「おお寒」
買い物を終え帰路についていた青年は、震えながらそう呟いた。ジージャンにジーパン、そして頭にバンダナ。季節感をまったく感じさせないその服装は、やはり貧乏の為せる業か。買い物袋を手に歩いているのは、だれであろう横島忠夫である。買い物袋に入っているのは、もちろんというか……カップ麺だ。
正月だというのに、特にうまいものを食えるわけでなし。誰かと一緒に過ごすわけでもなし。そもそも美神除霊事務所との繋がりが、彼の重要な人脈のほとんどを占めている。よって彼女達に予定が入ってしまえば横島は一人といっていい。
ちなみに所長である美神令子は母親と一緒に父親と過ごすらしい。おキヌは氷室家へ里帰りだ。またシロも里帰り……それもタマモを連れて。
もちろん横島にとってそれだけが人脈ではない。それでも強いて会いたいと思う相手がいるわけではない事も事実だった。
「一人寂しくカップ面すするかぁ」
それでもその顔に笑みが浮かんでいるのは、つい最近リサイクルショップで格安のある暖房器具を購入したからだった。彼にとって夢のような器具。このくそ寒い時期に暖かく過ごせるだけでも、彼にとっては結構幸せだった。
「それにしても、ホットカーペットがあんなに暖かいものとは思わなかった」
横島がそう呟いてアパートの階段を上ろうとしたときだった。
ミャァ……。
「ん?」
横島は立ち止まった。辺りを見回すようにきょろきょろと視線を動かすが、特に気になるものは無い。
「気のせい、か?」
呟いて再び階段に足をかけたとき、それは聞こえた。
「ミャァ」
再び足を止めた横島は、改めて周囲を見まわした。注意深く視線を動かしていると、彼の目がちらりと何かをとらえた。階段の後ろ、ちょうど影になっているところ……。覗き込んでみるとそこには、一匹の猫が倒れていた。ちらりと見えたものはどうやら尻尾だったらしい。力無くゆれている……と思っていると、パタリと倒れてしまった。そのまま猫はぴくりともしない。
「おい」
彼は猫の顔を覗き込んでみた。半分しか開いていない眼からのぞく虚ろな瞳と視線があった……ような気がした。実際には気を失っているのかもしれないが。
「こりゃやばいな」
横島は優しくその猫を抱き上げると、そのまま部屋に通じる階段を上った。実は横島が住んでいるアパートは動物を飼う事を禁止している。それにそもそも何かを飼うなんて、そんな金銭的余裕も無い。それでも目の前で死に瀕しているのを見ると、とにかく助けようとしてしまうのが横島という男である。
ともあれ。
「めちゃくちゃ冷えてるな」
アパートに入った横島はすぐさまホットカーペットのスイッチを入れた。その上にタオルを敷くと猫を寝かせる。おまけに毛布を軽くかけてやった。
カーペットの上に横たわった猫はとても痩せていて、毛並みも悪かった。またその小さな体が必死で行っている呼吸は速く、そして浅い。
「ずいぶん弱ってるな。何か食いもん……」
横島はたった今買って来た買い物袋を見た。中身はカップ麺だ。無論却下である。次に彼は冷蔵庫を開けた。その中には飲みかけの牛乳が残っていた。
「これで……」
牛乳パックを手に取り彼は立ち上がった。しかし横島は、暖めるべくコンロの前に立ったところで動きを止めた。
「そういや猫って、普通の牛乳じゃ腹を壊すって聞いた事があったような」
おぼろげだが、だとしたら飲ませるわけにはいかない。どうするか迷っていると、その目に牛乳パックに印字された消費期限が映った。……五日ほど過ぎていた。
「……あ~、うん。こいつは後で俺が飲もう」
確かに彼にとってこのくらいはどうって事無い……ってのはいいとして。
横島は財布を取り出した。その中身が相変わらず貧相な事を確認すると、ポケットにしまう。
「あかん。なんも買えん」
ははははと力無く笑っているのが、憐れだ。
横島は横たわる猫のそばに屈むと、毛布の中に手を入れた。中は充分暖かいが、猫に快復の兆しは見えない。
「とにかく、なんとかせんとこいつ死んじまうかもしれん」
最後の手段とばかりに横島が取り出した物は、一見ビー玉に見える一つの球体だ。
文珠。ありとあらゆるものに加工可能な純粋な霊気を閉じ込めた珠。数と制御という条件さえそろえば、それこそ不可能はない。もちろんその数と制御という条件がそろわないからこそ、可能不可能はあるのだが。
「美神さんが見たら、また無駄遣いしてとかいうんだろうな」
文珠は今現在彼しか使えない希少な能力だ。その便利度、危険度も他の能力の追随を許さない。横島にとってはまさしく切り札だ。そしてその数が有限である以上、除霊時の為に日常生活において使用しない事が望ましい。というかその点は美神に言われている。
