美神美智恵は現在、通称『オカルトGメン』と呼ばれるICPO超常犯罪課の日本支部設立の為、一週間の内、帰宅できるのは一日有るか無しかという超激務をこなしている。
まだ一歳に成ったばかりの次女を近所の託児所に預け、もう何週間も顔をあわせていない長女の事で悩みながらも、彼女は精力的に仕事に励んできた。
仕事柄、偶に帰宅できてもその殆どが深夜、または明け方である。
シン、と静まり返った家の中で、長女の不在に気付くことも多々有るが、彼女が何処で何をしているのかすら美智恵には知る事が出来なかった。
娘が悪い道に進む様な教育はしていない。その自負はある。
しかし彼女が何を考えているのかまでは判らない。
(結局、親失格なのかしらね。・・・公彦さん。)
暗い部屋の中、眠る次女を抱えたまま、壁に掛けられた白黒写真に目をやる美智恵。
答えは、無かった。
そして今日、彼女が『それ』に気付いたのは午後、一人では裁き切れない程ある仕事を必死に片付けている時だった。
このオフィスが入っているビルの隣に、突如として高出力の霊波結界が現れたのを感じたのだ。
「な、何コレ!?」
美知恵は慌てて窓辺に走りよった。
彼女の記憶では、隣に在るのは廃墟と化した洋館だったはずである。
資料によれば、この洋館は半世紀以上昔、渋鯖某という名の男爵によって建てられた。
当時の業界紙には、初めて日本人の手によって作り上げられた人工霊魂が屋敷の中枢に封じ込められ、それによって管理運営がなされる画期的なシステムが組み込まれた。とある。
しかし渋鯖某はこれを量産するつもりはサラサラ無かったらしく、人工幽霊一号と名付けたそれを我が息子として認めさせた後、屋敷に篭り二度と表舞台には出てこなかったらしい。
そして渋鯖某の没後、何人かの物好きがこの屋敷に住み着こうとしたらしいが、
その全てが玄関を潜り抜けることも適わず、不可視の力によって追い出された。
それ以後、旧渋鯖邸と呼ばれるこの洋館は、その価値を発揮できないままここに建ち続けた。
美知恵がオカGとして隣のビルに勤務する様になってからも、何人かの隊員が挑戦したらしいが、プロの退魔師である彼らすら、誰一人として洋館を手に入れることは出来なかった。
「それなのに誰がっ!?」
この辺りに住む霊能力者で、自分を除けばあの屋敷の『三つの試練』を制することが出来るのは、自分の師である唐巣神父、それにあの六道家の当主位である。
しかしそのどちらもあの屋敷に手を付ける等とは聞いていない。
窓をブチ開け、身を乗り出すようにして隣を見る。
彼女が見たのは新築同然の外観に戻り、並みの悪霊なら触れる事も出来ない程強固な結界を張った、あの旧渋鯖邸の姿だった。
「ここら辺にBランク以上のGSが引越してきた、なんて話も聞いてないし。・・・後で偵察の必要アリね。」
何かを思い付いたのだろうか、美智恵はニヤリと笑うと仕事に戻った。
結局、新しい屋敷の主に会うことが出来たのはその日の夕方だったが。
「猫の手って何処でレンタルしてるのかしら〜!」
泣き声。
新世界極楽大作戦!!
第六話
「夕食前だったんでしょ、御免なさいね。」
素っ気無く追い返されるかもしれない。
そんな事を危惧していた美智恵だったが、横島はあっさりと彼女を屋敷内へ通した。
屋敷内は思った以上に広く、そして噂の人工幽霊のおかげだろうか、埃一つ落ちてはいなかった。
「いえ大丈夫っスよ。飯か美女かっつわれたら、俺達ゃ迷わず美女を選びますから。」
そう言って笑う横島の後ろで、『俺達ゃ』と一纏めにされたシンジが引き攣った顔をしている。
横島が美知恵を招き入れたのは、三階の応接室兼リビング。
そこにあるソファーセットに三人は腰を降ろした。
美智恵は新ためて目の前の二人を観察する。
横島忠夫と名乗った青年。彼がこの屋敷のオーナーなのだろう。
抑えてはいるのだろうが、それでも滲み出る霊気の強さは自分と同格、もしくはそれ以上だ。
その上、彼からは霊気だけではない、何かしらの力を微かに感じる。
希薄すぎてそれが何なのかは特定できないが。
そして先程の彼の言葉。隊長とは一体?
