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「スランプ・スランプ!(GS)」

竜の庵 (2006-07-08 01:30)
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 スランプ・スランプ! 「憂うモノ・裏切らぬモノ」


 「あははははははははははっはっはっはっはっはっは!!」
 女性の甲高い笑い声が、その部屋には充満していた。そりゃもう、(笑)では済まされない程の大爆笑が。
 「全くいい気味なワケ! 自信過剰なウシチチ女にはお似合いなワケ!」
 8割嘲り、2割憐憫といったところだろうか。
 そんな哄笑を浴びるように叩きつけられているのは、亜麻色の美しい髪を 所々解れさせ、痛々しくも包帯で体中を真っ白くされた……
 「エミ! あんた一体何しに来たのよ! 笑いに来たんならもう用は済んだでしょ!? さっさと帰れ色黒色情魔!!」
 美神令子その人であった。
 「お見舞いに来てやったんだから、感謝するワケ。んで、何があったワケ? オタクがこんなザマになるなんて」


 ……事の次第は、数日前にまで遡る。


 美神除霊事務所は、その日もまた億単位の除霊依頼をこなそうとしていた。
 一時期ほどではないにせよ、都内に霊的不良物件を抱える不動産業者は依然として多く、大手と呼ばれる業者が頼ってくるのは、業界屈指のネームバリューとそれに恥じない実績を誇る一流クラスのGS…つまりは、美神令子級の除霊事務所に他ならない。
 数々の修羅場を独創的な戦術と、潤沢な予算に裏打ちされた豪華な装備で乗り切るその姿は、門外漢から見ても華麗…というかゴージャスでバブリーだった。

 「おキヌちゃん、見鬼くんの反応どう?」
 「はい、作戦通りに誘導出来ているようですよ。横島さん、ちゃんとやってくれたみたいです!」
 「よし、ちゃっちゃと終わらせて帰るわよ!」
 美神除霊事務所は総勢5名からなる少数精鋭部隊である。
 古今東西のオカルト知識を掌握・フル活用し、自身も前線で颯爽と活躍する所長、美神令子。
 霊と心通わせ、除霊よりも遥かに難易度の高い浄霊を得意とするネクロマンサー、氷室キヌ。
 「おキヌ殿のご飯が待ち遠しいでござるよぅ…」
 「なっさけない声―…だから言ったでしょバカ犬? 出発する前に軽く食べておきなさいって」
 「犬じゃないもん…く、しかし仕事の後のご飯は空腹であるほど美味なり! 拙者、武士の誇りにかけてそれだけは譲れないでござる!」
 桁違いの身体能力を誇る人狼族であり、近接戦闘のセンスでは事務所随一の腕を持つ犬塚シロ。
 傾国の大妖、金毛白面九尾を前世に持つ妖狐で、幻術のエキスパートであるタマモ。

 そして。

 『ぐあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ死んでまうこれは本気で死んでまうぅぅぅぅぅぅぅぅっ!! どうせ死ぬなら美神さんの胸の中かおキヌちゃんの膝枕か小竜姫さまの腕の中かエミさんのいやこの際誰でもいいからオンナのチチシリフトモモのそばで人生を終えたいぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!』

 「「「「………」」」」

 美神が腰から下げている通信機から聞こえてくる、妙に余裕があるようにも聞こえる悲鳴の持ち主。詳細はまぁ、省略で。
 美神は無言で通信機の音量をミニマムレベルに。ついでに神通棍を伸ばし、圧倒的なプレッシャーを纏う霊気の鞭と化す。
 ほんのりと頬を紅色に染めたおキヌは、苦笑を浮かべつつも歪な形状の横笛をしっかりと握りなおした。
 「拙者の名前が無かったでござるよせんせいぃ…」と滂沱の涙を流すシロ。霊波刀を右手に展開しつつ、口を尖らせ頬を膨らませて拗ねた表情を見せている。
 タマモは特に変化なし。冷静に周囲を確認して、『一歩引いた視点からの現状把握』という己の役割をこなしている。

 『うっぎゃあああぁぁぁぁ増えてる増えてる増えてるぅぅぅぅ!! 霊団が巨大化してますよ美神さぁぁぁーーーん!! 予定地点まであと少しだけどこの距離がまた長いっ! まさしく死のロード! これを超えた暁にはぜひ美神さんとご褒美・de・混浴を提案したりしなかったりぃぃぃぃ!!』

