ミーティングを終えて自室に戻ったクルーゼは、自分のポータブル・コンピューターを立ち上げる。
指紋照合、声紋称号、三十桁に及ぶパスワード入力を経て画面に表示されたのは、そこにあるはずの無いデータだった。
ずらりと並んだ数十名の個人情報。
その中にはマリュー・ラミアス、ナタル・バジルールといった名前も含まれている。
アークエンジェル・クルーの詳細な名簿だった。
ヘリオポリス襲撃以前のデータなのだろう。
現在のアークエンジェルにはいない佐官級の士官の名もある。
クルーゼはそのデータを一つ一つ順にチェックしていく。
艦長である大佐のものから順に階級が下のものへと。
次々に画面を切り替えデータを読み飛ばしていた、クルーゼの視線が不意に止まる。
「……ほぅ……これは……」
空いた手を顎に当て、表示されたデータを精読する。
ナタル・バジルール少尉。
25歳。
士官学校を主席卒業。
在学中は戦術・戦略シミュレーションにおいて、教官相手の演習も含めて無敗。
天才と称されるも、その隔絶した高すぎる能力と自他共に対してあまりにも厳格な性格からか、友人は皆無。
指揮官よりも参謀に向いたタイプだ。
外見的な特徴もミゲルの報告にあった人物の一人と符合するから、ヘリオポリス襲撃の際に戦死することなく乗艦できたのは間違いない。
「ふむ……あの艦の戦闘指揮を執っているのは彼女と見て間違いなさそうだな」
だが、そうすると腑に落ちない部分がある。
ストライクのパイロットについてだ。
このような人物が、いかに能力があるとは言え一介の民間人に軍の機密を触らせるだろうか。
答えは、否。
ならば、ナタル・バジルールはあの艦の最高責任者ではないと考える方が自然だ。
おそらく別の、能力的にはそれほどでもないがカリスマ性を持った人物が艦長になり、ナタル・バジルールは副艦長として実戦の指揮を執っているのだろう。
だが、カリスマ性などという評価しがたい能力が書類の上に表れるはずがない。
クルーゼの眼を以ってしても、艦長が誰なのかまでは推測することも不可能だ。
しばらくデータと睨み合っていたクルーゼは、画面から視線を外す。
やはり『足付き』の指導者となっているであろう人物は目星もつかなかった。
とりあえず、現状ではそれでも構わない。
指導者が誰であろうと、艦ごと沈めてしまえば何の問題も無いのだ。
気をつけなければならない敵は、ムウ・ラ・フラガ、ナタル・バジルール、そしてキラ・ヤマトの三名。
クルーゼはそう結論付ける。
いくつもの見落としをしてしまっていることには気づきもしない。
だが、それはクルーゼの責任ではないだろう。
彼の『敵』は本来知り得るはずのない情報に基づいて行動しているのだから。
第10話 掌の上の輪舞曲(ロンド)
それから数時間後、クルーゼは再びヴェサリウスのミーティングルームに向かっていた。
ついに『足付き』を発見した、との報告があったのである。
クルーゼがミーティングルームに入ると、四人の「赤服」を含め、主だったパイロットは既に集まっていた。
敬礼を施してくる部下達に敬礼を返しながら、部屋の中央に向かう。
テーブルのようなモニターには、周辺の宙域図が映し出されている。
ヴェサリウスを示す光点の前方にはアークエンジェルを含め四隻の艦隊があり、さらにその先には地球連合軍第八艦隊と思われる光点の群れがあった。
「……なるほど、ラクス・クラインの解放はこのためか」
「やはり、そう思われますか」
クルーゼの呟きに、アデスが答える。
「ああ。あの艦隊と合流するための時間稼ぎだったのだろう。我々が彼女を放り出せないのを承知の上で解放し、拾わせ、その間に自分達は味方と合流する、か。敵にもなかなか切れ者がいるようだ」
実際にはアークエンジェルがラクスを解放したのは第八艦隊先遣隊からの通信が入る前であったし、この策を考えたキラにとってみれば、それはいくつかある目的の内で最も優先順位の低いものであった。
だが、クルーゼ達がそう考えるのも無理はないことであり、クルーゼの頭に浮かんだ名前がナタル・バジルールであったのも無理からぬことである。
