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「お祓いしませう!? その四(GS)」

Astaroth (2005-04-24 21:49)
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   お祓いしませう!? その四


 それなりの覚悟はできていた。
 はずなのに……。
 礼拝堂に足を踏み入れた直後、横島とタマモの二人はその場で回れ右をして、脇目も振らずに帰りたくなっていた。
 待ち構えていた人物が放つ気はそれほどまでに威圧的で、どんなに鈍い者でも間違いようのない明確な殺意が込められていた。

 どうしようか、一瞬の判断の遅れが二人の運命を決した。

 背後で、開いていた扉が錆びついた軋み音を立てて閉じていく。
 パタンという退路を断つ乾いた音にビクンと体を硬直させる。恐る恐る振り返って扉までの距離を確かめるが、たった数歩が今の二人には絶望的な道のりに感じられた。

「なるほど、妖怪憑きか、そういうことね」

 若い、しかし華やかさは微塵もない、低くドスの利いた声がエコー付きで礼拝堂に響き渡った。
 人の持つ温もりが完璧に欠落したその凍てついた声は、その場に居合わせた全員の肝を氷点下にまで冷却する。

 コツッ

 コツッ

 パンプスの細く尖ったヒールが、チープな教会の床を鋭く叩く。

 横島の背中をゾクリと電流にも似た痺れが走り抜けた。
 狭窄化した視界にまず飛び込んできたのが、突き刺さりそうなほどに鋭利な爪先を向けてくる、真っ赤なエナメルのパンプスだ。
 まるで血溜まりの中を歩いてきたみたいだ、なんて不吉な想像をしてしまう横島は、もはや精神的には尻尾を股間に巻き込んだ負け犬同然である。

 光沢を帯びたストッキングに包まれた踝。
 無駄肉のない、芸術家が丹念に彫り込んだかのようなラインを見せる長くしなやかな足。肉感的な太股の半ばから上を隠しているのは、紫色をしたショルダーレスのミニドレスだ。成熟した女性らしさを誇る、大きく張り出した腰回り。くびれたウェストとの比率が絶妙だ。そして下品になる一歩手前で踏みとどまる、ロケットみたいに前方へ突き出た胸の二つの膨らみ。
 横島ならずとも、二次性徴を迎えた男子なら本能と劣情を根底から揺さぶられる、ゴージャスでデリシャスなボディである。

 しかし……首から上がダメだった。

 大きく吊り上がった目元は盤若のそれであり、両端をV字型に歪ませた唇は見る者に悪魔の微笑を連想させた。

「よく私の前にノコノコと顔を出せたわね。その度胸だけは誉めてあげるわ」

 悪魔の口元から聞こえてきた声は、やっぱり血も涙もない鬼のものだった。

 そっちが呼び出したんだろう、そんな突っ込みをする余裕は今の横島たちにはない。絶望感に充ち満ちた空気の異様なまでの重さに、ただ圧倒され、過負荷状態の思考はフリーズ寸前まで追い詰められていた。目の前の恐怖に比べたら、先日の工場に巣くっていた悪霊なんて玩具屋の前で駄々をこねる幼児にも等しかった。

 赤みがかった栗色の髪を左手が後ろへ梳き流す。

「私の懐に入らずに泡と消えた一億五千万の恨み!」

「へっ!?」

 右手が背中に回される。そして次に現れた時には、棍状の細い物体が握られていた。
 己れの霊力を通すことで霊体を破壊する除霊具だが、素人の横島たちにそんなことは判らない。ただ、その黒光りする得物が自分たちを破滅に導くだろうということだけは簡単に想像できてしまった。

「GS美神令子が極楽に送ってやるから覚悟しなさいよ!」

「なぁ!?」

 赤い髪がフワリと舞い上がる。
 赤い靴が床を蹴る。
 紫色の服に包まれた体が宙に躍り、獲物を捉えた肉食獣のごとく急迫する。

「み、美神君、待ちたまえ!」

 どこからともなく中年男性の必死の叫びが聞こえてきたが、戦闘態勢に入った彼女、美神令子の鼓膜には届かない。

「逝けぇ!」

 頭上に振りかざされた神通棍がバチバチと霊気を放射させながら。
 猛烈な勢いで大気を上から下へと切り裂いた。

「どわぁぁぁ〜!」

 誰にでも、人生の中で一度くらいは自分を誉めてあげたくなることがある。この時の横島がまさしくそれだった。
 強烈な霊気に当てられて萎縮し竦んでいたタマモを咄嗟に抱きかかえると、殺虫剤を向けられた時のゴキブリ並の反応速度で横に跳んだのだ。

 バギッ!

