---

ゴッ………クン…ッ……

丸呑みにされるカプセルと同じように、ついに青年の四肢
はバビロンの喉を通過するに至った。チューブ状の狭苦し
い食道の中を、ずぷずぷと押し広げながら真っ逆さまに下
っていく。
同時に、青年はバビロンの口の中で味わった異様なまでの
悪臭が、ほんの序曲に過ぎないものだと思い知らされた。
胃袋との距離が縮まっていくにつれ、毒のような臭いは強
まっていった。


ジュプゥ……ぐにゅぉ……むにっ……むにぃ……

大蛇に呑み込まれるというのは、まさにこのような感覚な
のかもしれない。肉壁にぎゅうぎゅうと押しつぶされ……
息が詰まるような圧迫感に苛まれ……そして食道の壁を覆
っている潤沢の粘液に、身体を擦りつけることを強制される。

ただ……蛇に呑まれるのと竜に呑まれるのと、決定的な違
いはここからだ。蛇に喰われたのならば窮屈としか言いよ
うのない空間に押し込められて終わりだが、相手が見上げ
るような体格を持った竜であれば……


ぐぷっ……ごぽぁ……!!

リング状の噴門に締め付けられた後、青年はさっきよりは
自由度の高い空間へと排出された。とはいえ触ればヌチョ
ッと糸を引くような液体と、豊満な肉質で視界の全てが包
まれている状況に変わりはない。いや……胃壁に関しては、
むしろ食道よりも格段にむっちりとした印象だ。少し力を
抜いて背中を預けてみると、優しく受け止められると同時
に、胃袋全体が穏やかに揺れるのを感じた。

「……っ……!!!」

だがそんな胃壁の柔らかさに快感を見いだす間もなく、強
烈な腐臭が青年の鼻腔に飛び込んできた。すぐさま鼻に手
をやったが、それでも顔がその辛さに歪むのは抑えられな
い。青年は体勢を崩すと、真下に溜まっていた深さ2セン
チほどの粘液にバシャッと倒れ込んだ。

「うぶっ……ぷはっ!! ……くそ……」

生ゴミや公衆トイレとも違う、ある意味独特な臭いだった。
〜のようだ、と簡単に表現できるようなものではないが、
とにかく悪臭であることに違いはない。これが生物の体内
の臭いなのかと、青年は改めて実感した。
しかし、よくよく考えれば当然のことだ。他の生物を無残
にも胃酸で溶かし、吸収してしまうような器官が、うっと
りするような芳香で満ちている訳がない。



5分ほど凄まじい胃臭と格闘し、ようやく鼻が慣れてきた
かと思いきや、バビロンはしっかりと次の責め苦を用意し
ていた。今までは単なる「壁」に過ぎなかった胃壁が一転、
刑具として青年の身体を圧迫してきたのだ。上半身、下腹
部、足先に至るまで、表面がたっぷりと潤った肉達にこと
ごとく手篭めにされる。あまりに執念深い責めに、青年は
呼吸を繋げていくのがやっとだった。

ぬっちゅ……ぶにゅぶにゅ……ごぼっ……

「んんっ……!! ハァ……おぶっ……!!」



そしてさらに20分ほど経っただろうか。揉みに次ぐ揉み
で疲労しきった青年の身体は、ようやく元の位置に戻っ
た胃壁に寄り添うことが出来た。頭から足まで胃粘液に
まみれてはいたが、あの執拗なまでの圧迫から解放され
た以上、青年はそんな些細なことはどうでもよかった。

やがて頭上から、「執行人」の皮肉ったような声が降り注ぐ。

「フフ……大分、リラックスしているようだが……。
まさかこれで出られる、などと馬鹿な勘違いしてはいな
いだろうな? いっておくが、これが罰ゲームであること
を忘れるな」

「ゲホッ!! まるで鬼だね……お兄さんって……あのお姉
さんを少しは見習ったらどうだい?」

「……ほう、それは心外だ。今まであいつの強奪を図っ
た者は皆、一人残らず骨まで処分したんだが? それもお
前が今座り込んでいる、まさにその中で」

「…………!!」

恐怖に駆られ、青年は飛び上がった。
が、極端にぶよぶよした場所を踏んでしまい、結局バラ
ンスを失って元の体勢に戻ってしまう。

この竜の体内で、無惨に骨まで処分された者……彼らが
どんな考えでレムリアを捕らえようとしていたのか、青
年は何となく理解できる気がした。それも当然、自分も
同じ事をしたのだから。


「本来ならお前にも同じ道を歩ませてやりたいが………
生憎、私には餓鬼をむざむざと殺すような度胸はない。
……ククッ、良かったな? こんな優しいドラゴンさんに
巡り会えて」

「………っ……」

「フフ……どうした。嫌ならすぐにでも地獄の風景を拝
ませてやってもいいんだが?」

「わ、分かったよ………」

青年もここまでされては屈服せざるを得なかった。何も
抗えない悔しさと、バビロンの唾液の付いた唇を同時に
噛み締める。どちらも非常に後味の悪いものだった。

やがて、ドクドクという脈動以外は静寂を保っていた胃
壁が動きだす。さっきのように、どうせすぐに休憩が貰
えるはず……青年は淡い期待を胸に抱いた。




＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝




「ククッ……っ……ハハハハハ……」

バビロンは膨らみを帯びた腹に手を当て、青年の耳に届
かぬように笑った。青年の言った「分かったよ……」と
いう言葉が、未だに脳裏に焼き付いて離れない。これま
でにこんなに爆笑を誘う台詞があっただろうか。

