「だーっ! もうやってらんないわー!」
既に打ち捨てられた、それが以前どんな建物だったかも判別不能になっている廃墟。
その地下の一室で、年若い女性の切羽詰った声が響いた。
声の主は、日本屈指の辣腕GS、美神令子である。神通鞭を片手に、半泣きになりながら目の前の悪霊と対峙していた。
『人間風情が……』
地の底から響くような重低音の声。その声の主は、ぼろマントにフードをかぶったミイラのような――ありていに言って、まるで死神のような――風体をしていた。
悪霊と呼ぶにはあまりに知性に富んだ彼が腕を一振りすると、巨大な火炎球が現れ、美神に襲い掛かった。
瞬間、美神と火球の間に、翡翠色のビー玉っぽい球体が投げ込まれた。その球体の表面にはただ一文字、《冷》と刻まれていた。
その球体に、火球がぶつかった。すると突如として膨大な冷気が吹き荒れ、その火球を飲み込んだ。
『むぅ……?』
悪霊が小さく首をかしげた。今の火球を防がれるとは思っていなかったらしい。彼の視線は美神から外れ、火球を消し去った球体を投げ込んだ男に向けられた。
そこにいたのは、赤いバンダナを頭に巻いた、Gジャンの少年だった。言わずもがな、美神の助手である横島忠夫である。投げ込まれた球体は、無論のこと文珠だった。
「うわっ! ここここっち見んな!」
「ひーん! なんでネクロマンサーの笛が効かないんですかー!」
その横島は、悪霊の攻撃を無効化したことで注目を呼んでしまったことに後悔しつつ、思いっきり及び腰になっていた。
その彼の後ろで、奇妙な形をした横笛を手にした巫女服の少女が半泣きでうろたえていた。横島と同じく美神の助手を務める死霊使い、氷室キヌである。
「あンの大ボケクライアント! ぬぁーにが悪霊退治よ! 悪霊は悪霊でも、リッチじゃないのよ!」
リッチ――太古の昔、魔法技術が盛んで欧州の各所に魔術師・魔導士が存在していた頃。自らの存在を不死者に昇華させ、永遠の魔力を得た邪悪なる魔術師。悪霊や死霊に分類されるとはいっても、その力は下級魔族など及びもつかない。
それが何故こんな場所にいるのか、とか追跡調査も必要になるだろうが、兎にも角にも今は目の前の敵を倒すのが先決だ。
全部終わったら、クライアントに文句の一つも交えて改めて話をつけないといけないだろう。おもに報酬とか報酬とか報酬とか。
「横島クン! 文珠はあといくつ?」
「三つっス!」
「一つで結界作って、おキヌちゃんを守りなさい! あとの二つはいつでも使えるようにしといて!」
「うっす!」
横島は右手に霊波刀『栄光の手(ハンズ・オブ・グローリー)』を展開し、文珠を左手に握る。《護》の文字を刻んだ文珠一つで結界を張り、おキヌ共々その中に入る。
「って、アンタは前線に出なさい!」
「だって怖いもんは怖いんやーっ!」
情けないことこの上ないが、まあ横島だし。
しかし敵は、そんな漫才をいつまでも見ているはずもなく。
『小うるさい人間が……消えるがいい』
リッチが、またも腕を振った。その動きは複雑怪奇で、印(いん)を結ぶことで失われた太古の魔術を行使しようとしているようだった。
「げっ……!」
その印の前に、バリバリと音を立てて電気がスパークし雷球が発生する。印を結び続けるリッチ。それに比例して大きくなる雷球。魔術の完成を阻止しようと美神が神通鞭を振るうが、未完成の雷球に弾かれて阻止できない。
「やっば……」
「うわわわわっ! みみみ美神さん! ものすごくやばそーっスよ!」
「ンなこたぁわかってる! 戦術的撤退ーっ!」
「きゃーっ!」
回れ右して即座に逃げ出す美神。それに続き、《護》の文珠を握り締めた横島とおキヌが逃げ出す。しかしリッチの魔術は無情にも完成し、三人を背中から襲った。
バリバリバリバリバリバリバリバリッ!
