妙神山。
人界に在って最高峰と呼ばれる霊力の修業場。
峻険な霊峰の頂にある、その伝説の霊場で修業を果たした者は古来より稀である。
多くの者は山の岩壁に刻まれた傷のような、道とも言えぬ登山道に恐れをなして引き返した。
意を決して登り始めた者も、ある者は途中で諦めて引き返し、またある者は道を踏み外して崖の下で骸を晒すこととなる。
修業場にたどりついた者も、その多くは門番の試しを果たせず門を潜ること適わぬという。
そして、運と実力に恵まれ門を通れたとしても、中で行われる修業の半ばで命を落とす者も多く。
修業を完遂した者は稀である。
しかし、それを成し遂げた者は、修業前とは比較にならぬ実力を得るのである。
下界での修業に限界を感じた力ある霊能力者が更なる力を求めて訪う妙神山。
常にあまたの修業者が目指す伝説の修業場である。
「というのも今は昔ですけど…」
ぱりん、と煎餅をかじってつぶやいたのは、歳若く、見目麗しい女性。いっそ少女と言っても差支えあるまい。
しかし、侮ってはならぬ。
彼女こそ、伝説に名を残す武神の弟子にして、剣を揮えば三界に阻める者なしと謳われた妙神山の管理人。彼女にかかれば、完全装備の一個師団でさえ瞬きの間ほどもかからずに全滅するだろう。
ちゃぶ台で茶をすする姿からは想像もできないが。
「退屈ですねえ…」
再び煎餅がぱりんと音をたてる。
彼女の慨嘆には理由がある。
ここ30年ばかり、ここ妙神山には修業者が一人として訪れていない。
テクノロジーの発達により、一般人並みのわずかな霊力で使用できる霊具が普及したため、霊力を鍛える人間が激減したのだ。
今や、霊力の鍛錬といえば趣味・健康法か、霊能にこだわりを持つごく一部の者の行為になってしまったのだ。
そして今、そのこだわりを持った人間が。
『爺さんの話。第2話 妙神山登山行』
妙神山修業場を目指して歩く青年が一人。
二十歳をいくつも出てはいないだろう。
それなりに整った容貌、きちんと整えられた黒髪。野戦服めいた丈夫そうな上下に大きな背嚢。首から大振りな銀の十字架をかけ、左の手首には透明な珠を繋いで作られたブレスレットらしき物を巻き着けている。
体はかなり鍛えられているようだが…足取りは重く、表情にも疲労の色が濃い。
「うわはぁっ」
がらん、と音がして青年の足元が崩れた。
ほんの数十センチの幅しかない、道とも言えぬ道を登り続けてもう数時間。
朝に登り始めて既に太陽は西に傾き始めている。
天候に恵まれたのは幸運だった。途中で雨や強風に逢っていたならとっくに死んでいただろう。
危うく墜死を免れた青年は深く溜息をつく。
「まだ着かないのか…」
心の中で弱音を吐きつつも、彼は歩みを止めない。彼には信念、あるいは憧憬、夢と言ってもいいかも知れぬ、目標があるのだ。
それを叶えるためであるなら山道を登ることなどいかほどの労苦であろう。
とは言え、ゴールの見えぬ道行きは体力以上に気力を奪うものである。
なんだかもう、何もかもがどうでもよくなってくる。
このまんま寝転がってしまえば楽になるかなー、などという殆ど「デスウィッシュ」に近い思考が脳裏に忍び寄ってきたとき。
「この先に休める場所がある。そこまで気合入れて歩け」
後ろから、声が投げかけられた。
「…はい?」
首だけで振り返って見れば、そこには一人の老人が杖を片手に立っていた。
険しい山を登るのに向いているとは思えぬ軽装だが、背に背嚢を背負っているのは青年と同じ。
