そこは陽の光が届かない地下水路。
自然の光源は何もなく、辺りには錆び付いた周囲を薄っすらと照らす電球が等間隔に天井や壁際に並び備えられていた。
生活用水から滲み出る鼻が曲がるような臭気に耐え、武装していない左手でハンカチを鼻に押し付けながら周囲を警戒して歩く令子の背後を何時もの様に横島がスタイルの良い彼女の後姿を嘗め回す様な視線でくっ付きながら歩いていた。
「横島君、周囲の警戒は?」
「ハッ、異常無しであります!」
そんな横島の痴態を分かりきっていると言わんばかりに、突発的に冷たい声で問う令子の言葉に途端に真面目な顔付きになり応える横島。そんな二人の様子を「仕方ないな」と呆れた感じを含みながら見守る幽霊のおキヌ。辣腕で知られる高額取りGS、美神除霊事務所のメンバーである。
何時もと違うのは横島の背後に無言で付き従うよう式神の少女の姿があることのみである。
「ったく、仕事の最中ぐらいちゃんとしなさいよね、命かかってんのよ?
ただでさえ残留妖気が濃くて、見鬼君が使えなくて困ってんのに。
あんたの相棒見習って真面目にやんなさいよ」
「失敬な!」
溜息を吐きながら睨む美神の言に、横島は心外だと言わんばかりの表情で反論する。
「ちゃんと俺は周囲を警戒して少しでも美神さんの助けになろうとしているというのに・・・!
周囲を注意深く見るあまり前方の美神さんの後姿にちょっとぐらい目が行ってしまってもそりゃもー仕方ないじゃないですか!?」
「ああもう分かったわよ。じゃちゃんと継続してやんな――――」
「だからもっと細部まで見えるようにくっ付いて歩きましょう、みっかみさーん!!」
「それが不真面目だっつてんのよ!!」
そのまま抱きつこうとした横島は本来妖怪や悪霊を切り裂く為の神通棍で容赦なく打ん殴られる。
行動原理が基本的にワンパターンである為に、既に対応にも慣れている感がある。
本来、こんな危険な場所でセクハラを働こうとする馬鹿など首にしても当然だが、それでもあえて雇い続けるのは彼女なりの親愛の表現なのかもしれない。まあ、元は取っているだろうし、行動がとんでもないのはどっちも似たようなものだが。
だが、今日に限っては事情が違うのか、令子は横島をどつきながら、何かを確認するように慎重深い眼で式神の方をちらほらと眺めていた。古今東西を問わずにオカルトの知識が豊富な令子は式神についても知悉している。知り合いに『一応』それの専門家もいるのだから、式神というものがどういうものか実体験を踏まえて良く知っている。それを鑑みれば、この式神の異質さが分かる。
(・・・・やっぱり、こいつ)
『えっと、その相棒ってこの娘の事ですか、美神さん』
そのまま見るも無残に変わって行く横島を憐れに思ったのか、話を変えるように新参の仲間に眼を向けて話しだすおキヌ。例の財閥の跡取り相手に一仕事終えて事務所に帰宅したときには、彼女の説明も大雑把にそのまま予定されていた除霊に来たので、おキヌからしてみれば納得の行く詳しい話しが聞けなかったのだ。
「その娘に関しては私もよく分かんないから、さっきの説明以上のことは殆ど出来ないわ。
横島君から自然発生したぽい式神。付け加えるとしたら、この馬鹿は式神もセクハラの対象らしいということぐらいよ」
『・・・・まあ、最初は私にも襲い掛かってましたしね』
「仕方ないや、若さと男の情欲を高まらせるこの環境が悪いんや!!」
横島は良い意味でも悪い意味でも人間も人外も区別しない。
横島の基準は安全か脅威か、女か男かの違いしかない。
女、それも美女、美少女の類なら例え多少安全でなくても命を掛けてセクハラするある意味常軌を逸した人間、其れが横島忠夫という男である。
『えっと、幽霊のおキヌです。お互い人外同士ですし、仲良くしましょうね』
「・・・・・・・・」
「え〜っと」
他人を安心させるような慈悲深い笑みを浮かべて挨拶するおキヌに対して、
横島の時とは異なり何の反応も返さずに彼の後だけを追って進む式神。その様子にどうしたんだろうかとおキヌは式神の周りを案ずるかのように回った。
