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▽レス始

「小さな事件or大きな事件?−小竜姫−(GS)」

テイル (2005-07-20 00:58)
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 小竜姫が去った後も、斉天大聖老師は道場に立っていた。
 自分一人以外誰もいない道場はとても静かだった。格子窓からさし込む月の光が、老師の寂しさを増している。
 老師は思い出していた。武術を達人級までに修めた小竜姫が見せた、ふらふらとした足取りを。そして思った。その胸の中で吹き荒れたであろう、感情を。
「辛いじゃろう。じゃが、お主を大切に思っていたからこそ話したのじゃ。……これからお主がどう行動するか、わしには見当がつく。それは、決してお主を幸せにすることではあるまい。じゃが……不幸にすることでもない、と思っておるのじゃ」
 年老いた猿神の呟きは、ただ流れるのみ……。
「わしにできるのは、これくらいじゃ。あとはお主次第じゃからのう」
 そして老師はおもむろに如意棒を軽く振るった。その軌跡をなぞるようにして、輝く文字が宙に浮かぶ。
 老師は何度も何度も如意棒を振るった。やがて自身をすっぽりと包み込むぐらいに文字が浮かんだ後、老師は口の中でなにやら呟いた。すると文字が一斉にはじけ、そして消える。
「これでよし……手続きは完了じゃ。後は大竜姫に話を通しておかねばなるまいの……」
 そう言うと老師は、ぷかりと煙を吐いた。
「幸せに、なって欲しいものじゃの……」


 小竜姫は寝台に座り妹弟子の髪を撫でていた。
 時刻は人界で言うところの午前二時を回っている。老師の話を聞き終わった後、自身の寝室には戻らずにここに来た。あどけない表情で寝息を立てるパピリオの寝顔を、もう半刻も眺めている。
 彼女の中では今、老師との会話がひたすら繰り返されていた。
『なんとか、ルシオラさんを助ける方法はないのですか!?』
『その嬢ちゃんは、横島の霊体に食い込んでいるという。下手に動かせば横島という人格、そしてその能力を作り出している霊体が破損しかねん。そうすれば神格化どころではなくなるじゃろうよ』
『……霊体がそのまま神格化するならば、その後復活させると言うことは!?』
『小竜姫……忘れてはならん。その嬢ちゃんは魔族だったのじゃろう。横島の神格化に伴い、浄化消滅してしまうことは必至じゃ』
『そんな、それじゃ……』
『うむ。横島の死により復活できなくなる、というより遙かに質が悪いのう』
『どうして……』
 それでは、望んでルシオラを消滅させるようではないか。どうして最高指導者達はそんな決定をするのだろうか。
『上には上の考えがあるのじゃろ』
 憮然としてそう言った老師の顔を忘れられない。……老師も納得などしていないのだ。
『ともあれ、もしパピリオの姉を助けようと言うのなら、横島が死ぬまでに転生させるしかないじゃろうのう』
「……転生、か」
 老師の最後の言葉を思い出し、息を吐く。大きく、そして細く。どうして老師が自分にのみこのことを話したのか、その言葉で小竜姫は理解していた。
 きっと老師は、自分の横島に対する気持ちを知っているのだろう。神、魔、人。その中で最も近しい男性。物怖じせずに真っ直ぐに好意をぶつけてきた男性。……神と人。その立場が自分を抑えていたが、横島のことを思い胸を熱くした経験は、実は一度や二度ではないのだ。……その事を、老師は気づいていたのだろう。