「それにしても皮肉なものだな。この行軍速度は『足付き』一隻の時よりも明らかに遅い。救援のために艦隊を分けて先行させたのだろうが、逆に高い機動力を持つ『足付き』の足を引っ張っている」
クルーゼは嘲笑って顔を上げる。
「奴らが本隊と合流するのに要する時間は?」
「おそらく、あと一時間ほど。相対速度からして、追いつくのに要する時間は三十分ほどです」
クルーゼの問いにアデスが答えた。
その返答に、クルーゼは顎に指先を当てて考える。
今、彼の手元にある戦力は自分直属のヴェサリウス、ガモフと、指揮下に入っているポルト隊のローラシア級戦艦ツィーグラーの三隻。
モビルスーツは地球軍の新型が四機とジンが十二機。
さらに、ラコーニ隊もラクスの護衛が終わり次第合流することになっている。
クルーゼの持つ選択肢は二つ。
今すぐ攻撃をかけて合流される前に叩くか、ラコーニ隊と合流した上で第八艦隊ごと叩き潰すかだ。
「隊長、行かせてください! 戦闘時間は三十分は確保できます。それだけあれば、あの艦は沈めてみせます!」
考えるクルーゼに、イザークが勢い込んで言う。
確かに、普通に考えれば三十分もあれば四隻程度は優に沈められる戦力が、ここにはある。
はっきり言ってしまえば、このまま第八艦隊と戦闘に入ってしまっても問題無いほどの戦力である。
だが、『足付き』の戦闘力はいまだ未知数にあると言って良い。
特にストライクの、と言うよりそれに乗るキラ・ヤマトの戦力は異常とさえ言えるほどだ。
あの艦にかかっては、この戦力でさえ十分と言えるかどうかわからない。
それに、最近はクルーゼの考えも少し変わってきている。
クルーゼの持つ情報源からは、地球軍、特に大西洋連邦上層部は『足付き』をあまり歓迎していないらしい様子が伝わってくるのだ。
おそらく、『足付き』がモルゲンレーテ製であることが大西洋連邦のバックにいる軍需産業連盟にとって面白くないのだろう。
そこで彼はこう考えているのだ。
『足付き』を上手く泳がせた方が、戦争を拡大し、泥沼化させるのに役立つのではないか、と。
だが、今のイザークの発言でクルーゼの心はだいぶ速攻に傾いた。
確かにこれで沈められるかはわからないが、どちらに転んでも良いのではないか。
沈められれば良し。
沈められなくても、それはザフトに傾きかけた軍事バランスの均衡を取り戻すだけの力が、あの艦にあることを証明することになる。
それならば改めて利用する方法を考えれば良いのだ、と。
雪辱に燃えるイザークの青い瞳をしばし見返した後、クルーゼは周囲のパイロットにも視線を向ける。
イザークよりも度合いは下がるが、『足付き』に対しては良い所の無い彼らも、雪辱に燃えているのは同じようだった。
ストライクのパイロットがコーディネーターだったという報せがもたらした戦いをためらうような空気は、いざ怨敵を前にして吹き飛んだらしい。
まだ戦いをためらっているらしいのは、アスランとニコルくらいなものだ。
良い傾向だ、とクルーゼは口元に笑みを浮かべる。
戦いにさえなってしまえば、互いの負の感情は加速度的に膨れ上がっていく。
雪玉を雪山から転がり落とすように。
クルーゼに、それを止める理由は無い。
「良いだろう。敵本艦隊と合流されてしまえば、『足付き』を沈めるのはより困難になる。それよりも前に叩く! 総員戦闘準備」
「「「「「「はっ!!」」」」」」
クルーゼの言葉に、全員の返答と敬礼が唱和した。
格納庫へと去って行く彼らの背中を、仮面の裏に暗い笑みを浮かべながらクルーゼは見送る。
彼らにはまだまだ踊ってもらわなければならないが、途中で死なれても一向に構わない。
むしろ、散るときは派手に散ってもらいたいものだ。
彼らの死に様が悲惨であればあるほど、憎しみの連鎖は加速されるのである。
「やれやれ。今までになくハードな状況ですね」
「それだけ向こうさんも本気ってことだろう」
「戦艦一隻のためにご苦労なことです」
「どっちかって言うと、目の敵にされてるのは艦よりも坊主なんじゃないか?」