 衝撃音とともに床の仕上げ材が飛び散り、粉塵がもうもうと立ちこめる。

「あっ、あぁ〜、床が……修理費が……」

「ちっ、避けたわね」

 当たっていたら間違いなく往生していただろう。

「も、問答無用か!? 話し合いの余地もないのかぁ!」

 逃げた先の壁に背中を押しつけて、ガクガクと震えながらも横島は気丈に文句を言ってみる。

 が、フンと鼻で笑われてお終いだ。

「そんなガキの妖怪にたぶらかされるようなヤツに掛ける言葉はないわね」

 ハッと自分を取り戻したタマモが、横島の腕の中から逃れようと身を捩る。

「ば、バカ、相手はマジだぞ! 殺る気まんまんだぞ!? 落ち着けって」
「じゃなくて、胸さわってる!」
「あっ、いや、気持ちよくて、つい……」

 どんな状況下でも本能に忠実な少年の手から離れると、タマモは素早くその背中と壁の間に身を潜り込ませて、相手の出方を油断なく窺う。

「って、人を盾にすんな!」
「大丈夫、仇は討ってあげるから安心して」
「できるか!」

 ユラリ、ユラリ
 鬼の化生がゆっくりと間合いを詰めてくる。

 こりゃ本格的にヤバいな、と横島が心の中で密かに念仏を唱える。
 しかし、西洋の神様は東洋の異教徒にも慈悲深かった。

「待ちたまえ、美神君。いきなりはいけない」
 どこに居たのか、中年痩躯の神父が振りかぶられた美神の右手を背後から押さえつけた。影が薄くて視界に入らなかったが、最初の制止の声も彼だったらしい。
 助けたのが十字架を吹き飛ばした罰当たりモノだと知った時、果たして彼はどんな反応を示すのか? 絶対にバレてはいけないと、横島とタマモは素早くアイコンタクトを交わすのだ。

 そして、
「美神さぁん、これじゃ案内してきた私が悪者ですよぉ」
 フワフワと宙に浮かぶ巫女さん幽霊おキヌが、涙目で美神の前を行ったり来たりする。

「ちょっと、相手は妖怪よ! 見た目に騙されるなんてプロじゃないわよ!」

 それでも、見逃す気も手加減する気もない、殲滅当然成仏覚悟と両眼を爛々輝かせた美神は勤労意欲を少しも減じることなく、調伏対象を険しく睨み据えている。

「ちょ、ちょっと待ったぁ! タマモをその辺の妖怪と一緒にすんな!」
「なによ、どこからどう見ても妖怪じゃない」
「ち、違う、タマモは、そ、そう、俺の従妹なんや」
「はぁ!?」

 あんた頭は大丈夫? と露骨に美神が眉をひそめる。
 当のタマモでさえ、横島どうしちゃったの? と怪訝そうな表情で顔を覗き込む。
 しかし、横島は大真面目だった。

「ウチのおとん、いや、俺の親父の弟ってのが兄に似たとんでもない鬼畜野郎で。以前、山で見掛けた色っぽい狐のお姉さんを無理矢理襲ったらしくて、で、出来ちゃったのがタマモなんや」

 奇妙な棒を振り回す赤髪の鬼女に言葉は通じない。ならば、どことなく人が善さそうな神父と、街頭セールスにめっきり弱そうな幽霊おキヌに抑止役として期待する。横島の頭にあったのはそれだけだ。必死の形相をして、でっちあげをもっともらしく喋りまくるのだ。

「タマモを産んだ後、その狐のお姉さんは体調を崩して死んじゃって一人ぼっちに……。実の父親はトンズラして行方不明なまま。でも、生まれてきたタマモは何も悪くないやろ。せめて人並みの生活を送らせてやりたいって、それでウチで引き取ることにしたんや」

 一旦口を閉じ、横島はそっと上目遣いで効果のほどを確かめる。

「よくもまぁ、咄嗟にそれだけのことをペラペラと……」
 案の定、美神は心動かされた様子もなく、ヤレヤレと溜め息を吐いている。

 しかし……。
「ううっ、美神さぁ〜ん、可哀想ですよ、見逃してあげましょうよぉ」
 仁王立ちする美神の肩口に縋りつきながら、おキヌはグシグシと鼻を鳴らしていた。
 その横では、目を潤ませた神父が
「あぁ、主よ、試練に立ち向かう仔羊たちに救いの手を」
 などと右手で十字を切っていた。