とにかく奇妙な印象を受ける青年である。
そして更に異常なのは、彼の隣にちょこんと座っている少年、だか少女だか判別に悩む子供。
紫銀の髪に紅い瞳。あれは自前なのだろうか。学生服という姿からして別にパンクな人では無い様だが。
自分が彼を異常だとするのは、なにもその身体的特徴からではなく、彼が少しも、
そう1マイトですら霊力を保持していないからだった。
そんな事がありえるのだろうか? 少なくとも自分は聞いた事が無い。
探るような美智恵の視線に横島は苦笑し、少しでも彼女の疑惑を取り除こうと口を開いた。
「新ためて、俺は横島忠夫と言います。そしてこいつは碇シンジ、訳有って俺が預かっている遠縁の子です。
服装から察するに、あなたはオカルトGメンの方ですね。」
「はじめまして、碇シンジです。」
ペコリ、と頭を下げるシンジ。
その仕草が何かのツボにはまったのか、美智恵はフッと表情を緩めた。
「ええ、そう。私はICPO超常犯罪課日本支部(仮)の美神美智恵。今日伺ったのは、これまで誰も為し得なかった『三つの試練』を乗り越え、見事この屋敷を相続したのがどんな人か気になったからなのよ。」
「はは、今後とも宜しくお願いします。人工幽霊一号、お前も挨拶しろ。」
『人工幽霊一号と申します、美神様。横島オーナー、シンジさん共々宜しくお願いします。』
「こちらこそ宜しくね。」
さすがは美神美智恵である。屋敷が喋っても全く動じない。
「貴方からは強い力を感じるけど、横島君はGSなの?」
「いえ、目指しているんですけどまだ免許は取っていません。力は最近まで修行してたんス。」
美智恵と出会った時から用意していた答えで返す横島。
これで彼女が納得するとは思えないが・・・。
「何か得意な霊能力はあるのかしら?」
それが一番聞きたかった事なのだろう。美智恵は瞳に星を浮かべ身を乗り出す様にして尋ねてきた。
意識せずとも感じる彼の力。除霊知識は定かではないが、その力の方は相当な物だと美智恵は踏んだのだ。
もしそれが自分の目論見通りなら、彼と親交を深めておいて損は無い。
「美神さん美人ですし、別に隠す必要も無いっスからね。お見せしますよ。」
そう言って横島は立ち上がり、二人から少し離れた場所に移動した。
「シンジ、お前は見る事が出来るかどうか判らんが、今から俺がやるのは『霊力』と呼ばれる力を使った技術の一つだ。・・・では美神さん、いきますよ。」
言葉の後、横島の右手が白い光を放つ。
光は彼の拳から前腕を覆うように展開し、その形を固定した。
「・・・これが俺の武器。『ハンズ・オブ・グローリー』です。」
白く輝くそれを美智恵に向け掲げる横島。
美智恵の目から見ても、彼が『H・O・G』と呼んだその技術の完成度は恐ろしく高い物だった。
「物凄いわね・・・。凝縮系の霊能技術を、ここまで昇華させた人間は他にいないでしょうね。」
期待はしていたが、まさかここまで出来るとは思ってなかった美智恵。感嘆の溜息をつく。
まるで西洋の篭手の様な優美さと力強さを併せ持ったフォルム。
もしかすると、話に聞く人狼族の侍達の物よりも、力の出力は上かもしれない。
「俺はこれをメインに使ってます。で、シンジ。見えるか?」
「はい。・・・なんだか、とても綺麗で・・・暖かいです。」
シンジは『H・O・G』から暖かい波動を感じていた。
敵を殺す為では無く、皆を護り、共に歩む未来を掴み取りたい。
横島のその強い想いが霊波を通し、心地よい波動となってシンジに伝わってくるのである。
(やっぱり横島さんは凄い人だ。)
この人に出会えて本当によかった。
「そうか、見えたんならお前を助手にする事も出来るな。」
横島も満足そうに頷いた。
シンジから全く霊気を感じなかったので、もし除霊に向わなければならなくなった場合、彼一人残していく事になると思っていたのだ。
しかしどういう理屈か、シンジは霊波動を視認する事が出来た。
素人の彼が現場で危険に晒されるかもしれない事に変わりは無いが、霊が見えないのと見えるのとではその危険さの度合いが全く違う。
(この分じゃ、『防』の文殊を持たせてりゃ大丈夫かな?)
