彼は突然の来客にも嫌な顔をしなかった。なぜなら顔がないから。
「結界を解いているとはいえ、私に感知されることなく現れるとは、何者でしょうか?」
古ぼけ荒れ果てた部屋の中央に突然現れた少年を、彼は持て余していた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Good Noise Injection
第一章/第一話:少年と彼
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
横島少年は暗闇の中にいた。真実の闇だ。何も見えないのは何もないからだが、あったとしてもこの闇の中ではその色を失うだろう。
どこまでも闇の世界に一人きり――しかしその暗さは、不安を招くものではなかった。柔らかな毛布の中の、夜の眠りに近い。暖かく、どこか安心するような気がした。
「よお、少年!」
一人だと思っていたところで、背後から突然に声をかけられた。
横島少年がびっくりして振り返ると、そこには自分よりもずっと背の高い男が立っていた。世間一般的には、やはりまだ彼もギリギリ少年と呼ばれる年齢なのだが、横島少年にとっては大人と変わらないだろう。
小学生くらいの子供にとって、知らない大人は怖い――自分にとって圧倒的強者だからだ。敵か味方かわからなく、攻撃されても守るすべがない。横島少年にとっても、程度の差はあれどその感覚は存在するのだが、しかし、なぜか目の前の彼を怖いとは思わなかった。
ジーパンにジージャン、頭に赤いバンダナを巻いた彼は、すまなそうな顔をして横島少年の頭をなでた。ただ頭をなでているだけだと言うのに、それも美人の女性になでられているわけでもないのに、その手はとても気持ちがよく、横島少年はなすがままにされていた。
「……すまなかったな」
唐突に彼は言った。
「俺のせいで痛い思いさせちまって、ゴメンな?」
「さっきのって、あんちゃんのせいなんか?」
「ああ、そうらしい」
横島少年は先ほどの痛みを思い出し少し身体を震わせたが、いまだに頭上に置かれた彼の手のひらの温かさを感じると、それもすぐに収まった。
「あんちゃん、何者なんや?」
「俺は、たぶん……未来のお前なんだと思う」
「たぶんって」
「勘弁してくれ、もう、いろんなことが思い出せないんだ……」
彼はそう言ってうなだれた。
横島少年は悲しげな雰囲気を感じ、何か言おうと思ったのだが、せいぜい十年程度の人生経験の中から上手い言葉は見つからなかった。何よりも、そんな余裕はなかった。未来の自分なんてものが目の前に現れたのだから。
「……まあ、それはこの際どうでもいいんだ」
「ええんか!?」
「気にすんな、どうせ俺はもうすぐ消える」
「消えるって、どっかいくんか?」
彼は首を横に振る。
「正確には、俺と言う人格が消えてなくなるんだ」
難しいことはよくわからないが、その表現に不吉な何かを感じ、横島少年は彼をじっと見上げた。
「さっきのはな、ひとつの身体に二つの魂が存在してしまったせいなんだ」
「どーゆうことやねん?」
「俺だってちゃんとしたことはわからんぞ? 何となくそうだろうってことだからな? ……まあ、例えるならバイクに二人で乗ってるようなもんだな」
「ダメなんか?」
「後ろにくっついてるくらいなら大丈夫なんだろうけど、俺の場合は違う。俺はお前なんだ。席を奪い合った挙句に無理やり二人で運転するようなもんなのさ。そりゃ事故るに決まってんだろ」
「じゃあどうするんや?」
「簡単さ、一人になればいい」
彼は手のひらを横島少年の目の前に開いて見せた。そこには二つのビー玉のようなものがある。中には文字が刻まれていて、一つは『融』、もう一つは『合』とあった。
なんやそれ――と、横島少年が珍しそうに手を伸ばすと、逃げるように彼の手は上へ泳いだ。追いかけまた手を伸ばすと、今度は横へ――。
一瞬、二人の間で視線がぶつかり火花を散らす。刹那のにらみ合いの後、先に動いたのは横島少年だった。
「ほわちゃっ!」
「あんぎゃー!!」
横島少年のちょうど目の前、彼のとても切ない部分へ正拳突きが決まった。カランコロンとこぼれ落ちたビー玉を拾い上げ、戦利品のように満足げに眺める横島少年。
「や、やるじゃねぇか……さすがは俺……」
彼は涙目でピョンピョン飛び跳ねながら、ナイスパンチと親指を立てる。
「これなんや?」
ひとしきり眺め、満足したのだろう。横島少年はビー玉を彼に返しながら尋ねた。
「これは文珠って言って、まあ、おれの切り札さ」
