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すきうま
    
 
 
            今までに好きになった馬達です!!

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 [23]   オグリキャップ
1985年3月27日生まれの牡馬で、父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー、母父シルバーシャークという血統の持ち主。
毛色は芦毛。生涯成績は12 4 1 3。
この馬は、私が競馬を見るきかっけになった馬であることには間違いはありません。
競馬に興味がなかった私でも、『芦毛の怪物 オグリキャップ』の名前は知っていました。
実際にリアルタイムで見たレースは、引退レースである90年の有馬記念だけです。
後のレースは競馬に興味を持ってから、ビデオなどで観戦しました。
こんな私がこの馬の事を書くのはおこがましいとは思いますが、今回はこの馬を書くことにしました。
この馬は地方競馬出身の馬として話題になりました。
中央入りしてから6連勝を達成し、88年の天皇賞(秋)で初G1に挑みます。
このレースは同じ毛色のタマモクロスがいて、芦毛対決と話題になりました。
このレースではタマモクロスの2着に敗れ、連勝がストップしてしまいます。
続くジャパンカップでも3着に敗れた後、有馬記念に挑戦します。
この有馬記念でライバル、タマモクロスに競り勝ち、遂に念願のG1制覇を果たします。
89年は天皇賞(秋)ではスパークリークの2着、マイルチャンピオンシップは見事に制覇します。
ここで驚くのがなんとG1に連闘で出走したのです。
それもジャパンカップに・・・
さらに凄いのがここでホーリックスの2着に敗れはしますが、同タイムで走破し、このタイムが世界レコードの2:22;2だったのです。
これは本当に驚異というしか表現の方法がないですよね。
その後の有馬記念はさすがのオグリキャップも疲れが出て、5着に敗退します。
90年は安田記念を制した後、宝塚記念ではオサイチジョージの2着、天皇賞(秋)は6着、ジャパンカップでは11着と大きく敗退します。
この頃はオグリキャップの限界説が流れていました。
そんな中、有馬記念に出走し奇跡の有終ランを見せてくれました。
この当時は、競馬に興味の無い私でも、このレースを観戦する程、この馬の人気は凄いものでした。
もし、この時オグリキャップが奇跡の有終ランを私に見せてくれていなければ、私は競馬を見ることが無かったかもしれません。
この馬に競馬の夢とロマンを見せてもらいました。
本当に感謝しています。
update:
2006/10/28

 [22]   ヒシアマゾン
1991年3月26日生まれの牝馬で、父Theatrical、母Katies、
母父Nonoalcoという血統の持ち主。
毛色は黒鹿毛。生涯成績は10 5 0 5。
この馬は中舘英二騎手との異色のコンビで話題になりました。
中舘英二騎手はツインターボで有名である様に得意戦法は逃げだと認知されていると思います。
しかし、この馬は追い込み馬だったのでこの異色のコンビはいつも話題になっていました。
外国産馬という事で、強いのにクラシックに出られないという事も話題になった要因の一つだと思いますが・・・
三歳時は阪神3歳牝馬Sを圧勝し、実力の差を見せつけます。
その後も着々と勝利を重ね、最後の一冠エリザベス女王杯に挑戦します。
このレースにも勝ったこの馬には、もう牝馬に敵はいませんでした。
そして三冠馬ナリタブライアンの出走する有馬記念へ挑戦します。
ここではさすがにナリタブライアンには敗れましたが、一流古馬相手に2着という好成績を収めます。
95年に入ってからもこの馬は着実に勝利を重ねていきます。
そしてジャパンカップに挑戦したこの馬は日本馬最先着の2着に入ります。
続く、有馬記念では1番人気に推されながら5着に敗れてしまいます。
96年に入るとさすがに往年の勢いは影を潜めてしまいます。
しかし96年の秋華賞が設立され古馬に開放されたエリザベス女王杯ではさすがという所を見せてくれました。
ゲート内で暴れ、大外発走になったにも関わらず2着に入線したのです。
普通の牝馬であるならば、大外発走になっただけで終わってしまったかもしれません。
G1という大舞台なのですから・・・
結果的には2着に入線しましたが、進路妨害による降着で7着になってしまいました。
この馬には外国産馬のクラシック出走の問題と古馬になった牝馬のレース選択に中距離のG1がなかったという問題にずばりあてはまった馬でした。
私が見た初めての女傑と呼べる牝馬です。
update:
2006/10/22

