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▽レス始

「極楽な生活!その4 〜神楽を舞うは〜 (GS再構成)」

とおり (2006-07-09 23:09/2006-07-17 22:37)
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ようやく朝日が顔をのぞかせ始め、黄色い日が砂浜を照らしていた。
ほのかな陽光はかすかに影を長くし、夜の間に暗く染まったあたりを明るく変えていく。
ゆっくりと色を濃くしていく太陽。
だけれども、死津喪比女と名乗る妖怪が隙間無く俺たちを取り囲んだこの状況で、夏の盛りを愉しんでいる暇は、なさそうだった。


「死津喪比女…? 記憶に無いわね、そんな妖怪」

神通棍を右手で構え、腰を低く落とした美神さんが呟く。
先ほどから死津喪比女と対峙し、見据え、微動だにしない。

「気をつけてっ! そいつが今回の霊団襲撃の中心です! 」

息をきらせて、百目先生が俺の横にたどり着く。
目じりや髪の色が変わったその横顔は、姿だけでなく、普段とは違い緊張で強張っている。

「攻撃の中心? 」

「霊団の攻撃がやけに組織的だったでしょ? その中心が、あいつ…」

断定した口調。
先生に、俺は聞き返す。

「そんな事がわかるんですか? 確かに、この状況ならそう思いますけど」

「簡単に言ってしまえば、余程特殊で無い限り霊の集団ってのは一番強い奴が指示を出すのね。私の神通力で覗いてみても、あいつには地脈の力が集中してる…」

先生の様子が変わった時にも聞いた、神通力という言葉に違和感を覚える。
赤ジャージを着た、いたずら好きな百目先生のイメージには到底似つかわしくない。
が、手をかざし目を細め死津喪比女を険しく見つめる先生に、俺もまた正面に向きなおす。
苔色の幼虫達の中で、朝日を弾いてびろうどに輝く死津喪比女はなお存在感を増している。

「おキヌちゃん、本当にあいつには覚えが無いんだね? 」

「その…はず、ですけど…。なんだろう、とても…不安…」

俺は肩越しにおキヌちゃんに言う。
背中に当てられた手から伝わる震えが、隠れるようにしているおキヌちゃんの緊張を物語っている。
その時、ざっざっと、砂浜を駆ける音が聞こえた。
こちらに走ってくるピートとタイガー、それに神父の姿が目に入る。

「ばかやろ、何してるんだよっ」

「ちょっと、こっちに来ちゃ駄目なのね〜」

百目先生も一緒に止めるが、ピートたちの足の勢いは衰えない。
すぐに俺たちの横に駆け込み、散開して美神さんと同じ様に身構える。

「何言ってるんですか、横島さん」

「そうじゃの〜、水くさい事は言わんとってくださいの〜」

夜通しだった除霊の疲れがあるのだろう、大きく肩で息をしながら二人が言う。
顔や体には、既に汗が浮かんでいる。
カッコつけやがって。
あの妖怪が強いだろうってのは、俺にだって分かる。
浜を埋め尽くす幼虫、指揮していたと言う霊団、それにも増して強烈な圧迫感。
好んで危険に身を晒す事なんて、無い。

「横島君、何も言わないでやってくれるかい」

俺の右すこし前に陣取った神父が、静かな、しかし熱を帯びた声で言った。

「ほっほっほ、人間と言うのは進歩の無い生き物よな。後ろのそやつらの様に、いつまでも群れ隠れているのが賢いだろうにのう」

ちらと後ろを見ると、皆が集合していた辺りに薄い水色の膜と言えばいいのだろうか、大きなドーム型の結界が出来ていた。
いくつかの点から霊力が放散されており、お互いに結びつきあって、広範囲をカバーしていた。

「大丈夫、あれは精霊石という強力な道具を使った結界だ。どれだけ強い妖怪であっても、そうやすやすとは破られない。それに、結界を展開する中心は六道女史だ」

遠目に、理事長が両手を合わせ集中している様子が見えた。
その周りや、ある程度距離が離れている場所で担任たちも同じ様に集中している。
クラスの連中や他の娘達は、一晩続いた除霊の疲れが抜けないのだろう、寄り合うようにしながらじっとしている。
神父の言葉と皆の様子に安心する。
だが、だからと言って目の前の困難が解決した訳じゃない事に歯噛みする。
そう、死津喪比女は不気味なほど悠然として動かない。

「さて、そろそろ最初に死ぬ者どもは決まったのかえ? 男一人女二人に子供が三人。なんとも心元無いのう」

一層胸を反らしたようにして、死津喪比女が言った。
包囲を狭める訳でもなく、かといって解くわけでも無い。
背中を滴り落ちる汗、早まる動悸、塊を吐くような呼吸、そして少しずつ登る日が、決して時間が止まってはいないと教えてくれていた。

「いや、女二人とはいえ一人は神族だからのう。そう侮れはせんか」

言葉とは裏腹に明らかに軽視している死津喪比女は、いまだ高見から見下ろしている。
だが、それ以上にその言葉は俺たちを驚かせた。

「神族!?」

神父を除き皆が同じ様に声を上げ、百目先生に視線が集まる。

「ふん、嫌味のつもり? 確かに私だけでは戦闘力はないけれど、人間達をなめるんじゃないのね」

死津喪比女に言い放つその姿を見てか、美神さんが呟く。

「神族…。なるほど、それであのテレパシーか」

神族。
伝承や授業で聞いた事はあるにせよ、その存在そのものは遠かったし、まして現実感を伴う様な存在じゃなかった。
言うならば地球のどこかの国でなにかの事件がおきたくらいの、繋がってはいるのだろうが自分には限りなく縁遠いもの。
その遠い存在が、今目の前にいる。

「神族って言っても、私は調査官だけどね」

自嘲した風に先生が言う。
いつもなら軽く笑い飛ばすだろう先生の、苦虫を噛み潰した様な表情から、今の状況への焦りが見て取れた。
死津喪比女は、いつでも俺たち全員を殺せるという余裕からか。
バイトで見る悪霊たちの様な無節操な凶悪さは、今のところ無い。
さんざめく蝉の鳴き声は日が強くなるに従い、勢いを増してきていた。