「切り札かあー、何やかっこええなぁ!」
「そのうちお前にも使えるようになるさ。なんたって俺だからな」
彼が手のひらを握って再び開くと、それはすでに消えていた。
「俺とお前は『融合』してひとつの魂になる……いや、なったと言うべきだな。今ここにいる俺は残留思念みたいなもんだろう」
うー、と唸る横島少年の頭の中では、はてなマークが飛び交っている。
「……わい、あんまし頭よくないねん」
「……ああ、知ってる」
なんたって俺だからな――と、彼は苦笑いを浮かべた。
「まあ気にすんな。お前はお前だ、大して変わんねーよ。融合って言ったって、俺がお前に吸収されるようなもんだからな」
「それであんちゃんはえーんか?」
理解できないながらも、彼が消えてしまうと言うことだけは確からしいと横島少年は感じ取り、うつむいた。よくわからないが嫌な気持ちになったのだ。どうにかならないのだろうかとたずねようとして、再び彼を見た。
彼はプルプルと震えだし、突然叫んだ。壁がないので代わりに地面に頭を何度も打ち付ける。ザ・土下座スタイルだ。
「チクショー! ドチクショー! キレイなねーちゃんに囲まれてウハウハな俺の夢がぁーっ!! まだあのちちもしりも俺のもんになっとらんのにぃぃぃっ!!」
「あ、あんちゃんっ……」
「うおー、まだ見ぬちちよっ、しりよっ、ふとももよっ!! 先立つ俺の不幸を許してくれーーー!!」
号泣とともに天に向かって吼える。魂の叫びである。頭上では赤い噴水がピューピュー言っている。
「血ぃ、血ぃ出とるであんちゃん!」
「大丈夫だ、慣れてるから」
「慣れたら大丈夫なんか?」
「気にするな」
怪我はすでに消えていた。きっと気にしてはいけないのだろう。
閑話休題。
「……まあ、いいわけはねーよ。でも、結局俺かお前のどっちかってんなら、こうするしかねーんだ。けど、勘違いすんなよ? 俺は俺の意思で選ぶんだ。俺の命は俺の大切な人に生かされてる。絶対に粗末にすることは許されないんだ。……でもさ、死んじまうわけじゃねーし、ガキを押しのけて俺だけハッピーエンドなんて、きっと俺じゃねーからな。――俺は俺らしく、だ」
でないと顔向けできねぇ奴がいるんでな――と、彼は軽く笑う。消えること自体はすでに吹っ切っているのだろうか。いや、そんなはずはないだろう。
確かに彼の命も魂も横島少年の中で生き続けるだろう。しかし、彼という存在が消えてなくなることには変わりはないのだ。――それでも、最後の最後で彼は笑える人間のようだった。
頭を地面に打ち付ける姿を見て、これが将来の自分なのかと思ってちょっとショックを受けていた(むろん、気持ちはわかる。将来の夢はハーレムです、がはははは)横島少年だったが、今の彼はかっこいいと思った。
それから少しだけ、とりとめのない話をした。
かつて自給が250円だった話を聞いて、じゃあ一日いくら貰えるのかと聞いて、横島少年は素直に羨ましいと思った。そのことを言うと、彼は泣きながら横島少年の頭をポンポンと叩いた。
妖怪退治の話や、修行の話、仲間たちの話――それらの話は穴だらけで、思い出せないところに差し掛かると、彼はつらそうに顔をしかめた。
「なあ、俺はきっと、いろんなことを忘れちまった……」
原因は先ほどのダメージだろうと、彼は言う。だからしょうがないのだと。魂に負った傷はどうしようもない。
それを聞き、自分はどうなのだろう怖くなり、横島少年は色々と思い返してみる。
おとんはいつかおかんに殺される――よし。
銀ちゃんはモテモテで時々殴りたくなることがある――よし。
そんなわけで下駄箱に大きなカエルを仕掛けたのは自分だ――よし。
夏子のお気に入りは青のしましま――よし。
たまにすごい気合が入ってる時がある――よし。
みっちゃんは怒ると怖い――よし。
だけど時々妙に優しくて逆に怖い――よし。
隣んちのお姉さんは上から77、56、80――少しかわいそうな数字だがそれはそれでよし。
どうやら大丈夫らしいと思いかけ、しかし、かすかな違和感を感じた。家族や友人たちを思い浮かべる時、時々、本当にかすかに何かが胸の奥をなでていく。穏やかな風が前髪の先をそっと揺らすようなさりげなさで、暖かいような、切ないような、そんな感情が駆け抜け消えていった。
横島少年はそれを気のせいだと思うことにした。そう、彼らのことを懐かしいと感じたことなど……。
感じた違和感を振り払い、今は彼の言葉に耳を傾ける。
「だけど、覚えてることもある。忘れられない記憶がある」
