月は欠けることなく、雲も無し。街をさやかに照らす。そんな、とある深夜。
練馬区の古びた私立高校の校舎にて。
一人の青年が、スーパーの袋を手に、暗い廊下を歩いている。
青年の名はピエトロ・ド・ブラドー。
この高校のOBである。
彼は迷うことなく歩を進める。
そして、一つの教室の前にたどり着くと、少しためらうようにしながら……それでもガラリと戸を開いた。
月影の差す、無人の教室。
そこはかつて、彼と、そして彼にとって最も大事な友人たちが学んだ教室だった。
真夜中の教室。
そこに、唐突に人影が現れた。
つややかな黒髪を、腰まで伸ばした少女。
彼女の姿を認め、ピエトロ…ピートは笑顔を浮かべて声をかける。
「お久しぶりです、愛子さん。……お変わりないようですね」
「久しぶりね、ピート君。あなたこそ、ほんとに変わってないじゃない」
「前にお会いしたのは……何時でしたかね」
持参したビールなど紙コップに注いで、愛子に勧める。
「確か、タイガー君の時だったから、もう2年くらい前かしら」
愛子も、遠慮なくコップを受け取る。
袋入りのスナック菓子を開いて机の上に広げれば、たった二人だけの……同窓会会場になった。
「同窓会」
By スケベビッチ・オンナスキー
「今度は、横島君?」
「ええ」
愛子は感慨深げにため息をついた。
「ちょっと、信じられないわねー。……んー、いつものことだけど、式には出られないわよ?机しょって行くわけにもいかないし、だいたい、私、服はこれしか持ってないし」
自分の着ているセーラー服を摘まんで見せる。
どうやら彼女、服を変えることはできないようだ。……ルーズソックスとか履いてたことはあるのに。
「気にすることもないとは思いますけど。横島さん本人だって気にしないでしょうし」
ピートの苦笑に、愛子も苦笑を返し。
しばらく無言で視線を交わす。
「横島さんに」
「横島君に」
そして、互いにコップを掲げ。
酒をあおった。
「僕も長いこと生きてますけど、やっぱり一番思い出に残ってるのは高校生の頃……ですね」
何杯目かの酒…いつの間にやらコップの中味は焼酎になっていた…を干し、ピートがぽつりとこぼした。
「横島さんがいて、タイガーがいて。愛子さんも、僕もいた」
どたばたして、除霊委員なんて、ワケの分からないこともやらされて。
楽しかった。
苦労も一杯したけれど、生涯で一番充実していた。
「私も、やっぱりあの頃が一番かなあ」
何かを思い出すように、目を閉じて愛子がつぶやく。本当に、楽しかった日々を思い出すように、笑顔を浮かべて。
「覚えてる? バレンタインデーでさ……」
「ああ、横島さんの下駄箱にチョコが入ってて、騒ぎになった」
愛子の言葉にピートが答えると、くすり、といたづらっぽく愛子が微笑んで。
「実はね、あのチョコ、私が入れたんだ」
え、とピートが目を丸くする。
「騒ぎが大きくなっちゃって、言い出せなくなっちゃって。横島君には悪いコトしたなあ」
「横島さんのことが……好き、だったんですか?」
なんだか意外なような気がして……でもどこか腑に落ちる気もする。
「あの時は……そうでもなかったかな? うん。あのチョコは……そうね、お祭りに参加したい、っていう気分で贈っただけだったと思う。密かに心に想ってる男子生徒にこっそりチョコを贈るって、青春っぽいでしょ?」
あんな騒ぎになるなんて思わなかったし。
「あの時は……ね、ホント、それだけだった」
声のトーンが落ちる。
「いつだったのかなあ……横島君のこと、好きになったのは」
遠い、遠い言葉。昔、昔を懐かしむ、声音。
その表情は、生に倦み疲れた老人のようで。
ピートは、目の前の少女が見た目よりずっと長く生きていることを……初めて実感した。
「意外?」
「……そうですね。意外と言えば意外ですけど、でも、横島さんは結構女性に人気、ありましたし」
本人は気づいてなかったみたいですけど。