「あの妖怪…、あたしは前に見たことがある…? 」

ぽつりとおキヌちゃんが呟いた。
入り江に広がる砂浜に隠れる所など全く無く、せめてと姿を消している彼女が、しかし確かに言った。

「知っている? あいつが分かるか、おキヌちゃん」

「いえ…ただなんとなく、知っている様な気がするだけですけど…。あの禍々しい姿を見てると、なにか…。そう、あれは…植物が変化した…」

「植物が変化? 」

おキヌちゃんがこぼした言葉。
だが、その言葉を受けて百目先生が死津喪比女を視た。

「なるほど…。奴の足元の根は、確かに植物の根と一緒。もしかしたら奴は、幹とか花とか、そう言った類の変化なのかも…」

「植物の弱点…。じゃあ、どうにかして枯らす事も出来るって事ですか」

植物であれば、当然養分や水分が無くなれば次第に枯れていく。
その他にも、変化とはいえ弱点は共通するはずだ。

「ふん、枯れる…か。忌々しいものよな」

眉を吊り上げおキヌちゃんを睨みつける死津喪比女から、一気に圧迫感が増す。

「だがの。匂いをかぎつけて顔を出してみればお前がそこにいたという事は、これはすなわち天の意志じゃ。わしに、お前を滅ぼす機会を天が与えてくれたと言うことじゃ」

「おキヌちゃんを滅ぼす機会…?」

「どういう事、おキヌちゃん横島君」

滅ぼす機会を与えてくれた、そう話す死津喪比女の狙いが、今ひとつ見えてこない。
美神さんは、俺たちだけに聞こえるように囁く。
だがおキヌちゃんがはっきりと覚えていない以上、俺にはわかる事はない。
だけど死津喪比女がおキヌちゃんにこだわってるのには、なにか理由があるはず。

「…あんたはあんたに出来る範囲で、おキヌちゃんを守る事に徹しなさい。いいわね」

「はい」

美神さんの短くも力強い言葉に、異論は無かった。
出来ることなんてタカがしれていたし、足も震えていたけれど、なぜだろうか逃げ出す気にはならない。

「忠夫さん…」

不安げにか細い声で喋るおキヌちゃんを背中に感じて、俺は足をしっかりと踏み込みなおした。
砂が踏み込んだ足の甲までかかり、まだ砂に残る湿り気でひんやりとしている。

「ピートは神父の指示に従って。いいわね」

「はい」

「タイガーは百目先生と、テレパスを継続。適時、応戦して」

「了解ですジャー」

美神さんは二人に指示を出し、神父もまた、背後に廻るよう手で指し示す。
だけれども、除霊慣れしているプロの二人はともかくも、先ほどまで未体験の除霊をしていた俺たちは、息が上がっている。
ようやく体が落ち着いてきた位で、とてもではないが砂浜を縦横に駆け巡るなんて、出来ないだろう。
ビルや森での除霊なら、いくらでも隠れる場所も利用できる障害物もあるが、一面平らな砂浜で、後ろは海。
美神さんならいざ知らず、俺には反則技すら思いつかない。

「後、百目…先生。いや、ヒャクメ様と言った方がいいかしら。さっきまでのあのよく分からない多角視点じゃないけど、あなたの神通力でなにかあいつの弱点を探れない? 」

「駄目なのね〜。霊視はずっと続けているけど、あいつの力の光が強すぎて眩しくてよく視得ないのね」

「力の光? 」

聞きなれない言葉に、美神さんは聞き返す。

「美神君、神族は我々と違って霊力にピントを合わせてものを見る。だから、過剰な霊力を目の当たりにすると発光したようになってしまうんだ」

「…分かったわ、先生」

冷静な神父の声が、こうも頼もしく聞こえるのは、不安の裏返しだろうか。
過去に神族と接触があったのだろうか、隙なく、じりじりと足を摺り寄せ前に進みながらも、美神さんにそう伝える。

「視得るのは、あいつは地脈の養分、つまり霊力を吸い取って力に変える妖怪って事だけなのね。ただ、この辺りは地脈の集合点にあたるけど、その割にはまだ力が弱い気がする。なんだろう、なにかおかしいのね…」

「OK、そこまで分かれば上等よ。なんだか知らないけど、要するに私たちがシバキ倒せばいいって事でしょ」

「それはまあ、そうなんですが〜」

美神さんの気質を表した豪快な言葉に、百目先生は苦笑いしている。
だけど、俺には美神さんの態度がよく分かる。
弱みを見せるな、強気でいろ。
ハッタリはかましてなんぼ、何をしようと最終的に勝てばいい…。
除霊の時に美神さんが口をすっぱくして言っている事だ。
強力な悪霊や妖怪、悪魔などにつけ込まれる隙を見せず、いかにこちらの土俵に相手を引き込んで戦うか。
それは人間は基本的に、霊的な存在に対してとても弱いから。
だからこそ身を守る術を考えて考えて、考え尽くさないといけない。
一見傲慢で不遜な態度とさえ言える強気さで除霊に臨む美神さんの裏には、そんな真摯と言っていい考えがあるのを、果たしてどれだけの人間が知っているのか。

「ふん、こそこそと何を話しておる。わしとどう戦うかの算段かえ? 無駄な事よの」

死津喪比女が根を蛇の様に波立たせ、静かに歩み寄る。
その両脇には掻き分けた砂が小高い壁を作っていた。
美神さんは神通棍を構えなおし、先生、神父やピート、タイガーもそれぞれに息を整える。
それぞれの緊張や高揚する心が、テレパスで伝わってくる。

「小娘。おキヌ、と言ったかの。わしが滅ぼしたいのはそなたじゃが、暇つぶしに人間達と遊ぶのもそろそろ飽きた。後ろの者どもをも含めて嬲り殺してから、お前を貫くとしよう」

「ふん、人間をなめんじゃ―」

美神さんが口を開いた、その時だった。
かすかに死津喪比女の指が動いたかと思うと、胴体から弾けるように腕が発射された。
構えた神通棍をへし折ると、腕が美神さんの首をつかみ、そして一気に引き寄せる。
俺たちはぴくりと動く事すら、出来ない。

