらを被せてカモフラージュして、大河はナナシに向き直った。
「さて、いい加減俺も帰って眠りたいわ。
ナナシ、森の外まで道案内してくれ」
「同感。
ご飯もお風呂も一眠りしてからね」
地下から脱出した事で本格的に緊張の糸が切れたのか、疲れを隠そうともせずにリリィが言う。
フラフラして、今にも倒れて寝息を立てそうだ。
それは大河も同じである。
「解ったですの。
それじゃあ行きますの…ナナシもちょっと疲れてるですの」
とてもではないが疲れた人物が浮かべるような笑顔ではない。
しかし誰も突っ込まず、ナナシの後を追って歩き始める。
のったらのったら、二足歩行に進化したばかりの恐竜のような歩みを進め、大河はリリィに声をかけた。
「おい、人心地ついたら後で情報交換と状況の整理をしようぜ。
色々と考えなきゃならない事が山積みだ…。
ルビナスとナナシもな」
「そうね……でも今はそんな事言わずに、ちょっとでもいいから楽をさせて」
「了解。
それで、何時何処に集まる?…ですの」
リリィは歩くのも辛そうになってきた。
仕方なく大河が肩を貸すと、珍しく何も言わずにもたれかかる。
さらに珍しい事に、それは森を出てからも続いた。
普段のリリィなら、いくら疲れていようが意地を張って一人で歩く。
相手が大河なら尚更で、肩を貸そうとしても逆にボディに一発入れられるかもしれない。
ちょっとは大河の好感度が上がったのだろうか?
「ダーリン、ナナシもくっついて歩きたいですの」
「解った解った…でも引っ張るような事はしないでくれよ。
ちょっと引かれたら、あっさり倒れそうだ…」
「了解ですの」
ナナシと大河は、手を繋いで歩く。
反対側にはリリィがくっついていて、傍目から見ると両手に花である。
しかし幸か不幸か、周囲には誰もいない。
休日なので、殆どの学生は王都に出かけたり自室でダラダラしているので、ただでさえ人が少ない礼拝堂付近には誰も居ないのだ。
人目を気にするような余裕もなく、大河達はストリートを突っ切って寮に向かった。
それでも何人かには目撃され、『あのリリィ・シアフィールドが男と』とか、『史上初の男性救世主候補生はツルペタ好きの二股野郎』だの、『包帯プレイハァハァ』だの色々と噂が飛び交うのだが、それはまた後日の話。
幸いな事に大河の彼女達(主に未亜)に見つかる事なく、大河達は寮まで帰ってきた。
さすがにリリィも自分で歩き、適当に手をヒラヒラ振って自室に向かった。
同じく手を振って、大河は自分の部屋に向かう。
その後をナナシがずっとついてきた。
「……ナナシ、悪いけどついてきても遊んでもイチャついてやる気力も残ってないぞ」
「あん、冷たいダーリンね。
そうじゃなくて、私もこっちに居たいのよ」
「ルビナス?」
いつの間にか入れ替わっていたナナシとルビナス。
ルビナスは肩をすくめると、大河を追い抜いて歩いていく。
「ナナシにとってはホームグラウンドかもしれないけど、感性が人間の私としては墓場で眠るのはちょっとね…」
「ああ、なるほど…。
それで俺の部屋を使いたいのか?」
「ええ。
異論や厄介事は多々あるでしょうけど、今回ばかりは見逃してちょうだい。
未亜さんについては、こっちで何とかするから」
「……アレに今の状態で対抗できるんかいな…」
何時ぞやの極道型未亜を思い出して身震いする。
今の状態では、思い出した恐怖だけで倒れそうだ。
しかしルビナスを追い出すのも気が引ける。
救世主候補生の部屋はまだ余っているはずだが、鍵を持っていない。
ベリオに借りようとすると、一から話を説明しなければならないが、そんな根性は残ってない。
もう面倒くさくなって、大河はルビナスの頼みを承知する。
了解を得たルビナスは、誰憚る事なく大河の部屋に突入する。
が、惨劇の種はそこにあった。
「あれ?
ナナシちゃん?」
「……未亜ちゃん…」
(オゥゴッド……アンタ殺していいッスか?)
