「お前は、今まで楽しかったか?」

声がふと問いかけた。一体これが何を意味しているのだろうか…それでも恐る恐る答える。

「た、楽しかったさ…母さんや、メイド達がここまで育ててくれたんだ。村の人だって、ちゃんと見てくれてた。関わってくれてた…」
「そうかぁ〜」

今にも泣きそうなちっぽけな自分の声に対して、声は楽しそうに、そして、あざ笑うように聞こえてくる。

「そうだね、とても楽しかったねぇ。そりゃぁ楽しい事もあったけど、相手に迷惑を掛けた事もあるよねぇ」

ズクン…また頭が痛んだ。

「その声を…止めてくれないか…」
「えぇ〜、だってこれは君(ぼく)の声だし、止める訳にはいかないさ」

自分の声に嫌気が刺してくるのは、生まれてこの方初めてだ。
心臓がドクンドクンと、大きな音を立てて鼓動を撃ていく。

「楽しかった、ねぇ。でもそれって、自分からしたら、だろ?相手の事をちゃんと考えてモノを言ってんの?」
「うるさい…」

胸が掴まれる。心臓を、抉り(えぐり)取られる感触…。

「くはは、面白いねぇ、相手の反応を面白がるのって」

…ズクン!…先ほどよりも強く痛みが走った。

「それでも、僕(きみ)の友達は関わってくれた。何時も何時も同じ様な事を繰り返してくれる僕(きみ)に、ね」
「…………」

話を聞いている内に、ふと頬を一筋の水が伝っていくのを感じた。だが、それは普通のヒトとは違う、冷たくて、そっけない水だった。

「そうだ、僕(きみ)はこの屋敷にいる大きな虎を知っているよね?人懐っこかったけど、その力はヒトを殺せるようなものだったよね。その虎の名前を出しては、何度も友達を脅したよねぇ」

…ズキン…ズキン…頭の痛みの回数がだんだん増えていく。それでも寝転ぶ事や頭を押さえる事を、体が許さなかった。

「や…めろ…」
「えぇ〜、でも楽しいしなぁ」

両の目から、冷めきった涙が零れていく。視界が、だんだん濡れていく。

「時には他のヒトの家まで御邪魔しては、友達の両親に媚(こび)を売ったり、気前の良いような事を言って、良い子ぶってたよねぇ」
「黙れぇ…!!!」
「僕(君)の父親の知り合いに会うと、これまた大層な事を言って甘ったれたり、弱みに付け込んで脅したりしたしねぇ」
「黙れ、黙れ黙れ黙れぁ!!!」

誰にも見つからない秘密の基地の奥底に隠してあった、大切で、誰にも見せたくなかったモノをほじくり返させるような思いだった。
何時かの、純粋に楽しかった思い出が、自分の言葉でかき消されていくようでもあった。

「そうそう、一番楽しかったのはやっぱりアレだよねぇ。いい加減気前の良い自分の父親の料理にどk―――」
「あ”ーーーっ!止めろ止めろヤメロやめろぉーーーっ!!!」

もう、自分が何をしているのか、何をしたのか、これから何をしたら良いか、分からなくなっていた。
嫌気の刺す自分の言葉、それだけを振り払うように声を荒げるだけだった。

「…じゃぁ、僕(君)の手を見てごらんよ。そこに、自分の声で隠した真実があるから」

……恐る恐る、自分の手を広げながら、涙で滲んだ視界でそれを見る。手には、小さな小さな透明な瓶。透明で、少し粘りのある透明な液体が入った瓶。

「それは僕(きみ)自信が肉親を死に追いやったモノ。同じ血を持ちながら存在を離した『猛毒』だよ」
「い、ゃだ…ゃめて……」

現実から離れたい気持ちでいっぱいだった。
もう、こんな所にいたら……そんな気持ちだ。

「っと、ちょっと話の要点を言ってなかったね。今まで離してきた事、それは僕(君)がやってきた事。それと向き合って、これからどのように生きていくかって言うのを考えてほしかっただけさ」

要点を話されている時には、既に心が体から離れ、何を聞いて何を話しているのかも分からない状態だった。

「それじゃ、最初に君が行った約束に答えようか」

すると、体の拘束が急に解かれ、涙で濡れて皺くちゃになった顔が布団にバフッと倒れこむ。
そしてその解放感を感じ、直ぐに体を起して後ろ見た…直後だった。

「僕は君だ。僕(きみ)の記憶の半分」

先程から声を掛けていた正体、それは、竜だった。
真っ黒の鱗に巨大な翼、背中にはトゲが生えており、右目が黒い眼帯で隠され、深紅の左目が自分の体を見つめていた。
真っ暗な部屋の中、何故かその姿がハッキリと見えた。
そのドラゴンは、自分の体よりも大きな両手で自分の体を掴み、ゆっくりと持ち上げる。そして顔の前まで持ってくると、ジュルジュルとピンク色をした舌を出して舌舐めずりをする。

…怖い…怖い…

その気持ちしか、今は考えられなかった。

「くふふ、しばらく僕の中で、反省しなさい。その後の気持ちによっては、生還出来るかも知れないよ」

竜が。大きく口を開けながら自分の体をそこへ近づけていく。
唾液が糸を引いて舌や牙を光らせている。口から、生臭い息が拭きかかってくる。
そんな状況の中なので、もちろん生存本能として体が悲鳴を上げながら掴まれた竜の手の中で必死に暴れる。が、ヒトの力なんてたかが知れている。巨大な力の前では、何かを使わない限りかなうはずがなかった。

…バクン…

そして自分の体が竜の口に入りこみ舌の上に寝そべると、同時に口が閉ざされた。
生温かい息と、舌や上顎の肉壁、口に含んだ途端に分泌される唾液で体が包まれていく。とてもじゃないが耐えきれないほど気持ちの悪い感触だった。
恐怖のあまりに目を強く瞑り、震え上がる体で必死に舌を叩いたりして抵抗をした。が、もちろんこの行為も無駄なものであり、今更その行為が許されるものでもなかった。
すると、舌の床が徐々に傾き、唾液で湿った体がその上を滑っていくのが感じられた。その目線の先には、口の中の食べ物を呑み込まんと大きく開かれた喉が、鮮明に映し出されていた。

いやだ…まだ、死にたくない……

呑み込まれないとギュッと舌にしがみ付くが、唾液によって濡れた体には意味がなかった。

…や、ゃめて…ぅゎぁぁぁぁ

ゴクリ

生々しい音を立てて、体が喉のから奥へ、食道の中へと落ちていった。
肉壁に挟まれながら、長い長い竜の喉を膨らませつつ、体が落ちていく。絶望と死への、短く儚いものでもあった。
そして、ふと開けた場所へと出された。竜の胃である。
口内や食道よりも柔軟で、粘液で濡れた肉壁の部屋だ。心臓がドクン、ドクン、と強く音を響かせ、奥の方からゴポゴポと言う音を立てていく。
もうじき、胃液が分泌されて体を溶かしていくのだろう…そう考えていく中、ふと頭の中に浮かんだ言葉。

「己はこうやって、他人の命を摘み取って絶望のそこへ落としていったのか」

そこで意識は途切れてしまった。




その悪夢から一夜明けた朝、ベッドの上には深い深い眠りに就いた若い男の体が仰向けに寝転んでいた。
体は冷めきって白くなり、生きている証しでもある心臓の鼓動もなく、ただただ静かに眠っているだけだった。

 

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