「な、なによ、おキヌちゃんはともかく神父まで……」

 さすがに居たたまれなくなったのか、美神は声のトーンを少しだけ落とすと大嘘つきの少年と向き合った。

「それじゃ、私の仕事を横取りしたことについてはどう言い訳するの? 人の縄張りでモグリなんて、殺されても文句は言えないわよね」
「へっ、モグリ!?」

 キョトンと間の抜けた顔を晒し、背後の妖怪娘と視線を結ぶ少年を見て、その点については何も知らなかったらしいと美神は理解する。

「あ、あんな、この春に自分の両親もいのうなってしもうて。学校は続けなあかんし、タマモにもまともなものを食わせてやりたいし、でもそこらでバイトするだけじゃ生活できへんし」

 生きるためには金を稼ぐ必要があったのだと、横島は本気で訴えた。
 仕事を横取り? モグリってなに? 縄張りって!?
 自分たちは悪くない、無実だと、力の限り主張する。
 タマモも真顔で頷きを連発していた。

「えぇ〜ん、美神さぁ〜ん、いっぱい儲けているからいいじゃないですかぁ。仕事の一つや二つ、譲ってあげましょうよ」
「あぁ、主よ、迷える彼らにどうか祝福を」
 取りすがる二人はもはや本泣きだ。

「な、なによ! これじゃ、私一人が悪者みたいじゃないの!」

 一応反発はしてみせるが、どうやら彼女も人の子だったらしい、大きく息を吐き出すと、肩から力を抜いて心の武装を解いていく。

「わかったわよ。この場であんたたちを祓うのは止めにしてあげるわ」

 仕方ないわねぇ、と目元を緩ませて苦笑した。

 そうしてみると、美神令子という女性はなかなかの美人だった。

 外見は二十歳そこそこだから、横島よりも四つ五つは年上だろう。が、険のとれた顔にはあどけなさが微かに感じられ、それが妙に可愛く映るのだ。

「わ、判ってもらえましたか!」

 この時の横島の動きを捉えられる者は一人もいなかった。
 体術に心得のある美神ですら、瞬きする間に懐に入り込んできた少年に一瞬我を忘れた。
 それを見逃す横島ではない。

「感激っす、美しいお姉様、もう一生あなたについていきます!」
 掴んだ相手の手を上下にブンブン振り回し、
「そして、死ぬ時はあなたの胸の中で!」
 パフッ、と豊満な胸に顔を埋めるという暴挙に出たのである。

「ああぁ、天国やぁ〜。この感触はタマモには絶対無理だもんなぁ〜」

 呆気にとられた神父とおキヌが止める暇もなく。

 慌てて駆けつけたタマモが不届き者に掣肘を加えるよりも先に。

「このエロガキ! そんなに天国に行きたいのなら逝かせてあげるわよ!」

 突き放し、美神は握り直した神通棍で横殴りにした。

「ふごぉっ!」

 側頭部あたりに綺麗に決まり、横島はもんどりうって床に倒れ伏す。
 大の字に伸びた手足がいい感じに痙攣しているの見て、神父が「美神く〜ん」と冷や汗を流しながら嘆息する。

「あはは、なんだか殴りやすかったのよね」

 大丈夫? と声を掛けながら横島の側で膝をついたタマモが、それを聞いてキッと目を吊り上げた。

「このバカが悪いのは認めるけど、それにしたってやり過ぎじゃないの!」

 フン、と美神は傲然と見返した。

「自分の男の躾ぐらいちゃんとしたらどうなのよ?」
 そして、意味ありげに軽く胸を反らしてみたりする。
「ま、あんたじゃ物足りないっていう彼の気持ちは判るけど、ね」
 この場で調伏するのは諦めたが、美神にとっては自分の仕事を横取りした憎き仇である。遠慮する気は毛頭なかった。

 この女は敵だ。
 タマモは胸元を両手でさりげなく隠しながら、はっきりと認識した。
「美神っていったわね。そういうあんたからは男の匂いがしないけど?」
 ニヤリと意地悪い笑みをたたえてやり返す。
「どんな言葉で飾ろうと、独り者は一人でいるって時点で負け組なのよ?」

 両者の間で火花が激しく散る。

 その横では、私も負け組なんですねと胸を押さえた幽霊がシクシクと涙を流し、どう二人の仲を取り直そうかと神父が所在なげにオロオロしていた。

「用はそれだけ?」

 帰る素振りを見せるタマモを、我に返った神父が急いで引き留める。

「待ってくれ。少しいいかね?」
 倒れている少年と、側で介抱している少女を交互に見やりながら、いささか神妙な声音で問いかけた。

「その、君たちは危険な除霊をしなければいけないほど、生活に困っているのかね?」

「横島の両親がいないのは本当。お金がないのも本当。食べるために自分たちで出来ることをしていただけ。それのどこがいけないの?」
 少しも悪びれずにタマモは答えた。いないのはこの世ではなくて日本なのだが、せっかく同情してくれているのだからそこまで正直に話す必要はない。