「フラガ大尉が怠けてるせいでしょうが。たまに出撃するときくらい、ちゃんと働いてくださいよ」
軽口を叩きながらパイロットスーツに着替えたキラとフラガは更衣室から駆け出した。
キラがぼやいた通り、今回の戦闘は今までよりも格段に厳しい。
相手はガンダム四機とジン十数機。
対するキラ達はと言えば、三隻の護衛艦ははっきり言って戦力として期待できず、今までとさして変わらない。
唯一の救いは、今回は時間制限があることか。
前方の第八艦隊本隊と合流できれば、さすがに敵も手を引かざるを得ないだろう。
そのことは先遣隊の隊長もわかっているらしく、三隻の護衛艦を時間稼ぎの捨て駒として使い、アークエンジェルには全速力で合流を目指させるという方針になったようだ。
ラミアスは渋ったようだが、上官の命令という言葉に承服したらしい。
「ホント、ボランティアの少年をこき使いすぎなんですよね」
「君が言い出したことだろう? 諦めろ」
「まあ、良いんですけどね。真面目な話ですが、バスターの相手を任せちゃって良いですか? 距離がかみ合わないせいで、あいつの相手をしてると時間がかかるんですよ。今回はあいつの相手をしてる暇は無さそうです」
「別に良いが……他の三機は良いのか?」
「はい。とは言っても、落とす必要は無いです。俺やアークエンジェルに攻撃する暇が無いようにしてくれれば」
そんな会話を交わすうちにキラ達は格納庫に入った。
オレンジの作業服を着た整備員達が忙しそうに作業している中を、キラとフラガはそれぞれの機体に向かって飛んでいく。
「おい、坊主。言われた通りエールのバーニアの出力上限は上げといたぞ」
キラに気づいたマードックが、コックピットに乗り込もうとするキラを呼び止める。
「マジで? 間に合ったんだ」
「ああ。坊主が捕まえてきたジンのパーツを流用させてもらってな。だが、最大出力は相当エネルギーを食うぞ。PS装甲と合わせると、実働時間は……」
「ありがとう、おやっさん。大丈夫、PS装甲は使わないから」
「使わないって、お前……」
「全部避ける。そのためのエールじゃないか。だいぶ、宇宙空間の戦闘にも慣れたしな」
驚くマードックにキラは不敵に笑ってみせ、コックピットに入った。
シーベルトを締め、システムを起動する。
状況はかなり悪いが、心のどこかでそれを楽しんでいることをキラは自覚していた。
『戦い』を極めることに全てを捧げてきた者達の、神刀流の魂が、自分にも確かに根付いているらしい。
戦争を忌む心と矛盾しながらも同居する戦士としての昂揚感に、今は身を委ねる。
激しい機動でも飛ばないよう、シートの脇に固定してある刀に手を触れさせて、しばし目を閉じた。
不利な状況?
よろしい。
この手に携えるは、切れぬ物無き武の神の剣。
そのようなもの、我が剣を以って切り開いてやろうではないか。
キラの口元に不敵な笑みが浮かんだ。
アークエンジェルと第八艦隊の合流まで、残り約三十分。
ディアッカの視界の隅に、地球軍の護衛艦隊とジンの部隊が戦闘に入ったのが見えた。
だが、ディアッカ達はそれに目もくれずに先を急ぐ。
「赤服」の四人はストライクの相手に専念せよ、との命令が出ているのだ。
その彼らが目指す『足付き』は、護衛艦隊のさらに前方にいる。
互いに発見したタイミングは同時だったのだろう。
発見してから数分後、『足付き』は他の三隻から離れ始め、今ではかなり距離が開いている。
地球軍の護衛艦三隻に速度を落とした様子はないから、今までそちらに合わせていた『足付き』が本来の速度を出したのだろう。
それにより、三十分を想定していた戦闘時間は二十分ほどに短縮されてしまった。
ちらりとディアッカはモニターの中のイザークに視線を向ける。
ただでさえピリピリとしていたのに、そのことが分かった辺りからさらに苛立ちが募ってきている様子が窺える。
「イザーク、あんまり熱くなるなよ」
『解っている!』
解ってねえじゃん、と苛立ちに満ちたその返答を聞いてディアッカはため息を吐く。
こうなったらもう止まらないのは分かっている。
もはや、これが良い方向に出てくれることを祈るばかりだ。
