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「極楽な生活!その5 〜それはきっと、極楽な生活〜 (GS再構成)」

とおり (2006-09-27 19:58/2006-09-27 22:53)
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「横島さん・・・! 私っ! 」

霊体が分離されて、おキヌちゃんに注ぎこまれる。

「迷うことなんかないさ。俺たち、なにも無くしたりはしないから」

美神さんが凍結した氷壁に霊力を差し込み、放射する。
光の奔流が氷の中に広がっていき、少しずつひびが広がっていく。
パキ、パキ。
音が一つ鳴る度に、おキヌちゃんは透けて薄くなる。
抱きかかえた胸の中で、おキヌちゃんは泣いていた。
私、私、とむせびながら泣いていた。

「全部忘れるかもしれないけど。夢だったのかもしれないけどっ! 」

ぼちょんと涙が伝って、岩に落ちた。
もうおキヌちゃんにはかすかな感触があるだけだ。

「大丈夫、また会えばいいだけさ。だろ・・・? 」

美神さんの、ヒャクメ先生の嗚咽が聞える。
暗く小さい岩部屋の、氷壁から光が飛び出しておキヌちゃんを包む。

「あたし、絶対思い出しますから! 全部忘れたって、また会って! 横島さんのこと、みんなのこと―」


極楽な生活! 5  最終回  〜それはきっと、極楽な生活〜


「あー今日はまた夜通しのバイトかあ・・・。あの乳と尻とふとももが無いと本当にやっていけんなあ・・・」

「乳と尻とふとももが無いとやっていけないのかあ。へー」

「そりゃそうさ。全くあの強欲女・・・って、えっ!? 」

「散々セクハラしておいて言う台詞がそれかーっ!! 」

どげし。
後から蹴りつけられて、俺は埃のたまった床に沈む。
背中にめり込んだピンヒールは、相変わらず痛い。

「あんたねっ、くだんない愚痴を言う暇があったらさっさと用意せんかっ。時間無いわよっ」

「わーりましたよっ。すぐ用意しますよ、このゴミの山からねっ」

「えーいうるさい、アンタが整理整頓せんのが悪いんでしょうが」

「オカルトグッズは美神さんが扱わないとしゃーないでしょう。本とか書類の整理とかはともかく」

出がけの恒例になった喧嘩をしつつも、時間が押し迫っていて気が焦る。
積み上げられた本や書類、廃棄護符の保管箱を前にしては、この半年いつもこの調子。
おキヌちゃんがいた時には片付けが行き届いていた事務所の中もすっかり荒れて、喧嘩をするにもまず足の踏み場を確保せねばならないくらいだ。

「だいたい美神さん、一人の時はどうやってたんですか。ちゃんと片付けしてたんでしょーに」

「うっさいわねー。昔は昔、今は今よ」

「どういう理屈ですか、全く」

口でやいのやいの良いながら、段ボールを押し開いて今日使用する護符をより分けていく。
かと言って目的の護符にすぐにたどり着かないから、あれこれと開けていく羽目になる。
いつかいつかと、整理する機会を先延ばしにしてたどり着いた今の惨状だけに、容易にはいかない。
それでも必要な物をまとめて、用具袋に入れていく。
用具袋とは言っても不測の事態にも備えられる様に、大きなキャンピングバックだ。

「ほい、用意できましたよ。リストの確認してください」

「遅いっ。ほら、貸してご覧なさい。えーと、見鬼君に破魔札がこれに・・・」

春めいてきたこの頃、幾分か遅くなった夕焼けが事務所のゴミどもに落ちかかっていた。
これを整理するなど、全くいつのことになるやら。

「よし。それじゃ行くわよっ」

「あ、はい」

一瞬返事が遅れた俺を、美神さんがこづく。

「たぁく、しゃんとしなさい、しゃんと。あんた、明日から2年生でしょーが。後輩出来るのよ、後輩」

「そりゃそーですけど」

「わかってんだったら、背を伸ばしなさい。そんなんじゃ、現場でまた危ない目に遭うわよ」

執務室を出て、階段を下りながらなおも美神さんの小言が続く。
カツカツ、コッコ、階段に足音が響く。
ガレージに出て、よいせっと道具を積み込むと、勢いよく車が飛び出した。
サンシャインビルが夕日に染まる横を抜け、一路郊外の現場へと向かう。

「今日の現場にはヒャクメ様も来るからね。アンタの体チェックしたいんだってさ」

「うげ。俺の霊体チェックくらいならいいですけど、あの人いろんな事まで覗こうとするからなー」

「いいじゃない、おかげであたしはアンタのセクハラスポットをつぶせて嬉しいわ」

「結局そこですかいっ」

ヒャクメ様は時々現場に出向いては、俺の霊体チェックをしてくれる。
ついでに16歳男子の秘めやかな隠し事までも見抜いてしまって、俺のプライバシーは今現在無いに等しい。
いいじゃねーか、少しばっかりお宝があったって、あれやこれやしてたってさ。
ちくしょう、泣いてなんかないぞ。