雷球が文珠の結界に直撃し、激しく放電を始める。真っ白い稲光が結界の内部に荒れ狂い、今にも破られそうに思えた。
「――――!」
その明滅する白い光の中、横島は不意に目の前を走る美神の持つ『ある能力』を連想してしまった。
それ自体は今現在の状況に何の関係もないし、そもそもその能力自体、神魔族によって封印されていたのだが――とっさに思い浮かんだそのイメージは、はからずも残り二つの文珠に流れ込んでしまったようだ。
「うわ、ちょ、待……!」
それに気付いた横島が、慌てて文珠に刻まれた文字をキャンセルしようとするが……何を間違ったか、次の瞬間には文珠は周囲を埋め尽くす稲光に対抗するかのように、真っ白い輝きを放ち始めた。
「な、何やってんのよ横島クン――!」
『二人三脚でやり直そう』〜プロローグ〜
「……それは大変でしたね」
出されたカップをその柔らかな唇に運び、満たされた紅茶を一口だけ喉に流し込んだ小竜姫が、一通りの経緯を聞いてそう返した。
「ま、その後に色々と周到に準備をして再戦、なんとか叙霊には成功したんだけど――」
いつものデスクに頬杖をついて、見つめる先は小竜姫ではなく事務所のソファ。そこに横たえられた横島とおキヌの二人は、気を失っているのか、いまだに目覚める気配がない。
その傍らでは、シロが心配そうに横島の顔を舐め続け、ヒャクメが二人を霊視している。
ちなみに、その事務所は書類やら叙霊道具やらが所狭しと散らばっている。足の踏み場にも困る有様だが、普段の片付け役であるおキヌが三日ほど起きないだけでこの状態になるというのは、もはや一種の才能と言っても過言ではあるまい。
「どれぐらい眠ってるんですか?」
「今日で丸三日。医者にも診せたけど、医学的には何の問題もないんだって」
「それで、私達を呼んだのですね。……ヒャクメ、わかりましたか?」
小竜姫の問いかけに、ヒャクメが顔を上げた。
「ん。そんなに心配する必要はないのねー」
答える口調は軽い。
「二人とも、魂の一部分が欠けてるだけで、他に霊的な異常は見られないのね。眠り続けているのは、欠けた魂を補填しようとしている肉体の働きに過ぎないから、そう遠くないうちに目覚めるのね。しばらくは睡眠の深さと時間が大きくなると思うけど、何ヶ月かしたら元通りなのねー」
「そう……良かった」
ほう、と安堵の息を吐く美神。しかし、続くヒャクメの言葉で、その表情は元の険しいものに戻る。
「けど、気になることが一つあるのね。欠けた魂が、一体どこに飛んだかってことなのね」
「……どういう意味?」
「普通、攻撃を受けただけでは魂が損傷したり欠けたりすることはありません」
答えたのは、小竜姫だ。
「以前横島さんがベスパに受けたような、霊基構造に損傷を与える妖毒を含んだ攻撃ならともかくとして、リッチの魔術みたいな『普通の攻撃』では魂が傷付くことはありえないのです。ならば、欠けた魂はどこかに飛んだと考えるのが妥当でしょう」
「どういう状況でそんなことが起きたのか、興味があるのねー。その現場に行って、手掛かりを探してみたいのね。それにもし魂の欠片が見つかれば、二人の回復も早くなるというものなのね」
「そうね。そういうことなら、案内するわ」
二人の言葉に、美神は頷いて立ち上がった。
「拙者も行くでござる! 先生を助けるためでござる!」
「……おキヌちゃんの料理がしばらく食べられないのも、嫌だから。私も手伝うわ」
続いて、シロとタマモも同道を希望した。
「仕方ないわね……まあ調べるだけだから、危険もないでしょ。全員で行きましょう。人工幽霊壱号、留守番と二人のこと、任せたわよ」
