「何故だ!!! 何故魔族化しない!!!??」
樹海に作られた巨大なクレーター。
美神令子中央に浮かぶその真下に置かれた、丸い1脚テーブルを狂ったように叩き叫ぶフォロフス。
「もう既に身体の崩壊は始まっているというのに…一体何故…?」
上を見上げたフォロフスの視線の先には、ぐったりとしたまま中に捕らえられた美神の姿。
口元には血の後が拭われず付いたままになっており、表情は苦しそうだ。
…いや、事実相当苦しいはずだ。
魔族化は器である人間の肉体が強制的に変換されることになる。
変換は、事実上肉体が強制的に作り替えられる事になるから、その時『当人がその事を拒んだりすれば』無理が生じて、身体に異変が起こる
。
その結果が、今テーブルの横で転々と広がっている血の飛沫なのだ…
テーブルの下に広がる赤い水たまり…吐き出された血液量は、既にかなりの物になっている。
既に身体の殆どが変換されているだろうから、死にはしないだろうが…
「ある程度遅いのは予想していたがまさかこれほどとは…
まずいじゃないかまずいじゃないか…これ以上は神魔両陣もここに到着してしまうぞ……」
テーブルの上には、無数の文字や記号が書き込まれた幾つもの紙が大量に乗せられている。
魔族が使う文字なのか、内容は一行さえも理解することは出来ない。
唯一解るのは、今美神令子を空中へ束縛している魔法陣の絵柄ぐらいだった。
「早く魔族化なり『永炎』なりを顕現させてくれれば、後はあれを使えば……うおぁ!」
顎に手を当てにやにやと思案していたフォロフスが、慌てて背後から襲いかかってきた『何か』を避けた。
顔のすぐ横を掠めて行ったのは…水。
「周囲のシールド毎貫ける水の攻撃…
これは……あんたか、シルバーオウル。
お人好しの錬金術師様がこのような所にいらっしゃるとはねぇ」
頭を大きく『ぐりん』と後ろへ動かすと…クレーターの端に立つ、数名の姿。
その中で、一番最前面に立って杖を突き出している梟の顔をした紳士を見て、フォロフスは嫌みを言いながら口を歪めた。
「どうやら……相変わらずのようだな、フォロフス」
クレーターの端の上で杖を突き出したシルバーオウルは、目を細め馬面の男を睨み付けた。
「出来れば、そうであって欲しくなかったぞ…」
GS美神極楽大作戦
『エイエン』
第7話 砂時計の砂が落ちる時
「横島忠夫とその仲間達、あと魔族シルバーオウルがフォロフスと接触しました」
黒い大理石のような床の上で、平行に浮かぶ巨大な機械で出来たリングを操作している女性が静かに告げる。
リングの周りには無数の薄いモニターが浮かんでおり、それらには横島達の映像がいろいろな角度から映し出されていた。
「そのようね…あなた、どう思う?」
そのリングの外周から、モニターの一つを細い指で摘んでいるのは背丈の低い少女。
ミーティアの乗っている馬と同じ…いや、それ以上に深い紅色のサラリとした髪に隠れた黒曜石のような瞳で、横島達の映像を凝視している。
だがよく見てみると、細い彼女の指から手首の下は…存在していない。
少女の肩口の方に視線を動かせば、彼女の肩口から先も同様に無いのが解る。
つまり、『手首だけが中に浮かんでいる』のだ。
『特に問題ないんじゃないかな。
シルバーオウルってのも悪い感じじゃなさそうだし、状況的に今の所問題なさそうだし。
あ、桃華。 美神令子の状況は?』
帰ってきたのは、だがどこかくぐもった…例えるならマイク越しのような声。
「現在肉体置換率80パーセント強。
現在はかなり速度が落ちているようです」
リングの上を信じられない程の速さで女性…桃華の手が動くと、モニターに幾つものグラフが表示される。
「…魔族化に躊躇っているんだわ」
『人間にこだわる…というか、今までにこだわってるのか…
まぁ無理もないなぁ。 人間じゃなくなると、とたんに迫害されるとか……いろいろ思うところあるんだろうし』
「でもそれは人間同士でも大して変わらないわ。
大切なのは、そんなところには存在しない…
一般論や人権人道なんて言う社会利益のために作られ、不確定的な物でしか彼女を評価できない連中なら、所詮その程度と言う事…」
宙に浮かんだ手が、真横で上下する…肩をすくめたのだろう。
『その辺、美神令子は恵まれているな。
あそこにいる以外でも、結構良い連中いるし』
「多少のトラブルはあると思いますが……」
桃華がリングを操作しながら、モニターの中で苦痛の表情を浮かべる美神を見て呟く。
「それもまた意志ある者同士なら仕方ない事よ。
でも…多分大丈夫だと思うわ」
映像をつついて、小さく微笑む少女。
『俺も同感だ…所で…』
「どうしたの?」
『何で外にいるんだ? 中なら暖かいのに…』
少女達のいる黒い地面。
そこはよく見てみると、巨大な人の手の形をしていた。
「あなたも降りてきたら?
