脱衣所を抜けた一同の視界にはどこまでも澄み渡る青空、散在する大小様々な岩、おまけに360度見渡す限りの地平線が広がっていた。室内とは思えない広大な空間にぽつんと存在している円形の試合場が目の前にある。試合場の端には法円が描いてある台がなぜか存在していた。
「わ……悪い夢のよーですね」
「私としてはもう復活したあんたの方が悪夢のように思えるわ」
「そこはほら、ギャグですから。シリアスであそこまでやられたらさすがに死ねる自信があるッス」
桃はその言葉を聞いて深い、深いため息をついた。先ほどは最後までシリアスを続けてほしいと言ったが、やはり撤回しようと思う。忠夫がシリアスになった時は命の危険にさらされた時の可能性が高いし、それは彼女としても望むところではないのだ。
「はあ……」
「お疲れ様、桃」
憐みやら同情やらが混じった視線を向けながら美神がねぎらいの言葉をかけた。
ちなみに、頭に大量のタンコブが残ったままの忠夫は小竜姫にアプローチをかけている最中である。自分が口走ってしまったことに気づいた桃が記憶を失くさせようといつも以上にボコボコにした結果、本当に記憶をなくしたかそもそも桃の言葉を聞いていなかったかは定かではないが、とにかく彼が先ほどのことに触れる気配はなかった。
「いえいえ、美神さんの方こそうちのバカ兄がいつもご迷惑おかけしているようで」
「確かにあいつのセクハラは目に余るけど……身内じゃない分苦労度はあんたほどじゃないわよ、たぶん」
そうして、お互いの忠夫に対する苦労話で盛り上がる二人。その顔に先ほどのような営業スマイルはなく、自己紹介の時の雰囲気はどこへやら。非常に和やかなムードが漂っていた。
「……こほん。そろそろいいですか?」
「「あ」」
小竜姫の言葉に自分たちが今どこにいるかを思い出した二人。
彼女にアプローチをかけていたはずの忠夫はどうしているかというと胸を押さえて息を荒げていた。小竜姫が神剣を鞘に納めているところを見ると、どうやらセクハラされかかった彼女が忠夫に斬りかかったが、持ち前の回避力を発揮して避けたらしい。忠夫が「あぶねーあぶねー」と言っているのが何よりの証拠だろう。
「さて、美神さんにはそこの法円を踏んでもらい、出てきた『影法師(シャドウ)』―――あなたの霊格・霊力・その他あなたの力を取り出して形にしたものですが―――で3つの敵と戦ってもらいます。一つ勝つごとに一つパワーをさしあげます。影法師はあなたの分身ですので彼女が強くなればあなたの霊能力もパワーアップするということですね」
「あのう、小竜姫さま?」
「なんですか桃さん」
小竜姫が修行の説明をしていると桃が手を上げて尋ねてきた。
「3つの敵って……あたしもこの修行をするんですよね? だったら見学していいのかなあって思いまして」
「ああ」
桃の質問に美神がポンッと手を叩く。たしかに自分が今から行う戦いを見ていれば相手の特徴・攻撃パターン・弱点などが分かってしまう可能性があるのだ。事前に情報を知っているのと知っていないのとでは戦いの運び方や難度がまるで違う。これではフェアな修行にならないではないか、と美神と桃が思うのも当然だろう。
「その点は心配なさらなくて結構ですよ。桃さんのときは美神さんの相手とは違う相手を用意しますので」
どうやら小竜姫もちゃんと考えて桃に見学を勧めたらしい。なるほど違う相手ならば先ほどの問題点もなかろう。
「そもそも美神さんと桃さんでは霊能の方向性が違うようですからね。パワーアップさせるところも別がいいというわけです」
たとえば呪術師の防御力をアップさせても意味はなかろう。彼らはいかに敵に己を悟らせずに強力な呪いをかけるかが大事なのだから。
「そんじゃ、いっちょ始めましょっか」
法円を踏みながら美神が気合を入れる。彼女の中から出てきた影法師は彼女をそのまま大きくしたかのような姿をしており、額や手の甲、肩に模様の付いた防具を身に付け、手にはこれまた模様のついた槍をもっていた。
「剛練武(ゴーレム)!」
小竜姫が告げると試合場の床から岩のようにごつごつした体、顔の中心に大きな目を一つ持つ巨人が出てきた。「ほとんど怪獣まんがっ!」とは剛練武を見た忠夫の感想である。
「始め!」
「いっけーー−!」
小竜姫が試合開始の合図を告げると、美神は影法師を剛練武めがけて勢いよく突っ込ませた。
〜兄妹遊戯〜
第十話『三人目』
美神とおキヌが二人して影法師を見上げて話している。
『鎧が付きましたね』
「防御力がアップしたってことかしら」
彼女たちの目の前には先ほどまでよりも重装備の鎧を着けた影法師が立っていた。剛練武を倒したと思ったら煙となって影法師に取りつき、このような姿になっていたのだ。
戦いは当初美神の不利で進められた。剛練武の甲羅は固くて影法師の持っている槍では貫けず、影法師の攻撃は一切通じなかったのだ。剛練武は力も強く、影法師が殴られた時フィードバックしたダメージで美神が気を失いそうになったほどであった。だがもちろん美神とて伊達に一流を名乗っているわけではない。忠夫の援護(セクハラとも言う)もあってすぐに立ち直り、即座に剛練武の弱点を見抜いて唯一柔らかい部分である目を槍でついて勝利した。
「おめでとうございます」
「どーも」
今まで何をするでもなくただ試合を見ていただけだった桃が拍手して健闘を称えた。しかしすぐにクルリと忠夫の方を向くと口をへの字に曲げて今度は不機嫌そうな声を上げる。
「セクハラもほどほどにね。いくら結果的にいい方向へ行ったとしてもそのうち訴えられるわよ?」
「俺はただ元気づけようとしただけじゃ!」
「どーだか」
その桃の態度にカチンと来たのか徐々に熱くなっていく忠夫。
「ちったあ自分の兄を信じんかい!」
「ことセクハラにおいて自分の兄ほど信じられないものはありません」
「言いきった!? 自分のことは棚上げして言い切りやがったな!」
「な……私のを忠兄のセクハラと一緒にしないでくれる!? 私のはただ美形を愛でたいという純粋な気持ちからであって、忠兄のような邪なものとは違うわよ!!」
「はっ、どーだか! 所詮お前も俺も横島大樹の子供という同じ穴のムジナ……言葉でどう言い繕おうとも遺伝子はごまかせんぞ!!」
「……言ったわね……あたしが気にしていることをあっさりと……」
忠夫に呼応して桃の段々と熱くなっていく。
――――結局のところ、色々な面で似ているのだこの兄妹は。
「さてと、次の相手を出して頂戴」
「わかりました。あ、出口は消しておきますね。途中での試合放棄は認められませんから。パワーアップするか、死ぬかがここの決まりです」
「OK。そんなことしなくても私は逃げないけどね」
美神が痛む手をさすりながら言うと、小竜姫も神剣を鞘に戻しながら返した。二人の視線は試合場に向いており、美神はすでに今からの戦いに集中している。そんな真面目な話をしている二人の後ろには三つの影があった。
「うぐぁ…………しょ、小竜姫様……なにも神剣で殴らなくても……」
「いってー。美神さん、手大丈夫かなあ?」
『横島さん石頭ですねー。美神さんの方が痛そうでしたよ』
頭を押さえて蹲り小刻みに震えている桃と、頭を軽くさすりながら美神の心配をする忠夫、そんな忠夫の頭を見てタンコブもできていないことに驚くおキヌの三人だ。
「た、忠兄。なんで平気なのよ……?」
「なんでって言われてもなあ。美神さん素手で殴ってたし。影法師を出してる間は霊力って使えんのかな?」
『いつもは痛くないように霊波で拳を覆っているんですよ、美神さん』
桃が自分だけ平気そうにしている忠夫に恨みがましい目を向ける。桃は痛みのあまり蹲っているため、涙目+上目づかいの最強コンボとなっているが美神の方を向いている忠夫はそれに気づかなかった。
ちなみになぜこんなことになっているかというと、そろそろ次の相手に移りたい美神が未だに兄妹漫才をしている忠夫たちに話しかけたのだが、彼らは彼女に気づきもしなかった。