 音量を絞り切ってあるにも関わらず、その声は美神達の耳にクリアに届くふしぎ。それと同時に、悪霊の群れが放つ霊圧も確実に近づいてきていた。 確かに、通信相手と別れたときに感じていたプレッシャーとは桁が違ってきている。
 「作戦はいつも通り、役割もいつも通りよ。あいつらが飛び込んできたら、問答無用で根こそぎカチ上げてやりなさい」
 あいつらって悪霊と某〇島さん? おキヌに答えられるわけありません。ね。
 美神の怒りを滲ませた声音に、シロの尻尾が縮こまる。タマモはあくまで冷静に…おキヌの背後にすり寄って巫女服の袖をちょんとつまんだ。妖狐の本能が庇護を求めたらしい。
 「っと、っとっと?」
 3人を威圧していた霊圧が、美神の戸惑ったような声と共に揺らいだ。美神の怒りを代弁していた神通鞭の光条が激しく明滅を繰り返し、終いにはぱちんと蛍光灯のように消えてしまったのだ。
 「美神さん?」
 「美神殿らしくないでござるな。集中を怠ってしまうとは…」
 「あ、あら。おっかしいわね…ふん!」
 妙に慌てた美神がいつものように霊気を集中させると、澄んだ音と共に神通棍は伸び、これまたいつもの如く輝く鞭へとしなやかに変化する。異常は見られなかった。
 「…横島クンのことで、リミッターぶっちぎっちゃったのかしらぁ?」
 あさってのほうを向いてそんなことを言う美神。
 「…そんなの日常茶飯事じゃない。毎回悪霊の前で鞭が千切れていたらミカミ、今頃死んでるわよ」
 「そ、そーよねー……まぁいいわ。とりあえず、横島クンが姿を見せたら張り倒す! ついでに霊団とっちめて、3億ゲットよ!!」
 非常に美神らしい理屈で場を締めると(締まったのか?)、4人は徐々に近づいてくる凶悪なプレッシャーに対して身構えた。

 『おおお!? なんだか前方に新たな殺気が!? っていうかすげぇ見慣れた殺気!?』

 焦りまくった通信機の声は、もう美神には届いていなかったりした。


 白井総合病院、VIP専用個室。
 「…別に、いつもの状況っぽいじゃない?」
 ベッドに上体を起こし、左腕から繋がる点滴の管を弄りながら、美神は忌々しげに怪我をした当時の状況を語っていた。
 褐色の肌と長いウェーブがかった黒髪が美しい、美神が自他共に認めるライバル兼商売敵、小笠原エミは話の内容を吟味して、そうつまらなそうに言った。
 自分が持ってきた果物籠の中からりんごを取り出し、器用に皮を剥き始めるのを、美神が珍獣を見るようなジト目で見ている。
 「霊団みたいな厄介だけど単純な相手は、あんたんところのおキヌちゃんなら余裕で散らせるレベルの相手なワケ。使いっぱの横島でも文珠で一発。シロタマだと厳しいかもだけど、相性の悪さを自覚してないほどのアマチュアじゃあないでしょ」
 手元すら見ずに、エミのりんごはするすると皮を伸ばしていく。美神のジト目は変わらず。
 「つまり、オタクが怪我をしたのは、オタクのプロ意識の欠如が招いた自業自得! 金に任せた力技の除霊しか出来ない令子らしいポカってワケ!」
 おほほほほほほほほほ、と皮肉たっぷりに笑うエミ。その拍子でりんごの皮は途切れて紙皿に落ちるが、見る人が見ればその皮の薄さと細さは十分に芸術的であったと評価する事だろう。実際、悔しげに美神は舌打ちしたし。
 「あんたがウチの戦力事情に詳しいのはこの際仕方ないけど…話はこれからなのよ」
 激昂するでもなく、ジト目のままの美神は低い声音で言った。
 「目つき悪いわよ、令子? 手元が見えにくいなら老眼鏡持ってきてあげるワケ」
 「誰が老眼かぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 結局怒りを抑えきれずに叫ぶ美神であった。


