「し〜……静かに、声を出しちゃダメ」
「だ、だって……ねぇ、兄ちゃんもう帰ろうよ!」
「安心して良いよ、ルリリは僕が守ってあげるから大丈夫さ」


夜の森に響く口喧嘩。
声の主はどちらも小さな生き物たち。

話し声から察するに二人は兄妹のようだが、お互いの姿が若干違っている。

『マリル』と『ルリリ』

弟の手を引っ張り、先頭を行く方がマリルで、兄に引きずられるように後をついて行っているのがルリリ。
どちらも耳の大きなネズミのような姿をしているポケモン達だ。
マリルはルリリの進化系……体格は倍に近いが、それでも凡そ40cmほどと決して大きくはない。
ルリリに至ると凡そ20cmほどしかなく、青色で少々丸っこい体つきをしていた。

この小さなポケモン達は尻尾の先に、体の色と同じ水色の玉があるのが特徴で、
水の中を泳ぐ際に浮き袋として使ったりするのが主だが、
他にも使い方は様々……特にルリリは弾力のある尻尾の上に乗ってはね回り、
自分が歩くより遙かに早く移動することも出来る。

本来は水辺に住むポケモン達なのだが、何故か彼らは森の中にいる。



夜に親の目を盗んで住処を抜け出し、初めての夜の散歩を満喫する。
年頃の彼らにとっては、それだけで十分な冒険であった。
初めて見る夜の風景に魅了さもした。
昼間とは違う風景に、夜の暗さに恐れを抱きつつ心を躍らされていくにつれ、
兄のマリルがあることを提案する。

『あの物語の真実を確かめてみよう』

マリルの言う物語とは、何時も夜更かしをしようとする彼らを寝かしつけるため、
彼らの親が、口癖のように話て聞かせた歌姫の物語。



『その声を聞いた者は虜になった。
 虜になった者は、皆ある場所を目指しさまよい歩く。
 そして見つけるだろう。

 真っ暗な口を開けた洞窟を。

 たどり着いた者はその場所で一度は正気に返る。
 だが、洞窟の中から聞こえる歌声には抗いがたい魔力が秘められ、再び魅了されるだろう。
 歌声に抗えなかった者は洞窟の中へと足を踏み入れる。

 その者は歌声の主を見つけるだろう。
 歌声の主から歓迎を受けるだろう。

 その歓迎を受けたモノは最後に……』



それは何処にでもあるような、子供を寝かしつけるための怖い物語。
大抵は造り話が大半で、話の内容も短いのが常……

しかし、この物語だけは違った。

『夜な夜な夜更かしをする子供の元には不思議な歌声が聞こえてきて、
 知らない間に何処かへと連れ攫われて、もう帰って来れなくなるのよ』

子供を持つ親たちは、まるでこの物語が本当であるかのように言って聞かせる。
何故ならこの物語は実話であるから……

そして、この歌声に魅入られた子供は、親がどんなに気をつけていても、
まるで神隠しに遭ったかのように連れ攫われてしまう。

その数は毎年決まって 『十二匹』

運良くその十二匹の中に入らなかった子供が、親の元に返ることが出来るのだ。
何時からこのようなことになったのかは誰も知らない。
確かめようとする者もいたが、何一つ分からずじまいに終わっている。

だから原因も分からなかった。
親たちが必死になる理由が、これで分かったであろう。

だが、子供達は危険に対して無知……
親の目を盗んでは、マリル達のように住処を抜け出すモノが後を絶たなかった。

「ほら、泣いているとおいてくぞ?」
「やだぁ〜! まってよぉ〜!」
「だからもう少し静かにしろって、歌声が聞こえないだろ」

幸いと言うべきだが、彼らの耳には歌声は聞こえてはいないようだ。
けれど彼らは……いや、マリルはその歌声を求めて、更に森の奥深くへ足を踏み入れようとしている。

歌姫の歌声を聞き逃すまいと、大きな耳を動かしているマリルには、
自分のしていることの危険性にまだ気が付いていないのだ。
ルリリもそんな兄を止めきることが出来ず、薄暗い森を恐れ兄の影に隠れて後をついていく。