その後何度話しかけても気づいてもらえず業を煮やした美神と、ここまでの経験でこれ以上放っておいても長引くだけと判断した小竜姫が実力行使に出たためだ。美神は忠夫にゲンコツを、小竜姫は桃に神剣の腹を振り下ろしたというわけだ。
「禍刀羅守! 出ませい!」
小竜姫の掛け声と共に試合場の中央に現れたのは簡単に言えば蜘蛛のようなシルエットをした相手だった。ただし八本足ではなく四本足で、それらの第一関節から先が全て研ぎ澄まされた刃になっている。鬼のような顔をしており、全身は真っ黒に光沢を放っていた。
そんな禍刀羅守の姿を見たみんなは好き勝手な感想を述べ始める。
「悪趣味ねー。バカっぽいわ」
「い、痛そうなデザインっすね、黒光りしてるし……なんかゴキ○リを思い出してもーた」
『うわぁ〜トゲトゲおばけ』
「美神さんの意見に賛成。趣味を疑うわねー」
どの言葉に反応したかは知らないが、それまでそこら辺の岩を切って自分の足の切れ味を自慢していた禍刀羅守はその動きをピタリと止めた。
『グケエエエェェ!!』
「ぐっ」
急に動かなくなったと思った禍刀羅守が突然耳障りな叫び声を発しながら美神の影法師に一撃を加える。幸い禍刀羅守の攻撃に気づいた美神がとっさに防御したので、当たったのは先ほどパワーアップして手に入れた鎧部分だけだった。
「こらっ禍刀羅守! 私はまだ開始の合図をしてませんよ!」
『フン』
小竜姫の叱責を無視し、ゆっくりと美神たちを見回す禍刀羅守。
その怒りに燃える眼が語っていた……『こいつが終わったら次はお前らだ』と。どうやら影法師を攻撃したのはたまたま一番近くにいたからであって、決して美神の言葉だけに怒ったわけではないようだ。
「よくもやってくれたわね……」
「……美神さんファイトォ! そいつなんか倒してしまえ!」
『頑張ってください、美神さん!』
「言い過ぎたかしら? まあ、向かってくるなら返り討ちにしてあげる」
禍刀羅守の殺気を含んだ視線に四者四様の反応を見せる。奇襲を受けた美神は報復に燃え、戦う術のない忠夫とおキヌは美神が禍刀羅守を倒すことを応援し、桃は反省しつつも容赦はしようとしていない。
「この、くされ妖怪があ!」
「グケエエェェ!」
――――怒りに燃えた両者が試合場で激突した。
「ぐぁ……」
美神の苦悶の声が試合場に響いた。美神の影法師の攻撃を姿勢を低くすることで避けた禍刀羅守が後ろから攻撃し、影法師はもろにその攻撃をくらってしまったのだ。
「やはり最初のダメージが大きすぎましたね」
先ほどの剛練武との戦いのときより明らかに精彩を欠いた影法師の動きを見て、小竜姫がそう判断を下した。
基本的に生真面目な性格の小竜姫は奇襲や多対一などの戦いではなく正々堂々とした一対一の戦いを好んでいるため、先ほどの禍刀羅守の行動は当然彼女の目に余った。本来なら禍刀羅守が奇襲した時点で試合は中止し禍刀羅守にお仕置きをするところだが、小竜姫が動くより先に勝手に美神が試合を始めてしまい、美神が戦意を失っていないことからも戦いを止めることができないでいた。
「仕方ありません。特例として助太刀を認めます」
このままでは公平な試合にならないと思い、忠夫に近づき額に手を当てた。忠夫はと言うと額に当たる柔らかな感触にちょっとドキドキしながらも、自分の勘にビンビン来ているいやな予感に顔を引きつらせている。
「あの〜小竜姫様? 私めに何の御用でせうか?」
「あなたの影法師を抜き出します」
「ちょ、ちょっと待……俺はただの見学……」
恐る恐る聞く忠夫に返ってきた小竜姫の言葉は、彼のできれば当たってほしくなかった予想通りの言葉だった。即座に反論しようとするが時すでに遅し。小竜姫の手が光ったかと思うと忠夫の頭に衝撃が走った。
「こ、これが忠兄の影法師……」
桃が忠夫の後頭部から出てきた彼の影法師を見ながら呆然と呟く。
その容姿は簡単にいえば道化だった。ピエロのような頭部に和服を着た胴体。足には草履を履いており、手にはなぜか扇子を持っている。それだけでも十分ふざけた外見だが極めつけはその大きさ。美神の影法師は彼女と同じようなボン・キュ・ボンのナイスバディな八頭身美人だったが、この影法師は明らかにデフォルメされている三頭身。
美神の影法師を見て影法師とは本人に似るものとばかり思っていた桃が呆然となるのも無理はない。
『いよっ! いい日和でげすなぁ』
「「しゃ、しゃべったあ!?」」
扇子で自分の頭を軽く叩きながら挨拶してくる影法師に驚き後ずさる桃と小竜姫。忠夫は自分の影法師の姿の間抜けっぷりに呆然としてそれどころではなく、おキヌはどうリアクションをとっていいかわからないといった感じだ。
「って、なんで小竜姫様が驚くんですか!?」
「いえ、その……こ、こんな影法師は初めて見たもので……」
「俺は平凡なバイト学生ですよ! ここへ来る他の連中と一緒にしないでください! どーせ見たこともないくらい情けない影法師ですよ! どちくしょおおお!!」
「あ、いえ、そういう意味では……」
忠夫が自虐的な叫び声をあげる中、小竜姫は影法師の方をちらちらと見ながらも彼をなだめにかかる。
『誰が情けない影法師や、誰が』
「これが忠兄の影法師……あたしのがすごく気になってきた……」
桃は忠夫の影法師を見て自分の影法師がどんな容姿をしているか気になり始めたらしい。美神のような影法師だったらいいのだが、下手したらこんなちんちくりんの影法師が出てくる可能性もある。いや、血の繋がった兄妹なのだからその可能性は他人よりも高いだろう。忠夫とこの影法師には悪いが、そんなことになったらアイデンティティーの危機のような気がする桃だった。
『って、そんなこと言ってる間に美神さんがピンチです!』
おキヌの悲鳴にも似た叫び声が一同に聞こえた。忠夫が気を取り直して試合場の方を見てみると、そこには禍刀羅守に組み敷かれて身動きがとれないまま上からの攻撃をなんとか避けている美神の影法師の姿があった。手にしていたはずの槍は吹き飛ばされたのか、手の届かない所に落ちている。
「おおっ! 影法師とはいえ美神さんを組み敷くとは何と羨ましい……くそう、代われコノヤロー! ――――いてっ」
「真面目にやりなさい」
試合場で繰り広げられている攻防に興奮していた忠夫は桃に頭を叩かれてようやく冷静になったようで、己の影法師に向かって命令する。
「しゃーねー。よしっ、行けー俺の影法師!」
『いやや』
「なんでじゃ!?」
勢い込んで命令したのにもかかわらず返ってきたのは拒否の言葉だった。忠夫は詰め寄っていくが影法師の方はのほほんとしたもので、鼻をほじりながら己の本体に理由を述べる。
『お前さん自分の今の力量わかってるか? わしは死にとーない』
「うぐ」
影法師が言ったことは簡単だ。霊格、霊力、その他の力を取り出して形にした影法師の実力は当然ながら本体の実力に比例する。影法師は自分の実力(=忠夫の実力)では目の前の戦いに介入して無事ですむとは思っていないのだ。そして忠夫もそんなことはわかっていた。
(自由意志を持つ影法師……話には聞いたことがありましたが見るのは初めてですね)
そんな二人のやり取りを見ていた小竜姫はそう思っていた。影法師とは本来、本体の命令に絶対服従な人形のようなもの。ましてや言葉を話し、自由行動を行い、命令を全く聞かない影法師など前任の管理人が酒の肴に話してくれた時に聞いて以来である。その時はまるで信じなかったが……なるほど長生きはしてみるものだ。
「百合子さんといい桃さんといい……面白いご家族ですね」
小竜姫がそんなことを考えているとおキヌが試合場の中に飛んでいき、落ちていた槍を持ち上げようとし始めた。どうやら拾って影法師に渡そうとしているらしいが、槍が重くて彼女では持ち上げることができないようだ。
『戦うのがだめならせめて槍だけでも美神さんに……手伝ってください!』
『いやや。怖いもんは怖い』
おキヌは忠夫の影法師に助けを求めるが影法師の方はにべもない返事を返すだけである。さすがに己の影法師のわがままっぷりに業を煮やした忠夫が最終手段に出た。