 一概に霊的不良物件といっても、内容は様々である。
 なんらかの形で地脈や霊脈を阻害してしまう場所に建てられたもの。
 建物自体が霊的問題を含んだ構造をしてしまっているもの。鬼門の方角に開口部があったり、内部の装飾が偶然、呪や陣を描いてしまったものなど。
 現在美神達が除霊を行おうとしているマンションは、その両方に該当する厄介な代物だった。
 ただでさえ都心は縦横無尽に地脈が流れ、その地脈も地下開発の煽りを受けて流域の変更と蛇行を繰り返している。
 首都東京が霊的拠点でいられるのは、ぶっちゃけそうして改ざんしまくった地脈を更に人為的に流れを構築し直し、流入先をコントロールしているからに他ならない。都心を中心とした巨大な魔方陣を地脈の力で描いているようなものだ。
 だから、齟齬が生まれる。
 美神がこの手の依頼でとんでもない額の報酬を要求するのは、こうした仕事でのリスクを把握しているからだ。
 本来、地脈と上物なら、上物である建造物を退けるのが自然なのだから。
 まぁ、地脈を弄ることの危険性は、おキヌが事務所に入所した経緯を鑑みれば一目瞭然であるが。美神本人も自覚しているだろうし。

 ……閑話休題。

 某大手不動産会社から受けた今回の仕事は、地脈の流れを阻害していたのが一点、霊を呼び込むアンテナ的構造の存在が一点。計2点の霊的不備の是正が必要なケースだった。
 そこそこの大きさの地脈だったことから、精霊石を使った地脈の誘導が必要なのが途中で発覚し、当初1億5千万だった除霊代金は倍に跳ね上がったりもした。大幅増額に狂喜乱舞する美神を、所員達は冷めたよーな諦めたよーな視線で眺めていたものである。
 事務仕事から実際に動くまでのフットワークの軽さも、一流である証拠だ。契約書類のやり取りを済ませた美神はその足で現場に向かい、手持ちの精霊石を使って阻害されていた地脈の流れを修正し、該当マンションに余計な悪霊の類が入り込まないよう手早く結界札による結界を設けた。
 そうして、今夜を迎えたのである。

 「来るわよ!」
 鋭い美神の一喝と同時に、シロタマが散開した。おキヌは美神の背後で笛を構える。
 「のわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 聞こえてくるのは美神除霊事務所の誇る鬼札の絶叫。
 「うひょおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!! かすったぁぁぁぁぁぁ!!」
 マンション住人のための共有スペースである、屋上ビューテラス。
 霊達の通り道である『霊道』(そのまんまだが)を、中途半端な形で途絶えさせていたこの場所。邪気が澱み、悪霊を呼び寄せる悪循環を生んでいた。
 ここを美神達は除霊の決戦場に定め、陣を敷いている。全部集めて纏めて除霊!という明瞭な方法である。美神除霊事務所の常套手段だ。
 階下から、まだまだ余裕のありそうな絶叫が近づいてくる。全力疾走しながら喋るのは非常に体力を消耗するのだが…この男には関係ないようだ。
 エレベーター脇の非常階段から、赤いバンダナを巻いたGジャン姿の青年が飛び出してくる。霊をおびき出すために、全身に誘霊符と呼ばれる『人外が好む霊波を垂れ流す』札を貼り付けて。デフォで持ってる素質に形を与えたようなもので、効果覿面だったかも知れない。
 「来ます!! 美神さん!!」
 多少息切れは起こしているようだが、青年…横島忠夫は力強く己の雇い主に声をかけた。
 「よくやったわ横島クン! 早く退かないと纏めて極楽に逝かせちゃうわよ!!」
 「うわやっぱりさっき感じた『コロシの霊圧』は美神さん! という訳で(?)ご褒美を要求するぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!」
 伝説降臨。いや、光臨?
 綺麗なルパンダイブで美神に迫った横島だが。
 「はいはい、後で拙者がご褒美に舐めてあげるでござるよー」
 ダイブの頂点で、横合いから跳躍したシロに抱えられ、無念の不発に終わった。シロは適当に横島をぺいっと放り出すと、目つきを戦士のソレへとスイッチする。『狩る者』だけが持つ、金色不惑の狼眼。
 瘴気が漏れる。
 ごぼり、と。
 湧き出すように、苦悩と苦痛と悲鳴を上げる霊の塊…霊団が横島を追って姿を現した。
 「セェェェィイヤァァァァァァァァァ!!!!!!」
 破魔の気合を咆哮に載せつつシロの放った斬撃は、霊団の中央を深く切り裂く。
 返す刀で更に十時に裂き、少女は霊団に飲まれる前に即刻離脱する。
 美神の振るう神通鞭が、傷口を再生しようと蠢く霊団の動きを牽制し、更に数枚の破魔札を叩きつけ、連鎖爆発させることで侵攻を押し留める。
 甚だ余談ではあるが、破魔札のような消耗品はきちんと必要経費として計上し、別途請求している。自分の戦闘スタイルを考えれば当然らしい。美神所長・談。
 「おキヌちゃん! 今!」
 そんな美神の合図と共に、清冽な笛の音が場を支配した。
 死者生者を問わず、その音色は心を…魂を癒していく。鋭いが、決して冷たくはない浄化の音色。奏でるおキヌの気持ちを代弁するかのように、あくまで穏やかで優しい『命令』。
 音色に包まれた霊団の一部が、浄化の光に包まれて昇天していく。力を削がれた霊団から更に霊は浄化され、みるみる内にその規模を小さくしていった。

