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▽レス始

「蛇姉様の憂鬱(GS)」

テイル (2006-11-13 04:06)
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 あたしが目を開けて最初に見たのは、茶色い壁だった。見回してみるとそれが四方を囲んでいる。頭上を見上げると、四角に切り取られた汚れた天井が目に映った。見覚えのある天井だった。
 どうやらあたしは、段ボール箱に入れられているらしい。そして天井から奴の部屋の中にいるようだ。
 自分がどこにいるのか理解したあたしは、目を戻すと改めて周囲を見た。
 すぐに身体の上にはぼろ毛布が掛けられていることに気づいた。見ると身体の下には新聞紙も敷かれてあり、なかなか居心地が良いようにされてある。捨て犬や捨て猫を保護しているかのような扱いともいえるが、当然、そこに敵意は感じられない。
 自分がどう扱われているのか理解して溜息を一つ吐くと、あたしは毛布の下から抜けだした。
 身体は軽かった。昨夜死にかけていたとは思えないほどに快調で、完全に危機を脱していることがわかる。考えるまでもなく、奴の手当てが効いたのだろう。
「どうやら、死にぞこなったようだね……」
 ぼそりと呟くと、あたしはするすると身体を壁に這わせ、段ボールの縁に顎を乗せるように外を覗いた。
 視界に奴が映った。散らかり放題の部屋の中、ぺちゃんこの煎餅蒲団の上に横たわっていた。トランクス一枚の姿で、大の字になって眠っている。
 奴を見たあたしは、ふとその身体に何も掛けられていないことに気づいた。もう秋も終わりに近く、気温は下がってきているのだが。
「馬鹿は風引かないって言うけどねぇ……」
 だとすると、奴は絶対に風邪など引かない馬鹿だ。賭けてもいい。……なぜならば、奴はあたしを助けるような大馬鹿なのだから。
「さて……どうしたもんか」
 あたしは無防備に見える奴を見ながら思案する。
 目の前の奴はどう見ても隙だらけにしか見えない。ここへ来た理由が奴を殺す為だった事を思えば、現在の状況は好機と言える。昨夜はしくじったが、今なら奴を殺せるかもしれない。一気に飛びかかって奴の首筋に食いつき、たっぷりと毒を流し込む。それで全ては終わりだ。奴は体中を痙攣させ、苦悶の表情で死ぬだろう。
 そこまで考えたあたしは、自分の中に迷いがあることに気づいた。確かに今は好機だ。奴を殺せるかもしれない。しかし……そうする意味が、果たしてあるのだろうか。
 昨夜奴を襲った時の動機となっていたものは、大半が奴の手によって解消されてしまった。奴の手により消滅する危機は脱し、助けられたことにより昔の借りも返して貰ったようなものだ。
 唯一残っているのは義理だろうか。滅ぼされた主への義理……。
「ぶえっくしょい!」
 あたしが悩んでいると、不意に奴が盛大にくしゃみをした。寒そうに身体をさすり、それでも目覚めないのはいかがなものか……。
「寒いなら毛布の一つでも掛けりゃいいだろうに」
 呟いたあたしは、ふと思いついたようにぼろ毛布を見た。あたしの身体にかけられている奴だ。
「まさかな……」
 いくら何でも、奴が持っている毛布がこれ一枚って事はないだろう。そもそも掛け布団ぐらいあるはずだ。
 しかし……。
「ま、まあ、昨夜も似たような状況で仕掛けて返り討ちにあったんだし、とりあえずは現状維持で……」
 しばし毛布と奴を交互に見たあたしは、いい訳をするようにそう呟いて、そしてぼろ毛布の中にごそごそと戻った。


