「美神さんっ!!」
ためらいはなかった。もう目の前で誰かがいなくなるなんてまっぴらだったから、彼は
身体全部の力で駆けた。
彼女の前に飛び出し、全身全霊、ありったけの力を振り絞り盾を構える。一瞬、その迫
り来る魔弾はわずかな抵抗にあい、それでも一瞬で突き抜ける。だがその一瞬で彼の手の
内に、淡い水色とも紫色ともつかないビー玉のようなものが姿を現し、閃光とともにより
強力な盾を、堅固な結界を形成する。
「くそっ、これもあんまし持ちそうにないっス!」
「なんて奴なのっ、文殊の結界でも時間稼ぎにしかならないなんて!」
「コンチクショーっ!! 美神さんがデートに誘うなんて、やっぱりイヤな予感がしてた
んやー!!」
「ば、ばかっ! 誰がいつあんたをデートなんて誘ったのよ!? 何時何分何十秒っ!?
ちょっと用事があるから付き合ってって言っただけでしょ!」
冗談じゃないと、顔を朱に染めて否定する美神。
「こーなったらせめて死ぬ前にイッパ――ぶげらっ!!」
飛び掛ろうと後ろを振り返る横島の首を、問答無用で前方へ修正する。鈍い音が響いた。
美神は冷静に状況を分析する――までもない。まったくのプライベート、強力な魔族を
相手にするにはあまりに準備が足りない。唯一幸運だったのは、横島が道具を使わないタ
イプの能力者だったことだろう。しかし、不運はソレに大きく勝るらしい。
二人を覆う、魔に対して不可侵であるはずの光の幕は、軋み、悲鳴を上げていた。網目
状の線が金属質の嫌な音を立てながら走る。
「一時撤退よ横島クンっ! お願い!」
「アイサー!」
新たに現れた二つのビー玉に『転移』の文字が刻まれるのと、結界が破られるのはほと
んど同時だった。
文殊と呼ばれたそのビー玉が発動し、二人が光の粒子に変換されていく。しかし、その
たったのコンマ数秒すらを、今まさに迫る攻撃が待たなければならない理由ははない。
あまりに無防備なこの瞬間に、その攻撃は軽く致命傷だろう。命運を分けるのは瞬きす
るほどの時間だ。そう、ただ、それさえがあればいい。
横島は自分がすべき行動を脳で高速回転させながら、無意識の向こう側に一人の少女を
想った。初めて自分のすべてで守りたいと思い、そしてついに守れなかったその人を。
あれから一度だって忘れたことはなかった。彼女の言葉を支えとし、自分が自分らしい
と思うように生きようと誓った。そして、彼女が愛した男が、その価値がある男であった
と誇れるように、生きようと誓った。
――だから、やはりためらいはなかった。
「やらせるかよぉっっーーー!!!」
「っっ横島クン!!」
自分を軽んじたわけでなければ、決して死にたいわけでもない――ただ、彼女に誓った
自分を生き抜くために……。
そうして、横島忠夫という人間はこの世界から姿を消した。
まあ、この世界ではありきたりな話だ。
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Good Noise Injection
第一章/プロローグ
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「おーれはジャイアーン、ガーキ大将ー!」
俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの――だから世界の女性は俺のもの。将来の
夢はハーレムです、がはははは――と、胸の辺りにわだかまる苦さを振り払うように、少
年はちょっとおませな思考を走らせながら木の棒をふりふり道を歩いていた。
背格好からして、年はおよそ十と少し。小学校高学年か中学生か、その間あたりだろう。
年相応のやんちゃそうな雰囲気、どこにでもいるそこらへんの悪がきといった風だが、な
かなかどうして愛嬌のある顔立ちをしている。取り立てて整っているわけではないが、母
性本能をフルに刺激すれば、年上とかいけそうである。どこに?