「（フフ……全く、とんだ勘違い坊主だ）」

青年の悲鳴を胃壁で封鎖しながら、こぼれ出る笑いを何
とか抑えようとする。ちょうど彼には今、先ほどとは比
べ物にならない苦痛を味わわせている最中だ。バビロン
は腹の底から微かに漏れ聞こえてくる絶叫に、無意識に
3回ほど舌を舐めずった。

何より面白いのが、青年がこの罰ゲームが30分やそこら
で終了すると本気で確信している事だ。それだけの時間
を耐え忍べば、自分の罪は消えると……そう考えている。


「ふざけるな」……バビロンは思わずそう口走りそうに
なった。レムリアを賞品やコレクション扱いし、卑劣な
手段で奪い去ろうとした罪は消えない。いや……消させ
ない。従って、青年への刑罰が短時間で終わる道理もない。

そこで、バビロンは次にどうしても胃液を分泌する必要
が生まれたとき……つまり次の食事のときに、初めて青
年を吐き出してやろうと決めていた。それまではどんな
事態になろうと、決して彼に外の光は見せない。無論、
青年の犯した罪の重さからすれば、自分の血肉と化して
やっても構わないのだが、まだ10代の彼にそれはあまり
に酷だろう。

「………ククッ……♪」

再び手を腹に添えてみると、彼の暴れ回る様子が手に取る
ように分かった。膨張して急接近してくる胃壁を蹴り、
「やめて」「助けて」の類の悲鳴を上げ続けている。バビ
ロンにしてみれば、それはただ自分の嗜虐心を高揚させる
スパイスに過ぎなかった。


「さて……夕食まではマスター以上に同居人だな? 仲良く
やろうじゃないか」

1泊2日のこの旅行、2日目の夕食はリーグに帰宅した後で
取ることになる。見ず知らずの土地に唾液まみれで放り出
される青年の姿を想像すると、ますます薄ら笑いが起こった。

今後も青年に休憩を与える気はさらさら無いため、無理に
この部屋に留まる必要はない。バビロンは涎が染み付いた
コンクリートの床に別れを告げ、ドアノブをガチャ
リと捻った。


＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

「あ……無事だったのね、良かった……」

部屋を出たバビロンを出迎えたのは、拾い物の知恵の輪と
格闘しているカイオーガと、未だに腹を膨らませた状態の
レムリアだった。身体こそ相変わらずゼラチンのような状
態のままだったが、顔にはいつもと変わらない笑顔が戻っ
ていた。


「フフ……また厄介な事件に巻き込まれると思っていたの
か? 人質は取り返され、モンスターボールも没収されたガキ
を相手に?」

「人質は取り返され……ね。今更だけど、面倒を起こして
ごめんなさい。私がもうちょっと警戒心を持っていれば……」

「……お前に非は無い。今回は無用心に席を立った私の失
態だ。まあそれでも強いて言うなら……お前の身を狙う者
はこの世界ではごまんといる。これからは自分の価値的な
重さを、もう少し自覚して動いて貰おうか」

「ふふ……はいっ、気をつけます♪」

レムリアは頬に笑いを含めると、警察官のように右手を額
の端に持っていった。それでバビロンは充分満足したよう
で、腰に手を当ててふっと浅い溜め息を吐いた。数秒の間
を置いた末に、彼は目の色を変えてレムリアににじり寄った。


「大事な話がある。これから二人で話せるか」

「え、ええ……いいわ。カイオーガ君、悪いけど先にマス
ターのところに帰ってて貰える?」

「え〜!!? ボクだってちゃんと手伝ったのに……用事が終わ
ったらすぐポイなのぉ?」

基本、不満を垂らすカイオーガを納得させるにはギラティナ
の力を借りる他ない。だが青年との頭脳的な駆け引きの後だ
からか、幸いにもバビロンの脳はいつもより冴え渡っていた。
すぐさまカイオーガの肩を叩き、ヒソヒソと低い声で何かを囁く。

カイオーガはクスッと微笑み、やがて先程の不平不満が嘘の
ようにサッと踵を返した。


「えへへ……まぁそれならいっか。じゃあ先に戻ってるね〜♪」

「……不思議ね。いったい何を言ったの?」

レムリアは上機嫌に肩を上下させているカイオーガの背中を
見て言った。

「魚は水に惹かれ、獣は肉に惹かれ、人は金に惹かれる。
ただその原理を応用しただけだ」

早い話が、カイオーガの目の前にニンジンをぶら下げたと
いう訳だ。大食漢のカイオーガが何を求めているのか、レ
ムリアにしてみれば想像に難くなかった。


「それで……何処にしましょうか。やっぱり、さっき遊戯
室で座ったベンチかしら?」

「ククッ……論外だろう。あんな窮屈でタチの悪い連中で
ごった返している空間、二度と御免だ」

「じゃあ……どこへ?」

バビロンは廊下の壁に設けられている案内板の中にある、
「現在地」という赤い丸をまず指差した。続いて、指の腹
を押し付けたまま目的地の場所へとスライドさせる。「モ
バイル カフェ」という店だった。

「半年前までは人間用のカフェだったようだが……最近、
最新鋭の縮小装置を取り入れたらしい」

「え……つまり人間と同じ大きさにまで小さくなるの? 私達」

「そういう事だ。その方が周囲にも溶けやすいんでね」

「……分かったわ。そうしましょ」

レムリアが承諾するや否や、バビロンは彼女の手首を鷲掴
みにした。彼女が面食らった顔で硬直しているのも無視し
て、その勢いのまま目的のカフェへと向かい始める。

---