「な、にっ!? 」

「美神さん?! こんな一瞬で」

がっと血を吐くようなうめき声を上げる美神さんの眼前に、死津喪比女の顔があり、案外と整った、しかし不気味に微笑んだ顔が俺たちの視界に映し出される。

「そなた…美しいの。まるで花の様じゃわい。小娘と縁が深いようじゃがの、さて皮をはいでやろうか、一思いに串刺しにしてやろうか」

形の良い唇から紫紺の舌がのぞき、美神さんの頬をゆっくりと嘗め上げる。

「それとも、わしが味わってやろうかいの。そなたの悲鳴を小娘にじっくりと聞かせてやろう」

「ちょ、調子に乗りすぎよ、この! くされ妖怪がぁぁっ!」

美神さんのイヤリングが光ったと同時に、激しい閃光と爆発音が轟く。
圧迫から解放され、地面に落ちた美神さんは受身を取ると、距離をとり態勢を立て直す。
死津喪比女は爆炎に包まれ、未だ見えない。

「精霊石三発同時は効いたでしょう? セクハラするには相手が悪すぎたみたいねっ! 」

「美神君、まだだっ」

神父の声が飛んだと同時に、美神さんの足元を長く、平たいツタが鋭くえぐり、砂と土が舞い散る。
横に跳ね交わした美神さんが再び砂にまみれた顔をあげた。
爆炎が引き、姿を現した死津喪比女は、人間であれば即死と言って良いほどの傷を負っていた。
左半身が吹き飛び、顔面、腕や肺、脇腹といった部位はひしゃげている。
空洞に沿って焼け焦げているのか、不自然な黒の縁取りが緑色の体に合わない。
だがその顔に湛えた薄笑みは消えておらず、ツタの葉脈も中心からすっと先端まで切れずに伸びていた。

「ふん…、また精霊石か。本当に人間とは進歩の無い生き物よな。せっかく咲いたわしの体をこんなにしおって…」

触覚の様なツタを振り回し、しならせて浜を叩き、所在なさげに震えると、動きが止まる。
体液らしき物も流さず、ただ爆発が体をえぐっただけで攻撃のダメージなど全く感じないのか。
残った右目が俺たちを睨みつけ、左右にゆっくりと動くと、瞼が閉じる。
潮の苦味が閉じ込められた風が通り抜け、匂いの濃さに思わず吐き気をもよおす。
吐き気が引いた時、再び死津喪比女が目を開けた。
鼻についた潮臭さが纏わりつき、取れない。
硬い表情で見下ろす死津喪比女から放たれた言葉は、俺たちにとって最悪の宣告だった。

「殺すか…」

死津喪比女は残り一本となった腕を高々と、太陽を指し示すかのように上げ、力を込めて振り下ろす。

「いけぇ、葉虫どもっ! 」

号令一下、先ほどまで身動き一つしなかった葉虫達が、嬉々として踊り一気に距離を詰め、大群が大津波となって迫る。
それは歓喜の声だったのか。
いらつく耳障りな鳴き声を上げ、太く鋭いハサミをがちゃがちゃと打ち鳴らす。

「みんな、いくわよっ! 」

視界を塗り替えていく漆黒、その巨大な圧力に美神さんは怯むことなく対峙する。
スペアの神通棍を構えると霊力を一気に流し込む。
限界まで伸び、負荷に耐え切れなくなった神通棍が生き物の様に曲がりくねり、光って砂埃を舞い上げる。

「いっくわよ! 」

手首をため腕を体に引き寄せ、そして勢いよく打ち込む。
猛獣を打ち負かす鞭が、乱舞して闇を切り裂いていく。
葉虫たちは勢いに怯んだのか、前進が止まる。
その隙を突いて、神父とピートが葉虫の群れに駆け込んだかと思うと、十字架を掲げ下から突き上げるように霊波を叩き込み、滅していく。
その動きに澱みは無く、踊る光の鞭と一体になって深い傷を葉虫たちに与えていく。
荒い息遣い、発する気合が海と空と山肌に吸い込まれていく。
その巨躯を駆り覆い尽くさんとする葉虫たちと、正に水際で食い止める三人の攻防が俺の眼前で展開される。
幾度も幾度も、果てることなく繰り返される攻防。
同時に頭に流れ込んでくる、美神さん達の視界が俺を恐怖させた。
容赦なくぶつけられる悪意、それは命を奪おうとする純粋な殺意。
冷静に、そして冷酷に弱点に狙いを定めて振るわれる攻撃に、一度でも絡め取られれば数で圧倒する葉虫たちに食い尽くされるだろう。
意識ごと持っていかれそうな、目まいのする感情に俺の足が笑い、血の気が引く。

「ふははははっ! もがけもがけ、人間どもっ! 」

高らかに笑う死津喪比女は、不気味な吹奏楽の指揮をしていた。
肩口からはじけた左半身。
残った右腕をまた引き上げたかと思うと、今度は正面に押し出すようにして、葉虫たちの速度を操る。
時に激しく、そして穏やかに。
止まったかと思うと、次の瞬間濁流となって、押し寄せる。
葉虫たちに先ほどの様な、逡巡は無い。
夜半の霊団達と同じ様に、全体が一つの生き物となって変幻する。
こちらもヒャクメ先生とタイガーのテレパスで連携しているとは言え、一晩通して続けた除霊の影響か、徐々にその動きを狭められ封じ込められていく。
徐々に、だが確実に攻防と言うよりは抵抗と、劣勢に追い込まれていく。
皮肉だが、俺たちにとっての命綱であるテレパスが、常に戦いの趨勢を頭の中に飛び込ませてきていた。

「ほら、どうした! 小娘の守りががら空きではないかっ」

笑った―。
俺には、確かにそう視得た。
死津喪比女のツタが、美神さんたちをすり抜けてこちらに跳ね飛んでくる。
とっさに両手で構えた破魔札に、霊力を注ぎ込む。
ツタが眼前まで迫った瞬間、起こった爆発に、自分自身が巻き込まれ倒れる。

「あっぶねー、くそっ」

飛ばされ、体を起こそうとして、くぼ地の様に凹んだ砂浜に手が沈む。
感じたのは、湿り気と生暖かさ。
不自然な滑りに視線を落とすと、白い砂が赤く染まっている。

「えっ? 」

ツタで切られたか、それとも破魔札のせいか。
俺の胸には、横一線の傷が付いていた。
だらだらと、血が滴り落ちる。
それをぬぐい、手の平を顔の前に持ってきて見つめる。
やけに血の赤が、まどろみの無いその色が、綺麗だ。

「横島君っ?! 」

視覚を共有する美神さん達から、声が上がる。
いけない、そんな振り返っちゃ―。
俺が声にしようと、口を開きかけたその瞬間。
俺を襲ったツタが、大きく弧を描き、三人の足を刈った。