 『グアアアアアアアァァァアアアッアアッア!!!!』

 意識や意思。遍く『個々の意志』というものを持たず、ただ塗りつけられた敵意や害意のみで動いていた霊団から、凄まじい絶叫が迸る。
 「ちっ、分裂するわよ! シロ! タマモ! 横島クン!」
 泡立つ。粟立つ。
 霊団はごぼごぼとその身を震わせ、次の瞬間、弾けた。
 シロが霊波刀を振るい、タマモは狐火を点して散らばった悪霊を各個殲滅していく。横島は咄嗟におキヌを庇って前へ出て、シロと同じく霊波刀を構えた。
 「新技! ハンズオブグローリー・ガトリングモードォォォォッ!!」
 ここぞとばかりに横島が叫び、霊波刀から篭手状に変化した栄光の手を腰溜めに構え、
 「うはははははははは!! 喰らえぇぇぇぇいいっ!!」
 がちょーんのポーズで突き出した。…分かるのは、美神くらいでしょうけれど。
 背後で見ていたおキヌの笛が、ぷぴりるりぃっ! ってな感じに乱れたのはご愛嬌。
 突き出された栄光の手の五指は凄まじい勢いで伸縮し、伸びるたびに悪霊を貫き、鉤爪が縮む瞬間に霊体を引き裂く。
 横島の荒技が、瞬く間に悪霊を撃滅していった。
 ついでに。
 「「どわあああぁぁぁぁぁぁっ!!??」」
 至近戦で悪霊を叩き斬っていたシロと、横島と悪霊の一直線上にいた美神を。
 ちょっとだけ巻き込みました。
 ちょっとだけ。
 程なく、ダメ押しとばかりに響き渡った浄化の笛の音で霊団は完全に消え去った。建物の被害も、横島が一階から屋上まで霊団を引っ張り上げていた際の僅かな損傷と、横島が栄光の手・ガトリングモードの連射で悉く割り砕いたガラス程度で済んだ。
 横島的には、仲間が誰一人傷つかずに済んだことに、大満足。
 おキヌやシロタマも、まぁ大体同じ意見であった。
 せんせぇーっ、と横島にじゃれつくシロと、それを鬱陶しがりつつも振り払おうとはしない横島。大きく息を吐いて笑顔を浮かべるおキヌ。何かを察知したのか、すすすとおキヌの背後に回り、今度は両手でぎゅっと袖を握るタマモ。
 「お疲れ様っした、美神さ…ん………!?」
 首にシロをぶら下げたまま美神の方へ振り向いた横島はそこに。
 鬼神というか魔人というか魔神というか、ともかく『コワイモノ』が立っているのを理解した。
 「よぉぉぉぉこぉぉぉぉぉしぃぃぃぃぃぃまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 「!!!????!!!!?????」
 濃厚な『コロシの霊圧』を放つ美神。その手には、今にも暴発してはじけ飛びそうに光り輝く神通鞭が握られている。
 「鞭はイヤやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!! …どうせならヒールで踏んでっ」
 「毎回毎回毎回……あんたのくだらない新技で…」
 シロはあっという間に非常階段の陰まで走り去っていた。驚異的なり人狼の脚力。おキヌとタマモも仲良く並んで隠れていたが。
 神通鞭は光量を更に増し、あまつさえバチバチと放電を始めていた。
 「どんだけ余計な被害出してる思うとるんじゃあああぁぁぁぁぁ!!!!」
 「Mにカミングアウトしても無駄だったぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
 だばーっと涙を流して絶叫する横島めがけ、渾身の痛打が振り下ろされる。
 と思った矢先だった。
 「!?」
 急に神通鞭の柄が激しくブレ出し、
 「なっ!?」
 一条だった光の鞭の穂先が、
 「!? 美神さん!!!」
 「おキヌちゃん、出てきちゃダメだ!!」
 数十条にも分かれて空へ伸び…
 「なんかやべぇっ!? サイキックソーサー間に合えぇぇぇぇっ!!!」
 次の瞬間。
 ビューテラスをそこにいた人間ごと縦横無尽に打ち砕き、崩壊させた。