どう反応してよいものやら一瞬戸惑っていると、老人は
「そこにへたりこまれるとな、俺が通ろ思たらワレを崖下に蹴り落とさなならんねや。この歳で人一人蹴り落とすんは邪魔くさいよってな、ワレに敬老精神があるならこのちょい先の道が広なっとるとこまで気合入れや」
人好きのする笑顔で物騒なことをのたもうた。怪しげな関西弁で。
5分ほどの道程が無限の責め苦のように感じられた。
しかし、具体的な目標が与えられれば、人間は気力を取り戻せる。
青年は体力と気力を振り絞って歩を進める。
老人はそんな彼の後ろ姿を無言で眺めていた。
果たして数分後、突如足場が開けた場所にたどり着いた。広さと言えば、バスケットボールのハーフコートくらいか。
見れば岩壁に、自然に出来たものか人の手になるものか、岩室が穿たれている。
「助かった…」
覚えずその場にへたり込む青年。
「ま、よく頑張った方だな」
老人は破顔した。
「ガキの頃からの憧れなんですよ」
老人が湧き水を沸かして入れたコーヒーを、二人してすする。
成り行きでともにビバークすることになったのだ。
青年は心身ともに限界に近いし、もう夕方だ。灯りもないこの山中で夜間歩こうなど、自殺の一形態と言っても間違いではない。何せ、足元も見えないし、道を踏み外せば確実に死ぬ。
日のあるうちに水を汲み、火を熾す。飯盒で飯を炊き、缶詰の類をおかずに食事を済ます。
そして夜闇が迫る頃。
夜の無聊の慰めにか、老人が口を開く。
「今時霊能修業なんて珍しいな」
霊能なんて、無くても困る物ではないだろう。
老人の問いに、
「僕はゴーストスイーパー…除霊師なんですよ」
青年は少し恥ずかしげに答える。
「まあ、そうだろうな。だけど最近は、なんつったっけ?あー霊導素子とか言うのがあるから霊力なんて無くても除霊は出来るんだろ?」
霊導素子と言うのは、電気的に霊力を増幅する電子部品である。
たとえば神通棍に霊導素子とバッテリーを組み込めば、一般人並みの霊力でこれを扱えるようになる。
霊能力者が普通の神通棍を使うよりも出力は劣るが、そこは数が物を言う。
霊能力者一人が神通棍を揮うより、一般人10人が霊導素子付き神通棍を使う方が通常の除霊には役に立つのである。
結果として霊導素子は瞬く間に普及し、霊能を鍛える者は激減した。
今や除霊技術は少数の霊能者によるアーツではなく、学べば(向き不向きはあるものの)誰にでも身につけられるスキルとなったのだ。
「それはそれでいいと思うんですけど」
青年は何か遠くを見るような目で言った。
「昔の、伝説に語られるようなゴーストスイーパーは、もういないんです」
その声は、少し寂しげだった。
しかし、一転して熱っぽい口調になる。
「ガキの頃からの憧れなんですよ。
今の軍隊みたいな除霊“作業”じゃなくて、自分の力を恃みに、悪霊や魔物に戦いを挑んだGSたち」
その口ぶりはアイドル…いや、TVのヒーローを語る少年の物だった。
「<幻惑の虎(イミテーション・タイガー)>、
<殺戮の伊達男(ダテ・ザ・キラー)>、
<呪いの聖女(セイクリッド・オブ・カース)>、
<法の貴族(ローフル・ノーブル)>、
<暴走する獣(スタンビースト)>、
<聖なる巫女(ホーリー・メイデン)>、
<輝きの指導者(シャイニー・ヘッド)>…
みんな『大霊障』の時に、身を挺して戦ったGSたちです」
青年の口調はますます熱を帯びてきた。と言うか、芝居がかってきた?