「きゃっ! 」

「ぐわっ」

「がっ」

救い上げられたのか、体が一瞬浮いて、すぐに砂浜に落ちる。
さすがに美神さんと神父は神通棍や札でうまくいなしたが、ピートは足に傷を負った。
ふくらはぎから足首にかけて、俺と同じ様に傷が入り、血が噴出していた。
百目先生やタイガーの焦りが、頭をかき回す。

「ふははははっ! もろいものよのう、人間とは」

叫びとも思える、心の底からの笑いが、死津喪比女の全身を揺らしていた。
まるで捕食する為の獲物を、追い詰め、口を開こうとした野獣の様でもあった。

「忠夫さん、皆さんっ!! 」

「おキヌちゃん、姿を消しておくんだっ!! 」

「だって、血が…血が…。こんなにたくさんっ…! 」

おキヌちゃんは手で強く傷口を押さえて、必死で血を止めようとする。
だが、傷口に押し付けられた手を感じることは出来ない。
火照ったと言っていいだろう深い傷は神経をすら焼ききったのかもしれない。
うわごとの様に止まって、と繰り返すおキヌちゃんの顔には、大粒の涙がこぼれていた。

「やってくれたわね、こんちくしょうっ!! 」

美神さんがすばやく態勢を立て直すと、胸の谷間から隠していた精霊石をもぎ取る。
神父も走りこみ、祈りと共にロザリオに霊力を集中させる。
二人の霊力が収束して、飛び散りそうなほどに高まった時、美神さんが精霊石を空に向かって高々と投げた。

「神父! 」

「よしっ」

精霊石が上空で緩やかに止まりかけた、その時。
美神さんと神父がその霊力を精霊石に叩き付けた。

「ひとり子を与え、悩める我らを破滅と白昼の悪魔から放ちたもう父! ぶどう畑を荒らす者に恐怖の稲妻を下し、この悪魔を地獄の炎に落としたまえ!! 」

【伏せてっ! 】

美神さんのテレパスで皆が砂浜に飛び込む。
俺はおキヌちゃんを抱え込み、窪みに身を隠す。

「アーメンッ!! 」

精霊石が力を凝縮し、そして一気に拡散させた。
雲ひとつ無い蒼い空に、もう一つ太陽が出来たかと錯覚を覚える、白い閃光が轟き、力の奔流が火となって降り注いだ。

「グァァァァァァァっ!! 」

殺害の王子よ、キリストに道を譲れ―――。
神父の言葉が、蒼炎を飛び越えて聞こえてくる。
俺も少しは信心をしてみようか、そう思える程に火の壁は高く、気高いものに思えた。
浜を埋め尽くす炎を、死津喪比女の悲鳴が切り裂く。
顔を上げあたりを見渡すと、葉虫たちが次々に焼けていく。
根元から皮膚が剥がれ落ちるように、倒れ、お互いの体がぶつかりガラガラと崩れていく。

「全く、こんな派手なの隠してたなんて美神さんも意地が悪い…」

ふらつく足をどうにか踏ん張って、俺は立ち上がる。
しばらくは動けないだろうが、死津喪比女もただでは済んでいないだろう。

「忠夫さん…」

足元から聞こえる声。
膝の所におキヌちゃんの顔があった。
彼女の胸元には、俺の血がべっとりとまとわり付いていた。

「あ、ごめん―――」

「いいんです、いいんです…」

すぐにおキヌちゃんも立ち上がり、また胸に手を当て止血をする。
白の小袖が袴と同じ様に朱塗りになっているのを気にもせず、ひたすら手に力を込めてくれていた。
ぼろぼろと頬を零れ落ちる涙が、火に近いせいか、すぐに乾いていく。

「やっぱりあたし…あたし、また…こんな…」

「…また? 」

「そうです、あたしは…あたしは…」

泣きじゃくり、震えるおキヌちゃんの手に、俺の手を重ねる。
血でぬる付いた手は、少しだけ暖かい。

「あたしは、ずっと前…。あの妖怪を知っていた。知っていたはずなんです」

「死津喪比女、を? 」

俺を見上げるおキヌちゃんの顔は、強張っていた。

「ずっと昔に…あったんです、こんな事が…。あったんです」

ずっと昔。
元禄の頃、おキヌちゃんが人身御供になった時のことだろうか。

「でも怖いんです、怖いんですっ…! あの妖怪を、確かに知っているあたしを。きっと、死ぬ前の、いや死んだ後も持っていたはずの記憶が蘇ってしまえば。思い出してしまえば。あたしは…」

「おキヌちゃん」

「あたしはきっと、もうここにはいられない…。きっと忠夫さんの側には、いられなくなる。そんなのは、嫌っ…!! 」

届かない声。
俺は重ねた手に力を込める。
彼女の震えをなくしてやりたくて、痛がるだろうくらいに強く。
自分自身の血の暖かさが、彼女を繋ぎとめてくれる。

その時、だった。
勢いを弱めた火の向こう、崩れ落ちた葉虫たちの死体が折り重なるようにしていた場所から、ゆっくりと、しかし確実に立ち上がるモノがあった。
その影は、確かにさっき焼き尽くされたはず。
だが目に焼きついた姿は見間違えようも無い。
俺は、皆に伝わるように、強く強く思う。

「死津喪比女は、まだ…生きています」

「…ったく、しぶとければ良いってもんじゃないのよ」

美神さんもまた、ゆっくりと身を起こす。
海から吹き上げる風が、亜麻色の髪を、炎を揺らし、そして熱風となって山肌を焼く。
元より枯れかかっていた木々は次々火がつき、倒れ、波間に沈んでいく。
どさり、どさり。
海面から切れ間無く立ち上る音と共に、火勢が弱くなっていく。
空は太陽がこの爆発に驚いたのか、徐々に灰色に変わり、風は一層湿りを帯びてきた。
長かったのか、それとも一瞬だったのか。
どれだけの時間が流れたのか、俺にはわからない。
気付けば神父が、ピートが、ヒャクメ先生が、タイガーが、各々立ち上がり、一点を見つめていた。
やがて火の壁もなくなっていき、陽炎の向こうに俺たちと立ち向かうものが、はっきりと見えるようになった。
葉虫達は、もう一匹もいない。
体は火と爆風で更に焼かれ傷つき、背骨が胴と根を繋いでいるに過ぎない。
顔は溶けただれ、表皮がゴムの様にずり落ちている。
手も、その根もまた多くがただれ落ち、黒く炭化し、放射状に亀裂が入っていく。
ビシリ、ビキ、バキ…。
自分自身の体が崩れ落ちていく音は、確かに聞こえているはずだ。
だが、尚も歩みを止めようとはしない。
砂を掻き分け、ゆっくりと、だが着実に迫ろうとしているそれは、変わり果てた姿で、天を突くように叫んだ。

