まだ空が薄暗い早朝……

青年の話したとおり、数日後には吹雪は収まり青空が覗いていた。
だが、この青空は半日もすれば雲に覆われ、再び吹雪の吹き荒れる悪天候に見舞われるという。
次ぎに吹雪が止むのは何時になるかは分からない。

旅人と青年はその前に調査を終えるため、
朝早くから小屋を出て雪山へと登り調査を開始した。




―― 標高・2000メートル付近 ――

依頼である雪山の生態系調査を進める彼らは、今も雪山の中腹を目指し登頂を続けていた。

此処まで来る間に小さな雪兎から、大きな角を持つ鹿のような生き物まで、
様々な雪山に住む生き物たちに出会うことが出来た。
それらの発見は青年の観察眼のおかげで、些細なことまで見逃さず旅人に知らせていく。
おかげで旅人はもっぱら、それらをデータとして纏める作業で精一杯になっていた。

さらに青年の雪山に対する知識は申し分なく、
危険な場所を巧みに避けて、安全なルートを確保する手際は素晴らしい。

主立った苦労はなく調査は順調に進んでいた。


ただ、まだ彼らの目当ての生き物『スノードラゴン』の姿はまだ発見できていない。

青年が語るにはもっと雪山の奥に住み着いているようで、
スノードラゴンを見るためには、まだ雪山を登らなくてはいけない……のだが、

「うくっ!」
「その辺りは積雪が深いです、気をつけて……手を」
「た、助かる」

足を深い積雪に取られ、前のめりに倒れた旅人を青年は助け起こした。
同時に足を雪の中から引き抜く手助けをする。
それでも引き抜くまでに四苦八苦し、ようやく引き抜けると旅人は膝に手をついてしまった。

時折こうして、データを纏めるのに集中してる旅人が雪に足を取られたりと、
何度か足止めがあり、雪山を登るにつれてその回数が増えてきていた。

「……何度も、すまん」
「いえ、なるべくもっと歩きやすい場所を探せたら良いのですが」

自分が足を引っ張っている事を自覚して、旅人は荒い息を吐き出す。
この寒さの中で汗が額に滲んでいるのが伺える。


青年の提案で一息休憩を入れると、直ぐにまた二人は歩き始めた。

「はぁ、はぁ。しかし、さすがだなこの毛皮は……逆に熱いぐらいだ」
「ええ……彼らの毛皮は素晴らしいです」

相槌を打つ青年と同じスノードラゴンの毛皮を旅人も纏っていた。

青年から予備のスノードラゴンの毛皮を借り受けた旅人は、その保温効果の高さに感心する。
勿論、天然の毛皮ではなく人工的に作られた毛皮だが、噂に違わぬ効果である。
高価な品なので、破かないようにと青年から忠告もあったが、強度も十分でその心配も無い。

さすがに吹雪ともなれば、この毛皮でも厳しいことにはなりそうだが、
今の気候なら、寒さもさほど苦になる事も無さそうで、旅人も幾分か気楽になれた。


ドサッ!


そんな感じで歩いていると、またしても旅人は転んでしまう。
お互い苦笑しつつも、伸ばされた青年の手を取り、旅人が立ち上がろうとすると……

「さて……そろそろです」
「なに?」
「そろそろ、彼らの領域ですが……その前に幾つか注意があります」

真面目な顔で語りかける青年の様子を見て、旅人に真剣みが帯びる。

そして、青年は雪山の生態系の頂点に立つ生き物
『スノードラゴン』について話し始めた……

「彼らはさほど獰猛ではないです。あくまでも一般の竜としてはですが」
「ああ、それは分かっている」

一般の人々には畏怖の対象……恐怖の象徴としてみられている竜族。

彼らは多種多様な姿をしており、ここ中央大陸・エンチェルティアだけでも、数十を数える種類がいる。
高度な知性を持つ竜族も中にはいるが、大抵の場合は野生動物と大差なく、
家畜や人を襲ったりするので、旅人のようなハンターに討伐依頼が来るのも珍しくはない。

青年は他にもスノードラゴンの行動パターンを幾つか例に挙げて、
細かく旅人に説明していった。

説明は凡そ十分ほどかかり、

「彼らの食性は待ち伏せです。雑食に近いので動く者なら何でも食べようとしますが、
 間合いにさえ入らなければ襲われることはないでしょう」
 
主に危険性について、どうすれば襲われないかがメインとなった説明が終わる。
暫くして、聞き手に専念していた旅人が口を開いた。

「……なるほどな、大体の危険性は分かった」
「なら、先を急ぎましょう。私の後についてきてください」
「スノードラゴンは雪の中に隠れているはずだ。どうやって見分ける……?」

