「ここだな、例の森は……


そう言って彼はフーッ、と一息ついた。


目の前に広がっているのは、木々が鬱蒼と茂り、

昼間でもあまり光の差し込まない薄暗くて気味の悪い森。

今は日も暮れようとしていて、遠くの方から時折バサバサッ、と

鳥の羽ばたく音が静かに響き、更に不気味な雰囲気を醸し出している。

今からこの森に一人で入るのだと思うと少し身震いしたが、

彼には躊躇している暇はなかった。

そう、今はともかく進まねばならない……

「待たれよ、旅の者」

 

何者かが彼に呼びかけた。

彼は辺りを見回すと、そこには

年老いたダーテングが一人ぽつんと立って、こちらを見つめている。

「何だ、何か用か。」

「お主、その恰好からして、この森に入るつもりかな?」

彼のしょっているザックを見てそう思ったのだろう。彼は答えた。


「ああ、そうだ。」
「やめなされ。ひとたびこの森の奥に入った者は、二度と出てこれん。

わしゃ、この近くに住んどる者だが、今まで幾人とそういうやつを見てきた。

この前も
「悪いがオレは急いでるんだ。取り合ってる暇はない。」

ゆっくりとしわがれた声で、

放っておけばいつまでもしゃべっていそうな様子だったので、彼はそれを遮った。

 

「オレはどうしても行かなきゃならないんだ。」
「わしゃ、知らんぞ。」
「ああ、結構だ。」

彼はダーテングに背を向けて森へ足を踏み入れようとした。

「待ちなされ。」
「何だ。オレのことは心配いらない。」
「ムウマージには気をつけなされ。

昔からこの森に入った旅人を迷いこませると言い伝えがある。」

 

彼は立ち止まり、一瞬考え込んだ。

「……そうか…分かった。

ムウマージだな。ムウマージに気をつけりゃいいんだな。」
「くれぐれも気をつけなされ。あまり奥深くには入らぬよう


ダーテングの目の前から既に彼は消えていた。

「まったく、これじゃから若いもんは……

 

 

 

彼はひたすら奥へ踏み入った。ずんずん奥へ。

使命を果たして早く村へ帰りたい。いや、帰らなければ。

その思いが彼をつき動かしていた。


キー、キー……バサッ……ガサガサ……


ダーテングの前では強がっていた彼だが、この森に分け入るのはやはり怖かった。

まだ日は沈んだばかりなのに、真夜中のように暗い。

今宵は満月だが、森の中には月明かりもほとんど差さない。

道無き道を、彼は懐中電灯と方位磁針だけを頼りに進む。


挫けそうになるたびに、彼は村のことを思い出した―――


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