――ドンドンドン!――
早朝の市街地に、簡素な扉を荒々しく叩く音が響き渡る。
――ドンドンドンドンドンドン!!――
アメリカ合衆国、ニューヨーク州マンハッタン。
この世界有数の大都市の、表通りから少しばかり路地裏に入った大恐慌時代からあるのではないかという古アパートに、一人の男が訪れていた。
男は返事が無いことに業を煮やしたのか、より激しく扉を叩く。
扉を叩く拳は堅く握り締められ、黒人特有の褐色の肌が紅潮し、こめかみには青筋が浮かんでいる。
怒りに任せ今度は渾身の力でドアを叩こうとした時、間を外すようにかちゃりと鍵が解除される音がし、扉から首をかしげて出てきたのは、すらりとしたスーツ姿のブロンドの女性。
フォーマルな服装だったが、品のある香水とスタイルの良さが嫌味でない程度の艶を醸し出している。
「……ヨコシマは居るか。」
その口調は尋ねる、というより確認するといった方が正しかったろう。
男は湧き上がる怒りを抑えようと努めているようだが、その試みが成功していないのは明らかだった。
微かに震える息遣い。
力いっぱいに噛み締められ、盛り上がった顎の付け根。
そして何より、ぶるぶると震える程に握り締められた両拳。
それらの全てが男の激高を雄弁に物語っていた。
ブロンドの女性はこのような早朝にいきなり目の前に現れた怒れる黒人に呆気に取られていたが、身の危険は感じなかった。
その理由は主に男の服装が、合衆国海軍の物だったからだ。
軍服をしわ一つ、ホコリ一つなく着込み、胸元には幾つもの勲章が誇らしげに輝いている。
髪は短く刈り込まれ、顎も綺麗にそり上げられ、怒り狂っていながらも、その清潔な佇まいは男が理知的な存在だと証明していた。
男を少しばかり観察した後、女は少し間の抜けた質問をした。
「ヨコシマって誰の事かしら?」
「タダオ=ヨコシマ、この部屋の住人の事だ。」
女は首を傾げていたが、ファーストネームを聞くと、納得したように相槌を打った。
「ああ、タダオならまだベッドで寝てるわよ。
どうやら彼に用があるみたいだし、私は失礼させてもらうわね。」
それだけ言うとブロンドの女性はさっさと男の脇を通り抜け、アパートの階段を降り、まだ人通りの少ない灰色の街へと消えていった。
男は玄関に入ると、迷う事無く一直線にこの部屋の主の寝室へ向かう。
恐らく何度か足を運んだ事があるのだろう。
壁絵一つ無い飾りっ気のない廊下を抜け、その奥の扉をノックもせずに荒々しく開ける。
室内はベッド、ソファー、衣裳棚という最低限の家具しか置かれていない。
どうやらこの部屋の主は装飾というものに無頓着なようだ。
部屋を見回すとダブルサイズのベッドに何者かが横になり静かな寝息をたてている。
その呑気な寝顔が癪に触ったのか、男のこめかみの青筋が倍ほども浮かぶ。
ズンズンと大きな足音をたてながらベッドに近付いていく。
手を伸ばせば届く距離まで近付いても一向に起きようとしない相手に男が苛立ち歯軋りする。
持ち前の強靭な精神力でなんとか怒りを抑え込むと、努めて平静に声をかけた。
「……起きろ、ヨコシマ。」
ベッドの男はうーんと大きな伸びをすると甘い声で囁いた。
「おはようハニー、昨日は最高だったよぉ……」
隣で寝ているであろう相手の背中を撫でようと手を伸ばしたが、その手は虚しく空を切った。
「あれ、ハニー?」
「寝ぼけるなヨコシマ。」
苛立つ男が一言ずつ搾り出すように吐き出した。
男の姿に気付くとベッドの青年は途端に不機嫌そうな声に変わる。
「……なんだラルフか。
帰れ帰れ、俺ゃー疲れてんだよ。」
しっしっと犬でも追い払うように手を振った。
脳溢血が心配になるほどラルフと呼ばれた男は頭に血を登らせながら、青年の顔に手に持った紙の束を叩きつけた。
「どういう事か、説明してもらおうか。」
青年が紙の束に目をやるとそれは今日発売のニューヨーク・タイムズだった。
トップの一面を飾る記事を目にし、青年が冷汗をかきながらあははーと乾いた笑みを浮かべた。
『テロか事故か!?砕かれた自由の象徴!!』
大きな見出しの下には、掲げた右手の肘から先がポッキリと折れ、トーチが地面に突き刺さった自由の女神の写真が載せられていた。
「3回目はないぞ。
…どういう事か、説明してもらおうか。」
厳しく横島に詰め寄りながらも、ラルフは内心舌を巻いていた。
トランクス一枚でベッドにあぐらをかいている青年の身体は、現役の海兵隊の自分に負けない程に鍛え上げられていたのだ。