《了解しました。美神オーナー》
どこからともなく響いた声が、美神の言葉を承諾した。
ところ変わって、リッチと戦った廃墟の地下。
美神を先頭に、小竜姫、ヒャクメ、シロタマが続く。激しい戦闘の跡が色濃く残るその場所で、ヒャクメが早速霊視を開始した。
「うわー……すごい魔力の残滓。魔術で不死者に昇華してここまでの力を得るなんて、人間って怖いのねー」
「摂理に仇成す外法の輩……ですか。討たれて当然ですね。それはともかくヒャクメ、真面目にやりなさい」
「言われなくてもちゃんとやるのね。小竜姫は胸が小さい分心も狭いのねー」
「……何か言いましたか?」
「ななな何も言ってないのね! だからその神剣はしまってほしいのね!」
「不用意な発言は死に繋がりますよ? ……で、何かわかりましたか?」
ヒャクメの首筋に当てていた神剣を鞘に戻し、普段の口調に戻って問いかける。それに対するヒャクメの答えは、ひどく簡潔明瞭だった。
「うん。時空震の跡があるのね」
「時空震……って、ちょっとそれって!」
慌てたのは美神である。
それはそうだろう。時空震といえば、真っ先に思い浮かべられるのが時間移動だ。彼女は遺伝的にその特殊能力を持っている。神魔族に封印されたはずのその能力が、知らないうちに誤って発動されていたとなれば、他人事どころの話ではない。
ヒャクメは狼狽する彼女に「落ち着くのね」と前置いて、簡単に説明を始める。
「その辺は色々と調べる必要はあるけど、とりあえずわかっている事実は……
第一に、ここに時空震の跡がある。
第二に、この場で行われたリッチとの戦闘で、雷系の攻撃を受けた。
第三に、横島さんとおキヌちゃんが、それ以降魂の欠損によって深い眠りに落ちている。
ということなのね。ここから導き出される推論は……」
「リッチの雷術が引き金となって、二人の魂の一部が、時間移動をしてしまった……と」
「可能性の一つとしてだけど、確率としては高いのね」
「それって……大丈夫なの?」
ヒャクメと小竜姫の説明に、美神は眉根を寄せて尋ねた。小竜姫は「うーん」と考える素振りを見せ、ややあってあっけらかんと、
「まあ、問題ないでしょう」
と答えた。
「二人はしばらく起きないとはいえ、命に別状があったり後遺症が残ったりするほど深刻なわけでもありません。それに、時間移動した二人の魂の一部が過去に行っていたとしても、その影響で平行世界が一つ出来上がる程度でしかないでしょうし。まあ、未来に行っていたとするならば、それこそ何の問題もありませんが」
「一応上層部に報告はしておくけど、どの道、この世界には何の影響も現れないのね」
「そう……ならいいんだけど」
「良くないでござる!」
そこに大声で、シロが異を唱えた。
「シロ?」
「先生の魂の欠片が見つからないと、先生はしばらく起きないのでござろう!? それでは拙者の散歩が――「それこそどうでもいいわぁっ!」――きゃいんっ!」
台詞の途中で美神の拳骨を脳天に食らい、撃沈するシロ。タマモはそれを冷めた目で見つめ、
「まあこのバカ犬の言うことはともかくとして「狼でござるっ!」……はいはい。おキヌちゃんが起きないのは困るんじゃない?」
と、視線を美神に向けながら同意を求める。その言葉に事務所の惨状を思い出し、美神は「そ、そうね……」と後頭部にでっかい汗を垂らすのだった。
―――あとがき―――
はじめまして、いしゅたると申します。今回が初投稿です。
続く第一話も一緒に投稿したので、そちらも合わせてお読みください。