「心霊兵器!?」
その依頼の内容に、美神令子は少なからず驚きを含んだ声を上げた。
何せ、つい数ヶ月前、その心霊兵器で美神除霊事務所の面々はそれなりに被害を被っているのだ。さすがに心霊兵器にいい印象は抱いていない。
そんな反応をどう解釈したのか、依頼をしにきた男はにこやかに頷いた。
「はい、当社では今回、画期的な心霊兵器の開発に成功しまして。これが実用化、配備されればGS様方の現場での危険度は格段に減り、なおかつ低コストで除霊が出来るという優れものでございます。つきましては、著名な方々を招いてのお披露目を行いと社長はお考えでして……是非、出席していただけないでしょうか」
「……」
沈黙する美神。男は、じっと返答を待った。男としても、これは社長直々の厳命である。この依頼の是非一つで首が飛びかねないのだ。なんとしても受けてもらわねば大変困ることになる。
しかし、美神としてもこの依頼を受けるのは少々気後れするのが正直な感想だ。件の心霊兵器からの被害――南部グループでの事件は記憶に新しい。大変儲かったのはいいが、それでもあんな真似はもう二度とやりたくない。
美神はとりあえず男を足から頭まで見回してみる。実直そうな男だ。人のよさそうな容姿、軽く癖のない柔らかな黒髪。びしっと決まったブランド物のスーツに、いやみがない程度にさりげなくブランド物の腕時計やネクタイピンなどをつけている。相当裕福だということは簡単に見て取れた。
と、なると会社のほうもそれなりに裕福ということになる。改めて書類を見てみると、そこには北部グループという文字がしかと刻まれていた。しまった。心霊兵器という言葉が先にきて、これにぜんぜん気付いていなかった。自分にしては珍しいミスだと、心の中で少しだけ反省する。
北部グループといえば、最近急上昇してきた巨大企業集団、中部財閥の幹部グループの一つだ。その上部組織である中部財閥は、かの六道財閥ともライバル関係にあるほどの巨大財閥で、世界でも相当上部に食い込んでいるほどである。
件の南部グループでおこった心霊兵器事件では、その隙を付いて南部グループを吸収、併合までしてみせた。
とはいえ、企業とは巨大になればなるほどどろどろとしてくるものだ。かのようなことがおこらない、とは言い切れない。
(さて、どうしたものかしらね……)
正直、断りたいのは山々だ。だが、あの中部財閥の幹部グループ。報酬の払いも相当いいだろう。
うんうん美神が唸っていると、男は最後の手段を切り出した。
「この依頼では、社長は一千万円までなら出しても良い、と……」
「受けましたわ」
即決だった。
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Soul on Fire!!
前編
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雨が降っていた。
月明かりを分厚い雲が覆い隠し、人気のない路地にある光は明滅する電灯だけ。
「うわ、マジで大降りになるな、こりゃ」
その中を、ぼやきながら走る小柄な男の姿があった。伊達雪之丞である。
「ったく、傘の一本でももってくりゃよかったぜ」
雪之丞、実は彼女である弓かおりという少女とのデートの帰りだったりする。相手の家が厳格で、門限があるためそれほど遅くまではデートできなかったが、それでも充実した時間だった。しかし、最後がこれでは台無しとはいかないまでも、ちょっとだけ高揚していた気分がしぼんでくる。
「……っ」
と、不意にその足が止まった。眉根にしわをよせ、思いっきり舌を打つ。
「ちっ……どうやら、思いっきり台無しにしてくれる気らしいなァ」
視線の先、薄暗闇の中電灯が放つ光の中に、人間が一人たたずんでいた。背丈は雪之丞と同じぐらいの小柄だが、ロングコートに深く帽子をかぶっているため、容姿どころか性別すら判断できない。わかるのは、その小柄な体躯から発せられる、殺気だけだ。
とりあえず体格から男だと判断する。
「ハッ、随分とまぁ最初からヤル気じゃねぇか。だがな、やめとけやめとけ。俺に喧嘩売るならヤクザに売ったほうがまだマシだぜ?」
とはいえそこは雪之丞。数々の修羅場を経験してきた彼にとって、この程度の殺気はそよ風にすらならない。ひらひらと手を振り、やる気はないとアピールするが、人影からの殺気は薄まるどころかますます強くなっていく。
さすがにここまでくればやらないわけにはいかないだろう。気絶でもなんでもさせて、さっさと帰ってシャワーでも浴びよう、そう計画を立ててみるが、そういえばこのところ戦いらしい戦いをやっていないことを思い出した。