最大の敵が、ベッドの上に鎮座しておられる。
さっきは自分でどうにかすると言ったルビナスだが、それは一休みした後の話だ。
初っ端から遭遇するとは思わなかった。
もし今暴走されたら、はっきり言って手に負えない。
400%初号機に貪られる使徒のように惨殺される事請け合いだ。
案の定、ルビナスことナナシを見た未亜の目が細くなる。
大河とルビナスの背筋を、冷たい戦慄が走りぬけた。
「ちょっとお兄ちゃん……あれから見えないと思ってたら、どこ行ってたの?
しかも2人ともそんなにボロボロになって………って、ボロボロ!?
お兄ちゃん滅茶苦茶怪我してるじゃない!
ナナシちゃんも服がボロボロになってるし!」
そのまま893モード再臨かと思われたが、未亜の迫力は大河達の傷に気付いて霧散した。
安堵の余り、2人はへたり込みそうになる。
それを見て未亜はもっと慌てたらしく、わたわた手を振り回して携帯電話を手に取っている。
「い、医者!
救急車!
あ、病院ですか……って、どうして繋がらないのよ!
ええい、それじゃベリオさん! は電話番号教えてくれてないし、最終手段ゼンジー先生!
ここに怪我もしてないのに保健室に入り浸ろうとしてる人が居ますよー!」
「おい未亜、何を言って「不届き者は何処かね!」…ってマジで来たぁ!?」
どこからともなくゼンジー先生降臨。
ドアも窓も閉まったままで開かれた痕跡が無いのが恐ろしい。
無論その手には、秒速200回転のニクイヤツが。
その鉄の塊に赤い何かが付着しているのは決して見間違いではない。
それも新しい痕から古い痕まで。
どうやらついさっきまで、ゼンジー先生が居るにも拘らず保健室で眠ろうとするツワモノを相手にしていたらしい。
ちなみにこの召喚のおかげで、名も知らない生徒の命が助かったのだがそれは関係ない。
893未亜降臨は防がれたが、代わりにフローリア学園のターミネーターが現れた。
今すぐにでも人体をハムに変えてやるぞ若造が、と言わんばかりの気迫で周囲を睥睨している。
ルビナスは本気でビビって動けない。
そんな彼女にゼンジーは目をやった。
「おや、君は何時ぞやのゾンビ少女ではないかね。
どうだ、包帯の巻き方は上手くなったか?
って、その服は一体どうしたのじゃ?」
「え? ……ハイですの!
その節はお世話になりましたですの」
「いやいや、仕事じゃからの。
それより、この辺りに不届き者がいると聞いたのじゃが」
ルビナスは衝撃の余り、ナナシに変って引っ込んでしまった。
単に現実逃避したとも言う。
しかしナナシはゼンジーを特に恐れてはいない。
どうやら『親切なおじいちゃん』としてインプットされてしまったようだ。
間違った認識ではないが、決定的に重要な情報が欠けている。
「太土器物ですの?
そんな珍妙な物体は見た事がないですの。
それはそれとして、ダーリンの怪我を見て欲しいんですの」
「ダーリン?
大河君、君の事かね?」
「はぁ…」
気のない、というより気の尽きた返事をする大河。
ゼンジーはナナシを見て、未亜を見て、そして大河を見る。
ポリポリと顎を掻き、ポンと手を打った。
輝かしい笑顔で、大河の肩に手を置いた。
「………何だか凄まじい誤解が発生しているような気がするのですが」
「気のせいじゃ。
それにしても見直したぞ大河君。
てっきり実の兄妹間の関係に萌えるフェチ野郎だと思って尊敬していたのだが、まさか二股までかけるとはな。
かけられた女性に関してはフォローの仕様もないが、君も健康な男…否、雄だったのじゃのぅ…。
じゃが公認の愛人はともかく、隠れてコソコソ付き合うのはよろしくないぞ…何より男らしくない。
いや、しかし如何に可愛いお嬢さんとはいえ、死姦は健康的ではないの」
「やっぱり誤解が発生してるじゃないッスかぁ!しかも文脈おかしいし!」
「細かい事は気にするな」
「いや~ん、カワイイだなんて…ゼンジー先生はお上手ですの♪」
「しかし修羅場でこれ程の傷を負うとは……。
彼女達を嫌ってはならぬぞ。
いかに若い男のサガとはいえ、二股をかけたのは君じゃ。
男の勲章と若さの証と愚挙の証拠を、しっかりと受け止めたまえ」
可愛く悶えるナナシと、『何も言うな』とばかりに顔で語るゼンジー。
大河は否定するのもバカらしくなり、無言でベッドに倒れこんだ。
「む、どうしたのだ大河君?