横島はシンジと共に仕事をするつもりだった。
GSという職を通して、彼に多くの経験と多くの出会いをし、人生の楽しさと素晴らしさを知って貰いたかったのだ。
「・・・ねぇ横島クン。私貴方にお願いが有るんだけどな〜。」
真剣な顔で何かを考えていた美智恵だったが、それまでの表情を一転、ニンマリとした笑みで話し掛けてきた。
「な、なんスか?」
「私達超常犯罪課はね、今日本支部設立のために動いてるの。その為には色々な仕事をこなさなきゃならないんだけど、圧倒的に人の手が足りないのよ。特に現場関係がね。」
それでね、横島くぅ〜ん。と彼女が続け様とした所で横島が遮った。
「そ、それはダメっすよ美神さん。犯罪じゃないですかっ!」
いくら腕が立つとしても、GS免許を持っていない横島が勝手に除霊すれば、
それは立派な犯罪行為である。
いくら横島でもこの年で前科持ちになるつもりは無かった。
「大〜丈夫よ。ちゃんとオカG見習いとして登録しておくから。それにちゃんと見返りはあるのよ。」
「み、見返り?」
ソファーに戻った横島に歩みより、彼の両肩に後ろから手を置き話す美智恵。
彼の肩を優しく摩るのも忘れない。
「次の免許取得試験には出るんでしょ。その際、貴方が有利になる様に協会へ話を付けてあげるわ。」
それも違法である。
だが、耳元で吐息と共に囁かれる言葉と、首筋にフニフニと押し当てられる豊かな乳の感触に、理性と従法の意を溶かされていく横島は気付けなかった。
美智恵が発する妖しいフェロモンに、隣にいるシンジは真っ赤な顔を俯かせて縮こまっている。
「ね? 手伝って貰うのは全く危険の無い依頼だけだから。」
「あぁ〜うぅ〜。」
既に横島は陥落寸前である。
彼の肩に置かれた手を胸の方に移動させ、尚も囁きつづける美智恵。
「ちゃんとお給料は出すし、ね?(フニフニ)」
ゲーテの大作『ファウスト』で、ファウストを誘惑したメフィストとは、きっとこんな感じだったに違いない。
まさに悪魔の囁きである。
「うぅ、で、でも・・・。」
「美智恵のオ・ネ・ガ・イ(はぁと)。」
ふぅっ
耳朶への止めの一撃。
「もおぉ〜、判りましたっ。やりますよっ!! でも見返り云々じゃ無く、修行を兼ねて善意でって事でならねっ!」
とうとう敗北した横島は、了承の意を叫び立ち上がった。
そのままでは借金の連帯保証人すら承諾し、判を押してしまいそうだったからだ。
「ありがとう横島君っ。貴方とはいい関係を築いていけそうだわ。」
「・・・・・ソッスネ〜。」
きゃ〜、と喜ぶ美智恵とは逆に、煤けた顔で力なく笑う横島。
(美神家の女には絶対勝てねぇな、俺。)
「で、早速だけど請け負って貰いたい仕事があるのよ。」
「いきなりっスか!?」
耳を疑う。
初めて知り会った人間に対し、その日の内に仕事を依頼するなど流石にやり過ぎである。
「人を見る目は有るつもりよ。貴方は信頼できる人間だわ。・・・それにシンジ君。温泉に行きたくはない?」
「え。温泉・・・ですか?」
急に話を振られたシンジが吃驚した顔をあげる。
どうやら先程からずっと俯いていたままだったらしい。
「そうよ〜。依頼元は『人骨温泉』ってトコのホテルでね。温泉に出没する霊を祓うだけの簡単なお仕事よ。どう横島君、やりたくなって来たでしょう。」
「人骨温泉ですか?」
「そうよ、温泉。やって貰えるかしら。」
仕事の依頼先の名を聞いた横島の脳裏に、あの純真な少女の笑顔が浮かび上がった。
(おキヌちゃんか。ならいいかもな。)
少し考えた後、結局横島は仕事を受ける事にした。
おキヌに会えるのなら山登りぐらい幾らでもやるし、ワンダーフォーゲルとの立場の交代も、今の横島には簡単に行える術である。
「いいですよ。」
「そう言ってくれると信じてたわ。じゃあ明日にでも向って貰えるかしら?