「君たちが知らないのは無理もないのだがね、この国では除霊をするにあたって、GSの資格を取る必要があるんだよ」
 そう言いながら、神父は「第一種霊障取り扱い許可証」を懐から出して見せてやる。そこで初めてタマモは神父の名前が唐巣だと知る。
 GSになるためには年一回実施される資格取得試験に合格しなければならないこと。
 受験するためには実務経験があり師事するGSの許可が必要なこと。
 試験合格後は仮許可となり、一定の実務経験を経て正式なGSとして認可される。
 資格を持つGSは協会の会員として、扱った霊障についての報告義務を負う。
 神父は業界の基本的なルールを判りやすい言葉で説明する。
「除霊に成功しているのだから、君たちには才能があるのだろう。どうかね、この先も続けていきたいのなら、正式にどこかのGSに師事して、見習いとして経験を積むことを勧めるよ」

「つまり、あんたの弟子になれってこと?」

「わ、私かね!? はは、私の弟子…………、たぶん、生活は楽ではないと思うが、それに我慢……」

「絶対にイヤ」

 神父に最後まで喋らせず、タマモはきっぱりと断った。

「はは……」
 情けない笑いを浮かべ、神父は美神に救いの視線を差し向けた。
「そう言えば、美神くんは助手が欲しいと言ってい……」

「お断りよ」

 美神もまた、すっぱりと拒絶した。
 が、
「でもまぁ」
 と何やら含みのある口調で妥協案を提示する。
「知り合いを紹介するぐらいならいいわよ」
 ニヤニヤ笑いを見れば、胸に一物あるのは丸わかりだ。

「その代わり、下手な人間を紹介すると私の信用に関わるから、一度仕事に付き合ってもらってあんたたちの実力を見せてもらうからね」
「幾らで? まさかタダ働きじゃないでしょ?」
「ぐっ……時給二五○円」
「報酬に一億要求する人の台詞じゃないわね。一回につき百万、ビタ一文負けないから」

 タマモと美神の間で再度火花が散る。
 しかし、意外にも折れたのは美神のほうだった。

「いいわよ。そのかわり、除霊中に何があってもこっちは責任取らないから」
「そっちこそ、何かあってもあたしたちに泣きつかないでよ」

 それ以上の口論は大人げないと判断したのか、美神はプイと背中を向け、おキヌを促して礼拝堂の奥の扉へと去っていく。

 遠くなる後ろ姿から目を逸らし、フゥとタマモは息を吐く。強力なお祓い師を前にして、彼女は相当の緊張を強いられていたのだ。その腹いせではないだろうが、横になっている少年の頭をピシャリと平手で叩いた。

「こら、いつまで寝たフリしてんのよ。さっさと起きなさいよ」

 途端、横島の相好がグニャリと崩れた。

「黒やぁ〜」

 即座に単語の意味を理解し、タマモは慌てて自身のスカートの裾を両手で押さえる。もっとも、そんな色の下着なぞを彼女が所有しているわけもない。

「レースってのは意外と透けて見えるもんなんだなぁ〜。大人の女ってやつ? 毛深かったなぁ。動くたびに寄る皺がなんとも……」

 カツ、カツ、カツ

 遠ざかっていたはずの足音が、異常な速度で急接近する。
 タマモは握りしめた拳から力を抜くと、神通棍を振りかざした美神のために場所を譲ってやることにした。

「タ、タマモ、俺を見捨てるんかい!?」

「あんたは一辺痛い目に遭ったほうがいいのよ」

「このガキぃ〜、覚悟はできてるんでしょうね!」

「そ、そんなぁ、人の頭の上で大股開いてるほうが悪……あ、堪忍やぁ!」

 呆然としていた神父は、肉を叩く湿った音からそっと顔を背けると、少年のために静かに十字を切るのだった。


 おキヌを通して美神から呼び出しがあったのは、数日経った平日の夕方だった。
 高校から帰っていた横島はジージャンのポケットとウェストポーチにありったけの札を詰め込むと、タマモとともに美神除霊事務所へ赴いた。

 紹介する人物とは除霊現場で待ち合わせをしているらしい。美神はすぐに二人をビルの地下駐車場へ連れて行く。
 オープントップのスポーツカーのドライバーズシートにさっさと潜り込む。