彼は横島少年の両肩に手を置き、静かに瞳を覗き込んだ。今までで一番真剣な顔をしていた。その真剣さにつられ、横島少年も唾を飲む。
「きっと、目が覚めたらここで話したことは全部忘れてると思うけど、それでも俺の頼みを聞いてくれないか?」
本来は会うはずのない二人だから、ありえない出会いは夢のようなものだから、夢なんて手のひらからこぼれ落ちていく水のようなものだから、それでも願いを託さずにはいられないから――聞いてくれるかと、彼は言う。
肯定の意思を込め、小さくうなずく横島少年。
「ここが俺にとっての過去だっていうなら……」
彼はゆっくりと、何かの痛みをこらえるように、絞り出すような声で言った。
「アイツを……ルシオラを助けてやってくれ」
彼がそれだけの言葉を吐き出すのに、十分も二十分も時が過ぎたように横島少年は感じた。横島少年にも、その願いがどれほどの意味を持つのかが理解できた。その名前の人間が、彼にとってどれほどの意味を持つ者なのかが理解できた。切ないほどのその願いの重さ、大きさが理解できた。
「あんちゃんの大事な人なんやな?」
「ああ、こんな俺を好きだって言ってくれて……だけど俺が弱かったせいで守れなかった奴だ。俺はアイツを幸せにしてやるって言ったのに、守ってやるって言ったのに……俺はどうしようもなく弱かった」
彼がどんなに願っても、もうその願いはかなわない。それは彼にとってすでに過去なのだから。しかし、それは自分にとっては未来であり、未来を残されたのもまた自分なのだ――だから、ためらいはなかった。
「まかせろ、わいがソイツ守ったる! あんちゃんはわいや、ならあんちゃんの願いはわいの願いや! わいは漢やからな、強くなって絶対守ったるわ!」
言って、横島少年は拳を彼に向かって突き出す。彼もすぐに理解したらしく、自分の拳を突き出し、それに合わせた。自分の拳よりも一回り大きな拳に、受け継がれた願いの大きさを感じる。
漢と漢の約束をした。
そして拳は離れ、彼は満足げに微笑みながら消えていった。
横島少年は胸に刻むように、目を閉じ心に誓う。
――強くなる――
――強くなって守る――
再び開いて見えた世界で、闇は、夜が明けるように光に溶けていった。
うーんと唸りながら、少年が目を覚ます。目をこすりあくびをひとつ漏らし、きょろきょろと辺りを見回し、首をかしげる。
彼は、それを人ならざる目でじっと見ていた。
彼は突然の来客にも嫌な顔をしなかった。なぜなら顔がないから。
「……ここは誰? わいはどこ?」
古ぼけ荒れ果てた部屋の中央に突然現れた少年を、彼は持て余していた。
彼の名は渋鯖人工幽霊壱号――呼んで字の如く幽霊である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
@あとがき
赤い靴ですどうも。
今回はちょっと短いので、まあ予定よりもちょっと早めに投稿します。
正直な話、ここまでをプロローグにすればよかったと、今更後悔していたり……色々要修行と言うことで、生暖かい目で見守っていてくだされば幸いです。
あと、改行文字数を固定にするのをやめました。その辺は読者さんに任せてしまったほうが良さ気に感じたので。
@レス返し
[potoさん]
>結構ありきたりかなぁ、とは思いつつも今後に期待。
ええ、この世界ではありきたりな話です。それなりに出尽くした感のあるジャンルですからね。かといって、原作の時間軸上ではあまりはっちゃけたことはしたくなかったので、今後の展開で色々と工夫したいです。
>みっちゃん可愛いよみっちゃん
今後の扱いに困ってます(笑)。
[サンダル本さん]
>肉体も魂も崩壊していく状態から〜
まあ、こんな感じでした。しばらくはその辺のフォローをしつつ、キーマンたちを絡ませていきたいですね。
[方向転換さん]
>逆行&記憶喪失ですか…これからどうなるのか〜
大丈夫かと思いきや、目覚めてみたらあんな感じです。次回、叩いて直します(笑)。
>文章で『文殊』とありますが正しくは『文珠』です。
指摘ありがとうございます。
一発変換だとこっちが出てしまうんですよね。さっそく辞書に登録しときましたよ。
[Tシローさん]
>この後、忠夫少年がどうなり、どう行動するか楽しみです
やっぱりそこが上手く書けないことにはダメダメなので、がんばりたいです。
[クロさん]
>とりあえず月1なら、今の2.3倍ぐらいはせめて文章量が欲しいです
ですね。私もそのくらいを目安にしています。今回と前回で一話分って感じです。
みなさんありがとうございました。