向こうには連絡しておくし、私の代理だって言ってくれればいいわ。」
そう言って美智恵は財布を取り出し、万札を数枚横島に手渡した。
「とりあえず必要経費を渡しておくわ。帰ってきたら別にバイト代を出すから宜しくね。」
横島が万札を財布に収めるのを待ってから、時計を確認した美智恵は立ち上がった。
「あらもうこんな時間。ひのめ迎えにいかなくっちゃ。」
「ひのめ!?」
いきなり声を上げた横島に驚く美智恵とシンジ。
「な、なに?」
「ひのめって美神さんのお子さんですか!?」
「ええ、そうよ。美神ひのめ。二人いる娘の次女だけど、どうかしたかしら?」
怪訝な顔で問う美智恵。
「い、いえ。美神さん若く見えるのに、お子さんが居るんで吃驚しちゃって。」
「まあ、女見る目有るわねぇ横島君。それじゃそろそろ失礼させてもらうわ。」
「はい、帰ってきたら報告に上がりますんで。」
「お願いね。じゃ、横島君、シンジ君、人工幽霊一号、またね。」
「あ・・・、また遊びに来て下さいね。」
『ごきげんよう・・・。美神様。』
別れの挨拶後、部屋を退室して行く美智恵。
しかし『若く見える』と言われた事がよっぽど嬉しかったのだろうか、閉まったドアの向こうから、軽妙なリズムの鼻歌が聞こえてきた。
「なんだか凄い人でしたねぇ、横島さん。・・・?」
まだ彼女の体温が残る部屋の中、残されたシンジがポツリと感想を述べるが、
横島からは返事がない。
彼の方に顔を向けると、なにやら考え込んでいる様だった。
「どうしたんですか横島さん。」
「いやなに、新ためて理解しただけだよ。」
フッと口をゆがめる。
「矢張りここは、俺が居た所と違うんだなってさ。」
「・・・・・。」
まあこうして、横島とシンジの共同生活一日目はゆるゆると過ぎていったのじゃった。
次の日、快晴。
横島達は某県の山中、目的地『人骨温泉』に一路向かっているところである。
景色もいいしゆっくり歩いていこう。・・・バス代も勿体無いし。
そう主張した横島は、気を抜くとすぐに遅れはじめるシンジのペースに歩調を合わせながら、おキヌの事を思い出していた。
(あの子には色々と世話になったからなぁ。力になってやらねぇとな。)
何事にも一生懸命な彼女を思い出すと、自然に笑みがこぼれる。
「ほれもうちょっとだからがんばりな、シンジ。」
おキヌを思い浮かべている間に、またもや遅れ始めたシンジに声をかける。
連日の山歩きは、華奢なシンジには相当堪えるようだ。
「はぁ、はぁ、すみません横島さん。」
「どうしてもダメだったら言いな。歩かずに温泉へ移動する霊能だってあんだからな。」
「いえ・・・、歩きます。」
それでもシンジは挫けずに歩くことを選んだようだ。
『逃げちゃダメだ』と呟きながら必死に横島の後をついてくる。
彼を見守る横島の瞳は、まるで兄の様に優しかった。
ゆっくりゆっくり山道を登って行く二人。
その彼らを見つめる、一対の怪しい目が近くの木陰にあった。
『優しい目・・・。そう、あの人がいいわ。だって私のごぉすとがそう囁いてるんですもの。』
声の主は十五、六歳程の少女。
彼女は横島を見ながら一つ頷くと、エイエイオーと木立の奥へ消えていった。
この道の先に仕掛けた罠に向って。
「・・・ここで少し休もうや。」
山道を登り始めて二時間、時刻は正午前。
流石に限界にきたのだろう、産まれたての子牛の様な歩調になっているシンジに、横島は休憩を告げた。
季節は春。木立に目を向ければ福寿草やカタクリ、岩桜などが登山者の目を楽しませる。
スプリングエフェメラル。早咲きの花達が、優しい風に揺れている。