それを見て、美神は不機嫌そうな顔で横島をしばく手を休め、
そして横島もまた驚いた顔で動きを止める。
「ちょ・・・なんだ、お前。急に黙り込んで――――?」
先程まで自分の時には一々反応を返していた式神が急に反応しなくなり、
横島は驚きと心配が半々な顔付きで近付き話しかける。
すると―――――
「・・・・・ヴ」
横島の声には反応してすぐさま寄り添うように彼の元に付く。
「え、あれ? 何で?」
急に黙り込んだかと思えば特にそんな様子もなく、
先程と変わらない親愛に溢れた反応を返す式神を不可解そうに見る横島。
その様子に式神の反応の意味する事に気付いたのか、おキヌは微かに悲しげな表情で顔を歪ませた。
「ど、どうしたんだ? おキヌちゃんも急に黙り込んで?」
「やっぱりね。さっきからもしかしたらとは思ってたけど・・・・」
いつも明るいおキヌまでそういう反応を返されると流石に不可解どころではなく横島も慌て出す。だが、そういうことになるのだろうと予め勘付いていた令子は大した動揺もなく、ただ気にくわなそうに式神を睨みつけた。
「一体何なんすか美神さん?」
「簡単な話よ。―――そいつ、あんた以外まるっきり眼中に無いのよ」
そう端的に述べて、再び視線を外して周囲を警戒する。
横から見える能面の様な顔、その表情は少なからず憤りを感じさせた。
「人見知りが激しい・・・・ってことですか」
「そういうレベルの話じゃないのよ。
そいつは――――・・・・まあ、いいわ。今話すような事でも無いし。
その件は後で、今は仕事に集中しなさい」
今日の依頼内容は下水道に棲み込む様になった妖怪の退治である。
被害者は下水工事の作業員二名と路上を歩いていた一般人三名。
いずれも鈍器の様なもので殴られて重傷。だが、霊的な損傷は殆ど無く、被害者以外の周囲の損害が特に無い事から妖怪は直接的に霊気を食らうタイプではない可能性が高く、また攻撃方法は物理的な、それも近距離のものに限定されている可能性が高い。
何度も殴打された形跡から攻撃力も一般人並みに近いだろうと予測され、単純なタイマンで戦うなら負ける要素は何処にもないと思われる。特記すべきは作業員は兎も角、路上の民間人まで襲う事から攻撃的な性格であることが一つ。もう一つは此処が奴の領域である事から残留する妖気が濃過ぎて明確な位置が特定できず奇襲を受ける可能性が極めて高いということ。
令子的には全ての条件を考慮しても厄介度はDクラス。
個人的に価格を付けるなら500万から1000万の仕事である。
今回の仕事の依頼量は2300万。なんでもここら一帯で来期から大規模な工事をする予定で、邪魔されると億単位での損失が生まれるらしい。
予想の倍以上、―――即ち、楽して儲けられる仕事である。
正直な話し、美神はこの式神を警戒していた。
尤も何の切っ掛けも無しに突如として現れた得体の知れない式神を警戒するのはGSとして無理のない話しだろう。横島は単純に女の子が自分に懐いて来る状況に喜んでいるようだが、令子は其処まで楽観視は出来ない。いや、令子にしてもこの式神の正体についてはどうでも良いのだ。問題はこの式神が自分にとって不利益にならないか、ということ。
元来式神の使役というのは霊能者でも意外に難しいものである。
本来、幾ら親和性が高そうとはいえ、横島のような霊力の低い一般人に操れるものではない。
暴走など起こされては堪らない。だから仕事前に横島に影に入れるか、置いてくるかしろと告げたが、それは両方とも不可能だった。
前者は即席の式神使いの横島に式神を影に収容する術の知識も力も無い。
そして後者は式神が横島から離れずに付いて来たのだ。
横島は人外といえど女性を邪険に扱える男ではない。
暫し悩んだ令子だが、それならばと発想の転換を行なった。
どうせ、この式神はこのまま長期的に横島に取り付きそうな感じがする。
故に横島を雇い続ける限りこの式神もまた憑いて来るのだろう。
横島ほどの安価の労働力は結構惜しいからこれからもなんだかんだいって雇うだろうし、