「というわけでモモえもん! あいつをどうにかしてくれ!」
「誰がモモえもんよ、誰が。あたしは手を出さないわよ」
情けなくも桃に助けを求めるが一刀両断されてしまった。
桃は別に意地悪で断ったわけではない。影法師があの戦いに突っ込んで行ったら高確率で攻撃を食らう、という答えが頭の中で計算した結果出たためだ。桃としては今日知り合ったばかりの美神よりも忠夫が危険な目に会う方が重要だったりするため、手を貸そうとはまったく思わない。ただ美神にはちょっとした義理のようなものがあるので、手伝いはしないが忠夫自身が何とかする分には邪魔をしないという少々矛盾したスタンスを取ることに決めていた。
忠夫としても自分にできることが思い浮かばない以上誰かに助けを求めるしかないのだが、次に助けを求めた小竜姫にも助力を断られてしまった。彼女いわく試合の当事者の許可がないと彼女は手を出せないらしく、おまけに試合場の中には生身の人間は入れないので忠夫が影法師をコントロールするしかないとのこと。
しかし影法師は忠夫が深層意識で怖がっていることをする気は毛頭なかった。
『そうだ!』
忠夫が影法師に怒鳴りながら行くように命令していると、ずっと槍を持ち上げようとしていたおキヌが何かを思い出したようで懐に手を入れてごそごそと何かを探し始めた。
『横島さん! 手伝ってくれたら……
この小竜姫様の生写真をあげる!!』
ステーンと皆がコケる中、おキヌが高々と掲げるのは見紛うことなき小竜姫の入浴時の写真。白い肌がほんのり赤く染まっているその姿は扇情的であり、リラックスしているのか半開きにした唇がなんとも煩悩を刺激し、大事な部分はタオルで隠しているがそれが反って想像力をかき立てる一品となっている。
「な、なんでそんなものが――――」
「いくぞ、影法師!!」
『はいなっ!!』
顔を真っ赤にした小竜姫がおキヌに詰め寄ろうとするが、それよりもはるかに速く動いた奴らがいた。
「ヨコシマッ!」
『スゥパァァ!!』
「『キイイィィック』」
二人の非常に息の合った掛け声と共に、一筋の光線が未だに美神の影法師を組み敷いている禍刀羅守の胴体に突き刺さった。その強烈なキック(というより体当たりに近い)に禍刀羅守は試合場の端まで吹き飛んでいく。
「グガ、カ……」
何があったか理解できていない禍刀羅守はそれでもふらつきながら立ち上がった。痛む胴体を気にしながらも自分が先ほどまでいた場所に目を向けると、そこにいたのは宙に浮かぶちんちくりんの妙な影法師。それが目に入った瞬間、自分があんな小さな奴に吹き飛ばされたと悟った禍刀羅守は目の前の小さな影法師を全力で八つ裂きにすることに決めた。
「グケエェ――――ッ!?」
「私を忘れてもらっちゃ困る、わねっ!」
目の前にいる自分に屈辱を味あわせた敵に飛びかかろうとした禍刀羅守は、真横から繰り出された槍の一撃を避けることができなかった――――
「うしっ! ザマーミロってのよ」
柄の両サイドから刃が飛び出した武器となった槍を見て、美神が手で汗をぬぐいながらもう片手でガッツポーズを決めた。剛練武と同じように倒した禍刀羅守が雷となって槍と融合した結果、槍はこのような姿になった。どうやら今度は攻撃力がアップしたようだ。
「どうしていきなりシンクロしているのよ!」
「しょうがないんや! 女神さまの生写真なんてお金にも命にも代えられない価値があるんや!」
『そんなことはどうでもええでっから、約束どおりご褒美くれなはれ! ほら!』
『あ、はい。これです』
「おキヌさん! お願いですから渡さないでくださいよ!」
…………誰も美神の方を見ていなかった。完全無視、というより意識の端にも上っていなかった。
「…………」
ガッツポーズをとったまま固まる美神。その頭に浮かんでいるでっかい怒りマークと握りしめられた震える拳が彼女の心情を物語っている。
「そんなのに命をかけるなあ!」
「男は時として命より大切なものがあるんや!」
「これは没収です!」
『すみません影法師さん。取られちゃいました』
『ああ、アネさん! そんな殺生なぁ!』
肺の空気を全て絞り出すかのように深く、深く息を吐く。肺を空っぽにしたところで今度は周りの空気を全て吸い込んでやると言わんばかりに大きく、大きく息を吸った。
「いっそのことあたしが引導を渡してあげようか?」
「ふっ、いくら凄まれようと今回ばかりは引けんな。影法師! しっかり写真を手に入れておけよ!」
『まかせなはれっ!』
「ほう……私に挑むつもりですか。いい度胸です」
『…………私、もしかして大変な引き金を引いてしまいましたか?』
――――OKキサマら。その鼓膜、よほどいらないらしいわね。
美神渾身の一撃が五人の脳を揺らした。
「で、これはどこで手に入れたのかしら、お・キ・ヌ・ちゃ・ん?」
写真をピラピラと振りながら美神が凄んでみせると、おキヌは目の前で仁王立ちする美神から発せられるオーラに再び気絶しそうになるがなんとか耐え、まだふらつく意識を総動員させ返事をしようとする。ここで意識を失ったら次に目覚めるのは来世になりそうな気がしたからだ。
『あ……はい……美神さんが鬼門さん達を転ばせた時に……その、落ちてたのを見つけたんです。その時拾ったままついさっきまで忘れていました』
まともに美神の顔を見ることができずに正座したまま顔をうつむけて答える。
チラッと横目で右隣を見ると桃がおキヌと同じように正座をしていた。さらにその隣では忠夫と彼の影法師がいる。今度は左隣りに目を向けると小竜姫までもが正座をしていた。彼らは気絶させた張本人である美神に叩き起こされたと思ったらいきなり正座をさせられて今に至っている。その時の美神の迫力に誰一人として逆らわずに素直に従った。一人の例外もなく、小竜姫ですらだ。
さらに全員に共通することと言ったら美神に顔を合わせられずに地面を見ていることと、頭が若干揺れていることだろう。おキヌならまだしもあの忠夫までもが未だに回復していないというのだから、美神の渾身の一撃の威力は推して知るべし。
「……ということはこの写真は鬼門たちが持っていた、ということでいいのかしらね?」
「ゆ、油断しました……まさか鬼門たちが覗いていたなんて……」
小竜姫が悔しそうに呟く。いくら油断していたとはいえ入浴を覗かれ、あまつさえ盗撮までされていたのだから武神としての彼女のプライドはズタズタだろう。顔が赤くなっているのは羞恥か、怒りか、それとも両方のせいか……
「小竜姫様の怒りもごもっともだけど、あいつらへのお仕置きは私の修業が終わってからね。もうこれ以上脱線するのはいやよ」
「ええ……分かっています。では可及的速やかに終わらせてあの者たちに仏罰を与えてやりましょう」
ユラリと立ち上がった小竜姫が纏ったオーラは美神に匹敵するどす黒さと禍々しさを持っていた。とてもじゃないが神様が纏っていいものではない。
『あ、あのー』
「なに?」
「なんですか?」
だがそんな地獄の魔王達に話しかける勇者がいた。勇者の名はおキヌ。さすがその身を覆う巫女服は伊達じゃない。たとえ声が泣きそうだろうが、おずおずとあげられた手が小刻みに震えていようが、その魔王に立ち向かう姿はまさしく勇者だった――――と桃はのちに語った。
『実は……まだあるんです、写真』
「「あん?」」
『ひいいいいいぃぃ』
おキヌの口から出た新たな事実を聞いたとたん、二人の魔王達から立ち昇るオーラが激増した。言わなければよかった、とおキヌは強烈に後悔したに違いあるまい。その腰が抜けた姿が何よりの証拠だ。ああ、勇者は魔王の波動により再起不能となってしまった。
「出してください」
『は、はいいいぃぃ』
急いで懐に手を突っ込み十数枚の写真を取り出す。それを小竜姫に手渡す時のおキヌの手は見てかわいそうになるくらい震えていた。
「ふーん、ずいぶんとまあいいアングルの数々ですこと……ん?」
「おのれ鬼門たち……え?」
