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「幻想砕きの剣 5-1(DUEL SAVIOR)」

時守 暦 (2005-08-17 00:04)
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 教室。
 ダウニーの平坦な声が響き渡る。
 彼の授業は、学生が受けられる物としては非常に高度で、また冷徹なほど厳しい物と言える。
 彼の人柄に反感を抱く者も少なくないが、授業自体は概ね好評である。
 はっきりと発言し、また表現自体が正確なので、何を言わんとしているのか非常に解りやすい。
 もっとも、授業内容自体が高度なものであるため、理解しにくいのは事実だが、それは本人達の自助努力によって補われるべきものである。
 ダウニーは授業を初めて受け持った際、こう言い切っている。


「授業とは学ぶための場所であり、習うための場所ではない。
 私が何を言おうとも、貴方達がすべきなのは、私の授業を理解する事ではなく、私の授業から、何かを理解する事です。
 例え私の授業を理解したとしても、そこから何かを学ばねば何の意味もありません。
 私は、自身から何かを学ぼうとしない生徒を擁護する気はありません。
 そう言った生徒を救い出そうとも思いません。
 自分一人が堕落するのなら、私は何も言いません。
 自ら学び、疑問を持ちなさい。
 それをせずに私の授業が解らないというのであれば、それは貴方達がするべき事をしていないからです」


 と。
 ダウニーの言った事は間違ってはいない。
 確かに劣等生を切り捨てるかのような発言だが、彼の授業は勤勉な学生ならば十分付いていけるものであり、またその説明も解りやすかった。
 もしこれで説明が解かり辛く、さらに脱線を繰り返したり、あまつさえ質問に答えられなかった学生をネチネチ嫌味でいびるような、さらに自作したさっぱり理解できない教科書を売りつけるよーな(怒)人種の先生であれば、この発言は自分の無能の言い訳にしかならなかっただろう。
 現に学園にもそういう教師は存在し、ダウニーの猿真似をしようとして失笑を買った事もある。
 そしてそういった先生ほど、自分がどれだけ意味不明な戯言を言っているのか自覚していないので始末が悪い。
 幸か不幸か、ダウニーはその点では殆どの生徒に認められている。
 確かに厳しいが、能力自体は相応にある。

 そんな訳で、彼の授業では大抵の学生が私語一つ喋らずに勉強する。
 あるいはそう装う。
 大河のように、魔法云々がさっぱり解らないからといって、ダイレクトに昼寝をしたり、また意味不明な落書きだか数式だかを弄っている生徒は少ない。
 ダウニーが宣言した通り、私語で授業の邪魔をしたり、眠っている姿を見せて他人の学習意欲を減衰させたりしない限り、彼は注意しない。
 だから大抵の生徒は、授業を受けているフリをして別の授業の課題をやったりしている。
 カエデなどは、目を開けたまま背筋を伸ばして、寝息も立てずに眠っている始末だ。

 つまり、ダウニーの授業は全体的に、「真面目にやっていれば理解しやすいが、あっという間に置いて行かれる危険性がある。なにより堅苦しい」という評価を受けていた。
 それも教師としてあるべき姿の一端ではある。
 しかし、最近その評価が変ってきている。
 緊張感が、別の意味で増してきているのだ。
 本人としては不本意だが、こればかりはどうしようもない。

 現在ダウニーは、救世主クラスの授業を受け持っていた。
 何時ぞや酷い目に合わされた大河に含む物もあるが、自分は教師なのだと言い聞かせる。
 私怨のみで公平を欠く行動をすれば、それは公私混同である。
 ダウニーの行動原理としては、それを許す事はできなかった。
 しかし、その行動原理も衝動的に破りそうになっている。


「今日の講義は皆さんに“破滅”について考えてもらうために、少し話をしようと思います。
 そもそも“破滅”が何時産まれ、“破滅”として世界を蝕みだしたのか、正確な事は誰も解ってはいません」


 反応はない。
 大河に目をやると、視線が何処か遠くをさ迷っている。
 心なしか、肩が震えているような気がしないでもない。
 ダウニーの米神に青筋が浮いた。


「そればかりか、“破滅”と呼ばれるものがどうして起こるのか、何を目的として誕生し世界の人々を襲うのかさえ、本当の所は解っていないのです」


 大河だけではない。
 品行方正なベリオや、真面目な未亜、そしてあらゆる事に興味を示さないと言われたリコでさえも、ダウニーから目を逸らしている。
 ベリオはメガネを外して、ダウニーの顔を見えないようにさえしていた。
 カエデに至っては、そもそも目を開けてはいなかった。


「目的なんて…“破滅”は世界を破滅させようとしている病巣だからこそ、“破滅”と呼ばれるのではありませんか?……ぅぷっ」


 リリィですらも、ダウニーの顔を見て話す時には焦点をずらしている。
 これは最近の授業では日常風景となりつつある。
 今は救世主クラスしかいないが、他のクラスでも同じ事がおきているのだ。
 今学園内には、彼の顔を見て話す人物は数える程しか居なかった。
 ミュリエル学園長ですらも、彼の顔から目を背けるのだ。

 ダウニーは器用にも音を立てずに歯軋りする。
 血管がぶち切れそうだ。


「た、確かに“破滅”は大勢の人々を殺し、町と農地を破壊して耐えられぬ痛みと悲しみを我々にもたらします。
 ……が、“破滅”が“破滅”と呼ばれだしてから、一度たりと世界が滅んだ事はないのです。
 もし、世界が破滅していたとすれば、我々は誰一人としてこの世界には居ないのですから。
 それは何故でしょうか?」


「それは、その都度歴代の救世主が我が身を呈して世界を救ってきたか、からら……っぷ、失礼…」


 リリィの口が波打ってきた。
 危険な兆候だ。
 ダウニーは私情を強引に殺して授業を進める。


「…確かにそうでしょう。
 しかし、歴史に残る限り、救世主が世界を救えるのは、大勢の人々が死に絶えた後です。
 本当に救世主が“破滅”から世界を救う者ならば、彼女が救世主の自覚に目覚めた時に速やかに“破滅”は去り、世界は救世されていなければならないはずです」


「ダウニー先生!
 先生の言い方では、まるで救世主が役立たずのよぶはぁっ!?


 リリィはダウニーの言葉にかっとなって、言葉も荒くダウニーを糾弾しようとした。
 しかし勢い余ってダウニーの顔を直視してしまい、思わず呼吸を乱して息を盛大に吐いた。
 気管に何かが入ったらしく、背後を向いてゲホゲホ咳き込んでいる。
 彼女の手が机を粉砕せんばかりに握り締められている。
 背中を擦る大河に手を振って礼を示し、リリィは椅子に座り込んだ。


「……………救世主が役立たずなんて、言うつもりはありませんよ。
 ただ、破滅の目的が謎であるように、救世主の役割そのものも我々には解っていないのだと言いたいのです」


「救世主の役割?
 それは当然、世界を滅ぼして人々を救う事ではないのですか?」


「……見えにくいでしょう、ベリオさん。
 メガネをかけてはいかがですか?」


「い、いえ…一身上の都合により、辞退させて頂きます…」


 それでもベリオはダウニーを直視しない。
 ダウニーの手が、ローブの中で握り締められた。


「は、“破滅”を、滅ぼす、ですか…。
 むじゅ、矛盾した物言いだとは、思いませんか……。
 “破滅”を、滅ぼ、せる、モノが……破滅以外に…いる、と?」


「ケホケホ……そ、その矛盾を、力を持って可能にする存在こそ、救世主なのではないですか!」


「苦しい…なら…、無理に喋らなく、…てもいい…ですよ。
 ……それより、人と話をする…時には……その人と向き合ったら如何です」


「いえ、ちょっとまだ…」


 ダウニーの手に力が入った。
 今ならスイカも握りつぶせると、何の疑問もなくそう思う。


「そ、その救世主がどのようにして“破滅”から世界を救ってきたのか…それを覚えている人は、現代には一人もいないのです」


「ちょっと疑問があるんだけど」


 大河が珍しく挙手をした。
 相変わらず目を逸らしている。
 大河を見た瞬間、ドス黒い殺意が沸いて出たのだが、ここで攻撃するわけにはいかない。
 それでは自分が嫌う人種と同じになってしまう。
 ああ、だが今攻撃できれば、きっと世にも甘美な爽快感が…。

 ダウニーの葛藤を他所に、大河は質問を続けた。


「本当に、何も残っていないのか?
 救世主の存在自体はともかくとして、探せば何処かに民謡とか御伽噺の形で残されていると思うんだけど」


「いいえ、全く残っていません。
 文献にも辛うじてそれらしい記述が残っているくらいで、救世主が何をしたのか、具体的にどういう方法をとって“破滅”を打ち払ったのか、全くの不明なのです。
 救世主が召喚器を用いて奇跡を起こすのは確かですが、どのような奇跡かはまるで伝わっていないのです」