 [21]   スペシャルウィーク
1995年5月2日生まれの牡馬で、父サンデーサイレンス、母キャンペンガール、母父マルゼンスキーという血統の持ち主。
毛色は黒鹿毛。生涯成績は10 4 2 1。
この馬は武豊騎手が悲願のダービー制覇をした馬です。
なぜかダービーだけは勝てなかった武豊騎手がようやくダービーを制覇した時の事は、今でも鮮明に覚えています。
断然の1番人気で迎えた皐月賞でセイウンスカイの3着に敗れ、迎えたダービーは武豊騎手がダービーを獲れるのかという事に注目が集まっていました。
このダービーは本当に武豊騎手がどれだけ緊張して必至だったのかが分かるレースでした。
最後の直線に向いた時に思わぬハプニングは起こりました。
あろう事か、武豊騎手は『これなら勝てる』と鞭を持ち替えたときに誤って鞭を落としてしまったのです。
そして鞭を落としながらも必至に馬を追い、悲願のダービー制覇を成し遂げました。
この時に私は、あの武豊騎手でも焦ってミスを犯し、必至に追い込む姿を見て『ダービーは本当に難しいレースなんだ』と再認識させられました。
この後、菊花賞ではセイウンスカイの2着に敗れましたがジャパンカップにも挑戦しました。
この世代は本当に強かったので、同世代のエルコンドルパサーの3着に敗れ休養に入りました。
その後、天皇賞(春)でメジロブライト、セイウンスカイを破り、見事に制覇しますが続く宝塚記念では、これまた同世代のグラスワンダーに完敗してしまいます。
秋初戦の京都大賞典で7着に惨敗し、人気を落とした天皇賞(秋)では天皇賞春秋連覇という偉業を成し遂げます。
続くジャパンカップもエルコンドルパサーを破った凱旋門賞馬モンジューを退け、見事に制覇します。
ラストランとなった有馬記念では永遠のライバル、グラスワンダーに王者として立ち向かうもグラスワンダーに僅か届かず、雪辱を晴らす事は出来ませんでした。
この馬は本当に強かったんですが、同世代に外国産馬のグラスワンダーやエルコンドルパサーがいて、この当時は外国産馬が出走できるレースは限られていたので、有馬記念と宝塚記念、ジャパンカップでしかこのスーパーホースとスペシャルウィークが対戦できなかったのが心残りですね・・・
update:
2006/10/15

 [20]   クロフネ
1998年3月31日生まれの牡馬で、父French Deputy、母Blue Avenue、母父Classic Go Goという血統の持ち主。
毛色は芦毛。生涯成績は6 1 2 1。
この馬は『外国産馬開放元年』に現れた外国産馬で、この馬の名前の由来にもなっています。
この馬を好きになったのは、その宿命付けられた様な名前と芦毛という毛色からだと思います。
また、この世代には三冠確実と言われたアグネスタキオンが存在していたのも、この馬を応援したくなる要因のひとつだったと思います。
00年のラジオたんぱ杯3歳Sで、そのアグネスタキオンと対決しました。
このレースには後のダービー馬ジャングルポッケトも出走していました。
結果を言うと1着アグネスタキオン、2着ジャングルポケット、そして3着にクロフネでした。
このレースから3頭ものG1馬が輩出された事は「本当に凄いレースをこの時に見たんだなぁ〜」と、後から感慨にふけったものです。
この馬は自分の名前に導かれるようにNHKマイルCを制し、いよいよダービーへ駒を進めます。
アグネスタキオンがリタイアしても、ダービーを盛り上げてくれるこの馬に、本当に
なんて絵になる馬なんだと思いましたよ。
しかし、ダービーは残念ながら前述したジャングルポケットに敗れてしまいます。
その後、神戸新聞杯で3着に敗れた後、天皇賞(秋)への挑戦を試みます。
その当時、古馬G1はテイエムオペラオーとメイショウドトウの一騎打ちムードだったので、この馬に期待がかかりました。
しかし、外国産馬枠にまさかの馬が出走登録してきました。
その馬はアグネスデジタルでした。
この馬のおかげで、クロフネは天皇賞を除外されやむなく武蔵野Sへ向かうことになります。
ここからが、クロフネ伝説第2章の始まりです。
ちなみに、ブーイングの中アグネスデジタルは見事に天皇賞(秋)を制し、色んな雑音を黙らせました。
武蔵野Sでクロフネは物凄いダート適正を見せつけます。
これには正直、痺れました。
しかし、天皇賞(秋)を除外されてこのパフォーマンスを見せられるとは、世の中何が吉兆なのかわかりませんね。
続く、ジャパンカップダートでも楽勝し、この馬の凄さを見せつけました。
この馬は本当に好きな馬なので、この血を後世まで残してもらいたいものです。
update:
2006/10/09

 [19]   セイウンスカイ
1995年4月26日生まれの牡馬で、父シェリフズスター、母シスターミル、
母父ミルジョージという血統の持ち主。
毛色は芦毛。生涯成績は7 1 1 4。
この馬は芦毛という毛色と、逃げ馬という脚質、父がシェリフズスターというマイナーな血統から好きになりました。
弥生賞までは徳吉騎手が主戦騎手として乗っていましたが、このレースでスペシャルウイークの2着に敗れ、主戦騎手を横山典騎手に乗り替えて挑んだ皐月賞で見事にG1制覇しました。
ダービーは惜しくもスペシャルウイークに敗れてしまいましたが、秋初戦はトライアルに使わずに京都大賞典に出走し、古馬と挑戦しました。
このレースで本命馬メジロブライトに勝ち、菊花賞に弾みをつけました。
菊花賞では当時のレコードでこのレースを制覇し二冠馬になりました。
その後、有馬記念に挑戦しましたが同年代のグラスワンダーの復活劇の前に敗れました。
その後もG1に挑戦はしますが、勝つ事はできませんでした。
この馬は同年代に名馬がたくさんいるので、このG12勝はとても素晴らしい成績だと思います。
 
update:
2006/09/30



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