隠しカメラでも仕掛けたのでは? と思わせるような写真の数々にある意味感心すらする美神と、怒りに油を注がれ今にも写真を握りつぶさんばかりに持っている小竜姫が、唐突にその顔を呆けさせる。
「いや……これはこれは。仕事が早いわね」
「……この妙神山に現像室なんてありましたっけ?」
態度を急変させた二人に未だ正座をしている四人が戸惑っていると、いきなり二人が揃って桃の方を向いた。ビクッと体を震わせる桃に構わずに近づいていった二人は桃の前まで来るとしゃがみ込み、正座をしている桃と目線を同じにした。
「ねえ桃……冷静でいろとは言わないけど大人しくしてね」
「? わかりました」
美神からかけられた非常にやさしい声に、意味はわからないが取りあえず頷く。
それを確認した美神は小竜姫と目を合わせ、アイコンタクトと交わした小竜姫は手にしていた十数枚の写真の中から一枚を取り出して桃に見せた。
「どうぞ」
「はあ…………
――――――――殺してきていいですか?」
小竜姫が差し出した写真をしばらく見つめていた桃はおもむろに立ち上がったかと思うとどす黒いオーラを発しながらそんな言葉を口にした。その身から立ち昇る殺気という名のオーラは美神・小竜姫に勝るとも劣らないものとなっている。
――――どうやら、三人目の魔王が誕生してしまったらしい。
「いえ、あなた一人でやるのはダメよ。それだと小竜姫様の分がなくなるでしょう?」
「そうですね。私としてもこの手で仏罰を下してやりたいですし……」
美神と小竜姫は常人なら致死量の殺気を間近で浴びせられても平気な顔で桃に対応している。同じ気で中和しているのか、同調して高め合っているのか知らないが、少なくとも忠夫と彼の影法師、おキヌの三人にとって魔界の瘴気が濃くなったことには変わりない。
「ではあたしが左、小竜姫様が右でいいですかね? 今から捕まえにいってきますが、殺るのは同時ということで」
「ええ、いいですよ……蔵にある道具は使って構いませんのでくれぐれも無傷でお願いします」
「わかりました」
小竜姫の言葉に頷いていつの間にか現れた出口に向かっていく桃。忠夫たちは桃のその一歩一歩が大地を震わせているように錯覚した。
「さて……では最後の戦いと行きますか」
「ええ。最後は私がお相手します……早く終わらせたいのはやまやまですが手加減はしませんので」
「上等よ」
異空間を出る直前、桃は耳にした者が震えあがる声で呟いた。
「あたしまで撮られてたなんて……許さん」
「♪〜」
桃は今にもスキップしそうなほど軽快な足取りで修行場への道を歩いていた。鼻歌を口ずさむその姿からは先ほどまでの魔道冥府に堕ちたがごとき禍々しさは欠片も感じられない。
『後生だ、助けてくれ』
『うむ。落ち着いて話し合えばわかるぞ?』
背後から聞こえる妙に落ち着いた懇願も無視してひたすらに修行場という名の処刑場へと向かっていく。そろそろ美神の最後の戦いも終わって、もう一人の執行人の小竜姫が桃の到着を待っている頃だろう。
「んんんんん〜ん〜ん〜ん〜〜」
『なあ右の。これは何という曲だ?』
『さあ? おぬしが知らんのならわしが知るわけなかろう』
桃が非常に楽しそうに口ずさんでいる歌を聞いて左の鬼門が右に尋ねるが、右の鬼門とて人間界の知識は左とほとんど同じようなものなので彼も知らなかった。
「子牛を乗〜せ〜て〜」
『……何という歌だろうな?』
『……わからんがいやな予感がする歌だな。それよりもどうやって逃げ出すかを考えんか?』
『うむ。しかしこれは抜け出せんぞ。何より札のせいで体が動かん』
左の鬼門が言うように彼らの体は全身を縄で縛られ、額には封鬼と書かれた札を張り付けられており、とてもではないが彼らの自力では逃げることができない状態だった。
ちなみに、彼らを縛る縄はただの縄ではなく呪縛ロープのように霊的処置が施された一品である。さすがに神が保管していただけあって市販の呪縛ロープとはケタが違う性能を持っており、鬼である彼らの力をもってしても千切ることは叶わないでいる。おまけに縛り方がまた巧妙で、たとえ全身の関節を外したとしても抜け出すことは叶わない縛り方をしていた。
『あと少し早く写真が無くなっていることに気づいておったらのう……』
『うむ……』
写真が無くなっていることに気づいた鬼門たちは急いで旅支度を開始した。
落としたとしたら美神たちがやってきた時のほかになく、周りに落ちていないとしたらあの中の誰かが拾ったのであろうと判断したからだ。どうやら小竜姫本人に拾われるという最悪の事態にはなっていないようだったが、拾い主がいつ彼女に見せるかわかったものではない。
だから彼らは事が明るみになる前にほとぼりが冷めるまで姿をくらまそうと思い、旅支度を終え山を降りようとした…………ところで桃に捕まった。気配を消し近づいた桃は一瞬で二人の額に封鬼の札を貼り付け動きを封じ、おまけに呪縛ローブで縛りあげて、今現在荷馬車ならぬ台車で二人まとめて運んでいる最中である。
『と、いうわけで見逃してくれんか?』
『むやみな殺生はいかんぞ、殺生は』
非常に落ち着いた声で最後の命乞いをする鬼門たち。しかし彼らもすでに悟っている。これはもう助からない、と。それでも慈悲を求めてしまうのはただの惰性か、それとも本能がそうさせるのか。
どちらにしろ鬼門たちの命乞いは彼らの予想通り聞き入れられることもなく、桃は例の銭湯風の修行場入口にたどり着いた。
「荷馬車が揺〜れ〜る〜っと着いた。修行はもう終わったかな?」
そこに鬼門を放置して修行場の中に入っていく。封鬼の札と縄で逃げられないと分かっているからこその行動だ。現に鬼門が動かすことができるのは口と目だけだったりする。
『なあ右の……』
『なんだ、左の……』
『もう全部話してしまわんか?』
『うむ。しかしそれをするとこの場で助かる可能性は高くなるが、その後どうなるかわからんぞ? 下手すれば姉妹喧嘩に発展だ』
『それに巻き込まれんとも限らんのう……悩むところだな』
『制限時間は桃が戻ってくるまでだ』
『うむ』
「小竜姫様ー。子牛二匹の輸送完了しまし、た……」
脱衣所を抜けて異空間への入り口である引き戸を開けて修行場へと入ると、そこには彼女の思いもよらない光景が広がっていた。
「キシャアアァアア!」
「…………は?」
桃は引き戸を開けて一歩踏み出した態勢で固まってしまった。体を動かすのを忘れるほどに目の前の光景は桃の想像の範疇から外れたものだったのだ。
「美神さん! あんた何やってんすかあ!!」
「事故よ、事故! わざとやったんじゃないのよ!!」
『ほな、皆はんサイナラ』
「てめえ、俺の影法師のくせに本体置いて逃げんじゃねえ!」
『足を離さんかい! わしは死にとーない!』
『言い争ってる暇はないですよ! ほら、こっち来ました!』
「グギャアアァァア!!」
「「『どわあああああ!』」」
宙を舞う巨大な竜に異空間内を追いかけまわされる美神たちが目に入っても、桃は動けなかった。視覚から入る情報は緊急事態だと告げているのだが、生憎と桃の頭はそれに対してどのような行動をとればいいのかわからずに混乱し、結果指一本動かすことができずにいたのだ。
「あ、桃!」
「よし、出口が出てきた!」
桃が戻ってきたことに気づいた美神たちが闇雲に逃げ回るのを止めて桃……というより桃がいる出口の方へ一直線に走ってくる。
「グガオオオォォオ!!」
しかし竜は必死に逃げる美神たちを差し置いて新たに現れた標的である桃に狙いを定めたのか、こちらも一直線に桃の元へ飛んできた。美神たちより桃に近い所を飛んでいたため、竜の方が早く桃に接近してしまうこととなる。
「ぼさっとしてないで逃げなさい!」
「え?」
桃は自分に向かって美神から放たれた警告にようやく再起動を果たす。頭はまだ混乱したままだが、体は迫る危機に防衛本能のまま回避行動を取ろうとする。
だが、それはあまりに遅すぎた。
「ガアアアアァァアア!」
(間に、合わない!)