そうなると結局は令子の身近に長期に渡りこの式神がいることとなる。
式神は確かに扱いにくい存在だが、その分極めて強力な力である。
この式神は大した力を感じないが、
それでもそれは横島が素人であるということもあるのだろう。
使いこなせれば、荷物持ちでしかない横島がかなり役立つ存在となる。
怖いのは暴走だが、仮に暴走しても直接的な被害を受けるのは自分ではない。
(今回は危険の少ない仕事だし、
この仕事でのこいつの反応次第でどうするか決めよっと)
見栄えだけはかなり良い式神を尻目に独白する。
肌から感じられる霊力は然程高くなく、霊圧にして50マイト前後。
霊圧だけなら令子より数段下回る存在である。
今は横島以外には無関心を貫いている式神が突発的に暴走しても何とかできる自信がある。
もし明確な敵を前にしてこの式神が余程問題のある行動を取らなければ、横島を本格的に鍛えてGSにするのも一つの手だろう。
だが、一つだけ懸念することがある。それは――――
(普通、主に危害が加わればどんな理由があれ障害を排除しに掛かるのが式神の筈。
なのにこの娘、私が横島君を折檻してもまるで動じていない。横島君の思考と反応を見て、敵ではないと判断している?)
それは不自然だ。
第一そうだとするなら、冥子の暴走の際に一々巻き添えを食らうのが納得行かない。
この式神と冥子の十二神将が根本的に違う存在だというなら兎も角、寧ろ別の要因があると考えるのが自然だろう。例えば―――
(私を脅威だと感じていない・・・・・とかね)
六道冥子は気の弱い女性である。
それこそ毛虫が服についたぐらい大騒ぎするタイプ。
そして彼女が騒げば式神も暴走する。
何度も巻き込まれたから分かる。
冥子がプッツンした際に式神は脅威と思われるモノを排除する。
式神の能力から比例すれば、毛虫は当然脅威ではないから無視され、周りの『冥子を傷つける可能性のある者』、更に穿っていうなら『冥子を傷つける力があると式神が判断した者』を排除する。
それ故に冥子の暴走の原因が取り除かれず、結局当たり一面吹き飛ばして冥子が疲れるまで破壊活動をし続けるというどうしようもないことになるのだが、それはまあ、おいておく。
つまりその法則にそって考えるなら、
この式神は『美神令子は決して横島忠夫の敵にはならない』と認識しているか、もしくは『美神令子は横島忠夫、引いては横島忠夫を守る自分の脅威に値しない存在』と判断しているのではないのか、という可能性。前者ならともかく、後者だと考えると、受ける霊圧が大したことなくても決して楽観視出来ない。
ただ―――――
(ムカつくのよね、横島君の式神の癖に)
例え可能性であっても、横島(の式神)に馬鹿にされるのは腹の立つ令子であった。
(何か、皆の感じが悪いよな)
妖怪を前に緊張しているのとは違う事ぐらい横島にだって分かる。
いくら荷物持ちとは言え、彼女らと共に潜った死線の数は伊達ではない。
―――まあ、彼女らによって追い込まれた死線の数も決して少なくは無いのだが。
それはさておいても、今の状況がいつもの雰囲気と違う事ぐらいわかる。
口では真剣にやれと令子は言っていたが、どうも仕事に完全に集中し切れていない様子。
それにいつもは死んでるくせに明るく、ムードメーカーでもあるおキヌが何処となく沈んでいるのも気になる。式神に無視されたのがそれほど堪えるのだろうか。とてもそれだけが理由には思えないのだが。
(まあ、何にせよ原因がこいつであることには違いないんだろうけど・・・・どうしたもんかな)
そう考えて横を見る。自分に寄り添うように経つ少女。
仮に彼女に説明したとして、令子達と友好的に接するだろうか。
主であるらしい自分でさえ全く彼女の事を把握できていないので、全くどうとも言えないが、何となく直感的に不可能そうな気がする。令子の言うとおり、横島しか眼中にない態度なのだ。仮に彼女が雄弁になったとしても、まともなコミュニケーションを取れるどうかは妖しいところだ。
(しかし、俺しか眼中に無い女・・・・ああ、何て甘美な響き・・・!!)