ディアッカは再び徐々に近付いてくる『足付き』に目を向けた。
トリコロールの船体は、地球軍に残された唯一のモビルスーツを連想させる。
「まったく、厄介な物を作ってくれたもんだな、ナチュラルどもは」
『でも、あんな物を作ってどうするつもりなんでしょうね? 結局、あのストライクにしたってナチュラルには使えないんでしょうし』
ぼやいた少年の言葉にニコルが疑問を呈した。
「ナチュラルの事だ。どうせ何も考えずに性能上げたんだろ?」
クックックッと、小馬鹿にしたような笑いをディアッカは漏らす。
それを銀髪の同僚の凛とした声が遮った。
中性的なその声は、通信機を通してしまうとますます男か女かわからなくなる。
『無駄話はそこまでだ。ヤツが出て来たぞ』
冷静そうでいながら、その声の裏側に熱く煮えたぎる物を感じさせる、何かを抑え込むような口調だった。
言われるまでもなくディアッカも気づいている。
『足付き』の足のようなカタパルトから二機の機体が飛び出したのだ。
一機はオレンジ色のモビルアーマー、そしてもう一機は……
『『えっ?』』
「『なにっ?』」
四人の声が重なった。
『足付き』から射出されたのはトリコロールのモビルスーツ、ではなかった。
PS装甲を展開していない、灰色のままの機体が向かってくるのだ。
ディアッカ達の射程に明らかに侵入しているにも関わらず、PS装甲を展開しようとする気配は無い。
「俺達が相手じゃ被弾なんかしないってか? 舐めやがって!」
ディアッカは忌々しげにストライクを睨みつける。
だが、ディアッカよりも遥かに激しい反応を示す者がいた。
『ふざけるなぁぁぁ!!』
「お、おい、イザーク!」
ビームサーベルを抜き放ったデュエルがストライクへと突進する。
呼びかけるディアッカの声も聞こえてはいないようだ。
「チッ! あんまり熱くなるなって言っただろうが」
舌打ちしながら右腰のレールガンを前に、左腰の大型ビームライフルを後ろに連結し、対装甲散弾砲にしてストライクに向ける。
PS装甲を展開していないということは、当たれば実体弾でも効果があるということだ。
今までの経験もあるし、相手がコーディネーターだと分かったこともある。
ディアッカはもう、ストライクを侮ってはいない。
原理は分からないが、発砲のタイミングを読むことが出来るということも疑っていない。
精密な射撃をしてもどうせ避けられるのだから、ラッキーヒットを狙ってとにかく大量の弾丸をばら撒くしか、ストライクに当てる方法は無いと考えていた。
おそらく、四機の持つ武器の中で最も有効な物がこれのはずだ。
だが。
ピー! ピー! ピー!
「チッ!」
ロックオンされたことを告げる警報が鳴り響き、ディアッカは回避行動を取る。
一瞬前までバスターがいた場所を、一条のビームが灼いた。
続いてオレンジにカラーリングされたモビルアーマーが視界を通り過ぎる。
メビウス・ゼロ。
『エンデュミオンの鷹』ムウ・ラ・フラガの乗機。
遠隔操作型のビーム砲台、ガン・バレルを駆使してクルーゼとさえ互角に張り合う、唯一のモビルアーマーだ。
その難敵が、ストライクを三機がかりで包囲するイージス、ブリッツ、デュエルには見向きもせず、バスターをぴったりとマークしていた。
「クッ……まずいんじゃないの、この状況!」
ディアッカは止むを得ず銃口をメビウス・ゼロに向けながら、イザーク達に視線を走らせる。
最初から銃撃を放棄し白兵戦に持ち込むという作戦だったが、予想した以上にストライクは白兵戦に強かった。
三対一という状況でも小揺るぎもしない。
遠距離攻撃も混じえているが、ビームライフルや『ランサーダート』ではあっさり避けられてしまう。
こういう展開になった時こそバスターが必要とされるのだが、バスターとメビウス・ゼロの戦闘は完全に拮抗してしまっている。
イザーク達とて三対一だが、アスランとニコルは戦いをためらっており、逆にイザークは戦いに逸りすぎている。
万全のコンディションならば滅多なことは無いだろうが、あのストライクが相手では些細なことが命取りになりかねない。