 あたしがなぜこうなったのか、それにはそれなりの経緯って奴があった。断っておくが、それほど複雑な経緯じゃない。全てはしばらく前のアシュタロス事変と呼ばれる事件が原因だ。
 アシュ様は今回の反乱を起こす為に、切り札としてある装置を作成していた。世界の根幹に食い込み、あらゆる事象を引き起こすまさに全能と行って良い装置だ。既に一度死んでいたあたしは、その装置によって復活を果たした。
 復活したあたしは、状況を理解すると即座に奴をねらった。奴とは、最初のあたしを殺した糞ガキだ。奴に存在を滅ぼされたあたしは、奴が人間側のキーマンだと言うことに気づいていたのだ。
 奴は、状況をひっくり返すことの出来るジョーカーだ。仮にも高位の魔族であるあたしを殺した、真っ先に殺さなければならない相手。他の奴がどう考えているかはともかく、少なくともあたしはそう思っていた。
 そして奴を見つけたあたしは、自分の考えが正しかった事を知る。奴はあろう事かアシュ様が自ら創造した魔族を寝返らせ、味方にまでしていたのだから。
 それを知った時、あたしは自分の行動に満足した。自分の目は確かだったと。奴を殺しに来た自分の判断は正しかったと。思わずにやりと笑ってしまったぐらいだ。
 あとは私怨も含めて奴を殺すだけ……。あたしは奴に襲いかかった。
 しかし、ここで予想外のことが起きた。あたしは勝つどころか、奴にあっさりと負けて殺されてしまったのだ。味方にした魔族の力を借りたとはいえ、秒殺ともいっていいほど簡単にだ。
 屈辱だった。しかしそれで全てが終わるわけではなかった。アシュ様の切り札たる装置はまだ健在だったからだ。
 あたしは二度目の復活を果たした。そして今度こそ奴の息の根を止めると誓ったその時、それは起こった。
 何か大きな建築物が崩れ去る音と共に、アシュ様の力が急速に失われていくのが感じられたのだ。それはアシュ様が全ての力を注いでいた切り札たる装置が、破壊されてしまった事を意味していた。
 それは紛れもない、戦いの趨勢が決まってしまった瞬間だった。
 あの装置があればこその反乱だったのだ。強大な神魔族を相手に勝利を得る、唯一無二の装置だった。その装置を失ったということはつまり、勝算が無くなった事を意味する。
 これで勝負は九分九厘ついた。
 あたしは急いでアシュ様の元へ向かおうとした。勝負が付いてしまった以上、逃げるのが最善手だ。主を護りつつここを離れなければならない。生きてさえいれば、まだチャンスはある……そう思ったからだ。
 しかしそんな思いとは裏腹に、あたしはその場から動けなくなってしまった。あたしを構成する霊気構造が、不意に拡散を始めたからだ。あたしを復活させた装置が破壊された為、存在の消滅が始まったのだとすぐに気づいた。
 同じ装置によって復活した多くの仲間が消滅する様子が気配で伝わって来た。誰も滅びたくはなかっただろう。しかし抵抗虚しく、次々と容赦なく存在は消えていく。まるで、最初から無かったかのように……。
 そんな中であたしは必死に滅びに抵抗した。仲間の消滅する気配があたしに恐怖を抱かせていた。あたしは、死にたくなかった。
 あたしは抵抗して、抵抗して、抵抗した。決して諦めることなく、必死に生にしがみつこうとした。
 あたしは元々有象無象の妖怪や下級魔族ではなく、高い霊圧を持つ高位の魔族だった。加えて、あたしは治癒能力の高い種族の生まれでもあった。それが他の仲間と同様の運命から逃れた理由だったのかもしれない。
 あたしは、生き残った。
 気が付いた時、あたしの存在は安定していた。ただし人型でいる力も残っておらず、不本意ながら本性を晒さざるを得なかったが。
 生き残ったことをほっとする間もなく、あたしは現状を確認する為に意識を広げた。
 どうやら既に夜が明けているようだった。そして朝日に照らされた街を、人間どもの歓声が包んでいた。
 具体的な時間はわからないが、あたしが消滅に抵抗している間にどうやら完全に決着は付いたようだ。人間どもの歓声が聞こえると言うことは、主は完全に敗北したのだろう。あたしは人間どもの目から逃げるように、その場から逃げ出した。
 本性を晒すあたしの姿は、体長三十センチほどの小さな蛇だ。ほとんどの力を失い、弱体化したが故の姿だ。以前は数十メートルに及ぶ巨体を誇っていた我が身が、今はただの猫や烏にすら獲物にされ得るという有様だった。
 それからあたしは、死に怯えてびくびくしながら数ヶ月を生きた。
 あたしにとって、このような惨めな姿を晒すのは屈辱的としかいえないことだった。これなら死んだ方がましだ。こんな思いをする為に死を拒んだ訳ではない。それでも死にたくなかった。死にたくなかったのだ。
 あたしという存在の意味は主の敗北と共に失われている。そして生き残ったとはいえ、神魔人界すべてに敵対したあたしにはもはや居場所はない。生きる意味などないといえる。
 しかしこのままだと生まれてきた意味すらない。それは嫌だった。このまま死ぬわけにはいかない。自分が生まれてきた意味を世界に刻まなくては、なんの為に生を受けたのか……。
 しかしそんな思いとは裏腹に、現実は容赦なくあたしを追い立てた。早くこの世界から退場せよと牙をむいた。
 存在の安定へと傾いていた天秤が、再び消滅へと傾いたのだ。あたしの身体は再び崩壊を始めた。ゆっくりと少しずつではあったが、もう止まらないと感覚でわかった。
 終わってしまう。絶望があたしの心にのしかかる。
 そんな時だった……あたしの脳裏にふと奴の顔が浮かんだのは。そしてあたしは理解したのだ。あたしに残された、唯一の意味を。
 そう、奴を殺すことがあたしの意味なのだ。それこそがあたしに残された唯一の目的なのだ。一度殺された意趣返しの意味もある。アシュ様の敵討ちという意味もある。
 どうせ消滅を免れない身体だ。ならばせめて、仇敵である奴に一矢を報いたい……。
 そうしてあたしは、行動を起こした。