「はぁ、はぁ、・・・はい。」
既にシンジは答える事もままならない状態だった。
HP3。スライム並だが、これでもこの子は神様なんです。
「いい天気だなぁ。」
シンジに注いで貰ったお茶のコップを手に、横島は空を見上げる。
(ここらへんでおキヌちゃんと会ったんだが、今回はどうなのかな?)
『前』は大量の荷物を運搬させられた挙句、美神に置いていかれた横島は、『神の座』の身代わりを探すおキヌに命を狙われたのだ。
「まさか今回も同じように、『えいっ』とかって突き飛ばしてきたりはねぇよな。」
はは、と笑う横島の耳に、
『どっせい』
崖の上から微かに聞こえた誰かの声。
それに気付いた横島は、何事かと視線を上げる。
巨岩が落下してきていた。
「ぽげぎゃあああああぁぁっ!!!?」
焼鏝を押し当てられた豚の様な悲鳴をあげながらも、
横島は一動作で隣に這いつくばっていたシンジを抱き、その場から飛び退った。
ズンッ!!!
その僅か数瞬後に地面に巨岩が激突する。
後少しでも遅ければ、横島達は潰されていただろう。シンジも蒼白な顔で巨岩を見つめている。
驚きで口から飛び出ようとする心臓を必死に抑えながら、横島は再び崖の上へ視線を戻した。
崖の上、元々巨岩があったと思われる場所から、一人の少女が此方を覗き込んでいた。
何が悲しいのか、彼女はシクシクと泣いている。
(あれはおキヌちゃんっ!? パワフルになったもんやな・・・って、幾ら歴史が違うッつっても、こんな変わり方せんでええやないかぁ〜!!)
『あああ〜、また失敗です〜。どうして皆さん素直に当たってくれないんでしょうか?』
「ちょぉっとまてぇぇぇぇっ!!」
どこか矛盾に満ちた事を言いながら立ち去ろうとしたおキヌだが、横島の声に一瞬身を竦ませた後、恐る恐る振り向いた。
彼女の前には、どういう手段を使ったのか、何時の間にか崖を登って来ていた横島が立っていた。
『あ、あの。・・・何か?』
「『何か?』じゃねぇぇっ!! いきなり何てことすんだアンタっ。二、三滴チビッタじゃねぇかっ!」
完全な悪意を持って、自分を殺そうとしたのではない。
横島も彼女の事情を知っている為に怒る事は無いのだが、まさか大岩を落としてくるとは想像もしていなかっただけに、本気で驚いたのだ。
おキヌちゃんにはビビらされた仕返しをしてやる。けけけ。
「とりあえず謝罪として、一晩俺と『肉』指定な事をして下さいぃぃぃっ!!」
『きゃああっ!?』
べつに『イ』でもかまへんからぁっ。と突っ込んでくる横島の顔が怖かったのか、
おキヌは悲鳴をあげて逃げて行く。
『たすけてーっ!』
「ええやろ!? なぁええやろ!?」
横島もまた、逃げるおキヌを追いかけて走り去ってしまった。
後には置いていかれたシンジが一人、呆然と呟いた。
「この世界のノリって、ボク着いてけるかなぁ。」
ガサゴソとポケットから『人骨温泉』への地図を取り出し、シンジは再び歩き始めた。
『・・・私はキヌといいます。三百年程前に山の神に成る為に死んで幽霊になったんですが、才能が全く無かったみたいで、山の神にも成れず、かといって成仏することも出来ずに今まで彷徨ってました。』
「で、俺に代わってもらおうとあんな事を?」
永い追いかけっこの果てに、横島達は『人骨温泉』に程近い山中にいた。
泣きながら逃げ回っていたおキヌだったが、横島が霊能力者で害意は無いと知ると、
漸く落ち着き事情を話し始めた。
『はい、一人ぼっちが寂しくて、つい・・・。』
「目を付けたのが俺だったから良かったものの、普通の人間だったら確実に死んでたぜ?
