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「スクール・オブ・ロック! / 前編(GS)」

ロックハウンド (2006-06-19 00:10)
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 小学・中学と続く義務教育制度から一歩飛び越えた時代を、人々は今日『高校時代』と称する。
 6・3・3で12年。天下国家は晴れて公認。学ラン、ブレザーに身を包む、若き青少年少女達の姿がそこには在る。
 集え若人、称えよ青春というわけで、その最後の時代を称えて、古き良き時代の歌謡曲もこう歌っている。

 『嗚呼、高校三年生』と。

 血潮の熱く滾る時代、その真ん中を堂々と闊歩し、時には汗を、時には血を、そして時には涙を流す。
 他学校の生徒と乱闘を繰り広げ、我が高校の覇を唱えんと欲する生徒たちの姿はいと阿呆なれど、握る拳のなんと勇ましき哉。
 いかに犯罪スレスレと後ろ指を差され、警察のご厄介になろうとも、青春は青春。
 流せよ血流、熱き人生の涙こそ思いの証、というのが身上の当人達にしてみれば、笑わば笑えというものである。


 「おどりゃあ、○○高校かぁ!」

 「じゃかあしいわい! 後輩の仇、とらしてもらうでぇ。そのタマ貰ったぁ!」


 あるいは実る実らぬ恋模様に心身を焦がし、友情に肩を組み合い、教師陣に隠れて酒と煙草を謳歌する。
 進路指導室に呼び出しを喰らい、反省文だの、謹慎通告だのを受けるも、後から思えば若気の至り。
 周囲に迷惑を掛けぬに越したことは無いが、そうは言われても、唯でさえ持て余し気味のエナジーなのである。
 若さと書いて馬鹿さと読む一部の諧謔も、あながち外れていないのが学生時代の証左とも言えるのだった。


 「畜生、畜生・・・・・・お、オレの恋が終わっちまったぁ・・・・・・もうなんも信じられねぇ」

 「ええい、辛気臭ぇな。さぁ飲め、相棒よ。浴びるほど飲んで飲んで、あんな女なんか忘れちまえ」

 「いや、こっちが告るまえに相手から告られてなぁ・・・・・・憧れの少女マンガみたく、男らしくこちらから、と心に決めていた順番が逆になっちまったよぅ」

 「ただの惚気じゃねぇか、バカ野郎!」


 加えて、色気と食い気と、むやみやたらな行動意欲だけが顕著な高校時代にあって、とりわけ心を沸き立たせるのが異性の輝きである。
 季節の分かれ目、春夏秋冬を問わず、行き交う自然の彩りと等しく、学生たちの心身を飾る雰囲気もまた移り変わるもの。
 一例を挙げれば、季節は真夏。夏休み明けにその色めき合いは最高潮を迎える。
 夏は魔物よね、と小麦色の肌だのを見せびらかし、男女を問わず鵜の目鷹の目で、同級生達に訪れた変化を探すのである。


 「ね、ね、聞いた? あの子、オトコと沖縄行ったらしいよ」

 「うっそ、マジでぇ!? おとなしそうな顔してキメる時はキメるんだぁ。やるじゃない」

 「なんでも帰省してきたお兄ちゃんとなんだって」

 「ただの家族旅行じゃないの、バカっ!」


 勉学に勤しむを旨とし、刻苦勉励の代名詞たる学び舎も、やはり青春の芽を栽培する苗床的な場所なのである。
 都内の一角にその校舎を置き、若き青少年少女たちを未来ごと育む、とある公立高校もまた例外ではなかった。

 初夏とはいえ、その強まりを日々照らしかけてくる朝日がさんさんと降り注ぐ。
 学校敷地内の植樹林も、茂らせた葉に鮮やかな緑色を次第に宿らせ始めている。
 昨晩の小雨を受けてか、微かに濡れそぼった露があちらこちらで陽光を反射し、輝きを次第に強めていく。

 鉄筋やコンクリートといった人工物の荒々しさが醸し出される中を、自然物の天然さはそれらを圧するようである。
 朝焼けを受けると同時に、建築物の粗野さを柔らかく包み込むような空気を、木々は微風と共に周囲に振り撒いていた。