「ま、あんたもあの時は良くやったわ。」

美神さんが言う。
ふらつく車を追い越しつつ、車線を変え自車を操る。
早い速度に髪がなびく姿は、相変わらず見ほれるほど綺麗だ。

「良くやったっつうか・・・。俺に出来ること、あれしかなかったですから」

「やったって事自体が、よ」

右手でわしわし、俺の頭をひっつかまえてぐりぐりする美神さんは嬉しそうに笑う。

「ちょ、美神さん前! 前! 」

「え? きゃっー」

ダンプのテールが目の前に迫る。
ぐいと急ハンドルを切って、どうにか避ける。
こんな色気の無い尻に突っ込みたくは無い。

「こんちくしょ、よくも」

ダンプの前に出ると、わざとエンジンを吹かせもうもうとした黒煙を浴びせかける。

「美神令子にちょっかいだそうとするとこーなんのよっ! 」

「いや、今のは美神さんが悪いんじゃ」

「うっさい」

ぼかんといい音が振動して伝わってくる。
全く、ぽんぽん殴るのはやめてくれないかね。

「でも、本当に。褒めるとか、そういうのとかより。あの時は」

「…ん」

思い出す、あの日の事。
おキヌちゃんが生き返るためどうしても必要だった、俺の霊体の移植。
もしかすると俺の霊能者としての能力をことごとく奪ってしまったかもしれない。
いや、下手をすると死ぬ可能性すらあった(これは後で聞いた話だけど)。
あんたに考えさせるといつまでも決まらないから、とか美神さんは言っていたけど。
だけど。
仮にそれを聞いていたとしても、いいかどうかなんて聞かれるまでもない二つ返事をしただろう。
自分でも不思議で奇妙なのだけど、それは単におキヌちゃんを失いたくないって感情だけじゃなかったと思う。
うまく表現は出来ないけれど、あれは好きとか一緒でいたいだとか、そういった感情ともまた違ったものだった。

「ま。おかげで、改めてあんたも基礎からみっちりやる事になった訳だけどさ。結果的にはそれで良かったんじゃないの? 」

「軽く言いますよねー。しごいた張本人が」

「あら、いつになるかは分からないけど、おキヌちゃんに無様なアンタは見せられないからね。ウチでアルバイトする限りは、びしびしやるわよ」

「だからこそ、癒しに乳と尻をですね・・・」

「まだ言うかっ」

ずべしっ。
今度はかかとが落ちてきた。
ちくしょー、今日はパンツスーツだったか。
って、ちゃんと前見て運転してくださいね。

「進歩しないわね、あんたは。ったく、盾みたいなの出せたりして、結構凝縮系の霊力使える様になったくせに・・・」

「あれも、少ない霊力でどうにか立ち回す苦肉の策ですからねー」

「それでも、あんだけ霊波とか弾ければ大丈夫でしょ。まあ、他の部分に当たったらおしまいだけど」

「美神さんは、それが分かってて他の部分狙いますからね。どんだけ俺が苦労したか分かってますか」

「成長したんだからいいんじゃない? 」

美神さんはいつもこうやってふざけて煙に巻く。
俺の事を考えてくれてるんだか、どうなんだか。
美神さんのペースに巻き込まれて、終いにはつきあわざるを得なくなる。
でもそれは不快なものじゃない。

「お、道が空いてきたわね。じゃあ、一気にスピード上げるわよ。シートベルト、しっかり閉めなさい」

「はい」

「じゃあ、行くわよっ」

美神さんはアクセルをぐんと踏み込んでいく。
気づけば日が落ちていて、いつついたのかわからないが街灯の光が流れる。
シュン、シュン、車が前から迫っては置き去りにされていった。
美神さんと俺の周りが静かになることは無い。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


「横島君、そっちに! 」

美神さんの脇をすり抜け、囮の結界に霊が迫る。
うなり声を上げながら突進してくる霊に、俺は狙いを定める。

「成仏しなよっ」

足を踏み込み、一気呵成。
大きく振りかぶって投げると、中空に盾が踊る。
ほの暗い闇を、迷うことなく飛び、そして弾け散る。

「ギャアアアアアアア」

断末魔の叫びと共に、最後の霊が消滅していく。
煙上の霊波が引いていくと、空に最初の太陽が登っていた。
深い森の上が、黄色みを帯びた薄紫に染まっていく。

「ナイスっ! 上出来よ」

「美神さんも、いくら一人でこなせるからって、油断しすぎですよ。この囮結界が無いと、霊をおびき寄せられないんでしょ? 」

「だから、最後の一匹以外はちゃんと除霊したでしょ。あれはあんたの修行。しゅ・ぎょ・う♪ 」

後ろからそっと肩に手を置いて、色気たっぷりに胸を寄せられると俺は何も言えない。
ああ、柔らかい胸が胸がっ、背中にっ。
駄目だ、ごまかされてはいかん。

「煩悩を解放するのもいいけど、私も忘れないでほしいのね〜」

「あ、いたんすかヒャクメ様」

「いたんすか、じゃないのね〜」

「冗談ですよ。今日も一晩、ありがとうございました」

俺は頭を下げる。
ヒャクメ様が除霊に立ち会うのはそう有る事ではなかったけれど、こうして定期的に来てくれていた。
学校では先生をこなし夜はこちらにと体もきついだろうに、わざわざ申し訳ないと思う。
それもこれも、霊体移植を実行したのがずっと気にかかってるからって事らしい。
人間の体はそう簡単に霊体をひっぺがしたりなんだり出来るようには出来ていないから(確かに死ぬほど苦しかった)、ちゃんと継続して観察しなきゃ、だって。
だけど神族の交流プログラム対象者がこんな所まで出張ってきていいのかね。