「早まるなよ、イザーク!」
メビウス・ゼロと激しい砲戦を繰り広がるディアッカの心に、不安と焦りが生まれ始めていた。
『足付き』と艦隊の合流まで、残り約二十分。
戦場は大きく三つに分かれていた。
第八艦隊先遣隊の護衛艦三隻対ジン十二機、メビウス・ゼロ対バスター、ストライク対イージス、デュエル、ブリッツの三つである。
第一の戦場はザフトの圧倒的な有利で、三隻の護衛艦のうち一隻が既に沈められ、残る二隻も長くはもたないだろう。
第二の戦場は完全に互角。
使用するのは基本性能の劣るモビルアーマーでありながら、フラガはガン・バレルを巧みに使ってバスターと見事に渡り合っていた。
そして第三の戦場では、ストライクがやや有利に戦いを進めている。
同等の性能を持つ三機のモビルスーツに囲まれながら、キラはいまだに攻撃をかすらせてさえいない。
背後や足元などの死角からの攻撃でさえ完璧に回避してみせる様は、いったいいくつ目がついているのかと問いたくなるほどだ。
戦闘開始以来、アークエンジェルはいまだに一発の砲火も発してはいない。
艦の攻撃を司るナタルが何の指示も下していないからだ。
それどころか、何度か支援攻撃をかけようとするラミアスを制止し、命令を要求するトノムラやロメロの言葉を却下してすらいる。
確かに十分な距離がある状態では、艦船からの攻撃などモビルスーツにはそうそう当たるものでは無い。
だが、だからと言って何もしないというのは耐えられるものではない。
不満と不審のこもった視線を浴びながら、それでもナタルは動かなかった。
その間、ただじっと戦況を見つめているだけだった。
しかし、ナタルは何もしていなかったわけではない。
それどころか、逆に余人の想像もつかないようなことをやっていたのである。
「ゴットフリート一番、方位一一三、仰角十二に照準」
艦橋要員の不満もそろそろ限界に達しようかと言う頃、突然ナタルが命令を下した。
不可解な命令である。
「……え? しかし、その方角には……」
トノムラが当然の疑問をナタルに投げかける。
ナタルが指示した方角にはただ漆黒の宇宙空間が広がっているだけなのだ。
確かにその近くでストライクが戦闘を行ってはいるが、妙に具体的な命令のわりに、そのポイントには敵はいない。
「良いから早くしろ!」
「は、はい!」
だが、ナタルはトノムラの反論を切り捨て催促する。
指示した方角に敵がいないことくらい、ナタルとて承知しているのだ。
「照準、合わせました」
トノムラの報告を受けて頷くと、ナタルは頭の中でカウントを始める。
まだ早い。あと三秒……二……一……
「てぇー!」
号令と共に艦上部に設置されたビーム砲が火を噴く。
その瞬間。
誰もいなかったはずの射線に、ストライクに追われたブリッツが滑り込んできた。
直前に気づいたブリッツが『トリケロス』で防いだが、完全に直撃コースである。
「なっ……!」
「は……?」
「えっ……?」
いくつもの驚きの声が重なった。
半信半疑で発射ボタンを押したトノムラも、他の艦橋要員も、一様に驚きを顔に浮かべている。
だが、ナタルはそれにも気づかずにストライクの動きに視線を走らせていた。
怜悧な美貌に、フッと笑みが浮かぶ。
今の砲撃を機に、ストライクの動きが変わったのに気づいたのだ。
アークエンジェルの支援を考慮に入れた動きになっている。
アルテミスを脱出した直後に最初の議論を交わして以来、キラとは幾度もストライクの運用に関して話し合ってきた。
キラの戦略・戦術思想は完全に頭に入っている。
そして今、実戦における戦闘パターンをじっくりと観察し、解析させてもらった。
それだけの情報があれば、ナタルの頭脳はキラの行動の先を正確に読むことができる。
天才肌のフラガは勘に頼る部分が多いため、ナタルが傍から動きを読むことはほとんどできない。
ゆえに効果的な援護もしにくい。
だが、キラにならばそれができるのだ。
面白い。
本当に面白い。
ナタルは思う。
通信など、言葉など不要。
機動の一つ、砲撃の一つが、百の言葉以上に明確に思考を伝え合うというこの感覚。