 だから、老師は選択肢をくれた。そのことを自分に伝えることによって、確定していた未来に別の道を指し示してくれたのだ。しかしその選択肢は、彼女にとって容易く選ぶには重すぎるものだった。
 ルシオラの復活とは、彼女の破損した魂の復活を意味する。母となる存在はその母体で、横島から受け取った霊気構造を用い、子供の身体と同時にその魂までも生み出さなければならない。もし生身の人間がそれをやろうとすれば、おそらく転生の確率は二割を切るだろう。
 ゆえに、ルシオラを転生させるのは神族か魔族が相応しい。高濃度の霊体が皮をかぶったような存在であるならば、その成功率は九割を越える。つまり神族である小竜姫ならば、確実に一週間以内にルシオラを転生させることができるといえる。
 しかし、一つ問題があるのだ。それも、とてもとても大きな問題が。
「……神族であるわたしが元魔族であるルシオラさんを宿せば、わたしは……堕天する!」
 小竜姫は身を震わせた。
 横島への想い。それは本物だと小竜姫は確信している。だから彼に抱かれるのは構わない。彼の子供を宿すことも、望むところ。
 しかし、堕天……それは魂と肉体を同時に犯されることに等しい。神として、そして女として……それは死ぬよりも辛いこと。どうしたって、その恐怖は拭えない。
「どう、すれば……」
 小竜姫が苦悩に唇を噛みしめた、その時だった。
「……んにゃ」
「!!」
 不意にパピリオが寝返りを打った。毛布をけっ飛ばし、下着姿の肢体を小竜姫の視線に晒す。
 小竜姫はだらしなく寝こける妹弟子を、しばらくどきどきしながら見ていた。パピリオの寝息は変わらない。どうやら目を覚ますことはなさそうだ。
 ほっと息をつき、小竜姫は苦笑した。
「下着姿……。また、こんな恰好で寝て……」
「ん……しょう、りゅ……んみ」
 あきれたような小竜姫の言葉に返ってきたのは、可愛らしい寝言だった。
「ふふ」
 その反応に少しだけ小竜姫は笑みを浮かべた。慈愛のこもった優しい笑顔。それは本当に大切な相手にしか向けない笑みだ。
 小竜姫はパピリオがけっ飛ばした毛布を手に取ると、優しくかけ直してやる。
「……大きく、なりましたね」
 パピリオがここに来てから一年という月日が流れている。その間にパピリオは目覚ましい成長を見せた。まるで、これまで抑制されていた分を取り戻そうかというように。
 小竜姫は再びパピリオの髪を優しく撫でた。安心しきった寝顔は、完全に気を許している証拠だ。そう、小竜姫に、斉天大聖老師に、鬼門に……そしてこの場所に。
 この顔を、歪めさせたくはない。
「無駄な悩み……でしたね」
 取りうる選択肢は、たった一つしかない。そしてその選択肢から逃げることはできないし、逃げるつもりもない。ただ、迷っていただけ。
 自分がどうなろうと、ルシオラは助けなければならない。自分のために、横島のために、そして――。
「あなたを泣かせたくはありませんしね」
 小竜姫は立ち上がった。そしてそっと足音をさせずに入り口へと歩く。
 肩越しに、愛しい妹に目を向けた。
「あなたが成長しきるまで、見守れませんでしたね……」
 小さな呟きと共に、小竜姫は外へと出た。夜空にぽっかりと浮かぶ月が彼女を見下ろす。小竜姫の胸の内には、依然恐怖が渦巻いている。しかし屈することはない。やるべき事は決まっているのだから。
 小竜姫は月光を浴びながら、鬼門へと向かった。そしてそのまま妙神山から出ていってしまう。
 それ以降、小竜姫が妙神山に帰ってくることはなかった……。