今まで自分だけ眼中にない状況には多々あったが、こんな状況は全くの初めてである。
しかも式神とは言え息を呑むほどの美人。
冥子の式神とは違う完全な人型で服も着ているし、胸もある。
それだけでもう横島としては何の文句もなかった。
こんな美少女が自分だけに全ての警戒心を緩める正にべた惚れの様な態度。
普段の他人に対する無反応さがそれを一層際立たせる。
所謂男にとって理想の女性像の一つ、「ツンデレ」。
(おまけに触られても嫌がる素振りさえ見せない!
顔は見えないが、文句なしの身体! 高い、ポイント高いぞ!!)
其処まで脳裏に過ぎると途端、今朝の魅力的な双乳を思い出す。
(ナマチチ、あれはえがった・・・・!!)
思い出すと、頭の中はたちまち桃色となり、妄想爆発である。
これが令子やおキヌの場合は妄想だけで終わるのだが、今回は事情が違う。
彼女は横島の妄想通りに自分の言う事を何でも聴きそうな都合の良い女。
それに思い至れば妄想だけではすまなくなる。
突如、挙動不審な態度で警戒気味に辺りを見渡す。
ただ横島の場合は妖怪に対する警戒ではなく、令子達の視線に対する警戒である。
令子は自分の前で前方を警戒し、おキヌはやや沈んだ顔付きで後方を警戒している。
つまり、今は誰も見ていない。
そーっと最大限の集中力で警戒しながら隣に寄り添って歩く彼女の尻の部分に手を伸ばす。
令子は前方を警戒しているから問題ない。横島が警戒すべきはおキヌである。
眼の端でおキヌの挙動、視線を完全に把握しながら、横島はゆっくり彼女の身体に触れる。
(柔らかい・・・それに暖かい! 生きててよかった!!)
彼の身の回りにいる女性にこんなことをしたら間違いなくただではすまない。
だというのに、式神である彼女は微かに横島に視線を向けた以外は特に反応なし。
嫌がっている素振りは勿論無く、寧ろ何処と無く穏やかになった雰囲気は横島が身体に触れる事に歓迎している節さえある。
彼女の尻を触る手に全神経を集中し、蛇の様に這いずり回る動きでどんどん進む。
胸とは違い、弾む様な弾力性のある大きなそれに横島はどんどん表情が緩んでいく。
(でかい! それにこの弾力、間違いなく安産型や!
良いのか、俺なんかが此処までしちゃって良いのか!?
いや、寧ろ、これは天意なのだ!
彼女は今まで苦難の道を歩んでいた俺に対する神の祝福なんだ!
