雨の中を、蝶が飛ぶ。
新たな生贄を求めて、蝶が飛ぶ。
それは何故か、朱志香の目に鮮明に映った。
人目につかないようひっそりと建てられた薔薇庭園の倉庫。そのシャッターが、中途半端に…開いている。
犯人が慌てて証拠を残してしるかもしれない。彼女は無我夢中で倉庫へと入った。
中に入ると、あまり慣れない埃の匂い。…薄暗い倉庫に人の気配はない。思い過ごし…だったの、だろうか?
そこへ漸く、嘉音が追いついた。
「お嬢様、お一人では危険です。お気持ちは分かりますが、一度戻られてから―――」
嘉音の言葉尻を遮るように、その時突然シャッターが下りた。嘉音ではない。朱志香でもない。
危険を感じた嘉音がシャッターの縁に手をかけるが、びくともしない。
「っな、開かない…!」
「閉じ込められた…!?」
こんな事をするとしたら、それは犯人しか有り得ない。出し抜かれた!
仇を取ることも出来ない不甲斐ない自分に歯軋りをしながら、朱志香はシャッターの向こう側にいるであろう犯人へ悪態を吐く。
「ふざけた真似しやがって…!てめぇ、絶対殺してやる・・・!」
「ひっひ、相変わらず朱志香は威勢がいいなぁ。」
背後から掛けられた声に、二人の背が凍りつく。この倉庫には自分達しかいない筈なのにッ!?
勢い良く振り返った先。先程まで誰もいなかった筈のそこに、人影が出来ていた。
背は180はあるだろうか。かなりの長身。寸分の隙も無く黒のスーツを着こなす様は、こんな状況でなければ恰好良いとはしゃいだかもしれない。
けれど。彼を構成する一つ一つのパーツは確かに人のものであるにも関わらず、ニンゲンであると信じさせない何かがあった。
…それはきっと目だと、朱志香は思う。棚に寄りかかりながら此方を値踏みするように見てくるその目が。どこまでも黒く、暗い。
漆黒という言葉以上に暗さを表せる単語があればそちらを使いたい。それぐらいに彼の目は…人ならざる闇に満ちていた。
「お、お前…誰だ…!?どうして私の名前を・・・!」
「当ててみろよ。お前の祖父さまだって思い出せたんだからなぁ!あぁでも…12年も経っちまってるから難しいかぁあ?」
おどけた態度の男に掴みかからんばかりの勢いの朱志香を庇うように、嘉音が前へ出る。
「家具が。抵抗でもする気かァ?いっひっひ、いいぜぇ、そうでなくちゃベアトが楽しめねぇ。」
睨み合う男と嘉音の背後で、朱志香は考えていた。
赤い髪。特徴的な八重歯と笑い方。男の言った12年。ぴたりと符号する人物が、一人だけいる。
けれどそいつは、こんなふうに暗い目をしない筈で。こんなふうに、使用人を家具なんて呼んで蔑んだりしない筈で。
「どうだよ。そろそろ思い出せたかぁ、朱志香ァ?」
「………お前……戦人、なのか…?」
出来れば…否、絶対に否定して欲しかった。あの泣き虫で優しい従兄弟が、こんな闇を抱えた目をする筈がないと。
「いっひっひ、ご名答。…久しぶりだな。」
…眩暈がする。こんな…こんな。嘘だ。ずっと、ずっと探して…心配して…悲しくて、悲しくて…なのに。なのに、こんな…!
「お前の両親も、譲治の兄貴も源次さんも紗音ちゃんも祖父さまも。…みぃんな、俺が殺した。どんな気分だよ、死んだと思ってた従兄弟に
大切なものを根こそぎ奪われる気分はよう!」
歌うように紡がれた言葉に、視界が真っ赤に染まる。嘘だ。こんな奴が、戦人の筈がない。
死んだんだ!あいつは死んだんだ!12年も前に!!
ありったけの否定を込めて殴りかかる。その不愉快なにやけ面めがけて!
けれど彼女の怒りは届かない。幾匹もの黄金の蝶となって、戦人の姿がふわりと霧散する。
そこから少し離れたところに再び顕現した戦人は…とても満足そうに、微笑んでいた。
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