同じ次元で通じ合えるというのが、これほど楽しいことだとは思わなかった。
今、ナタルの脳内にはこれから十秒間程度のストライク、イージス、デュエル、ブリッツの動きが明確なビジョンとして浮かんでいる。
そしてそれはキラも同じであるという確信じみたものがあった。
超能力でも何でもなく緻密な計算によるそれは、無論、僅かな誤差で崩れるものである。
だが、二人がかりでその誤差を修正し敵の動きを誘導することで、遠からず『詰む』ことができるだろう。
ナタルは『王手』までの時間をおよそ五分と概算した。
「ボサッとするな。次は方位二九六、俯角三だ。二番で狙え」
「は、はいっ」
数分後の布石となる一手を打つべく、再びナタルの指示が飛ぶ。
そこにもやはり敵はいないが、もはやトノムラも反論はしなかった。
アークエンジェルと第八艦隊の合流まで、残り約十五分。
「何でっ!?」
ストライクの突き出してきたビームサーベルを、『トリケロス』で防ぎながらニコルは叫ぶ。
確かに今、ブリッツはミラージュ・コロイドを展開しているのだ。
ブリッツに搭載されたミラージュ・コロイドは電磁的・光学的にほとんど完璧な迷彩を施すことを可能にしている。
熱を隠すことはできないから赤外線では感知されてしまうが、今は戦闘の真っ只中。ビームや爆発が出す熱を考えれば、赤外線センサーが役に立つとも思えない。
それなのに、ストライクは正確にブリッツを居場所を感知し、襲い掛かってくる。
まさか気配などという非科学的極まりないもので捉えられているとは、いかに「赤服」をまとうパイロットとはいえ、さすがに想像の外にある。
おまけに、先程から『足付き』からの砲撃が異常なまでに正確になっている。
機動力の高いモビルスーツに対して遠距離攻撃を当てられる距離というのは、本来それほど長くない。
それ故に艦船がモビルスーツを攻撃する際には、ミサイルのように誘導できる兵器を使うか弾幕を張るかということになる。
だが、『足付き』は直射しかできないビーム兵器で、明らかに狙撃してきている。
しかも、ニコル達の動きを先回りするように。
シールドで防ぐなり、咄嗟に回避するなりして直撃は避けているものの、既に機体のところどころにダメージを負っている。
ニコルの背を嫌な汗が伝う。
『足付き』の砲撃が突然正確になった辺りから、嫌な感覚が消えない。
まるで誰かの掌の上で踊らされているような感覚。
圧倒的に有利な状況であるにも関わらず、まるでこちらが負けているかのような不安。
イザークは、アスランは気づいていないのだろうか。
と、その時。
『足付き』の二門の主砲が火を噴き、二連装のビームがそれぞれブリッツとイージスに放たれる。
ストライクの背に斬りかかろうとしていたニコルは、止むを得ず回避した。
回避してから、ハッとする。
ブリッツとイージスの前を塞ぐように放たれた砲撃が、二機をストライクから引き離していた。
常に三対一を保っていた状況の中に、数秒間、一対一の状況が生まれてしまった。
ニコルの目に、デュエルへと襲いかかるストライクと、それを迎え撃つデュエルが映る。
「イザーク! ダメ!!」
叫び、ニコルはブリッツを疾らせる。だが、そのときにはもう、遅かった。
敗因はいくつかあるだろうが、一つにまとめるならばイザークは熱くなりすぎた。
今までの屈辱を雪ごうとする思いが強すぎたこと。
ストライクがPS装甲を展開しないことを侮辱と捉えてしまったこと。
三機がかりで、墜とすどころか攻撃をかすらせることさえできていないこと。
キラによって誘導された部分もあるが、キラとナタルが緻密に作り上げた状況に誘い込まれたとき、既にイザークは冷静さを失っていた。
根本的に攻撃的で直情的なイザークは、キラのような策士とは相性が最悪なのだ。
突っ込んできたストライクが鋭く突き出してくるサーベル。それをイザークは盾で受け、弾く。
「もらったぁぁぁぁ!!」
サーベルを弾かれ、体が流れて背中をさらすストライクに、イザークはサーベルを振り下ろす。
あまりにも容易く背中を向けたことを、不審に思うこともせずに。
ドガッ!