今から彼女達に弁解をせねばなるまい。
是非ともワシも見物して行きたい所だが、先程仕留め損ねた不届き者を追わねばならぬ。
幻影石で記録しておいてくれると嬉しいぞ」
どうやら名も知らぬ生徒の危機は去ってはいなかったようだ。
ゼンジーはさっさと出て行こうとしたが、それを未亜が引き止めた。
「ゼンジー先生、ちょっと待ってください!
怪我人ですよ、怪我人!
お兄ちゃんが、ものっそい怪我してるんです!」
「何?
おお、全然気付いておらなんだ…ワシもまだまだ未熟者じゃな。
……むぅ、これは酷い。
酷いが……これなら召喚器を呼び出しておけば、放っておいても回復するぞ」
「へ?」
大河を軽く触診したゼンジーは、あっさりと太鼓判を押した。
大河の怪我は致命傷ではないものの、打撲やら打ち身やらで痣がエライ事になっている。
とてもではないが、放っておいて大丈夫な傷とは思えない。
「召喚器の力は絶大じゃからの。
ワシらが彼是と外部から治療を施すよりも、放置しておいた方が直るのも早いし、何より自然な治癒の仕方をするのじゃよ。
切り傷ならばそれなりの対応をせねばならんが、捻挫や打撲の類は本当に早く治る。
切り傷の類も、普通では考えられぬほど早く塞がるしの。
顔色が悪いのは、単に怪我云々ではなく疲労によるものじゃな。
欲を言えば少しでも栄養を取ってから休んだ方がいいのじゃが、今の大河君に無理矢理栄養を取らせても吐き戻すのがオチじゃ。
点滴という手もあるが、わざわざここに持ってくるのも大河君を保健室に輸送するのも面倒くさい。
ま、召喚器を呼び出してゆっくり眠り、その後腹八分目まで食事をする事じゃな。
では、あでぃおす!」
「あ、ありがとうございました!」
使い慣れない横文字を使って、ゼンジーは颯爽と去って行った。
扉の向こうから、なにやらドルンドルンという駆動音や『ぜ、ゼンジー先生!? で、電鋸はイヤだあぁぁぁ! その生徒なら王都まで走っています! 早く行ってください!』と叫ぶ中途半端アフロ改めフノコの声が聞こえたりしたが、まぁ関係ない。
しかしゼンジー先生は、電鋸を作動させながら王都まで直行するのだろうか?
通報されてお縄にならなければいいのだが。
ゼンジーが去った後の部屋では、ちょっと気まずい沈黙が流れている。
ムードメーカーの大河はぶっ倒れたままだし、未亜は大河と一緒にいたナナシが気になる。
ナナシはというと、大河に寄り添って眠ろうとしていた。
「ちょ、ちょっとナナシちゃん!
どうしてお兄ちゃんと寝ようとするの!?」
慌てて引き離そうとする未亜だが、時既に遅し。
ナナシは安らかな寝息を立てていた。
まだ寝転がってもいないのに、この睡眠スピードは異常である。
のび太とだって張り合える。
いや、彼とて眠るのは横になってからだから、ある意味ナナシがチャンピオン?
呆然とする未亜を差し置いて、大河とナナシはそれぞれ寝息を立てている。
怒ろうにも相手は怪我人で、今は眠っている。
ヤキモチが沸々と沸いてこないでもないが、それとてナナシの寝顔を見ていると毒気が抜けていく。
仕方なく、大河を揺すって起こそうとする。
「お兄ちゃん、トレイターを出して。
眠るのはいいから、事情の説明も後でいいから、召喚器を呼んで」
「ん……むぬ…とれいふぁー………」
ぽて
寝ぼけ眼でトレイターを呼ぶ大河。
名前をしっかりと呼べなかったからか、それとも大河同様トレイターも疲労しているのか、登場シーンはどうにも投げ遣りだ。
ベッドの上にトレイターが落ち、そのまま大河も眠りに落ちる。
未亜は2人をちょっとだけ離して、大河の上着を脱がせて布団をかける。
そのまま戸棚からタオルを出して、顔を拭くために水に濡らしに行った。
洗面所で、未亜はタオルを濡らして絞る。
考えてみれば、自分が大河を看病するのは随分久しぶりである。
バカは風邪を引かないを実践するかのごとく、大河はここ数年病気にもなっていない。
まだ親戚の家に居た頃、大河が一度だけ風邪を引いた。
その後自分が看病して、結局風邪をうつされてしまった記憶が蘇る。
なんだか懐かしくなって、未亜は一人微笑んだ。
「あれ?