あの大事件からまだ一年もたっていない今、手ごたえのある霊障は殆どない。あるとしても、美神など有名どころのGSにばかり依頼がいき、こちらには雑魚しか回ってこないのが現状だ。もぐりとはいえ、バトルジャンキー雪之丞が満足できるわけがなかった。
ちょうどいい、ストレスを一気に解消させてもらうか。
獰猛な笑みを浮かべ、雪之丞はゆっくりと人影に近づいていった。
「物取りならやめておいたほうがいいぜ。なァ?」
念のため、常人なら腰を抜かしてしまうほどの殺気を放つ。しかし、コートの男は軽く受け流すようにくく、と喉を鳴らした。
その反応に、雪之丞はますます獰猛な笑みを深める。
「あァ……物取りじゃなさそうだなァ、オイ。なら――今の俺に喧嘩売った自分の運に絶望しやがれッ!」
ばしゃ、と水溜りがはねる。一瞬で数メートルの距離をつめた雪之丞のコンクリートをも容易に砕く拳は、しかし空を切った。
「っ!」
予想外の結果に、雪之丞は目を丸くする。予定ならば、目の前には数メートルほど吹っ飛んだ男がいるはずだ。しかし、そうはならなかった。それなりに手加減した拳は空を切り、男は何をするまでもなく、雪之丞の真横にたたずんでいる。
そう、何もせずに。
「ハッ、やるじゃねぇかッ!」
返す拳で裏拳を放つ。今度は手加減などはない。霊気を練り、視覚化するほど篭められた、強力な攻撃だ。もし当たれば、怪我などではすまないだろう。
「……」
しかし、それすらも空を切る。しゃがんでよけた男は、そのまま足払いを仕掛けるが、そこに雪之丞の足はなかった。直前に飛び上がったのだ。
「オラァッ!」
そのまま体をひねっての大回転蹴り。攻撃を仕掛けた直後の男は、体制を立て直すことすら出来ず、ガードだけで精一杯だった。
衝撃のなすがまま、舗装された路地をバウンドする。
「ぐ……」
ここにきて、初めて男が声を漏らした。やはり、男だった。
「は、どうした、これで終わりかよ! もっと俺を楽しませなァッ!」
ゆっくりと立ち上がった男に向かい、雪之丞が距離をつめる。
「……」
瞬間。
「――ッ!」
突如吹き上がった霊力に、雪之丞はとっさに距離をあけた。薄々はそうだとは思っていたが、やはり霊能者だったようだ。しかし、この霊力の大きさは予想外だった。一流、とまではいかないまでも、一流半ぐらいの霊圧だ。さすがに雪之丞までは届いていないが、霊力の大きさが戦闘能力の全てではないことを雪之丞は骨身にしみこませている。
「は、なかなかでけぇ霊力持ってるじゃねぇか。だがな、それだけじゃ俺には勝てねぇぜッ!」
言いながら、霊波砲を放つ。そのどれもが直撃コース、左右後方、何処にも逃げ場はない。ただ、一方向以外は。
「……」
とん、と軽く地をけり、男が宙に飛び上がる。ぎりぎりだ。その足元を、幾本もの霊波砲が突き抜けていき、空中での男のバランスを崩した。
「ッしゃぁっ、これで終わりだぜッ! オラオラオラオラオラァッ!!」
それを見逃すほど、雪之丞は甘くはない。それなりに力を篭めた連続霊波砲を食らわせる。体勢を崩した上、空中だ。よけられるわけがない。
「……ちっ」
男が舌打ちしたのを、雪之丞ははっきりと感じ取った。しかし、慌てていないのが気にかかる。警戒は解けないな。そう判断した直後だった。
「シャアアアアアッッ!!」
男が気炎を上げると同時に、コートを突き破り、刃状の霊波砲が発射される。それは、雪之丞の霊波砲を悉く打ち落とし、結果として男には何のダメージもない。
雪之丞は眉根をしかめると同時に、奇妙な既知感を覚えた。
男はそのまま地面に着地する。その拍子に、男の顔を隠していた帽子が落ちた。
「ちっ、さすがに昔のように無考慮猪突猛進ってわけではねェか」
「――。お前は」
「久しぶりだなぁ、雪之丞」
電灯の薄明かりの中、映し出された男の顔に、雪之丞は呆然とつぶやいた。
「――誰だっけ?」
「ってうおおおおおおいっっ!?」
いろいろと台無しだった。
「品評会ッスか?」
「……、まあそう考えてもいいわ。アンタも連れて行くからね」
しれっとつむぎだされた上司の言葉に、横島忠夫は小さくため息をついた。普通、そういう場所に自分のような丁稚は連れて行かないだろうに。
この上司の突然さは今に始まったことではないが、それでもこう唐突にくるとちょっと戸惑ってしまう。
(――はっ、まてよ? 普通連れて行かない場所に連れて行くってことはそれすなわち信頼の証! 信頼とはすなわち愛! そうか、これは遠まわしの愛の告白というわけかっ!)