「人間が、人間ごときがっ、この死津喪比女をっ!! ようも、ようもやってくれたっ…!!! 」

既に溶け出していた眼球が、動くとも思えなかったそれがぐるりと動き、俺を、いやおキヌちゃんを捕らえた。
もはや表情すら作れない顔で、唯一口元が大きく釣りあがる。

「殺してやる、殺してやる、殺してやるっ!! 小娘、お前を道連れに、全てを終わらせてくれるわっ!!! 」

巨大な震動が空気を塊に変え、体に叩きつけられる。
浜全体が激しく、まるで突き上げる様に振動、いや地の底からの圧力に突き上げられ、震えた。
斜面の一角が崩れ、根ごと木々をなぎ倒し、滑り落ちる。

「きゃっ?! 」

「うわっ! 」

俺たちはあまりの事にまた倒れこみ、砂浜に手や足を突き刺し、自分の体を保持するだけで動く事も出来ない。
頭を上げなんとか逃れようとしても、指先から霊弾が雪崩れの様に打ち込まれる。
そしてその上から、狙い済まして死津喪比女のツタが振り下ろされる。
地震など感じないかの様に正確に、冷酷に、無慈悲に体を打ち抜こうと、砂を掻ききる。
霊弾をかわし、ツタを髪の毛一本ほどの隙でかわし転げまわる俺たちの目に、耳に、腕に、体に、幾度も幾度も切り付けては、放たれる。
やがてタイガーが、ヒャクメ先生が、ピートが、俺と同じ様に傷を負い、動くたびに浜が赤く変わっていく。
そして、俺もついに捉えられ―肩から胸の傷の上を切り裂かれた。

「がぁっ?! 」

胸がつまる。
苦しさに、筋肉が硬直して息も出来ない。
息をしようとする力となにかを吐き出そうとする力が均衡して、わけもわからないうめき声を上げ砂浜にひれ伏す。

「忠夫さんっ! 忠夫さんっ?! どうしてこんな、酷いっ…」

「がっ、はっ…。だ、いじょうぶ、だか…ら…」

「全然大丈夫じゃないですっ! なんで? なんであたし、何も出来ないっ?! あたしは、あたしはっ」

「おキヌ…ちゃ…ん…」

「守りたくてっ! もう誰にも、肉親を失って悲しんで欲しくなかったからっ! この命を皆の為に役立てて欲しくてっ!! だから、あたしはっ!!! 」

光が、集まる。
暗くなった浜辺に湧き上がって灯される、その光は蛍の群れ。
目を閉じ、口を一文字に結んでいるおキヌちゃんにも幾何学的な光の文様が浮かび上がる。
小さかった蛍は大きく、淡い黄色から強く白い光へと変わっていき、次々と呼ばれる様にしておキヌちゃんの体に溶けこむ。
体から発する光が薄い白銀となった時、おキヌちゃんは再び目を見開いて、俺に微笑んだ。

【忠夫さん…】

言葉と同じ様に流れ込む、おキヌちゃんの思考。
タイガーや百目先生は限界を超えている。
テレパスを使っている訳でもないのに、なんで。
もしかして、取り憑いているからか。

【あたし、皆のお手伝いがしたい。約束を果たしたい…。忠夫さんを、皆を助けたいから…】

「約束…。そ…か、だいじ…な約束…なんだよ…ね」

【はい…。とても大事な、大切な約束を。だから、忠夫さん…その為に】

「その為、に…? 」

【一緒に、神楽の口上を…歌っていただけますか…。でも、それには…】

おキヌちゃんはそこで切る。
躊躇して、でも少し、言葉を押し出した。

【貴方の力が…必要になります。私が取り憑いている、あなたの霊力が…】

「駄目っ! 今の状態でそんな事したらっ!! 」

タイガーのテレパスも限界を超えたのか、先ほどからノイズの入ったTVの様に、途切れ途切れにしか他の皆の声も聞こえず、また視えない。
神通力で俺たちの思考を覗いたのか、ヒャクメ先生が叫ぶ。
その声を遮る様にツタが飛び、おキヌちゃんを直撃したかの様に見えた。
だけども、それは俺の目の前で光の壁に弾かれて、先端が崩れる。

【お願い、出来ますか…? 】

「ははっ。俺には良く分からないけど…おキヌちゃんがそうしたいなら…すればいいさ」

【忠夫さん…】

「おキヌちゃんと一緒なら、迷うの…も、悪くは…無いさ。死ん…でも生き…られる…そう…だろ? 」

【馬鹿っ…】

おキヌちゃんが砂浜にはいつくばった俺をかかえ、そして抱きしめる。
なんでだろうか、胸の中がとても暖かい。

【行きます、忠夫さん】

「ああ…美神さん達みたいに…派手にやろうぜ」

俺をそっと浜に横たえると、おキヌちゃんは死津喪比女を真正面に捉えた。

「死津喪比女…」

「駄目よーっ!! 」

再びのヒャクメ先生の声。
だが、もうおキヌちゃんは躊躇しない。

「忠夫さんと一緒に…。あの時の約束を果たす為に…。あたしの神楽を、もう一度見せてあげる」

「させはせんっ! 」

死津喪比女が壁に幾度もツタを打ち付け、あらん限りの弾を打ち込む。
都度弾かれ死津喪比女自身も崩れていくが、死津喪比女もまた迷いは無い。
爆炎が壁の前に起き、しかし次々に繰り出される攻撃。
光の壁もさすがに崩れるか、そう思えたとき。
おキヌちゃんが、高らかに口上を歌い始めた。
勇ましくも澄んだ、頭に流れ込む声は心地よく、俺もまた強張った口を開き、精一杯歌う。