服を着ている時は気付かなかったが、無駄な全身の脂肪を限界まで削られ、その上に強靭な鋼のような筋肉が積み重ねられている。
そしてその肉体には無数の傷跡が刻まれており、青年が想像以上の修羅場を潜り抜けてきた事を示唆していた。
特に右肩から袈裟掛けに腰まで走り抜けた深い斬撃の痕は、ラルフの目には致命傷にしか見えなかった。
だが今もこうしてピンピンしている事が、この青年がいかに人間離れしているかを何よりも証明していた。
「そ、その、まあ、なんだ。
取り敢えず服を着てからで良いだろ。」
時間を稼ごうとしているのがバレバレだったが、ラルフは頷いた。
下着は身につけているとはいえ、彼とて何時までも男の裸など見たくはないのだ。
横島が出来るだけ時間をかけながらベッドの周囲に脱ぎ散らされた衣服を拾い集める。
さっき出ていった女性と一夜を共にしていたのだろう。
室内に漂う微かな、汗と体液が混じり合った様なこもった独特の匂いがそれを物語っていた。
それに気付いたラルフの表情がさらに不機嫌になる。
「人が情報を集めるために奔走している時に、随分楽しんでいたようだな。」
ラルフはたっぷり嫌味を込めて皮肉ったつもりだったが、それを聞いた横島の頬はだらしなく垂れ下がった。
「そ〜なんだよ。昨日は予想より早く方付いてさぁ。
一杯やりに出掛けたんだ。」
「ほほう。」
ラルフに浮かぶ青筋が五割増しになっているが横島は気付いていない。
顔をにやつかせながら話を続ける。
「一人で寂しく飲んでたらキャサリン――じゃないな、ケイト――いや、ケーシーか?
うーん、思い出せないしハニーで良いや。そうとしか呼んでないしな。
とにかくハニーが店に入って来てさー、話し掛けたら盛り上がっちゃったんだよなあ。
そりゃ思わず俺の下半身も盛り上が――――
「ええい、もういい黙れ!」
脳の血管が二、三本切れてそうな憤怒の表情で怒鳴りつけた。
前々から知ってはいたが、目の前の青年の女癖の悪さは真面目な彼にはとても容認できるものではなかった。
「もういいだろう、無駄話も時間稼ぎも終わりだ。
昨日何があったのか正直に話してもらおうか。」
懐から拳銃を抜き、手早く安全装置を解除すると眉間の間に狙いを定める。
漆黒の凶器を突きつけられた青年は、両手を挙げて降参した。
「へーへー、わかりましたよ。
言やーいいんでしょー、言やー。」
投げやりな態度で口を尖らせながら渋々昨日の事を話し始めた。
その日横島は枕元で鳴る携帯の呼び出し音で目を覚ました。
お気に入りの歌手のメロディーが流れるでもない、ただの単純な電子音の繰り返し。
気持ち良い眠りから叩き起こされ、乱暴に携帯を掴み取る。
この味気ない着信音は仕事関係の相手に設定していた。
ディスプレイに表示されている名前を見て、思わず不機嫌な表情になる。
相手が女性ならまだしも、電話をかけてきた相手は男。
それも男の中の男、横島の中で男臭い職業癸韻痢軍人の知り合いからの電話だった。
耳障りな電子音を響かせる携帯のディスプレイを眺めつつ、どうするべきか思案する。
とその時、横島の腹が大きく鳴り響いた。そしてふと猛烈に空腹な事に気付く。
頭の上に電球がぴこんと光り、にやりと笑うと通話ボタンを押した。
「今回の依頼は表向きはGS協会からの依頼という事になっている。
我々軍部の人間からの依頼だとバレないよう気をつけて――って、聞いてるのかヨコシマ。」
分厚いステーキにかぶりつく横島にサングラスをかけた黒人の男が確認するように声をかける。
「安心しろラルフ、ちゃんと聞ぃーてるって。
あ、オネーサンこれおかわりね。」
軽く400gはあったはずのステーキをあっという間に平らげると店員の女性に追加を頼んでいる。
「少しは遠慮してくれ……」
眉をしかめるラルフの事など見えていないかのように、三枚目のステーキに横島が目を輝かせる。
食事が終わるまで話は進まないと判断し、疲れた顔で自分もエスプレッソを注文した。
「で、今回の依頼は何をすればいいんだ。」
結局横島が話を聞く態度になったのは七枚目のステーキを片付け、さらに特大のチョコレートパフェを食べ終えてからだった。
もちろん食後の一杯としてコーヒーを頼む事も忘れていない。
「くっ、人の金だと思って好き放題食べやがって。」
伝票に記載された金額にラルフが苦い顔をする。
「まぁーいーじゃないの。
お前だってどうせ経費で落とすんだろ。」
「当たり前だ!
