ゴウゴウ、ゴウゴウ、と音を立てて雪が吹雪く。
日本とは違う、万年を白い雪化粧に覆われた、異国の地。
基とする国にあっても、辺境の一地方。そこに、雪よりもなお白い、白亜の城が建っていた。そこに住まうは、ただ一つのモノを追って千年の月日を重ねた亡者達。
求むは杯。
世界を潤す力を秘めた、たった一つであり無限でもある『聖杯』と呼ばれる器。
ひたすらに、ただひたすらにソレだけを求める亡者の群れ。
名を、アインツベルン。
千年という永き年月、曲る事も、忘れる事も無く。己の望みに向かって歩み続ける異常者。
その狂った執念が、一人の少女を作り出す。
名は、イリヤスフィール。
彼らの永き歴史でも、稀有な力を持っていた聖女の複製体。
膨大な魔力、ソレを御しきる魔術回路。未だ中身は無くとも、『聖杯』として機能する体。その全ては、遥か東方の地で行われる戦争の為に。
『聖杯戦争』と呼ばれる、七人の魔術師と、七騎の使い魔(サーヴァント)によって行われる大規模魔術、その為に。
負ける事は許されぬ。ゆえに準備は抜かりなく。戦争が始まる前に、参加する魔術師の誰よりも早く、使い魔を呼ぼうと。
始まりを司る三家であれば、知らぬ抜け道など存在せず、ただ強き者を呼ぶ為に、何処よりも、誰よりも早く、最強の使い魔を呼び出すのだと。
そう命じられたからこそ、白亜の居城の中に居て、白を統べる少女は魔方陣を前に呪文を唱えるのだ。
「……抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
魔方陣、呪文、触媒、全てが完璧。それが分かるからこそ、唱えた少女と、彼女の周りに立つ男達は勝利の確信を持った。
彼らが呼んだのは、神代の英雄ヘラクレス。その名を知らぬ者は無く、武勇は天にも届いた程の、真実、最強に近い使い魔。
更には、彼のクラスをバーサーカーへと限定する事で、その暴力を止める者など存在すら考えられぬ。かつて、最優の使い魔として騎士王を呼び、その末に敗北を喫した彼らに残った最後の手札。
けれど、勝利を確信した彼らは知る。千年の妄執も、万全を配した準備も、天の気まぐれの前には、塵のようなモノだという事を。
ズッガァァァァァン!!
音も無く、光と共に現れる筈の使い魔は、盛大な爆発と煙を伴って彼らの前に現れた。
「イタタタ……荒っぽい召還だなぁ……何処の新米魔術師だよ」
衝撃に砕けた魔方陣を足場に、立ち上がった男。
成人男性の標準より、頭一つ高い上背。スラリとした細身でありながら、しなやかな筋肉に包まれた肉体。全身に纏う衣服は黒一色で、目蓋を覆う真っ白な包帯が一際目立っていた。
何処からどうみても、ヘラクレスには見えない男の姿に、召還した少女も、周りで傍観していた男たちも、声一つ出せない。
「ん?……あぁ、キミが俺の主か。サーヴァント・バーサーカー。この身に宿す狂気、全てを汝の為に使う事を誓う。ここに契約はなった。……何か問題はあるか、マスター?」
飄々と、この場の空気を気にする事無く、言いたい事だけを口にして、バーサーカーと名乗った男は、主と認めた少女の前に跪いた。
「……アナタが、バーサーカー? ヘラクレスじゃないの?」
「うっ……酷いな。そりゃ、俺は彼ほど有名な英霊じゃないし、名乗るほど
の真名も持ってない。それでも、俺を呼び出した事を後悔させないよ」
少女の残酷とも言える呟きに、額に汗を垂らしながら男は応える。その表情には確かな自信と、勝利への意思が見えた。一瞬だけ見せた本気。それで彼の主は納得したのか、頷きを返す。アナタが私のサーヴァントだと。
「ふ、ふざけるな! ヘラクレスはどうした!? そんな得体の知れないサーヴァントで、聖杯戦争に勝てると思うのか! さっさと送り返し、もう一度儀式をやり直すんだ!」
ようやく事態を把握しだしたのか、周りを囲む男の一人が叫ぶ。
「くそっ、やはり裏切り者の娘になど頼るからいけなかったのだ。長老、こ
の上はあの役立たずを始末して、もう一度ホムンクルスの生成からやり直すべきです」