未亜殿?」
「カエデさん?」
声をかけられた未亜が振り向くと、そこにはカエデが立っていた。
顔が薄く汚れている。
未亜の隣に立って、カエデは顔を洗い始めた。
「……っぷ、冷たくて気持ちがいいでござるなぁ」
「カエデさん、何してたんですか?
あっちこっちに葉っぱがついてますけど」
「礼拝堂裏手の森で、鍛錬をしていたでござるよ。
こういうのは、一日休むとあっという間にカンが鈍るでござるからな」
朗らかに笑って、カエデは顔を拭いた。
それから未亜に向き直る。
「未亜殿、今日は師匠は何をしていたでござるか?」
「お兄ちゃん?
さぁ……午前中にちょっと話をした程度だし。
どうかしたんですか?」
「いや……大した事ではござらぬが、寮に帰ってくる時に妙な噂を聞いたでござるよ。
何やら師匠が二股を公認させようとして鬼畜な手段を講じているとか、2人一度にお楽しみしてきたとか、あのリリィ・シアフィールドと寄り添って歩いていたとか、あと包帯を使った緊縛プレイが好きだとか。
現にリリィ殿と先程すれ違ったのでござるが、何やら疲れ切ってフラフラしていたでござるよ。
リリィ殿の事は何かの間違いだと思うとして、他の事には心当たりが……ってひいいいぃぃぃ!」
思わずカエデは悲鳴を上げる。
そこには修羅が立っていた。
口元が三日月に釣り上がり、目には爛々と輝く鬼火。
片手で握り締めるだけでタオルから水が残らず搾り出される。
「……中々興味深い噂ですね」
平坦な声で未亜は言う。
それを見てカエデは心中師に詫びる。
(し、師匠…申し訳ない…拙者、とんでもないモノを揺り起こしてしまったようでござる…。
何とか師匠を庇いたいが、拙者のような未熟者にこのお方の相手は無謀でござるよ…。
せめて冥福を祈るでござる)
力量差云々ではなく、彼女に逆らってはいけない。
北の方がどうこうではなくて、生まれた時から決められている階梯の差。
ヒトはその階梯を上り、人類に対する命令権を曲がりなりにも持った存在をこう呼ぶ。
キシャー…と。
または嫉妬の鬼。
ちなみにその階梯に上った人間は、大抵理性が吹き飛び、命令権を行使せずに物理的な暴力と精神的な恐怖で人を従える。
未亜は一応理性を保っていた。
「さて、そろそろお兄ちゃんの部屋に戻ります。
……カエデさん、これから言う物を揃えておいてください。
これは北の方としての命令です。
これはその資金」
「ら、らじゃったでござるよぅ!」
だから殺さないで。
必死でその言葉を飲み込んで、カエデは未亜の言う言葉を一言一句逃さず聞き入った。
そして『今すぐここから逃げたい!』という心を発露させて、超特急で駆けていく。
未亜に言われた物は王都まで行かねば揃えられないが、むしろ今のカエデには好都合である。
鍛錬の疲れもなんのその、自己新記録を叩き出しつつカエデは残像を残して走っていった。
屋根裏部屋。
重苦しい殺気が立ち込めている。
言うまでもなく、発生源は未亜である。
未亜に顔を拭かれた大河とナナシの寝顔が歪む。
何か悪い夢でも見ているのか、時々手足をバタつかせていた。
結構な重傷人を相手に回復を妨げる行為をしているが、これでも制御している方だ。
これで大河が万全な状態なら、寝ている間にジャスティを叩き込んだり手足を拘束したり危険なクスリを飲ませたり濡れたタオルを顔にかけたり誰も知らない何処かに拉致監禁したりと、洒落にならないケースが目白押しだ。
しかし流石に自分でもよくないと思ったのか、何度も深呼吸して殺気を消そうとする。
あまり上手くいった訳ではないが、とりあえず制御には成功した。