 一週間後――。

 その空間には、光が溢れていた。目映いほどの光が、そこにいる者達の細部をぼやけさせている。
 いや、ぼやけさせているのはそこにいる存在自体が異質なのか……。
「そんなわけないか。なんなんじゃこの空間は……?」
「まあ、そういわんといてーな。世の中虚飾も必要なんや」
「……あなたの方こそ、余計なことは言わないで下さい」
 斉天大聖のぼやきに応えるのは、目の前に座る神魔双方の最高指導者であるキーやんとサっちゃんだった。
「ま、ええわい」
 老師はあきれたように、ぷかりと煙をくゆらせた。最高指導者の前でする振る舞いではないが、双方全く気にしていない。
「で、わしをここに呼んだ訳は何じゃ?」
「わかっているでしょう? もちろん、あなたの弟子である小竜姫のことですよ」
「あんさん……小竜姫を追放したそうやないか。一週間前の深夜に」
「確かにしたのう。あんまり馬鹿げたことを言うんでのう」
 にやりと笑いながら老師は煙管から灰を落とす。
「あやつ、よりにもよって人間に惚れたと飛び出てしまったんでな……」
 如意棒によって描かれた光の方陣。それこそが小竜姫を妙神山にくくっていた呪法だ。その破壊によって彼女は妙神山の管理人ではなくなったのだ。
 最高指導者達はため息を吐いた。
「それはそいつんとこへ行ってもいいって許可やないか。おまけにその惚れた相手があの横島忠夫やっちゅうんやから、話が出来過ぎや。……やっぱりあんさん、確信犯やな?」
 妙神山管理人を罷免して追放。その事によって小竜姫は明確な神界での地位を失った。そしてその霊力も大幅に減退した。しかしそれと同時に得た物もある。
 それは自由だ。力を失った替わりに縛りも無くなり、妙神山から離れても特別な消耗がなくなった。つまりどこへでも好きなところへ、好きなだけ行けるようになったと言うことだ。
 サっちゃんの言葉に笑みを深くした老師に、キーやんは首を振った。
「まあ、予想はしていましたがね」
 そう言って老師に一冊の本を差し出した。なんの装飾もない黒色の単純な書物。しかしそれから漏れる霊圧は、下級神魔ならば触れることも叶わないものだ。
 「死神の書」……そのオリジナルがこれだ。
 書は老師の目の前で勝手に捲れ、あるページで止まった。それは一週間前に小竜姫に渡した所と同じ部分。横島の死が、記載されていた場所。……しかし現在、その場所に横島の名はない。
「昨日、消えてしまいました」
「ほう」
「知っての通り、この書は世界の意志と繋がっています。死神は世界の意志により魂を刈る農夫。だからこそ死神は死の運命をずらすことができる。……人間の農夫が、刈り入れ時を調整できるように」
「まあ、あくまでずらす程度や。それに世界の意志に従っとるわけやから、そう何度も変えることはできん。今回の横島のようにや」
 もともと、変えられても変えないことになっていた、とは言わない。ここにいる者達はそんなこと皆知っている。
「この書から名が消えたと言うことは、彼の運命が変わったことを意味します」
「つまりは、無事おめでたになったちゅーわけや。……小竜姫は、無事ルシオラを妊娠したわい。そのせいで世界からこっちに色々煽りが来てるっちゅーか」
「自業自得じゃろうが……」
 冷たく言う老師に、キーやんが軽く頭を垂れた。
「ごもっともです。確かに私たちも気乗りはしていませんでした。しかしアシュタロスの消滅を許可してしまった以上、神魔のパワーバランスを整えるのは急務」
「そこへ世界から声が来たわけや。なんやかんや言っても、わしら中間管理職みたいなもんやしなぁ」
 神魔両界の最高指導者。それは同時に、世界の声を聞き、世界に仕える立場にある者でもある。
 そして今回世界は最高指導者達にこう言った。アシュタロスの後継者として、横島を魔族とするように……と。
「わいらは神魔のトップに立つ存在や。そして同時に世界に仕える存在や。その為には、個よりも全をみなけりゃあかん。……というのはまあ、言い訳やな。あの蛍の嬢ちゃんを犠牲にしようとしたのは、間違いないんや」
 横島の魔族化は、通常ではあり得ない。なにより横島の魂がそれを拒んでしまう。言動が目立ち少々誤解されやすいが、彼の魂は完全な聖属性である。それはなにより文珠の使い手という時点で顕著に証明されている。
 文珠は世界が対魔族用に創造した能力だ。だからこそ、僅かでも邪悪な魂に染まっている者には使えない。「使い方次第でどんな魔族でも倒せる」といい伝えられているのは、伊達ではない。
 だから横島の魔族化は、通常あり得ない。それでも彼を堕とそうというならば、それなりの手段が必要となる。……そしてその手段として選ばれたのが、ルシオラだった。
「神族にすることによって、ルシオラが消滅。そして神族側はそうなることを知っていた……。その事実が、彼の魂を汚し、魔族化させるはずでした」
 しかしルシオラの復活が確定した以上、その可能性は消えた。だからこそ死神の書から彼の名前が消えたのだ。彼が死ぬ意味が無くなったから……。
「胸くそ悪くなる手段というのは、往々にして頓挫するもんじゃ」
 斉天大聖は大きく頷いた。しかしその顔には、微妙な憂いが浮かんでいる。
 小竜姫はルシオラを宿した。それは、彼女が魔族化したこと意味するのだ。それがどれほど苦しかったか、悲しかったか……想像に耐えない。それでもあの時、彼女に横島とルシオラのことを話すしか、老師に取るべき手段はなかった。
 話しても話さなくても、どちらにしろ傷つく。それならば、より後悔のない方を選ばせたかった。加えて前者には、小竜姫の多大な苦痛を伴うとはいえ、幸せになる道があったのだ。