 奴が住むアパートを調べるのはそれほど難しくなかった。初めて会った時を思い出すと冗談のように思えるが、今の奴は一流の霊能力者だ。奴自身が放つ霊圧が奴の居場所を教えてくれた。
 夜陰に紛れて、あたしは奴の住むアパートへと近づく。
 扉の前にまで這っていくと、あたしは閉じたままの扉を文字通りすり抜けた。たとえ弱体化していようと魔族としての特性は変わらない。霊体が皮をかぶったような身体は、物理的な扉などなんの障害にもならない。
 あたしが易々と部屋に侵入すると、すぐに奴の存在を感じた。煎餅布団の上に横たわり、豪快な鼾をかいている。
 その鼾を聞いたあたしは、奴の熟睡を確信して喜んだ。千載一遇の好機だった。不意打ちならばさすがに一撃ぐらいはいるだろう。そしてその一撃で終わるのだ。あたしの持つ霊毒ならば、それで十分奴を殺せるのだから。
 気配を殺しながら近づくと、あたしは積年の恨みを込めつつ、牙をひらめかせて飛びかかった。必殺の間合いだと自分でも納得できる一撃だった。
 ……それでも、あたしの牙が奴を捉えることはなかった。奴の代わりにあたしの牙が食い込んだのは、一瞬前まで奴が寝ていた煎餅布団だった。
 熟睡していたはずの奴は、驚くべき反応速度で飛び起きると、身体をひねってあたしの一撃をかわしたのだ。
 奴の行動は素早く、そして的確だった。攻撃をはずして無防備となったあたしを、奴は右手から伸ばした霊波刀で払った。かわした動作から続けての攻撃。敵ながら見事な動きだと思わざるを得なかった。布団に食いついているあたしが、その一撃をかわせるわけがない。
 奴は何故か奴は霊波刀の刃ではなく、腹であたしを打ったようだった。おかげで両断されることはなかったが、あたしは壁に叩きつけられてぐったりと畳の上に落ちた。
 畳の上であたしは、蹲ったままなんとか奴の様子を窺った。
 奴はぴくりとも動けないあたしを見て、目を瞬かせていた。その目はどう見ても焦点があっていない。どうやら寝起きの状態であたしを一蹴したようだ。
 弱体化しているとはいえ、ここまでの力量の差があるとは、ここに及んでなお奴を甘く見ていたのかもしれない。しかし後悔の念は湧いてこない。どうせ死ぬなら前のめりの方が良いに決まっている。どこぞで誰に知られることもなく消滅するよりも、奴の手にかかった方がまだマシだ。
 苦笑していると、やっと奴の目が焦点を結んだ。あたしをまじまじと見て、呟くように言う。
「なんだこいつ。……蛇、か? 真っ白だな」
 奴は恐る恐るといった具合に近づいてきた。その動作にあたしへの警戒がみてとれたが、既にあたしの力は尽きている。身動きする力はまったく残っていない。出来るのはただ奴を窺うことだけだ。それすらも、もう苦しくなってきた。段々と視界が暗くなっていく。
「……こいつ凄く弱々しいけど、霊力を感じるな。妖怪の一種か?」
 奴が霊波刀であたしをつつく。もしあたしに口をきく力が残っていたのなら、こう言っていただろう。早くとどめを刺せ……と。
 あたしが動かないことを見て取ると、奴は霊波刀をしまった。そしてしゃがみ込むと、あたしを観察しながら呟く。
「霊気に惹かれて俺を襲ったんかな。邪気は感じられないし、そう悪い奴じゃない? そういえば、白い蛇って確か縁起も良いんだよな、確か」
 ……寝言としか思えないような呟きだった。少なくとも自分を襲った人外に対する言葉じゃない。
 そもそもの話、邪気が感じられないというのはなんの冗談だ。これでもあたしは、ブラックリストに名前が載ってる凶悪な魔族だ。属性は疑いようもない邪悪、邪気がないはずはない。
