人間誰しもしばらく生きてりゃ恨まれることもある。俺なんか特に、以前就いていた職業がちょっとアレなだけにかなりの人間から恨まれている。だがそうといっても会ったこともないやつや、接点が一つもなかったやつに恨まれるのは勘弁してもらいたい。
「次で終いね」
俺の目の前には汚れた布切れでかろうじて危ないところを隠している少女がいる。その手には不釣合いな大きな鎌を握り、元は美しかった顔と髪は俺の鮮血でまみれていた。
物事には順序というものが必要というのはわかっているので、今日のあらましを語ろう。
テレサに肋骨を折られ右腕の骨にヒビを入れられた俺は、糸で支障がないようにしているもののさすがにしばらく仕事を休むことになった。それでしばらく暇になった俺は横島の仕事場の上司に当たるGSの唐巣という人物に、しばらく出張するので修行をつけてやってくれと頼まれたのだ。それで俺はテレサにカオス作成の訓練メニューを渡し、三人で教会に赴き修行を始めた。結構教会の敷地は広いのでうってつけなのだ。
それで今日、霊波刀で襲い掛かってくる横島を蹴りだけでボコボコにしたり、できたー!! と、喜んでいるテレサをほめたりしていた。
ちなみに、テレサの訓練メニューは綾取りと折り紙と料理である。カオス曰く、いまは生まれたばかりの赤ん坊なので情報を取り入れてそれを元に判断する能力と、想像力と創造力を鍛えるためらしい。
そして俺と横島がテレサのカレーを食っていた時に、教会に訪問者が現れた。その人は傷だらけでいたので俺は横島に応急処置をするための道具を持ってこさせるよう命じ、その人の傷を診て大して深い傷がないことを確かめると、俺は一体どうしたのかを訊いた。
その人が言うには、突然悪霊に襲われ、命からがら逃げてきたということであった。それで俺は横島とテレサにその人の護衛を任せて、一人でその襲われた場所にシメサバをもって向かった。
そこは人通りのない裏道で、普段は学生などが抜け道として使用していると聞いた。そこで俺はあの人の傷に残っていた悪霊独特の霊気のカスをシメサバに見つけてもらい、その跡を辿った。
数分後、まるで腐った卵のような臭いがする道を俺は進んでいた。シメサバが見つけた霊気のカスはおかしなぐらいハッキリと残っていたので迷うことはなく、簡単にそのもとにたどり着くことができた。しかし、そこでは奇妙なことに悪霊どころか浮遊霊もまったく見当たらなかったのだ。
「これはどういうことだと思う?」
『わしが知るか』
シメサバに尋ねてもやはりわからなかった。それはそうだ、と思う。俺たちが行き着いた場所は、夢の島のごとく多くのゴミが捨てられており、鼻をつくアンモニア臭もするし明らかに霊気のカスも大量にあるのだが、それを出しているはずの幽霊が一体も見当たらないといった不可思議な場所だったのだ。
漫画や小説ではこの場所全体が幽霊と決まっているが、それは違うと判断できる。俺の足元は確かに地面だし、周りにあるのも確かにゴミなのだ。
俺とシメサバは意気込んで来たものの、倒す敵がいないため少々気が抜けてしまった。仕方ないので今日のところは諦めてあとでまた来ようとその場を離れようとしたがあることに気づいた。
まず俺は携帯を取り出し、ナビで現住所を確かめようとしたが圏外であった。次に俺は糸を出してたどってきた道に伸ばしてみたが、途中で霊気のカスはまるで遮断されたかのようなくなっていた。
隔離されている。
その事実に気づいた俺は神経を張り巡らせていつ襲われても対処できるようにした。
それなのに、
俺の耳にプツッと糸が切れたような音が聞こえてきた。そしていつのまにか背後に全身が潰されるような殺気を感じたが、俺は振り向くことができなかった。振り向いたら、そこで俺の命は尽きるのがわかったからだ。
震える足を止めるため、へその下に力をこめて俺は訊ねた。
「いったいなんのようだ?」
「あら、わかっているんでしょう?」
「いや、あんたが誰なのかもどうしに来たのかもわかっているさ。でも動機がわからないんだ」
「そう、まだ知らないのね。でも、どうだっていいわ」
そいつは俺の左腕に手を添えて背中を蹴った。いままで食らったどんなものよりも強烈なけりで背骨が軋んだのではないかと思えるほどであった。