 かつかつ、と小気味良く、人の足音らしきものが響いてきたのは、そんな朝の空気が漂う早朝の事であった。
 校舎の白く塗られた外壁が、光線に射し込まれる様を横目で見ながら、その女性は校門を速やかに潜り抜けていく。
 美的な律動と言って良いほどに、背筋の伸びた凛々しさの漂う姿勢である。


 「うむ。天気晴朗にして、意気高し。外気温と体調のバランス、コンディション共に好調だな。得難い一日になりそうだ」


 妙に格式ばった口調であるが、その身のこなしもまた語に比例しているものか、流れるようにきびきびとした動作である。
 十二分に美人と言って良く、むしろ審美眼に長けた者が見れば、スーパー・モデル級の気品を有していることは、すぐさま気付くであろうと思われた。

 ショートの黒髪は陽光を浴びて薄紫色を孕み、さらに濃紫に近い赤色のベレー帽が頭部を飾っている。
 すらりとした肢体を優しく包み込んでいる、その隙の無い着こなしはカーキ色を基調としたパンツ・スーツ。
 地面を鳴らし付けて進む足元は、黒飴色に輝くロー・アップのショート・ブーツ。

 時間帯と場所柄、加えて女性の居住まいから、傍目には教職員の一人であろうことが推し量れる。
 が、一介の教職員と呼ぶには、どうにも美々しさに清々たる気品、そして生気に満ち満ちた威風とが眩しすぎた。

 自転車や徒歩で通う生徒も、疎らではあるが、幾人かが彼女のそばを通り過ぎていく。
 また部活動の生徒たちらしく、大き目のスポーツバッグを背中に背負いながら、別の数人が校門を駆け抜けていった。
 そんな生徒たちに、彼女の佇まいはありふれた光景らしく、毅然として進み行く彼女の姿を見かけた者は、一様に朝の挨拶を告げた。
 それは一途な尊敬の念を、今朝の空気に相応しい若々しさで包み込んだ口調であった。


 「お早うございます、ワルキューレ先生」

 「うむ、お早う、生徒諸君」


 公立高校・体育教師である彼女、ワルキューレもまた、生徒たちに向かって挨拶を返す。
 一日の始まりは、心身ともに心地良く張り詰めていることを、彼女は何よりも好んでいるのだった。


                    スクール・オブ・ロック!


                          第1章・前編 / 『ワルキューレ・体育教師篇』


 ワルキューレ。
 本名、春桐真奈美(はるきり・まなみ)。
 中堅のレベルにある公立高校で、体育教師を務める才色兼備の女傑である。
 女傑と言うのも、その真意は、彼女の日常に端を発するものであった。

 春の学期が始まってからの期間に限定すれば、通勤途中の電車内で痴漢を撃退したのが、つい一月ほど前である。
 相手は肩関節を外され、手の骨をへし折られるという代価を払い、降車と同時に救急搬送となってしまった。
 女性に絡んでいた3人の酔っ払いをプラットホームへ叩き出し、同じく病院送りにしてしまったのが半月前のこと。
 アクション映画の見本にもなり得る護身術で、酔漢どもを容赦無く打ち据えた彼女に捧げられた賛辞と畏怖は、きっかり半々であったと目撃者は語った。

 目には目を、歯には歯をどころか、倍返しを旨とする、そんな彼女の出自は魔界である。
 すなわち彼女自身、魔族という種族に属していた。

 やや尖り気味の耳朶。
 上質の白亜を想起させる肌の色。
 紫水晶(アメジスト)を溶かし込んだような虹彩の瞳。

 古来より悪魔、魔王の使い魔、邪悪の眷属として忌み嫌われてきた、闇の世界に生きる者たちの1人である。
 春桐真奈美が本名というも、人界における長期間の活動を主な任務としているので、戸籍上の便宜的処置に過ぎないのだった。

 が、何らかの嫌がらせとか、校外からのいわれなき苦情があるかといえばそうでもなかった。
 駅構内では駅員よりも迅速に対応し、街中であれば警察以上に活躍を見せる。そんな彼女である。
 支持は圧倒的であり、一市民としての奉仕活動の一環と受け止められていた。
 加害者転じて被害者側からの意見は、誰もが端から真っ向無視であったが。

 学校側、教職員側、しかして生徒側としても、彼女を問題視するという概念など、文字通り念頭にも上っていないのが現状なのである。
 先述の通り魔族出身の彼女・ワルキューレであるが、だからとて出自を意に介する者など一人としていなかった。

