別れがあった日から数日後の夕暮れ時に…… ……ザッ……ザッ…… 積雪を踏みしめる足音が響く。 身を切る寒さに覆われた真夜中の雪山に、あの旅人の姿があった。 いや、すでに旅人とはいえない風貌になっている。 防寒具の変わりに身に纏っているのは、寒さではなく傷やダメージから身を守る防具。 さすがに金属製ではないが、肩当てのついた頑丈そうな皮鎧、小手に足当ても同じ素材で作られているようだ。 腰には無骨で重そうな剣が括り付けられ、左手の小手には小さいながら盾もある。 それら装備の上から白い外套を羽織り、自分の姿を周囲から隠していた。 それだけの装備を纏えば、重量もかなりの重さになる。 「はぁ、はぁ。 クソッ! 予想外に時間がかかっちまったな」 右手で汗を拭い、旅人は嘆息した。 すでに中腹目前にさしかかってはいるが、今回は青年のサポートが無く、 柔らかい雪のせいで何度も足を取られて躓くハメになった。 おかげで余計に疲れを感じるのだろう。 しかし、何故一人で旅人がこんなところにいるのか…… 依頼達成の報告をするために、リィンウィルタの町へ帰ったはずなのに。 その答えは旅人の身につけている装備で容易に理解できた。 旅人も『密猟者』だった。 ……つまりそう言うことなのだろう。 わざわざこの雪山に武装して登るなど密漁以外考えられない。 やはり青年の予感は的中していたのだった。 時に……当のその相手は雪道に悪戦苦闘していた。 ズボッ! 再び足が膝下まで埋まり、旅人……いや、もはや密猟者の彼が舌打ちをする。 力を入れて足を引き抜き再び一歩前へ。 ボスッ! 今度は違う足が雪に埋まる。 「……なんだか、腹が立ってきた」 さすがに怒りが込み上げてきたのか、顔が赤くなり、いかにも不機嫌そうな顔つきになっている。 しかし、やることは地味な作業の繰り返し。 前回の反省を踏まえ、激しい吹雪が吹き荒れ始める夜明け前に全てを終わらせる。 そのつもりで挑んでいる密猟者は、手荒く足を引き抜くと先を急いだ。 暫く同じ事を繰り返していると、ようやく雪が固い層に行き着く。 足場がしっかりすればペースも上がるが油断をすると…… ドサッ! いきなり柔らかい層に片足が入り込み、派手にひっくり返った。 「………………っ!」 密猟者はもはや無言で、怒りを狙い定める獲物に転嫁する。 それにしても防寒具を身につけていないはずの密猟者は、 さほど寒そうにしているように見えない。 それもそのはず……密猟者の武具に刻まれた紋様。 アレは紋様魔術と呼ばれ、ある特殊な力を込めた文字を刻み込んだ物に不思議な力を宿す魔法技術である。 汎用性が高く、紋様が消されでもしない限り力は恒久的に持続する。 その紋様魔術で、密猟者は防具に耐寒の紋様を刻み、寒さから身を守っているのだ。 ただし、特殊な材料が必要なこの魔法は非常にお金がかかる。 前回の失敗で懲りた密猟者は、依頼主からの前金を使い果たしてコレだけの装備を調えてきたのだが、 それ故、もはや彼には後がない。 先ほどから苛ついているように見えるのも、その辺りが原因の一つであった。 「……絶対、狩ってやる」 いらつきを狩る相手にぶつけつつ、密猟者は雪山をひたすら歩き続けた。 ※ ※ ※ ※ ……殆どの生き物は眠りにつく常闇の世界が広がる中で…… 密猟者は目的の物を見つけ、ひとまず様子を見るために雪原に身を伏せ息を殺している。 すでに青年によって案内された中腹にまで足を踏み入れていた。 「……間違いないな、アレが巣穴のようだ」 山肌にポッカリと大きな穴を開けている洞窟から漂う気配……遠目に見ているだけでゾクゾクとする感覚。 今までの経験から密猟者はアレが竜の巣穴だと確信し、満足げに頷いた。 スノードラゴンの住む洞窟を見つけたのは偶然ではない。 青年の案内を受け雪山を歩き回っているときに、忠告されたのだ。 この辺りに開いている洞窟に近づいてはならないと。 なら、そこにはスノードラゴンが居るはず、密猟者の予想は正しかった。 彼が知り得た知識によるとスノードラゴンは昼間に活動し、夜は巣穴で眠る。 青年も同じようなことを言っていた。 