「美神さん、新婚旅行はどこにいきましょうっ!?」
「何を考えとるかこのエロ餓鬼!」
鼻息荒く詰め寄る横島に、がつん、と美神の拳がきまる。ぐはっ、と鼻血を噴きながら倒れ付す横島。頭蓋骨でも陥没していそうな雰囲気だ。次のコマには復活しているが。
「あんたを連れて行くのは、それが依頼人の意向よ。あんたみたいな丁稚を連れてこいだなんて、一体何を考えているのかしらね、クライアントは」
ほんとに理解できないわ、とこれ見よがしに額に手を当て、ため息をつく。
「ま、考えていても仕方がないわね。ただ商品見に行くだけで一千万! ぼろい、ぼろいわッ!!」
しかし一転。楽して転がり込む報酬に高笑いが響き、そして横島はそんな上司に苦笑いを浮かべた。
雨脚が強くなっていた。肩をたたく雨は激しく、ざあざあと顔を流れていく雨は絶え間ない。
「てっ、てめぇ、そのギャグは笑えねェぞ!?」
しかし今のこの男にとって、その程度の雨はまったく気にならなかった。何せ、アイデンティティの危機なのだ。その存在を忘れ去られて早幾年。やっと登場できたというのにこの扱いはあんまりではないか。
「いや~、ワリィワリィ、何せひっさし振りだったからよ。GS試験以来だよなぁ。元気してたか――」
とはいえ、やはりギャグだったらしい。詰め寄る男にからからと笑いつつ、雪之丞は懐かしげな視線を向けた。
「――陰念?」
「……マジで笑えねぇよ」
からかうような雪之丞の視線に、盛大にため息をついた男――陰念はがっくりと肩を落とした。
その肩をバンバンとたたき、雪之丞はさらに笑い声を上げる。
「くっくっく、そう落ち込むなって。何年も登場しなかったテメェが悪いんだからよ」
「俺に言うな。俺の存在をすっかり忘れてたとしか思えん椎名とか言う万年B級漫画家に言ってくれ」
「――あ、馬鹿」
ドンガラガッシャン!!