 「…スランプなのかなー」
 再びベッドに横たわった美神は、はふぅとため息をつきつつ、話の顛末の締めとした。
 エミは皮を剥き終えたりんごを、美神に渡すでもなくシャリシャリと齧っている。
 「神通棍ってのは、ようするに術者の霊力を棍の形に定着させるアイテムなワケよね?」
 「りんご寄越しなさいよ色黒」
 「それを鞭にしているのは、単純に霊力の収束率が霊具である神通棍の出力をオーバーしているからであって、神通棍にある元々の仕様じゃないワケ」
 「…んなこと知ってるわよ。だからこそ、厄珍に頼んで最高級のものを使ってんのよ」
 「聞くワケ。オタクは道具使いなワケよ。だからこそ、本来ならそんな無茶な道具の使い方をしてちゃあ、お話にならないワケ」
 芯を綺麗に残してりんごを食べ終わったエミは、続いてバナナの房から一本折り、皮を剥いて食べ始める。
 「お見舞いの意味知ってる? あんた」
 「つまり、あんたは横島への八つ当たりのため『だけ』にとんでもない霊圧…過負荷をかけて、神通棍の在り方を変質させ暴走させたってことよ」
 「でもさぁ、アレは…火事場のバカ力って感じでもなかったのよねぇ」
 「自分で分かってるワケ? その時の霊力の状態」
 「あったりまえよ! 私を誰だと思ってんの?」
 「暴走ウシチチ女……冗談なワケ。神通棍は仕舞うワケ」
 枕の下に神通棍を戻す美神。エミは冷や汗を拭うとまたバナナを一本食べ始めた。
 「…実はね、最近ずっとヘンな調子だったのよ。神通棍って、私には結構思い入れのあるアイテムなんだけど…ここ最近になって、使い方に違和感を覚えるようになっちゃってね」
 マンションで起こった、神通鞭の消滅現象。安定して霊力を供給し、負荷をかけていたとはいえ道具自体に異常は無かった。
 「神通棍って名前は大仰だけど凄くポピュラーな霊具よね。一定以上の基本的霊能力の使い手なら発動は容易だし、威力も安定してる。天才であるところの私は一歩進んだ使い方をしていた訳だけど」
 得意げな美神に。
 「………」
 エミ、ノーコメント。
 「そのせいか、最近はどーもアンバランスになってる気がしてんのよ。神通棍を仕様にない方法で酷使してたツケが回ってきたのかな、なんてね」
 「…つまり、令子。オタクは道具に裏切られた気がしたわけね?」
 エミの声は、真剣だ。バナナを持っていなければもっと良かっただろうに。
 「…私を誰だと思ってんのよ」
 美神の声は少しだけトーンを落としていた。
 「令子、オタクやっぱりスランプかもしれないワケ。しばらくここで大人しくしてなさい」
 ぐっ、と美神の握り締めていた毛布のしわが、強く寄った。声は出なかった。出さなかった。
 「はっきり言うとね、令子。あんたは自分の霊力に違和感を覚えて、なのに目先の数億っていう金に目が眩んで自身の管理を怠り、あまつさえ除霊の現場で暴走しておキヌちゃんや横島に大怪我を負わせたのが許せなくなってるワケ」
 エミ自身も一つの事務所を経営する身だ。美神の行いはプロの目から見て雑すぎた。無論、美神自身も自覚しているからこそ、今のしょぼくれた様子なのだろうが。
 「自分の怪我は大したことないクセに、静養の名目で入院してるのがその証拠なワケ。事務所の連中に会わせる顔がないって思ってる」
 そう。
 霊団の除霊後、横島をひっぱたこうとして暴走した美神の神通鞭は、美神の制御を離れて荒れ狂い…おキヌと、彼女を庇った横島とをひどく傷つけた。咄嗟に横島が展開した10枚以上のサイキックソーサーと『防』の文珠、それにシロとタマモの決死の行動で最悪の事態は免れたが…
 おキヌの怪我は、自身も大怪我を負っていたというのに横島が生成した文珠『癒』で、跡を残すようなこともなく綺麗に治った。
 一方の横島は日ごろの不死身さがウソのように衰弱し、一時は危篤状態にまで陥ったが、事務所にストックしてあった数個の文珠を使い切ることで九死に一生を得た。
 現在はもう退院し、自宅療養…だとなんだか不潔じゃない? という事で、事務所で静養している。おキヌとシロが甲斐甲斐しく世話する光景が、目に浮かぶようだが。
 シロとタマモが軽傷で済んだのが、不幸中の幸いだろうか。
 美神自身はというと、神通鞭の暴走時から全く意識が飛んでいた。大きな怪我もない。体中に巻かれた包帯は、一時とはいえ暴走し、全身を駆け巡った霊力の余波で傷ついた霊気経絡を癒すためのものである。霊的治療の一種なのだ。
 彼女にとっては、気絶してしまった事実が一番悔しくて、悔しくて…見舞いに来た母、美智恵の前でだけ…涙を浮かべた。
 「今のオタク、弱りきってる。アタシがここで呪いを仕掛けたら、一発で殺せるくらいにね」
 不穏当なエミの発言にも、美神は答えない。
 「だから、今は落ち着くまで寝てろってワケ。正直言ってつまんないワケ、こんな体たらくの令子をへこませてもね。美神除霊事務所が休業してる間に、ウチがシェアNo,1の座を奪い取っても無意味なワケ」
 エミは三度バナナをもぎ取ると…今度は美神に差し出した。
 「自分が今どんな状態で、周りにどれだけ迷惑をかけて、打破するにはどうしたらいいのか考えな。あんたは世界最高のGS、美神令子なんだからね」
 「エミ…」
 「どうせオタクは食べないんだろうから、これはもらって帰るワケ。ピートのとこに寄ってイチャイチャしながら食べるワケ〜♪」
 エミはパイプ椅子から立ち上がると、まだメロンやらカットスイカやらが残っている果物籠をひょいと取り上げ、邪笑を浮かべた。