背を向けて歩き出した青年に、背後から旅人が声をかける。
それに足を止め青年は……

「私には……分かるんですよ」
「分かる……? 一体どうやって……?」

その問いかけに青年は難しそうな顔をする。

「雰囲気と言った方が一番正しいのでしょうか……?
 彼らのいる場所から違和感を感じ取ってそれで判断するんです」
「それは俺にも出来ると思うか?」

さらなる質問を投げかけた旅人の目が鋭くなったのを青年は見逃さなかった。
しかし、あえて何も指摘せず会話を続ける。

「……後、数年ほどこの場に留まったのなら」
「つまり経験が必要と言うことか……今の俺には無理だな」

口元に手を当て考え込む旅人の肩が落胆で僅かに下がる。

「力になれなくてすみません。ですが……落ち込むのはまだ早いようです」
「なに? どういう事だ……?」

声が低く小さくなった青年に合わせ、旅人も声を小さくする。

「身を低く……気づかれないように」
「わ、分かった……伏せれば良いんだな」

旅人はわけが分からないままだが、素直に青年の指示に従い身を伏せる。
雪の上に寝そべるとやはり冷たい。

ブルブルと体を身震いさせ、旅人は改めて青年に問い直した。

「聞くが、一体コレに何の意味が?」
「今は静かに……物音も立てないように逃げてしまいますから」
「逃げる……?」

青年が手で方向を指し示した方向へ旅人が目を向けると、雪原をはね回る小さな生き物、
『雪兎』文字通り雪のように真っ白な兎がいた。

さして珍しい生き物でもなく、わざわざ身を隠してまで観察する相手では無い。

「……あの雪兎に何かあるのか?」
「もうすぐ見れますよ……スノードラゴンの補食行動が」
「なにっ」
「雪原から目を離さないでください……もうすぐです」

言われて旅人は意識を集中した。
目を向けた場所には普通の雪原が広がっているだけで旅人には何も……


………………ズッ


(なんだ……?)

雪原で何かが動いた。
ハッキリと旅人にそれが分かったわけではないが、見渡す雪原のある一点が動いたように見えた。
そこは彼らの位置から三十メートルも離れていない。

何も気が付いていない雪兎が無防備に其処へと近づいていく。
二人は息を殺し、その時をじっと待った。





そして……

突然、積雪がはじけ飛び濛々と雪煙が上がり、傍にいた雪兎は悲鳴と共にそれに巻き込まれた。
真っ白な煙にその姿はあっと言う間に見えなくなり……


ドガッ!


不意に響いた殴りつける音。
二度目の雪兎の悲鳴が上がり、垂直に雪煙を突き破った小さな体は何かに翻弄され、
軽々と数メートルほどの高さに暫く滞空する。

そのあとを追って、雪煙を突き破り現れた巨大な口。
続けて白藍の毛皮に覆われた顔が覗く、赤い眼は空を舞った雪兎に狙いを定めているかのよう。

……スノードラゴンだ。

無防備に落ちてくる雪兎を待ちきれないとばかり、自分から食らいつこうと体を伸ばしていくにつれ、
旅人にもその全容が明らかになる。
背中には顔と同じ白藍の体毛が、腹部には白い体毛の生えた巨体は、優に四メートルを超えた。

涎をまき散らす口からは、短い牙が覗き……


バグゥッ!


口を閉じて雪兎を一口にすると牙も見えなくなった。

「グルルル……」

獲物を捕らたスノードラゴンは、まるで勝ち誇ったかのようにうなり声をあげる。
舌で獲物を転がしているのかピチャピチャと、旅人達のところまで生々しい音が響くさまは鳥肌が立つ。


……ゴクッ


十分に獲物を舌で転がし、味見を終えたのかスノードラゴンの喉が蠢いた。
雪兎が小さい獲物のせいで見分けがつきにくいが、
僅かに喉が膨らんで獲物が胃へと送られていく様子をまざまざと見せつけられる。

その後、食事を終えたスノードラゴンは再び雪の中へと消えていった。
再び獲物が傍を通りかかるのを待つために。






後に残されたのは、自然の摂理を見せつけられ衝撃を受けた旅人が一人。
傍らで先に身を起こした青年に助け起こされながら、

「はは……圧倒的だな」

旅人はただ乾いた笑い声を上げる。
目の前で繰り広げられた圧倒的な捕食劇に、旅人は無意識に体を抱きしめ震えていた。

「……分かりましたか? 彼らの潜んでいる場所を見つけるのは……」
「ああ、よく分かった囮……『餌』が効果的なんだな」

答え合わせを望む旅人に、青年は頭を縦に振ってそれを肯定した。

「とくに、彼奴らの喰う獲物が近くにいれば不可能ではないというわけか」

これなら運が良ければ旅人でも、スノードラゴンの居る位置を見つけられるだろう。
だが、旅人にこれを一人でやる度胸は無い。
余りにも運に頼る要素が強すぎるのだ、あくまでも手段の一つであって実用的ではないのだ。