突然の衝撃にデュエルはバランスを崩す。
そのことに何かを思うよりも早く、ストライクの追加パーツのブースターが、噴射炎をデュエルに吹き付けてきた。
姿勢を崩され、視界を塞がれ、ビームサーベルが空を切る。
噴射炎が晴れたそこには、サーベルを構えるストライクの姿。
「クッ!」
慌てて姿勢を立て直し、シールドを構えようとする。
だが、左足のブースターがエラーを発し、余計に姿勢が崩れた。
「何だと!?」
いつの間にか右足の膝が砕かれている。
関節部を正確に狙って、横から強烈な打撃が加えられたような壊れ方だ。
それがストライクの後ろ回し蹴りによるものだと、そこまで読み取っている暇は無かった。
せめてもの防御に、イザークはシールドをかざす。
かろうじて、機能中枢を狙った突きの軌道を逸らすが、サーベルを持った右肩を貫かれた。
その衝撃が機体を揺さぶる。
それが収まるよりも早く、サーベルを消して手放したストライクの右手が、デュエルの右腕を掴んでいた。
掴まれた腕が捻り上げられ、同時にシールドの上から前蹴りが叩き込まれる。
捻り、引かれるその力に、ダメージを受けた肩関節は耐えられなかった。
デュエルの右腕が、根元から引きちぎられる。
手の中に残ったデュエルの右腕を、ストライクは振り向きざま後ろに向かって投げつける。
内臓バッテリーでいまだに作動しているビームサーベルの刃が、突然、何も無い空間で火花を散らした。
自分のサーベルを再び右手に収めたストライクが、続けてその空間に突きを放つ。
再び激しく火花が散った。
何も無いように見えた空間から、滲み出るようにブリッツが姿を現した。
『トリケロス』の盾の部分で、ストライクのサーベルを受け止めている。
ストライクはそのままブリッツと切り結びながら移動していった。
もはやイザークのデュエルには見向きもせずに。
イザークは機体の損傷を素早くチェックする。
右腕が大破、右脚が中破。
動くだけなら問題は無いが、戦闘の続行はもはや不可能だった。
状況を受け入れるのに、数秒。
ガンッ!
狭いコックピットの中に衝撃音が響く。
イザークの拳が、操縦用のパネルの脇に叩きつけられた音だった。
「クソォォォォォォォォォ!!」
肺の中の空気を全て吐き出すまで絶叫し、イザークはモニターの中のストライクを睨みつけた。
その視界が悔し涙に滲む。
パイロットスーツの袖で乱暴にそれを拭うと、身体を震わせ歯を食いしばりながら、イザークはガモフへと音声のみの通信を入れた。
「……こちらイザーク。……これ以上の戦闘続行は不能……。これより……帰投する……」
普段と違う反応の機体を反転させ、ガモフに向けてバーニアをふかした。
慣性に任せて機体を飛ばせながら、イザークはずっと、涙の滲んだ目でストライクを睨み続けていた。
『足付き』と艦隊の合流まで、残り約十分。
「よっしゃ! これで動ける!」
帰投していくデュエルをモニター越しに視界に収め、キラの口から思わず言葉が飛び出る。
両手が塞がっていなかったらガッツポーズを取っているところだ。
フラガがバスターを完全に抑え込んでくれているから、これで二対一。
これならば、隙をついてジンの相手をすることもできる。
ちょうど護衛艦の最後の一隻、モントゴメリが沈められたところだった。
もう少し遅れていれば、アークエンジェルの方がかなり厳しくなっていただろう。
視線を目の前の相手に戻す。
ブリッツにイージス。
それを駆るニコルもアスランも、この戦いには消極的な様子で、それほど激しい攻撃を仕掛けてくるわけではない。
だが、それは一方で手堅い防御となり、速攻で倒すことはできそうもない。
ならば、無理をしてこの二人の相手をする必要は無い。
「……試してみるか」
キラは呟くと共に、切り結んでいたブリッツを蹴りで突き放す。
同時に、エールのバーニアを最大出力まで振り絞った。
ドンッ!!