哀れ何処からともなく降り注いだ雷に打たれた陰念はプスプスとこげた煙を上げる。ギャグ属性なのですぐに復活するが、ダメージは臨界点ぎりぎりだ。次はもうない。
「ばっかだなぁお前。二度ネタだぜそれ。横島が既にやってるって」
「お、俺はギャグ属性じゃないやい。それに何でそれ知ってんだよ」
るーるーと涙を流しつつも復活を果たした陰念は、改めて雪之丞と向き合う。そこにあるのは懐かしさを惜しむ空気だ。再会の手段としてはほめられたものではなかったが、しかし嘗て互いに力を高めあった兄弟弟子である。一度は道を間違ってしまったが、自分がこうしてお天道様の下を歩けるように、陰念もこっち側に来ている。そう、雪之丞は思っていた。
「で、今お前は何してんだ? やっぱどっかでGSの見習いでもしているのか?」
「あァ……まあ、そんなとこだ」
雪之丞の問いに、しかし陰念はどこかごまかすように目線をそらした。それに怪訝に眉根をよせる雪之丞。
「……お前、またへんなことやってんじゃないだろうな?」
「……。いや、ちょっとな。今日来たのは、折り入って頼みがあるからだ、雪之丞」
「……? 頼みだと?」
「ああ……」
ざあああああ。
雨足がどんどん強くなる。光が瞬き、数秒。どこかに雷が落ちた。
「――俺と、戦ってくれ。本気で」
「っ、お前――!」
雷に映し出された陰念の表情。そこには、感情というものが存在していなかった――
窓の外を見ると雨は本降りになっており、数メートル先も見えないほどだ。この様では洪水警報でも出ているかもしれない。
「うっわ、濡れそうだなぁ……」
それを眺め、横島は心底嫌そうに顔をしかめた。意外としっかりとしている彼の住居は雨漏りの心配はないが、それでも自分が濡れて帰るとなると話は別だ。換気もできないままじめじめさせてしまえば、キノコの一つでも生えてくるかもしれない。
「……あ。そうなりゃ食料増えるじゃねぇか」
よし、やってみるか。もう非常食もなくなってきたし、代わりになる。もし腹壊しても文珠があるしな、となんかハチャメチャなことを考える横島。しかし、その計画はすんでのところで阻止された。
「あ、横島さん、これ夕食の余りものなんですけど、よかったらどうぞ」
と、帰ろうとしていた横島に、パタパタと追いかけてきた少女がパックにつめた食料を差し出した。横島の同僚である氷室キヌである。
時給255円という、労働基準法を完っ壁に無視するどころか舐めまくっているとしか思えないような薄給でこき使われているため常に極貧生活を送る横島のために、時折こうして夕食の余りものなど食料の差し入れをしてくれる心優しき少女だ。
「うおっ、まぶしっ」
何か後光が差しているような錯覚を覚え、思わず目を覆う横島。そして差し入れの中を見、感涙にむせび泣く。
家庭的な温かな料理に加えて、横島の弟子を名乗る犬塚シロという人狼の少女と金毛白面九尾の狐の転生体であるタマモが事務所メンバーになってからは、肉料理や油揚げが食卓に上ることが多くなっているのだが、今回もそれだったようで、貴重な動物性たんぱく質が盛りだくさんな献立だった。もはや横島、ありがたやありがたやと拝みだす始末である。
「あ、あはは……」
毎度の事ながらここまで感謝されれば料理人冥利につきるのだが、ちょっとだけだがいきすぎかなぁ、なんて思うこともある。まあ横島さんだし、と納得してしまうおキヌもおキヌだが。
ちなみに、美神も横島の給料を上げようとはしていたりはするのだが、そのたびに横島のセクハラで中止になっていたりする。とどのつまり横島の極貧生活は自業自得との面もあるのだが、それでも微妙に罪悪感というかまずいかなぁ、なんて思っているため、美神はこの食料差し入れなどは黙認していた。おキヌに渡している事務所に住んでいるメンバーの生活費の中に、微っっっ妙に横島の分も入っていたりするところを見ると、ただの意地っ張りなのかもしれないが。
「ほんっとうにありがとうな、おキヌちゃん。じゃ、俺はこれで」
「はい。気をつけてくださいね? このごろ物騒ですから」
「はは、うん、大丈夫だって」
最後にもう一拝みしてから、横島は帰路に着いた。