宇宙空間で地に足が付くのは心地良いわよ」
振り返り笑む少女。
その先にあるのは、掌の主…見上げんばかりの巨大な黒い人の姿。
シンプルで鋭角的な黒曜石のボディ。 その背中からは巨大な骨のような翼が左右に伸びている。
そして女性二人が地に足をつけているのは、その巨大な人が釈迦の手のように身体から垂直に突き出された掌の上だった。
『いや、そろそろ一悶着ありそうだし、こいつから降りる訳にも行かないだろうし…』
その巨大ロボットから聞こえる声に、少女は「了解したわ」と苦笑して宙に浮かぶ掌をぷらぷら振った。
「でも、多分この調子なら最悪でも『絶滅王』を使う程度で終わると思うわよ。
油断は出来ないけど…」
『その時は…俺が突っ込んでいくさ…』
二人の会話が進んでいる所に、突如「ピー」という電子音が鳴り響く。
「血央様、地上で動きがあった模様です」
振り返った桃華は、素早くモニターを少女…血央に送る。
『俺にも頼む…あ、来た来た』
「…いよいよね…美神令子…」
血央はモニターの中にいる女性の名を口ずさむと、ゆっくり上を見上げる。
そこには、巨大で真っ青な青い球体…地球の姿があった。
見上げたほぼ真上には、海に浮かぶ細長い島…日本の姿が見える。
「恐れる事はないわ。
あなたには、いかなる時でも貴女を友と認める者がいるのだから…」
すっと左右に移動してきた手首。
地球を見上げ、掌を左右に広げるその姿は、まるで地球を優しく抱き留めようとしているかのようにも見えた…
「おやおや、モルモ…いや失敬。
美神殿のお仲間様も勢揃いというわけですか」
オウル卿の後ろに立つ小竜姫達を見たフォロフスは、側に置いてある机に手をつきながら「くっくっく」と鼻で笑う。
「あれがフォロフス…ナイトメアそっくりだな」
「ナイトメア?」
眉をひそめるワルキューレに、小竜姫が問いかける。
「ああ、昔美神の心の中に入り込み悪さをした魔族だ」
かつて美神令子の夢に入り込んだ全身タイツのオカマ馬の写真(報告書に添付されていた)を思い出し、ワルキューレは眉間の皺を増やした
。
だがそれに気が付かないフォロフスは、首をかしげ「そういえば」と何かを思い出していた。
「オカマ? …ああ、美神令子も同じ事言ってたっけ。
やれやれ…馬の顔は見分けが付かないからなぁ…いっそ色でも変えるかぁ?」
額から背中に伸びる青黒い髪の毛を摘むフォロフス。
「ところで……貴様」
静かに…まるで風の音のように静かで…だがとてもはっきりとしたワルキューレの声。
「美神の名前呼ぶ前に、お前…なんと言った?」
上を見上げたままの言葉に、フォロフスは「ああ…」と手を叩く。
「言わない方が良いかと思ったんだが…ま、いいか。
モルモット、さ。
偉大な実験の為の、大切な…たーいせつな、モルモッ…」
手振りを加えながら説明していたフォロフスが、軽く身体を横に動かしながら、手に持っていた杖を大きく振り抜いた。
すると激しい金属音がしたかと思うと、数メートル離れた場所に人影が着地する。
「…ちっ!」
横島の霊波刀『ハンズオブグローリー』を構えた、横島の姿があった。
「駄目か!」
攻撃がはずれたのを見て、オウル卿は悔しげに舌打ちする。
「この速さ…文殊か…。
全く隠れもせずに直で来るのはおかしいと思ったが、やはりこういう事だったか」
何が起こったのかを分析しながら、フォロフスはステッキを横島に向け構える。
すると周囲の地面から飛び出した土が、触手のように彼の手足をしゃがんだ状態で地面に縛り付けた。
「くっ!」
必死で逃れようとするが、砂利の固まりのようにしか見えない土の触手はコンクリートのようにびくりとも動く気配がない。
「お前達も動いたら、彼が土混じりの挽肉になるので以下同文だ…」
オウル卿達を睨み付け、フォロフスはそう彼らを脅迫した。
『この男なら間違いなくそうする』
そう感じたオウル卿達は、動くことが…攻撃をすることが出来なくなった。