だからこそ青年もこれを旅人に教えた。
竜を捉えるのは無理だと、暗に忠告するために……

そして、それは青年の狙ったとおりの効果を上げたようだ。

「あれが俺自身だと思うと身震いするよ」

青年に会わず運良く此処まで登って来れたとしても、あの雪兎のように……
旅人は自分と雪兎の位置を入れ替えて、喰われる自分の姿を想像してしまう。

「……さて、そろそろ戻らないと危険ですから」
「……あ、ああ。分かった戻ろう」

その意見に同意して、旅人は青年と一緒に引き返すことにした。


          ※   ※   ※


この後、二人は山小屋の中で、集めた資料の整理に始終することとなる。

今回の調査で出来上がった資料は、中途半端でとても依頼料がもらえるような完成度ではなかったが、
そもそも調査期限の日数があまりにも短い。

心配をしている青年をよそに、必死にペンを走らせていた旅人が首をすくめて見せた。

旅人が言うには……よくあることだそうだ。

「あちらも一回の依頼で達成できるとは思っていないだろうし、
 この手の調査は、今後も何回か続けられるだろうから、今はこんな感じで十分だと思うぞ」
「そう言うものなのでしょうか?」
「そう言うもんだ、まぁ、俺が受けれた依頼だからな。
 あっちが本気で調査をしようと思ったら、団体さんをよこすだろ」

何ともいい加減な仕事ぶりだが、言っていることにも一理あると青年も納得した。
依頼を受けた当人が良いというのなら、これ以上何も言うことはない。

今の青年に出来ることは、資料の完成度を高めることだけ……

「では、さっさと片づけてしまいましょう」
「異議無し、さっさと終わりにしたいぜ」

どうやら旅人はペンを握る仕事は苦手のようだ。
最初からそうだが、頻繁に頭を悩まして悪戦苦闘している。

その度に青年が助け船を出していたが、ようやく資料が完成したときはとっぷりと夜がくれていた。


          ※   ※   ※


凡そ十日間、居候することになった青年の山小屋。
短い間ではあったが、いざ去るとなると……旅人はそれなりに名残惜しく感じていた。

そのせいか……見送りに出てきた青年と会話が少々長引いていた。

「色々と世話になったな……もう、あえるか分からんが」
「あなた方……ハンターに無茶は止めてくださいと言っても無駄でしょうね」

青年の言葉に苦笑する旅人。

「ああ……無駄だな。似たような事があればまたやる」
「今度は行き倒れても……助けませんからね」

今度は青年が苦笑し、ため息を漏らした。
こうやって、小一時間ほど話が続いていたが……そろそろお互いに話のネタが尽きていた。

訪れた別れの時間……その最後に、

「それじゃ、行くよ……これ以上は余計名残惜しくなる」
「ええ……さようなら」

それ以上はお互い会話はなく、旅人は扉を押し広げた。
開け放たれた扉の外から冷気が、小屋の中に入り込んでブルブルと旅人の身体が震える。
最後に背を向けたまま旅人が手を振り、
それに青年が手を振り返すと……


バタンッ


小さな音を立て、扉が閉じられた。

静かになった小屋の中で、青年は再び一人になる。

「行ってしまいましたか……静かですね」

青年は扉を見つめたまま、暫くそのまま佇んでいたが、徐に近くあった椅子に腰掛けた。
顔には何処か寂しげであり、悲しげな表情が浮かんでいる。

「…………」

黙したまま……動かない青年。
ようやく動き出したかと思えば、顔に手を被せ指の隙間から天井を仰ぎ見た。
頭に思い浮かぶのは旅人の事ばかり……


夜中に隣の部屋で大きな物音が響き、何事かと青年は目を冷まし様子を見れば、
旅人はベットから転げ落ちそのまま眠っていた。

暖炉の薪を取りに行こうとした青年の変わりに外に出て、場所が分からずウロウロしていたり。

他には料理が趣味だという青年の言葉に半信半疑で付き合い。
出来上がった暖かな料理の美味しさに目を丸くしていたこともあった。


普段からさほど笑ったことの無かった青年が、この十日の間に何度笑ったことか……

「……私はやはり甘いのでしょうか?」

最初は警戒していたはずなのに、いつの間にか心を許しそうになっていた。
そんな弱い心を青年は何時も戒めようとする。

けれど直ぐにまた戻ってしまうのだ。

おかげでこれまで何回……悲しいことを経験してきたのか分からないのに。
だからこそ青年は祈らずにはいられない。

山を下りていった旅人の無事を祈り……そして、

「……もう、此処には来ないでください」

自分の中にある矛盾する思いを青年は胸に抱き、それでもなおそう呟かなければならなかった。

巧妙に隠してはいたが、旅人がときおり見せる独特の仕草が、
青年のよく知るもの達と似通っていたから……

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