少しだけ大河とナナシの寝顔が安らぐ。
未亜は時々寝汗を拭きながら2人の寝顔を眺めていた。
「で、弁解を聞かせてもらいましょうか」
「………起きるなり何事だマイシスター」
大河とナナシが眠ってから約3時間。
ようやく大河が目を覚ました。
すぐ傍で看病してくれていたと思しき未亜に礼を言おうとして機先を制され、かけられた言葉がこれだった。
隣ではナナシがまだ眠っている。
彼女とて疲れているのだし、あまり横で騒ぐわけにも行かない。
「よくわからんが、とにかく場所を変えるぞ。
ルビ…ナナシを起こすのは躊躇われるし、いい加減腹が…」
ぐぎゅるるるるる、と見事な腹の虫を響かせる。
未亜は仕方なく了承し、大河と共に食堂に向かった。
ナナシが起きた時に寂しい思いをするかもしれないが、今回は仕方ない。
そもそもあのまま部屋で話すと、最悪の場合ナナシも折檻に巻き込まれる。
大河としては、他にも他人の目があればそうそう無茶な事はするまいという(儚い)希望もあった。
食堂にやってきて、大河はそれはもう見事な食欲を見せた。
いつぞやの鉄人ランチ制覇を彷彿とさせる量の料理を、あっという間に平らげていく。
瞬きした瞬間にパンが消え、口をつけた瞬間にグラスが空になり、丼を持ったかと思うと3秒きっかりで米粒一つ残さない。
偶然一緒になったリコですら目を見張るほど、といえばその凄まじさが解るだろう。
大河を見て『………負けない』と呟いたリコが普段にも増してハッスルしているので、いい加減食料庫の在庫が大変な事になっている。
明日の仕入れはかなりの重労働になるだろう。
しばらくして、そろそろ頃合と見た未亜が話を切り出す。
「いつまで食べてるの?
いい加減に話を聞かせてちょうだい」
「むぐむぐ…いや、話っつーてもな………ングっ、何の事を言ってるんだお前は?
アレか、セルにナニな幻影石を渡す時にちょっと自分でも見てみた事か?
それともダリア先生と取引して珍酒『微笑年』を貰った事か?
はたまた礼拝堂でベリオと謎な行為に耽った事か?
ちなみにエッチい事じゃなくて、『微笑年』を飲んで酔っ払った勢いで黒ミサを繰り広げた事だが」
「どれも違う!
っていうか、何やってるのよお兄ちゃん」
「いつもの事だろ…自分で言うのもなんだが。
ちなみに『微笑年』はマニアに売っ払えば結構な値がつくぞ」
「どうでもいいってば…。
ところで黒ミサの生贄は?」
「いつぞや俺の頭から生えた謎の植物。
なんかヘンな生き物が召喚されたぞ。
一つ目で下半身が芋虫っぽくて、背中に獣っぽい毛が生えてさらにでっかい口、ついでに上半身は人間で手もあった。
喋れなかったが一緒に酒飲んで、その後リアルで大乱闘スマッシュブラザーズ。
酔っ払ってたみたいだから、割と楽に勝てたな」
放っておくと果てしなく脱線していく。
ちなみに黒ミサで召喚された生き物は、未亜Trueルートラスボスと言えばわかるだろう。
酔っ払って討たれるアレとは、まるでヤマタノオロチのようだ。
アヤツをも酔わせるとは、『微笑年』恐るべし。
頭をブルブル振って、未亜は余計な事を頭から追い出した。
「私が言ってるのは、噂の事よ。
カエデさんから聞いたんだけど、今日の夕方あたりにリリィさんと何してたの?
それとナナシちゃんも一緒だったみたいね?」
「……あー、あの事か…」
迂闊な発言をしたカエデにしばし文句を言って、大河は未亜に向き直った。
確かに大変な事をしてきたが、別に後ろめたい事はしていない。
が、そっちの方がまだマシだったかもしれない。
『今朝断られた地下探索に行って死に掛けてきました』?