お前と会うたびに自腹切ってたらとっくに破産してるんだよ!」
あっけらかんと言う横島にラルフが噛み付いている。
そりゃ失礼、と横島が肩をすくめた。
「……もう良い、本題に入るぞ。」
表情を引き締め、すっと一枚の写真を横島に差し出した。
横島が写真に目をやると、頑丈そうな黒い鱗に覆われ、皮膜が張られた翼で大空を羽ばたく生物らしきものが写っていた。
厄介な相手に横島が渋い顔をする。
「専門家によればこいつはワイバーンとかいう飛龍の一種らしい。
龍とはいっても神格は持っていないそうだ。
龍というより恐竜みたいなものだな。」
大きさを比較できる物が写っていないので断言は出来ないが、翼を広げた全長は恐らく2、30メートルはあるだろう。
楽な相手とは言い難い。
「で、あれか?
カオスフライヤーでこいつを狩れってのか?」
ぴくりとラルフの眉がつりあがる
「『カオスフライヤー』ではない、『フリーダムキーパー』だ。」
エスプレッソを口に運びながらじろりと横島を睨む。
「へーへー、そうでしたね。
フリーダムキーパーの間違いでした。」
ひらひらと手を振って訂正する。
不真面目極まり無い態度だが、ラルフも咎める様子は無い。
アメリカ空軍が開発した特殊戦闘機という事になっているが、カオスフライヤーが原形なのは横島の目には明らかだった。
もっとも、今では似たような物を各国で開発しているので、どれが原形なのか正確には不明だったが。
各国の研究者が好きな名前をつけているので、混乱を避けるための統一規格として一般的には『フライヤー』と呼ばれている。
動力は機械エンジンと操縦者の霊力を組み合わせたハイブリッドエンジンが搭載され、既存の戦闘機の常識を打ち破るサイズと性能を備えている。
だが同時に大きな欠点も存在した。
動力が操縦者の霊力に依存しているため、並の霊能者では動かす事すら出来ないのだ。
各国ともに絶対的な操縦者不足という事情により、まだまだ軍事力の中核にはなりえていない。
ならばどういう使われ方をしているかというと、今回の様に空を飛ぶ魔物の討伐や、小回りが利く性能を活かした街中での除霊に使われたりしているというのが現状だった。
軍にとってフリーダムキーパーを乗りこなせる横島は、腕の良いフリーのGSであると同時に貴重なテストパイロットでもあったのだ。
「ま、飯もおごってもらったしな。
ワイバーン退治、引き受けるわ。」
まるで犬の散歩でも引き受けるかのように気楽に返事する。
「ヤツは手強い。
くれぐれも気をつけてくれ。」
神妙な表情のラルフに横島が意地の悪い笑みを浮かべる。
表向き軍の依頼に見せていないのは、飛龍一匹退治できないという事実を認めたくないのだろう。
「その様子だと、こっぴどくやられたんだろうな。」
意地の悪い言葉にラルフが忌々しげに舌打ちした。
「ああ、仕掛けた戦闘機が三機落とされた。
おかげでお前の力を借りなければならない羽目になったんだよ。
だがお前の場合、心配なのはやられる事よりむしろ――――」
ラルフの言葉を手を振って遮る。
「みなまで言うなって。
しっかり仇はとってやるから心配しなさんな。
いつ仕掛けるか決まったらすぐに連絡くれよ。」
都合の良いように解釈すると、鼻歌を口ずさみながら意気揚々と店を後にした。
残された数百ドルの伝票を握りながらラルフがぽつりと呟いた。
「俺は、お前が余計なトラブルを起こしそうで不安なんだよ。」
予言めいた言葉と共に、ラルフは深いため息をついていた。
その夜、横島はラルフから港の倉庫街に行くようにと連絡を受け、自前のレーサータイプのバイクで乗りつけると既にほとんどの準備が終わっている様で、最終チェックのためだろう、フライヤーの周囲を作業服を着た人間が忙しく動き回っている。
時折ボォーと船の汽笛が聞こえる暗い港に、バイクのずんずんとした重いエンジン音が鳴り響いて、到着した横島に気付いたのか皆の作業の手が止まった。
突然現れた東洋人への好奇の視線を気にもせず、横島は真っ直ぐ責任者の所に向かう。
「タダオ、君が引き受けてくれて助かったよ。
他の連中ときたら腰抜けばかりで役に立ちゃしない。」
口髭を豊かにたくわえた丸顔の初老の男が、横島と親しげに握手を交わす。
温和な笑みを絶やさないその表情とは裏腹に、彼はメカニックとして僅かな妥協も己に許さない、職人肌の男だった。
その一分の隙も無い完璧な仕事ぶりは尊敬の念を抱かせるのに十分で、それは何度かフライヤーのテストパイロットの仕事を引き受けた時に深く実感していた。
お互いに気心が通じるのか、親と子ほども年は違うが、今では10年来の友人の様に付き合っていた。
「そりゃ〜俺って勇気ある若者だし?
