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公爵の寝室は、ニ階の奥まった部屋だった。
少し日当たりが良くないものの、大きな窓からは花が咲き誇る庭と水を湛えた人工池が見える。
名門の当主の部屋という割には、質素な印象を受ける部屋だった。
続き部屋となっている書斎で、彼らは薬師寺の許可を得て公爵の日記を読んでいた。
大きな書架が壁一面に並び、窓際には琥珀色のとろりとした艶の机が置かれていた。
名門貴族の持ち物に相応しい、美しい浮き彫りが随所に施してある立派なものだ。
故人は几帳面だったらしく、死ぬまで日記を書き続けていた。膨大な量のため、
とりあえず亡くなる直前と二十年前の日記に手をつけたが、収穫は芳しいものではなかった。
「つまんねぇな」
「…何を期待してるのさ」
日記は日々のことが淡々と綴られており、読んだ本の感想などが殆どだった。
「メイドのことだって、何も書いてねぇし…普通は何か書くだろ?今日は手を握ったキスをした、セックスをしたって」
「…全員が君みたいな破廉恥だとは限らないだろ」
「公爵は二十歳そこそこでメイドと禁じられた恋をしたんだろ?だったら普通は、のぼせて何か書くんもんだろ。
俺なら書くぜ?」
「あっそ」
日記を元の位置に戻すと、二人は寝室を調べ始めた。「ここもつまんねぇなぁ…」
「公爵は病気がちだったそうだから、誰かさんみたいに女性と遊ぶこともなかったんじゃないの?」
「何だよ…この間のこと、本当は妬いてたのか?」
「なっ…!!」
先日、泰造と三人で外で食事をする約束を破った男は、悪びれもせず白粉の匂いをさせて深夜に帰宅していたのだ。
「誰が誰に妬くんだよ。バカなこと言ってないで、早く仕事しなよ」
「へいへい」
吾郎はベッドの脇の物入れを漁り始め、寿也は窓から庭園を眺めた。
池の周りでは盛りの水仙が風に揺れて、黄色の波を描いていた。
その美しい情景に、寿也の脳裏に有名な詩の一節が浮かんでくる。
「おい」
「うわっ」
少しぼんやりとしていた寿也は、背後から肩を叩かれて飛び上がった。
「な、何?」
「いや…収穫もねぇから、行くぞって言いたかったんだけど…」
「そ、そう」
窓際から離れようとした寿也の腕を、吾郎は掴んだ。
「本当は妬いてたんだろ?」
「…違うよ」
「…あっそ」
あっさりと手を離した吾郎は、部屋を出ようとしてふとドアの付近から室内を見回した。「…収穫はひとつだけだな」
「え?」
「この部屋は、代々の主人が使っていた部屋じゃねぇってことだ」
探偵の言葉に、寿也は瞬きを繰り返した。
「その通りです」
タイミング良く、夕食だと呼びに来た樫本に吾郎は公爵の部屋のことを訊ねた。
執事の言葉に、寿也は驚いた。
「代々の公爵の寝室は別に…こちらの部屋とは反対側にあります」
「何でこの部屋に?」
「さぁ…私もよくは知らないのですが…先代の強いご希望だったとだけは、聞いております。
公爵は足が少し不自由でしたが、日常生活に問題はございませんでしたので、それが理由ではないと思います」
「足が悪かったのか?」
「はい。若い頃に事故に遭われたと聞いております」
「事故?どんな?」
「さぁ…私も詳しくは聞いておりませんので…」
「ふぅん…」
吾郎は何かを考えながら、部屋を見回した。
「とりあえず、皆様がお待ちですので」
「あぁ、そうだったな…寿、メシに行こうぜ」
「うん」
頷いた寿也は、灯りの消えた室内を見回した。
窓から見える、水仙に囲まれた池が妙に印象的だった。ダイニングには例の二人と薬師寺、眉村の四人のほかに眼鏡を掛けた見慣れない男がいた。
「やぁこれはこれは…有名な探偵の茂野さんにお会いできるとは」
如才なく笑う男を不審そうな目で見た吾郎は、薬師寺に視線を流す。
「こちらは江頭さん…絵画などの管理をしてもらっています」
「ロンドンで画廊も経営しております。御用の際は是非」
「…どうも」
仕方なさそうに握手を交わした吾郎は、用意されたテーブルに腰を下ろした。
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