んで、人を殺しちまったキミは属性が悪霊になって本当に成仏できなくなり、いつか祓われて消滅する事になる。」
殺生を犯した霊魂は成仏できない。輪廻の輪から外れ、永遠に彷徨わなければならなくなる。
それを救う為には強制的に祓うか、長い年月をかけて奉じ、別のモノに昇華させるぐらいだ。
『うえ〜ん、御免なさいぃ。』
慙愧の念に涙を流すおキヌ。
横島は変わらない彼女の正直さに微笑み、その頭を撫で摩った。
「泣かないで、おキヌちゃん。俺が力を貸すからさ。」
『あう。いいんですか?(この人の手、あたたかい。)』
一般人や唯の霊能力者なら、彼女の様な幽体に触れることは出来ないのだが、
横島は掌に極薄の霊気を纏わせて彼女に触れたのだ。これは大変な技術である。
「俺に任せときなよ。じゃあとりあえず行こうか。」
『え、何処へですか?』
不思議そうな顔でおキヌは憑いてきた。
「ん? 人骨温泉。」
「気持ちいいなぁ〜。」
人骨温泉、男湯露天風呂。
シンジはあの後一人で依頼元のこの宿を訪ね、代理人の助手を名乗って中に通されたのだった。
その後、横島が到着するまで湯に浸かろうと露天風呂にやって来た。
何故かシンジ以外、辺りに人影は無い。
それが元からなのか、幽霊が出るからなのかはシンジには判らないが、
貸しきり状態なのは気持ちが良かった。
「浅間山の時は入れなかったからなぁ。」
暖かい乳白色の湯が、更に白いシンジの肌を赤く火照らせる。
「新ためて見ると、ずいぶん変わっちゃったよね。ボクの体。」
雫を滴らせる手を見ながらシンジは呟いた。
脱衣所に立掛けられていた姿見に映った自分の体。
髪や瞳の色の変色は勿論、体つきまでが以前と少し変わっていたのだ。
いくらシンジだとて男である。
成長期に入ったばかりの体は多少の筋肉が付き始め、
同年代の少年達に比べればかなり薄いが、脛に体毛も生え始めてきていた。
しかし先程見た自分の体はどうだろう。
余分な体毛は全く無く、肌の色はあの綾波レイや渚カヲルの様に白くなり、
骨格も少し変わったのか、頬や腰の肉付きが少し丸くなっていた。
そのため、元々華奢で中性的だった彼の容姿が、益々その度合いを増し、
結果彼に男でも女でも無いような、神秘的な雰囲気を与えていたのだ。
「結構、ムキムキでマッチョな体に憧れてたんだけどなぁ・・・。」
NERVのトレーニング室を利用したが、筋肉痛で一日で諦めたのは秘密だ。
嘆息し、鼻の下まで湯に沈む。
横島と別れて既に二時間程になる。
いまだ宿にこないという事は、かなり遠くまで行ったという事だろうか。
「・・・・・遅いな、横島さん。ガボガボ。」
男はとても喜んでいた。
幾らか前の冬、この山で遭難して命を落とし、幽霊となって彷徨っていたところ、
この露天風呂を発見した。
砂漠でオアシスを発見した気分だった。
別に湯に入りたかった訳ではない。
幽体では浸かった所で温まるわけでなし、それに彼は風呂は嫌いだ。
では何故か。
覗き放題なのである。
どうやらこの宿はなかなか有名だったらしく、子供からお年寄りまで様々な人々が自分の目前で
その肉をさらけ出してくれるのだ。
これも男の青春っス。と彼は狂喜乱舞で覗きまくった。
だが『この破廉恥漢めっ』と誤解してはいけない。
彼が覗くのは『女湯』では無く『男湯』のみなのだ。
まあ、それでも犯罪者なのに変わりはないが。
しかし、少し前から露天風呂の利用者が目に見えて激減してきた。
その理由は彼には判らない。だが楽しみが減るのは残念だった。
それでもめげずに覗きに来た彼が目にしたのは、極上の獲物。
思わず女湯と間違えたかと勘違いするほどに、その少年は美しかった。
(ぱらいそっス! ぱらいそっス! 自分は遂に山男が崇めるべきミューズを見つけたっス!!)