「構わないのね〜、交流プログラムなんだから。それに言ったでしょ、これも縁だって」

「縁、ですかあ」

「そ。偶然にしちゃ、何から何まで出来すぎてたわ、あんたとおキヌちゃん、そしてアタシたちはね」

美神さんが神通棍に特殊グリスを塗り込み終わり、バックに納めながら言う。
結界閉鎖、ある程度の現場の後始末と、使用用具の手入れはその場で行う。
プロのGSは除霊が終わっても色々忙しい。
もちろん、俺みたいなバイトはそれを手伝うためにも現場に出るわけだけど。
今回の現場は山奥の森だったから気を遣う必要もあまりないのだけど、それでも地権者とのトラブルを回避するためにもしっかりやらないといけない。
でもこんな事を今この現場で言っているのも、その【縁】がきっかけになっているのは間違いない。
おキヌちゃんと出会った、そこから今の俺のすべてが始まってるんだから。

「そうとしか考えられない事が、たくさんありましたからね」

「素直じゃない。まあそうでもなきゃ、色々苦心したヒャクメ様も浮かばれないわよねー」

「私はぴんぴんしてるのね〜、美神さん」

あら失礼、と神様の肩をぽんぽんとたたく。
ヒャクメ様はいくら気安いとはいえ、百歩譲っても神様は神様。
こうまで気安く出来るのも、美神さんくらいしかいない。
神父がいつも敬語を使っているのも、やっぱり神様だからってのが大きいだろうし。
まああの人は、いつも敬語だけどさ。

「六道に行くことになって、おキヌちゃんと出会ってから。理事長やヒャクメ様、神父と美神さん。いろんな人たちが見ててくれて、つないでいてくれたってのが分かったときは、びっくりしましたよ」

「あたしもねー。最初神父があんたたち連れてきたときは、なにかと思ったわよ。間抜けそうな男の子に、取り憑いた巫女の娘。確かにバイトは募集してたけど、さ」

「・・・ひどい言いぐさですねー。あんだけおキヌちゃんをこき使っておいて・・・」

「なによ人聞きの悪い。ちゃんとお給料は出していたでしょ」

「日給30円のね」

「美神さん・・・」

ヒャクメ様が呆れた視線を寄越す。
誰だって聞けば同じ様な反応を示すだろう。
美神さんは後始末の手を止めずに抗弁する。

「あら、そもそも幽霊に今の法律も何も適用されないわ。お金払ってるだけ良心的だと思わなかった? 」

「ヒャクメ様、人間にはこういう人もいるのですよ」

「ええもー、ばっちりと報告しておくのね。人間は金にえげつない、と・・・」

あんたらね、と凄みをきかせた美神さんが気圧されてつい、まあそんな人もいますよねなどと言い訳をする。
ヒャクメ様はなんで相づちうってるんだろう、アンタ神様だろ。
やいのやいのと、除霊が終わった安心感か、馬鹿な話をして、少し。
俺も美神さんも片付けをすっかり終え、車にまた乗り込むときふと美神さんがつぶやいた。

「苦労したわよ。おバカとお間抜けで、騒がしいし」

「ひどいですねー。美神さん、まんざらでもなかったくせに〜」

ヒャクメ様の言葉に、美神さんが反応する。

「ちょっと、あんた」

「おばかとお間抜けで騒がしいけど退屈もしないわね、とか思ってたくせにー」

にやつきながら意地悪く言い逃げ回るヒャクメ様を、美神さんが追いかけ回す。
勝手に心を読むんじゃない、と神通棍を振り回す。
あたりじゅうの木の枝が飛んでいってるのは、見なかったことにしておこう。


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帰り道、空はどんどんと明るくなる。
今の時期の光は優しくて、柔らかい光が染みこんでいくみたいに変わっていく。
月がまだ西の空に見えていて、それを太陽が許してる。
そんな感じだ。
おキヌちゃんがだったら、どういうかな。
お月様がぬくそうですねー、なんて言うんだろう。
この半年、幾度となく考えた事をまた繰り返して、一人笑うと運転席から声が飛んだ。

「なによあんた、気持ち悪いわねー」

バックミラーに視線を合わせ、こちらを覗いてくる。
助手席のヒャクメ様もつられてこちらを振り返る。

「大丈夫? 今日はこれから新学期、横島君は新学年なのね〜。頭弱い子が先輩だなんて、かわいそうな後輩たち・・・」

「誰が頭弱い人ですか、誰がっ! あのねー、ヒャクメ様。俺だって、もう朝帰りには慣れましたよ。普通に授業だって受けられますよ」

「そう、ならいいんだけど〜」

「で、あんた何笑ってたのよ。まさか進級できて嬉しいとかじゃないでしょう」

車がしゅんしゅん進む。
短いトンネルが断続して、時折耳が詰まる。
ぱぁと開けた下りカーブの先に、大きい岸壁が立つ。
遠目にそれを見ながら、俺は答えた。

「いえ。特に何が可笑しかったって訳じゃあ」

「・・・そんな薄笑いで言っても説得力ないわよ」

「おキヌちゃんの事でも考えてたのね〜」

「視ないでくださいよ」

「そんなの、力を使うまでもないのね〜。横島君、煩悩魔神だから根が素直だしー。なにしたい、あれしたいって、すぐ顔に出るのね〜」

おちゃらけたヒャクメ様に言い返そうとして、でもうまい反論が出てこない。
真実本当のところをつかれたのだし、別に嘘を言う必要も無い。
でもちょっとだけ、この気持ちは隠しておきたかったとも思う。
だからすこしだけ、ずれた答えをした。