そうだよな、おキヌちゃんは袴の似合う美少女で優しい良い子だけど幽霊で服脱がせないし美神さんは身体が凄いけど性格があれだし、他にもエミさんや冥子ちゃんとか魅力的でも癖のありすぎる女ばっかだもんな。この仕事始めて悪霊にはもてても生身の女の子には全然相手にさえてないし、命とプライドを削ったもとなんて美神さん達相手じゃ全然とれてなかったし――――)
だが、と頭を振る。
今日一日触れたって分かったことがある。
横島にとってこの少女相手ではある問題点があるのだ。
彼女はセクハラされる事に喜んでいるのではなく、横島が傍に居て触れ合う事に喜んでいるのだ。別に触る場所が胸や尻じゃなくて手を握っても恐らくは全く同じ反応を返すだろう。
つまり彼女は身体は一人前だが精神は純真な子供の様に横島を慕い切っているだけ。
そんな少女に手を出すのは人としてどうなのか、という問題だ。
「そ、そう考えると、ひょっとして俺って・・・・・最低や!!」
「―――ヴ?」
「横島さん?」
そんな事を考え、突然頭を抱えて苦悩し始める横島を何処か不思議そうに眺める式神とおキヌ。
「あんた真面目にやんなさいって――――」
「――――ヴ」
あきれを含んだ声で警告を出そうと令子が口にした時、
突如、横島の隣を歩いていた式神が足を止める。
「―――へ、おい、どうしたんだ?」
先程の穏やかな空気は一変し、何時もの冷たく無機質な眼差しを迷い無く一点に向ける。
真紅の視線は何故か今この時をおいて氷の様な蒼眼に変わっている。
――――その先にあるのは汚水が流れる大き目の排水路。
「まさか・・・・・」
態々横島の足を止めた以上ただ事ではないだろう。
そう考え令子も意識を集中し、視線を向ける。すると
「―――――ッ、其処ね!」
遅れて令子も勘付き、神通棍に霊波を伸ばす。
するとそんな令子の行動に数瞬遅れて、水辺が盛り上り、凄まじい勢いで何かが飛び出る。
「遅い! 極楽へ、逝かせてあげるわ!!」
神通棍から毀れた霊力が残滓となり、光の軌跡が宙を駆ける。
一閃。令子の一撃に奇襲をかけた妖怪はなす術も無く胴を半分ほど切り裂かれる。
「ギィイイイイイイイ!!!」
悲鳴とも雄叫びとも言える声が用水路に響き渡る。
それは身体が上半身だけの半ば骨と皮の白骨化しかけた妖怪だった。
恐らくは寄生型。
人間の死体か何かに根を張り、
それを自分と自分の棲む領域に適応するように改造して使役する妖怪。
死体であるから気配が無く、奇襲と逃走に終始されたら厄介なタイプである。
予想外の反撃に慌てて逃げようとする妖怪に、逃がすかとばかりに追い討ちを掛ける。
「往生際が悪い! 大人しく私のギャラになりなさい!!」
下がろうとして一瞬止まった隙に、破魔札を叩きつける。
それは妖怪の胴体の上で派手な霊的な光を上げて、炸裂する。
身体が派手に吹き飛び、破魔札から毀れた神聖な霊気が妖気を浄化する。
綺麗に決まった一撃に間違いなく倒した手堪えを感じた。
「おし、一丁上がり♪」
神通棍の霊波を消し、満足げ笑う。
後ろで今更ながらに一連の流れに驚き、壁に張り付く横島達に苦笑して眼を向ける令子。
そしてそのままその視線は横島の傍の式神に向けられる。
(この子、凄まじい索敵能力だわ)
この妖気の中、同種の妖気で動く気配の無い死体の存在を感知するのだ。
霊能犬や人狼クラスの感知能力を持っていると見て良いだろう。
令子の知る限りにおいて此処まで出来るのは世界最高と謳われたあの一頭だけである。
(人型の式神であそこまでの索敵能力をもつなんてね。
本当に得体が知れ無い―――――)
『美神さん! 後ろ!!』
(―――ッ!)