とっさに右へ跳躍して迫る顎を避けようとするが、すでにそれはその鋭い牙の一本一本を観察できるほど眼前まで来ていた。
もはや完全に避けることは不可能。桃は腕の一本を失う覚悟をして思わず目を瞑り、来るであろう激痛に耐えようとする。
『シャドウ・キイイイィィック!』
「ガアアッ!」
一閃。凄まじいスピードで接近してきた物体はその勢いのまま竜の横顔にぶち当たり、その衝撃で竜は桃から遠ざかる方向へと吹き飛んでいく。
「え……」
いつまで経ってもやってこない痛みと、目の前から聞こえた激突音に桃が恐る恐る目を開けると目の前にいたのは――――
『無事でっか? 桃はぶっ!』
「大丈夫か、桃!?」
「え、うん……きゃ!」
最後まで言わせずに影法師を押しのけた忠夫は、桃を抱きかかえて出口を走りぬけて行った。彼に続いて美神とおキヌ、美神の影法師が出口を通り抜けていく。
『なにすんのや! 桃はん助けたのわしでっせ!!』
「うるせー! お前は俺の影法師だろうが! ならおまえの功績は俺のもの、俺の功績は俺のものじゃ!!」
『ジャイアニズムゥ!』
脱衣所を走り抜けながら忠夫と影法師が始めた言い争いは徐々に激しさを増していく。
そんなことに気を取られている上、人ひとり抱えているというのに忠夫のそのスピードに衰えは見えない。
『ん? 戻ってきたか』
『それでは正直に話すという方向でいいかの、左の?』
『うむ。少しでも我らが助かる可能性が高い方に賭けようではないか、右の』
脱衣所が騒がしくなってきたのを察して修行が終わったのだと判断する鬼門たち。覚悟は決まっているとばかりに逃げようとせずに荷台に横たわったままだ。
『あとは問答無用で斬りかかられないことを祈るだけかの?』
『そればかりはどうしようも……ん?』
いきなり脱衣所へ続く引き戸を暖簾と一緒に吹き飛ばして何者かが飛び出してきた。その何者かは荷台に乗せられている鬼門たちを無視して彼らの横をもの凄い速さで駆け抜けていく。
『む、あれは忠夫か?』
『抱えられているのは桃だな。それとあれは……影法師か?』
何やら必死の形相の忠夫と、いわゆるお姫様だっこで忠夫に抱えられている桃、それと鬼門は判断しかねたようだが忠夫の影法師の三人はすでにかなり離れたところにいた。
「だあああああ!」
『ひえええええ!』
今度は美神たちが先ほどの忠夫たちと同じように急いで走り去っていった。その様子は何かから逃げているようであり、気になった鬼門たちは美神たちが出てきた出入り口に目を向けた。
バキバキと音を立てながら出入り口を破壊して出てきたのは――
「グガアアアアァァア!!」
((ああ、死んだな……))
鬼門たちの思考はそこで途切れた。
「な、なにあれ!」
ようやくまともに頭が動き始めた桃はとりあえず事情を知っていそうな忠夫に問いただす。その顔が真っ赤になっているのは助かった安心感からか、それとも別の理由か。
「ありゃあ小竜姫様だ!」
「小竜姫様ぁ!?」
「何か知らんが美神さんの影法師の攻撃が背中に掠ったと思ったら、いきなりあんなんになっちまったんだよ!」
「背中って、もしかして逆鱗に触れたんじゃ……」
忠夫の言葉に、桃は一日の修業を終えて小竜姫と一緒に温泉に入っていた時の会話を思い出した。
『小竜姫様、それなんですか?』
『ああ、これは逆鱗です』
『逆鱗っていうと、あの……』
『ええ、ですから触らないように注意してください。触られると竜の姿に変身してしまって辺り一面焼き尽くすまで止まれませんので』
『……さすがは竜神というか、なんというか……』
「なにしているんですか、美神さん!!」
「だから、わざとじゃないんだってば!」
桃の悲鳴にも似た叫びは美神にも聞こえたようで、後ろの方から美神の声が小さく聞こえてきた。
鬼門がいた門のところまできた忠夫はいったん足を止めて桃を下ろした。やがて美神が追い付いてきたところで作戦会議を開始する。
「で、どーします?」
「どうするもこうするも、鎮める方法が分かんない以上逃げるしか……」
『そうするしかありませんかねー』
息を整えながら撤退案を上げる美神に門を閉めてきたおキヌが賛同する。実際、美神が言っているように我を失っている小竜姫を鎮める手段がない以上、逃げるのが今考えられる最善の方法なのだ。
皆が撤退案を了承しかける中、それに異を唱える人物がいた。
「……あたしがなんとかしてみます」
「「『はあ?』」」
桃の発言に皆が間抜けな声を漏らす。彼女は今、荒ぶる神を自分が何とかするといったのだ。みんなが全く信じられない中、それでも桃は自信ありげに続けた。
「今の小竜姫様が普通の生物と変わらない肉体構造をしているとしたら何とかできると思います。ただそのためには近づかなければならないので、誰かが小竜姫様の気を引いておいてもらいたいのですが……美神さん」
「私ぃ!」
桃に指名された美神は自分を指差して確認するが、桃は美神の期待を裏切って頷いた。桃は自分に囮になれと言ったのだ。あんな破壊の権化みたいに火を吹いて暴れまわっている奴の目の前に出たくないと思うのは人として、生物として当り前だろう。
しばらくそのままの体勢で固まっていた美神だが、やがて覚悟が決まったのかガシガシと頭を掻いて門へと歩いて行く。
「あーもう、わかったわよ。こうなった責任は取ってやろうじゃない。ただうまくいかなかったら許さないわよ」
「うまくいかなかったらあたしは死んでると思うんですが」
「成仏する前に霊体をふん捕まえてこき使ってやろうじゃないの」
「……それは御免ですね。精一杯やらせてもらいます」
「ええ、がんばりなさい」
向こうでは竜化小竜姫が破壊の限りを尽くしていることだろう門の前で会話を交わす二人。美神の後ろには彼女の影法師がたたずみ、主の命令を待っていた。
桃が門を開け放とうとしたところで、今まで置いてけぼりをくっていた忠夫が桃を呼び止める。桃は首を回して肩越しに振り返る。
「忠兄とおキヌちゃんは危ないからここにいてね――――お願いだから来ないでよ」
「でもよ……今の小竜姫様に言葉なんて通じねーぞ? どうやって大人しくさせるんだよ?」
桃はお願いというよりも懇願に近いということが忠夫にもわかる表情でそう告げた。
しかしただひたすらに暴れまわっている小竜姫に言語が通じる理性が残っているとは忠夫には思えなかった。現におキヌが『怒りをお静めください』と言った時は無視されてあまつさえ炎を吹きかけられていたのだ。桃がどうやって小竜姫かわからない以上、忠夫はここで引き下がるわけにはいかなかった。
「ああ、そこは大丈夫。はなから言葉で説得しようなんて思ってないから」
「へ? んじゃどうすんだよ?」
忠夫のもっともな疑問に桃はニッと笑うだけで、門をつかむ手に力を込めて開け放ち始める。
答える気はないのかと忠夫が詰め寄ろうとしたところで、彼は先ほど桃が言った言葉に引っかかるものを感じた。
(ちょっと待てよ。あいつさっき「普通の生物と変わらない肉体構造」って言ってたな……ということは、あの馬鹿まさか……)
驚愕の顔で門の向こうへと出陣していく桃を見る。美神と共に歩いて行く桃は前を向いたまま忠夫に聞こえるようにこう告げた。
「ただの言葉が通じないならね――――
肉体言語で語るまでよ」
『行ってしまいましたねー。大丈夫でしょうか』