「いや、朝飯。ちゃんと食べなきゃなって。おキヌちゃんにも言われましたしね」

「・・・そっか」

「・・・おキヌちゃんに会いたかったり、する・・・のね? 」

ヒャクメ様のつぶやきに、つい体を堅くする。

「いえ」

「横島君、そればっかりなのね〜。なんでおキヌちゃんが今どうしてるのか、聞かないの? 」

もっとも、と言えばもっともな問いかけだと思う。
気にかからない、と言えばそれは嘘になる。
だけど、俺は彼女が元気だと、それさえ聞けば十分だった。

「いつも様子を見に行ってくれて、ありがとうございます」

「一昨日だって、行ったのね。それで、ね」

「俺は、おキヌちゃんがみんなに可愛がられてるなら、それで」

それだけ言うと、ヒャクメ様も口をつぐんで。
また車内は静かになる。
高価なこの車は、エンジン音すら外の世界のことにする。
俺はシートに背中を預けると、あの日の病室を思い出す。
あの時は、もっとずっと静かで、空気が張り詰めていた。


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「まずい」

「駄目ですよ、ちゃんと食べなくちゃ。精がつきませんよ、お昼はあんまり食べられなかったんですし」

めっ、とおキヌちゃんが注意するのはいつもの癖だ。
戦いの後眠りっぱなしで、起きたかと思えば昼はパン粥しか出してくれなくて、お腹は空いてるんだけどさ。
病院食だから味も素っ気も無いのはわかってるけど、もっとこう、美味しいのが食べたい。

「はい、口を開いて」

「いや、それは勘弁して」

「さっきから箸を置きっぱなしじゃないですか。食べられないなら、食べさせてあげますから。ほら」

あーんとして、とおキヌちゃんは大真面目に卵焼きをつまんで口元に運んでくる。
誰もいないからいいけど、絶対ピートやタイガーには見せられんな。
あいつら、部屋から出てこねーだろな。

「あーその、さ。おキヌちゃん」

「なんです? 」

「口が肥えちゃって、さ。この半年で」

「え? 」

口元に卵を差し出したまま、きょとんとしてる。

「おキヌちゃんが美味しい物作ってくれるから、どうにも病院の食事が口に合わなくて」

「・・・なに贅沢を言ってるんですか。ほら、残しちゃ駄目ですよ」

もう一度差し出された卵焼きを、俺は素直にほおばった。
顔が真っ赤になるのが自分でも分かる。

「ほら、美味しいでしょ」

おキヌちゃんは言うけれど、やっぱり、おキヌちゃんの卵焼きの方が美味しい。
おキヌちゃんは、小松菜をつまんで、また口元に寄せてくる。
その時何か言おうとして、口を閉じて、一度目を伏せる。

「どうしたの、おキヌちゃん」

「横島さん・・・」

はい、と俺に食べさせてくれた後で、おキヌちゃんは手元を見たままで言った。
それは、さっきからお互いに言おうとしてずっと言えなかった事、言わなくちゃいけなかった事。

「・・・あたし、もうお食事作ってあげられないんですよ」

「わかってるよ・・・」

おキヌちゃんは、明日御呂地村に帰る。
そして、結界の中心で、また動力源としての役目を果たす。
俺は、退院すれば一人暮らしに戻る。
いや、本来そうだったんだから、別にそれはおかしい事じゃない。
お互い、普通の。
自分がいた所にもどるだけ。
それだけ、だ。

「はい・・・」

俺への返事だったのか、単に差し出す合図だったのか。
おキヌちゃんがそっと口元に煮付けを運ぶ。
最後に残ったそれを、俺はぱくりと一口にした。
すっかり冷めた魚は、やっぱり、不味かった。

「ごちそうさま」

「はい、お粗末様でした」

別におキヌちゃんが作った訳でもないのに、交わしたのは普段の挨拶。
いつもなら、それからまた二人で喋る。
美味しかったよと、そうですかと。
今日あいつがさ、と俺。
帰りの商店街でおじさんがおまけしてくれた、とおキヌちゃん。
今度レンタルビデオ屋に行こう、と俺。
洗濯物の数が合わない、とおキヌちゃん。
その内決まって二人で笑って、他愛ないごく普通の会話。
それが楽しみで、窓を開けはなしているのにも気づかないで話していたこともあった。
でも今日はそれきり言葉が切れた。
おキヌちゃんがかちゃかちゃ食器をまとめて隅に置いたきり、また部屋に沈黙が訪れた。
もっと何か、こう話すことがある。
回らない頭なのは分かってる、でも今日は、今日はとにかく何か。
考えれば考えるほど、堂々巡りになっていく。
話したいことは山ほどある。
だけど、その中から何を話せばいいんだろう。
元気で、いつでも会いに行くよ、結界の中ってどんな感じ、山の夜って。
ああ駄目だ駄目だ、そうじゃない。
俺が話したいのは、こんな事じゃない。