長老と呼ばれたのは男達の中にあって、最も老いた人影。けれどその人物に弱さなど見られず、年経た巨樹の如き威圧感を帯びていた。
「……」
長である老人は、黙したままジッと黒衣の青年を見つめる。どんな嘘や偽りも突き破る、鋭い眼光をまるで意に介さず、青年はただ、男の心無い一言に微かに肩を振るわせた主を、気遣っていた。
「さぁ、どうした役立たず、サーヴァントを送り返す事も出来んのか!?」
長老の沈黙を、自分の発言に対する肯定と信じて、男の少女への弾劾は勢いを増す。肩の震えを大きくした少女の頭を、ポンと一撫でしてサーヴァントは己が主の前へ出た。
「事情はなんとなく分かった。俺が悪いって事も納得は出来ないが、理解はしよう。でも許せないな。……貴様、俺の主になんて言った? 俺の目を見て、もう一度言ってみろ……」
パサッと、目蓋を覆っていた包帯が、地に落ちる。出てきた瞳は、蒼く、青く、澄み切った色。
この世のどんな宝石にも勝る。至高の『蒼』。
見る者の魂を奪い、命を喰らう。魔性の『青』。
瞳を合わせた男は、叫ぶ途中の形に口を歪めたまま、苦しげに呻きを漏らす。
「がっ……ひゅー、ひゅー……っう……」
顔色は土気色。血管を全身に浮き立たせ、死の間際まで追い詰められながら、男はサーヴァントの目から視線を外せない。見ているだけで命が縮み、魂を震わせるほどの恐怖を感じても、その美しさを前にすれば見ずには居られないのだ。
「どうした? 簡単だろう。たった一言口にするだけで良い。そうすれば、俺がオマエを、殺してやる」
もはや呼吸すら出来ず、胸を掻き毟る男をサーヴァントは無表情に眺める。蒼き瞳が持ち主の意思に応じて、輝きを増す直前。
「もういいわ、バーサーカー。……おじい様、このサーヴァントでは不満ですか?」
「そやつで、戦争を勝ち抜けると申すか? イリヤスフィール」
「勝ちます。その為の我が身と心得ておりますので」
「……ならば良かろう。アインツベルンの悲願、見事果たして来るがいい」
場がざわめく。長老がこのようなアクシデントを認めた事が信じられないのだ。しかしその騒音も、サーヴァントが辺りを見渡す事で消え去った。未だ爛々と輝く蒼い瞳に見据えられ、反論の言葉は殺される。
「いこっ、バーサーカー。アタシの部屋に案内してあげる」
一人の青年に、場に居る全ての人間が恐怖する中、主となった少女は使い魔を伴って儀式の間を出た。
出会ったばかりの主従が部屋を出ると、場の喧騒は蘇って、普段は静謐な儀式の間を満たす。
「なんだ、あの無礼なサーヴァントは」
「令呪を使って罰を与えてやりましょう」
「それより、イリヤスフィールだ。失敗作めが、我々の用意した玩具で反抗する気か?」
喧々囂々と言い合う男達を、長老は静かに眺めると重い口を開いた。
「静まれ……此度の聖杯戦争、アインツベルンの手札はバーサーカーで決まった。これに異論ある者は、ただちにこの城より去るがいい」
老人の口調に何の感情も躊躇いも無く。無駄な言葉も重ねない。その態度に、自分たちの長が下した決断を感じて、男たちは口を閉ざした。悔しげな表情はそのままに、無言で一人、また一人と儀式の間から歩き去る。
「……これで、満足ですかな? 万華鏡殿」
広い部屋に一人残った長老は、虚空に視線を固定すると、誰も居ないはずの空間に問いかけた。
応える者の無い問いは、しかし空気に溶けるより早く、受け取り手を見つける。
「ふむ。老いたりとはいえ、流石はアインツベルン。気付いておったか」
空間を歪め、七色に輝かせながら、寸前まで誰も居ない虚空に、一人の男が立っていた。一見すると、話しかけた長老と同じような年齢のようで、いまだ活力に満ちた肉体と、なによりその瞳に宿る子供のような輝きが、男性の年齢を特定させない。
「老いたり、とは……アナタには言われたくないお言葉ですな。『魔道元帥』……此度の一件、アナタさまの介入は、予測されておりませんでしたが……何故、突然このような計らいを?」