 加えて、縁起が良いというのも戯言にしか思えない。白い蛇が吉兆というのは、人間が勝手に決めたことだ。蛇にとって、自分の色が白だろうが黒だろうがドドメ色だろうが、そんなことは関係がない。
 そんなあたしの思いに気づくはずもなく、奴は当然とばかりにあたしの身体をその手に取った。
「動かないよな……」
 そっと優しく持ち上げながらあたしをのぞき込む奴。その顔はあたしの牙から三十センチと離れていない。そのあまりに無防備な行動にあたしは驚いていた。もしあたしに反撃する最後の力が残っていたらどうするんだ。
 ……まあ、実際にはそんな力は残ってないけれども。
 とにかく、奴の無防備な行動にあたしは驚いた。しかしそれよりも気にかかるのは、あたしを見る奴の目だった。
 何を勘違いしているのか、あたしを見る目に気遣いの色が見て取れたのだ。
 冗談じゃない。仇敵として殺しに来たというのに、その対象からこんな目で見られながら死ぬのは、冗談じゃない。しかし自分ではどうしようもないのだ。
 悔しい。しかしそんな思いも、闇は一緒くたに押し流そうとする。視界が暗くなっていく。身体がどんどん冷えていく。止めようのない終わりの時が、近づいてくる。
 奴の看取られるようにして、あたしは死ぬのか……。
 自嘲気味にそう思った時だ。
「すぐ治してやるよ」
 奴のそんな声が、耳元で聞こえた。
 何を言っているのか一瞬わからなかった。何を言っているのか理解したのは、もうほとんど見えない視界に、強力な霊力の光が映った時だ。
 それは高濃度に圧縮された霊力の光だった。そして奴の持ち札でそれほどの出力を放つのは、あたしの知る限りたった一つしかない。あらゆる事象を引き起こすと言われている至高の霊具……文珠のみだ。そしてその文珠で何をしようとしているのか、それが奴の言葉の意味だ。
 つまり、奴はあたしを助ける気なのだろう。正気を疑う行動だ。
(何を、考えて……!?)
 驚愕するあたしに、文珠から発せられた莫大な霊力の光が振り注いだ。
 あたしの身体を高濃度の霊力が包んでいく。それと同時に間断なく襲っていた寒さが薄まっていき、代わりに温かな安らぎに似た感覚があたしに訪れる。
 警戒することは何もない。心配することも何もない……。そんな安心感が、あたしを包んでいく。
 身体と心がゆっくりと弛緩していく。安心感に包まれた微睡みの世界に誘われていく。それはまるで、母親の胎内にいる赤ん坊のように……。
 奴が引き起こした現象だというのに、抵抗する気も起きなかった。
 そして、あたしの意識はゆっくりと沈んでいった。


(そして今に至る……と)
 目が覚めてから時が経ち、今は昼近い。
 あたしは段ボールの縁から顔をだして、台所に立つ奴の後ろ姿を見ていた。
 奴は……横島という名の糞ガキは、まだあたしが目を覚ましている事に気づいてはいない。相変わらず隙だらけのように見えるが、しかし隙をつこうという考えは浮かばない。
(これからどうしようか。……いや、違うか。どうしようか、じゃないね。行くところなんざないんだ)
 あたしは溜息を一つ吐くと、段ボールの中に首を引っ込めた。毛布の中にもぞもぞと入りながら、胸の内でこう呟く。
(これからあたしは、どうなるのかねぇ……)


あとがき

お久しぶりでございます。テイルです。
盛り上がりも何もありませんが……蛇姉様のお話です。

ちなみに蛇姉様が誰とは言いません。誰とは……。

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