そして、二人は気が付いていない。
もしその話が本当だったら、自分たちがどうなるのかを……



          ※   ※   ※



程なくして、鬱蒼と木々が生い茂る場所にでた。
月明かりが木々の葉に遮られ、より薄暗くなり視界も一気に狭まる。

それにさすがのマリルの勇み足も止まった。

目も少し泳いでおり、無意識に弟のルリリの傍によって体を触れ合わせている。
雰囲気が激変した森の様子に動揺しているのは明らか……

「ちょっと、凄いところに出ちゃったね」
「お兄ちゃん、本当に大丈夫なの? 道は分かる?」

そう言われて、マリルは少し焦ったように答えた。

「う、うん……ちゃんと目印は付けてたから……」

言いながらも、しっかりと目印を残せていたのかが不安になる。

夢中で聞き耳を立てていたときに、感じなかった森の薄暗さが、
冷静さを取り戻すと恐ろしげに感じてしまう

マリルはこの時初めて、夜の森が怖いと思った。

「ヒック……お兄ちゃん」
「大丈夫、大丈夫だから泣いたらダメだぞ?」

マリルが気が付けば、ルリリが今にも泣きそうになっている。
兄の不安を敏感に感じ取ったのだろう、それでもマリルには大丈夫だとしか応えることが出来ない。

(帰り道大丈夫だよな?
 ちゃんと目印も付けてきたし……って、あれ?)

ゾクッとしたモノがマリルの体を震わせた。

かなり短い間隔で何本もの木に傷を付けて、目印を付けてきたはずなのに見つけることが出来ない。
つい先ほどまであると思っていた道が、森の草や茂みに覆われ見えなくなっている。
それほど茂みの濃い場所を通った覚えはマリルには無かった筈なのに……


気が付けばマリルは、自分たちの命綱である目印を完全に見失ったのだった。


「うぅ、どうしたの……?」
「いや、何でもないから……お兄ちゃんから離れるなよ」
(不味い……どうしよう?)

子供ながら迷子になったと、マリルは自覚した。
それをルリリには悟られまいと、明るい笑顔で安心させる。

けれど内心では酷く焦りを覚えていた。

「……帰ろっか」
「……うん」

二人とも親に怒られるのは怖い。
けれどもこの森に留まるのはもっと怖かった。

ただ……どうやったら森の外に出ることが出来るのかマリルには分からない。

興奮を抱かせていた周囲の風景は、今や二人の目には不気味としか写らず。
木々の葉が風で揺られ擦れる音は恐怖を煽る。


ガササッ!


「いやーー!!!」
「だ、誰!?」

ルリリは叫び素早く兄の後ろに逃げ隠れ、マリルも不安げに周囲を見渡す。
大きく揺れた茂みの音に二人は身も竦む恐怖を感じた。

単なる風のイタズラではない。

茂みの向こうから、何かが歩いてくる足音が響いてくる。
二人は震えながら動けずにいると、茂みの上に火の玉が浮かんだ。

そのまま卒倒しそうになった二人の耳に声がかけられる。

「あれ? こんなところでどうしたの?」

茂みから現れたのは『リザード』と呼ばれるポケモン。

彼を一言で言い表すと、赤い皮膚をしたトカゲのような姿をしていた。
ただし、鱗ではなく滑らかで柔らかそうな皮膚をしており、トカゲの特徴らしいのは鋭い爪ぐらいだろうか。
それに二本足で直立して歩く事を考えると、
ファンタジーに良く出てくる、リザードマンのイメージに近い。