止めを刺したと確信し完全に気を抜いた。
おキヌの悲鳴のような警告と同時に後頭部に衝撃が走る。
視界がぶれると同時に意識が飛び、
身体が制御を失ってなす術もなく壁に飛ばされて膝を付く。
(一体、何が・・・・・)
「美神さん!!」
横島の声に意識が朦朧としつつも僅かに戻る。
何とか首を動かし、衝撃の原因を突き止めようと眼を向ける。
其処には、下半身だけの敵の姿が。
(伏兵・・・仲間? 違う。分離制御・・・!
だとすると、まだ生きてる!?)
本来は上半身と下半身併せて一つの存在なのだろう。
元々死体に寄生して動くタイプの妖怪だから、身体を動かす為の媒体は妖気のみ。
だからこそ、人体の構造に囚われない融通の効く変則的な行動が可能となる。
例えば、妖気さえ染み付いているのであれば、
離れた元の肉片でも遠隔操作が出来るような――――
最初に出てきたからてっきり本体だと思ったが、
寄生体は寧ろ上半身ではなく下半身に寄生していたのだ。
(まずった。・・・・動けないわ)
身体に力が入らない。
相当良い場所に蹴り込まれたらしく、軽い脳震盪を起こしている。
この野郎と憎しみの視線を向けるが、そんなものは足掻きにもならない。
身体が動かない以上は、今の令子ではどうしようもない。
「カァアアアアアアアアアア!!」
上半身がベコボコに曲がった醜悪な金属バットを武器として振り上げて突撃してくる。
今の状態でそれを避ける事は出来ない。
(惜しいけど、ほんっとに惜しいけど、・・・・仕方ない!)
何とか根性で左手を動かし、首飾りに手を掛ける。
令子の首飾りはザンス王国産の高純度精霊石。
一個に数億の値が付けられる高級にして万能型霊具。
様々な用途に使用でき、緊急時にはただ霊力を乗せて投げつけるだけで、億単位の破魔札と同等の効果がある。
『そっち行っちゃ駄目ッ!!』
そんな令子の(金銭的に)捨て身の策謀など露知らず、
おキヌが美神さんが危ないとばかりに援護する。といっても霊的な攻撃など碌に出来ないので手近なところに落ちていた空き缶を投げたりするだけでしかないが、それでも相手の注意を引くには充分だった。
(馬鹿ッ、余計な事を・・・!!)
ぎょろりと妖怪の上半身が眼を向ける。
骨格を改造された腐乱死体の放つ虚ろでグロテクスな眼差しに幽霊とは言え、初心な少女に過ぎないおキヌはビクッと怯える。
「ガァアアアアアアアア!!」
下半身にそれほど複雑な命令を組み込まれていないのか、
そのまま令子を無視しておキヌに殴りかかる。
「おキヌちゃん!!」
そんなおキヌを守るように咄嗟に式神とおキヌの前に出る横島。しかし――――
(こ、怖ッ! でもおキヌちゃんを見捨てるわけには!!)
出てきた一秒と経たずに相手の形相を見て後悔する。
大体妖怪と戦える技術のない横島に不意打ちとは言え令子がやられた相手にどうこうできる筈が無い。
「だあああああっ!!」
猛烈な勢いで振り落とされた変則的な動きで金属バットを紙一重で避ける。
金属バットで思いっきり殴られるという限りなく現実的な恐怖に横島は相手の顔と相まって思わず漏らしそうになる。
「ああ怖い! 死ぬのは怖い!! せめて死ぬなら一緒にその胸の中で――――!!」
『きゃ! ちょっと横島さん、真面目にやってください!!』
恐怖のあまり錯乱してそのままおキヌに抱きつく。
このままではお互い逃げる事も出来ない。
唐突に横島に抱きつかれて顔を赤らめるおキヌだが、直ぐに我に返り横島に呼びかける。
「ああ、神様仏様誰か助けて――――!!」
その魂を乗せた真摯な言葉に、
先程まで相も変わらず冷たい視線を向けるだけで動かなかった彼女が動き出す。
横島の言葉により、漸く目の前の汚らわしい存在を敵だと判断したかの様に。
『―――Access(接続)
Dia My Master(愛しの我が君)』
突如として脳裏に直接語りかける声。
それは天上の天使が賛美歌と共に奏でる神聖な音色の様であり、
同時に淫魔が男を虜にする際に謳う魔性の音色の様でもある、
―――不可思議な、魂の奥まで浸透するような謳。
歌声はそのまま横島の身体に染み込み、何かを吸収していく。
汗の様に全身から迸る何か。それは軽い性的な興奮とも似ている。
(な、んだ、これ――――!?)