 「ひっ!?」
 「どうしたねピート君?」
 「背中を…腰から首にかけて舐め上げられるような悪寒を感じました」
 「それは………がんばれ、超がんばるんだピート君」
 「唐巣先生!?」


 「じゃあ私は帰るワケ。オタクは精々スランプに頭抱えて悶え苦しむといいワケ!」
 カツカツカツ、とブーツのヒールを鳴らしつつ、個室としては望外に広いこの病室の出口へとエミは歩を進めていく。
 その背中に美神は。
 「一応……礼は言っておくわ。この借りは必ず返すからね」
 「何のことだか分からないワケ。でも一応受け取っておくワケ」
 ひらり、と一度だけ籠を持っていない方の手が振られ。
 小笠原エミは夕暮れの病室から去っていった。
 美神の手元には、エミが置いていった一本のバナナ。
 ふと顔を上げると、点滴はとうに終わっていた。ずいぶんと長い間エミと話していたようだ。あいつと二人きりで話すのも何年ぶりだったろう、と美神は思う。
 弱音を吐きたかったわけではない。
 愚痴をこぼしたかったわけでも。
 でも、腹の底にたまった汚泥のような感情を吐露するには、母では申し訳ないし。
 おキヌでは受け止めきれずに、困らせてしまう。
 唐巣や西条なら、的確なアドバイスをもらえたかも知れないが…こんな曖昧なものから得られる答えに、的確なんて言葉は相応しくないと思った。
 シロタマは論外。うん。
 一人…バンダナの青年になら、ぶちまけて汚してもいいとは思うが、彼はきっと「大丈夫ッスよ、だって美神さんだもの」と言って笑うだけだろう。そんな顔をされたら、美神はきっと……