「横島さん? 」

おキヌちゃんが、俺を見る。
じっと、見ている。
頭に浮かぶのは良いことばかりで、悪いことだってあったはずなのに、そんな事はどこかに吹き飛んでいってしまった様で。

「行かないでくれ、ってのは・・・言っちゃ、いけないよ・・・な」

口に出してから、そんな事を言う。
おキヌちゃんは、顔を上げない。
その代りに、細い指先を俺の左手に添えて、つぶやいた。
困らせないで下さい、と。
添えられた手は震えていて、俺は震えを止めようと、右手を重ねた。
震えが今度は体に移ったのか、ひっく、えぐと段々肩を振るわせる。

「横島さんっ・・・」

俺に出来たことは、手を握り続けることくらいで。
じっとおキヌちゃんと向き合っていた。
不意に出会ったあの日が蘇ってきて、俺も泣きたい気になった。
でもなぜだか、おキヌちゃんの様には涙が出なかった。
なんで、この娘が。
重く冷たい感情が、体まで支配してしまったみたいだった。


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「始業式遅れずにね〜」

「はい、ありがとうございました」

「寝坊なんてしないようにね」

今日は事務所に帰らずアパートまで送り届けて貰って、少しでも睡眠を取ることにした。
さすがに新学期の頭から、眠っている訳にもいかない。
あれ、ヒャクメ様はどうするんだろう。

「私は公欠願いを出しているから、大丈夫なのね〜」

「あたしもこれからゆっくり朝寝よ。学生は頑張りなさい」

「ちくしょう、お気楽社会人どもめっ」

じゃあねー、手を振ると美神さんたちは車を飛ばし帰って行った。
思わずため息をついて、仕方ないなと部屋に向かう。
カンコンカン、アパートの階段を上がって部屋のドアを開ける。
玄関には、昨日出し損ねた燃えるゴミの臭いが漂う。
ゴミ箱でまとめてあるけれど、もう秋とはいえ時間をおけば仕方ない。

「やっぱ一人だと、細かいところで気が回らないなあ」

靴を抜いで、部屋の窓を開け放す。
朝特有の湿り気を帯びた、でも爽快な空気を取り込む。
万年床に腰を下ろすと、カーテンをそよそよ揺らして風が通り抜ける。
事務所と同じように、すっかり雑然としてしまっていた。
窓からは外の街が起き始めた様子が、いろんな音になって飛び込んでくる。

「美神さんの事を強くは言えないんだよなー」

ぱぱっと服を脱いで下着になると、横になる。
朝日が普段は見えない、舞い上がった埃を映し出して、その量の多さにちょっと驚く。
掃除しなきゃなと思いつつ、つっかけ棒に制服が吊してあるのを確認して、少しの間目を閉じた。
体が一晩の疲れを感じていた。


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「あー、今日あたりはちょうど満開かー」

桜並木通りを歩く。
去年のこの時期(陽春と言うんだそうだ)も、花の盛りを見ることが出来た。
とんとん歩くと、花びらがひらひら舞い散る。
手のひらに受けてみれば、淡紅色の花がとても綺麗で、甘い香りがした。
おキヌちゃんは初めて見るこの桜、染井吉野をずいぶん喜んでた。

「綺麗ですー、なんつって暢気に飛び回ってたよなあ」

行き交う人たちに当たらないよう注意しながら、時折止まっては上を見上げる。
枝いっぱいに咲く花、漏れる日の光はきらきらとして、優しい。
ごわごわして堅い幹も気のせいか落ち着いているみたいで、そっと手をあてて感触を確かめると、案外と暖かかった。
どっしりと構えた根っこは去年と何も変わらなくて、来年もきっと花をつけるんだろうと思わせる。
去年も、今年も、そして来年も。
この桜はここにいて、花を咲かせる。
それが嬉しい。

「・・・って、なんだろうな。五月病にはまだ早いか」

いつになくおキヌちゃんの事が頭に浮かんで、見るもの聞く物、思い出が蘇ってくる。
寒い冬を超して息吹く春を楽しみにしてた。
おキヌちゃんの言葉も、多少は分かるようになったのかね。
冬か。
この半年、俺にとってどういう時間だったんだろう。
おキヌちゃんがいなくなって、寂しくなるとか落ち込んだとか、なにかしら漠然としていたとか、そういった事は無かった。
むしろ、いなくなってからの方がおキヌちゃんの存在を感じる事が多かったかもしれない。
彼女が元気で頑張っているなら、俺も頑張ろう。
単純な考えだったけど、それが俺にどれだけの活力を与えたかしれない。
じゃないと、元々無かった上に更に落ち込んだ霊力で六道に居続けようなんて思いもしなかったろう。

「美神さんも神父も、ついでにクラスの連中もしごいてくれたからなあ・・・。全く、いつか覚えてやがれ」

桜並木を抜け、学校が遠目に見えてきた。

「おはよーございます」

「おはよーでゴワス」

ピートとタイガー、こいつらとも結局腐れ縁だ。
あの夏の戦い以来、急激な成長をして今じゃ学年のトップをひた走ってる。
地道に、授業もバイトもこなしてこその成果だってのはみんな知ってるから、やっかみはあんまり聞かない。
もちろん、各人の能力に特性はあるから無敵超人って訳でもない。
負けるときはあっさり負けるし、二人が負かした相手だっていつまでも黙ってる訳じゃない。
でも面白いのが、最近じゃピートの熱血バカっていうのか3枚目ぶりも知れてきて、俺を含めておばかトリオって言われてるのをピートは知らない。
俺とタイガーはあえて教えていない。
それを知ったときのピートの顔が楽しみだから。