「そうよねえ。2年の時の、体育祭なんかすごかったわよ?」
愛子がため息まじりに話すには、横島を狙ってた女子数名。いつもはアプローチできなかった娘たちも、今日こそは! と意気込んで、お弁当とか作って来てたらしい。
「ほら、横島君って一人暮らしだったし、お金無かったから、いつもお昼はアレな感じだったじゃない」
パンの耳とか、そんな感じ。
「だから、体育祭みたいな体力使う時におべんと上げて、あまつさえ、一緒に食べたりすれば効果抜群! とか思ったらしくて」
お互いに牽制しあって、空気がピリピリしてたわねー。そんで、なかなか誘えなくって、そのままお昼になっちゃって……
「ああ、確かあの時は、美神さんが……」
そう。昼になった途端、横島に声がかかったのだ。
声の主は美神令子。
おキヌちゃんが見に来たいって言うから仕方ないじゃない、と言って、やたら気合の入った弁当を持って来ていたのだ。
結局横島は、美神・おキヌ・シロの3人プラスピート・唐巣神父&小笠原エミと弁当を囲んだのである。なお、タマモは興味が無かったらしく、来ていなかった。言うまでも無いが、エミはピート狙いである。
「ああ、だからあの日はやたらお弁当くれた娘が多かったんですね……」
横島(ほんめい)に渡せなかったブツをピートに渡すことで処理したわけである。
ピートはちょっとへこんだ。
まあ、その娘たちの弁当も実際は横島とシロ、そして神父が食べたので、結果オーライかも知れぬ。いや、オーライであるわけがないか。
「実際、いつもくれてる娘たちの中にも、横島さん狙いっぽい娘が結構いましたし……」
実は中には「横島さんに渡してください!」と明言していた娘もいるのである。渡す前に、横島当人に略奪されていたわけだが。
「タイガーは一文字さんと食べてたっけ」
なんだか、往時の悔しさが蘇ってきた。タイガー寅吉と伊達雪之丞に神の裁きを。
「まあ、そんな訳で、失意のどん底ー、みたいな娘たちも結構いたのよねー」
けらけらと笑う愛子。
ふ、と笑みを消して。
「まあ、私もその一人だったんだけど」
溜息一つ。
「……横島君のことが好き」
深々と。
しみじみと。
……鬱々と。
「うん。やっぱり好き。ずっと好きだった。ううん。今でも、好き」
酔った勢いというか……いや、違う。
酔ったことで、歯止めが効かなくなっている。
これは愛の告白ではない。
「でも、言えなかった。妖怪だから。彼とは生きる時間が違ったから。彼の周りには魅力的な女性が一杯いたから。……拒否されるのが……怖かったから……」
ぎしり。
手をついた机…愛子自身がきしむ。
これは罪の告白。
懺悔。
誰への罪でもない。
愛子自身が愛子自身に対して犯した罪。
「言えばよかった。振られたとしても、それでも、きっと言わないよりずっとマシだった」
だから、その罪は誰をも傷つけない。
誰をも苦しめない。
だから、誰もその罪を、許してはくれない。
ありもしない罪は永遠に許されない。
「手が届かなくなる前に、言うべきだった。好きですって」
だから、その罪を許すのは。
「…………」
無言。告白する愛子も、それを聞くピートも、無言。
うつむく愛子に、ピートは声をかける術を持たない。
「…………」
幾ばくかの時が過ぎ去り、気まずさと故もない後ろめたさが場を満たした時。
「……ちょっと、すっきりした。ゴメンね、ピート君。愚痴になっちゃった」
「……友達の悩みを聞くことを厭うほど不人情なつもりもありませんよ。少しでも気晴らしになってくれたのなら僕も嬉しいですしね」
結局は、自分なのだ。
それからは、とりとめもない会話に花が咲いていった。
タイガーのこと、先生のこと…特に暮井先生のこととか…、美神令子のこと、ピートたちが卒業してからのお互いの近況報告とか。
楽しい時はあっという間に過ぎ去る。
酒瓶もあらかた空になり、袋菓子も尽きた。