「ってコレ、ツーシーターじゃんか!」
「いいから座りなさいよ」
 横島を助手席に座らせると、タマモは狐になってその膝の上にチョコンと乗る。

「そう言えば狐の妖怪だったわね」
 胡散臭そうに美神が呟く。
「どうしたんすか?」
「う〜ん、なにか引っ掛かるのよね……ま、いいか」

 金色の狐から視線を外すと、フワフワ漂うおキヌを背後霊のように従えて美神は車をスタートさせた。

 向かったのは、それほど遠くない場所に建つ中規模のマンションだった。
 やや離れた路上に、見るからに高級そうな黒塗りの乗用車が一台停まっていた。美神の運転するスポーツカーが接近すると、後部ドアから一人の若い娘が優雅に降りてきた。

「も、もしかして、あの可愛らしいお嬢さんが紹介してくれる予定の人とか!?」
「そうよ、彼女が六道冥子。言っておくけど、ああ見えても私よりも年上よ。あまり失礼な真似はしないようにね」

 横島が忠告を最後までちゃんと聞いていたかどうか疑わしい。車が完全に停止するよりも早く、タマモをシートに残して一目散に駆けだしていた。

「また! いい加減にしなさいってば!」
 人の姿に戻ると、タマモが急いで後を追おうとする。
 それを美神が押しとどめた。
「まあ、見てなさいって」
「えっ!?」

 二人が見守る中、素早く距離を詰めて冥子の前に立った横島は、白いレースの手袋に包まれた彼女の手をそっと捧げ持つ。

「ずっと前から愛していました!」

 こうなると予測はしていても、車の中で美神とタマモは一気に脱力した。
「横島君の性格がよぉく判ったわ」
「…………あのバカ」

 いかにもお嬢様然とした六道冥子は、突然の告白に狼狽えるでもなく、耳の下で綺麗に揃えられたキューティクルがキラキラの髪をサラリと揺らして、不思議そうに真顔で問い返す。
「あの〜以前にぃ〜どこかでお会いしたかしら〜〜?」
 妙に間延びした声に逸る気持ちが挫けそうになったが、横島は持ち前の根性でテンションを最高潮にまで高めていく。
「会った回数なんて全然問題じゃないっすよ! 俺、横島忠夫、あなたの愛の僕になるこの時を、一日千秋の思いで待ちわびていたんです!」
 当の冥子は少年の言葉をどこまで理解していたのか。
「あ〜〜令子ちゃんが言っていた〜お友達になってくれる男の子なのね〜」
「いや、友達なんて生ぬるい! ぜひぜひ、しっぽりたっぷりと、二人きりで愛と未来について語り合いましょう!」
「新しいお友達ができるって〜〜み〜んな楽しみにしていたの〜」
 冥子はとことんマイペースだった。

「だから友達じゃなくて……えっ、みんな!?」

 そして、車の中では、タマモがアッと息を呑んだ。
 冥子の影が大きく膨らんだかと見えた次の瞬間、異形の化け物たちが飛び出してきたのだ。

「式神!?」

 その数は全部で十二。

「冥子はね、潜在能力だけなら日本で最高の式神使いなの」
 美神の説明はどことなく白々しく聞こえた。
「もっとも、潜在能力と実力はイコールじゃないけれど、ね」
 その言葉の意味はすぐに判明した。
 飛び回っていた式神のうち、一体がパクリと横島を頭から丸飲みにしたのだ。

「あ〜、横島さんが食べられちゃいました!」

 おキヌの叫びが高々と響き渡る。

「大丈夫よ、ショウトラがいるから死にはしないでしょ。まぁ、多少は痛いでしょうけど」

 ようやく、タマモは美神の意図を正確に把握した。

「こうなることが判ってて!? 美神、謀ったわね!」
「あらぁ、何のことかしら? オッホホホ、確か、仕事中は何が起きても文句は言わない約束だったわよね?」

 六道冥子との待ち合わせ場所に除霊現場を指定したのは、間違いなく美神のほうだ。タマモはそう確信した。
 さすがにこれ以上傍観しているわけにもいかない。車から飛び降りると、冥子のほうへと走っていく。

「ちょっと、早くその物騒な式神を仕舞いなさい!」

「ああ〜、あなたがタマモちゃんね〜〜、こんなにたくさんのお友達ができるなんて〜、冥子感激だわ〜〜」
「そんなことはどうでもいいから、さっさと横島を離しなさいって!」
「えぇ〜、ひどいわぁ〜〜、そんなことなんてぇ〜〜」
「なんなのよ、あんたは!」