稀に積雪の中で眠る個体もいるようだが、コレだけ巣穴に近ければその可能性も限りなく低い。 なら、今の時間帯……ほぼ確実に巣穴の中にターゲットがいるはずであった。 『不意討ち』……密漁の常套手段である。 密猟者は眠っている彼らを狩るため不意をつくつもりなのだ。 そして、密猟者はそれを卑怯だとは思っていない。 思ってはいないが……これだけ有利な状況でも竜に対する怯えが消えない。 あの時見せつけられた竜の姿に恐怖が湧き上がってくる。 「ふぅ……こうなるのは分かっていたが」 密猟者は震える自身の手を見つめ、苦虫を噛み潰したよう表情を浮かべた。 ハンターから密猟者に身を堕として、すでに五年以上…… 今の依頼主と専属の契約を結べるようになるまで、密猟者は様々な生き物を狩り、時には生け捕ってきた。 それら経験の中で竜と相対したのは数回ほどしかない。 どれもが新米でも受けられるような依頼の獲物であったが、戦いの中で密猟者は痛感する。 『アレは並の人間が相手をするような奴ではない』と…… ハンターとしては中位に位置する密猟者だが、いずれの時もまともに戦って勝てる気がしなかった。 その時の恐怖から、密猟者の体は余計に震えてしまう。 「まったく、こういうときこそ伝説のハンターの仕事だぜ」 勿論、密猟者は迷信程度にしか思ってはいない。 圧倒的な力を持つ上位の竜に、一人で立ち向かい討伐するような者の存在など信じられるわけがなかった。 実際に見たら話は別だが……生憎と密猟者は会ったことなど無い。 だから、こうして彼のような者にお鉢が回ってくるわけだが…… 「ちっ……あれほどの化け物なら一人で来るんじゃなかった」 違法行為はそれを知る人数が少なければ秘密が漏れにくい。。 もっとも、現在の状況を作り出した原因は、その時に依頼者から提示された破格の報酬と、 潤沢の前金に釣られた彼が仲間を集うのを嫌がったせい。 さらには彼らの情報網でスノードラゴンの情報を得ようとした時に、 情報料をケチったせいで、ろくな情報が得られなかった。 詰まるところ彼自身の欲望のせいであり、自業自得であった。 金が絡むと人の中には幾らでも無謀になれる者は幾らでもいる。 そして、彼もその口だった。 仕事を無事に成功させさえすればその筋での名前も売れ、頂ける報酬もかなりのもの…… 密猟者は指折りもらえる金貨の数を数え、指が足りなくなる。 うちに秘める欲望は、密猟者の恐怖を塗りつぶし……いつの間にか震えが止まっていた。 顔からも表情が消え……一度、深呼吸…… 「さてと……狩るか」 身を起こし密猟者はなるべく静かに巣穴へと歩き忍び寄ってゆく。 積雪の中で待ち伏せを主とする竜の感覚器は、 主に聴覚に優れているはずで絶対に物音を立てるわけにはいかない。 不意打ちをしくじると怒り狂った竜によって、今度は密猟者自身が獲物へと早変わりしてしまう。 もはや喋ることすら止め、細心の注意を払いゆっくりと歩を進める必要があった。 (……このスリル、毎度のこととは言え神経が研ぎ澄まされる) 極限の緊張を強いられ、密猟者の感覚はより鋭敏になっていく。 今では踏みしめる雪の柔らかさでさえ、事細かに分かるかのようになっていた。 ……ザッ……ザッ……ザ……ザッ…… (ん? 今のは……?) 足音の異変に感づいて、旅人の足が止まった。 止まった途端にイヤな予感を感じ取り、今まで死線をかいくぐってきた彼の勘が警鐘を鳴らす。 『止めろ』『進むな』『引き返せ……』 幾つかの単語が本能として彼に訴えかける。 密猟者の体中からは不快な冷や汗が吹きだし……足がもつれ…… (まずいっ! ……堪えろ!) ズザッ! 咄嗟に一歩足を引き、ひっくり返るのをギリギリで堪えた。 その代償として大きな足音が鳴り響く。 致命的な物音……密猟者は身動きひとつせずに息を殺し……ひたすら念じた。 (起きるな……寝てろ、寝ていろっ!) 一秒が経った。 五秒が経った。 十秒待って……ようやく密猟者は息を吐き出す。 「ふぅ……心臓に悪い」 ささやくような声で呟き、ホッと胸をなで下ろす。 だが、危険が去ったわけではない、安堵する間にもひしひしと本能が危険を感じ取っており、 密猟者は今すぐ逃げ出したい気分に襲われていた。 