うたかたの日々
「なー!なんで俺たちこんなこと始めたんだっけ!?」 「…分かんねえ!」
帝国で一番高い山には、訓練のためのトライアスロンのコースが設けられている。ルパンと次元は、今必死でスキーを漕いでいるのだった。 夏の夕暮れに草原で握手を交わしてから、秋が来、そして冬がやってきた。
ふたりは、ずっと一緒だった。 今まで構成員の訓練や教養学校にはまったく顔を出さなかったルパン三世が、いつも次元大介の隣で訓練や授業を受けている。 今でも好奇の目を向ける者たちは少なくない。それほどに次元の存在は、帝国内で嫉妬と羨望の的になっていたのだ。
だが相変わらず次元は、そんな事は気にかける風でもなく、三世と親しくしているということを鼻にかける事もなく、ただ、ひとりの「友人」としてルパンに接していた。 ルパンにしてみれば、初めてできた同年代の友だった。 日々新しい発見が沢山あった―
新しい発見。 それは、次元にしてみれば驚くほど至極当たり前の事が多かった。
学校の帰りに買い食いをして寄り道すること。 映画館で映画を観ること。 自転車で二人乗りをしながら街を駆け回ること。
同じ年頃の少年なら誰しも経験したことがある他愛もないことが、ルパンにとってはすべて初めての経験だった。 興奮してそう話すルパンに、彼の置かれた特殊な立場と生い立ちを思って、時折次元は切なくなるのだった。
ようやく山頂まで辿り着いたふたりは、同時に安堵のため息を大きく洩らしながら、白い雪の上にどっかりと大の字になった。
「はあっ!!完走完走!」
次元が嬉しそうに目を閉じたまま言った。
「まだ帰りが残ってるぜ?」
ルパンが意地悪く微笑んで言う。
「いいの!なにしろこのコースは成人の構成員向けなんだから。よくやったよ、俺たち。」
冬の空気は透明で切れるように冷たい。その空気にさらされて、更に今しがたまでの激しい運動で頬を上気させた次元の顔は、神々しいほど美しくルパンの目に映った。
「…お前って、綺麗な顔してるよね。」
ルパンは何とはなしにそう口にした。
「そう?」
次元が大して興味もなさそうに答えた。
「なんでえ、折角誉めてやったのに気のねえ返事だな。」
ルパンが不貞腐れると、次元は目を開けて澄んだ青空を見つめながら言った。
「…その”綺麗な顔”のおかげで困ることもある、ってこと。」 「困る?何が。」
ルパンがうつ伏せになって頬杖をつきながら問うと、次元は心底うんざりする、といった風情で答えた。
「…帝国の教養学校や訓練施設は、全部女子部と男子部に分かれてるだろ?要するに男子は女子から隔離されてるわけ。だから常に悶々としてる。…鬱憤がたまると、たとえ相手が同じ男でも構わなくなるらしい。」
ルパンはしばらく考えていたが、その意味が分かって憤慨した。
「お前に手を出そうって奴がいるのか!?」 「なんだよ、大げさだなあ。」
次元はクスクスと笑った。
「まあ、まだ実際に被害には遭ったことないけどね。それでも、厄介なことは多いよ。」
次元は起き上がって膝を抱えた。
「でも可笑しいな。お前がそんな風に言うなんて。俺からしてみれば、お前のほうがよっぽど綺麗な顔してるよ。」 「俺が?」
ルパンにとっては、この言葉も初めて聞く言葉だった。 それまで自分の容姿についてなど考えたこともなかったのだから。そして考えなくてもすむくらい、欲しいと思って手に入らない人間はいなかったのだから。 初めて自分の容姿に触れられて、何故かルパンは恥ずかしくなった。それはこれまで感じたことのない感情―羞恥だった。
「…大人になったら、髭でも生やせばいいんじゃねえの?そうすりゃ少しはごつく見えるだろ。」
自分の気持ちを悟られないように、ルパンは茶化した。
「そうだな。それもいいね。」
ふたりは同時に朗らかに笑った。空はどこまでも青かった。まるで穢れを知らないふたりそのもののように、青かった。
下山コースを看破して町に降り立った頃には、もう夜の帳が降り始めていた。
「さてと…。もう帰らなくちゃ。母さんが心配する。」
スキーを外しながら次元が言った。
「母さん…」
ルパンは口に出してそう言ってみた。
ルパンは、母を知らない。 物心ついたときにはもう、その存在は遠く隔てられたものになってしまっていた。それは母の意向ではなく、ルパン家の意向だった― そう思いたい。
唯一覚えているのは、母が唄ってくれた子守唄。今でも時折、父や祖父のいないところで口ずさむことがある。 ルパンの顔が曇ったのを見てか、はたまた素直な感情からでたものか、次元がルパンに問うた。
「…良かったら、家に来る?」 「いいのか!?」
ルパンの顔が喜びにぱっと輝いた。
「お前が普段食べているような豪勢な料理はとても出せないけど…。でも、みんな歓迎すると思うよ。俺、友達を連れてったことないから。」
その言葉に、次元もまた、ルパンとは異なる質の孤独を味わっているのかもしれないとルパンは思ったが、次元の家に行ける―その喜びのほうが胸の痛みを超えていた。
「行く!絶対行く!!」
幼い子供のようにはしゃぐルパンを見て次元は笑ったが、釘を刺すことも忘れなかった。
「でも、頼むから自分が”ルパン三世です”って言うのはやめてくれよな。帝国の人間がどれほどルパン家を意識しているか、お前も分かってきたろ?」
確かに次元と過ごすようになって、それまで以上にルパンは、自分の掌握している権力の大きさを思い知らされたのだった。
「…分かった。絶対に言わない。」 「All Right.」
次元は満足そうに微笑み、ルパンと連れ立って歩き出した。
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