 マジで切れそうになったタマモを、追いかけてきた美神が背後から羽交い締めにした。
「ダメよ、横島君を助けたかったら冥子を泣かしちゃ駄目」

 そんな危険な相手を紹介するんじゃない。
 それがタマモの本音だった。


 横島が式神たちから解放されたのは、それから十五分経ってからだった。
 ビカラに上半身を丸囓りにされ、サンチラに巻きつかれて電撃を喰らい、アジラに焦がされ、ハイラやアンチラにツンツンされるという壮絶な体験をしたくせに、「あぁ、死ぬかと思った」のひと言で済ませてケロリとしている横島に、美神は心の底から呆れてみせた。

「タマモよりもあんたのほうが妖怪じみてるわよ」
「いやあ、体力と精力だけは余り余ってるって、前に妖怪のお姉さんに襲われた時に誉められたっすから」
 いや誉めてないって、美神とタマモが揃って胸の中で突っ込みを入れ、おキヌと冥子が凄いですね〜と感心する。

 状況が落ち着くと、美神は遊び気分を一掃して、冥子とともに除霊の準備に取りかかる。この辺の気持ちの切り替えはさすがにプロだった。

 まず、マンションの鬼門と裏鬼門に札を貼って建物を結界内に封じ込める。この後、内部に巣くう悪霊を排除浄化してから地脈の乱れを直すという。

「へぇ、凄いっすね」
「これがプロの仕事よ。あんたたちみたいな素人と一緒にしないこと」
「この物件、前に電話した時、きれいさっぱり断られてるんすよ」
「馬鹿ね、大手不動産会社が管理しているマンションよ。正規のGSでも、よほどの実績がないと門前払いね」

 建物内の除霊では冥子の式神バサラの霊体吸引を利用するために、おキヌは外で留守番だ。

 中に入ると、先頭に美神、その後ろに横島、最後尾にインダラの背に乗った冥子とタマモという順番で並び、ワンフロアずつ、きれいに除霊しながら最上階を目指していく。

 バサラの吸引能力が目に見えて低下し始めたのは、残り数フロアという頃だ。

「令子ちゃ〜〜ん、もうお腹一杯みたいなの〜」
「下見に来た時よりも数が多いわね。だから大手はイヤなのよ。除霊の予算が下りるまでに時間が掛かるから、結局初期の見積もりよりも霊障の規模が大きくなるし」
 それを見越して報酬をふっかけるのだが、今回の霊の増加は美神の予想を遥かに上回っていた。
「それじゃ、私たちの出番ね。横島くん、しっかりやるのよ」
「やっぱり、やらなきゃ駄目っすか?」
「当たり前でしょ。幾ら払ってると思ってるのよ」
「ういっす」

 横島とて男の子だ。綺麗なお姉さん方に挟まれて、いいところを見せようという気負いがないわけでもない。
 上手くやればあの乳と尻は俺のモノ、と想像すれば自然と頬の筋肉も緩んでくる。

「横島」
「んっ」
 タマモに声を掛けられ、横島はインダラへと近づく。そして、手持ちの札の中から、防御に使用する結界用の札をタマモに渡した。彼女自身の霊力はできるだけ温存しておこうと、以前に話し合って決めていたのだ。
「しっかりね」
「お、おう」

 女の子に期待を掛けられたら俄然張り切ってしまう。それが男の哀しい性分だ。
 左手で狐火の札を一枚構えると、右手でジッポの蓋をシャキーンと鳴らす。
「一番、横島忠夫、ここぞ一発の火の玉ボーイ!」
 お札に点火。
 発動した狐火を、素早く前方の霊の吹き溜まりへと投げつける。

 効果は抜群だった。
 何体もの霊を巻き込んで、火の玉は白色の閃光となって弾けた。

「ふ〜ん、そうなの〜〜」
 式神を扱うからか、陰陽の知識を一通り持っているのだろう。冥子が横島とタマモの交互に見やり、なにやら納得顔で頷いた。
 そして美神は、
「浄火の札!? ちょっと横島くん、どこで、いくらで買ったのよ!」
 目の色を変えて詰め寄った。
「お金がないなんて嘘でしょ!」
「い、いや、あの、イズミヤで1200円っすけど」
「それって自家製!? 買ったわ、一枚1500円でどう?」
「い、いくらなんでもそれは……」
 タマモの労力を三百円で売り渡したら、後で何を言われるか判らない。
「って、み、美神さん、前から来ました!」
「ちっ、話はあとでね」