 とはいえ、愛弟子を苦しめてしまった事は事実。その思いは、老師の中から消えることはない……。
「なんや。考えたとおりに事が運んだにしては、ぱっとしない顔やな」
 そんな老師の腫れない顔を見て、サっちゃんが面白そうにキーやんに言う。
「確かに。あれはおそらく、全く意味のない無駄な想像をしている顔でしょう」
 大きく頷きながら、キーやん。
「……なにがいいたい?」
 憮然とした猿神に向けて、キーやんがさっと腕を振った。空間が歪む。
「む」
 歪んだ先にある光景が映った。今にも崩れ落ちそうなぼろアパートだ。
「横島のアパートや」
 サッちゃんの解説に伴い、光景はアパートの中へと変わる。
 老師の目が見開かれた。そこに映るのは小竜姫のお腹に耳をあてる横島と、それを優しげに見つめる小竜姫の姿。
 ……小竜姫の腹部は、ぷっくりと膨れていた。
 老師は呆けたようにその光景を見ながら、彼女の腹部以外の異常を呟く。
「人間……じゃと?」
 そう。そこに映る小竜姫は、魔族ではなかった。人間だったのだ。
 予想もしていなかった事態に、老師はその光景に見入った。
「嬉しい誤算、というやつやろ?」
 サッちゃんがかんらかんらと笑った。
 キーやんが続ける。
「そのルシオラという魔族は、よほど横島が好きだったのでしょうね。その魂が人間よりに変化を起こしていたようです。これまでも神や魔が人間になるということはありましたが……」
 妊娠を期に人化するというのは、およそ初めてだろう。
「まあそのせいで子供の発育も促されてしまったようですが。通常で言うところの、妊娠七ヶ月ぐらいですかね」
「そうそう。戸籍に関しても横島の雇い主が何とかするということで話がついとるで。まあそこに行くまでが、なかなか面白い修羅場やったがなぁ」
「確かに、あれは見物でしたね。あとこの二人、出産後結婚することが決定していますよ」
 老師はぽかんとした表情のまま、仲睦まじい二人を見ていた。この一週間で何があったのかは知らない。想像することしかできない。しかしそこにあった光景は、老師が望んでいたものよりも遙かに幸せな光景。
 老師は肩を震わせ始めた。
「くくく」
 その震えは止むことはなく、どんどんと大きくなる。
「わぁあはっはっははは」
 これが笑われずにいられようか。考えていた最悪は全て覆され、考えていた最良を越える結果がここにある。これでこそ、自分を犠牲にする価値があるというもの。
 これが、笑わずにいられるものか。
 キーやんとサッちゃんはしばらく笑う猿神を眺めていた。
 やがて老師が笑い終えると、サッちゃんは口を開いた。
「よかったやないか。でも、この代償はでっかいんやで? ……先日、再び世界から声がかかってやなぁ」
 その口調には、確かな哀れみが含まれている。
 その不吉な言葉に、しかし斉天大聖老師は無造作に頷いた。
「わかっておる」
 老師はそう言うと懐から書類を取り出し、二人に放った。その書類には、妙神山責任者の退任の旨が書かれている。
「後任は大竜姫に依頼済みじゃ」
「手際がいいですね。……やはり、予想していましたか」
「誰かが割を食わにゃならん。それに小竜姫が成功したら、次はわしじゃと思っておった」
 崩れた神魔のパワーバランスを整える為の策。それが横島の魔族化だった。それを明確な意志の元邪魔したのだ。責任をとらされるのは簡単に予想できた。
「……まあ、元が魔猿なんやし、肌に合うやもしれんし」
 頬を掻きながらサッちゃん。
「ほな、あんさんの魔族化でアシュタロスの穴を埋める……ということで」
「かまわん」
 そう迷い無くいう老師の目は、横島と小竜姫から一瞬たりとも離れない。
「師と弟子は、親と子の関係に似る。わしに子供はおらんが、小竜姫はわしの娘のように考えておった。あやつが幸せになるなら、何の問題もないわい」
 サッちゃんが近づく。
「ほな、行こうか」
「うむ」
「ちょっとお待ちなさい」
 振り向いた老師の前で、キーやんは腕を振った。すると、横島達が映る空間が鏡へと変わる。そのまま鏡は、宙をすべるように猿神の手元に移動した。
「持っていって下さい。十年ほどはそのまま彼らを映すでしょう」
「おお、すまんのう」
 好々爺とした笑みを浮かべ、老師は鏡を覗き込んだ。そこには依然幸せそうに微笑み合う横島達が映っている。
「幸せに、なるんじゃぞ」


「あれ」
「どうしたんです?」
 不意にきょろきょろと周囲を見回した小竜姫に、横島が尋ねる。その言葉に小竜姫が頬を膨らませた。
「もう。横島さん、わたしはもう神ではないし、あなたの妻になるんですよ? 敬語は辞めて下さい」
「あ、すいませ、じゃない。ごめん小竜姫。でもそれを言うなら、俺のことも横島さんはおかしいだろ?」
 小竜姫の頬が赤く染まる。
「そ、そうですね。た、忠夫さん……」
「お、おう」
 赤くなりながら俯く二人。
「そ、それでどうしたんだ? さっき」
「あ、えと。お師匠様の声が聞こえたような気がして……」
「老師の?」
「はい。幸せになれって……」
 横島は小竜姫を抱き寄せた。壊れ物を扱うように優しく、同時に決して離さないとでも言うように、力強く。
「あ、忠夫さん……」
「幸せに、するさ。絶対」
 横島は小竜姫の耳元でささやくようにいった。
 そして二人は見つめあうと、その唇を重ねた……。


あとがき
 皆様こんばんは。
 テイルです。
 大きな事件or小さな事件?の小竜姫エンドでございます。

 電波にしては、纏まったかな……。
 

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