少年の名は横島忠夫。今年で小学校5年生である。
学校からの帰り道、吹き付ける木枯らしはどこか切ない。
親友との別れと失恋……いつも一緒だった二人の友人を少し遠くに感じ、
(わいは漢や、漢はこれでええんや……)
と、声なき声で自分をそっとなぐさめる。
思い出すのはつい先ほど、放課後のことだ。
横島少年が、何をするにも一緒だった親友が転校してしまうと聞いたのが、ちょうど一
週間前。それから言いようもない感情に翻弄された数日を過ぎ、寂しさやら悲しさやら何
やらをようやく形だけは整理して、せめて自分の一番の宝物を餞別にしようと思って屋上
のドアに手をかけた。そこにいるはずの親友に会うために。しかし、そこにはもう一人の
親友であり、密かに想いを寄せる少女の姿があった。
漏れ聞こえる会話の内容から、親友が自分と同じく少女を想っていたことを知る。普段
から女子に絶大な人気を誇っていた親友のことだから、きっと少女も親友の想いを受け入
れるのだろうと自然に思った。
男女のアレソレは別として、友人として二人のことが本当に好きだったから、開きかけ
たドアをそっと閉じた。今日で別々の場所に分かれてしまうけど、上手くいけばいいなと
思いながら。
顔で笑って心で泣いて、少し大人になった横島少年であった。
相も変わらず、横島少年は木の棒をふりふり道を進む。もうそこの角を曲がれば家が見
えてくる――そんな時だった。
「……え、ぅあ?」
何かが落ちてきた、と思った。何かが音もなく姿もなく落ちてきて、自分の中に入った。
理由もなく理屈もなく、ただそれがわかった。
自分の中に何かがある。得体の知れないようで、よく知っているような、そんな大きな
何かが。
「な、なんやったんやろう、今の……」
ドックンドックン心臓がはねる。何か悪いものでも食べたっけ、などと頭を捻る。クラ
スメイトからもらった給食のプリンだろうか。周りの羨ましそうな視線を感じながら食べ
るプリンは格別美味かった。視線の中には女子もいた。なぜかその女子は、プリンをくれ
たクラスメイトの方を睨んだりもしていた。
「うぅ、バチでもあたったんやろか……でも、みっちゃんプリン嫌いゆうてたし……」
勘違いしないでよね、あんたにあげたくてあげたんじゃないんだから。プリンなんて嫌
いだから、ただそれだけなんだから――とは、みっちゃん談。それ何てツンデレ?
ドックンドックン心臓がはねる。横島少年は立ち止まり、胸を押さえ落ち着くのを待つ
が、やはりドックンドックンだ。体中の血管を血液が駆け巡り、背中にダラダラと汗が流
れるを感じる。
「あ、あぁ、あ……」
波のような感覚で、何かがやってくる。説明のつかない何かで、だけどその何かは横島
少年の知っている何かからやってくる。
何度かの波をやり過ごして、そして大波がやってきた。
「ぅぐ、が……ぐああ、があああああああああああぁぁぁぁぁっっっーーーー!!!」
突然の痛みに思わず崩れ落ちる横島少年。あまりの内圧に、身体が中から破裂するよう
な痛みに襲われる。そして言葉通り、真実身体が破裂しようとしている。
その痛みに、当然のようにあっさりと横島少年は意識を手放した。
そして、何かが目を覚ます。
「ぎ、あ、ぐぅぅぅぅっっ!!」
だからといって、痛みがなくなるなどという都合のよい展開はなかった。ただ、さっき
までと違っているとすれば、目覚めた彼が痛みに慣れていたと言うことだろう。
「な、何で、ぐぅっ……俺は、ここに……がああああぁぁーーー!!」
そんな彼でも、その痛みには耐えられそうになかった。当然だろう。それは、肉体と魂
がもろともに崩壊していく痛みなのだから。
「ああ、あ……。み、が、み……さん? お……ぬ、ちゃん?」
彼は心が壊れていくのがわかった。自分の中の大切な人たちの顔が、声が、ぬくもりが、
消えていくのだ。まるで割れたコップから水がこぼれるように。
彼は失ってしまいそうになる意識を懸命に繋ぎとめ、精神を集中させる。生と死の狭間
の極限状態が、彼の手の内でいくつかの光を放った。出現したその淡い水色とも紫色とも
つかないビー玉のようなものは、彼の切り札中の切り札で、それさえあればたいていのこ
とはできるというものだった。
だが、そこまでだった。彼には今何が起こっているのかわからない。故に、どうしてい
いのかもわからない。
「ハァハァ、俺、は……ここまでなの、か……なあ?」
朦朧とする意識で、ここにはいない誰かに呼びかける。これを幸運と呼ぶべきなのか、
彼女のことだけはまだ彼の中に残っていた。忘れない、忘れたくない人と、想いが。
ビー玉のうちのひとつが光を放つ。中には『答』という文字が浮かんでいる。その瞬間、
彼の頭に自分の取るべき行動が示された。それはまるで、誰かが彼の呼びかけに答えてく
れたかのように。
「そう、すれば、いいの……か?」
残りのビー玉のうち、二つに新たな文字を刻む。ビー玉は柔らかな光を放ち彼を優しく
包んだ。
暖かく抱きしめられるような感触に、彼は痛みが和らいでいくのを感じた。それはきっ
と彼女のぬくもりに似ていると、もうほとんど思考のかなわない頭の片隅で思った。
「あり、がとう……ルシオラ」
そしてついに、彼も意識を手放した。
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@あとがき
はじめまして、赤い靴と申します。
最近GSモノを読むようになって、自分でも書いてみようと思い立った次第です。
ある程度のストーリーラインができたので、ドキンドキンしながら投稿してみました。
一ヶ月に一話くらいで、のんびりやっていけたらいいなと思います。