 シバキ倒して簀巻きにして目隠し&ギグボールを装着させた上で妙神山の山頂から谷底へ叩き落しているだろう。

 …それが、照れ隠しに過ぎない行動だと分かっていても。
 悶々としていたところに現れたのが、エミだった。
 なんだかんだで長い付き合いである彼女。美神がなにか抱えてるのをあっさりと察し、手ぶらで来ていたのをわざわざ病院地下の売店で果物籠まで買い込んで舞い戻り、枕元の椅子に座り込んだのである。
 …開口一番、大爆笑だったのは本気でムカついたが。
 エミと同じく、美神とはGS試験以来の腐れ縁である六道冥子。彼女は『お友達』という言葉をよく使う。彼女が従える式神・十二神将を筆頭に、冥子の考えるほんわかあったかグループには、勿論美神の名前もあることだろう。
 でも美神自身が彼女や、小笠原エミを友人として認識していたかははっきり言って微妙だ。腐れ縁、商売敵、疫病神、警察の犬…呼び名はいろいろあれど、親友の2文字は無かったはずだ。
 しかして、今日のエミとの会話を考える。
 言葉にするとどうしても曖昧で、伝えるには語彙が足らない、そんな話。
 『そんな話』であったにも関わらず、エミは美神の心象を具体化し、一喝し、今後の指針まで示してくれやがった。どうしてくれよう、この屈辱。
 青い炎が背後から立ち上りかけたが、美神はここで認めねばならない事実に直面してしまった。
 美神の精神が大人ぶったコドモであることは、ママゴトのような恋愛観の持ち主であること一つをとっても自明の理であるのだが…要するに。
 あんな話が出来る相手が親友…とまでは言わないまでも。
 冥子言うところの『お友達』でない筈がないのだ。
 仕事上の確執や、個人的な性格の不一致から本人は決して認めないかも知れないが、ソレが言い訳に過ぎず、心のもっと素直な部分ではとっくに認めていることを美神は自覚せざるをえなかった。
 …それすら屈辱と受け取ってしまうところが、美神が美神である所以だが。天上天下美神独尊。
 気がつけば、日が暮れている。
 業腹ではあるが問題点は纏まった。どうすればいいかも、立ち直った『普段どおり』の美神なら既にいくつか対処法を見出している。
 これからだ。
 スランプがなんだ。私を誰だと思っている。神族を手懐け、魔族を手玉に取り、現世利益絶対優先の宇宙意志に則って業界に君臨する美神令子その人だ。
 いつの間にか手にとっていたバナナは、瞬く間に皮を剥いて食べきった。
 「見てなさいよエミ! あの力…必ず制御して今日の屈辱を5千倍にして返してやるんだから!」
 八つ当たり気味な叫びと、噛み殺しきれない笑みの表情。
 美神令子のスランプは、すでに峠を越えているのだろう。


 おまけ。


 「ピート、一緒に果物食べよっ♪」
 「エミさん!? どうしたんですかっていうかなぜ僕の部屋に先回りしていますか!?」
 「エミ、お外暗くて怖くなっちゃって♪ 今日はここに泊まっていいよね♪」
 「のああああ!? 語尾が音符ですよエミさん! 〜ワケっていうお約束をぶっちぎってますよ!?」
 「いいのいいの♪ 今日はちょっと機嫌いいからエミ大胆になっちゃってるのよー♪」
 「く! こうなったら!」

 ぴーとは きりにすがたをかえた!

 しかし へやには けっかいがはってあった!

 「のええええあああああ!!??? いつのまに!?」
 「大人しく一緒に寝ましょうピート♪」
 「主よ! 聖霊よ! この際親父でも! 誰か助けてくださいぃぃぃっ!!!」

 唐巣教会、礼拝堂。
 十字架に架けられ、民衆の罪を一身に引き受ける痛みに固く閉じられた彼の存在の瞳から、一滴の水が滴った。
 主に、笑いを堪えるときに出るヤツが。


 おわり。


 後書き


 まず、お読みいただきありがとうございました。素晴らしいSSの数々に触発され、自分も思わず初投稿してしまいました…竜の庵と申します。
 えー、小笠原エミと美神の関係にスポットを置いて、どんなんなるかのぅーと他人事のように書き進めて…そのまま書きあがってしまいました。基本的に姉御肌で、美神よりも大人・策士・微妙に善人? かと自分はエミを評価しているのですがー
 そんなこんなについても、感想・ご意見等をもらえますと、有り難い事で御座います。
 それでは失礼しました。礼。

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