 振り向きざま、美神は神通棍を一閃する。
 けたたましい叫びを上げ、切り裂かれた怨霊が消滅した。

 遠距離の霊団に横島が火の玉を炸裂させ、接近してきた霊を美神がしばき倒す。討ち漏らしたものはタマモが結界で防御しつつ、冥子の式神が寄ってたかって殲滅する。即席とは思えぬチームワークを発揮して、一行は一気に最上階にまで上り詰めた。

「残すは一体、ラスボスね」
「美神さん、もう手持ちの札も残り少ないすよ」
「もう充分よ。最後はプロに任せないって」
「令子ちゃ〜〜ん、なんだかとぉ〜〜てもイヤな予感がするの〜〜」
「ああ、もう、あなただって正規のGSでしょ。しっかりしなさい」

 横島はカポッカポッと蹄を鳴らして歩くインダラの位置まで下がると、タマモと一緒に高みの見物と洒落込むことにした。
 しかし、それはあくまでも横島側の都合である。
 迎え撃つほうにしてみれば、プレイヤーと観客を区別する気は欠片も持ち合わせていなかった。

 最上階のフロアに足を踏み入れた途端。

 ヒュン

 横島の顔すれすれを、コンクリートの破片が掠めていった。
「なっ!?」
 それだけではない。

 ヒュンヒュンヒュン

 破壊された内装材や建材が暴風雨のように吹き荒れていた。
 と同時に、悪霊の放つ霊気の塊が一行に襲いかかってくる。

「な、なんなのよコレは!」

 美神が懸命に神通棍でさばいていくが、とてもじゃないが間に合わない。
 咄嗟にタマモも前に飛び出して、迫る霊気に結界の札を叩きつけた。

 こうなると横島に出来ることはない。内心で前方の二人に声援を送りながら、飛来する瓦礫を躱すので手一杯だ。

「め、冥子ちゃん! じっとしてると危ないぞ!」

 インダラの背の上で硬直しているお嬢さんに必死で呼びかける。
 しかし、その忠告は少々遅すぎた。

 ピッ

 小さなプラスチック片が、冥子の白い頬に一筋の赤い線を刻みつけていた。

「ふぇ……ふぇ」
「め、冥子ちゃん!?」
「ふぇぇぇぇぇ〜〜〜!」

 冥子が盛大な泣き声を上げた時、横島は彼女に後光が差したかのように見えた。なんのことはない、素人目にも判別できるほどの、膨大な霊力の暴発だ。

「ふぇぇぇ〜〜〜ん!」
 泣き声に呼応して、十二体の式神たちが荒れ狂う。
 出鱈目に屋内を駆け回り、あちこちに体当たりしては壁や床、天井を崩していく。
 敵味方の区別などあるはずもなく、少しでも気を抜けば、強烈なタックルを喰らいそうだった。

「よ、横島くん、冥子を止めて!」

 床に伏せた美神が大声で叫んでくる。
 そんな無茶な、と反論したくてもできる状況じゃなかった。しなければ、自分の命に関わってくる。

「め、冥子ちゃん、とりあえず落ち着いて!」

 横島はなんとか距離を詰め、泣き続ける娘の両肩に手を置いた。

「ふぇ、ふぇぇぇぇぇ〜〜〜!」

 ビュン!