「それってちょっと変じゃないか?
 本みたいな形にして残されなくても、親から子へ語り継がれていったり、何処が決戦の場所だったとか、自然と残るのが普通だろ?
 全く手がかりが残されていないなんて、ちょっと作為的なものを感じるんだけど」


「ほう?
 なるほど、尤もな話です。
 …それで、大河君はどういう結論に達しているのですか?」


 思いもよらない大河の真面目な発言に、救世主候補生達も視線を向ける。
 暫く考えると、大河は頭をグリグリ弄りながら話し出した。


「“破滅”の残党がその手の痕跡を抹消していったのかと思ったが、これだけじゃとてもじゃないけど、アヴァター中の痕跡を消すのは不可能だ。
 あるいは、救世主自体が眉唾ものかとも思ったんだが……それにしては王宮とかの力の入れようが尋常じゃない。
 少なくとも、それに類する何かは存在していたと思う。
 ……十中八九、救世主の偶像自体に何か間違いがあると思う。
 長い年月の中で歪められたか、誰かが間違った情報をばら撒いたのか…」


「待ちなさい大河!
 アンタ何を考えてるのよ!」


 咳き込んでいたのも忘れ、リリィが大河に突っかかった。
 何時もの小競り合いと違い、彼女は妙に切羽詰っている。
 不思議に思いながらも、大河はリリィを見据えて話す。


「でもこれが一番しっくり来るんだよ。
 リリィだって、たかだか500年も前の事実や伝承が一切残っていないなんて、不自然だと思うだろう?」


「そりゃ確かに思うわよ。
 特に“破滅”と救世主に関する情報は、王宮もそうだけど色々な所が血眼になって収集・保管したものね。
 でも、それを踏まえて救世主に関する公表が為されているのよ?」


「いや、権力欲に取り付かれた連中の発表なんぞアテにならん。
 世界の危機が迫っていても、自分の利益の事だけ考えて嘘をついても俺は疑問に思わない」


「ア、アンタはまた実も蓋もない…」


 リリィが絶句する。
 彼女も似たような事を考えているので、反論できない。


「それとな、前からちょっと不思議だったんだが…“破滅”の事で」


「何です?」


 妙に真面目というか本気な表情になって、ダウニーが大河の前に回りこんだ。
 しかし、それがいけなかった。


「それは……うぷぷぷぷ…。
 “破滅”についても、何か情報の誤りがあるんじゃないかと思ってるんだがあ、あはは…。
 うぐぐぐ…も、もうダメだ〜〜!
 正面から見ちまった〜〜〜!

 あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!
 腹! 腹! 腹痛てェ〜〜〜〜〜〜!

「お、お兄ちゃん笑っちゃ……わ、私ももう限界〜〜!
 あはははははははは!

「拙者も釣られてしまって……は、はは…わはははははははははは!

「せ、せんせいゴメンなさ、はははははっははははは!

「わ、私も…あは、wwwww

「ちょっと大河、皆我慢してたのに、ぶぶぶぶぶぶ……っっか、あははははっはははははは!

「ええい、笑うな〜〜〜〜!」


 大河が教室で爆弾を爆発させてから一ヶ月以上。
 ダウニーのアフロは、何故か未だに治っていなかった。


 延々と響く笑い声。
 ダウニーがアフロになったその日から、学園内に笑い声が絶えた事はなかった。
 最初の日は天変地異でも起こるのかと恐々としていたが、セルを筆頭とした一部の学生が遠慮会釈なく笑いまくるので、周囲の生徒達もそれにつられて大爆笑してしまう。
 初めてダウニーに会った時のカエデなど、予想もしない不意打ちに笑いを堪える余裕さえ無かったほどだ。
 鉄の女と称されるミュリエル学園長でさえツボに入ったらしく、減給の抗議に行ったら、物凄い勢いで笑われた。

 単なるアフロならまだしも、ダウニーのアフロは普通のアフロではなかった。
 それが一層滑稽さを際立て、一ヶ月近くたった今も笑いを振りまいているのだ。

 何が普通ではないかと言うと、まず茶色い。
 最初は爆発で黒コゲになっていたのだが、時間が経つにつれて本来の色に戻っていった。

 さらに、天辺が平たく切られている。
 一体何のつもりなのか、勇気ある生徒がダウニーに直接聞いた事があるが、顔を青くしてブルブル震えるだけで何のコメントも貰えなかったらしい。
 ただ、「じぇいそんが、じぇいそんがくる……でんのこのおとがぁぁぁ!…じぇいそんがじぇいそんが…」とブツブツ呟いていたそうだ。
 …どうやら、何時ぞや保健室から叩き出された際に、チェーンソーでぶった切られた名残らしい。

 ダウニーの容姿が整っているだけに、中途半端なアフロが見苦しい。
 数える程のファンだった女生徒達も、自然と放れて行ったらしい。
 ただ、そのソウルフルな髪型に憧れる薔薇なアニキ衆がいるとかいないとか。

 このアフロのせいで、ピンと張り詰めた緊張感を保っていた授業はコメディの場でしかなくなり、真面目な顔をすればするほど笑い出しそうな生徒が増える。
 そして一人でも決壊すると、教室全体が共鳴して笑いが爆発しまくるのだ。
 既に大笑いが聞こえたらダウニーが居ると思え、が学園の共通認識になってしまった。
 爆笑を聞きつけた生徒や先生がダウニーのアフロを思い出し、授業中にも拘らず蹲って笑いを堪えることもある。

 授業の邪魔だからさっさと直せとミュリエルに通告されたが、どう言う訳か直しても直しても気がつけばアフロになっている。
 呪いでもかかっているのだろうか。
 邪魔になるのに直さないから、と言って再び減給を食らったダウニーだった。


(コイツさえ、コイツさえ居なければ…!
 もうどうでもいいから、目の前で笑い転げるこのバカタレにヤクザキックを食らわしてやるか!?)


 ダウニーが切れかけている。
 現に何度かキレて攻撃魔法をぶっ放した事もあるのだが、その度に減給を食らっている。
 そういった人間味(?)が見られるようになって返って生徒から人気が出たのだが、遣る瀬無さを一層引き立てるだけで嬉しくもなんともない。

 今正に、減給お構いなしでダウニーが最大級の攻撃魔法を練り上げて放とうとしていた所に、授業終了のチャイムが聞こえてきた。


「き、今日の授業はここまでにします!
 さっさと帰りなさい!」


 ようやく笑いが収まりかけた教室を振り返りもせず、ダウニーはさっさと出て行った。


 その日の夜。
 カエデが召喚されてから、それなりの時間が経っていた。
 彼女もアヴァターに馴染んできて、特に見知らぬ食事には興味津々である。
 普段は大抵大河に付きまとっているが、食事時には単独で行動する事も珍しくない。
 どうやら買い食いに嵌っているらしい。

 リリィは時々食事を抜く。
 勉強に打ち込みすぎて、時間の経過を忘れる事もしばしばだ。
 昼なら授業があるので仕方なく諦めるが、夜は夜食として何かを作ってもらったり、また買い置きのお菓子で誤魔化す事もある。
 一応料理も出来るらしいが、詳しい事は不明だ。

 リコはと言うと、彼女は一日三食以上を必ず食べる。
 鉄人ランチを食べた日だろうと、オヤツを貰って3分足らずで食い尽くした日だろうと、朝昼晩と見事な量を食べきる。
 そしてさっさと風呂に入って眠りにつく。

 未亜は平均的な食生活をしている。
 誰かさんのせいで朝が弱いので、時々寝過ごして朝食抜きの時もある。
 地球に居た頃は自分で朝食を作らなければならなかったが、アヴァターでは食券を出せばロハで作ってくれる。
 未亜の生活は地球に居た頃よりも堕落しつつあるようだ。

 ベリオの生活は基本的に規則正しい。
 毎朝早くに起き出して、礼拝堂に行って掃除をし、その後食堂に向かう。
 ただし最近は週に何度か出て来なかったり、妙に眠そうにしていると言われている。
 原因は言わずもがなである。

 大河は気紛れだ。
 育ち盛りなのでよく食べるが、昼寝や真昼間からのお楽しみの為に食事をすっぽかす事もある。
 そんな日は大抵腹の虫が鳴っているのですぐ解る。
 その分夕食を多く食べ、偶に鉄人ランチ並みの量を食べると評判だ。


 その日、大河は夕食を食べ終えるとベリオの元に向かった。
 カエデは食欲と好奇心の赴くままモリモリ食べているし、リリィは姿が見えない。
 リコはさっさと食べて姿を消してしまった。
 未亜は既に風呂に入っている。