 何故かと問うて、返される答えは簡単明瞭であった。
 別嬪だから良いのである。

 しかも秀才である。格闘技、護身術に長け、文武両道を修めた才女である。
 頼れる女性教師として生徒間の受けも良く、これ以上、何を望めというのだろうか。
 その証拠が、男子生徒からは崇められ、女子生徒からは尊敬され、同僚からは嫉妬はあるけど、でも素敵、という現実と評価である。


 「え、ワルキューレ先生ですか? んっもぅサイコー! ああなりたいってマジに思います、はいっ」

 「いやぁ、うちの学校に来てくれて、本当に良かった良かった。一騎当千とは正に彼女のような教師のことですなぁ」

 「せ、先生ですよね・・・・・・じょ、女王さまって呼びたいです・・・・・・(眼光は濁り、呼吸は荒くなる)」


 教職員に生徒、保護者を含めた一部のアブノーマル派はさておいて、押し並べて彼女の評判はかくの如し。
 教師とは聖職者たらんことを志さねばならない、というのが教師・ワルキューレの誓約にしてポリシーである。
 愛する生徒たちの成長を妨げんと欲するもの、外敵は滅すべしという断固たる意思の元に、彼女の教育活動の根本は存在していた。

 結果として『文部科学省の木っ端役人や世間の阿呆が何をほざこうと知った事かバカ野郎』、というのが全校一致の結論なのであった。


 ――――――――――――――――――――――――――★――――――――――――――――――――――――――


 上下共に真紅のジャージが体育教師・ワルキューレの戦闘服である。
 ただでさえ至高の優美さとして女子の羨望を集める『ナイス・バディ』の持ち主なのだ。
 あのジャージになりたいと願う男は星の数ほど居るだろう、とは同校生徒の一意見である。
 すべからく男は馬鹿であるという認識が、ここでは立派に証明されていた。

 またセクハラには厳しい女性陣も、この場合は珍しいと言うべきか、教師・生徒を問わず、苦笑と賛同を交えたうなずきを見せるのみであった。
 皆、一様に『ああ、ワルキューレ先生じゃあねぇ』と、溜息を漏らすだけである。
 まさに美人の力、恐るべしといえた。

 加えて、細身のフレームで構成された眼鏡が、彼女の目元を飾っている。
 知的な風貌を強める要素としてこれ以上のものは無く、またワイルドさの中にもインテリを匂わせているのである。
 男女生徒が揃って腰砕けになるのも、異論の余地無しであった。


 「アテンション(気を付け)!」


 鋭くうねる鞭のような掛け声が響き渡れば、生徒も誰一人として隊列を乱す事無く、整然と並び、不動の姿勢となる。
 【ワルキューレ先生の軍隊教育】と呼ばれる所以だが、その威厳の前には否など唱えようもない。

 それ以前に唱える気がしないのだ。凛々しい女性の命令はそれだけで嬉しすぎる、というのが男子生徒の意見である。
 また女子生徒に至っては、『お姉さま、ス・テ・キ♪』の世界である。
 要するに誰もが彼女の前に平伏していたのだった。


 「右向け右! 駆け足、始め!」


 彼女が取り仕切る体育の授業は、常に校庭10周のマラソンから始まる。
 一周が200mを数えるトラックを、男女揃って走り抜けるのである。
 先頭は無論のこと、ワルキューレ教諭が引率していく。

 他校の職員達をして、驚異的な調和性と称えられる証拠が、生徒たちの挙動にあった。
 足音、手の振り、どれ一つとして乱れるものが無い。
 インターハイにおいて、身体美の美意識がここにあるとプロにも評価せしめる指導力なのである。

 唯一、職員会議で槍玉に挙げられる項目があるとすれば、マラソン中における歌がそれであったろう。
 米国海兵隊訓練所では御馴染みの光景であるが、日本国内の高校で先駆となったのは、まず彼女たちをおいて他にはなかった。
 ワルキューレの歌声に、生徒たちが続いて声を張り上げる。


              職員室の伝説じゃ    (職員室の伝説じゃ)
              校長の趣味は下着女装  (校長の趣味は下着女装)
              教師は女装で心もオンナ (教師は女装で心もオンナ)
              趣味が丸出し教育論争  (趣味が丸出し教育論争)