鼻息荒く、彼は後世に真実を伝えようと少年の姿を凝視し、脳に焼き付けた。
遭難した際にライカを紛失したのが悔やまれる。
(はぁはぁ、早く湯から上がって欲しいっス! んで自分と男同士の友情を深めるっスよ!!)
「・・・おい。」
必死になって男湯を覗きつづける彼の肩へ、誰かの声と共にポンと手が置かれる。
だが覗きに熱中する彼には、唯煩わしいだけだった。
『今いいとこなんスっ、萌神の御前っス、邪魔しないで欲しいっス!』
「・・・おいコラ。」
再び声が掛けられるが、彼はまだ振り向かない。
もしかすると、自分に声が掛けられている事すら認識していないのかもしれない。
「いい加減にしやがれオッサンっ!!」
とうとう声の主の我慢も限界だったのか、
怒鳴り声と共に彼は力ずくで振り向かされた。
『ひぃっ、なんスか!?』
怯える彼の前には、井桁マークを浮かべて口元を歪める、バンダナを巻いた青年と、巫女の様な出で立ちの少女の幽霊がいた。
温泉旅館『人骨閣』
除霊の際にお使い下さい。と宛がわれた『位牌の間』にて、
横島達は卓を囲んでいた。
「ワンダーフォーゲル、お前、山の神になる気はねぇか?」
火照った体をコーヒー牛乳で冷ましていたシンジを交え、
それぞれ自己紹介を済ませた後、横島はそう持ちかけた。
『なれるんスかっ!? やらせて欲しいっス!! 自分達は山にしか住めないっス!!』
なぜかボロボロな姿のワンダーフォーゲル部が、歓喜の声で手を上げる。
好きの比重は、やはり男より山の方が重かった様だ。
「ああ。俺が術式を変えてやる。・・・おキヌちゃんもそれで良い?」
『はい、私もそれでかまいません。』
三百年の永きに渡り、自分を縛り付けていた鎖から漸く開放される時が来た事に、
おキヌは涙さえ浮かべて微笑んだ。
「OK。んじゃやるか。」
四人は荷物を持って中庭に出た。
おキヌとワンゲル部を並べ、彼女らと向かい合った横島が静かに呪文を詠唱し始めた。
高く、低く。紡ぎ出されるその呪の意味は、横島以外誰も理解できなかったが、
他の三人にはそれはまるで歌声のように聞こえた。
「はいっ、こうたぁーいっ!!」
いかにもそれっぽい感じの詠唱に比べ、呪文自体はかなり間抜けな言葉で終わった。
しかし効果はバッチリだった様である。
ポワンッという音と煙と共に、ワンゲル部の服装が登山着から和装へと変化した。
手には弓まで持っている。
『おおっ。これで自分は山の神っスねっ!?』
「そういう事だ。まあ、まだ力も神格も無いが、そこら辺は時間かけてやってけばいいさ。」
「おキヌさんはもう自由なんですか?」
傍で見ていたシンジが問う。
神っぽい服装になったワンゲル部に比べ、おキヌの方に変化は無かったのだ。
『そうみたいですシンジさん。なんだか体が軽くなりましたし。』
そう言って微笑んだおキヌの顔は、本当に嬉しそうだった。
『では自分は山に戻るっス。お世話かけたっス。また何時か会うっスよ、特にシンジきゅんっ!!』
ワンゲル部が挨拶と共に中へ浮かび上がる。
「シンジきゅんって・・・。まあ頑張れよぉ〜。」
「ま、また・・・(汗)」
『さよ〜なら〜。』
見送る三人に手を振りながら、ワンゲル部は山へ帰っていった。