「ベリオ〜、ちょっといいか〜?」

「はい、ちょっと待ってください………いいですよ」

「んじゃお邪魔しまーす」


 大河はベリオの部屋に入ると、相変わらず無駄に豪華というか広い部屋で落ち着かなさ気に首を竦めた。
 それを見てベリオが首を傾げる。


「どうかしましたか?」


「いや、大した事じゃないんだけどさ…。
 こんだけ広いなら、俺が未亜の部屋に居候してもおかしくなかったんじゃないかな〜と思って」


「あら、屋根裏部屋が気に入ったと言ったのは大河君ですよ。
 ……まぁ、今にして思えば同居させてもあんまり問題ありませんでしたね。
 問題自体は山積みですが、未亜さんはいつも大河君の部屋に入り浸っているみたいですし…」


 男女7歳にして同衾せず、と言ってももう説得力はない。
 彼女も週に何度か大河の隣で目を覚ますようになり、行為を心待ちにしている節がある。
 カエデが召喚された時期を境目にして、未亜が本気でデンジャラスな目つきをするようになったが、気持ちいいので許容範囲だ。
 カエデとの事も折り合いはついた。
 それこそ大河と未亜に体を張った説得をされ、ベリオもブラックパピヨンも結局了承した。
 未亜まで大河の側についていたのが不思議だったが、それはまぁいい。


「それで、どうしたんですか?
 今日はちょっと疲れているので、素直に眠らせてほしいのですが…。
 それに声が漏れちゃうし」


「生憎今日はソッチ系じゃないの。
 ちょっと頼みというか相談があってさ……」


「?」


 ちなみにベリオが疲れているのは、笑いすぎで腹筋に負担がかかりすぎたからだ。

 大河の相談は、ゾンビや幽霊を寄せ付けない、強いお札のような物はないか、という事だった。
 それならば、以前大河に飲ませた聖水がある。


「でもさ、アレって本当に効くのか?」


「効きますよ。
 神の祝福云々を言っても大河君には分かり辛いでしょうから、実も蓋もなく言いますが……あの聖水は、浄化作用を持たせた魔力が込められているんです。
 高位の神官であればあるほど、その効果は強くなります。
 一応神官でなくても作れますけど、やはり属性の問題なのか、神官ほど力を持たせる事はできません。
 フローリア学園の教会には、それはもう強力な魔力が篭った聖水が保管されているのです。
 どう言う訳か、王都の神官様が定期的に訪れて補充してくださっているんですよ」


「じゃ何でナナシには効かなかったんだ?」


「そこが私にも解らないんですよね…」


 大河の指摘に、ベリオは首を傾げて考え込んだ。
 単に水の効果がインチキなだけと言われるかもしれないが、あの聖水の効果は王宮のお墨付きである。
 現にあの聖水の効果で、病気が軽くなったり、はたまた作物の出来がよくなったり、呪われたかのような現象がピタリと止んだという話もある。
 ベリオとてその全てを信じている訳ではないが、確かに聖水には効果がある。


「単純に考えれば、聖水の効果に耐性があるゾンビ、という事になるのですが……リビングデッドとしての性質上、それは在り得ない筈なのです。
 ならば単に効果はあったけど、それを全く苦にしない程の力を持った高位のゾンビではないか、と思ったのですが…」


「とてもじゃないけど、そうは見えんわなぁ…」


「ですねぇ」


 それ程に強い力を持っているゾンビなら、瘴気なり何なり、それ相応の気配を纏うはずである。
 にも拘らず、ナナシが纏う雰囲気には死の匂いは極めて薄く、日向とマヌケの匂いがする。
 腐臭すら全く感じられない。
 防腐剤の効果だろうか?
 本人の性格故か、どうしても危険人物という印象に繋がらない。


「あるいは、そもそもゾンビじゃないか、だよな…」


「でも、彼女は墓の中に埋まっていたのでしょう?
 それにあの体の劣化具合は、100年200年では済みませんよ。
 彼女の体を調べる時、触れさせてもらいました……気絶しそうになったけど。
 そんなに長く生きる人間なんて居ないのだから、やはりアンデッドの類では…」


 2人は腕を組んで考え込んだ。
 ああだこうだと意見を交換し合うが、大した意見は出てこない。
 特別なゾンビか、さもなくばゾンビ以外の何者か、という結論にしかならなかった。


「まぁ、あの子の事はこれ位にしておいて……本題は何ですか?
 ナナシちゃんの事を話に来たのではないんでしょう?」


「ああ。
 実を言うと、幽霊達を追っ払えるような聖水やお札が要るんだ。
 なるべく多くて、強力なヤツが」


「…何かあったのですか?」


 物騒な内容に、ベリオの目つきが鋭くなる。
 幽霊は苦手だが、同じ救世主クラスの仲間兼伴侶候補兼お目付け役としては、放っておくわけにはいかない。
 大河が何かをやらかそうとしているのか、それとも何かに巻き込まれているのか。
 何れにせよ、協力するのには吝かでない。


「ん…まぁ、ちょっとな。
 前に潜った地下室があるだろ?」


「ああ、ナナシちゃんが住んでいるっていうあの地下ですか」


「あそこに入ってみようと思ってさ。
 それで幽霊避けに何か対策を探してるってワケだ」


「……って、あそこは国家機むぐむご……」


「落ち着けって。
 そんなデンジャラスな内容を叫び散らすんじゃない」


 大河に口を塞がれて、ベリオはこくこく無言で頷いた。
 それにしても尋常な話ではない。
 何を考えて獅子の口の中に突っ込んでいくような真似をするのか。


「何のつもりですか?
 あそこはどう考えても危険でしょう。
 国家機密と言う事もそうですが、絶対に何か出てきますよ」


「だから聖水なりお札なりが欲しいんだろ。
 ちょっとした迷宮みたいになってるけど、あそこはナナシのホームグラウンドだ。
 頼めば二つ返事で引き受けてくれるだろうから、道案内は既に確保したも同然。
 後は安全性を少しでも高めておきたい。
 何かいい方法はないか?」


「そうじゃなくて、何を考えてそんなスパイみたいなマネをしようとしているのか、と聞いているんです。
 ヘタに首を突っ込むと、それこそ地下の闇に葬られかねませんよ」


 真剣な顔で大河を問い詰めるベリオ。
 生真面目な性格が、機密事項を探るという行為を躊躇わせる。
 それにオバケも怖いが、それ以上に大河に危険が迫るのも怖い。
 そして何より恐ろしいのは、地下で大河が何かをやらかしてフローリア学園が陥没でもしたら、という心配だ。

 しかし大河はしれっとしている。


「だって気になるだろ?」


「そりゃ気になりますが……どう考えても…」


「前から色々と疑問だったんだけど、救世主ってどうにも胡散臭い…というか、おかしな点が幾つもあるんだよ。
 それを何とか解明できるんじゃないかと思ってな」


「おかしな点?
 ああ、カエデさんを召喚した日に言っていたアレの事ですか」


「それもあるけど……他にもまあ色々と。
 それに、学園長とか王宮が何かしら隠し事をしてる事くらい、ベリオだって解ってるだろ?
 どうだ、協力してくれないか?」


「それは……ま、確かにお偉いさん方の言ってる事は、何時だって胡散臭いわね」


 悩むベリオを押しのけて、ブラックパピヨンが表に出てきた。
 押しのけられたベリオは、こういう裏に関する事にはブラックパピヨンの足元にも及ばないと自覚しているのか、特に反抗しようとしない。
 むしろブラックパピヨンの意見を大人しく聞こうとしている。


「世界の危機だの“破滅”だのと嘯いても、大抵は自分の保身を優先させて足の引っ張り合いをするものよ。
 学園長だって例外じゃないわ。
 保身のためじゃないかもしれないけど、手の内を全て明かしているわけじゃない。
 何か重大な事を隠しているのは確実だね。
 ………面白いじゃない…ミュリエル学園長が隠している秘密…奪ってあげるわ!
 ククク、怪盗の血が騒ぐねぇ!」


 武者震いするブラックパピヨン。
 暫くブラックパピヨンの中で反対していたベリオも、救世主になるのに重要な足がかりになる、と言われて引き下がった。


「それでは、ちょっと気は引けますが…明日の朝に、礼拝堂へ行って持てるだけの聖水を取ってきます。
 地下に潜るのは、私と、大河君と、あとは…」


「未亜にも一応声をかける。
 それをナナシの分も一応頼む」


「逆にダメージを与えなければいいのですけどね…。
 それはそれとして、未亜さんまで?」


「ああ。
 俺とベリオだけじゃちょっと不安だしな。
 ナナシは使い物になりそうにないし、戦力的な比率で考えるとリリィ辺りが丁度いいんだが…」


「人の口に戸は立てられませんからね…。
 地下の事を知っている人間は、なるべく少ない方がいいでしょう。
 特にカエデさんなんて、聞かれたら無意識に零してしまいそうですし。
 わかりました。
 聖水を四人分ですね」