そんな衝撃音すら聞こえそうなほどの急加速。
とんでもない負荷がキラの全身にのしかかった。
「クッ……おやっさん、やり過ぎ……!」
苦痛には耐性があるはずのキラの唇から、思わず苦悶の声が漏れる。
だが、それでも意識が戦場から離れることはなかった。
すさまじい加速でストライクが疾る。
みるみる内にアークエンジェルへと向かうジンの群れが近づいてきた。
それに気づいたらしいジンがバズーカを、あるいはライフルをストライクに向ける。
だが、ストライクはモビルスーツの限界に挑むかのような速度で迫っていく。
それに対応するには、動きが遅すぎた。
キラは先頭のジンに針路を向け、ビームサーベルを真横に構え、振ると言うよりも押し出すように動かす。
それ自体は攻撃とは言えないような緩やかな動作を、機体自体の速度が強烈な斬撃に変えた。
ジンの機体が、コックピットの少し上のラインで綺麗に斬断される。
キラは機体を反転させて少しずつ減速をかけながら、大きく呼吸をし、強烈な負荷を受けて呼吸を止めていた肺に酸素を取り込む。
マードックの言った通り、かなり激しくエネルギーを消費する上に、体にかかる負担も大きい。
機体にかかる負担も同様だ。
そう何度もできるものではない。
だが、今の一撃でも十分に脅威を与えることはできただろう。
今の速度ならば多少の距離は関係ない。
ストライクに脅威を感じて、アークエンジェルへの攻撃も散漫になってくれるはずだ。
残り時間は十分強。
どうにか、乗り切ることができそうだった。
「ここまでだな」
「は?」
呟いたクルーゼに、アデスが視線を向けた。
「これ以上戦闘を続けたところで、『足付き』を沈めるのは不可能だ。無駄な犠牲を出す必要は無い。撤退させろ」
「しかし、まだ時間も戦力も十分にありますが……」
「だからこそだ。十分な兵力を残しておかないと次が辛くなるからな」
「次、ですか?」
「そうだ。ラコーニ隊と合流し、第八艦隊ともども撃破する。」
「しかし……」
「心配するな。策はある」
「……了解しました。モビルスーツ部隊に帰艦信号を出せ!」
納得はしていない様子だが、クルーゼの言葉を受け、アデスが命令を下した。
全機、戦闘を中止し帰投せよ。
そう命令が下ったのは、『足付き』が敵本艦隊の射程内に逃げ込むまで十分弱といった頃だった。
残り十分での撃沈は不可能と、クルーゼが判断したのだろう。
無理も無い。
『足付き』とその艦載機は、アスラン達を完全に手玉に取っていた。
『足付き』の砲撃も、ストライクの白兵戦も、アスラン達「赤服」だからこそここまで凌げたのだ。
一般兵ばかりで構成されたジンの部隊など、残りの十分で壊滅させられかねない。
だが、そのこと以上に気になることが、アスランにはあった。
アスランはイージスを突っ込ませ、ビームサーベルを振り下ろす。
アスランの意図に気付いたのだろう。
ストライクは今までは回避していたそれを、真正面から受け止めた。
鍔迫り合いをしながら、アスランはストライクとの間に通信を繋ぐ。
「……キラ。君は本当に殺さないように戦っているんだね」
『ああ、見ての通りだ。さっきのジンのパイロットはちゃんと生きてるか?』
「怪我も無く無事だよ。でも、なぜそんなことをしているの?」
『理由は色々とあるんだがな。ひっくるめて言えば殺したくないからさ。ラクスから伝言は聞いてるか?』
「うん。私もキラとは戦いたくない」
『そうか。両想いだったんだな』
通信機の向こうで、キラがおどけたのがわかる。
『だが、俺達は互いに敵対する陣営に別れてしまっている。戦いたくないなら、戦わずに済む新しい世界を作るしかあるまいな』
「え……?」
『詳しいことはラクスに聞け。俺は少々忙しいんでな』
その言葉を最後に通信が切られ、ストライクは合わせたサーベルを弾いた。
反動で、二機の機体が離れていく。
アスランは二度ビームライフルを撃った後、機体を翻して一路ヴェサリウスへと向かう。
「キラ。ラクス。君達はいったい何をしようとしているの……?」
母艦へと戻っていくストライクの遠ざかる姿を見ながら、アスランは一人呟いた。
(続く)
あとがき
シリアス一本の前回に続き、今回は戦闘一本でした。
実はこの二つの話、合わせて一話の予定だったのですが、長くなりすぎた上に内容的に同じ話にする理由がなかったため、二つに分けました。
今回のMVPはナタルさんかな、と個人的には思ってます。
ああいうカッコイイおねぃさんは大好きな上、原作での扱いがあんまりだったので、どんどんここでの扱いがよくなっていきます(笑)
そして作者に苛められてるイザークですが、実はあのキャラも大好きだったり。
好きなキャラほど苛めたいっていうアレです(爆)
話は変わりますが、皆様がご指摘くださったキラとカガリの遺伝子上の相違ですが、私も特に問題は無いと考えております。
その点に関しては、第01話のタイトル直前を見ていただければ、と。
さて、ちょっと連絡です。
ここまで毎週水曜日に連載してきたわけですが、少々リアルの方のスケジュールが立て込んでまいりまして、来週は連載できないと思います。
書けたら書くつもりですが、多分無理でしょう。
というわけで、大変申し訳ないのですが、来週はお休みになると思います。
すいません。
それでは皆様、また次回〜