              脳味噌足りない文科省   (脳味噌足りない文科省)
              学校いじめに精を出す   (学校いじめに精を出す)
              迫撃砲弾撃ち込んで    (迫撃砲弾撃ち込んで)
              最後の決めにはこう言おう (最後の決めにはこう言おう)

              私に 良し (私に 良し)
              君に 良し (君に 良し)

              教育に 良し (教育に 良し)
              学校に 良し (学校に 良し)

              うん 良し (うん 良し)


 ロックしてるねぇ、と軽音部の生徒たちなどは評価するものの、教職員の間では賛否両論の歌詞であった。
 日本国の教育機関に、真っ向から喧嘩を売っていると捉えられても仕方が無い。世が世であれば公安にしょっ引かれているだろう。
 もっとも校長と、とある教師の趣味などは、暗黙にして公然の秘密とされていたので、今更取り上げる者が居なかっただけなのだが。


 「左、左、左、しかして左!」


 5周目を超え、距離にして一キロを過ぎた時点で、さすがに生徒たちにも汗と疲れが大きく目立ち始める。
 だが1人として脱落を望む者は居ない。男女の思いは揃って等しく、更なる熱意を込めて、足を動かし呼吸を繰り返すのである。

 男子は食い入るように前だけを見つめていた。
 肺が悲鳴を上げ、呼吸も乱れかけ、足は重い。
 だが決して挫ける事は許されない。涙を振り絞って男子生徒たちは駆けた。
 男として、人として、譲る事の出来ぬ意思だけが、身体を動かしていた。

 何故ならそこにはワルキューレ先生の揺れるお尻があるからである。
 第一、後姿だけでも凛々しく美々しいのだ。これを拝まずして何処の神を拝めるものか。
 称えるべきは男の純情さとバカさ加減であった。

 女子もまた食い入るように、憧れである教師の後塵を拝していた。
 きつい。きつくてしょうがない。気を緩めれば、その場で倒れてしまいそうなほどに。
 女の身には労苦と言っても良い過酷な道程である。だが眼光と意思は折れる事を肯んじない。
 その勇ましき姿は、熱意と決意が漲っている眼光が、両の足にも乗り移った様である。

 何故ならそこにはワルキューレ先生の鍛えられた、しかもしなやかで美しさを秘めた肢体があるのである。
 ああなりたい。あんなナイスバディになりたい。ダイエットも交えて鍛えれば、ああいう風になれるのだ。
 業とまで呼べよう美を愛する心が、彼女たちの心身を突き動かしているのだった。


 ―――頑張れ、私の愛する生徒たちよ


 背中に感じる熱いほどの意欲を、ワルキューレは打ち震える感動と共に受け止めていた。
 内容はさて置き、というか知るはずも無いのだが、ともかくも誰一人として脱落することなく、マラソンは距離を増やしている。
 ひ弱とばかり思っていた人間界の青少年達の中にも、これほどまでに強い心を持っている存在を見知ることが出来たのは、彼女にとって何よりの喜びであった。

 魔界で過ごしていた頃は、軍隊にその籍を置き、部下たちの訓練を指導していた彼女である。
 過酷な、というも生易しい訓練を乗り越えてきた自分からすれば、生温い温泉にも匹敵する体育指導のカリキュラムであることを、当初は忌々しく思っていたものであった。
 また、たかが人間と侮っていたことも事実である。

 だがこうして実務に当たってみれば、如何なる状況下にあっても、やはり指導は指導であるという実感が認識を新たにしていた。
 未だ羽根の生え揃わない雛たちを教育し、一人前へと引き上げる。そんな教育欲の充足感が心に清々しさを滲ませる。


 「残り2周だ。ペースを保て!」

 「サー! イエッサー!」


 生徒たちの返事に頬を軽く緩ませたのも束の間、心身が緊張に包まれたのは刹那の後である。
 何者かの急接近を、戦士としての勘が捉えていたのだった。


 「おはよーございますっ、ワルキューレ先生ぇーっ!」


 挨拶らしきものが耳朶を打ったが、ワルキューレは相手の声には意識を向けていなかった。
 鍛え上げられた心身は、誰何以前に防衛と攻撃を優先させるべし、と教育されていたからである。


 「曲者っ!」


 コンマ数秒の反応と振り返る動作を先に、攻撃へと転化した一瞬と同時に声を出す。
 鍛え上げられた手刀は、全身のバネを使って振り抜かれていた。
 半円の軌道を辿り、十分な威力を秘めたそれは、だが衣服の表面を薄く削っただけであった。


 ―――かわされた!?


