彼がそこに居合わせたのは、まったくの偶然だった。
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東京という街は──特に昼の間は──どこもかしこも人で溢れている、と考えている人は多いに違いない。
実際、多くの人が『東京』と言われてイメージするような地域では、文字通りに人の海ができているものだ。そんな錯覚を生みやすい街であることは確かである。だが無論、それは事実ではない。少し脇道に入ったならば、それはすぐにわかる。
巨大な建造物の間の、狭い路地。日の光もあまり差し込むことのない、文字通りの『裏道』。
そこに身を置いてメインストリートを眺めたならば、最早別世界としか感じられないことだろう。
物理的な距離は、この際あまり意味を成さない。
人々でごった返す『表』の東京とは、まったく異なる『裏』の世界が、そこにはあった。
そんな、東京の『裏』の一角に、一人の青年が今入っていった。
青年、と表現するには、少々若い……いや、幼いかもしれない。年の頃は、15〜16といった所か。だが、僅かに少年のあどけなさを残しながらも、十分に引き締まったその風貌は、やはり青年と表現するのが相応しいようだ。
真っ白なワークシャツに、インディゴブルーのジーンズ。取りたてて飾った所のない、シンプルな服装である。収まりの悪い、逆立った髪が特徴的だ。
細身ではあるが、その実彼の身体は相当鍛えられたものであるらしい。歪み、澱みといったものをまるで感じさせないしなやかな動作が、それを証明していた。
彼の名は、大神一郎という。
一見すれば、まず何よりも爽やかさが印象に残る青年である。どう見ても、裏通りが似合う雰囲気とは言い難い。
実際、彼は裏通りに用があってこの場にいるのではなかった。つい先程、彼が見た光景が、彼をここへと向かわせたのである。要するに……カツアゲ、というやつだ。
先程、通りをぶらぶらと歩いていた大神の眼前で、一人の年若い美女が三人の男に囲まれていた。
薄茶色の、そして光の角度によってはまるで黄金色にも見える、腰まで伸びた艶やかな髪。抜けるような白い肌に、形の良い顔。一流のモデルでさえ平静ではいられないのではないかと思われるほどに見事なプロポーションを、タイトなスーツに包んでいる。
両耳を飾る青い宝石を使用したイヤリングといい、腕に提げたハンドバックといい、確かにこの美女が経済的に豊かなことは間違い無い。加えてこれ程の美女である。男達の見る眼だけは誉めてやってもいいだろう。
僅かに顔を青ざめさせ、怯えた表情をした彼女を、男達は下品な笑みを浮かべながら脇道へと連れ込んでいったのだ。
あいにく、通行人達は誰も反応しなかった。薄情なようだが、致し方ないことではある。
彼らは忙しく、またそもそも偶然居合わせただけの他人だ。厄介ごとはごめんだ、と考えたのを責めることの出来るような人間は、なかなかいないだろう。
それを確認し、青年はため息をつきつつ後を追うことを決めたのであった。
それにしても、と彼は思った。
こういう奴等がやることっていうのは、どこであっても同じなんだな。
彼はあまりこの手の人種──つまり、不良だのチーマーだのと呼ばれる連中だ──と関わりたくなかった。
これは、先程の通行人達とはまるで別の事情がある。
彼は、正義感に欠けた人間ではない。むしろその逆で、このように弱者に対し卑劣な振る舞いをする者達を彼は嫌い抜いており、もし見かけたなら決して放っておかなかった。
そして言葉で解決しなければ──ほとんどの場合、と言いかえてもいい。正論を聞かされて反省するような輩ではないからだ──相手はあっさりと暴力に訴えてくるものだ。
と言っても、彼は一度たりとも負けたことはない。相手が何人居ようが、常に勝利していた。
父親に幼少の頃から剣術を中心とした武術を叩き込まれた彼にしてみれば、不良学生など何人いたところで大した違いはなかった。
だが、そんな事をしていたのも半年前までだ。
一つの不幸な『事件』が起こった。恨みを抱いた不良達の一派が、彼の友人に対し腹いせに暴行を加えたのだ。
親しい人間を傷つけられた大神は逆上し、彼らが持っていた木刀を奪うと怒りに任せ一切容赦なしにそれを振るった。
死者が出なかったのは、単に運が良かっただけのこと。
自分は、身に付けた技術に比べあまりにも幼い。そのことを、大神は痛感した。
以来彼は、木刀も竹刀も握らなくなった。稽古も、素手の格闘術に限定した。武器に引きずられるまま暴力を振るってしまったという自覚があったからだ。
何より痛かったのは、当の友人の怯えた視線だ。
大神は、逃げるように東京に転校してきた。
彼を知る者のない、東京へ。
彼は、あの『事件』以来その手の人種を意識的に見ないようにしてきた。
あの時のことを、あまり思い出したくなかった。
とは言え、実際に被害に遭いかけているのを見て見ぬふりはできなかった。だから、後を追ったのである。
だが。目の前にいる、髪を染め、ピアスをつけ、やたらとだらしない格好をした典型的な不良達の姿は、彼にあの時のことを酷く思い出させる……。
彼は思考を振り払うかのように頭を振った。今は考え事をしている時ではない。あの女性を助けるためにわざわざ来たのだから。
彼はとりあえず、彼らに声をかけた。……否、声をかけようとした。
だが、彼は出来なかった。彼が見た光景は、彼の口を封じるだけの力を持っていた。
(なんだ……あの光……?)
