2章 美人
西園葉子。
彼女は一言で表すと美人だった。
事務所に訪れた和服の似合うその女性は、30を少し過ぎたあたりだろうか。黒髪は濡れたようにしっとりとして思わずなでたくなる誘惑を覚える。そして薄い紅をつけた唇は男の唇をまっているかのように軽く開いている。
同じ美人といっても健康的なシロとはタイプがまったく違う。何もせずただそこにいるだけで、なまめかしい色気を感じる。その漂う色気にあてられては普通の男でも我慢できなかったかもしれない。ましてや横島では・・・。
「西園さん! 100年前から・・・ひぃ」
身震いするような色気に我慢できずに飛び掛ろうとした時、凄まじい殺気とともに首筋に突きつけられた剣に別の意味で震え上がる。
いつの間にか背後にまわったシロは横島の耳元に口を寄せる。
「せんせーい。拙者の霊剣は悪霊も斬れるが人も斬れるでござるよ」
「ひぇええ」
「拙者まだまだ未熟者ゆえ手元が狂うことがよくあったり・・・」
首筋からほんのわずか血が流れる。
「なかったり」
そしてまた剣が離れる。
「というわけで先生。気をつけてね」
笑顔でのたまうシロに対して、ぶるぶると震えながら首を上下に動かす横島。
「あ、あのー」
申し訳なさそうに声をかける和服の女性。
「すいません。横島除霊事務所に御用ですよね。こちらのテーブルにどうぞ」
首元で輝く霊剣を意識しつつ、紳士的に応対する。
その対応に納得したのかシロも手から霊剣を消し、お茶の用意をした。
ちなみに彼女を連れてきてくれたタマモは事務所に帰った。場所がわからず困っていたらしい彼女をせっかく案内してきたというのに、横島にあからさまにがっかりした顔をされたのが気に喰わなかったようだ。
「なるほど」
うなずく横島。
「夫が亡くなって一月。それからポルターガイスト現象がおこっていると」
真面目な顔で言いながらも頭の中では未亡人、未亡人と連呼している。あまつさえ美人の若い未亡人、やっほう!・・・と扇子をもった彼の影法師がジャンプしている。
「時期から考えると、その旦那さんが霊となって騒いでいるという可能性が高いでしょうねぇ。何か未練があったのかもしれません」
じっと依頼人の胸を凝視しつつ言う。
自分ならこの胸を残して逝っては未練が残りまくるだろうと思ってる。いやいや未練が残らないように揉みまくるというのはどうだろう。胸枕、胸布団、胸御殿きゃっほぅ!
「シロよりも上か」
「はぁ」
「うぎゃぁあ」
何を言ってるのかわからないといった様子の西園の前で、シロが横島の頭にいれたばかりの熱いお茶をこぼしたのだ。かけたともいう。
「おっと手がすべってしまったでござる」
わざとらしくそう言うと悲鳴をあげている横島を無視し、床や机にこぼれたお茶をふく。
「ええと、あと関係あるかどうかはわからないのですが」
西園は二人の相手をしていると話が進まないのがわかったのだろう。気にせず話だした。
「私の家は山の中にあるのですが、ふもとの村でもおかしなことがおこっているそうなのです」
「おかしな事でござるか」
床に転がる横島にかわってシロが聞く。なぜか尻尾を左右にふりふり、嬉しげだ。
「はい。寂れた村ですので歳をめした方が多いのですが、子供や若い女性が帰ってこないそうなのです。それがここ一月の間の出来事らしく、何か関係があるかも・・・」
「おお!」
やっぱりシロは嬉しそうだ。不謹慎だと叱る者はいない。
「えーとそれでは、依頼はポルターガイスト現象を止めることと、ふもとの村の行方不明事件との関連性を調べるということでしょうか」
何事もなかったかのように椅子に座っていた横島が尋ねる。ただ眉をひそめ、しかめ面をしている。
美神のところでは少なすぎるという依頼額ではあるが、横島としては十分すぎるほどだ。それは問題ないのだが、行方不明事件を解決するにはスキル的に無理がある。