「なに、可愛い孫娘の為とあらば、ワシはどのような無茶でもやり遂げる。それだけの事じゃ」
「孫娘?……ああ、真祖の姫君ですな。なるほど、彼女の為という言葉は信じましょう……それで、あの男は強いのですか? 戦争を勝ち抜けるほどに」
アインツベルンという巨大な家を治める男は、その地位に相応しい威厳で目の前の『魔法使い』に問うた。
「―――ふっ、フハハハハ……なるほど、お主にもあの男の底は見れなんだか……案ずるな、アインツベルン。彼の者は、ワシの知る限り、“最狂”のサーヴァントじゃよ。問題は、主らの方でアヤツを使いこなせるかどうかじゃな」
答える声は笑いを含み、魔法使いは自信を持って断言する。
……アレを使って勝てぬなら、それはオマエ達の責任だと。……
言いたい事を言い終えると、魔法使いは現れた時と同様、自分の周囲を虹色に輝かせ、悠々とその姿を消した。第二魔法の使い手たる老人にとって、世界は等しく庭のような物なのだから。
自分たちが望むべき場所に辿り着きながら、ソレを捨て去った魔法使いが去ると、長老は重い息を吐き出す。羨望と嫉妬に苛まれながら、醜態を晒す事無く対峙したのが堪えたのだろう。
「此度こそ、千年の望みが果たされるのか?」
呟く声には、99%の渇望と、1%の疲れがブレンドされていた。その一言こそ、アインツベルンを治める老魔術師が、微かに見せた弱音だったのかも知れない。
アインツベルンを治める者が、この世に数人しかいない『魔法使い』と対話していた時、白き少女は自らの使い魔を伴い、自室へと入った所だった。
「ココが私の部屋よ。幾つか疑問があるから、答えなさいバーサーカー」
「うん、訊ねられた事には答えるけど。マスター、大事な事を忘れてないか?」
高圧的に命ずる少女の言葉に頷きながら、黒衣の青年は問いかける。使い魔が出した問いの意味を量りかね、細い首を軽く傾げた。
「なに? 令呪でも見せればいいの?」
「違う。俺はまだ、キミの名前すら聞いてないんだ。……それとも、使い魔如きじゃ教えてもくれないのか?」
青年の言葉に、微量ながら不機嫌が混ざる。言われた少女は、驚きに目を見開いていた。サーヴァントを得てから、常に冷静だった彼女には、ありえざる失態。しかしそれを取り繕うこともせず、少女は小さいながらも、自らの名を名乗った。
「い、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。長いから、イリヤでいいわ」
「イリヤ。可愛い名前だ、キミに似合ってるよ。……俺のことは、シキと呼んでくれれば良い」
「シキ? バーサーカーじゃないの?」
「出来れば、名前が良いな。きっとその方が俺も頑張れる」
イリヤは使い魔の答えに「ふぅん」と、詰まらなさそうに相槌を打つだけだったが、囁く様に「シキ、シキ」と自らの相棒となる存在の名を、舌に馴染ませている。
自分の努力する姿を、穏やかな雰囲気で青年が眺めていた事に気付くと即座に口を閉ざして、話題を変えようとした。
「じゃあ、今度こそ私の番ね。アナタ、バーサーカーのくせになんで理性があるの?」
「それは俺というサーヴァントの特性だね。狂化の命令を受けない限り、俺には理性がある。その分、狂化してしまえば並みの魔術師なんか瞬殺しちゃうよ。イリヤなら多少は大丈夫でも、戦争中に俺を狂化させたら、援護とか考えずに逃げろ。とにかく俺の見える所に居ちゃ駄目だ。敵が死んでから、回収しに来てくれれば良い……くれぐれも、近づこうとは考えないでくれ」
穏やかだった青年の雰囲気が、忠告した一瞬だけ刃の如きソレに変わる。しっかり封のされた瓶から、僅かに漏れ出したかのような、微量の殺気。ソレを感じただけで、主であるイリヤは、全身を濡らす冷たい汗を自覚した。
「……分かったわ。次は、アナタの真名を教えなさい」
少女はしかし、動揺を即座に抑えこんだ。胆力と冷静さ、共にマスターとして十分な素質といえるだろう。
「うーん、多分無名だろうけど、『殺人貴』って言うのが一般的かな?」