その光は、確かにその女性から発せられていた。朱を帯びた金、太陽の光にも似たオーラ、のようなもの。
つい先程の怯えた表情は、最早彼女の美貌のどこにも残っていない。代わりに浮かんでいるのは、覇気に満ちた……というより、嗜虐的な笑み。対する少年達の方はといえば、見ていて滑稽になるほどに動揺していた。完全に足が竦んでしまっている。
彼が自分の内面世界に沈んでいたわずか二、三秒の間に、一体何がどうなってこうなったのか。彼には解らない。そして……さしあたって考える必要も無さそうだった。
女性が、行動を起こしたのだ。
目の覚めるような鮮やかな蹴りが三度。男の『急所』を、寸分の狂い無く急襲した。
声も無く飛び上がる不良達。
そのまま落ちてくると、失神したのか、その場に崩れ落ちた。
(あ、あれは痛い…………)
思わず彼は同情してしまった。“あの”痛みというのは、女性の想像を超える。男性はそれが解るから、実際に攻撃しようとしても大抵はためらってしまうだろう。
だが、彼女の行動には何の遠慮も無かった。
いっそ爽快な程に。
どことなくすっきりした表情となった彼女が、ふと彼の方を向いた。そのまま、不良達には目もくれず歩いてくる。途中で彼らの内の一人を踏みつけたのは、果たして偶然なのか故意なのか……。
「助けようとしてくれたんだ、ありがとう」
「いえ。どうやら必要無かったようですね」
ニコリと笑った彼女に、彼は取りあえず無難な返事を返した。
……実の所、彼は女性に対する免疫が薄い。こんな美女、しかもボディラインがはっきりとわかってしまうピッタリとしたスーツ姿の美女(おまけにやたらとスカートの丈が短い!)を相手にして平静を保つのは、普段の彼なら恐らく不可能であっただろう。
女性が先程見せた謎の現象が、彼を警戒させていたのだ。
それっきり何も言わず、硬い表情で黙った青年を見て、女性は不思議そうな表情になった。そのまま数秒が流れる。
そして。
「ひょっとしてあなた、“見えた”の?私の霊力」
「霊力? あの光が……。
って、それでは、あなたはゴーストスイーパーなのですか!?」
「ええ」
青年の驚愕を気にも留めず、彼女は頷いた。
ゴーストスイーパー。
それは、この世ならざる者達から人々を守り戦う、現代のエクソシストである。
限られた人間のみが持つ「霊力」という力を使い、人外の者達を払うその業務は極めて過酷なものとして知られている(その分、報酬はかなりのものらしいが)。
青年にしてみれば、こんな若い女性がゴーストスイーパーだと言われても、にわかには信じがたかったのである。
「ふ〜ん……?」
「あ、あの……何か?」
突然興味深げに眺めまわされて、青年は困惑し、次いで赤面した。
彼女はやがて一つうなずくと、口を開いた。
「あなた。体力に自信はある?」
「へっ? ……まあ、ありますが。それが何か?」
「そう」
彼女は満足げにうなずくと、訳がわからず戸惑う青年に言った。
「私はゴーストスイーパー美神令子。
あなた、私の助手をやってみる気はない?」
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「……は?」
ありていに言って、それは随分唐突な申し出だった。
ちなみに大神は、つい先日中学校を卒業したばかり。この春高校生になる。
思い描いていたのとはまるで違った高校生活が、この時始まった。
それは常識外れの事件に溢れた、ハチャメチャでトンデモナイ激動の三年間。
【作者より】
こちらではほとんどの方がはじめましてだと思います。真田芳幸です。
かれこれ6年も前に着想したこのGS美神とサクラ大戦のクロスオーバー再構成、迷走の末ようやく本格的に書き始めることにしました。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、この作品は既に私のサイト「SSS」(http://sss.ikaduchi.com/)にプロローグ全三話掲載済みです。しかし投稿規程によれば、自サイトへの掲載ならば二重投稿扱いにはしないとのことでしたので、以後こちらでお世話になろうと思っています。
ひさしぶりにこの活気ある小ネタ掲示板で活動させていただくということで、緊張半分ワクワク半分です(笑)。これからよろしくお願いします!