おキヌは門の向こうへと消えていった二人を案じ、自分は戦闘で役に立たないが二人の無事を祈ることくらいはできると思い手を合わせた。神を相手にする戦いに勝利するように祈る相手は同じく神でいいんだろうか、と悩んでいるのは内緒である。
「……おい、影法師」
『わーっとる。みなまで言うな』
おキヌの後ろでは忠夫と影法師が短い会話を交わしていた。
数分前まで立派な屋敷と修行場を構成していた木材や瓦が吹き飛び、激しい炎がそれらを焼き尽くす。鋭い爪が地面をえぐり、鋭利な牙が獲物を食いちぎらんと迫ってくる。
そんな地獄絵図のような中、美神と桃は走っていた。全速力で、これ以上ないというほどに。
「何で一緒に逃げてるんですか! あっち行ってください!」
「私はもう十分引きつけたわよ! 近づけないあんたが悪いんでしょう!!」
「あんな木材が飛び交う中心にはなかなか近づけませんよ! 竜巻の中に突っ込んで行くようなものです!!」
「その作戦の立案者はあんただああああ!!」
「見積もりが甘かったですうううう!!」
言い争っている間にも二人は足を動かすのを決して止めない。というか止めたら後ろから追いかけてくるヤツに確実に殺られる。
ちなみに竜巻に巻き上げられた物体はその風に煽られ凄まじいスピードとなり、たとえそれが小さな木材一片だとしても仮にそれに当たったとしたら大けがは必至、下手をすれば死ぬこととなったりする。
「グギャアアアアアァァア!!」
「きたぁ! 炎が来るぅ!」
「ちい!」
背後から迫りくる火炎を影法師が武器を回転させることで何とか防ぐ。先ほどからずっと繰り返している攻防で、このままなら膠着状態と言っていいがそろそろ美神たちに疲れが見え始めてきた。
「なんとかなんないの!?」
「少しでも動きを止めることができれば……」
小竜姫が動きを止めれば彼女が起こしている風も止み、周りで飛んでいる物体も地面に落ちて近づくことができる。しかし小竜姫の動きを止めるということは彼女に近付くということで……
「どうしようもないわね……」
「ええ、まったく――――っ!?」
桃は己の目を疑った。視界の端に明らかに木材や瓦とは違う動きをしながら小竜姫に近付くものが映ったからだ。
吹き荒れる物体を巧みに避け、ジグザグな軌道を描いて飛ぶあれは――――
『アネはん、確かに今のあんたは怖い。威圧感、破壊力どれをとってもわしよりもはるかに上や。ションベンちびりそうでっせ……せやけども、まだわしが逃げ出すにはまだ足りない! 足りないぞっ! 今のあんさんに足りないものは、それは! 情熱思想理念頭脳気品優雅さ勤勉さ!そしてなによりも―― 速さが足りない!!』
「グガアッ!」
正面から小竜姫に向かっていった影法師は鼻面に蹴りの一撃を加えると、そのまま彼女の周りを複雑な軌道を描きながら飛びまわる。
「ガアアアアァァア!!」
小竜姫はおのれに攻撃を加えた不届き者に標的を定めたようで、その場に止まって口腔に火炎を溜め、飛び回る忠夫の影法師に狙いをつけようとする。
「はい、しばらく動かないでね」
「グアアッ!?」
この機会を逃すほど美神は場慣れしてないわけではない。即座に己の影法師を小竜姫に組みつかせその動きを封じ、そのまま力比べへと突入する。
「桃っ!」
一流の霊能力者とはいえ高々ひとりの人間の影法師では長々と小竜姫を押さえつけられるはずもなく、徐々に力負けしていく影法師に焦った美神が桃に早くするように促す。
美神の叫びを耳にした時、桃はすでに小竜姫の懐へと潜り込んでいた。
「まったく、来るなって言ったのに……それでも来ちゃうのが忠兄か」
視界の隅に己の兄の姿を映しながら怒気を含んだ呟きを洩らすが、その顔は微笑みを浮かべていた。そのまま小竜姫の鋭い爪を持つ指の一本に両手を添えると――――
「まったく、あの時から全然変わってないんだから、ねっ!!」
――――それを一瞬にしてあらぬ方向へと曲げた。
そのまま次々と残りの指の関節、さらには肘にあたる部分の関節すらも容赦なく外していく。その間わずか数秒。その数秒で小竜姫の両腕の関節は全て破壊された。
「グギャアアアアアアァァアッ!!」
小竜姫が苦悶の叫び声を上げ、地面で激しくのたうち回る。すでに離れたところへ避難済みである桃はその様子を見ながら失敗したとばかりに頭をかいていた。
「あれ? 鬼門たちはすぐに気絶したんだけどなあ」
「あんた……なんてエグイことを」
『ウゲェ……』
桃が妙神山にやって来た日のことを思い出していると、美神が頭に縦線を入れながら弱々しくツッコミを入れる。忠夫の影法師も顔を歪ませて指をさすっていた。
指先には体のどの部分よりもはるかに多くの神経があることをご存じだろうか。指というのは複雑な動きをしないといけないために様々な感覚神経が集中している。その感覚の中にはもちろん痛覚だってあり、足の小指を角にぶつけたときに異様に痛いのはこのためだったりする。
読者諸君らも小指をぶつけたことくらいはあるだろう。その時の痛みを思い出せば――――小竜姫が今感じている痛みを想像できるだろうか。
「……泡吹き始めたわね」
「……そうですね。さすがは武神と言うべきか、気絶する気配はありませんけど」
泡を吹きながら尚も激しくのたうち回る小竜姫を見て、さすがに罪悪感が出てきた桃はでっかい汗を頭に浮かべる。
「……仕方がない。とどめを刺してあげるのが優しさってもんでしょうね」
『え? なにしますのや美神さん!?』
ぐわしっ! と美神の影法師によって掴まれた忠夫の影法師は戸惑いの声を上げるが、美神は気にした風もなく彼にあっさりと告げた。
「あんな暴れまわってる中に突っ込んで行くのは私いやよ……それに妹の後始末はお兄ちゃんが付けてきなさい。というわけでぇ!」
「ちょ、美神さん待ったぁ!」
「ストォーップ!」
いやな予感に近づいてきていた忠夫と桃が美神を止めようとするが時すでに遅し。美神の影法師は忠夫の影法師を右手に掴んだまま、惚れ惚れとするほど見事な投球フォームで彼を射出した。
「一球入魂! 影法師アタァークッ!!」
『のおおおおおおぉぉお!!』
ものすごいスピードで投げ飛ばされた影法師は一直線に小竜姫のもとへと飛んでいき、暴れまわっている彼女の眉間に見事に命中した。そのまま両者とも額にでっかいタンコブを作って地面に横たわりピクリとも動かなくなる。
「……やりすぎたかしら?」
「忠兄ぃ! しっかりしてぇ!」
死んじゃったかしら? と呟く美神の後ろでは、桃が影法師と同じようにでっかいタンコブを作り気絶した忠夫の肩を揺さぶっていた。
「ん……」
忠夫は額に感じる冷たい感触に目を覚ました。ゆっくりと瞼を開くと、ぼやける視界の中に誰かの顔が見える。
「あ、起きた? 忠兄」
「桃か……?」
上から心配そうに覗き込んできているのは桃だった。忠夫はぼやけた頭でそれを確認すると、桃と目を合わせ――――
「ていっ」
「とうっ」
同時に互いの頭を小突く。普段なら痛みをまったく感じないほど軽いものだったが、忠夫の起きぬけの頭にはよく響いた。
お互いに相手の頭に拳をあてた態勢で目を合わせ続ける。そのまま静寂が続くかと思われたが――
「無茶したお仕置きだ」
「来るなっていったのに勝手に来たお仕置きよ」
同時に口を開き、そのまま無言で目を合わせ続けること数秒。
笑い始めたのもまた、同時だった。
「ふふふふ……」
「はははは……」
それはもう楽しくて仕方がないというように笑い合う。
「それじゃあ今回はおあいこということで」
「そやな」
ひとしきり笑ったのち、桃が出した提案を受け入れる忠夫。