 話がまとまり、大河は立ち上がった。
 そうと決まったからには、早めに休まなければならない。
 夜の運動も、未亜を相手にはそれほど激しくするわけには行かないだろう。
 そうなると自然にカエデが相手となるのだが……未亜をどうやって説得するかが問題だった。


「あ、大河君!」


「ん?」


   チュ


「おやすみなさい…こら、今日は疲れてるからパスですよ」


「ちぇ…じゃ、オヤスミ」


 軽くキスをして、大河はベリオの部屋から出て行った。


屋根裏部屋にて。


「地下に潜る?」


「そ。
 ナナシの家があるあの地下だ。
 あそこに何があるのか、未亜だって気になるだろ?」


「それはそうだけど……いくら何でも危ないよ。
 何か出てくるかもしれないし、それに罠だって…。
 一番怖いのは、あの地下に何か病原菌とかがいるんじゃないかって事だけど」


「それはリアルに怖いな…」


 未亜に言われてちょっと怖気付いたが、彼女が反対しても既にブラックパピヨンはその気になっている。
 放っておくと、自分一人でも地下に潜りかねない。
 その時には、きっとベリオは役に立たないだろう。
 幽霊やゾンビに怯えて、ブラックパピヨンを諌められるほどの気力が出せるとは思えない。


「ね? だから止めようよ」

「それでもなぁ……救世主に関する重大な手がかりがあると思うんだけど…」

「命在ってのモノダネだよ」


 どうにも未亜は乗り気でない。
 命の危機を身近に感じて、怯えているのかもしれなかった。
 今までの戦いは危険といえば危険だったものの、あくまで試合である。
 不慮の事故は怖かったが、それでも命が尽きるまで戦う事はなかった。
 しかし、地下に潜って何かに直面すれば、まず間違いなく命を賭けた遣り取りが展開される。


「…ひょっとして、怖いのか?」


「う゛……そ、そうだよ。
 悪いっていうの?」


「いいや、人間として真っ当かつ当然の感情だよ。
 でも、“破滅”が来たら、否応なく殺し合いをする事になるんだぞ。
 もしその時になって恐怖で動けなくなったりしたらどうするんだ?
 今のうちに慣れておこうぜ」


「無茶苦茶言わないでよ。
 確かに一回二回でも経験がある方が戦えるだろうけど、“破滅”が来る前に死んじゃったらどうするのよ」


「そんな事言ってたら、訓練も出来ないだろーが。
 それに今回は色々と対策も持ってるし、いざとなったら尻尾を巻いて逃げても他人に迷惑はかけないんだから。
 やばくなったら、さっさと逃げる。
 道案内にナナシも居るしな。
 それほど深くまで行かないから、一緒に行ってくれないか?」


「でも……」


 未亜は逡巡している。
 確かに大河の言う事にも一理ある。
 本格的な“破滅”が来る前に実戦を経験しておくのは、決してマイナスにはならないだろう。
 その辺の荒野にいるスライム程度では弱すぎてマトモな訓練にはなりにくい。
 実戦というより、圧倒的な窮地に追い込まれていない限り、単なる狩りと大差ない。
 かといって、何が出てくるか解らない地下にまで態々降りていくというのも…。

 未亜はこっそり大河を見る。
 目付きが真面目になっていた。
 アレはもう決めた目だ。
 大河がこうなったら、まず止める事は出来ないことを未亜は知っていた。
 何とか引き止めたいが、自分では力不足だ。
 では逆に止める方法は…?


「うん、オッケー。
 私も行くよ」


「本当か?
 えらいあっさり了解したなぁ」


「細かい事は気にしない気にしない。
 それより、今日はどうするの?」


 どうするのかとは、勿論夜伽の事である。
 普段のように足腰が立たなくなるまで続けては、翌日に地下に潜るなんて不可能だ。
 自然と適当にお茶を誤魔化す事になるが、それでは不完全燃焼になる。


「じゃあ、今日はカエデを集中的に責めよう。
 責め:俺と未亜、受け:カエデって具合に」


「はいはい」


 未亜としては、足腰立たなくなるまで続けて明日戦闘ができないくらいに疲れてしまえば、大河も地下に潜らないだろうという算段もあった。
 しかし大河が言うなら仕方ない。
 ここで強硬に主張しても、怪しまれるだけである。

 結局、夜伽のために部屋を訪れたカエデは、2人に散々弄ばれたらしい。


「はぁ!?
 行けなくなったぁ!?」


「悪いね大河…アタシとしても、行きたいのは山々なんだけど…」


 翌日。
 今日は休日である。
 早起きしてウォーミングアップまでしていた大河は、ベリオの部屋に行って唖然とした。

 微妙に顔色の悪いベリオ…眠っていたのでブラックパピヨンが起きてきた…が申し訳なさそうに手を合わせる。


「一応聖水は持ってきたよ。
 ほら、そこの水筒に入ってるから…」


 ブラックパピヨンが指差す先には、少し大きめの水筒が四つ並んでいた。


「聖水だけあっても、使う人がな…。
 一体どうしたんだ?」


「女の子の事情ってヤツさ…。
 察してちょうだい……いたた…」


 下腹部を押さえて顔をしかめるベリオ。
 それを見て、大河にもようやく理由がわかった。


「なるほど、かぐや姫か」


「かぐや姫?
 誰よそれ」


「月のお客さま゛ッ


 廊下に飛び出した大河の顔面には、見事な靴跡が付いていたという。


 地下への入り口がある建物を前にして、大河は突っ立っている。


「まいったなぁ…ベリオまで行けなくなっちまってるし…。
 かと言って延期しようにも、これほどいいチャンスはな…」


 実は未亜も行けなくなっていたのだ。
 何やら先生方から課題を言い渡され、急遽それを仕上げねばならなくなったらしい。
 実際には、未亜にそんな用事はない。
 単に自分が行けなければ、戦力不足と判断して地下潜入を見送るだろうと思っただけである。
 事実、ベリオも未亜も同伴不能となり、大河も今回は諦めようかと思っている。

 カエデを連れて行こうにも、修行と称して近隣の森やら荒野やらを走り回っているらしく、連絡が取れない。
 どうやら買い食いしすぎてカロリーが過剰に摂取されてしまい、それを消化しようと躍起になっているようだ。
 尤も、彼女の体型が崩れだしたと言う事はない。
 忍びとして鍛え上げた体を維持するため、彼女の体は多量のエネルギーを必要とする。
 買い食い程度でどうにかなるような体ではないのだ。
 カエデが修練に力を入れているのは、最近のんびりしすぎて筋肉が衰えそうだったからだ。
 授業でそれなりに体を動かしているのだが、その道の専門職であるカエデにはやはり物足りないらしい。

 リコは召喚の塔に篭りっぱなし、又は自室で眠りまくっている。
 聞いた話では、丸一日眠っていた事もあるとかないとか。


「はぁ……仕方ない、今回は見送るとするかな…」


 一応ブラックパピヨンにも報告しておいた方がいいだろう。
 そう思って振り返った時、近くの木の陰からパキっと音がした。


「…そこ、誰だ?」


 グルルルルルル……


「なんだ、野良リリィか」


「誰が野良よっ!」


 獣のような唸り声が聞こえたが、大河は落ち着き払って正体を看破した。
 木陰からリリィが飛び出してくる。
 そしてハッとして狼狽し、視線をあちこちに彷徨わせた。


「か、勘違いしないでよね!
 私はアンタがまた何か悪巧みをしているって聞いて、監視のために尾けていたのよ!」


「…ちなみに誰から聞いた?」


「未亜が朝、それらしい事をちらほらと…」


「…あんニャロー…」


 それを聞いて、大河は未亜の急用というのが出任せだろうと見当をつけた。
 今晩はオシオキ決定である。
 それはそれとして、リリィは大河の一挙手一投足を見逃すまいと睨みつけている。
 彼から目を離すと、それが一瞬だったとしても何が起きるか解らないからだ。
 それに気付いているのか居ないのか、大河は平然としている。


「……唸り声が聞こえたもんだから動物だと思ったんだが…野良じゃないのか?」


「野良なワケないでしょうが!
 人を何だと思ってるのよ。
 そもそも野良だったら、毎日こんなに身嗜みに気を使わないわ」


 これは大河が服装等にそれほど気を使っていない事を知っての皮肉だったが、そんな物が通じるほどマトモな神経は持っていない。
 それどころか、残念そうに呟いた。


「せっかく綺麗な毛並みのリリィを見つけたんだから、寮に連れて帰って飼おうかと思ったのに…」


「き、キレイってアンタ……」


「何だよ?
 それぐらい時間とか使って、手入れしてるんだろ?
 綺麗なんて言われても不思議じゃないだろ。
 実際美人は美人だしな」


 ストレートな褒め言葉…その後にちょっと問題があったが…を受けたリリィは、思わず顔を赤らめた。
 相手が天敵の大河といえど、褒められて悪い気はしない。
 容姿に関する褒め言葉を正面から投げかけられるのは慣れていないので、テレも一入である。
 しかしそれすら大河の策略であったのか、予想外の褒め言葉に気を取られたリリィは大河のペースに巻き込まれてしまった。
 こんな余計な質問をするほどに。