聞いている老人の方はなんだか苦笑めいたものを顔に浮かべているが、青年は気付かない。
「中でも、僕が憧れているのは、美神令子。その実力の高さから<黄金の女王(クィーン・オブ・ゴールド)>と呼ばれている、伝説の中の伝説。高潔にして公正無私な戦士。
僕はそんなGSになりたいんです」
老人は口の中で「あー、歴史ってのは捏造されるモンなんだなー」とか呟いていた。
「でも、いまや自分の霊力を磨くためのメソッドは殆ど失われていて」
また寂しげな表情に戻る。
「調べに調べてたどり着いたのがここなんです」
今度は少し明るく。
「…って、あの、僕の顔に何かついてますか」
老人が自分の顔をじっと見ているのに気付いて青年は訝る。
「いやな、羨ましいと思ってなあ」
俺はもう、何かにそんなに情熱を傾けられるほどの若さはねえもんなあ。
「それでいきなり妙神山かよ…霊的格闘とか出来んのか?」
妙神山修業場は霊能の修業場と銘打ってはあるが、実際には霊的戦闘の修業場としての色が強い。そもそも修業を受けるための試練からして格闘である。その辺を心配して聞いてみたのだが。
「なんとか、体の任意の部位に霊気を送り込むことは出来るんですけど。あと霊気を一部分に集中するとか」
言って、青年は全身に霊気をめぐらせ、さらに右の拳に霊気を集めてみせる。
それを見て老人は少しく感心する。その霊気の量はなかなかの物。十分に実用レベルと言えるだろう。
「だけど、それだけじゃなくて」
と、左手を掲げてみせる。
「こいつを使えれば、結構いけると思うんですけど」
それは青年の左手首に巻かれたブレスレット。
外してみると、それは実際にはパチンコ玉より一回り小さいほどの無色透明な玉を数珠つなぎにし、長めのネックレスほどの長さに仕立てた物だった。
「ロザリオか?いや、それにしちゃ」
普通、ロザリオの要…ペンダントヘッドに当たる部分には、十字架とか聖母子像とかマリアのメダイユとか、キリスト教的なシンボルがつけられているものだが、彼の持つそれは、涙滴型の一回り大きな水晶らしき石がつけられているだけだ。
「実家が寺なんです。僕はクリスチャンですけど、洗礼受けた時に家を追い出されまして。餞別に貰った数珠をロザリオに仕立て直したんですよ」
で、これが、実家に伝わる霊具なんですけど、と、件の涙滴型の水晶を示す。
「だけど、いくら霊力を送り込んでもうんともすんとも言わないんです」
「なんだ、いくらすごい霊具があっても使えなきゃ意味ないな」
「…まあ、これを使えるようになりたい、ていうのもここに来た理由の一つなんですよね」
老人の苦笑まじりの言葉に肩を落とす青年。その様子に老人は、まあ頑張れ、とおざなりに励ます。
と、わずか言葉が途切れる。天使の通り道に当たったらしい。
ぱちり、と音がして焚火が少しはぜる。
「修業場はここからなら2時間とはかからんさ。朝になったら出発するんだろ?もう寝とけ」
荷物からエマージェンシーブランケットを取り出して青年に渡す。
青年は素直に肯んずると、ブランケットに包まり、横になった。寝返りを打つように老人の方に顔を向ける。
そして気付く。
老人の片足が、義足であることに。
考えられないことだった。
老人は自分よりも後にこの山に入り、自分に追いつき、そして、まだまだ余力を残しているのは間違いない。
自分は、それなりに鍛えているつもりではあったが、この老人は一体どんな人間なのか。
思えば彼はこの道に詳しかった。それもまた、あり得ないことではあった。
「…伺っても、よろしいですか?」
老人の足のこと、あるいは経歴職業。それは聞いてもいいことなのだろうか。
だから、質問は
「御老人は、どうしてここに?」
当たり障りのないことにとどまった。
老人は顔を青年に向け、
「ま、知り合いに挨拶と…」
頼まれ仕事を片づけにな。
笑って言った。
青年が目を覚ますと、日はすっかり高く昇っていた。
「御老人…」
辺りを見回すと、焚火のあとはすっかり片づけられており、老人の姿はどこにもなかった。
代わりに、自分の荷物の上に一枚の紙切れが乗っていた。
ポストイットのような付箋紙になっているその紙切れには、
『じゃあな。ま、頑張れ。
一つだけアドバイスをしとく。解れ』
と書かれており、さらにへたくそな絵で電池と電球が描かれている。ただし、電球から出ている二本の電線は、一本は電池の陽極に繋がれていたが、もう一本はどこにも繋がっていない。
「…なんだこりゃ」
何かの判じ物だろうか。なぜわざわざ判じ物にするんだろう。
「ま、いいか」
なんとなく彼の老人らしい、と思い笑顔が浮かぶ。
青年は背嚢を背負うと、再び歩き始める。
目指すは妙神山修業場。
目指すは憧れ。
目指すは遥か霞む高み。
おのが手に掴むため、おのが脚で歩いてゆく。
その表情は前夜の物とは違う、希望と力にあふれた笑顔であった。
続く。
誰も待ってはいないでしょうけど、1.5カ月ぶりの爺さんの話第二話、お届けします。
読んでくださった方、ありがとうございます。
遅くなった理由は…
第二話は、実はとっくに書き上げてたんですが、内容に矛盾が発生してしまいまして。どう直しても辻褄が合わないんで、第3話だったはずの物を急遽第二話にした、と言う感じです。言い訳ですが。
今回は妙神山です。謎の爺さんはますます謎です。ホントかな?
今回の主人公は第一話の少年と違い、現役のGSです。毎回違う主人公になる予定ですが、ホントかな?