桃は忠夫を危険にさらすまいと彼をその場に置いていき、忠夫は桃を守るためにその場に止まらなかった。お互いがお互いを守ろうとした、ただそれだけのこと。
忠夫は頭が徐々に覚醒してくると普段しているバンダナが外され、額に濡れた布が載せられていることに気づく。先ほど感じた冷たい感触はこれだったのかと気づくと同時に、後頭部に柔らかい感触を感じた。その感触と、今更ながらに気づいた桃の顔の異様な近さから一つの推論にたどり着く。
「……なぜに膝枕?」
「お礼よ、お礼……助けられてばっかりだったからね」
「おまえの膝枕がご褒美か……」
できれば別のものがよかったなとか思っていたりする。具体的には毎日作っている手作り弁当の止めてほしいとか、桃じゃなくて美神の膝枕がよかったなとか……と忠夫が思っていると桃が忠夫の唇に人指し指を当てて、いたずらっぽく微笑んだ。
「あたし膝枕なんてしたことないんだから……あたしの初めてをあげたんだから文句言わないこと」
「……そのセリフ、一度でいいからベットの上で朝日を浴びながら聞いてみたいなあ。どこかにそんな美女はいないもんかな?」
「お望みならそうしてあげようか?」
「冗談」
桃は忠夫の即答に楽しそうにクスクスと笑う。
「よかったよかった。ここで頷かれてたらどうしようかと思ったわ」
「アホなこと言ってないで、あれからどうなったんだ?」
「ん? あれ」
忠夫が桃の指さす方向に目を向けるとそこにあったのは美神と抱き合う小竜姫の姿。美女二人の抱擁に背後には花が咲き乱れているのが幻視できるというとても美しい光景のはずなのだが、両腕に包帯を巻いて首から提げている小竜姫が全てを台無しにしているような気がしないでもない。
「……どういう状況だ?」
「さあ? 元に戻った小竜姫様を発掘した救急箱で治療した後、小竜姫様は美神さんに任せて忠兄の看病に回ったから知らない」
「……ま、美神さんのことだからお金を出して修行場を元通りにしてやる代わりに最後の力をよこせとかそんな感じだろ……っとやっぱりな」
忠夫の視線の先では美神の影法師が眩い光を放ち美神の中へ戻っていった。どうやら忠夫の予想どおり小竜姫から最後のパワーアップ――サイキック・パワーの総合的な出力の上昇――を貰ったらしい。
「……ずいぶんと美神さんのことに詳しいわね」
「まーな。あの人と仕事してりゃ何となく想像はつくよ」
「……ねえ忠兄」
「なんだ?」
忠夫が美神たちから視線を外して見上げると、そこには先ほどのいたずらっぽい笑みを浮かべていたのとはまるで違う真面目な桃の顔があった。
「あたし今回のことでいろいろわかったことがあるわ……忠兄の言った通り、慣れって大事ね……あたしはあの時まったく動けなかった」
拳を握り締めながら頭に去来するのは修行場に戻ってきた時のこと。竜化した小竜姫を見て頭が真っ白になってしまい、忠夫(の影法師)に助けてもらわなければ大けがをするところだった。
「守ろうと誓った人に助けられるなんて本末転倒もいいところだわ」
「あのう桃さん?」
途中から忠夫を無視して独白となっている桃に話しかけるが、彼女が聞いている様子はない。
桃は優しく忠夫の額に触れる――――普段はバンダナに隠れている、その額に残る傷跡に。
「……うん、決めた」
「いや、だからなにが?」
桃がまっすぐに見つめる先には美神の姿があった。
「……さて何か言い残すことはありますか?」
真っ黒に焦げた二つの物体の前で小竜姫がそう言い放つ。その横では桃がバキバキと指を鳴らして今か今かと待ちわびていた。
『おぐぅ……生きておるか左の……』
『なんとかのう右の……』
黒こげの物体から発せられるうめき声からわかるように、鬼門たちは小竜姫の炎を受けてもなんとか生きていたようだ。ただまあ、桃の手によって天に召されるのは時間の問題となっているが。
小竜姫は両腕の問題もあってもう手を出すつもりはない……無意識とはいえ半殺しにしてしまったのだし、ここから先は桃の分だと譲ったのだ。
『わ、我らもなんの理由もなくこのようなことをしたわけではなく……』
「では何だというのです」
イラ立ちを含んだ声で先を促し、下手な言い訳をしようものならすぐにでも桃に許可を与えようと思いながら鬼門の言葉を待つ。鬼門は小竜姫から発せられるプレッシャーをひしひしと感じながら恐る恐る言葉を選んで口を開いた。
『その……大竜姫様が「妹の成長を記録するのじゃ〜」と言って我らに命令を……』
『斉天大聖老師もノリノリで……我らにゲームを買いに行かせるついでにカメラや現像を頼まれまして……』
「姉上ええぇぇえ! 老師いいぃぃい!!」
あの二人があんなんだから自分はこんなくそ真面目な性格になってしまったんだあ! と今は天界にいる自分の姉と師匠に心から絶叫する。
「はあ……はあ……いいでしょう。あなたたちは今回不問にします……いいですか、桃さん?」
「少し納得いきませんが……」
ひとしきり叫んだ小竜姫は鬼門たちを許してやることにした。彼らとてあの二人に無理やり手伝わされたのだろう。前任の管理人であり元上司の大竜姫と神界屈指の実力者である斉天大聖に頼まれれば、たかが一介の鬼である彼らは否とは言えまい。
桃も詳しい事情はよくわからなかったようだが、主犯は別にいるということは理解したらしく矛先を下ろしたので、鬼門たちは胸をなでおろした――――が、ここで鎮火しかけた火に油を注いだものがいた。
「ん? だとすると桃の写真を現像したのはおかしくない? 小竜姫様の写真だけを現像すりゃよかったんだし……だいたいなんで持ってたのよ? 仕舞っときゃいいものを……」
『『ギクリ』』
美神が口にした疑問にご丁寧にも動揺を口に出す鬼門たち。桃はその反応を見て収めかけていた殺気を再び噴出させた。
「鬼門?」
『いえ、そのですね……我らにも多少見返りがあってもいいのではないか、と思いまし、て……』
『すべてのし、写真を……大竜姫様たちに渡すわけではないのですし……の、残りは我らが貰ってもよいのではないかと、思いまして……』
絶対零度の冷たい目で見つめてくる小竜姫にガタガタ震えながら何とか言葉を返す。
小竜姫はその言葉にうんうんと頷くと親指を立て、桃に向き合った。
「ゴーです。桃さん」
「ラジャー」
笑顔で立てた親指を下に向けるのだった。
「あのー美神さんに折り入ってお願いが……」
「……とりあえずその返り血を拭いてきなさい。話はそれからよ」
○後日談その1
「それではほとんど金で能力を買って来たようなもんじゃないか。酷いことをするねー」
「地獄の沙汰も金次第っていうし、神様だって……ね」
妙神山から戻ってきた美神は修行終了の報告のために唐巣神父の教会に来ていた。美神がことの顛末を話すと神父はあきれながら弟子の成長ぶりに頭を悩ませる。彼の頭が薄いのは何も極貧生活のための栄養失調だけではあるまい。
「……ところで先生。あれは一体……」
「ああ、あれかい?」
神父が眉間をほぐしていると美神が遠慮がちに尋ねてきた。美神が恐る恐る指さす方向、教会の片隅には古今東西様々な凶器の山が築かれていた。
機関銃やバズーカ砲はまだいい。あんなものは美神だって持っている金さえ出せば手に入るものだ。まあ、神父が金を持っているとは思えないが。
でもあの洗礼済みの銃剣や黒鍵はそう簡単には手に入るまい。おまけに様々な武器がある中で明らかに浮いているあのチェーンソーはなんだ?