困ってる人がいたら黙ってられないんだよな〜」
「はっはっは、困っている『女性』がいたら、だろう?」
「はっはっは、そんなの当然でしょう、ハリーさん。」
ハリーの指摘に、横島が笑いながらふんぞり返って胸を張る。
横島を初めて見た技術者達は彼のあまりの軽さに目を丸くしている。
あれがフライヤーのパイロットか、と。
フリーダムキーパーは起動するのに100マイト以上もの霊力を必要とする。
当然動かせる者はGSでもかなり限られ、それゆえ乗り手はプライドが高く技術者を対等に扱わない者が多い。
たとえ開発責任者とはいえ、冗談でも今のような態度をとれば、下手をすれば気分を害され、土壇場でテストをキャンセルされる事もある。
除霊機具全般の開発に携わっているハリーは他の一流GSと接する事も多いが、横島ほど技量とプライドが反比例しているGSは他に見た事がなかったし、何よりその気取らない彼の振る舞いに、ハリーは大いに感じ入っていた。
噂でしか横島の事を知らなかった連中は最初は遠巻きに眺めていたが、横島のハリーとのやり取り、フランクな態度に何時しか大勢集まって口々に横島に話しかける。
皆、生粋の技術者として、貴重なテストパイロットの話は是非にでも聞きたかったのだ。
乗り手の生の感想は何よりも彼らにとっては重要なのだから。
この機会を逃すまいと、次々にに自分の担当する箇所の質問をしている。
正直、専門用語が飛び交いすぎて横島には半分以上意味不明だったが、彼にわかる範囲で答える様に努めた。
意見の交換はハリーと定期的に行っているし、現場でそこまでする事は無いのだが、実は密かに横島も空中での自由度を飛躍的に向上してくれるフリーダムキーパーを気に入っていて、彼らに協力する事は横島にとっても有意義な事だった。
「ほら、お前達、気持ちはわかるがいい加減に作業に戻らないか。」
放っておけば永遠に終わりそうに無い質問の嵐をハリーが強引に終わらせた。
皆不服そうだったが、ハリーの言葉ならと作業に戻っていく。
「すまない、タダオ。
これから命をかけて戦いに臨むという時に余計な気を遣わせてしまって。」
「別に良いって。
こんな事でフライヤーの設計の役に立てるんなら、喜んで協力しますよ。」
申し訳なさそうにするハリーに、横島が気にしないでくれと手を振る。
心底気にしていなさそうな横島に、ハリーは内心ほっとする。
「ハルバート主任、そろそろミスター・ヨコシマへの搭載武器の説明に入りたいのですが。」
ハルバート主任――ハリーが振り返ると横島には見慣れない女性が立っていた。
明るい金髪を短くカットし、作業帽をかぶって色気の無いつなぎの作業服を着てはいるが、ボーイッシュな顔立ちとは裏腹に出る所はしっかり出て、横島の興味をそそる。
ハリーは頷くと横島に女性を紹介する。
「タダオ、この子はモニカ=ランドール。
フライヤーの搭載武器の開発を担当してもらっている。
まだ若いが腕は確かだ――って若いと言っても君もまだ23だったよな。
彼女も君も同じ年だな。それでは私はフライヤーの最終チェックに入るから武器の確認は彼女から聞いてくれ。」
モニカがにっこり微笑み手を差し出した。
「よろしくね、ミスター・ヨコシマ。
あなたと仕事が出来るなんて光栄です。」
「こちらこそ。
俺の事は忠夫と呼んでくれ。
親しい人は皆そう呼ぶんだ。」
差し出された手を握り、白い歯を見せて爽やかに笑う。
「サンキュー、タダオ。なら私の事もモニカって呼んでね。」
モニカが少し照れたように頬を染めた。
その時一瞬横島の目が獲物を狙う鷹のそれになっていたのだが、幸か不幸か彼女は気付かなかった。