「どわっ!」

 頭のすぐ上を、シンダラが亜音速で通過した。衝撃波で髪の毛が数本もっていかれた。

「ど、どないせいと!?」

 こうなったら荒療治しかない。
 横島はゴメンと口の中で小さく呟くと、

 フニッ

 両手で冥子の胸を鷲掴みにした。

「あっ、タマモといい勝負?」

「ひっ……」

 冥子は大きく口を開いたままで息を呑む。
 白い顔が見る間に朱色に染まっていく。

 やばい、これは悲鳴を放つ前触れだ。これまでの経験からそう判断を下した横島は、何も考えずに、その口を塞いでいた。
 両手は塞がっていたから、自分の口で、である。

 パチクリ

 ごく至近距離で、冥子の目がまん丸に見開かれた。

 甘い吐息が横島の口中に流れ込んでくる。

 パチクリ

 呆然の瞬きを数回繰り返してから、冥子の瞼はゆっくりと閉ざされた。
 そして、クニャリと全身から力が抜け落ちる。

「あっ……気絶した」

 その直後、暴走していた式神が冥子の影の中へと戻っていく。

「横島くん、何をしたのよ!」
「あ、その、なんか寝ちゃったみたいで……」
「もう、冥子の式神が頼りだっていうのに!」

 さすがに今起こすのはまずいよなぁと、横島は冥子を抱きかかえたままで言い訳を考える。

 そこに、身を低くしてタマモが駆け寄ってきた。

「狐火の札、あと何枚残ってる?」
 良かった、見られていない。安堵しながら横島は答えていた。
「ん、ああ、二枚」

 チラリと悪霊のいる方向に視線を走らせてから、タマモは言葉を続けた。

「その二枚、同時に火を点けて! それにあたしの狐火を乗せて、あいつにぶつけてやるから」
「わ、判った」

 除霊に関しては、横島はタマモに全幅の信頼を寄せていた。疑わずに頷くと、そっと冥子を床に寝かせ、ポーチから最後の二枚の札を取り出した。

「いくぞ!」
「いいわよ!」

 シャキーン

 シュボッ

 二枚の札が瞬時に燃え上がり、二つの炎が一つとなって光球を形作る。
 圧倒的な熱量に、横島の顔面が炙られる。

「美神ぃ、避けなさいよ!」

「ちょ、ちょっと、なによその霊力はぁ〜!」

 タマモは横島から炎を受け取ると、それを更に一回り以上大きくして振りかぶる。

「飛んでけぇ!」

「こっちに投げるなぁ!」

 美神の悲鳴を掻き消すようにして、

 チュドーーン!

 轟音がマンションの最上階に響き渡った。


 お札を二枚燃やしただけなのに、ありったけの体力を根こそぎ持っていかれたような気分だった。横島は床の上で大の字になり、天井にポッカリと開いた穴に顔を向けていた。
 その横島の左腕を枕にして、タマモもまたグッタリとだらしなく寝そべっている。

「星がきれいだなぁ」
「今夜はキツネうどんの気分だわ」
「まだ開いてる店があるだろ、食って帰るか」
「いいわね、それ」

 ジャリ

 散乱する瓦礫を踏みつけて、煤けた美神が二人の側に寄ってきた。

「どうしてくれるのよ、この惨状!? 建物に損害をださないって契約だったのよ」

 タマモが返す言葉は決まっていた。

「除霊中に何があってもあたしたちに泣きつかない。そういう約束だったわよね?」

 ギリッ

 美神の歯軋りを愉快そうに聞きながら、タマモは少しだけ横島に体を寄せて目を閉じた。


あとがき
 続編を投下しようとしたら、前話が随分と前に流れていて、ちょっとだけ哀しい想いをした作者です。今回は、いかに愛すべき敵役として美神を表現するか、に重点を置いてみました。ドツキ漫才はあまり好きではないから、シバキ倒すのは控え目に。多少なりともキャラらしさが出ていればいいなぁ。
 次回、順番ではエミ登場の予定なのですが、はたして……一応、GW内のアップを目標に頑張りたいと思います。

 前話にレスを送ってくださった方、ありがとうございました。

>HAL さま
 小悪魔系が一番似合うキャラ、ということでヒロインに抜擢されたタマモです。
 横島くん、なにげに“いい目”が多かったりして……。

>偽バルタン さま
 恋人になる前の、やきもきした関係が書きたいな、が本作のきっかけです。
 もうしばらくは微妙な距離が続きそう。

>D, さま
 とりあえず、神父登場でした。
 教会の修繕費がまた嵩み……。苦労は絶えませんねぇ。

>朧霞 さま
 天敵なんだけど、恋のライバルにはほど遠そう。
 連載初期の頃の美神さんをイメージして書いたのですが、どんなもんでしょ?

>しばざくら さま
 読んでいてじれったくて、ちょっとだけ背中が痒い。そんな関係を。
 美神さんとの小競り合いは当分続くでしょう……。

>古人 さま
 楽しんでもらえたらなによりです。ある程度は原作準拠で進めたいかなぁ。
 でなければSS書く意味がない、っていうタイプの人間なんです。

>柳野雫 さま
 小悪魔系って、無邪気な残酷さが特徴かなぁ、なんて。
 連載初期の頃のおキヌちゃんって、完璧に天然キャラなんですよねぇ……。

>猿サブレ さま
 美神さんって強烈な個性をもっているから、本作では主役二人を喰わない程度に、
 多少セーブして表現しようと考えてます。当然、らしさは失わないように、注意しながら。

>ユウユウ さま
 あまり急いでくっつけるわけにもいかないし、かといって焦れったいと読者が飽きる。
 その辺の兼ね合いが難しいですね。今回も楽しんでもらえたら嬉しいです。


 読んでくださったすべての方々に心からの感謝を。

 でわでわ

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