まあ、それでも使っちゃうのが横島なのだが。
「すぐ楽になるぞ」
横島が持つ文珠に『快』という文字が浮かんだ。ゆっくりと猫に近づけると、文珠が眩いばかりの光を発した。温かな光。その光を浴びた猫が、ぴくりと身じろぎした。
「お」
猫の呼吸が落ち着き、ぱさついていた毛並みにつやが戻っていく。衰弱し弱々しかったその姿から、溢れんばかりに活力と、妖気が滲み出た。
「…………ん?」
怪訝な声を上げた横島の手から、文珠が消え去った。力を使い切ったのか、もしくは目的を達したのか。その答えはすぐにもたらされた。
猫の目がゆっくりと開いていく。その目がはっきりと横島を捉えた。
「シャァァァッ!」
横島を確認した瞬間、猫ははじかれた様に飛び起きた。同時に素早く後ろに跳び退る。
つやのある毛並みに意思の強そうな眼光。横島を警戒し睨むその姿は、先ほどの衰弱ぶりが嘘のようだ。
すっかり元気になったその猫を見て、横島は頬を掻いていた。その目は猫の尻尾に注がれている。気品すら感じられるすらりと伸びた尾が二本、ぴんと立っていた。
そう、二本である。その猫の尾は付け根から二本に分かれていたのだ。
「猫又ってやつか。……気付かなかった」
横島は仮にもプロの除霊屋である。普通の猫かそうでないかくらい一目で見抜くべきだし、見抜かなければならないだろう。仮に見ただけで気づかなくても、自ら抱き上げてここに運んだのだ。その際にこの猫が妖怪だということに気づかなかったのは、言語道断と言っていい。
「美神さんに知られたらしばかれちまうな。にしても、なんで気づかないかな」
呟く横島の前で猫又は威嚇の声を上げつつ、部屋の扉にちらちらと視線を注いでいる。隙を見て逃げようというのだろう。
もしこの猫又が危険な存在なら、彼の手で始末をつけなければならない。ゴーストスイーパーと妖怪とは、そういった間柄なのだから。
もちろんわざわざ助けておきながら殺したくはない。もしこの猫又が危険な存在ならば致し方ないが、そうでなければ何の問題もないのだ。
どうしたもんか、と目の前の猫又を見た。とにかく意思の疎通を図ってみなければならないだろうが、こうも警戒されていては。
猫又はフーフーと唸りながら、じりじりと部屋の出口へと近づいていく。このまま逃がすわけにはいかない横島は、その手にハンズオブグローリーを発動した。武器化はせず手っ甲のままだ。猫又が逃げようとしたときにこいつを伸ばし、捕まえようと考えたのである。
猫又はハンズオブグローリーを見てその動きをぴたりと止めた。警戒させたか、と苦々しく思った横島の前で、その猫又はある変化を見せた。
「ミャ」
不意に猫から気合が抜けたのだ。ぴたりと動きを止めて横島の方を見る猫又は、まるで何かに気付いたかのように、呆然としているようにも見えた。
「?」
何が起こったのか理解できずにじっと見つめる横島に向かって、猫は飛びついた。その姿が空中で変化する。
「にいちゃん!」
あっという間に二十歳前後の若い女性に姿を変えた猫又が、横島を押し倒すように抱きついた。
……全裸で。
「なななななな」
「にいちゃんにいちゃん!!」
いきなりの事にパニックに陥りそうになりながらも、横島は猫又を引き離そうと手を伸ばし……その手は空を泳いだ。横島に抱きついたこの女性は、泣きながら彼の胸に顔を押し付けていたのだ。背中に回した手がまるで離すものかとでも言うかのように、力いっぱい抱きしめてくる。あまりの事に横島はどうする事もできずにされるがままになってしまった。固まって宙に視線を泳がす事以外に何ができるってんだ。
「うう」
ちらりと視線を向けると、眩しいほどの白い肌が目に映った。慌てて視線を移すと天井のしみを数えようと努力し、下腹部に押し付けられている豊満な胸の気持ちよさに断念。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら、横島はとにかく言った。
頭の片隅で、無駄だろうなと思いつつ。
「えーと……とりあえず、服着ない?」
無論胸の中で号泣する美女の耳には、届くはずもなかった。
この後三十分ほど、横島の蛇の生殺し状態は続いた。
あとがき
はじめまして。テイルと申します。
こちらには初投稿となります。どうぞよろしくお願いします。
ちなみにこの話、結構思いつきです。
ホットカーペットって、こたつよりいい!
ただその思いだけを塗り込めるはずだったのに、どうも妙な方向に流れてしまい挙げ句の果てに(前)とか書いてますし。
続きはなるべく早く書きますです。よろしければ感想をば……。
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