しかし、今依頼を破棄すると前金の返却だけではなく違約金も発生した上、 専属契約すら破棄されるだろう。 それは密猟者にとって破滅を意味するのだ。 密猟者に身を堕とした彼には、以前のようなまっとうなハンターには戻れない。 そう……法外な依頼金などの、甘い蜜に浸りきった彼には欲を捨て去ることなど出来やしない。 「……やっぱり、今更引き返すなんてできんな」 押し殺すような含み笑い……そして、欲の染みついた顔で目をぎらつかせる。 密猟者の覚悟は決まった。 本能を押し殺し、巣穴へと再び忍び寄る。 欲深き執念の成せるワザか無事に巣穴へとたどり着き、密猟者は暗闇の中へと消えていった。 十数分後 巣穴の中から無事には出してきた密猟者、その右手には無骨な剣が握られており…… 「クソッ! 空振りだっ!」 怒りを顕わにして、巣穴の岩壁に剣を叩きつける。 ガギィッ! 甲高い音が雪山に響き、刃が岩肌と擦れて火花が散った。 密猟者は怒り任せにそれを……二度……三度……と繰り返す。 そんなことをすれば大事な武器の歯が、ボロボロになるというのに密猟者はお構いなし。 あれだけの恐怖を克服し、欲望が滲み出るほどの期待をさせての空振り。 怒り狂うの仕方のないことであった。 「はぁ……はぁ」 ようやく落ち着いたときには、剣はすでに使い物にならなくなっていた。 本来の彼はナイフなど短い刃物を扱うタイプで、剣など使わない。 しかし、さすがに今回の相手はナイフでは歯が立たない相手だと分かっていたので、 今回の仕事用に持ってきた物だが、あっさりとそれを投げ捨てる。 密猟者の手に合わない獲物だったせいか、捨てるのにさして未練もないようだ。 それから二歩三歩と疲れた様子で歩く。 早く気持ちを切り替え、別の心当たりを探さなければならなかった。 剣は無くなったがそれに変わる秘策が密猟者にはある ドバァァッ!! 突如、密猟者が踏みしめていた積雪が砕け散り陥没した。 「なっ……に!」 飛び退こうにも足場にするモノが無く、咄嗟に何かにしがみつこうとした手が空を切る。 密猟者は為す術もなく、真下に口を開けた落とし穴に崩れた雪もろとも滑り落ちていった。 ※ ※ ※ 初めは些細な物音も気にならないほど、彼はぐっすりと眠りこけていた。 だが、度重なる騒音にさしもの彼も目を覚ましてしまう。 気持ちよく眠りこけていたところを叩き起こされたので、すこぶる機嫌が悪かった。 彼は仲間の内でも比較的温厚な方であったが、安らかな時間を妨げられては怒らないわけにもいかなかない。 竜である彼は、怒りと共に侵入者の足場を崩した。 落ちてきた獲物は慌てふためいており、彼の姿に気が付いていない。 彼は落ちてくる獲物に狙いを定めると…… バグゥッ! 崩落させた雪諸共、矮小な生き物を喰らう。 勢いのついていた獲物を喰らうのに、たった一口で事足りた。 雪煙に紛れて何を喰らったかよく分かりはしなかったが、最近よく見かける用になった生き物のように見えた。 そんなことを思い、彼は喉を鳴らす。 喉の中に流し込んだ獲物が、雪の冷たさと一緒に落ちてゆくのが分かる。 一緒に喰らった雪のせいで喰らった獲物の味が、 殆ど感じられなかったのが彼としては非常に残念であった。 彼自身、この生き物を喰らったのは初めてだったのだから…… 密猟者を喰らったスノードラゴンは、そんなことを思いつつ雪の中から這い出した。 姿を見せるとまだ若い個体のようで四メートルには届かない。 それ故、呑み込んだ密猟者がお腹の膨らみとしてハッキリと見て取れて…… 事の生々しさをハッキリと見せつけられる。 生きたまま丸呑みされた密猟者は当然まだ生きており、それもお腹が蠢くさまでよく見て取れた。 ……もっとも、スノードラゴンの胃液は浸食性が抑えられている変わりに。 微量な麻痺性が含まれており、暫くすれば動かなくなるだろう。 「グルルルルル……グギュ?」 満足げにお腹をさするような仕草を見せていたスノードラゴンが、 しきりに周囲に視線を巡らせ、何かに気が付いたようにゆっくりと振り向いた。 そこにいたのは…… |