行方不明がどういった類のものかはわからないが、探偵のような格好をしていても彼はそちらは素人だ。単に仕事がなさすぎて真似事をしたことはあってもそんなかなり大きな事件を調査、解決できるかといえば疑問だ。
とはいえこの依頼を受けないわけにもいかないのが辛いところだ。
なにしろ美神への借金の返済日が迫っているからだ。
彼には美神に多額の借金を抱えている。それが美神以外からのだったら彼もそれほどには気にしなかっただろう。だが、まだ横島が事務所に在籍していた頃、おキヌが首吊り寸前の借金親子への助けを美神に求めた時に言われた、彼女の取立てはサラ金の1億倍きついというのは事実だった。
とはいえ利率は信じられないほど低い。美神にしてはありえないくらいだ。銀行が一流企業に貸し出す利率より低いくらいだ。
しかし絶対額が大きすぎて利子もまた膨らむのだ。
最初横島は事務所を開くにあたってこう思っていた。
「俺は基本的に霊波刀で戦うのが主なんで金かからなくていいでしょ」
それを美神に言った後、3時間近く説教されようやくわかった。
横島が霊波刀「栄光の手(ハンズオブグローリー)」で戦えるからといって、それだけで戦えるわけがない。美神だって神通棍を使えば、金をかけずに戦えるというのにそれをしない。金に汚い美神がなんで神通棍のみで戦わないかといえば、当然それだけでは多種多様な悪霊とは戦えないからだ。
横島には確かに文珠があるとはいえ、数に限りがある上に、それが最低限必要な道具に換えられるかというと無理がある。
見鬼くん、霊視ゴーグル、霊体ボウガンなどなど装備を一式揃えようとすると尋常じゃない金がかかる。
「仕方ないわね。私が貸してあげるわ」
「ぎゃぁああ!」
「なんで叫ぶのよ」
「どうせ鬼のような利率で、鬼のような取立てで、鬼のように搾り取るつもりな・・・ぐふぅ!」
「鬼、鬼言うな!」
などと心温まる会話もあったのだが、実際美神は低利率で金を貸してくれたのだった。
とはいえ月一回の返済が遅れたり、忘れていようものなら・・・。1回だけとはいえそれを経験した横島としては、もう2度同じ轍をふみたくない。
とはいえ、行方不明事件を解決できるかどうかが問題だ。依頼を受けてしくじってたら話にならない。さすがにこれ以上依頼失敗となると事務所をつぶすはめになるだろう。横島には後がない。
険しい横島の顔に気づいた西園は、だが首を横にふる。
「いえ依頼はあくまで家でおこることをなんとかして欲しいということです。それに、それが万が一夫だとしたら私は・・・」
夫とのことを思い出しているのか少し遠い目をする。悲しみとそれ以上に嬉しそうな彼女の様子から幸せな夫婦生活だったのがわかる。
「除霊は望みません。他の誰にも迷惑をかけていないならば、私は夫とともに暮らしたいと思います」
それが叶うのならばとつぶやく。
シロの口を手でふさいで横島が言った。
「わかりました。依頼をお受けします」
正直いって横島にとってはありがたかった。この依頼なら問題ないだろう。
ただ結果として彼女の望みが叶わないことも、横島にはわかっていた。
生と死の間には大きな狭間があるのだ。
たとえ相手が自分の夫だろうとなんだろうと死者と生きている人間が暮らすのは、きわめて難しい。そうでなければ幽霊が一般的に認知されているこの世の中、幽霊家族で一杯になってしまうだろう。
そうでないのはそうでないだけの理由があるのだ。
シロもそれがわかり、依頼人に言おうとしたのだろう。今もシロは口を手でふさぐ横島を、咎めるように見ている。
横島が依頼人にその事を言わないのは、それだけ彼が大人になったからだろう。彼女にそれを伝える意味はない。
おそらく彼はこの事件が解決したらこう言うだろう。
「家にとりついた悪霊は退治しました。旦那さんの霊とは関係なかったようです」
と。
次回予告
そこは寂れた村。起こった行方不明事件を解決するのは一体誰だ!
そこでは横島の未来を変える「出会い」がある!?
次回3章「寂れた村」でお会いでき・・・たらいいですね。