「あれらは知り合いに送ってもらったものだよ。教会に所属していた時とかのね」
「……あのチェーンソーは?」
「あれも友人に送ってもらったものだよ。今はどこかの高校の用務員をしているとか言っていたなあ」
「……何のために?」
いやに楽しそうに武器の由来を話す神父にいやな予感を覚えた美神がその用途を聞くと、神父は顔をうつむけて尚も明るい声で話し始めた。
「君たちが妙神山にいたころかな? 何の前触れもなく急に頭に激痛が走ってねえ。痛みはすぐに収まったんだが…………ね」
「……あ」
美神の視線が止まったのは神父のうつむいた頭だった。それに気づいた瞬間全てを悟る。ああ、なにか違和感があると思ったら――――また薄くなったのか。
「エミ君曰く呪術師の仕業だそうだ。しかも非常に短時間の呪いだったために痕跡を追えないと匙を投げられたよ」
「……」
「だが私は諦めないよ。ああ、諦めないともさ。絶対に、諦めるものか……」
クククク、と不気味な笑いを洩らす自分の師の姿をこれ以上見ていられずに視線を外す。自分がした推測は絶対に神父に言うまいと誓いながら。
「ピートさんにまた会えるなんて感激です! これはもう運命と言っていいのでは!?」
「あ、いえ、その……」
「てめえピート! なに桃にちょっかい出してやがる!!」
「僕は何もしてませ――ぐえっ」
「ちょっと忠兄! ピートさんが苦しそうじゃない! ああ、せっかくの美貌が歪んできたぁ!」
推測上の真犯人は向こうの方でピートの手を握って感動をあらわにしている。尻尾があったらものすごい勢いで左右に揺れていたことだろう。
おまけにその兄がピートにネックロックをかけ始めたものだからさらに場は混沌としてきていた。
「…………安い買い物だと思ったけど……早まったかしら?」
前門の混沌、後門の修羅に挟まれた美神は盛大にため息をつくのだった。まさか自分も禿げたりしないだろうかと心配しながら。
○後日談その2
「……あ、お母さん? うんあたし。仕事は終わった?」
「痛み分け? そっか、お母さんでも引き分けに持ち込むのがやっとだったかー。さすがはアーカム」
「うん、こっちの修業は終わったよ。ただ色々あって最終日の分は中止になったけど」
「小竜姫様はまたいつでも来なさいって。そのうち再修行に行くつもり」
「それじゃあね。お父さんに浮気をしないように言っといて……あ、大事なこと忘れてた。お母さん、あたしね――――」
「――――バイト、始めたから」
あとがき
某先生は自分で言うものじゃないと言いましたが敢えて言います。祝・十話突破! まあ通算でいえば十二話目なんですが。
というわけでこんばんは、Kです。『兄妹遊戯』第十話をお届けします。
十話目にしてようやく美神除霊事務所従業員第三号の誕生です。副題の三人目はそういう意味です、はい。原作+追加エピソードといった感じになってしまいました。もう少し変えたかったのですが力量が追い付きませんでした。申し訳ない。
今回ちょこっと出てきた大竜姫様。今のところ本編に登場する予定はありません。まだ小竜姫とは正反対の性格をしているとしか考えていませんからね。
それにしてもGS美神って兄弟キャラいませんよね。例外はひのめくらいでしょうか?
毎回一回は誰かの血を見ないと済まないのはどうにかしないといけないと思います。今回は忠夫ではなく鬼門たちが生贄になりましたが。ちなみに主犯・大竜姫、共犯・斉天大聖、実行犯・鬼門’sです。
神父さまの受難。美神が推理した真犯人は誰なんでしょうか? 前回を読み直すとわかると思います。
次回の更新は2月になりそうな予感。
ではよいお年を。
レス返しです
○だれかさんさん
>マテ桃
いや、私も書いていてマテと思ったりしました。勝手に言っちゃうんですもん、彼女。
○マンガァさん
>桃ちゃんがメッチャクチャ可愛くてついつい。
はじめまして。桃の発言の思わぬ好評ぶりに驚いております。今回の最後のアレもいつの間にか……書き始めの段階ではあんなシーンは構想になかったんですが……。
○ニムバスさん
>アーカムと対立しているのかGMは
レアメタルの発掘という仕事柄、色々と『発掘』してしまうことがあるため、時には対立しております。
○スカートメックリンガーさん
>横島は下でも上でもキャラとしていけますね
下のようないざという時のカッコ良さ+上のエロさですかね、横島君は。
○koto-さん
>修行することはないでしょうけどねw
よほどのことがない限り彼が修行することはないでしょう。彼の持っている技術は回避技術しかり、気配隠蔽技術しかり、必要に迫られたから持っているものばかりです。主な原因は桃ですが。
>横島兄は家族内で冷遇されてるのですか?
やはり気になりますか。『だって横島だし』で済ませてもいいかな? とか正直思っていました。やっぱり書いた方がよさそうですね。となるとどこら辺で入れるべきか……。横島君は特に冷遇されているというわけではありません。まあ、一般家庭における息子と娘の扱い程度の差はありますが。
○ハイドラシュレッダーさん
>桃さん、本音がポロリと出ましたな。
実を言うと最近桃の忠夫に対する感情がつかめきれていない自分がいます。このまま恋愛感情に突っ走ってしまおうか……?
○TCRさん
>桃ちゃんかわいい!
……もう突っ走ってしまった方が面白くなるような気がしてきました。ああ、ネタが湧いてくる……。
○れじぇむさん
>龍神にすら読ませぬ何という気配の消し方・・・
彼の気配隠蔽能力がこの域まで達するのは煩悩が絡む時だけです。Let’sのぞき!!
>両親の愛情を一心に受けていると〜
桃は特に一心に受けていると思っていません。彼らに現在いろいろ差があるのは、幼いころそれぞれ好き勝手に生きていたせいです。そのころは横島君が桃を嫌う、というよりむしろ逆でした。
○内海一弘さん
>そして桃の本音が!
そうか! 本音を言いたいがために桃が私の指を勝手に動かしたのか! なぞは全て解けた!!
○ブラボさん
>へんな言葉遣いですが、その時その時で変わるので・・・・。
はじめまして。桃は基本標準語+相手によってタメ口or丁寧語で話します。それ以外で変わるとお思いになったならば私のミスです。申し訳ありません。
○DOMさん
>大樹の持ってくるナイフはオリハルコン製か!?
それは私も考えましたが……桃がオリハルコン製のナイフ持つと最強になってしまう気がするので……。忠夫はナイフなんて使いそうにないし……。
>やはり母は偉大だったという事が今回の話でしたね。
母は偉大です。ただその実力が本編で発揮されることはないでしょう。パワーバランスが崩れてしまいますので。