フライヤーは各国で独自の開発が進められているため、呼び名以外に特に統一された規格は存在しない。
アメリカ軍が開発したフリーダムキーパーは、見た感じはバイクに良く似ていた。
流線形のシャープなボディと、取り回しのために前後に設けられた二つのタイヤにより、何も知らない人間が見れば新型のバイクだと思うかもしれない。
バイクと比べれば一回り大きい点と、航空機の先端の様に鋭く伸びたフロント部が特徴的だった。
両サイドには対になった大口径キャノン砲と小型ミサイルポッドが取り付けられており、シート後部から伸びるメインブースターと相まって、まるで翼を広げた翼竜のようにも見える。
「前回の収束霊波砲は狙いの精度が甘かったので、今回は出力を20%カットする事で精度を重視するようセッティングしています。」
実際にフリーダムキーパーを乗りこなせる人間に話すのは初めてだったので、モニカが生き生きと目を輝かせながら説明している。
横島は対照的に神妙な面持ちで頷いていたが、頭の中は別の事を考えていた。
(うーん……細身だけど着やせするタイプと見た……!)
「前回乗った時、少し初動が硬い感じがしたんだけど、改善してくれてる?
確か足回りの辺りだったと思うんだけど……」
横島が何気なくフライヤーの下部を指差す。
「あ、はい、ちょっと見てみますね。」
前回のパーツリストを手に、モニカが四つん這いになりフライヤーの足回りをチェックする。
フライヤーの底部を覗き込んでいるのでモニカからは横島の姿は確認出来ない。
それを良いことに、横島はだらしない顔で突き出された形の良いお尻をじっくり眺めている。
(ぬぅ……!少し小さめだが形は文句無しの一級品……!)
チェックを終えたモニカが振り返ると、真剣な表情で横島が自分を見つめていた。
相手が振り返るタイミングを見切る能力は、もはや神業の領域だった。
そんな事とは露知らず、思わずモニカの胸が高まる。
「あ、えーと……タダオ?」
どぎまぎしながら横島に問い掛ける。
バンダナとデニムのスタイルを捨て、良くも悪くも心身共に大人になった横島は魅力的な男に成長していた。
昔はボサボサだった茶色がかった黒髪も、今は自然な感じにセットされている。
数々の修羅場を潜り抜けて来た経験が表情に影を落とすこともあったが、持ち前の軽い性格がそれを良い具合いに中和していた。
美形という感じではなく、むしろ男前と呼ばれるタイプだろう。
『蛙の子は蛙』とはよく言ったもので、おたまじゃくしから蛙へと成長した横島は、学ばずとも女性を口説けるようになっていた。
「どうだった?パーツは変更してあったかな。」
以前の様に考え無しにがっつくような事はせず、ちゃんと口説くタイミングを見計らえるようになっている。
「えっ?あ、そ、そうね!
ま、前と同じパーツだったわ!」
手に持ったパーツリストを慌ててめくりながら説明する。
「そうか……」
顎に手をあて考え込む。
(お、口説く前からなんだか脈ありっぽいぞ?)
「今からでもセッティングを調整する?」
モニカの提案を吟味するフリをする。
「いや、大丈夫だ。
操縦に不都合が出るほどじゃなかったし。今日はこのままでいこう。」
そもそもさっきの言葉からしてお尻をじっくり見るために適当に並べただけなのだ。
ハリーのセッティングは常に完璧だった。
背も伸びきり、もう立派な大人だというのに彼の本質は全く変わっていない。
(それにしても良いねぇ、さっきの初々しい反応!
ボーイッシュな顔とナイスバディのアンバランスさがたまらんぜ!
コレいっとかなきゃ男じゃないでしょ〜!)