他に分かりやすい特徴として彼らの持つ尻尾があげられ、
常に尻尾の先端には小さな炎が灯っており、これは彼らの生命力を表していると言われている。


マリル達が見た火の玉は、リザードの尻尾の先端に灯る炎だったのだ。
しかし、火の玉の正体が分かったとしても、

「だ、だれ?」
「……うぅ……お兄ちゃん」

マリル達は初めて見る相手に、完全に怯えきっている。

それもそのはず、彼の体長は1mを超え、マリル達よりも二倍以上の大きさだ。
高く見上げなければならない相手から、伝わってくる威圧感に気圧されたとしても仕方がない。

たとえそれがリザード自身が意識した、していないにもかかわらずだ。

「ごめん驚かせちゃったみたいだね。
 僕はリザード。君たちと同じ……ポケモンだよ」

それとなく怯えている二人の事情を察し、リザードは表情を綻ばせると、
二人の前でしゃがみ目線を合わせ、何もしないよと手振りに加え、優しげな声をかける。

「ほんとに……?」
「ああ、ほんとだよ。何があったのか話してくれるかい?」
「うん……あのね」

マリル達はまだ、リザードに対して警戒心を隠せないでいるようだ。
それでも優しい彼の口調に少しはホッとしたように見える。

だからこそマリル達は自分たちの事情をリザードに話すことにした。



          ※   ※   ※


話は数分ほどで終わったが、
それまで黙って話を聞いていたリザードは、最初に二人を叱った。

「ダメじゃないか! 森には危険がいっぱいなんだぞ!」
「ひぅっ!」
「ご、ごめんなさい……うぅ、ぐすっ……」

その剣幕にマリル達は震え上がり、目に込み上げるものを堪えられなくなって泣いた。
いっぱい泣いて、それから二人はリザードに謝った『ごめんなさい』と。

反省する二人を見て、リザードは二人の頭を撫でる。

「それじゃ、今度は親にも謝るんだぞ?」
「……うん」
「……分かりました」

気が小さいルリリは本当に消え入りそうな声を出す。
それに対してマリルは今回の事で、何かを学んだように顔つきが変わっていた。
弟を守る兄としての自覚が更に強まったように見受けられる。

そんな二人にリザードは笑みを浮かべ、道案内を買って出た。

「ははは、はぐれないように気をつけてくれよ」

彼の案内で茂みを掻き分けていくと、マリルの見覚えのある道に直ぐに出ることが出来た。
驚くマリル達にリザードは森の怖さを二人に語る。

同じ風景が続く場所では位置を見失いやすい。
薄暗いところでは視野も狭くなり、恐怖は簡単に目印を見失わせる。
慣れた者でもちょっとしたことで迷子になるときもある。

そうやって幾つも例を挙げて、今までマリル達が知らなかった森のことを、
リザードは自分の知る限り教えていった。

「凄いですリザードさん!」
「……うん、うん♪」
「そ、そうか? でもな……そう言われるとあれなんだが……」

目を輝かせるマリル達にリザードは恥ずかしそうにする。
元々赤い顔をより赤く染め、頭を爪で掻き……

「これまでの話は実体験を元にしてるんだよ……つまり僕も最初は良く迷子になったりしてたんだ」
「えっ……そうなんですか?」
「ふぇぇ……なんですか?」

徐に彼が暴露した話に最初は虚をつかれ、
マリル達は黙り込んで……続けて笑い始めた。

「あはは、なんだ……そうだったんだ♪」
「ルリリ♪ なんだ、なんだ♪」
「そんなに笑うなよ、恥を忍んで話したんだから」

そう言うリザードも僅かに笑みを溢して笑っている。
あれだけ森に怯え泣きそうだった二人は、リザードとのやり取りですっかり元気を取り戻していた。

それにリザードはホッと心の中で安堵する。

歳はそれほど離れてないとは言え、体格は彼の方が圧倒的に大きい。
目の前で子供が泣いていたら、すこしでも安心させてやりたいと思うのも当然だった。
だから、自分の恥ずかしい話をして、二人の恐怖を和らげてあげたのである。

(それにしても……眠い)

そう思った途端、リザードの口から欠伸が漏れ出る。
普段ならねぐらで寝ている時間なのだ、それも仕方ないことだろう。

「ふわぁ〜」
「ふわぁ〜」
「ふわわぁ〜」

一つの欠伸の後に二つの欠伸。
釣られて欠伸をした二人にリザードは笑いながら、もう一度欠伸をする。


ガサガサ!