「「…千早ふる荒ぶるものを拂はんと、出で立ちませる神ぞ貴き。目に見えぬ神の心の神事は、かしこきものぞ凡にな思ひそ」」

おキヌちゃんは両手を胸に沿え、歩みを進める。
手でシャンと濃い緑の玉串を振るかの様に、隙なく足をすりよせながら円を描き、そして辿り戻る。
まるで舞台がそこに現れた様にそれは慄然として、なお厳しさをたたえていた。

「「世の中の善きも悪しきもことごとに、神の心のしわざにぞある」」

円の中心に向かってまず右足を、そして左足をあわせ中心で揃える。
おキヌちゃんは、息を長くはく。
四方へ拝を繰り返し、顔を上げると、光の壁を打ち据える死津喪比女を見据えた。

「「是は氷室という神なり。この頃この地は噴火や地震で荒れ果てていると聞く。この地を救う為、かの地霊を退治せんっ! 」」

同時に、玉串をうす曇の空にかかげしばらく、斜めに切り下ろす。
一気に、言霊が霊力に変換されていく。
光の壁が生気を吹き返す。
美しく白光し大気をも光らせ、浜辺中に行き渡り、そして淡く消えた。
するとどうだろう。
あれ程強く立ち込めていた、死津喪比女の殺意が遠いていく。

「ぐっ…」

息が詰まった。
あたりが清浄になっていけばいく程、俺の体から霊力が抜けていくのが分かる。
おキヌちゃんは、なお激しく舞い、俺も遅れまいと残った力を振り絞り歌う。

「「八雲立つ出雲の神をいかに思ふ 建須佐之男を人は知らずや」」

「くそぉぉぉぉっ、小娘っ!! 今の世にあって、我に立ち向かうとは!! 」

おキヌちゃんは膝をつき、回り、そしてまた逆の方向に回る。
死津喪比女の動きがそれにつれ、鈍くなっていく。
周りにはかすかに光の粒子が浮かび、集まり、太く厚くなっていく。

「「是は氷室なり。汝、死津喪比女。春夏秋冬、一切害悪の司たる地霊」」

玉串を打ち振り、舞台を斜めに横切る。
足は激しく、膝は高く上げられ、そして小袖や袴と一体となっていく。

「「汝、退くか! さもなくば、この茅の輪に十束の宝剣をもって討ち取らん」」

「おのれ、おのれ、おのれ、小娘。お前など、我に敵すべくもないのじゃっ! この国を我が物とし、我はより強大とならんっ!!! 」

「「ならば」」

死津喪比女はなおも残った霊力を注ぎ込み、霊弾が濁流となって俺たちを圧する様子を、俺は遠くなっていく意識の向こうで、ぼんやりと見ていた。

「「いざ、参るっ!! 」」

フォンッと音が通り過ぎたかと思えば、防壁とでも言えばいいのだろうか。
透き通り、しかし輝く光の壁は大きさを増し、そして上に、右に、縦横に自身を組み分け再構築していく。
やがて巨大な光の格子となったそれがおキヌちゃんの意思を受けたのだろうか、死津喪比女を締め上げる。
死津喪比女はその根ごと身動きを封じられ、その次に手を、残った胸を、腹を、次々に封じられる。

「ぬううううっ! これしきの事でぇぇぇぇっ」

腕が裂けることも構わず、死津喪比女は拘束を振りはらわんとしてもがく。
執念か、その根を封じられてなお俺たちに向かって進み来る。

「美神さんっ! 今ですっ」

「いや、おキヌちゃん。出来るだけ引き付けてっ! 」

俺の声に、おキヌちゃんが驚いた顔をする。
あれだけの霊力で縛り上げて、諦めない死津喪比女もまた、最後の力を振り絞っている。
お互いに、後はもう無い。

「なにをしてるのねっ! あいつの弱点は火、拘束が解けないうちに早く! 」

百目先生の声。
おキヌちゃんが拘束しているからか先生は顔を上げ、砂浜に手を付き全力で視ていた。

「だけど、もう精霊石がないわよっ」

歯噛みする美神さんに答えたのか、後ろから、思いもしない声が聞こえた。

「それならここにっ! 」

発したのは六道理事長。
結界を維持するため集中していたはずが、大振りの精霊石を手に取り霊力を込めていた。
そう、理事長達は身を守る結界を解いていた。

「そんな事したらっ」

テレパスの限界を超え、砂浜に既に出もしない程に胃液をしみこませていたタイガーが、不安げに呟く。
だけど、皆から俺たちに返ってきた声は、頼もしいものだった。

「「「「「それで、そいつをっ! 」」」」」

皆の声が重なって、俺たちに届く。
一気呵成、そして学年の皆が手をかざし、残った霊力を理事長に向かって注ぎ込む。

「令子ちゃん、いくわよ〜! 」

理事長が言葉を発する。

「これで終わりにしてやるっ! 小娘っ!! 」

あれだけの傷を負い、体を焼かれ、それでいてなお死津喪比女は足元の拘束を弾き、狂ったかのような叫びを上げ、俺たちを殺そうと迫り来る。
傷の一つ一つまで、くっきりと見える。

「調子に乗りすぎだよ、お前」

どうしてだろう。
死が目前だと言うのに、やけに頭は冷静だ。
死津喪比女の一挙手一投足が、スローモーションに映る。

「理事長っ! 精霊石を、海に投げ込んで下さいっ! 」

「海っ? 」

「そうかっ! 」

「! じゃあ、僕は霧にっ」

理事長と美神さん、そしてピートが俺の声を聞いて理解したのか、すばやく動く。
理事長が海に大きな動作で精霊石を投げ込み、落ちる瞬間に狙い済まして充填した霊力を注ぎ込む。
精霊石は大きなエネルギーを吸い込み、海中に没し、そして。
大爆発を起こした。

「忠夫ちゃん、お望みの物、出来たわよっ〜」

突如出現した、大波。
先ほどの葉虫達の様な偽者ではない、巨大な海水の壁。
そして皆が退避する中、ピートが一人壁に向かって走り込む。

「魔の力も、正しい目的の為に使う事が出来るなら、恐れる事はないんだっ! 」

勢いをつけて飛ぶと霧に変化し、空中で大波を巻き込む。
まるでムクドリの大群が現れたかの様に意志を持ち流動して、俺たちの眼前にいる死津喪比女に迫る。

「横島さん、おキヌさんっ、大丈夫ですかいのっ! 」

浜に倒れ付していたタイガーが、いつの間にか駆け寄って俺たちをさらっていく。次の瞬間、大波が死津喪比女を包み込んだ。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ! 塩がっ、塩がぁぁぁぁぁぁっ!! 」