「おう。おはよう」

周りを見れば、新品の制服を着込んだ、いや制服に着られた連中がとてとて同じ方向に歩いてく。
普通科だか霊能科だか知らないけど、新入生達だろう。
どきどきしているんだろうけど、大丈夫。
去年の俺以上の事なんて、そうそうあるもんじゃないから。
それでもやっていけてるんだから。

「な、ピート、タイガー」

「なんですか? 」

「どうしたでス? 」

「ちょっと、歩道の真ん中を並んで歩いてみようぜ」

「えっ? 」

「あ、なるほど。面白そうジャケン」

ピートの腕を引っ張って、3人で並んで歩く。
そこのけ、そこのけ。
おばかトリオが練り歩く、ってか。


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「結局ピート達とまた同じクラスか。まあ、男子が少ないから3年間変わらないだろうとは思ってたけど、そのとおりになりそうだな」

「それはまあ、そうでしょうね。でもいいじゃないですか」

「そうジャノー。気の置けない連中と一緒の方が、楽しいですケン」

始業式の後、車座になって。
新しい教室で、いつもの様に話をする。
学年が変わったからと言って、何が変わることも無い。

「また横島君と一緒のクラスだなんて・・・」

「ねー。セクハラで退学にしてって理事長にあれだけ言ったのにねー」

「夏の時、ちょっとでもかっこいいと思った私がバカだったわ」

「おキヌちゃんがいなくなった途端にこれだもんねー」

「横島さん・・・」

「いいんだ、ピート。何も言うな」

そうさ、変わりゃしないんだ。
泣いてなんか無いぞ、ちくしょう。

「おーい、席につきやー」

ドアが、かららと開く。
新担任の鬼道先生が入ってきて、皆ばたばた席に着いた。
つり目の式神使い、実践的な授業でよく教わる。

「顔は知っとるやろから、挨拶は抜きや。早速、2学年からの履修課程について・・・」

要はちゃんと授業を受けてれば良い訳で、覚える必要もない退屈な指示が続く。
うすぼんやりした教室に、そよ風が入る。
新学年の始まりは、ずいぶんと大人しい。
つい頭をかっくんとうつらうつらする。

「横島さん、聞いておかないと後で分からないことも出てきますよ。2年から選択科目も・・・」

この声はピートか。
大丈夫、大丈夫。
俺が聞かなきゃ、お前が聞いといてくれるだろ。
だから、俺は安心してられっし。
あーやばい。
風が気持ちいいな。
目を閉じて少し、ピートの声が遠くなる。

「横島さん、横島さん。起きてください、遅刻しますよ」

肩をゆさゆさ、その動きに目がゆっくりと開いていく。
なんだよ、ピート。
そんなに揺すらなくたっていいだろ。
って、あれ。
遅刻なんかしないぞ、ここ学校なんだし。
張り付いたまぶたを開けて、薄ぼんやりとした視界に黒髪の巫女さんが映る。

「ほら、いつまでも寝ぼけてないで顔を洗ってきてください。もう朝ご飯出来ますよ」

それだけ言うと、おキヌちゃんはふよふよキッチンに飛んでいく。
戻っていく後ろ姿を見て、しばらく惚けてから気づく。
ああ、これは夢だなと。
まさか朝飯食べたくて、こんな夢になったんかな。
まあ、たまに疲れたようなとき、不意に脈絡も無くこんな夢を見る。
内容は決まって、いつもの暮らし。
別に驚きはない。
ご飯を食べてるときとか、学校で授業を受けていたときの事とか、そんなのばっかりだ。
なんでも無いことを話して、洗濯やら掃除やらして、お昼に屋上で休んでいたりしているだけ。
振り返れば彼女がいて、その距離が心地よかった。
それを確認したいんだろうか、俺は。
同じ様な夢を見る度に、自問自答する。
つと、まどろんだ意識の中でおキヌちゃんの声を聞く。

「ほら、冷めないうちに食べちゃってください」

「・・・あ、ああ。ごめん。うわ、今日の卵焼きおいしそー」

「今日も、ですよ」

さっと皿を取り上げる。
わざと頬をぷくうと膨らませて、そんな事言う人には食べさせてあげません、とすましている。
こういう時。
俺は決まってごめんねって言って、おキヌちゃんも決まってじゃあ許してあげます、って言うんだ。

「じゃ、許してあげます」

実は今日のはとっても具合良く焼けたんです、と笑いながら進めてくる。
醤油をちょっとたらしてほおばれば、自然と笑顔が浮かぶ。
おキヌちゃんは、それを見て一緒に笑うんだ。
その笑顔を見て、俺は胸がつまって、つい箸を置いた。