自分の真名に自信がないのか、苦笑しながら答えるシキに、イリヤは何も言えなかった。様々な英霊の真名を知る彼女の知識にも、『殺人貴』などという英霊は存在しない。つまり、知名度に関しては絶望的だと判明した訳だ。
それなのに、少女はその名を聞いた瞬間、抑えきれぬ恐怖に自らの全身を抱きしめていた。
魔術師として、優れた素質をもった彼女には、殺人貴という名に秘められた、ナニかに気付いたのかも知れない。
「ず、随分と弱そうな真名ね。宝貝くらいは期待できるのかしら?」
強気な言葉は、恐怖に屈しようとする自らを鼓舞する物。主の健気な努力に、目蓋を隠したまま、黒衣の青年は微笑んだ。
「ちょっと、笑ってないで答えなさいよ。使える宝貝は幾つ有るの?」
「……それは、戦争が始まってからのお楽しみ」
「ふざけないで、バーサーカー。令呪を使ってもいいのよ?」
ニヤリと、目の笑ってない笑顔。可愛い顔だけに、そうした表情にはとてつもない迫力がある。幼い身体に浮かぶ、令呪の輝きよりも恐ろしい。
「ごめん、でも、俺の宝貝はちょっと事情があって、使用に制限があるんだ。だから、下手に情報を与えて、頼られると困る」
使い魔の釈明に、少女は納得いかない様子だったが、これ以上突っ込んでも無駄だと分かったのか。令呪を消して青年に向き直る。
「ふぅん。それなら、今は許してあげる……最後の質問よ、シキ。アナタは、聖杯に何を望むの?」
一番大切な質問だったのだろう、少女は完璧な無表情でサーヴァントの答えを待つ。
数秒の沈黙を経て、シキは口を開いた。
「……好きな女の、幸せかな?……」
あまりに平凡で、『英雄』にはありえない筈の望み。だが、彼の瞳は本気でソレを願い、邪魔する物を排除する事にも、迷いを感じてはいない様だった。
「呆れた。そんなくだらない事で聖杯戦争に参加したのって、多分シキだけよ」
肩をすくめて、いかにも落胆したといった少女。しかし、表情は微かに笑みを含んでいて、言葉ほどには使い魔の答えを嫌ってはいない事が分かる。
「くだらない、か……そういうイリヤは、聖杯に何を望んでるんだ?」
「……アインツベルンが望むのは、聖杯を獲得する事だけ。得た後の事なんか知らないわ」
「それこそくだらないよ。今すぐじゃなくて良い、イリヤ自身の望みを探してくれ。……もし、キミが心から望んでくれるなら、俺は絶対に聖杯を手に入れる」
「凄い自信ね。私には何の望みも無いけど、シキがそういうなら、探すだけはしてあげても良いわ」
少女の答えに、黒衣の青年は嬉しげに頷いた。
「それで十分だ。……約束しよう、俺は必ずキミを勝たせる。だからイリヤ、望みを考えておいてくれ」
そう言って差し出した青年の手を、暫しの間凝視していた少女は、唐突にその手の意味に気付いたのか、いささか慌てながら自らも手を突き出す。シキのゴツゴツとした男の手と、イリヤの繊細な手が重なり、握手が結ばれる。
黒衣の青年は知らない。自らの主こそ、聖杯が形を為した者だと。全ての敵を打倒した時、少女はその意思を失い、ただの願望器に成り下がる事を。
ソレを知る少女は、叶う事の無い願いを思い、淡い微笑みで使い魔を見つめた。
ココに、第五回聖杯戦争において最狂のコンビが生まれる。
黒衣の青年は、包帯で隠された蒼い瞳に希望を映し。
白の少女は、色素の乏しさゆえの紅い瞳に絶望を抱いて。
はるか東方の地で始まる戦争に、思いを馳せた。
あとがかれ
はじめまして、S・O・Sと申します。文才など欠片も持たぬ身ですが、皆さんの美麗な文章に引き込まれる内に、どうしようもない誘惑に駆られて書き綴ってしまいました。
友人にこの話を聞かせたら、
「TYPEーMOONの作品は設定が凄いから、初心者には難しいぞ」
と忠告を受けました。
それでも、この話を書いたのは、「書きたかったから!」と言うしかありません。技量の拙さは、これから頑張って補いますので、これからもお付き合いください。
……ちなみに、この短文を仕上げるのに、二ヶ月かかりました。……
……更新速度は、お察しください……orz(土下座