実のところ彼が大人になった点と言えば、以前の様に考えている事を無意識の内に口にしなくなったくらいだろうか。
でもそんな事は出来て当たり前のような気もするが、それはこの際置いておく。
「搭載武器は基本は前回と同じですが、少し変更している所がありますので、順番に説明していきますね。」
「ああ、頼むよ。」
「さっき少し説明しましたが、精度を上げるため左右の砲台は出力を落とし――――」
(この年で武器開発を任されてるくらいだから、恐らくかなり優秀なんだろうな。
って事は、ずっと勉強してたのかぁ。やれやれ、こんなに可愛いのに人生損してるよなぁ。)
「ミサイルは手数を重視し、多弾頭型に変更――――」
(さっきの反応から見てもあんまり経験なさそうだし、デートコースはシンプルな方が良さそうだな。)
「サイコ・ラムの使用可能時間は前回から20%アップしています。でも一度使えば冷却に300秒は必要なので注意して下さい。」
「ああ、了解した。」
頭の中はすでにピンク色になっているのだが、それをおくびにも出さず真剣な顔で頷く。
当然、説明してもらった内容のほとんどが右耳から左耳に抜けていたが、特に気にしていなかった。
さてどうやって口説こうか、などと考えていると突然腕時計のアラームが鳴り出した。
モニカに聞こえないように小さく舌打ちする。
何時の間にか出撃五分前になっていた。
これではとてもゆっくり話す時間は無い。
だがそれくらいで諦める横島ではなかった。
「無事に帰って来れたら……モニカ、君に頼みがあるんだ。」
言うまでも無く演技なのだが、憂いを帯びた表情で話し掛ける。
「な、なに……?」
頬を染め、かすれた声でモニカが聞き返した。
どうやら男性に免疫が無いだろうと睨んだ横島の読みは的中していたようだ。
「フライヤーの設計の話とか、聞かせて欲しいなーと思ってね。」
一転、明るい表情でにこりと微笑みかける。
この落差が『効く』と経験上知っていた。
案の定、横島の笑顔につられるように、モニカの表情が緩んだ。
だがそれもつかの間、すぐに申し訳なさそうな表情に変わる。
「あ、あの、フライヤーの事なら、私なんかよりハルバート主任の方が……」
なるほど、確かに正論だ。
経験の浅い自分よりもベテランの彼の方がよほど深い知識を備えているだろう。
だが、いくら尊敬する相手とはいえ、横島にプライベートでおっさんと差し向かいで話をするような趣味は無い。
申し訳なさそうにうつむくモニカの肩にそっと手を置く。
そして精一杯優しい表情をつくりながら、慰めるように囁いた。
「俺はさ、君の話が聞きたいんだけど――駄目、かな。」
ボン!と音が聞こえそうなくらい、モニカが真っ赤になる。
恥ずかしそうに目を伏せ、消え入りそうな小さな声で呟いた。
「は、はい……その、私で良ければ、是非……」
横島は満足そうに頷くと、モニカの手を取り自分のアドレスのメモを握らせる。
「それじゃ、連絡待ってるよ。」
颯爽とフリーダムキーパーに跨り、エンジンを起動させる。
澄みきった、少しばかり高音のエンジン音が港の倉庫街に響く。
出撃すべく、フリーダムキーパーがふわりと宙に浮かぶ。
「あ、あのッ――!!」
モニカの声に横島が振り返る。
「その、お気をつけて……」
その言葉に答える代わりに、自信あり気に微笑むと横島は飛び立っていった。
ちなみにこの間、ジャスト5分。
彼は、あの父親に勝るとも劣らない遊び人に成長していた。
「くっくっく、良いねぇ〜、モニカちゃんか〜!
こいつぁ〜思わぬ掘り出し物かもなぁ!」
誰にも見られていないのを良い事に、煩悩丸出しの笑みを浮かべる。
「フライヤーの話をしてる時はハキハキしてるのに、一歩プライベートに踏み込んだ途端……
あの初々しさがたまんないよなぁ〜!美味しく頂くとしますかぁぁ!!」
さっきの初々しい反応を思い出し、横島がだらしなく頬を緩ませる。
海上を飛ぶフリーダムキーパーは、煩悩により昂ぶる霊力に呼応するかのように急激に速度を上げていく。
「はっはっは!待ってろよ〜爬虫類ぃぃ!
サクッと始末して、楽しい楽しいデートタイムと洒落込むぞぉぉ!!」
月の隠れる闇夜の空に、横島の高笑いが響き渡っていた。