「はっ! 植物のアンタには、傷から入る海水は毒そのものでしょっ!! 」

全身に海水をかぶった死津喪比女は、加速度を増して崩壊していく。

「色々、てこずらせてくれたけどっ! 」

なぜか美神さんの視界が、再び頭に飛び込んでくる。
荒い息、揺れる視点、跳ねる海水の音。
髪を揺らし、右手に神通棍を構え、死津喪比女に突進していく。

「これで終わりよ、死津喪比女っ」

砂を飛び散らせ、葉虫の死骸を踏みつけて、美神さんは飛んだ。

「「「「「い、けーっ!!! 」」」」」

皆の声。
その声を神通棍に込め、うなりを上げて振り下ろされる。

「極楽に!いかせてあげるわっ!! 」

巻き起こる烈風。
立ち上る、蒼炎。
それらは、死津喪比女に断末魔の声さえ、上げさせなかった。
未だに海水がまるで雨の様に降り注ぐなか、死津喪比女が滅び行く様を、俺は確かに見た。
死津喪比女が消えていくのに合わせる様にしておキヌちゃんの色が戻り始め、強い光が朧なものとなっていく。
光がほうと霧散してその気配も消えた頃に、おキヌちゃんは宙から砂浜に降り、再び俺を抱きかかえようと背中に手を伸ばす。

「忠夫さん…」

ぎゅっと抱きしめられる。
力の余熱か、おキヌちゃんが暖かい。
その柔らかさを全身に感じられる事が心地よい。
お礼の言葉なんて。
へ、何を水くさい。
俺は大した事は何もしていないよ。
言葉に出そうとして、でも出せなくて。
なぜだか、おキヌちゃんの顔が歪む。
頭の中でみんなの声が乱反射している様にも思うけど、それすらも遠くなっていく。
胸の柔らかさが頬から感じられなくなり、瞬間、世界が暗転した。


「…どこだ、ここ? 」

薄ぼんやりと沈んだ意識が、少しずつ浮かび上がってくる。
かすれた視界に映るのは、白い壁と天井。
自分の家でも無いし、学校でも無い、まして美神さんの事務所でも無い。
普段回りにあるようながやがやとした音も聞こえない、静かな空間だ。

「ええっと…」

少しばかり重たい布団。
きょろきょろと首を動かして見渡せば、すぐ右隣に小さな、これも白い棚があった。
棚の上には鮮やかな彩の花があって、白ばかりの空間で目を驚かせて、思わずそれをじっと眺めた。
花の名前なんて知らないけれど、ちょっとだけ控えめにしてる、ほうわりとした花には見覚えがある。
これは確か、かすみ草とかいったっけ。
綿帽子みたいな白い花が、桃に薄く色づいてる。

「ううん…」

左ひざのあたりで、なにか動く感触があった。
あれ、と見てみればおキヌちゃんが布団にもたれかかって寝ていた。
見れば彼女の青い髪が、ベッドの脇に落ちている。
彼女の寝息がくうすうと、この音の無い部屋で、それだけが確かに音を立てていた。

「ああ、そうか、俺」

死津喪比女との戦いで、血がたくさん出て気絶しちゃったのか。
とすると、ここはやっぱり病院かな。
点滴だとかはしてないみたいだけど、起き上がろうとしても体が重い。
左肘をついてちょっと斜めになった体を、おキヌちゃんの目を覚まさないようにして、上体をゆっくりとベッドから起こしていく。
ぱさ、と布団がめくれ音が立つ。
でも、おキヌちゃんはのんきに、すやすやと寝息を立てる。
時折、頭がころころとして膝がこそばゆい。

「忠夫さんー、玉ねぎ残しちゃ駄目ですよ…」

寝言に、俺はつい、ぷっと吹き出す。
いつだったか、苦手な玉ねぎで味噌汁を作ってくれた時の事だろうか。
食べ物残しちゃ駄目です、って怒ってたっけ。
付く手を入れ替えて右手で体を支え、左手を伸ばして、おキヌちゃんの髪をすく様にして撫でる。
さらさらとした、柔らかい細身の髪が指を通り抜けて心地良い。
何度も何度も撫で返しているうち、湧き上がってくるように記憶の底からぽつぽつと、死津喪比女との戦いが蘇ってくる。
やっぱり最後の方はあやふやで、よく覚えてはいないけれど、今俺がこのベッドにいて、おキヌちゃんがぐっすり寝てるって事は、死津喪比女は倒せたんだろう。
さて、どうしたもんだか。
おキヌちゃんの頭に手を置いて右奥の窓から入る光を眺めつつ、誰か呼ぼうかどうか考えていると、不意に左手が浮いて、するりとベッドの上に落ちる。

「忠夫さん…」

起き上がって、驚いたのか彫像みたいに身動き一つしないおキヌちゃんが、じっと俺を覗き込んでくる。
瞬き一つしない、強張った顔に俺もついつい見つめ返す。
すっと切れた、だけどちょっと垂れた目じり、長いまつげ、細い頬骨、小さめだけどつんと高い鼻。
やっぱりこの子は美人だよな、なんて考えているとおキヌちゃんの目に涙がたまって、溢れた。

「忠夫さん、忠夫さんっ」

声を上げて彼女は俺に飛びついてきた。
ひーんと胸元で泣きじゃくりながら、言葉にならない言葉で繰り返し、何かを伝えようとしていた。
だけども、俺にはおキヌちゃんが何を言おうとしてるのか、なんだがとても良く分かってしまって、それが嬉しくて暖かくて、彼女が泣き止むまでずっと背中を手であやしていた。


「…そろそろいいかしらね、お二人さん」

おキヌちゃんも大分落ち着いて、胸をしゃくりあげて涙を止めようと頑張っていた時、部屋の端から声が聞こえてきた。
美神さんがドアに背を持たれかけて、照れたように指で頬をかきながら、目線を送ってくる。

「あ、美神さん。そろそろも何も…ってもしかして」

「ごめん。泣き声聞こえたからなにかと思って来てみたら、その、さ」

明後日の方を向いて、ごにょごにょと口ごもる美神さんには、普段の強気さは微塵も見られない。

「いや、ずっと見てた訳じゃなくてねっ! 一旦部屋の外に出たのよ、うん」

「どっちでもいいですよ、美神さん」

俺としては美神さんがすぐ来てくれたってのが嬉しかったし、別になんでもよかったのだけど、やけに照れてる美神さんがあれやこれや言い訳するのがなんともまた可笑しかった。