まるで馴染みの無い感覚。
一番近いのは小笠原エミの呪いの実験台になった時だろうか。
性的な興奮と同時に無理やり引き出された霊気。
いつの間にか繋がれたラインを通して、それは彼女の元に流れる。
『Instruction Reading(命令読込)
[主の保護を最優先に美神令子と氷室キヌの救助及び敵生体の破壊]
・・・・Attestation Complete(認証完了)』
この声が聞こえるのは横島だけ。
そして横島はいま軽い興奮状態にある為に、聞き逃す事となる。
美神令子の名前の隣に聞きなれない苗字が続いた事に。
『Element Reading(因子読込)
Soul Circuit Open(霊子回路接続)
Possession Experience Excitation(憑依経験励起)』
それは回路に刻まれた一つの痕跡。
妖刀の霊波を直接浴び、霊気で身体の運動神経を直接引き上げられて無理やり操作された名残は魂に一つの霊能として刻まれている。
起源は戦国。
元は何の変哲もない一振りの刀は血に酔った侍の手によりあまりに多くの人を切り殺す。
元々その侍には霊能者の素質があったのか、刀が人を斬る毎に、他人の霊力を奪い少しずつ切れ味を磨き続けていった。後に侍は多くの民間人を無作為に殺した事で討伐される事となるが、その残留思念は刀に宿り、侍が死したその後も永遠と持ち手を狂わせ、人を殺す稀代の妖刀と化した。
切り殺し、取り込んだ力は幾百人分。
その業は太刀筋を目視さえさせず、
―――その一撃は特製の強化セラミックにさえ深い太刀傷を入れる。
故にその因子は戦国の人殺しの業を再現し、その一撃は他者の霊力を奪う――――!
『――――[妖刀斬鬼(シメサバ丸)]』
瞬間、式神の姿が消える。
否、消えたのではない。
あまりの踏み込みの速さにこの場にいた敵味方、
いずれも認識が追いつかなかったのだ。
式神は初速から一足で十メートルを踏破する。
それは最早走るというより跳ぶと言った方が近い表現である。
式神が青紫の閃光と化して奔り抜ける。
手に持つのは刀ならぬ鉄扇。
だが、今この時をおき、妖刀の霊気に包まれた鉄扇は仮初の刃となる。
魅せる様な青白い霊気を放って開かれた鉄扇。
それは横島に向かいバットを振り下ろそうとしていた妖怪の上半身を、
―――――一瞬で、原型と止め無い形となるほど分断した。
「――――!」
半身が破れ、形勢の不利を悟ったのか、
妖怪の本体は令子やおキヌを無視して脇目も振らずに逃走する。
幸い此処は地下水路。水に潜れば流石に鉄扇の攻撃も届かないと判断したのだろう。
だが、そんなまともな逃げ方では何百人と斬殺した業からは逃げられない。
「くっ・・・・!?」
再び横島から霊気が容赦なく大量に奪われる。
本職のGSにしてみれば大した量ではないが潜在的には兎も角、現在はまともな霊力を行使出来無いので一度のこの量を吸い取られるのは横島にはかなり辛い為に、この時点で未知の感覚のあまり外界に何が起こっているのか分からないまま横島の意識が一端飛ぶ。
それを代償に鉄扇から陽炎の様に伸びる青白い霊気が急激に膨れ上がり、―――集束する。
其れと同時に地を蹴り、水路に潜り込んだ妖怪の頭上に来るように式神が跳ぶ。
一閃。
鉄扇より放たれた霊波を乗せた妖刀の一撃は衝撃波となり、空間を奔る。