「……ちなみに飼う時のオプションは?」


「首輪と尻尾はデフォだな」


「耳は?」


「何の耳が似合うかな……」


 冗談交じりに言った言葉が、時を置いて実現されるとは誰が予想したであろうか…。
 いや、予定は未定ですよ?
 書きたいけど。


「なぁリリィ、お前幻術返しとか解呪って出来るか?」


「え? あ、ああ…そりゃ出来るけど…何よ突然?」


「ふーん、やっぱり専門では優秀なのか。
 ちょっと見て欲しいものがあってな。
 暫く付き合ってくれると嬉しいんだが。
 俺をわざわざ尾行してたって事は、どうせ暇なんだろ?」


「確かに時間は空いてるけど…一体何をする気よ?」


「なぁに、ちょっとした肝試しさ。
 意外なモノが出てくる可能性もあるけどな…。
 で、どうだ?」


 リリィは腕を組んで少し考え込んだ。
 あからさまに怪しいが。いくら大河でもリリィを襲うほどバカではあるまい。
 大河が目を向けていた建物を見る。
 そこにはリリィも入った事はなかった。
 尊敬する義母からも、特に何も言われていない。
 好奇心がムクムク沸きあがってくる。


「これって……救世主クラスの正式な試合?」


「肝試しでか?」


「そう。
 先にギブアップしたり、気絶した方が負けになるの。
 勿論、『怖い』なんて言ったら即刻負けよ。
 ……でも、ひっかけで言わせても面白くないから…単純に恐怖で言った時だけね」


「…いいぜ、乗った!」


 リリィは内心ほくそ笑んだ。
 自慢ではないが、彼女は幽霊の類には強い。
 彼女の世界ではそれほど珍しい存在ではなかったからだ。
 肝試しという遊びで、幽霊が恐怖の対象になるというのもアヴァターに来てから初めて知った程である。
 無論油断をするわけではないし、気を抜けば襲われたり捕り憑かれたりする事もあるので警戒するが、少なくとも大河より耐性がある。


(これでこのバカに一矢報いてあげるわ!
 見ていて下さいお義母様、リリィはやります!
 私たちに無闇に迷惑をかける太馬鹿者に、ようやくリベンジするチャンスです!

 ……でもダウニー先生をアフロにしたのには感謝するわ。
 だって笑えるし)


 獲らぬ狸の何とやら。
 もう勝った気でいるリリィを見て、大河はこっそりガッツポーズをとった。
 普段の彼女なら、大河を止めるか、肝試しのような子供っぽい事に興味を示さず、そんな事をする暇があったら勉強にあてている。
 最初の褒め言葉を聞いたあたりから、大河の思惑通りに引きずり込まれてしまったようだ。


「それで、どこでやるの?
 って言うか、こんな昼間からやっても肝試しにならないんじゃない?」


「大丈夫。
 丁度いい場所がこの先にあるからな。
 行くぞ〜」


 大河はリリィを先導して、建物に入っていった。
 階段を下りて、地下1階に出る。
 特有の湿った空気が鼻を突いた。


「大河…ここ、何の施設なの?
 上の建物は?
 何度か入った事があるんでしょう?」


「上には…何もなかったな。
 使われなくなった倉庫か何かじゃないのか?
 ここから先は……遺跡?
 むしろ個人邸宅?」


「はぁ?」


 住人は一人しか知らないが、まだまだ何者かが地下で眠っている可能性はある。
 実際、大河はそれを探しにいくつもりなのだ。
 …ちなみにナナシから聞いた話では、彼女以外の何者かがうろついているっぽい。
 彼女は『大きなお友達』だといっていたが、具体的にどれくらい大きいのだろう?
 体が腐っている部分があるとか、首が複数あるとか、色々と断片的な情報は聞いているのだが。


「ま、とにかく行けば解るさ。
 多分もうすぐ案内人が出てくるから、そいつと合流するぞ」


「案内人?
 この施設は誰も使っていないはずよ。
 まして、案内が出来るほど熟知している人なんて…」


 首を傾げるリリィを連れて、大河は蝋燭の炎が揺れる中を進んだ。
 それほど長い道ではないので、あっさり例の扉の前についた。
 扉の中を覗きこんだリリィは、目を丸くして驚いた。


「何なのよここは……学園の地下に、こんな所があったなんて…。
 ………住居らしき場所に、鎧に銅像、柱にランプまで…。
 これ、明らかに昔使われていた都市か何かよね?
 ううん、もしこれが学園全体に広がっているとしたら…いえ、それでも街というにはちょっと小さいわね。
 何かの為に作られた特別な建物と、その整備をするために周辺に住む誰かのために作られた、と考えるのが妥当かしら…」


 リリィは大河をほっぽらかして、周囲にある胸像やら何やらを調べまわしている。
 大河も初めて来たときには、リリィと同じような事をしていたので気持ちはわかる。


「リリィ、気をつけろよ。
 その辺から何か出てこないとも限らないから」


「何か?
 心当たりでもあるの?」


「ああ。
 近くに墓場があるからな。
 ひょっとしたら、モンスター…スケルトンとか沸いて出るかもしれないぞ」


「気をつけるわ……ん?」


 リリィが気配を感じて振り返る。
 しかし背後には誰もいない。
 さては大河がイタズラでもやっているのかと横目で観察してみたが、大河はリリィと同じように周囲を調べたり、何やらその場で考え込んでいる。
 首を傾げて立ち上がり、とにかく肝試し続行のために移動しようとした時だ。

ガクッ

「キャッ!?」


「っと」


 急にバランスを崩したリリィは、次の瞬間大河にしがみついていた。
 溺れるものは何とやら、の言葉通り、躓いてこけた先にいた大河に抱きついてしまったらしい。
 相手が天敵とはいえ、アヴァターに来て以来初めて異性に抱きついてしまったリリィ。
 あっという間に頭に血が上った。


「っきゃあああああぁぁぁぁ!」

「うをわぁぁ!?」

「あーん、ダーリーン! 腕が飛んで行っちゃったですの〜」


 リリィが錯乱しながら爆発させた魔力で、辺り一帯に軽い衝撃が走る。
 至近距離で風圧を浴びた大河と約一名は、風に押されて少し後退した。
 ゼィゼィと息をつくリリィ。
 顔が赤くなっていた。

 大河はと言うと、うなじに感じる冷たい感触のせいでソレ所ではない。


「な、ナナシ!
 気持ちは嬉しいけど冷たい冷たい冷たい!
 はなせ〜〜〜!」


「あ〜ん、ダーリンこそ冷たいですの〜。
 折角ナナシのお家に遊びに来てくれたんですから、暖かいハグでお出迎えしましたのに〜」


「お前の場合は体自体が冷たいんじゃあ!
 ああ、これさえなければそのまま突っ走ったって構わないのに…」


「ほえ? どこに走るですの?」


 大河は脱力感に塗れて黙り込んだ。
 真っ赤になっていたリリィは、魔力を放出して一応落ち着いたのか、肩で息をしながらも大河に抱きつくナナシを見て目を丸くしている。


「ちょっと大河、その子誰なの?
 私はどうでもいいけど、また未亜がヤキモチ妬いて追っかけてくるわよ」


「大丈夫だよ、未亜もコイツの事は知ってるから…。
 ホレ、自己紹介しろナナシ」


「ハイですの。
 ナナシは、ナナシっていうですの。
 よろしくですの〜」


「え、ええ…よろしく。
 このバカのクラスメートのリリィ・シアフィールドよ。
 ……って、アンタ腕はどうしたのよ!?」


 握手しようと手を伸ばしたリリィだが、肝心のナナシの腕がないのに気付いて仰天した。
 大河はもう慣れているが、初見の人間には結構なインパクトがある。
 ナナシがキャラキャラ笑っているから尚更だ。


「腕ですの?
 さっきの風で、あっちに飛んで行っちゃったですの。
 全く、指向性のない魔力をあんな風に打ち出しちゃったら危ないですの。
 まだ性質が固まりきってないから、自然のマナと人工の魔力がどこでどう干渉し合うのか、全然予測がつかないですのよ?
 さっきは空気に対する衝撃を与えるだけで実害はなかったけど、一歩間違えれば真空の空間が出来上がる所でしたの」


「え、あ、ご、ゴメンなさい…。
 今後は気をつけるわ……」


「わかってくれればいいですの〜。
 でも、密閉空間で指向性のない魔力の放出をするのは、極力やめて欲しいですの。
 閉じ込められた魔力と放出される魔力とマナが何重にも干渉しあって、何が起きるかノープランですの」