「…終わったんですね」

とんとんと、おキヌちゃんの背を叩きながら美神さんに確認する。
まだ彼女は、胸の中で涙を拭っている。

「そうね、終わったわ」

つかつかとヒールの音を立て、こちらに歩み寄りながら美神さんは言う。
死津喪比女は、確かに滅びたと。

「あれからもう2日経ったんだけど。色々あって、説明する事が多くてね。ま、意識も戻った事だし検査を受けてから、ゆっくりと順を追って、ね」

美神さんが後ろを振り返る。
医者だろう白衣を着た年配の男性と看護婦さんが立っていて、簡単な検査道具が移動式の小机に乗せられていた。

「あんたも無茶したんだから、悪い所あったらしっかりと直しなさい」

ぽんと頭に手を置いてわしわし、俺の頭を撫で付ける。
そして、さっきよりも更に消え入りそうな声で、美神さんは呟いた。

「…ま、良くやったわよ」

「えっ? 」

聞き返した時にはもう、美神さんは背を向けて足早に部屋の外へ向かっていた。
その後姿を追って、目を閉じる。
後ろ手にドアをそっと閉める美神さんに、俺は心の中で頭を下げた。


あれから部屋を出てレントゲンを取ったりして検査は多少時間が掛かったけど、夕方頃には滞りなく終わった。
俺には物理的な怪我は、胸や足の傷以外には無かった。
それも病院に担ぎ込まれた時に手術していたせいか、もうしっかりと快方に向かっていて、少し体が重い以外には特別不調を感じる所も無かった。
なにせ運び込まれてから寝っぱなしだったらしく、睡眠もばっちりで外に出たかったくらい。
その間おキヌちゃんがずっと寝ずの看病をしてくれていたってのを神父から聞いた。
おキヌちゃんにお礼を言ったらまた少し泣いちゃって、わたわたとしちゃったんだけど。

霊能の方は、病院ではわからなかった。
見てくれた先生は優秀な人って事なんだけど、現代医学は敗北しないとかなんとか、霊力は存在しないとかおキヌちゃんは見間違えだとか、とにかく霊能には関わりたくないらしかった。
なので、百目先生や神父とか美神さんに見てもらった。
霊力を限界以上に引き出したせいで霊力中枢がどうのこうの言っていたけど、俺には良く分からなかった。
まあ要するに、しばらく休めば正常に戻るだろうって事らしい。

「そうですか。あ、他の皆はどうなりました? 」

病院の個室には、神父始め死津喪比女と戦った面子が揃っていて、六道理事長も来てくれた。
ベッドの周りで各々椅子に腰掛け、車座になる。
ピートやタイガーも怪我をしていたけれど、松葉杖を付くくらいで済んでいたようだ。

「大丈夫よ〜。忠夫ちゃん達が頑張ってくれたおかげで、かすり傷一つないわ〜。前の晩の怪我とかはあったけどね〜」

「そうですか、安心しました」

「ま、後始末が大変だったけどね〜」

百目先生がため息を付きながら、肩をすくめてほとほと疲れたと言った口調で言った。

「それはまあ、ねえ」

「確かになあ…」

美神さんや神父が言うには、死津喪比女が最後に起こした地震、あれが悪かったという事だった。
なにせ地脈の力を取り込んだ地霊がフルパワーでやったものだから、ホテルは倒壊とまではいかなくとも営業停止、あたりの家も被害を受けて、浜辺も除霊のあれこれで穴だらけの焼け焦げだらけ、山肌は地すべりで海岸線の道をふさいで通行停止、救急隊が出動したくても車がこれないからヘリで救出、TVも駆けつけて大騒ぎでGS協会の幹部まで出張してきたらしく、事後の対応の方が激務だったと理事長達も口を揃えた。

「あんたはある意味で幸せよ。ずっと寝てられたんだから」

「そうかもしれませんのー」

「違いないですよ」

美神さんの軽口に乗って、タイガーとピートまで俺をからかう。

「たく、お前らまで。いいじゃなーかよ、これからゆっくり休めるんだし、それが少し早くなったくらいだろ? 」

「それは…」

黙り込む皆。
何気なく口にした言葉に、部屋の空気が変わるのが分かった。

「あのね、横島君」

百目先生が、口を開く。
気まずそうに顔を伏せていたが、気持ちを確認するように逡巡した後に、ゆっくりと目線を上げ、俺を見据えた。

「気を落ち着けて、聞いてほしい事があるのね…」

「なんすか、そんな真面目な顔で。百目先生には似合わないっすよ」

「本当に、真面目な事なのねっ」

おちゃらけた俺に強い語気で迫る先生にたじろぐ。
そして、思いもしなかったところから声が聞こえた。
声を出したのは、おキヌちゃん。

「聞いてください、忠夫さん」

側にいて黙っていたおキヌちゃんが、ためらうように何度か口を開いて閉じる。
百目先生に目を合わせ、二人でうなずいてから、おキヌちゃんは俺に言った。

「もうすぐで…お別れ、なんです」

「えっ? 」

「思い出したから…。あたしは、自分がいるべき所に、帰るべき所に。戻らなくちゃいけないんです…」

こんなにも近いのに、遠いおキヌちゃんの声。
手を伸ばせばすぐに触れられる距離に、ずっといたのに。
空間が急に閉じて俺を潰そうと迫って、くらくらとする。

「今、なんて言ったの? 」

確かめる声にこたえてくれる人はおらず、俺の言葉はむなしく消えていく。
清潔な病院の一室を、空虚な静けさが包んでいた。


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こんにちは、とおりです。
えーと、一月ぶりの投稿です。

すべてのバトル作家様に心よりの尊敬の念をっ!!
いやー、バトルって本当に難しいですねー(水野春朗風)。
…いきなりごめんなさいorz


それでですね。
次回はようやく最終回でございます。
色々あって記憶を取り戻したおキヌが向かう先はどこなのか、一気に今まで伏線としてはってあった物が解明されますので、どうぞお楽しみに。
(大したことねーじゃんと石を投げつけられる姿が目に浮かぶ様ですがっ。気にしませんっ! )
では、またまた。
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