まずは、顔面から口内に不時着。
叫び声を上げた口に何かが入り込んで気持ちが悪くなる。

「冗談じゃ、ないっ!」

口の中に入れることがキスだって? そんな横暴が許されて然るはずが無い。
急いで体制を整えようとするも、四肢が蹴ったはずの底面がニチャアと音を立てるように移動する。
そうしてまた底面、ルギアの舌とキスをする羽目になる。

『物語には"行間を読む"という読み方があるだろう』

舌はウインディを包み込むように丸く反りあがる。
再度あげた叫び声はくぐもって、自分にすらあまり届かない。
柔らかくて温かい、それだけならまだ良かったかもしれないが、液体で溢れているのは非常に気持ちが悪い。

『つまり、表現されない事が最も重要だという考え方だ』

全身がじっとりと重くなる。毛が液体を吸ったのだろう。
それとともに、ウインディの鼻は自分の匂いが少しだけ薄れたように感じた。
――いや、塗りつぶされたの方が適切であろう。
周囲の空間いっぱいに蔓延する彼の匂いが彼女の匂いを覆い潰したのである。
男の匂いに塗れた自分に寒気を感じて、ウインディはもう一度四肢に力をこめる。

『表立って現われたる言葉は、その深遠に覆い隠された真実を導く鍵とでも言うのかね』

丸まった舌がほどけ、足元が平らになる。
チャンスと見越してウインディは駆け出すが、一歩もせずに挫折する事になる。
足場が一気に崩れたのだ。ただでさえ滑りやすい場と重い身体ではこれはたまらない。

『逆説的に言えば、表現されない事は全て表現されているという事に他ならないのだけれどもね』

「確かにあなたは、私をな、舐めまわしたいなんて一言も言ってませんけどっ!
 だからといってこんなことをして良い訳はな……きゃうっ!」

反論を試みた自分の声が残響を残す。
それから、突如圧力に押しつぶされそうになった。
一つ目の理由は、舌がウインディを壁面に押し付けたから、
二つ目の理由は、突然現れた空気が逃げ場をなくして満ちたから、である。
ルギアが口を呼気で膨らませたのだ。

『極論ではあるが、表現された事は表現されていない事を推理させるための道具でしかない、といえばいいのかな?』

ウインディは屈することなくもう一度立ち上がる。
そして、前足で壁面を殴る。殴る。殴った!
爪を立て、貫くように突き出す。突き出す!
ズズ、と動いた足元にその牙を突き立てる!

『まったく、人がせっかく説明しているというのに、お転婆な子だな……。まあそんな所も』

素敵だけれどね。
声と共にウインディを乗せた舌が上方へ移動。
硬口蓋へ向かい、彼女をギュウギュウを押し潰す。骨の軋む音が聞こえた。
そのまま舌の上で軟口蓋へとスライド、舌がウインディを押し付け、全身が柔らかな圧迫感を捉える。

『まあ要するにだ。ワタシがキミを見て抱いた感想を覚えているかな?』

ウインディの視界が少し揺れた。
散々暴れて息を荒げ、さらに肺が圧迫されて呼吸が出来ない、
しかも吸えた所でその空気は二酸化炭素を多く含んでいる。酸素が足りない。
おとなしくなった彼女の下でルギアの舌がズルリと動き、あるべき位置に戻る。

『美しい、可愛らしい、凛々しい……。その根幹に位置する、表現される事のない大前提の"条件"があったのだよ』

グッタリと頽れるウインディに光が差した。
本来は差すほどの強さではない小さな光。それは深海のチョンチーたちの光だった。
ルギアが、口を開けている。

『美しいな、可愛らしいな、凛々しいな、それより何より……』



『美味そうだ』



「うまそう……」

『そうだ。キミは十分に美味そうだった。存分に美味かった。
 ……随分と呆けているが大丈夫かい? やりすぎたかな? キミは今どこにいるか、わかっているかい?』

「わたしは、いま……?」

『ワタシの、口の中だ』

「くち……」

『キミが暴れるからいけないんだ。と言いたいところだが、ここまで消耗させる気は無かったんだよ。ごめんね。
 いやあ、でもこれはこれでそそるものがあるなあ。おっと涎が』

「よだれ」

『レロレロレロレロと舐めさせてもらったけど、いや失敬、キスだったよキス。
 ともかく舐めさせてもらったけど、やっぱりうん、ワタシの目に狂いはなかった』

「なめ、」

『そうだ、キミは"あまりにも美味そうだったから"、"ワタシの口の中で"、"舐められていたんだ"』

「た、た、た、たべっ」



『キミは、美味そうだなあ』



「いやあああああああああああああああaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaahhhhhh!!」

ウインディは駆け出した。
小さな光明輝く出口はそこにある。
覚束ない足元に神経を巡らせ、震える筋肉に鞭打ち、走る!

あと少し。   倒れるな!         1歩!!



















バクン。


『ああそういや、きっとキミが聞きたくて聞きたくてうずうずしてるようなことだけどね、先回りして答えておくとしよう』

『どうして口がいっぱいなのに喋れるかって? エスパーだからさ』


ゴックン。














全身に纏わりつくような熱気と湿気が充満していた。
辺りは脈打ち、時々ウインディを締め付けた。
彼女にはもう、首を上げる力すら残ってはいなかった。

『あー、あー、聞こえるかな? 聞こえるよな? 聞こえたら返事をしてくれ』

耳元でルギアの声が聞こえた。
最初と変わらない、先程と変わらない、いたって普通の声だった。

『返事が無いな。まあ、聞こえているよな。ふふ、額面どおりの全身にキスの嵐だな。
 せっかくだから、たっぷりと液をご馳走しようかな』

上からベッチョリと液体が降ってきた。顔全体にかかって、息苦しい。
これは、……唾液?

『はは、びっくりしたかい? 胃液かと思っただろう? いくらエスパーでも胃液を自由自在に分泌はできないなあ』

ほんの少し首の角度を変え、唾液から鼻を守る。
たったそれだけの事でさえ、重労働だ。

『まあでもあれだ』

どうせ、すぐに出てくるさ。
ピリリとした痛みを感じた。胃壁を伝う、唾液とは違うサラサラした液体が見える。

『いやあ、それでも安心するがいいさ』

『せっかく見つけた最高の女性なんだ、一気に全部食べてしまっては勿体無いだろう?
 ワタシは好物は最後に食べるタチだからね、大丈夫だよ。
 キミは、死なない』


『万が一蕩けてしまったらだね、ワタシはキミを偲んで泣くだろう。
 キミはワタシの血肉となって、キミはワタシの心の中で、いつめでも生きているだろうね』



その声を聞いている者は、いない。











※   ※   ※   ※   ※   ※   ※




それからのお話をしよう。

それから。

端的に言うと、ウインディは生きていたのだ。
彼女が次に目を覚ましたのは、すみかのそばの湖畔であった。
全身がびしょ濡れで、そしてそれはどうやら唾液ではなくて、湖の水によるものらしい。
また、彼女のそばには小さな赤い花が一輪置かれていたという。




※   ※   ※   ※   ※   ※   ※




白鳥座の神話には続きがあってだね。
スパルタ王妃レダは、その後2つの卵を産む。
その卵からは、カストルとポルックスの兄弟が生まれ、
他にも、クリュタイムネストラとヘレネの姉妹、合わせて4人の子供が産まれたというのさ。



※   ※   ※   ※   ※   ※   ※







ふむふむ。それでは。

白い鳥に出遭った"彼女"が生むもの。

それはいったいどんな"感情"なのだろうね?













キスが好き  おわり

 

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