そんな三匹の目の前に飛び出てきた影。

「誰だ!」

二人を庇うようにリザードが前に出る。
身構えた爪が月明かりで鈍く光り、尻尾の炎が揺れ動き赤い軌跡を宙に描く。

だが、影の主はリザードの威嚇を意に返さず彼らに近づいてきた。

「止まれ! くっ……聞く気は無いようだな!」

説得を諦め、リザードは更に前屈みに体勢を変え何時でも飛び抱える体勢になる。
そして、先手で責めかかろうとしたとき、

「リザードさん待って!」
「……っ……どうしたんだマリル?」

マリルの叫び声でリザードはそれを取りやめる。
警戒の姿勢は変えず、リザードが顔をマリルに向けると……

「彼は……僕の友達なんです!」
「君の友達……彼が?」
「そうなんです……だけど何で此処に?」

その言葉にようやくリザードが体勢を戻した。

マリルの友達は彼と同じ『マリル』

よく見てみれば、真ん丸な大きな耳に小さな傷があるのが見て取れる。
だが、その当人はまるで三人が見えてないかのように、隣を通り過ぎ森の中へと入っていった。

その惚けたようなマリルの友人を見てリザードは……

「……選ばれたんだ」
「選ばれる、一体何に!?」

リザードが呟いた言葉にマリルが反応する。
どういう事なのと詰め寄られリザードは暫く言葉を濁していたが、誤魔化しきれないと観念する。
彼が語ったのは森の秘密……

彼の知る歌姫の物語であった。



『クリスマスの夜に歌姫は歌を歌う。
 それは多くの観客を招くための誘い歌。

 歌声が聞こえる者……それは彼女に魅入られた者。
 魅入られた者は歌姫の操り人形。

 招かれたもの達は歌姫の本当の歌声を聞くだろう。
 永遠に歌声に魅了され、心を奪われる。
 
 最後には彼女のものになってしまうだろう』



語り終えたリザードは身を震わせる。
その物語はマリル達が知っている物語と内容が異なっていた。

どうなるのかの詳細がより明確になり、不吉さがよりいっそう強くなる。

「歌姫の物語……一体何なんですか?」
「分からない、ほら、君たちは早く帰るんだ。 僕もそろそろ帰るつもりだから」
「いやです、あんな話を聞いた以上、友達を放っては置けないから!」

帰ろう……そう、勧めるリザードにマリルは声をあげる。
友達をみすみす歌姫の犠牲にしたくはなかった。

だが、リザードは青い顔をしたまま、マリルの説得を受け入れてくれない。
彼はこの物語を明らかに恐れていた。

「僕に出来るのは道案内だけだ……ごめん」
「……リザードさん」

そう言ってリザードが歩き出す。
ついていくなら、森から出られて親の元に帰れる。

だが、友達を追うのなら……また、この薄気味悪い森の中へ……

「……お兄ちゃん」
「……ルリリ」

決断したマリルは、ルリリを連れてリザードの元へ駆け寄り、

「そう、それで良いんだ早く森の外へ……」
「違うんです! ルリリを弟を頼みます!」
「な、何を言っているんだい?」
「お兄ちゃん!」
「僕は友達を助けたいんだ!」

悲鳴をあげ、泣き叫ぶルリリを尻目にマリルは友達の後を追った。
そんな彼の後ろ姿を見つめ、リザードはそのあとを追おうとするルリリの体を押さえることしか出来なかった。

(ああ……俺は……ヒトカゲ…………)

先を行くマリルの姿にリザードは双子であった弟の姿をダブらせる。
当時はまだ彼もヒトカゲの姿だった。

その時の思い出は彼にとっては思い出したくもない、忌まわしき思い出。

リザードと彼の弟は歌姫の声を聞いた事があるのだ。
それが丁度一年前の今日……
だから分かるのだ、あの歌声に魅入られたら自分の意志では抗えない。


彼らは気が付いたら洞窟の前に立ち尽くしており、知らぬ間に歌姫の元へ誘われようとしていた。
そこでリザードは、洞窟から聞こえてくる歌声に恐怖して逃げ出し、
彼の弟は歌声に魅了され洞窟の中へ入っていったまま……二度と出てこなかった。

それが強くリザードの心にトラウマとなって残っている。

彼は逃げたのだ、洞窟から……弟を見捨てて。
今もリザードの足は動かない、身も竦みあの時のことを思い出すと……

「お兄ちゃん! お兄ちゃん、待ってよ!」
「ああ、暴れないでくれ……」

リザードは今も暴れ続けるルリリを見た。
兄を心配して、兄妹を心配してそのあとを追おうとする彼を……

(俺は……)

再び目を前に向ける。
すでにマリルの姿は森の闇に消え……姿を見つけることは出来なかった。






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