「美味しくなかったですか? 」

おキヌちゃんが、顔をのぞき込んでくる。
え、あれ。
俺がおキヌちゃんの卵焼きに文句つけたことなんか無いぞ。

「そんな顔しないでください、横島さん」

「おキヌちゃん・・・? 」

「元気出して、横島さん」

あたりが暗転する。
暗闇の中に、おキヌちゃんの巫女服だけが浮かび上がる。

「横島さん、頑張ってるじゃないですか。もっと胸はってください」

「頑張ってる・・・のかな。俺、霊力も弱くってさ。それなりにやってはいるけど、からっきしでさ。おキヌちゃんに会った時、がっかりされなきゃいいんだけど」

徐々にその暗闇すらぼやけ、おキヌちゃんが吸い込まれていく。

「がっかりなんかしませんよ。横島さんに会えるのを、楽しみにしてますから。・・・全然、来てくれないんだもの」

「・・・ごめん」

「ふふ。でも、許してあげます。私たち、今を生きているんですもの。時間はたっぷりあります」

「おキヌちゃん・・・」

「生きているって、すばらしいです。横島さんに会うのも楽しみ。横島さんにあれこれわがままも言っちゃいますから」

暗闇があたりを覆い尽くそうとした時、最後にまた声が聞えた。

「だから、絶対。また会いましょう」

おキヌちゃんにまだ言いたいことがあって、つい手を伸ばす。
暗闇でガンと、手のひらに堅い物が当たる。
目を開いてみれば、チョークが突き刺さっていた。

「なんや、うまいこと避けよったな。まあええわ。ぼけっとしとると、次は式神でいくで、横島」

あ、やっぱり教室だったか。
みんなが、タイミング良くチョークを止めた俺を驚いた目で見てる。

「・・・ふぁい。鬼道先生みたいに冥子さんの式神に巻き込まれない様、気をつけます」

「な、お前なっ」

「ぷっ」

「あはははははっ」

すぐに教室が笑いに包まれる。
やっぱり騒がしくなくっちゃ、この連中といるって気がしない。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


昼下がり。
早々の下校となって、俺はバイトに備えて家に向かった。
出歩いている人は少ない。
まだまだみんな、慌ただしいのだろう。
俺は、俺で。
また夜に備えて寝て、夕方に事務所に行って、それから除霊の手伝いをして。
すっかり体も慣れた毎日を、なんとかこなしている。
少しでも、前に進んでおきたいから。
3歩進んで2歩下がる、なんて事をやっちゃってるけどさ。

「ま、ぼちぼちと」

桜並木通りに差しかかる。
満開にしては珍しく、ほとんど人もいない。
さすがに昼下がりだと、誰も見に来る様な人はいないのかね。
朝とは違ってゆっくり歩きながら、上を見上げる。
さわさわ揺れる枝から、いくつかの花びらが舞って落ちる。
ひらひら、ひらひら。
花のにおいに誘われて、今度は、ガードレールに座ってみる。
なんでだろう、見ていて飽きない。
桜の下には死体が埋まってるなんて誰かが言っていたけど、本当かも。

「さて、じゃ」

のんびりしすぎて、時間も経ったし。
ちょっと急いで行きますか。
よ、と立ち上がろうとして片足をついた所に、横から来た人とぶつかる。
ドンと一緒に、道に転ぶ。
いけね、派手にぶつかったな。
俺が下で良かった、のか。
大丈夫、そう言おうとして口がふさがっている事に気づく。
すぐ前にはくりっとした目。
鼻と鼻が触れる距離で、髪が頬を撫でて。
上になった人の、唇が重なってた。

「えっ・・・」

上の人が、手をついて起き上がる。
口元を抑えてうつむいてるのは、女の子みたいだ。
俺も俺で驚いて、横になったまま上半身だけ起して、彼女を見た。
腰までかかりそうな長い髪に隠された顔は、よく見えない。

「あ、そのっ。これはですね、不可抗力と言いますか・・・」

どういったものやら混乱して、身振り手振りであれこれとしようとして、結局やめた。
わなわなとしている女の子が落ち着くのを待った。
少し経ったろうか、顔を上げたその子の頬は赤く染まってた。

「えっ・・・」

でも、それ以上に俺は驚いて目を見開く。
心臓が飛び出そうな息をする。
鼓動が早くなっていくのが分かる。

「あたし・・・あれ、なんで・・・? あれ、あれ・・・」

艶のある黒い髪。
小さくて血色の良い唇。
すっと通った鼻。
隙間からわずかに覗く耳。
きょとんとした、目元。
ようやく全部がまとまって、目に映る。
この娘は、この娘は。
そうさ、この娘は。

「桜が・・・綺麗で、つい見上げちゃってて・・・。それでぶつかって・・・あれ。なんで、なんであたし・・・? 」

彼女は、ぼろぼろ涙をこぼす。
右手で唇を押さえて、泣いていた。
頬を伝った涙が、ズボンを濡らす。
俺は彼女の手を取って、ぎゅっと握ってその手を確かめる。
彼女は驚きながらも手を引くことは無くて。
自然両手で包み込んで、もう一回確かめる。
やっぱり。
どれだけ握っても、やっぱり。
あったかくて、やわらかい。

「おキヌちゃん・・・」

ぼろぼろぼろぼろ、俺も涙があふれ出す。
そのうち鼻水も出てきて、しゃっくりもして、もう何が何だか分からない。
目の前にいるはず、こんなに近くにいるはずなのに、まともに見られない。
確かに伝わるその感触が、彼女がここにいるんだと伝えてくれる。
手はじっとして動かない。
涙が伝った頬に花びらが張り付いて、それでも俺は泣き続けた。
かっこわりい。
おキヌちゃんも、困ってるだろな。
まるっきり怪しい奴だよ、俺。
だけど、なんか。
手がさ、ちっちゃいんだ。
指が細くって、強く握ると壊れちゃいそうなんだよ。
だから怖くて、俺は手を離す。
離して、今度は。
おキヌちゃんを捕まえた。
ぎゅっと、両手でぎゅうっと。