ざう、コンクリートが霊波砲によって切り裂かれる。それを視界の隅で認め、かろうじてかわした雪之丞は驚愕を隠せなかった。威力、収束率、共にメドーサの下で白龍寺にいたころとは比べ物にならない。GS試験からしばらくは一時的に霊能力すら使えなくなっていたとは聞いていたが、そこからここまで上り詰めるのにどれほどの努力が必要だったのだろうか。文字通り、血反吐を吐くような修行をしてきたのだろう。雪之丞は口元に浮かぶ笑みを消しきれなかった。
「ハッ、雑魚のくせに随分と強ぇじゃねぇかッ!」
「……」
対して、陰念はまったくの無表情である。不気味に思えるほど、顔の筋肉は硬直すらしない。まるで人形を相手にしているようだ、と錯覚してしまうほどだ。
しかし、この攻撃、息遣い、全てが強者だと物語っている。血が沸き踊る。体が勝手に反応する。魂が吼える。
「オオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」
刃のように鋭い霊波砲全てをかわしきり、そこへ全力の連続霊波砲を叩き込む。その一つ一つはまさに大砲である。それがマシンガンレベルで襲ってくるのだ。受けきれるわけがない。
「……」
しかしそれですらも陰念は表情を変えなかった。ふわり、と、まるで重力を感じさせないように浮き上がり、電柱の上に降り立つ。しかし、眼下には雪之丞の姿がない。
「……」
「ハッ、油断大敵だぜ陰念!!」
ごがっ。
陰念の動きを予測し、飛び上がっていた雪之丞の回し蹴りが陰念のわき腹に決まった。たまらず、コンクリの地面に叩きつけられる陰念。何度かバウンドした後、両手を付いて立ち上がるものの、その動作からはダメージが見て取れた。しかし、その程は雪之丞が予測していたレベルではない。
「ちっ、随分と受けがうまくなったな、陰念。自分から飛んでダメージを消したか」
「……。魔……」
「……あン?」
「魔……装術を……使え。……でなけりゃ、……俺には勝てんぞ」
ぼそぼそと、しかし雪之丞の耳にははっきりと聞こえた。ぴきり、とこめかみが引きつる。
「調子に乗るなよ雑魚がァッ!!」
雪之丞が吼える。
一瞬で距離をつめ、必殺のコンビネーションで持って陰念を叩きのめす。その、つもりだった。
「――な」
しかし、その全ては陰念の手の平で防がれていた。当然、陰念にはダメージのかけらもない。あるとするなら受けた手の平が少しだけ赤くなっているといったところだろうか。
「……魔……装術……を使え」
「――ク、そこまでお望みとありゃあ使ってやらぁッ!」
ごう、霊力が吹き荒れる。
雪之丞から発せられた霊力の嵐は、猛々しく雪之丞の体に纏わりつき、強靭な鎧に変化した。
「後悔するなよ、陰念ンッッ!!」
魔装術を纏った雪之丞は、先程とは比べ物にならないほどの連続攻撃を放つ。さすがにこれには付いていけず、バックステップで距離をとろうとする陰念だが、そもそも魔装術を纏った状態の雪之丞と、霊力で身体強化しているとはいえ常人の域を出ていない陰念ではポテンシャルに差がありすぎた。何とか開けられた距離も、瞬く間につめられてラッシュをくらう。
「がっ……」
小さく悲鳴を上げる陰念。今度こそ全ての攻撃が叩き込まれていた。
「オラオラオラオラオラオラオラァッ!!」
しかし雪之丞は止まらない。同門であるからこそ、陰念の頑丈さは身を持って知っているのだ。成長している今、この程度で死ぬ相手ではないと確信している。
果たして、その確信は真実であった。永遠とも取れる攻撃の嵐を耐え切った陰念は、その場にうずくまるようにしてダメージを回復させている。
――そう、耐え切ったのだ。魔装術を纏った雪之丞の全力ラッシュは、まともに当たれば中級魔族をも倒すほどの威力を秘めている。それを耐え切った陰念は、一体どれほどタフなのか。
しかし、それでもダメージがまったくない、というわけではない。むしろ、行動不能レベルぎりぎりである。時折咳き込むと共に吐き出される血液が、それを物語っていた。下手をすると、内臓のどこかが傷ついているかもしれない。
「……ぐっ……が……」
肩で息をする陰念に対し、毛ほども息を切らしていない雪之丞。対照的な光景ではあったが、しかしそれでも勝敗が決定しているとは見えないのは何故だろうか。
――未だ雪之丞が魔装術を解いてない。それが答えだった。