 逡巡も束の間、相手を視界に収めようとした彼女は、重い物が壁を突き破るような音を聞いた。
 と、同時に聞こえた叫び声は『どぶらげっ』としか聞き取りができなかった。

 飛び掛ってきた相手は、ワルキューレが手刀を放った瞬間、全身に急制動をかけ、別方向へと飛び退っていたのだった。
 結果は旧・体育倉庫の壁板を突き破り、木っ端微塵の瓦礫・木片の中で蠢いているというものであったが。
 長年風雨に晒され続けたせいか、砕け散った木片の一つ一つは細か過ぎた。

 これも自爆と言うのだろうか。ワルキューレは驚くよりも呆れが先立っていた。
 が、すぐに瓦礫の中でひっくり返っている少年の下へと駆け寄り、手を差し伸べる。
 埃と木片の中から現れた顔は、彼女が翌々見知った人物のものであった。


 「またお前か、横島」

 「あたたた・・・・・・す、すんまへんすんまへん、つい身体がっ」


 体育倉庫の壁を突き破っていたのは、1人の男子生徒であった。
 引き起こしながらも、ワルキューレの声音と表情には、懲りないヤツだ、と言外に語る空気が滲み出ている。
 彼女の後方から見遣る生徒たちからして、呆れと苦笑とが漂っていた。

 午前中に登校してくるとは、昨晩は遅くまでバイトが忙しかったようだ。
 彼の生活事情を知る生徒が、異口同音に小さく、少なく言葉を交し合う。
 ワルキューレのファンには評判が悪いが、名物教師に名物生徒と並び評される二人がここに揃っていた。


 「これで何度目の遅刻だ、横島忠夫?」


 呆れ顔の女性教師に対して、横島忠夫は髪を掻きながら苦笑するだけであった。


 ――――――――――――――――――――――――――★――――――――――――――――――――――――――


 「あー、それはワルキューレも横島君も同罪なのねー」


 春風台頭を声で表現すれば、このように『ふわふわ』とした空気を孕んでいるものなのだろう。
 長々と聞いていれば、窓越しの穏やかな陽光と相俟って、いつしか眠気を誘われるような柔らかさである。
 化学室内の空気を優しく震わせながら、のほほんとした口調で咎めたのは、同僚にして化学教師であるヒャクメであった。
 咎めたといっても、揶揄する口調と表情ではないことから、友人同士の気さくなやり取りであることはすぐに知れた。

 時刻は既に昼を回っていた。
 昼休みも折り返しの時間を過ぎ、残りの分を10と幾つも数えれば、午後の授業が始まる。
 恒例と言っても良いヒャクメとの食事を済ませ、やはりいつものように雑談へと流れていた。
 話題の中で、横島との一件を話したことが、ヒャクメの同罪と言う意見を引っ張り出していたのである。

 老朽化が進んでいたとはいえ、倉庫の壁に頭から突っ込んだのだ。
 何でもない、と自己申告する横島を、ワルキューレは問答無用で彼の首筋に手刀を叩き込み、昏倒させ、保健室へと放り込んでいた。
 保険医である美衣教諭の診断によれば、空腹と寝不足気味が積み重なっていたらしい。
 大鼾をかいて眠りこけている姿は、どう見ても壁を突き破ったダメージは皆無であろう、と勘ぐりたくなる安らかな寝顔であった。


 「私が何かしたのか? そんな記憶はないんだが」

 「そりゃそーよ。あなたが意識してないんだもん」


 がぶ、とマグカップに満たされたコーヒーを嚥下し、ヒャクメは視線を和らげた。
 どこから同罪という評価に辿り着くのだろう。言外に問いかけるワルキューレの表情が、どこか微笑ましかった。