(……言えない…いくらなんでも、これはちょっと…)
特に疑いもなく信じるだろう。
しかし幾らなんでも刺激が強すぎる。
かと言って、黙っておく事も出来ない。
結局お怒りを覚悟で話すしかない。
「実は…」
大河は重要な部分だけ説明した。
例の地下の入り口に立っていたら、リリィに監視されていた事。
この際だからと、リリィを巻き込んで地下に潜った事。
ナナシを案内人にして、地下を探索、そして隠し通路の発見。
その先で幽霊達と遭遇し、これを成仏させる。
さらにナナシが暴走し、引き返すつもりだったのが最深部まで進むハメになった。
で、そこで遭遇した謎の鎧との争い。
何故か覚醒したルビナス。
そして命からがら帰ってきた。
「…………こんの…オオバカモノがぁ~~~~!」
「げふぁっ!?
待て、待て未亜!
今お仕置きを喰らったら幾らなんでも致命傷だ!
勘弁、勘弁してくれ~!」
大河の話を聞いて黙っていた未亜は、震える拳を疾らせた。
大河に幕之内張りのボディブローが突き刺さる。
一気に吐き気が突き上げてくるのを懸命に抑えて、大河は頭を下げる。
大河が期待した人目の効果もなかったようだ。
救世主クラスが暴れだしたのを察して、あっという間に食堂から人が消える。
揃って自分の注文した食事を確保して消えるのが流石である。
未亜と大河という組み合わせは珍しいが、最近では救世主候補生間の揉め事は珍しくない。
大抵は洒落で済む喜劇で見物人も楽しんでいるのだが、今回はそういう気配ではない。
しかし大河の予想した追撃は来なかった。
代わりに首元を掴まれて引き上げられる。
歯を食いしばった大河だが、目に飛び込んだのはボディブローなんぞよりももっと苦しい攻撃だった。
未亜の目が涙目になっている。
(ぐぁっ、やっぱり泣かせちまった!
どどどどどうする!?
ああっ、亡き両親の教えと俺の良心とその他諸々が混在して凄い事に!
と、とにかく未亜を落ち着かせねば!)
「だ、大丈夫だ…ちゃんと俺は生きてるからな?
不安にならなくたって、俺は絶対に未亜の所に帰ってくるって。
だから泣くな、泣かないでくれ………」
「何が…何が帰ってくるから、よ…。
死んじゃったらどうにも出来ないでしょ!?
お兄ちゃんだって、シリアスになったら不死身じゃないんだから!
凄い人なのかもしれないけど、それでも死ぬ時は容赦なく死んじゃうんだよ!
未亜を、未亜を置いていかないで……今度は未亜も連れて行って…」
とうとう泣き出した未亜。
大河の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。
大河は反論も出来ない。
半日ほど前にあれ程の目に会った身としては、改めて死の恐怖を認識しているので安易に『俺は不死身だ!』などと言い切れない。
いざとなったら幽霊になって、などという問題でもない。
結局未亜が落ち着くまで、頭を撫でて待っているしかなかった。
大河は無茶をした事を怒られているのかと思ったが、実際には少し違う。
未亜は自分を置いていった事にこそ怒っていた。
生きるも死ぬも大河と共に。
それが彼女の望みである。
それだけに、大河が生死をかけて戦っていた時に、知りもせず安穏としていた事が口惜しい。
「……解ったよ。
今度からは未亜も一緒だ。
………でも、そうなるともう無茶もできないな…」
「しなくていいよ、そんなの…」
拗ねたように呟く未亜。
最もな呟きに反論できず、大河は降参の意を示した。
何はともあれ、誤解は解けた。
代わりに未亜を泣かせてしまったが、何とか泣き止んだ。
腹も膨れたし、大河は何とか人心地つく。
未亜は照れくさそうに笑って、さっさと自室に帰って行った。
そして大河は、寮を出て建物の影に佇んでいる。
月の明かりが入ってきて、死角にはなっているが暗闇にはなっていない。
大河は後ろに立つ人物を振り向き呟いた。
「……すまんな」
「…謝るんじゃねえ。
未亜さんの為に乱入しなかっただけだ…。
………覚悟はいいな」
「一発程度じゃ治まらないぐらいにな…。
思いっきり頼む、セル」
「言われなくてもっ!」
バギィッ!