「そうそうそんな感じ…
美神令子を助けて逃げるかするつもりだったのだろうが…そうはいかない。
惜しかったねぇ、オウル卿。 わざと美神令子の事を口にせず、気をそらそうとしたのは良かったと思うけど…」
フォロフスが「にやり」と笑って指を上に向けると、そこには光の魔法陣に囲まれた美神令子の姿。
「ま…一言言うと、全員怒り振りまき過ぎ。
押し黙っててもオーラがにじみ出てるから、嫌でもなにかあるって解るよ」
「…講釈はそれで終わりか?」
朗々としゃべるフォロフスの声を遮るように、オウル卿を初めとした全員が武器を構える。
「んぅ? まあどっちでも良いよ。
結局は、誰かは知らないが『美神令子を奪還する』作戦は失敗。
で…お」
顔を上に向けたフォロフスにつられるように、全員が上を見上げる。
フォロフスに牽制され動けなかった横島も…
「美神さん!」
美神令子を空中に縛り付けている魔法陣。
だがよく見てみると、まばゆい光で描かれたそのラインに所々に『汚れ』のようなものが見える。
まるで蛍光灯に黒いペンキをとばしたかのような…
その黒い『何か』が、美神令子にまとわりつこうとしている姿に、全員が驚きの声を上げる。
「あれは…黒い…水? …いや炎?」
目を細め、黒い『何か』の姿を分析するオウル卿。
「……おぉ…おおおぉ」
上を見上げたまま、フォロフスは感嘆の声を上げる。
「まさか…あれが」
「そうとも…」
どうやらオウル卿には正体が解ったらしい。
それを肯定するように、心ここにあらずと言った風フォロフスは呟く。
「あれこそエイエン…永久に燃えさかり続ける事を許され、この世のすべての原理を与えられた炎…永炎。
ついに我が目の前に…」
フォロフス。 そして横島達の目の前で…
黒い炎…永炎は、いよいよ魔法陣から美神令子の身体へと達し始める。
そしてゆらゆらと、彼女の周囲を取り囲み始めた。
「いよいよだ!
私の目の前に、我が夢そのものが現れる!!!」
これ以上なく愉快と言わんばかりに、フォロフスは下品な笑い声を上げた。
「美神令子はまだ魔族化していないなぁ…まあ大丈夫だろ。
というか、『永炎』が死なせないだろうし…」
宙に浮かぶ令子の周囲を、まるで卵のように包み込んでいる『永炎』。
真っ黒な卵のようになってしまった、その中身…美神令子の姿は見る事さえ出来ない。
一切の音もなく蠢かず…
静かな湖面のように卵の形を形成するその姿は、奇妙な感覚を見る者に与えていた。
「フォロフス、あの永炎は美神君を主として彼女を守っている。
もし手を出せば攻撃を受け、死に至るぞ!」
馬男の言葉に何か気が付いたオウル卿は、そう叫んだ。
「そうなんですかオウル卿?」
後ろにいたヒャクメが問いかけると、「その通りだ」とオウル卿は返す。
「今美神君を囲むものが『永炎』であるならば、間違いなくあれは主を守る目的で周囲を取り囲んでいる。
もし下手に手を出せば…」
「何らかの反撃を食らい、最悪死に至ると…
まぁ、ただのエレメントならともかく古の…それも最強と名高き『永炎』ならば、どんな攻撃が来るかわからない、と。
こういいたいのだろう?」
ステッキを横島に向けたまま、「くくく」と肩をすくめて笑うフォロフス。
「ならばまず適当に危険調査でもしてもらおうか…」
言いながらステッキを『くい』と動かすと、新たな土の触手が横島の側に現れた。
「…! 貴様まさか横島君を永炎にぶつける気か!!」
何をするか思い当たったオウル卿の言葉。
だが当のフォロフスは、「いやいやいや」と含み笑いをしながら首を振る。
「その妄想ナイス。 だが惜しいねぇ〜
俺は錬金術師…科学者だよ?
文殊使いなんていう、この上ない貴重なものをこんな事に使うわけが無いじゃあないか」
ステッキの先を頭上で『くるくる』と回すと、横島の目の前で触手も同じように逆円錐を描くように動く。
「お前達だって、例えば新しい薬品を試すときはいきなり人間に試さないだろう?