 「男の子はみーんな狼なのよねー。まぁ、うちの校長や桜井先生みたいなのは例外としてもさ」

 「結構な事じゃないか」


 堂々たる宣言にも似た返答に、ヒャクメは眼を丸めるばかりであった。


 「はぇ?」

 「狼は生存術に長けている。しかも家族を愛する気高き動物だ。私としてはそんな生徒に育ってくれる事こそを願っている。まさに教師冥利に尽きるというものだ」

 「や、それじゃ困るのよー。横島くんのは単なる煩悩丸出しなんだからさ。例えれば『赤ずきん』の狼さんなのよー?」

 「あの狼は単なる捕食衝動に走った、無目的にして無為無策の馬鹿者だ。撃たれて食われても当然だが、横島は違うぞ。
  アイツは私が何度打ち倒してもその度に立ち上がり、私に挑んでくる。いわば挑戦者だな。高き壁を乗り越えんとして、その身を傷めても挫ける事がない。
  まさに戦士としての資質と呼ぶに相応しいではないか」


 どうも基本的に、狼という言葉からして、彼女とは捉え方が異なるらしい。
 自信満々に自説を唱えるワルキューレに、惑う雰囲気は皆無である。
 ヒャクメとしても、呆れるよりはむしろ称えたくなる力感を、彼女からは受けていた。


 「ワルキューレならではのセリフよねー。気に入った子なら、悪いトコも良い風に見えちゃうもんだよー?」

 「それはまぁ、気に入ってるだけでもないんだが・・・・・・昔の映画も言っているだろう。『狼は生きろ、豚は死ね』と」


 目の前で、音を立てて噛み砕かれる煎餅が、ヒャクメにはどこか供物の様に見えた。
 割れる音まで悲鳴のようにも思える。さすがに『ぶひぶひ』とは聞こえないが。


 「うー、豚さんの方でなんていうか聞いてみたいわ」

 「知らん。言っても聞かん。私が美味しく揚豚(カツ)にしてやる」

 「やっぱ鬼なのねー」

 「鬼で結構。豚ごときに割ける時間なぞ無い」


 徹頭徹尾、ワルキューレの教育論は精進を旨とし、惰弱を排するものなのだ。
 篩いにかけて、未熟なものを追い落とすとか、いわゆるエリート優先主義とは異なるものではある。
 要するに、弱い自分をただ肯定し、弱くて良いやと捨て鉢気味になるような態度が許せないということなのだろう。
 長い付き合いになるヒャクメには良く分かるが、これは余人からすれば、なかなかに付き合い辛い価値観であることも、彼女は察していた。

 とはいえワルキューレが、一度認めた者には惜しみない教育を注ぐのも、また事実であることをヒャクメは知っていた。
 贔屓の意味ではない。生徒をランク付けし、教え方に差をつけているということも無い。
 むしろその逆で、生徒の1人たりとも取りこぼす事無く、人として育て上げたいという情熱の塊なのである。

 豚呼ばわりも、そんな教育者としての意思の比喩表現なのだ。
 勤勉家と不精家がいれば、彼女は進んで前者を賞賛し、後者は蹴り飛ばすか無視するだろう。
 だがもし後者が、僅かでも働く意思を見せた時にこそ、彼女は意欲と体力を総動員させて、カリキュラムを構築し、指導する。
 教育熱心といえば熱心なのである。同じ立場にある自分としても、気圧されるほどに。

 しかしそんな彼女、ワルキューレが、横島忠夫に関しては異なる視点で見ているように思えた。はっきり言えば『らしくない』と言えようか。
 どうも教育者としての勘を鈍らせているようにしか、ヒャクメには考えられないのである。


 ―――まさかねぇ。


 ちょっとした発想が一瞬ヒャクメの脳裏を掠めたが、発想の種火としては余りにも薄弱に過ぎると思ったらしい。
 とりあえず脳内の倉庫に放り込みながら、ヒャクメはクッキーを手に取った。
 眼前で嬉々として拳を固める女性を見ながら。


 「うむ。横島忠夫、私は待っているのだぞ。この私に、ワルキューレに見せてみろ。
  お前は豚か? それとも私の想像をはるかに超えた狼なのか?・・・・・・ふふふふ、これは興味深い。実に興味深いぞ」


 表情も口調もクールでありながら、その実、沸き立つような期待感がありありと出ている。
 自分に挑戦してきている、と根っから思い込んでいるワルキューレを見つめながら、ヒャクメは更なるコーヒーの必要性を感じていた。


 「ダメだ、こりゃ」


 天井を仰いで、呟くより他はなかった。


                             続く

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