鈍い音が響く。
大河の頬に、セルの鉄拳が叩き込まれた。
ふらついたが、ふんばって倒れない。
セルはフン、と鼻を鳴らして大河を見据えた。
「……まぁマシな方だな。
もし吹っ飛ばされて起き上がってこれないようなら、テメエに未亜さんを任せてられないと思ったが」
「見くびるな。
俺はそこまでクズになるつもりはないぜ。
…未亜を泣かせちまった時点でクズだが、それでもアイツを守るのはやめない」
「当然だ馬鹿野郎。
お前は曲がりなりにも俺が見込んだ男なんだぞ。
…なんで泣かせちまったのかは知らないが、男だったら理由の如何に関わらず惚れた女を守るもんだ。
涙させない事も涙を拭う事も出来ないヤツに、男の資格はねえよ。
もう一度言う。
お前は俺が見込んだ“男”だ」
そう言ってセルは『この話はこれで終わり』とばかりに踵を反して寮に帰っていった。
実はセル、食堂で未亜が泣いているのを目撃したのだ。
その瞬間にでも大河に詰め寄りたかったが、未亜を慰めるのは大河の役目だ。
未亜が落ち着くのを待って、大河が一人になるのを待った。
大河もセルの視線に気づいていたのか、誰にも邪魔されない場所に移動したというわけだ。
大河は自分の頬を両手で思いっきり叩いた。
「うぉしッ!
もう同じミスはしない!」
最近気付いたのですが、時守の『スランプ』って酒量に関係があるような気がします。
ビールを一本飲めば筆が進む時期と、二本で進む時期が順番に巡っているような…。
ああ、夏休みが終わる、終わってしまう…。
でも、授業のおかげで拘束時間が増えるから、もっとネタが沸いてきてくれるかな?
DSJのオフィシャルファンブック買いました。
リリィのEXパルスって、パルス・ロアって名前だったんですね。
1.hiro様
ルビナスは登場しても、肝心な事はなーんにも覚えていませんでした。
前話の戦闘でも、エルダーアークの描写はしていません。
ミュリエルとの接触は次になります。
2.エキス虎様
あはは、やっぱりベリオエンドの事は突っ込まれましたね…。
その辺の矛盾点をどうしようかと悩んだのですが、コジツケながら説明をつけました。
大河の世界に行った時のベリオは、自分の世界又はアヴァターの世界の法則を纏ったままだったんですね。
魔力がまだ他のエネルギーに変換されていなかったんです。
考えてみると、カエデの守護の秘術も彼女の世界特有のような気が…。
あ、でも感情の力はどこの世界でも同じかな?
3.アクト様
何とかがルガンチュワの封印は解けていません。
というか、鎧が楔だって事をすっかり忘れていたおバカさんな時守です。
ロベリアが召喚器を使えなかったのは、単純に『思い込み』ではないでしょうか。
彼女が召喚器を呼べないと信じた→召喚器との絆を否定し、声が聞こえなくなった、と。
多分ルビナスの体に移ったから、それで召喚器を使えないと思い込んだのだと考えます。
4.くろがね様
ロベリアの体ですか……少なくとも当時のルビナスよりは年上だったでしょうね。
唯のカンなんですが…仮にも妙齢の女性が、自分より年上の体に乗り移ろうとするでしょうか?
お肌の曲がり角が近づきますよ(笑)
アシュ様の封筒に関してですが…“あの”アシュ様ですよ?