 リリィは妙に饒舌に語るナナシに圧倒されて、そして片腕がなくなっても動揺一つしてない姿に、反論もできない。
 言うだけ言ったナナシは、自分の腕を取りにさっさと走っていってしまった。
 動悸が治まらない、ややリトルな胸を押さえて、リリィは呆然と立ち尽くした。
 同じく突っ立っている大河を見て、口を開いた。


「ねぇ、あの子何なの?
 腕がとれても平気な顔してるし、魔力と魔法の事にも造詣が深いみたいだし…。
 そもそもアンタが女の子にくっつかれて鼻の下を伸ばさないって事が不思議でならないんだけど」


「普通は理由の順番が逆だろうが。
 何で俺が鼻の下を伸ばさないのが、腕が取れてもピンピンしてるのより不思議なんだよ」


「言わなきゃ解らない?」


「解らない」


「一回死んできなさい」


「ナナシに墓場まで連れてかれそうだな…。
 それにしても、アイツにあんな事言える脳ミソあったんだな…もとい残ってたんだな」


 そうこうしている内に、ナナシが戻ってきた。
 今度は腕がついている。
 相変わらずお手軽な体をしているようだ。


「ただいまですの〜。
 それで、ダーリン、この方はダーリンの何ですの?
 デートだったら2人っきりがいいですの〜」


「私は単なるクラスメートよ。
 大河と特別な関係の女は別にいるわ。
 大河と深い関係になりたいんなら、そっちをどうにかしなさい。
 尤も、嫉妬に狂われて命を狙われてもしらないけどね」


「あ、それなら大丈夫ですの。
 ナナシはもう死んでますから」


「あ、そう………………………………ほわっつ?」


 ポカンとした表情を浮かべるリリィに、ナナシは再び腕を外して渡して見せた。
 引き攣った顔で、思わず受け取るリリィ。
 ………受け取った腕が冷たい。
 死者特有の無機質な冷たさに触れて、リリィは硬直した。
 腕が取れても平気な時点で気付きそうなものだが、やはり彼女の混乱は相当なものだったようだ。 


「ね?
 ナナシはゾンビですから、八つ裂きにされたって平気ですの。
 未亜さんだってドンと………やっぱり怖いですの」


「賢明な判断だ…」


「ダーリンに褒められたけど、ちょっとフクザツですの…」


 ようやく硬直状態から脱出したリリィ。
 まだナナシの腕を持ったままだ。


「いつまでソレ持ってる気だ?」


「あ、うん……ナナシ…でいい? 返すわ」


「は〜い。
 シャキーン、ですの〜☆」


 どういう理屈か、リリィの手の中にあったナナシの腕が宙を飛び、ナナシの胴体にくっついた。
 しかし上下逆だったので、ネジを回すように反転させる。
 悪夢でも見ているかのような表情でリリィは頭を抱える。


「ちょっと大河、この子は本当にゾンビなの?
 確かに体はアタッチメント方式みたいだけど、何て言うかあまりにイメージが…」


「俺のほうが聞きたいよ。
 コイツ少なくとも数百年間地下に居た筈なんだが……全然腐ってないだろ?
 防腐剤如きでどうにかなるモンじゃねーよ」


「凍り付いてたわけでもあるまいし…。
 ………ま、まぁいいわ。
 特に害があるわけでもなさそうだしね」


 自分を無理矢理納得させて、リリィは精神の安定を図る。
 どうにも大河が現れて以来、自分の周りに常識や魔法の法則が通じない人種が増えている気がする。
 ゲンナリした思いを隠そうともせずに、疲れた目で大河を睨みつける。


「それで、どうするの?
 肝試し、続けるんでしょ。
 ナナシが居ても問題ないかしら?」


「ああ、むしろ必要不可欠だな。
 おーい、ナナシ。
 ちょっと案内してほしいんだけど」


「はい?」


 大河に呼びかけられたナナシは、トテトテと駆け寄ってきた。
 濁りながらも無邪気な目で見つめられ、大河は自分がちょっと汚れた大人だという事を理解した。


「この地下はナナシの家なんだろ?
 ちょっと色々と見て周りたいから、道案内してほしいんだが」


「ダーリン、お家に遊びに来てくれたですの!?
 感激ですの〜♪
 解りました!
 不詳ナナシ、幾らでも道案内するですの!
 では、まずはナナシのお部屋から…」


 そう言うとナナシは、スキップしながら歩いて行った。
 大河とリリィもそれを追う。
 以前に来た時と同じように、所々で蝋燭の火が揺れている。
 影がゆらゆらと揺れ、死角を増やしていた。

 幽霊は割りと平気なリリィだが、暗闇の恐怖は苦手らしい。
 点在する石像や岩の陰に目をやっては顔を顰めている。
 しかし怖いと音を上げるほどリリィは素直でも根性なしでもヘタレでもない。

 ナナシは少し進むと、大河達を待っている。
 そこがナナシの部屋…墓石らしい。


「ここがナナシのお部屋ですの。
 ナナシはこの中で、ず〜〜〜っと眠ってたですの」


「ずっとって……具体的にどのくらいよ?」


「ナナシの体が、こんな風になるくらいですのよ」


 そう言ってナナシは頭を外して見せた。
 まるで眼鏡っ子のロボットのようだ。
 う○ちゃ砲とかやってくれないだろうか。
 でも、きっとその時は“ダーリン砲”だ。


「ふ〜ん……前に見た時は詳しく観察してなかったけど…いい棺使ってるな」


「とっても寝心地いいですのよ。
 ダーリン、添い寝する? 添い寝する?」


「しないっつーの。
 ……ん?
 今何か光ったぞ」


 大河が棺に手を突っ込もうとすると、墓石を眺めていたリリィが声をかけた。


「ちょっと大河、コレ見なさいよコレ」


「ん?」


 リリィが指差しているのは、墓石に書かれた名前と写真…ルビナスだった。
 何が気になったのか、妙に真剣な顔をしている。


「ああ、ソレな。
 赤の主・ルビナスって書いてあるらしいけど……リリィ、何か知ってるのか?」


「知ってるも何も、ルビナスって500年前の救世主候補の事じゃない。
 確かお義母様に、一度だけ写真を見せてもらった事があるんだけど……うん、やっぱり本人だわ」


「学園長が?
 リリィ、お前確か図書館によく篭るよな。
 その中で、ルビナスって名前は出てきたか?」


「…………そう言われると…一度も無いわね」


「学園長は、図書館にルビナスについて資料があるって言ってたんだが…。
 そもそもどうして500年前の救世主の写真を持ってるんだ?
 図書館ですら救世主候補の痕跡は殆ど発見できないのに、ミュリエル学園長がどうして…」


 そう言われて、リリィは見せてもらった写真を思い出そうとする。
 何せ当時のリリィは幼い子供だったし、ミュリエルに引き取られたばかりなので詳しく聞くのも気が引けていた。
 ミュリエルはその時珍しく泥酔していたので、話の中から『ルビナス』という単語を抜き出すので精一杯でもあった。
 しかし……改めて思い出そうとすると、妙に新しい写真だったような気がする。


「うん……あれは撮られてから500年も経った写真じゃないわ。
 新しくは無かったけど、コピーによる劣化も無かったと思うし、あれは撮られてから長くて15年程度の写真…だったような気がするわ。
 それもオリジナルの」


 さしものリリィも、義母に対して疑いを持った。
 何故そんな物を彼女が持っているのか。

 彼女が思考の海に沈みかけた時、大河がナナシの棺から手を抜いた。
 その手に何か光る物を持っている。


「綺麗な石ですの〜!
 どうしてナナシのベッドの中に、こんな宝物があるんですの〜?」


 大河が発見したのは、赤い石を付けたロザリオだった。
 鮮やかな赤の宝石に、3人は目を奪われる。
 しかしリリィが我に帰った。


「ちょっと大河、仮にも救世主候補生ともあろう者が墓荒らしなんかやってるんじゃないわよ。
 それに、そこはナナシの寝床なんでしょ。
 女の子の部屋を勝手に探るなんて、デリカシー云々以前の問題よ」


「あ、すまん…。
 つい好奇心が…」


「全然オッケーですの。
 ダーリンだったら、何時でも大歓迎ですのよ〜」


 朗らかに笑うナナシの目は、大河の持つロザリオに固定されている。


「でも、どうしてナナシのお部屋からこんな綺麗なモノが出てきたんですの〜?」


「いや私に聞かれても…。
 大方一緒に埋められたんじゃない?