轟音を発てたその剣閃は水路が割り、そのまま水諸共に妖怪を断つ。
「――――――!」
声のない悲鳴が地下水路に木霊する。
斬られると同時に妖力を根こそぎ吸い取られ、
妖怪は断末魔の声を上げる間さえなく損傷と力の枯渇によって消滅した。
後書き
皆さん沢山の感想ありがとうございます。
今回は式神の能力の一端を出しました。次回は妙神山編です。
この式神は色々と知識を持ってます。現状では活用する知性は存在しませんが。
・・・さんへ
>(*´д`)エロいですな
いや、全く御尤もで
四音さんへ
>先が気になる展開ですね横島に式神がつくなんて、
このまま妙神山行くとどうなるんでしょう?
小竜姫は驚くでしょうね。あまりに異常な式神ですから。
からころさんへ
>(*´д`)エロいです!
時代は式神ブームですか、そうですね。
続きが是非とも見たい作品です。
ええ、確かにプロットは大分前からありましたが、
式神を使うという部分は梅昆布茶美味氏の「式神使い横島!」の影響を受けました。いや良い話しです。
なかあきさん
>(*´д`)ジーク、エロス!
>>あの憐れな姿を思い出せば飲流も下がる。
意味から推察するに溜飲ではないかと。
しかし和服で口をきかない女性の式神というとザ○エさん?
・・・すいません、あの世界観が好きなもので。というかGSと親和性高いと思うんですけど、クロスって見たことないんですよね。
ご指摘ありがとうございます。
間違えてました。自分でも見直して後に修正しときます。
>ザ○エさん
すいません、どの作品かわかりません。
口を利かないのは色々考えた後、夜叉丸を真似ただけです。
ゆんさんへ
>この式神がなんで現われたのか気になります。
そして、強いのかも・・・
今は式神ブームのようですねw
現れた理由は、この物語が原作と大きく違う一点に深く関わっています。
多分、妙神山編が原作よりかなり長い予定なので其処で明らかになるかと。
LINUSさんへ
>式神(モドキ)の正体が気になります。
続き楽しみにしています。
正体があるのかないのか。
この式神に本質的に一番近い間違いなく横島ですが。
最初に気付くとすれば・・・・・猿の師匠ですかねぇ
みょーさんへ
>(*´д`)いいっす!和服好きっす!!
↑いや、なんかいれなきゃいけないのか!?って気分だったので。
続きが気になります。このころの横島ってけっこー好きなので、がんばってください。
和服良いですね。個人的にはゴスロリ風ドレスも好きですが。
まだ書き慣れていないのか、
横島の持ち味を十全と発揮できないので、
今後もっと精進します。
フクロウさんへ
>この頃の愛すべき馬鹿野郎だった横島に式神!?
この先が非常に気になりますな。
連載期待します。
まだ霊能のれの字もないですからね。
サイキックソーサー使えるようになるのもかなり後になるかも・・・・
友紀さんへ
>題名のY'sを見て、某有名RPGイースとのクロス?って勘違いしてました(汗)。
だから、式神とのクロスだとは最後までおもいつきませんでした。
でも、式神とのクロスも面白そうでいいですね
・・・一応今のところ何処ともクロスしていませんが(汗)。
他の魔王や神様を考えるのが面倒なので、その内何作品かとクロスすると思いますけど。あ、今回の呪文(?)は某ゲームから引用してるかも・・・・