「きゃっ・・・」

短い言葉の後に、おキヌちゃんの力が抜ける。
ずっと、お互い泣きやむまで。
そのままで、いた。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


「あたし、あなたと・・・会ったことが、ある・・・のかな・・・」

おずおず、おキヌちゃんが声をかけてくる。
握った手から左手を、右手を離して、涙と鼻水をすする。
制服が汚れてるのに気がついて、あわててハンカチを取り出すと、目の前にはもう一個。
ぼやけた視界で見てみれば、不思議そうな、困った様な顔をしたおキヌちゃんがいた。
自分の顔もひどいことになってるくせに。
大丈夫だよと、鼻水と涙を拭いた。
おキヌちゃんも同じように、頬をふいていた。
目元はまだ、潤んでいる。

「会ったこと、あるよ。そうでなきゃ、名前を知ってるわけがないだろ? 」

「やっぱり・・・」

何かを言いかけて、おキヌちゃんは口ごもる。
そんな彼女を見つめていると、散っていく桜の中で、髪に花びらが乗っていた。
指でつまんでも、それはやっぱりただの花びらで。
桜並木を望んでみれば、遠くに見知った人たちがいた。
美神さんと、ヒャクメ様だ。

「・・・ちぇっ」

美神さんはボンネットに腰をついて、こちらを見て笑ってる。
ヒャクメ様は、助手席から手を振ってる。

「ヒャクメ様に、連れてきてもらった? 」

「あ、はい・・・。あたし、ずっと眠ってたって。それで、前の記憶がほとんど無くて」

良く来たところにいけば変わるかも、って連れてきてくれたんです。
そう、おキヌちゃんが言った。

「・・・ヒャクメ様とも、お知り合いなんですか? あの、美神って人とも」

ようやく気づいたのか、おキヌちゃんが問いかける。
俺はそうだよと答えると、手を取って立ち上がらせた。

「あの人達はね、前からの、知り合い。おキヌちゃんとも、ね」

「そうですか。ごめんなさい、思い出せなくて」

「気にしないで。いつかきっと思い出すよ。時間はたっぷり、あるんだからさ」

あれ、今朝の夢でおキヌちゃん言ってたよな、これ。
今を生きてるんだから、って。
そっか。
なにも、難しい事じゃないんだよな。

「あ、あの! 」

「なに? 」

「そ、その。お名前、聞いてもいいですか? 」

もじもじ見上げるおキヌちゃんに、ちょっとだけ意地悪をしたくなって。
ついこう答えた。

「・・・教えない」

「・・・ひどい」

見上げたままで、ゆっくりと目がつり上がる。
頬がぷくうと、膨らんで。
あ、これは怒ってるな。
相変わらず、わかりやすい。

「いきなり人のく、く、くちびる・・・奪っておいて、ぎゅうってしておいて、名前も教えてくれないなんて! 」

「いや、あれは不可抗力」

「駄目ですっ! あたしの事も知ってるくせに、お嫁に行けなくしておいて、そんな事言うなんて! むー。あたし、決めました! 」

「え、いや。あのね」

びっ、と指を突きつけておキヌちゃんが宣言する。

「一生ついていきますから! 責任取って貰いますっ! 」

顔を耳まで真っ赤にして、はっきりと言い切る。
でもその目は泳いでいて、助けを求めるように俺を見る。
それが本当に可笑しくて、俺はどうにも止まらなくて、さっき泣いた分全部取り戻してやろうと高く笑った。
ちっくしょう。
くやしいよなぁ。
全くさ、俺の周りはこんな連中ばっかりで。
そして、今。
おキヌちゃんが、いる。
泣いて、怒って、恥ずかしがって。
あったかくて、やわかくってさ。
責任とってって、声大きくして。
だからさ。
桜の花全部揺り落としてやりたい程、本気で想う。
きっと。
きっと。
君と。
極楽な生活は送れるんだって。


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ども、とおりです。
まず、この作品の着想をさせていただいた、たかすさんはじめ、校正に多大なご協力をいただきました方々、そして読んでくださった皆様に、深く感謝をいたします。
皆様無しに、この作品はありませんでした。
本当に、ありがとうございます。

足かけ5ヶ月(3話テンポよく投稿して、2ヶ月ずつ間が空きましたが・・・)、ようやっと完結いたしました。
初めての中編執筆でしたので、もうあっちこっちぶつかって転がって、の繰り返しでした。
ですけれども、中長編を書く楽しみも少し分かった気がします。
へとへとになるまで力を使いますけど、ね。

さて、最終回終わりました。
今後どうしようか、考えましたらば、やっぱりこの物語を書いていきたいな、今はそう思います。
自分で作っておいてなんですが、私はこの世界観が好きらしいです。
エピソードを足していく形で、最初の構想でもあった「時系列に捕らわれない様々な短編」として、少しずつやっていけたら、と。

毎回毎回のご挨拶ではございますが。
もしかしたら、来年になるかもしれません。それとも明日になるかもしれません。
読者様には、ゆるーーーーーく、ゆるーーーーーーーーく、お待ちいただければと思います。
では、またまた!
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