彼の姿が完全に消えた後、おキヌも続くように中へ浮かび上がった。
『本当に有難う御座いました横島さん、シンジさん。これでやっと私も成仏できます。』
頭を下げるおキヌ。すこし名残惜しそうにしている。
「おキヌさん、少しの間でしたけど、あなたに会えてよかったです。お元気で。」
ワンゲル部に対するものとは全く違う表情でおキヌを見上げるシンジ。
そこへタイミングを計っていた横島が、さり気ない態度でおキヌに話し掛けた。
「なあ、おキヌちゃん。」
『なんですか?』
「ひとつ聞くけど、おキヌちゃん、成仏の仕方・・・知ってる?」
問われたおキヌは暫く腕を組んで考え込み、次いで滝の様に汗を流し始めた。
『そういえば・・・知りません。』
「ええっ!? どうするんですか!?」
えへーっと舌を出して頭を掻くおキヌに、シンジの方が心配しだした。
横島は、やっぱり、という様な顔をして話を続ける。
「俺がやっても良いんだけどさ、おキヌちゃん、三百年間も一人ぼっちで寂しかったって言ってたでしょ。
せっかく俺達友達になれたんだし、しばらく一緒に生活してみないか?」
『!?』
「いいんですか横島さんっ。」
そんな事を言われるとは考えもしなかったのだろう。
おキヌは目を見開き驚愕の表情を浮かべた。
シンジも嬉しそうに賛成の意を示した。
「失った青春なんて、何時だって取り戻せる。俺の友達が言ってたよ。どうする、おキヌちゃん。」
諭す様な横島の言葉に、おキヌは決心したように頷いた。
『私、死んでますけどいっしょーけんめー生きますっ。』
そう言って新ためて頭を下げるおキヌに、横島とシンジは微笑んで頷きあった。
「これから宜しくな、おキヌちゃん。」
「宜しくお願いします、おキヌさん。」
『はいっ、お二人とも、こちらこそ宜しくお願いしますねっ。』
おキヌは死んでから一番の微笑を浮かべた。
それはとても美しい微笑だった。
きゃいきゃいとはしゃぎながら部屋へと戻る、シンジとおキヌに続いていた横島だったが、ふと立ち止まると中庭を顧みた。
(後、残された問題は、おキヌちゃんの体と・・・・・根っこ姫か。)
でもまあそんな事より、今夜は宴会だな。
そして横島は二人の後を追って歩いていった。
あとがき
皆様こんにちわ、おびわんです。
おキヌちゃんが登場しました。かなりの人気キャラなので、
正直書くのに苦労しましたが、違和感などは無かったでしょうか。
今回登場した『H・O・G』ですが、原作の物と大分デザインが
違います。まあ、違うのは見た目だけで能力は同じですが。
そんなこんなでレス返しです。
>ぬーくりあ様。
やはり出会うきっかけはその二人ですね。
あの会社を文章で表現するのは大変そうですが。
>柳野雫様。
毎回のレス、有難う御座います。
『萌シン』が私の命題のひとつです。
横島君には色々なドロ沼へ嵌って貰いましょう。
>ケルベロス様。
彼女達が登場するのは、とりあえす1エピソードだけです。
が、その後どうなるかはまだ未定です。
残念ですが、矢島隊長の出演予定はありません。
>わーゆ様。
レス有難う御座います。
第六話はいかがでしたでしょうか?
では次回も宜しくお願いしますね。