まずは別な生き物…例えば犬とかモルモットとかに試すじゃあないか
おろ? モルモットは人間だから私はそれでいいのか」
自分の立つクレーターの周りに広がる森。
フォロフスは自分の言葉に「こりゃ愉快だ」と笑ながら、オウル卿達のいる場所とは違う別な場所に視線をじっと向けていた。
「それにこれでも僕は芸術性を求める魔族なんだよ。
出来れば人間が炎にぶすぶす燃えていく醜い姿なんて見たくない。
どうせなら…」
そう言いステッキを森の一角に突き出すと、土の触手がもの凄い速度でそこを突き刺した。
『きゃあ!!』
すると、その中からその場にいる全員のものとは異なった、少女の悲鳴が聞こえてきた
「今の声…!」
だが横島を初めとしたメンバーは、その声に聞き覚えがあった。
そんな全員の驚愕に目を見開く姿にフォロフスが口元を歪めると、草の中から『声の主』を引きずり出した。
「放せ! このっ! …」
現れた触手に巻き付かれじたばたしているのは、掌にのるほどの小さな少女。
g野性的な服装に、背に生えた透明な羽…
ほんの数時間前、タマモに連れられ自室で休んでいたはずの妖精。
「鈴女!!」
そして横島は、目の前にいるその少女の名を叫んでいた。
「何故こんな所に?!」
ワルキューレ達も、本来ここにいるはずのない人物に驚いていた。
だが今まで後ろの方にいたヒャクメが、オウル卿の横に立ち鈴女をじっと見ると…
「あの子、文殊を使っているのね!」
「文殊?!」
ワルキューレ達が鈴女を見るが、距離があるのと触手で身体が隠れているのとで、あの小さな玉は確認できない。
「今も彼女から気配とかを全然感じないから、多分『隠』か何かの文字が入っていると思うのね」
文殊の力はかなりのものだ。
もし『隠』やその他の、身を隠す為の文字を入れて使用すればよほどのことがない限り見つからない。
まして彼女の小さな体格なら、こっそりどこかに隠れて付いてくることなど…
「まさかこんな所にわざわざ来るとはねぇ…」
触手を動かして、目の前に鈴女を持ってくるフォロフス。
「この馬! 早くお姉様を放せ!! …このっ!!」
魔族を前にしても、悪態を付き触手を叩いて抜け出そうとする鈴女。
「なるほど、美神令子のためにわざわざ…」
馬のぎょろりとした目が細められると、土の触手が「ぎゅるり」と締め付けられる。
「あぐ…っ!」
触手を叩く手が止まり、うめき声を上げる鈴女。
「軽く締め付けただけだ。
これでそれだけ痛むと言うことは、まだ病み上がりのようじゃないか…あ、いやいや。
小さな身体だから、ちょっとでもかなり痛いのか」
顎に手を挙げ、苦しむ鈴女を「ふむふむ」と観察する。
そして今は完全に黒い卵と化した、魔法陣の中の美神とを交互に見比べているのを見て、横島ははっとした。
「お前……まさか鈴女を彼の黒い卵にたたき付ける気か?!」
触手に縛られたままの横島は、目を見開いて叫ぶ。
「おや、『察しの良い』王子様はお怒りのご様子だ。
だがそんな私の土触手に縛られた状態で、呻いたところでどうにもならないのに…ねぇ!」
ステッキを『くいっ』とバネ仕掛けのように動かすフォロフス。
連動するようにして、鈴女を縛っていた触手が素早く動き、その戒めを解き放つ。
まるで人間が、『物を投げる』かのように。
「きゃぁぁぁぁぁ!!!!」
いきなりの事である事と、身体に受けているダメージの所為もあり、もみくちゃ状態で悲鳴を上げる鈴女。
放物線を描くその先にあるのは……美神令子の黒い卵。
「鈴女君!!」
「鈴女ちゃん!!!」
「鈴女!!」
「危ないのね!!」
明らかに通常の物質とは違う『永炎』に衝突すれば、恐らくただでは済まない…
全員がそれぞれ、悲鳴にも似た声を上げ最悪の想像をしたであろう…その瞬間。
「ひゃははは…何っ!」
フォロフスが笑い声を上げた瞬間、信じられないほどの光が発生する。
上にいたオウル卿達も、叫ぶ事をやめ輝きに思わず顔を覆ってしまう。
「この光は文殊なの…にゃぁ〜!!」
分析するために目を見開いていたヒャクメだったが、光の強さに悲鳴を上げて目をかばった。
体中の目も、きゅっと閉じられる。
「目くらましか! だがそれくらいなら私には何の問題もない!
このサングラスを掛ければ、お前の姿ははっきりと見え…!!?!!」
閃光の中、いつの間にかサングラスをかけていたフォロフスの視線の先にいたのは、触手から抜け出していた横島の姿。
どうやら、閃光と一緒に間近で爆発を起こしたらしく体中がぼろぼろになっている。
「貴様、『その手に持っているもの』は何………?!」
だがフォロフスは、目の前にいる存在が信じがたいと言う風に驚いていた。
そして驚愕の声を遮るかのように…
「美神さん! お願いします!」
そんな叫びと共に、横島の固く握られた拳がフォロフスの長い鼻面に叩き込まれたのだった。