 ……埋められた?
 500年前の救世主候補生の墓に!?
 アナタと一緒に!?」


 ふと気がついて、思わず叫ぶリリィ。
 この墓石の主が救世主候補生ルビナスのものであるとすれば、何故その中にナナシが眠っていたのか。
 そしてその棺から出てきた、意味ありげなロザリオ。
 これで疑問を持たないほど、リリィは愚鈍ではない。


「…大河、この子ひょっとして…」


「…だろうな」


 ナナシはルビナスに何らかの関係がある。
 それも、恐らくは同じ救世主候補による手で何らかの処置をとられた、と思うのが自然である。
 または王宮か、救世主に非常に身近な組織の手によって。

 救世主、そして救世主候補生は死してもなお特別扱いされる。
 国を挙げての葬式をする事もあり…と言っても、“破滅”の直後なのでそれ程の事はできないが…、その死体や墓に何かの細工をするのは難しい。
 恐らく細工をしたのは、葬式をした当人…同じ救世主候補生か、王宮の人物。
 つまり、この地下と同じ国家機密…リリィは気付いてない…の類である。
 尤も、もしそうであればナナシを放置している理由がわからない。
 そもそもルビナス本人の遺体はどこに行ったのか。


「……ダメだな。
 情報が足りない…どう推理しても、どこかに致命的な矛盾が出る」


「そうね…肝試しのはずが、予想外の物が出てきちゃったわ…。
 どうする?
 やめる?
 ………アンタに限ってそれは無いか」


 大河は当然だとばかりに頷いて、手に持っていたロザリオをナナシに渡した。


「ほえ? くれるんですの?」


「くれるも何も、それは多分お前の物だ。
 それが不満なら、プレゼントって事でも構わないけど」


「ならプレゼントがいいですの〜!
 ダーリン、着けて着けて〜〜♪」


 ナナシはくるりと後ろを向いて、首筋を曝け出した。
 しかしそんな所に巻いて大丈夫だろうか。
 彼女の首は、非常に取れやすいのだ。

 暫く悩んだ挙句、大河はナナシにロザリオをかけた。
 ……ただし、首が絞まるほどキツク。


「(こひゅー)ダーリン、これじゃ呼吸ができないですの」


「…アンタ一応ゾンビでしょ?
 何で呼吸する必要があるのよ」


「(こひゅー)息はしなくても平気で(こひゅー)すけど、声が出しにくいん(こひゅー)ですの」


「ああ、ナルホド」


 仕方なく大河は締め付けを緩めてやった。
 しかしそれでも不安である。


「ナナシ、後でそのロザリオを服に縫いつけ…いや、それじゃ他の服が着れなくなるな」


「じゃあ包帯に縫いつけたら?
 包帯が古くなるまでの応急処置でしかないけど」


 大河は彼女の体を固定している包帯をロザリオに通し、再び彼女に巻きつけた。
 とりあえず、これで大丈夫。
 大河からプレゼントを貰って嬉しいのか、ナナシは妙なポーズをとって自分をしげしげ眺め回している。
 ロザリオが目に入る度に、にへら〜っと笑う。
 傍から見ると中々不気味だ。


「……ナナシ、憧れの君からプレゼントを貰って嬉しいのはわかったから…。
 そろそろ道案内をしてくれない?
 悦るのはその後にするといいわよ。
 いくら大河が細かい事に気が廻らない恐竜みたいなヤツでも、ロザリオを見てニヤニヤ笑ってたら引かれるわ」


「は〜い、ですの。
 それじゃあ、次は何処に行くですの?」


「どこでもいいわ。
 なるべく不気味な所がいいわね」


「でわでわ出発するですの。
 暗闇でドッキリできゃ〜って抱きついて、ダーリンとの仲は3段スキップで急展開ですの〜」


 歩き出そうとしたナナシ。
 しかし大河がそれを引き止めた。
 ……腕を掴んで引き止めたため、ポロっと取れたのはご愛嬌だ。
 あまつさえ、外れた腕が大河の腕をよじ登ってくる。
 ………萌え?


「なぁナナシ、この辺りにはお前以外にも何かいるんだよな?
 得体の知れない『大きなお友達』が」


「いるですの。
 オバケさんでもないし、ナナシと同じゾンビでもないですの。
 ………ダーリン、会いたいですの?」


「いや、会いたくない。
 それよりも、この辺りに……そうだな、隠し通路とか…どこから出てきたのか解らない幽霊っているか?
 この地下に居たのは確かなのに、急に姿が見えなくなったり、普段どこを探しても見つからないヤツだ」


 怪訝な顔で大河を見つめるリリィ。
 問われたナナシは、首をかしげて何か考え込んでいる。
 しばらくしてポンと手を叩いた。


「居るですの。
 ナナシがオバケさんを追いかけて行ってたら、いつも同じ所で見失っちゃう事があるですの。
 呼んでも出てきてくれないし、探しても探しても見つからないんですの〜」


「そこだ!
 そこ、ひょっとして…」


 大河はブラックパピヨンを探して地下に降りて来た時に、違和感を感じてブラックパピヨンことナナシを見失った場所を告げた。


「はい、そこですの。
 でも、どうして解ったんですの〜?」


「それは後で説明するから…とりあえず、そこに連れて行ってくれないか?」


「らじゃ〜ですの。
 それでは出発おしんこ〜」


 どこぞの幼稚園児のような事を言って、ナナシは足取りも軽く歩き出した。
 それに付いていくリリィと大河。
 リリィは大河を怪しんでいるらしい。


「ちょっと大河、アンタ一体何を考えてるのよ?
 ここまで来たんだからもう暫く付き合ってあげるけど…。
 お義母様に害をなす事じゃないでしょうね?」


「う〜ん…大丈夫…だと思う」


 大河としては他に答えようがない。
 普段から迷惑をかけている自覚があるのかないのか。
 しかし今回は、イタズラ程度の話ではすまない。

 が、どっちにしろ大河はもうそんな事は気にしない。
 リリィを曖昧な言葉であしらいながら、大河はナナシの後についていく。
 リリィもなんだかんだと言いつつ、この先に何があるのか気になるようだ。
 ブツブツ文句を言いつつも、引き返す様子はない。
 ……ここで無理に止めても、どうせ大河は目を盗んで同じ事を繰り返すのがオチだ。


 少し長めの通路を抜けて、ナナシは頼まれた場所までやってきた。


「この辺りですの〜。
 ちなみにこの辺りは、特に蝋燭の火が多くて、あっちこっちに岩とかよく解らない物体が置かれているですの。
 お蔭で見通しが悪くて、ちょっと隠れるとすぐに行方不明になっちゃうですの」


 リリィは周囲を見回している。
 特に変った物はない。
 ナナシはよく解らない物体と言ったが、それは朽ち果てた鎧の残骸やら粉々になった石像の一部だった。
 これが一箇所に纏めて置いてあったり、無造作に石が置かれていたりして、とにかく死角が多い。


「…何かを隠すには絶好の場所かもね…。
 それで大河、アンタこんな所で何をしようっていうの?
 私を始末して埋めて帰ろうなんて考えてないでしょうね」


「幾ら俺でもそれはやらん……多分。
 それよりリリィ、この辺に何か違和感はないか?
 ぶっちゃけた話、幻術がかけられてると思うんだが」


「幻術?」


 リリィの感知能力は沈黙している。
 一応念入りに、周囲に魔力を通したりして調査してみたが、それでも何の反応もない。


「……何も感じないわ。
 どうせ幽霊がこの辺りで消えてるから、隠し通路でもあるんじゃないかと考えたんでしょうけど…。
 相手は実体のない幽霊よ。
 壁抜けとか天井抜け、地面に潜ったりしても全然おかしくないわ。
 そもそも、こんな所に誰が幻術結界なんか張るっていうのよ」


「ん〜、ナナシにはよく解らないですけど、オバケさん達は壁を抜けたわけじゃないと思うですの。
 だって何時もは、ナナシが呼んだらちゃ〜んとお返事してくれるですのよ?
 でもお返事も貰えないし、ここで居なくなっちゃったオバケさん達は、みんな何処かのお城に行ったって言うですの」


「城?」


「ハイですの。
 こう、石で出来た柱とか、階段とかを沢山見たって言ってたですの」


「…………隠し通路じゃなくて、霊界に続く穴でも開いてるんじゃない?」


 リリィは大河の考えを一笑に伏していたが、ナナシの補足により現実味を感じてきた。
 しかし、彼女はフローリア学園指折りの魔法使い、救世主候補生主席のリリィ・シアフィールドである。
 並大抵の技量では、彼女を欺く事など出来はしない。
 彼女が目を閉じて神経を尖らせてみても、幻術の反応はおろか魔力すら感知できなかった。


「………やっぱり何もないわよ。
 大河、アンタの思い過ごしでしょ。
 …………大河?」


 リリィが目を開けると、隣に居た大河が居なくなっている。
 慌てて振り向くと、大河は通ってきた通路の半ば辺りで行ったり来たりを繰り返している。
 人が真面目に調査をしているのに何を遊んでいるのかと、リリィは大河に詰め寄った。
 しかし、大河の表情がいつになく真面目なのに気がついて足を止める。