そして、いつの間にやら、空が明るくなっている。
「もう、そろそろですか」
「そうね。楽しかった時間は、もうお開き」
莞爾と、愛子が笑う。
「僕はもう行きますけど。愛子さん、あなたはどうするんですか?」
「私は、残るわ」
「……いいん、ですか? あなた一人、連れ出すことくらいならどうとでもなりますけど」
ピートは心配そうな表情で。
「気にしないで。言ったでしょ? 楽しい時間はもうお開きだって」
「そうですか。……わかりました。
……もし横島さんに会えたなら、よろしく言っておいてください」
がたり。
席を立ち、そして立ち去ろうとするピートの背に、愛子の声がかかる。
「……わたしも、横島君と同じところにいけるのかしらね」
その声は、初めて聞くほどの切実さをたたえていた。
思わずピートが足を止めてしまうほど。
「……強く願えば、きっと」
そしてその答えは、ピートの願いでもあった。
「そっか。じゃあ、ピート君がよろしくって言ってたって、伝えておくわね」
おねがいします。
うん、まかされた。
「では、またいずれ、会いましょう」
「大分先のことになりそうよねー」
さようなら。
じゃあね。
かたん、と戸が閉まる。
そして、もう二度と開かない。
「じゃ、横島君、今から会いに行くね」
工事現場のフェンスのすき間から霧が流れ出てくる。
霧は寄り集まって人型をなし、そして、一人の青年の姿になった。
ピエトロ・ド・ブラドー。
バンパイア・ハーフの青年である。
彼はその足で、工事現場の事務所へ向かった。
「ブラドーさん、もういいんですか?」
声をかけてきたのは現場監督の男であった。
現場の中に入らせてほしい、と言われたときには面食らったが、別に盗まれるような物もないし、なによりオカルトGメンの身分証明も持っていた。聞けばこの高校のOBだという。きっと思い出とかもあるのだろうと、作業開始までに退出することを条件に許可を出したのだ。
「はい……もう十分です。ご迷惑をおかけしました」
ピートは幾許かの現金の包みを監督に渡し、立ち去ることにした。
監督は受け取りを渋ったが。
「では、失礼して……作業が始まりますんで。危険ですから、離れていてくださいね」
監督の声に頭を下げる。
そしてそのまま自宅への帰途につく。
今日は非番だ。
シャワーを浴びてすぐに床につこう。
一時間後。
校舎は取り壊された。
大量の爆薬を用いて爆破させる方法が採られたのは、持ち主が取り壊しを急いだからであるが、とりあえず物語には関係ない。
最後のクラスメイトが逝った。
もう、同窓会は開かれない。
Fin.
あとがき。
皆様、ハジメマシて(嘘)。
スケベビッチ・オンナスキーと申します……
ああっ、ごめんなさい。
石を投げないでください(涙)。
うーむ、前作投稿から8ヶ月も経過しています。
汗顔の至りです。
一応、伏せてはありますがこの作品は、拙作「爺さんの話。」の、更に未来の話になります。
というか、爺さんの話、覚えてらっしゃる方なんかいないだろうと思うのですが。
そんな訳で気恥ずかしいのでレス返しは略させていただきます。
申し訳ない。
今作について。
ダーク指定をつけた方がよかったかな?と少し。
愛子の口調がうまくかけなかったことも反省点です。
前作で皆様御気にかけてくださった「二つ名」ですが、実は、あの作品「シャイニー・ヘッド」の名がいっとう最初にあって、それを出すために話を創ったという……神父、ごめんなさい。
なお、二つ名の中に、ピートがいないことには皆様お気づきのようでしたが、実はカオスとマリアもいません。気が付かれないもんだなー。
では、最後まで読んでくださった方……いらっしゃいますか?
いらっしゃるのなら、限りない感謝をあなたに。
ではでは。
2007/11/15 誤字修正
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