世界でただ一人。自分だけを愛して欲しいから。
その部屋は、禍々しい匂いに満ちていた。人が本能的に毒だと感じ取るような…そんな、匂い。
常人ならば顔を顰めずにはいられないであろうその部屋においても、右代宮金蔵は全くの無表情であった。
時折稲光に照らされながら、彼は微動だにせず窓際に立ち尽くしていた。
ふと。窓ガラスに金色の光が映り込み、彼は暫くぶりに室内へと目を向けた。
「よう。」
来客用のソファで、男が寛いでいる。すらりと伸びた足を邪魔そうに組み、にやりと。あまり質の良くない笑みを浮かべながら、男は金蔵を見る。
「魔の者が、どうやってこの部屋に入った。」
「あぁ、結界の事かぁ?…俺はどっちかっつーとまだ、ニンゲンに近いからな。ちょっと苦労したけど、何とか入れたぜ。」
「成程。あやつの言っておった面白い拾い物とは貴様のことか。」
金蔵も、口の端を歪める。右代宮を長年支配し続けた当主の、邪悪な笑みだった。
「さて。あんたにはどう挨拶したもんかな。初めましてって訳でもないが…かといって、ベアトで頭一杯のあんたが、俺の事覚えてるとも思えねぇ。」
表面上は困ったように微笑む男。けれどどこか謎かけを愉しんでいるようにも見て取れた。
金蔵は男の対面のソファに座り、自分に会うのは初めてではないという男を改めて見る。
…誰かに、似ている。…誰に?
短くはない思考の後、彼は口を開いた。
「…随分と昔に、留弗夫めの子供が森に入ったまま行方知れずになったことがあったな。奴も赤髪だった。…名はそう、確か……戦人。」
「はッ!すげぇや!流石はゴールドスミス卿だぜ!」
大袈裟に笑い、手を叩く。純粋に、自分の正体が分かったことが信じられないといった風だった。
「あんたに貰った名前は有難く使わせてもらってるぜ。…あんたを殺す前にそれだけは、言っておきたくてな。」
足を組み替えながら、戦人は静かに、しかし冷酷に、言い放つ。
彼の世界で意味を持つ人物は、最愛の魔女一人だけ。だから目の前のニンゲンにかける情なぞみじんもありはしない。
むしろ戦人にとって、彼は敵。自分から魔女を奪おうとする邪魔者。
「ベアトは俺のもんだ。ベアトだけが俺を愛せる。逆も然りだ。誰にも邪魔させない。他の魔女にも悪魔にもニンゲンにも!誰にもッ!」
それを、果たして単に親への独占欲と片付けてしまっていいのだろうか。そう呼ぶには…あまりにも。
否。この激情を表現できる言葉が、この世界に存在するかどうか。まさに狂気に彩られた…それでも、愛情だった。
「…だから、あんたが憎い。俺からベアトを奪おうとするあんたが、たまらなく憎い。」
「それで私が第一の晩の生贄か。」
無言のままに、戦人は唇を笑みの形に似せた。肯定。
す、と左手を伸ばして、
「チェック。…終わりだ、右代宮金蔵。」
ぱちり、と指を弾く。
その、瞬間。金蔵の身体は凄まじい業火に包まれた。絶叫すらも、一瞬。
あまりにもあっけなく、戦人はかつての祖父の命を奪ってみせた。
「残り五人は誰にするの?」
ふと背後から静かに掛けられた声は、ルシファーのものだった。視線だけやれば四女・ベルフェゴールの姿も見える。
「お疲れならば後は我らが片付けるが?」
「いっひっひ、生憎だなぁベルフェ。お前の誘いにゃのらねぇよ。」
怠惰の誘惑を一蹴し、戦人はゆっくりとソファから立ち上がる。
「………食堂に三人、薔薇庭園の東屋に二人いるな。そいつらを第一の晩の残りに充てる。」
指示を出す戦人の表情に躊躇いはやはり無い。…冷たい、冷たい瞳。
漆黒の瞳に宿る光に、自分達の主であり、彼の母である魔女と同じ残酷なものを見つけて、ルシファーの背に震えが走る。
…これは、歓喜だ。この子は間違いなく将来、自分達を従えるに足りる魔女になる。そしてそれは、そう遠いことではない。
「適当に息の根止めたら…そうだな、礼拝堂にでも集めといてくれ。”飾りつけ”は俺がやるからよ。」
その言葉に二人は一礼をして、姿を消した。
戦人も部屋を後にしようとして…けれどそこで不意に戦人は振り返る。
右代宮金蔵”だったもの”を見やり、勝ち誇ったように。それは満足そうに、嘲ってみせた。
「じゃあな、祖父さま。…あんたにベアトはやんねーよ。」
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