「ちょっと大河、アンタ一体何やってるのよ」


「ん〜……前に来た時な、通路を通る時に違和感を感じたんだ。
 その広間に入っちまうと、あっさり消えたけどな。
 ひょっとしたら、こっちに何かあるんじゃないかと思ったんだけど…」


「通路に?」


 リリィは振り返って広間を見た。
 特に何も感じない。
 しかし、大河は確実な…それこそ確信とさえ言えるような、何かを感じているようだ。
 大河の観察力というか、五感の鋭さはリリィも知っている。
 普段の小競り合いで、こちらの行動を先読みされたり、引っ掛けをちょっとした挙動から見透かされたり、色々と気に入らないがその鋭さは身に染みている。
 その大河が何かを感じている。
 本当に何かあるのだろうか、とリリィは考え込んだ。


(通路に幻術を…?
 ………うん、在り得ない話じゃないわね。
 普通幻術結界を張ると言われたら、広間の中に張ると思うけど…。
 考えてみれば、幻術にそんなセオリーは意味がないわ。
 虚を突きセオリーから外れる事こそが、幻術の基本…。

 それに、もし何かを隠そうとして結界を張るなら、わざわざ広間を覆うような巨大な結界を張るのは逆効果…。
 結界を発見されやすくなるだけよ。
 幻術結界は、発見された時点でその意味を8割方失ってしまう…。

 むしろピンポイントで結界を張る方が効果的よね。
 つまり……結界は廊下にこそ張られている。
 それなら大河が何かを感じているのも納得がいくわ。
 広間自体には何もなかったんだから。
 むしろ意味ありげな残骸が散乱している広間は囮で、本命は姿すら見せていなかった…)


 おそらく、通路の何処かに分かれ道が隠されているのだろう。
 そう思い当たったリリィは、大河と同じように廊下を前後し始めた。
 ラインダンスとでも勘違いしたのか、ナナシが2人に並んで前後する。


「ちょっと大河、アンタが感じている違和感ってどんなの?」


「どんなの…と言われてもな…。
 ……こうやって移動してる時だけ、微かに感じるんだよ。
 あの時は……そう、あの時は走って来たんだけど…その時が一番強かったぞ」


「移動している時に、か…」


 リリィは幻術の知識を引っ張り出した。
 幻術とは、静止状態よりも移動している時のほうが罹りやすい。
 静止状態の相手にかける幻術もあるが、基本的に幻術とは相手の認識をずらす術だ。
 止まっている時と、移動している時のどちらが認識が甘くなるかというと、勿論後者。
 流れていく風景の中に何らかの仕掛けを紛れ込ませ、それによって認識のズレを広げていく。

 現に大河は移動している時にこそ違和感を感じる、と言っている。
 大河の事だから無意識に仕掛けを感知しているのかもしれないが、そうでないと仮定すると、大分種類が絞られる。


「そう……恐らくは、かなり大掛かりな幻術よ。
 きっと本当はもっと小さな範囲で掛けたかったんだろうけど、隠さなければならない物が大きすぎたのよ。
 広間を丸々覆うよりもずっと楽だけど…」


「それで、解けそうか?」


「何とか。
 アンタが感じている違和感は、多分景色を弄られた場所を走り抜けたからよ。
 視界や感触を騙されて、脳の処理が一瞬間に合わなくなったんでしょうね。
 ………こんな幻術結界、お義母様にだって出来るかどうか…。
 でも、理由はどうあれ気付いた以上は対処できるわ。
 大河、ナナシ、下がってなさい」


 大河達が下がったのを確認すると、リリィは目を閉じて両手を前に差し出した。
 魔力を数滴、左右上下と前に飛ばす。

 ぽつん…ぽつん…   ぽと
     ぽと    ぽちゃ   


(…よし)


 蝙蝠のように、自分が放った魔力の残響を感じ取る。
 僅かだが乱れがあった。
 そこを中心にして、蛇のように連なる魔力を伸ばしていく。
 しかし、リリィが思っていたような手応えは感じられない。


(おかしいわね…予想した幻術なら、これで手応えがあるはずはんだけど…。
 幻術は確かにかけられてるのに、どうして……私の知らない術?
 ……どっちにしろ、解かない事には大河にバカにされそうね…)


 手法を変えて、今度は地面に魔力を流した。
 予想された方向に、川の流れのような魔力が進む。
 魔力は壁に当たって、何の抵抗もなく進んで行った。


(ビンゴ、ね…。
 この先に通路があるわ。
 でも、どうやって破ればいいのか……。
 魔力を爆発させても、この幻術は小揺るぎもしないわね。
 ちゃんとした手順で解かないと、術の構成がひん曲がって意味不明の風景が出来上がっちゃう。
 それを防ぐには、どこか穴を見つけないと……何か…基準になるものは…)


 リリィは魔力を止め、立ち上がって五感を研ぎ澄ました。
 目を開けて幻術が掛けられていると思しき場所を直視する。

 風景に矛盾はないか?
 ご丁寧にも蝋燭の火の揺れに合わせて、暗闇が濃くなったりするだけだ。

 匂いはしないか?
 墓場と地下特有の湿ったカビの匂いがする。

 空気に何か味はないか?
 匂いと同じだ。
 特筆するようなハッキリした味はない。

 何か音は聞こえないか?
 ………大河とナナシの足音と呼吸音。

 体の何処かに、何か触れてはいないか?
 ……ローブが揺れる感触。


 ………ローブが揺れる?
 呼吸すら止めてじっとしているのに?

 呼吸音?
 こんなに離れているのに?


 違う。
 ローブが揺れているのは、空気が動いているから。
 呼吸音だと思ったのは、耳元を吹き抜ける風の音。


(これは……風が吹いているの!?
 これが手がかりよ!
 風に運ばれてくるマナを辿って魔力を逆流させて、引っかかりのある場所を見つけ出す!
 そこが幻術結界を構成する場所!)


 リリィは目を見開くと、慎重に風を辿り始めた。
 時々途切れる風は、同じような経路を伝ってリリィの元にやって来る。
 魔力を押し広げて前進させて行くと、幾つか魔力が散らされたり吸収されたりする場所を見つけた。
 十分な場所まで魔力を広げると、リリィは魔力に指向性を持たせて一気に凍りつかせた。


「アークディル!」


「なるほど…こんなデカイ通路が隠されてれば、そりゃ違和感もあるわな」


「ええ。
 空気の流れで辛うじて場所の検討がついたけど…そうでなければ、手の打ちようがなかったわ。
 掛けられていた幻術は、ある一点を中心にして風景を歪ませる幻術よ。
 魔力は必要最低限しか要らないし、地面は土を被せておけば硬い石の感触は断たれる。
 多少風景にズレが出来ても、そこは元々蝋燭の揺れと暗闇のおかげで真っ暗な場所。
 魔力と物理の合わせ技ってわけね。
 とんでもない技量だわ…」


「凄いですの〜! ナナシのお家は、実はとっても広かったですの〜!」


 三人の前には、灰色の壁と風化してボロボロになった床、そしてリリィが凍りつかせた地面が広がっていた…。


補足 リリィが魔力で何をやったのか解り辛かったかもしれませんが、要するに念能力の“円”だと思ってください。




時守でーす。
ここから暫く路線変更になります。

オリジナルって書くスピードにムチャクチャ波がありますから、正直な話どのくらいの間隔で投稿できるかわかりません。
でも見捨てないで〜!

それから、暫くギャグは少なくなる…最悪出てこなくなるかもしれません。
一応シリアスシーンのつもりなので…。


それではレス返しです!


1.皇 翠輝様
エロくてもグロくても、ああいう描写は気力が続かないっす。
最初はベリオ以外のキャラの濡れ場も書こうと思っていたんですが、ホントにキツイっす。
でも暇があればちょくちょく書くつもりですので…。

夜の営みの事なんか、ベリオの頭に入ってません。
ただひたすら嫉妬してます(笑)


2.アクト様
塔の爆破イベントはもうちょっと先ですね。

説明書は…ええ、読みませんね普通は。
特にアクションゲームだと。

やっぱり大河と未亜の子供は2人の縮小コピーみたいな感じになるんでしょうか。
まぁ、あの2人を親として育てば、そりゃ女好きかヤキモチ焼き、そしてブラコンシスコンになるでしょうねぇ…。
蛙の子は蛙ですな。


3.竜神帝様
暫くはリリィとナナシがヒロインの話になりそうです。
まぁ、メインはナナシになりそうですけど。


4.竜の抜け殻様
一対多の上、ヤキモチを焼かれては大河に勝ち目はないですね。
戦術面は何とか出来るとしても…戦略面は勘弁してください(涙)
時守はそんなアタマ持ってないッス!


5.なまけもの様
カエデには新たな趣味に目覚めさせる予定はありません。
ソッチ系の趣味は、別の誰かに覚えてもらおうと思います。

リコは大河達の関係に気付いています。
それに大河が構ってくれないので、無意識ながら拗ねている状態です。

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