多くは語りませんが、非常に危険とだけ言っておきます。
一応そこそこの耐久力はつけてありますが、あくまでそこそこの…。
5.竜の抜け殻様
連結魔術、なんとか解るように説明できたようでホッとしました。
何せ元々が脳内設定なので、文章にして理解できる物になるか不安でした。
よく考えると、リリィはパルプンテだけじゃなくてメガンテも持ってるんですよね。
ライテウスの一発奥義で、自分ごと相手を居空間に飛ばすというヤツが。
それでなくても、魔力を暴走させてオーバーロードとか…。
6.竜神帝様
一応大河とリリィの秘密にしてあります。
ルビナスが反論したように、まだまだ穴だらけの説ですし、何よりこんな事を言うと大河が破滅の民と目される可能性があります。
確証が持てるまでは黙っている予定です。
7.20face様
リリィの大河に対する評価…戦友以上友人未満、決定的に敵?といった所でしょうか。
少なくとも戦闘時には、『頼れる相棒』くらいにはなっています。
まだ反発や競争心が大きく、なかなか認めようとはしませんが…。
それよりは同じ疑問を模索する仲間、というファクターが大きいかもしれません。
8.干将・莫耶様
鎧はあくまでバラバラにして怨念を浄化しただけで、その機能を停止した訳ではない…というのが言い訳です。
今は回復又は自己保存のためのスリープモードでしょうか。
救世主の鎧自体に乗っ取る力は無いと思います。
鎧を着れる人物…救世主が既にその役割を果たそうとしているから、結果的に乗っ取られるように見えたのかもしれません。
9.アルカンシェル様
聖銃出したいですねぇ。
でもアレ、破壊力が大きすぎますから、使うなら最終決戦の一発技でしか…。
一応引っ張り出すための策はあるんですが。
どっかの魔女じゃあるまいし、男の趣味で口喧嘩してぶっ放すよーな恐ろしいマネできません(汗)
黒い月も発動できません。
スランプもちょっとずつ回復してきています。
何だかんだ言っても、暇な時間が出来るとキーボードに向かいたくなるんですよね。
10.一言。様
錬金術で強化が出来るかは解りませんが、ルビナスがやったのは単なるドーピングです。
危険な薬物なのです。
大河は気付いていませんが、何気に危機的状況にあったのです…。
後のリスクを覚悟してでも、あの状況では戦力を上げるのが正解でしょう。
11.縮退砲様
大当たりですよ~。
リューンです。
万物の精霊です。
正確に言うとちょっと違うのですが、その辺の解答はいずれ作中で…。
13.いちふぁん様
ええ、言ってしまいました。
余裕が無くても、バッチリ大河は聞いていますよ。
無意識だからリリィは覚えていませんが…。
さて、どうしてくれましょーか……。
14.なまけもの様
リリィもいい加減に一度は壊しておきたかったので、ちょっと強引に壊れてもらいました。
彼女に比べて、ルビナスはとても壊しやすいです。
だって本人がノリのよさそうな性格なので、多少の無茶をさせても違和感が無いんですね。
ナナシが大河を庇ってからの一連の流れは、思いっきり狙ってみました。
もっとコテコテの仕掛けをやってみたかったのですが、時守ではこの程度が限界みたいです。
ボスを倒したらザコが消えるのもお約束ですね。
リリィは…まだ飼う事はできませんね。
もうちょっと先に進めてから…。
15.きりん様
すみません、時守は言葉の裏を読むのが苦手なもので…。
指摘されてようやく気がつきましたが、これは完全に失念していました。
なるほど、確かに大河の立場をすっか忘れていました。
アシュ様だけでなく、未亜に話した隊長の事とかも…。
大河が安全だと言っても、無条件で信頼できるわけではありませんね。
今後はもう少し自重させようと思います。
今回に限って言えば、リリィは魔神という物に実感がありません。
例えば顔見知りの隣人がヘンな機械を差し出してきて、『コレ、某国で開発した惑星でも砕ける兵器のスイッチ』とか言っても冗談だと思いますよね?
彼女が見たのはどっちかというと兵器そのものですが…。
それと同じで、リリィにとっては『とんでもなく強い魔力を持った人間が居る』と言う程度の認識なのです。
フォローのために今後、その辺に関するイザコザも書くかもしれません。
それと、ネットワークに関する危険性云々については、根本的に設定に関わります。
彼らが『魔王』と呼ばれている理由がそれです。
傲慢極まりない理由なのですが…。
設定上は世界の一部でしかない“破滅”ですが、アヴァターが根の世界と信じる人間にとっては世界すべての“破滅”です。
アヴァターの人間にしてみれば、どこか遠い世界のネットワークよりも、目の前の“破滅”の方が恐ろしく感じると思います。
そもそもネットワークの事を知っているのは、大河を除けば現代日本人の未亜しか居ません。
そして現代日本人は基本的に危機感が足りていないのです。