「よわいわね、こんな蹴りで悶えるなんて」
そいつは、俺の左腕から湧き出る鮮血を天然のシャワーのように浴びながら笑っていた。
……歴然とした力の差を魅せつけられた。左腕は気づかぬうちに肩から切り取られていたのだ。
こういう状況になるとパニックになるか、かえって冷静になるかどっちかだと俺の恩師は言っていた。
今回は後者のようだ。
息を整え、俺は糸を包帯のようにまとめて血を止めた。痛みはない。
「やっぱり私の相手だものね。あきらめるわけがないわよね」
孤児のような容姿とはギャップのある高圧的な笑みでつぶやき、
余裕か慢心か知らんが俺が血を止めシメサバを抜くのを律儀に待っていてくれた。
シメサバは何も言わず俺に全てを任してくれている。
「行くぞ、ビレト!!」
俺は片手でシメサバを握り締め駆け出した。
威勢良くいったものの、防戦一方になってしまった。
ビレトは大鎌を自分の手足のように使い、わざわざ俺が避けられるように攻撃してくる。俺はその誘導に乗るしかなく、絶えずチャンスをうかがっているもののいまだ見えてこない。
「ほら、次いくよ!」
頭上で鎌をグルグル回しながら言う。鎌が一振りされると周囲のゴミが飛び散り俺の視界を覆い、俺はとっさに後ろに転がり攻撃範囲から逃れた。しかし、ビレトは俺がいた場所に大鎌を振るったあとに俺と目線を合わせて再度鎌を振るった。
危うくもそれを避けたが、もう俺は十回ぐらい殺されている。遊ばれているのだ。このままでは飽きて殺されてしまうが、大逆転の策が脳裏に浮かばないため時間稼ぎをすることにした。
「なあ、どうして俺を狙うんだ?」
「…時間稼ぎ? まあいいけど」
ばれてら。
「あたしがあんたを狙う理由なんてね、単純なものよ。恨んでいるから」
「う、恨んでいるってなあ… 俺はこのまえあったとき意外に面識がないんだが」
「あたしもないわよ」
「じゃあ、なんで恨まれるんだよ」
「それはね……」
ビレトは長い髪を掻きあげ、俺は息を呑む。
「あたしはあんたが出てきたおかげで『枠』に入れないのよ!」
ビレトが目に見えない速度で大鎌を振るった。
またプツッという音がすると、右腕の手首から先が無くなった。
「ま、ちょっと理不尽な理由かもしれないけど、勘弁してね」
『急な用事ができてだめになっちゃった』みたいなノリで言い、俺の右手の拳から流れる血をのどの渇きを潤すみたいに飲みだした。俺はビレトののどが上下するのに一瞬目を奪われるが、すぐに自分の血を止めることに専念する。
「次で終いね」
ビレトは鎌を肩に担いでゆっくりとした歩みで俺のそばによって来た。
いくら考えても考えても妙案も良案も浮かばない。このままでは死を待つだけだ。
頭に今までに出会った人物、別れていった人物が浮かんできた。走馬灯というやつか、実際にはゆっくりとしたもんなんだなと思った。ここで俺は諦めの気持ちになりかけたが、ある言葉が染みこんできた。
『殺したからにはしつこく生きる』
忘れていた。恩師の言葉で、俺の言葉。約束であり誓いであり縛りであり、別れの言葉。
情けない。自分のことが本当に情けない。
どんな状況であっても死なない。死んではいけない。生きていかなければいけない。
俺はビレトの灰色の澄んだ瞳を見つめた。
「いい顔してるわね」
そっと俺の左頬を触った。冷たいが、どこか暖かい。
「…だれもかれもが忘れても、私だけはあなたのことを憶えていてあげるわ」
ビレトはその朱に染まった顔を近づけ、唇を合わせてきた。
少ししょっぱいそれを味わいながら俺は舌を動かし口腔内を犯していく。呆れ顔のビレトも徐々にだが俺と結び合わせていく。
やっぱりだな、俺は心に決めた。
「……こんな状況で舌を入れてくるとはね。でも、もう終わりよ」
離れた唇が糸を引いていたのが扇情的でもうちょっとしたかったが釘を刺されてしまった。俺はどっかと床に座り、覚悟を決める。
ビレトが俺の首に鎌を当ててささやく。
「なんか、決心が鈍っちゃうからもう殺すわ。じゃあね」
「―――いや、まだ死ぬ気にはならんわ」
一瞬、ビレトは怪訝な表情になったがそれは即座に驚愕に変わった。
ビレトの腹をシメサバ丸がつらぬいたのだ。
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