くどいようですが、本作品は
「大したことが起こらない」
話です。
きっと最後まで大したことは起こりません。
有難くもレスを頂いたので、遅ればせながらお礼申し上げます。
・SHIN様
謎の爺さんです。ばればれですがそういうことです。
塔とか公園とか、いろいろと背後で設定はしていますが、作品中で出せるかどうか。
・ローメン様
ほのぼのは目指す境地なのですが、今回は雰囲気違ってます。
待って頂いてこのていたらく。汗顔の至りです。
・油木様
東京タワーはモニュメントとして残す、という案もあるようですが、維持費やらの問題があり難しいようです。
爺さんは漢です。原作の「彼」は歳をとったら世話好きの爺さんになる、と私は思っているのですが。
・偽グー様
いい雰囲気と言って頂いて、二話目で全然雰囲気違うというのは我ながらどうかと思うのですが。いや申し訳ない。
・竜の庵様
没にした第二話は第一話の直接的続きだったのですが、なぜか別の話に。
日常を物語に昇華させる技量がスケにはないので、こんな感じです。竜の庵様の日常話はある意味私から見た「遥か霞む高み」なのです。
今回の作品で、妙神山の登山道が原作より厳しくなってますが、これは作品の要請上による改変と言うことで、ご寛恕願いたい。ダメ?
あと、霊導素子なるものは私の創作です。詳細はいずれ作中で登場させる予定です。
さて、第三話は今月中には、と思っています。書けるかなあ。
続きまして金の斧銀の斧のレス返しを。
・meo様
あっはっはっは、それは思いつきませんでした。
その漫画は多分知らないと思います。ローンナイト…じゃないですよね?
・ダヌ様
おキヌちゃんは天然ですが、女神様は計算づくです。
実際美神さんはお金絡むと誘導しやすいと思うのですよ。
・T,M様
確かにスー(略)君は脱税に協力などしません。もともと横島って女性以外に対する欲って薄い気がするんですよ。
美神さんを扱い良く、ですか?したいですねえ。
・への様
>最初の方の美神さんの心情の微笑ましさと可笑しさ
あのへんの記述を気に入って頂けたなら幸いです。けっこう力入ってますから。
はしっこい、はその通りです。素早い、如才ないイメージですね。
スー君は…宇宙意思とか世界意思とかによって女神様にもたらされたのです。きっと。
・にく様
スー君にはきっと霊能力などありません。なくても生きていけます。金持ちですから。なんかもうそれは横島じゃないような気もしますが。
>女神さまには逃げ切ってほしいです。
本気になった美神からはなんぴとたりとも逃げられないような気がします。
・内海一弘様
鉄拳一つで済ます、ですか。たしかに美神さんはおキヌちゃんに甘いですからね。
そして残りは横島君が、ですか。確かに美神さんは横島君に辛いですからね。
…でもそれって逆恨みですよね?美神ならそうするでしょうけど。横島君、無事でいてね。
・いしゅたる様
黒キヌ…黒くなんかないんだー、というのが私の口癖なのになぜ自分で黒くしてしまうのでしょう。
…って、いつの間にか女神様=おキヌちゃんと認めてる私が!
・とろもろ様
時給に関しては、申し訳ない。
私の「俺設定」ですね。こんなとこで何の説明もなく300円、じゃ不自然でした。
まあ、実際には255円でもよかったわけで、なんで「俺設定」使ったんだろ。
・武者丸様
>人、それを自業自得といふ(笑)。
いやまったくそのとおりです(笑)。
・Yu-san様
あ、それ面白そうですね!
使わせて頂いてよろしいですか?いやもちろんそのままじゃなくて手は加えますけど!
・いりあす様
奇跡のバランス、は私も思います。おキヌがいないとギスギスしそうですけどね。
やっぱあの3人がそろってこそGS美神だと思うのです。
・kamui08様
もしかして読んで御不快になりましたか?
そうなら謝罪いたします。
そうでなく、楽しんで頂けての感想なのでしたらスケは大喜びです。
・長岐栄様
女神様は一途なのです。
きっと宇宙意思からス君を貰った時に天啓のように作戦を思いつき、勢いで実行してしまったのです。
勢いで実行してしまうのはおキヌちゃんそっくりですね。
笑って頂けて、嬉しいです。
以上、レスのお返しでした。
レスくださった方、読んでくださった方、本当にありがとうございます。
2007/05/21 文章を一部修正しました。
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