「いつまでうずくまってるつもりだ、陰念。テメェも使えるだろうが、魔装術をよ。使えよ。このまま不完全燃焼で終わらせるつもりかよ」
「……はっ……はっ……」
陰念は答えない。ただ、息を整えるだけだ。
しかし、その体から噴き上がり始めた霊力が、全てを物語っている。たまらず、雪之丞は顔を愉悦に歪ませた。
「さあ――第二ラウンドだ、陰念ッ!」
ぎゃおっ。
雪之丞の咆哮と共に放たれる霊波砲。それをぼうっと見つめ、陰念はぽつり、とつぶやいた。
「――魔機、装着――」
「うぎゃ~、濡れる濡れる~っ!」
情けない声を上げながら、横島は大雨の中ひた走る。その中で懐に大事そうに抱えられた食料には一滴たりとも水滴が付いていないのは執念のなせる業か。
その懐の暖かさを感じ、横島は帰ってからしばらくの食生活の豊かさに、思いを馳せた。
「くぅ~~、しばらくはメシに困らんなぁ~~」
少なくとも二食分はある。節約すれば、三日は何とかいけるだろう。おキヌ様様である。
しかし数秒後。だらしなく鼻の下が伸びた表情は、絶望のそれへと変ることになる。
「……ッ」
「っと、ってぇなぁ」
正面から帽子を深くかぶった男がぶつかってきたのだ。男はぶつかった横島に視線すら送らず、そのまま闇に消えていった。
その後姿をにらみながら、横島はぽりぽりと後頭部をかいた。
「なんだぁ? へんなやつ。こんな大雨ん中傘もささねぇなんて。……って、うぎゃああああああッ!?」
人気の路地に横島の絶望の声が響く。大切な大切な大っっっ切な食料が地面に落ち、タッパーから中身がぶちまけられていたのだ。
「お、俺の食料がーーっ!」
さしていた傘を放り出し、うずくまって飛び散ったご飯を集めようとするが、この大雨だ。すぐに泥と混ざり合い、見るも無残な状態になっていた。
「うぎゃあああ!? も、文珠~~ッ!」
思わず文珠を使ってしまった横島を誰が責められようか。文珠《戻》によって何とか元の状態に戻った食料を大切に抱え、横島は大きく息をついた。
「はああ~~……た、助かった~~……」
いかに文珠といえども万能ではない。あと数十秒使うのが遅れていれば、文珠でもこれは不可能だっただろう。《元》《状》《態》《還》《元》など五文字制御ならできるだろうが、あいにくと横島はそこまで制御は出来ない。今ですら二文字でやっとなのだ。三文字など十回に一回成功すればいいほうである。
「……ったく、あんの野郎……今度あったらただじゃおかねぇ! ……ん?」
全てはあのぶつかってきた男が悪いのだ。軽く責任転嫁した横島は、ふと妙なことに気付いた。
(……なんか、霊力が溜まってる? つーか、この霊力は……)
かつてGS試験では誰も気付かなかった結界の異変にただ一人気付いたほど、霊的な違和感に関しては敏感な横島だ。その場に滞った霊力を察知し、その中に覚えのある霊力を感じ取った。
(雪之丞? ……後一つもどっかで覚えがあるなぁ。どこだっけ?)
もしこの場に陰念がいれば泣いていそうなことをつぶやき、横島は辺りを見回した。もちろん、食料は二度と落とさないようしっかりと抱えている。
「……雪之丞と誰かがやりあったのか? まあ、あいつならありそうだけどよ」
苦笑いを浮かべながら、霊力がひときわ入り乱れている場所に近付いていく。自分から危険に飛び込むのはゴメンだが、雪之丞がいるのだ。もし危険な相手なら雪之丞に押し付けて逃げればいい。そんな横島らしいことを考えながら、横島は倒れ付す人影を発見した。どうやら、もう戦闘は終わっていたらしい。
どれ、雪之丞に喧嘩を売った命知らずの面を覗いてやろう。そう思ったのは何故だろうか。もしかすればこの場に滞った戦闘の名残に当てられたのかもしれない。普段なら絶対思わないことを思い、横島は倒れ付す人間の顔を覗き込み――
「――ぇ?」
――そして、息をのんだ。
「――雪之丞?」
倒れ付していた人影。それは紛れもなく、戦友――雪之丞であったのだ。
後書き
はじめまして。ハマテツ7号という者です。初投稿でオリジナルストーリーという命知らずな真似をしています。時系列的にはアシュタロス事件終了後三ヶ月ぐらいだと思ってください。一応中編予定で、前編、中編、後編と分けるつもりです。つたない文章ですが、どうかよろしくお願いします。